はてなキーワード: ファミリーとは
via アニオタが非オタの彼女にのガイドライン anond:20080721222220
まあ、どのくらいの数の箱○オタがそういう彼女をゲットできるのかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない箱○の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、箱○のことを紹介するために
プレイすべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に箱○を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので時間的に過大な負担を伴うMMO・マルチメインは避けたい。
あと、いくら箱○的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
パズルゲーム好きが「テトリス ザ・グランドマスターエース」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ゲーム知識はいわゆるファミリー向け・学習系を除けば、マリオドラクエ程度は知っている。
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりこれかよとも思うけれど、「ギアーズ・オブ・ウォー以前」を濃縮しきっていて、「ギアーズ・オブ・ウォー以後」を決定づけたという点では
はずせないんだよなあ。COOPも対応してるし。
ただ、ここでFPSオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならずに濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなゲーム(そう箱○オタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「箱○オタとしてはこの二つは“レバガチャレベルでも楽しめるゲーム”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の哲学オタが持ってるオブジェクティズムへの憧憬と、Ken Levineの演出へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもレトロアメリカな
の二人をはじめとして、オタ好きのする要素をゲーム中にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ジョージ・A・ロメロだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
アメリカなら実写映画監督に訴訟を起こされて、それが日本のほうに影響与えてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内ではWii版が予定されていること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりシューターは2Dだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「式神の城III」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるトレジャーの思いが好きだから。
断腸の思いでXBLA容量のために削りに削ってそれでもプロトタイプモード搭載・オプション充実、っていうのが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「16:10対応」ということへの諦めきれなさがいかにも箱○的だなあと思えてしまうから。
オプションの充実を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
バンナムだったらきっちり糞ラグCOOPにしてしまうだろうとも思う。
なのに、XBOXLiveに常時セッション張ってチート不可の完全な世界ランキングを作ってしまう、というあたり、どうしても
「ワールドワイドでのスコアアタックの魅力を捨てられないオタク」としては、たとえ鷸の回転レーザーがアケと同じ方向でなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の箱○購買層でロンチタイトルプレイしたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
プロストリートよりも前の段階で、NFSシリーズの哲学とかゲームシステムはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がハード熟成期のみならずロンチでもプレイできたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく箱○好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる痛車ゲーとしてしか箱○レースゲーを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
Infinity Wardの「FPSとしての完成度」あるいは「マルチの面白さ」をオタとして教えたい、というお節介焼きからやらせる、ということではなくて。
「ムービーばかりの映画ゲーはいらない」的な感覚がゲーオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそロストオデッセイはムービーゲー以外ではあり得なかったとも思う。
「ゲームだからこそ表現できることを目指すべき」というゲーオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ゲームらしさ」の
源はCoDシリーズにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう原作フリゲのシューティングをいかにも水口哲也なかたちでXBLAに出して、それが非ゲーオタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にアイマスを選んだ。
GoWから始まってアイマスで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ニコニコ動画以降の箱○始まったな時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20080723030022
すごいね、良くまとまってると思う。
自分の場合は、フェードアウトしてます。
多分まだ籍はあるはず。兄弟w
フェードアウトの流れはこんな感じ。
フェードアウトって形にしたのは、この教団の場合、親がある程度責任ある立場(開拓者)だと、子が三行半を正式に出してしまうと、親の立場(JWでは特権、か)も実質剥奪されてしまうため、ってのが一番大きかったわ。
親(母親)は20代後半でここの教理に共感して入信。で、30手前でオレを産んで、いわゆる同じく二世です。
自分の場合は、親も二世への理解があって、自分が10代後半ぐらいから、「もっと広い世界を見て、自分の信じたいと思ったものを信じた方が良いよ」とずっと言ってくれていたので、海外留学とか、自由にさせてもらえた。あ、もちろん、小さい頃はムチとか、奉仕とかばっかだったけどねw
キリスト教が当たり前の世界で、JWたちの宗教への姿勢が見てこれたのは大きかったかな。きっとこれは宗教云々関係無いけど、「自分のしたいことをする」っていう気持ちにはやっぱりダイレクトにつながったし、やりたいことをしている自分への自信にもなった。
なんだか話がいろいろ飛んじゃった気がするけれど、JW自体の教理は、べつに間違っちゃいないと思うし、聖書も組織も特にdisるつもりもないし、特に否定するところもないかな。
何かを本気で信じるってのは大切なことだと思うのと、信じて疑わない人の邪魔をする気もおきない。
オレは楽しい。いまを生きてるから。
結論としては
都心でマンション買っちゃっているのって独身かDINKSってことでいいのかな
独身年収500万の生活を子持ちがやろうとすると夫婦で1500万は稼がないといけない
累進課税死ね。子無し税導入しろ
自分の周りでもそうだが
理由は賃貸よりグレードの高い物件が豊富だから
独身DINKS用物件はたくさんあるし、値段もたかが知れいているしね
それがファミリー用となると数は少ないわ。簡単に4000万オーバーになる
20年ものの中古マンションなら2000万でも買えなくはないが品質は微妙だ
一方、練馬で4LDK賃貸だったら10万でも住める
同じ物件が買えば2000万はする。
ボロい賃貸に住めるのはいつでも出て行けるからなんだな
買うのはありえない
アシストは、Webサイトの企画から統計、分析、評価、結果反映までのライフサイクルを「NOREN5 Content Server」と連動して統合的に管理する、「NOREN5 Experience Server」を5月1日より販売すると発表した。
今回発表された「NOREN5 Experience Server(以下、NES)」は、Web用のコンテンツマネジメントシステム(以下、CMS)である「NOREN5 Content Server(以下、NOREN5)」のファミリー製品だ。NOREN5と連動することにより、Webサイトに関するライフサイクルを効率化、企業力の更なる向上を図れるようになる。稼働環境はWindows、Linux、UNIXに対応しており、販売価格は税別480万円から。
2007.11.29(その3)
森田実の言わねばならぬ[757]
「稲は実るにつけて俯き、侍は出世につけて上向く」(日本の諺)
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11月中旬、東京の中心地で行われた経済人の会合に招かれた。40分ほど前に会場のホテルに着くと、主催者はすでに待っていてくれた。
しばらく3人の経済人と懇談した。それぞれかなりの大物経済人である。ひとりの経済人が言った。 「森田さん、最近、中央官庁が非常に強くなりましたね。戦後、中央官庁がこんなに強くなり、こんなに民間にきびしくなったのは初めてではないですか。国民は今の流れは“官から民へ”と思っているかもしれないが、実態は逆です。官と民の力関係は、官の側が強くなるばかりです。日本の現実は完全な(中央)官僚独裁国家ではないでしょうか」。
この見方は、私と同じである。最近、私の耳には各方面から「中央官僚が強くなった」「きびしくなった」「威張るようになった」「横暴になった」という話が断片的に入ってきていた。しかし今までの情報は経済界の中枢部からの情報ではなかった。今回の情報は日本の財界の中枢部にいる人の情報だった。財界中枢部にも冷静な判断力をもった人がいるのである。
数日前に、かなりハイレベルの経済人の集まりに講演に行ったときにも、同様の話を聞いた。ある経済人が言った。
「最近、公益法人法が大幅に改正されたのですが、実は法律ができあがってから、その法律のなかに当然入るべき“公益法人の定義”がなかったことに気づいたというのです。欠陥法律をつくったのです。そこで監督官庁で研究会をつくって、公益法人の定義についての議論を始めたのです。法律づくりがずさんなのですね。次々と法律をつくるものですから十分な審議が行われず、そのためにこんなひどいことが起こるんですね。ただ、公益法人法改正後、中央官庁の干渉はきびしくなりました。いちいち口を出してくるようになった。公益法人の自由度は狭まっています。最近、中央官庁は次々と法律をつくったり、改正したりしていますが、その都度、中央官庁の力は強くなっています。小泉内閣は“官から民へ”“民にできることは民に”と言っていました。国民はこれを中央官庁の権限を弱めることだと思いましたが、錯覚でした。逆でした。実態は、新法ができたり、改正されるたびに中央官庁が強くなっているのです。いまの日本は中央官庁の官僚独裁国家になってしまいました」。
小泉内閣以来の構造改革の結果、アメリカ政府とアメリカの巨大ファンドと日本の中央官庁の指導層が勝者となった。最大の勝者とみられていた日本の財界の地位はいまや傾きかけているのである。日本の「民」は中央官庁に負けたのである。中央財界からこのような告発がされ始めたことは、大変な進歩である。
山本尚利
1.猪瀬流の日本国批判
猪瀬直樹著「日本国の研究」「続・日本国の研究」文春文庫には、日本
の政官財の構造問題が事例中心に詳細に書かれています。誰でも、コレを
読めば腹が立ってくるでしょう。猪瀬氏は日本国の研究成果が認められて、
小泉内閣の下、道路関係四公団民営化推進委員会の委員に抜擢されました。
政府委員会は、これまで官僚からみてイエスマンの権威者を委員に選ぶの
が普通でした。小泉首相は、官僚の敵を委員会に入れたのです。この判断
は画期的でした。おかげでこの委員会はもめにもめて、マスコミに格好の
ネタを提供してきました。小泉首相は、同委員会に構造改革派を入れて、
国民の前に、道路族・国交省と小泉首相の対立の構造を鮮明にして見せま
した。この作戦は図星となり、2003年11月の衆院選挙で小泉は見事勝利、
国民に承認されたのです。衆院選挙後は、元のシナリオどおり、道路族と
手打ちして、道路公団問題のゲームは終わりました。小泉首相は、国民の
中に、悪役、道路族議員を支持する沈黙の人々が少なからずいることに着
目し、国民に紛れ込む無言の抵抗派を喜ばせたのです。まったく狡猾なパ
ーフォーマーです。日本において構造改革への抵抗派はバカではないので、
道路建設の無意味さを百も承知ですが、背に腹は変えられないほど切羽詰
まっているにすぎません。道路建設がまさに生命維持装置と化しているか
らです。構造改革派の猪瀬氏も委員に選ばれて、テレビへの露出頻度が上
がり、小泉首相へ大感謝です。ツケはまたも国民に押し付けられます。日
本国批判は、一定程度、ビジネスになることを猪瀬氏は証明してくれまし
た。これも小泉首相のおかげです。
小泉首相の手口は、野党的批判を身内に取り込んで、野党の攻撃を無力
化するものです。「自民党をブッコワス」というスローガンも同じ手口で
す。ほかの自民党議員より、若干スマートなだけですが、一時的には新鮮
な手口に見えました。
さて、前述の猪瀬氏は、日本の官僚、そして官僚に操られる自民党議員
がいかに私利私欲を追求しているかを克明に告発しています。彼は日本国
批判の急先鋒でしょう。日本国民の資産は、政官財の支配層によって、好
き勝手に食い荒らされていることが、猪瀬氏によって克明に検証されてい
ます。小泉首相は日本国批判のシンボル、猪瀬氏を取り込むことによって、
正義の味方、月光仮面を演じることに成功しました。小泉首相自身は、た
たき上げの鈴木宗男氏と違って、政治家ファミリーの2代目ですから、正
義の味方を演じるに十分、身辺はきれいであったのでしょう。小泉首相が
登場するまで、金権まみれの政治家しか首相になれなかったのが、運良く
構造改革の波に乗って、幸運にも首相の座を射止めることができたのです。
正義の味方は常に、悪役を必要とします。構造改革を標榜する月光仮面、
小泉首相の場合、官僚や族議員が悪役にさせられます。ところが小泉首相
の手口は常に、WinWinです。彼は悪役にこっそり耳打ちします「実は獲ら
せるから協力してよ」と。道路問題はこの手口で見事、成功しているよう
に見えます。その結果、小泉首相への評価は二分します。100点満点では
ないが、ソコソコ、健闘していると観る人、彼はごまかしている。インチ
キだと批判する人。
彼の新鮮な手口を今、もっとも勉強しているのは官僚でしょう。官僚が
小泉首相から学んだもの、それは国民ダマシのテクニックでしょう。その
秘訣は与党への批判派を取り込んで、野党を無力化する手口です。改革す
る振りして、実は何も変えない。インフルエンザの耐性菌のように、従来
の薬が効かないという厄介な代物です。しかし、この手口が通用するのは
一時です。批判丸め込み手口が流行すると、国民の不満は不完全燃焼する
ことになります。国民に精神状態が慢性不健康となります。これは、まっ
たく始末が悪い。
日本の官僚批判は、猪瀬氏の日本国の研究にまかせます。ところで、日
本の官僚の特徴とは何でしょうか。それは匿名の独裁性にあり、出る杭を
打つ習性です。官僚の天敵は、政治家ではなく、個人のカリスマ的独裁者
です。小泉首相が官僚の料理方法にどれだけ精通しているかは、実のとこ
ろ、よくわかりません。もし、小泉首相が名実ともに、日本国のカリスマ
独裁者になろうと野望を抱いたら、たちまち、官僚から引き摺り下ろされ
るはずです。かつて学歴のない田中首相は官僚から内心、軽蔑されていま
した。そこでロッキード事件によって無残に引きずり下ろされた。この事
件は、米国の事情と官僚の利害が一致したことで田中おろしが奏功したの
でしょう。その娘、田中真紀子氏は天性のカリスマ性を引き継いでいるの
を、官僚の勘で悟られ、たちまち外務大臣の地位を引き摺り下ろされたこ
とは記憶に新しいところです。
戦前の日本の官僚(軍部官僚含む)は、虚妄の独裁者、天皇を祭り上げ
て、好き勝手をやったとみなせます。ヒトラーとか、フセインとか、金正
日とかの個人のカリスマ独裁者は、官僚の匿名独裁が維持される限り、日
本では生まれにくいでしょう。しかしながら、民主主義精神の醸成がプア
な日本において、当分の間、日本の国家運営には、必要悪として所詮、な
んらかの支配者を必要とするのでしょう。そこで、日本では当分、官僚支
配か、カリスマ独裁者支配かの二者択一しかないかもしれません。戦後の
官僚は、天皇のカリスマ性を利用しないで、自民党という利権集団を担ぐ
だけで実質的官僚独裁を維持できたのです。この実績により、一部の官僚
は非常に傲慢となっている一方、子羊国民を内心、愚弄していることでし
ょう。米国覇権主義者は、日本には、想像以上に民主主義が根付かず、実
質的官僚独裁国家であることを悟っています。そこで、官僚人事権に介入
して、官僚経由で日本を支配しようと考えていると思います。小泉首相は、
米国覇権主義者と官僚に間で、適当に泳がされているという図式が見えて
きます。しかし、小泉首相はそれほどバカではないので、米国エリートと
日本国の有能官僚の駆け引きのテンションを巧みに利用して、首相の座を
守っているのです。
日本国民に民主主義が定着しない限り、日本の統治には、結局、官僚独
裁か、カリスマ独裁かの二者択一しかない。これは完全に必要悪です。ど
ちらが、子羊国民にとってリスクが低いかの選択です。カリスマ独裁者の
悪例は隣国北朝鮮を見ればよい。
リスクの点では、チェックアンドバランスがソコソコ機能する官僚独裁
の方がまだましです。支配者がある程度、好き勝手をすることは、避けら
れない。人間は神様ではないですから。カリスマ独裁の場合、10人に9
人は悪徳支配者でしょう。だから、世界支配を目論む米国覇権主義者にと
って、カリスマ独裁の方が、ある意味で攻撃しやすい。しかし、彼らにと
って、日本の匿名官僚制ほど不気味なものはないでしょう。フセインや金
正日の方がよほど御しやすい。敵が見えますから。ならず者国家と名指し
もしやすい。一方、日本は、民主主義を装う匿名官僚独裁国家ですから始
末が悪い。敵が見えない。かつて、日本は顔が見えないと言われました。
米国として、本音では、北朝鮮ではなく、日本こそがならず者国家なので
す。にもかかわらず、日本は民主主義の衣をまとっているので、ならず者
と面と向かって名指しできない。米国にとって、実に腹立たしい大嫌いな
国、それが日本です。旧ソ連の共産党独裁、中国の共産党独裁、ともにカ
リスマ指導者を頂きます。米国にとって、この方がまだわかりやすい。と
ころが、日本では、明治以降の天皇制時代でも、天皇がフセインや金正日
のように振舞っていたわけではなく、裏に匿名官僚集団が控えていたわけ
です。だから、敗戦後、戦犯天皇の死刑を回避すると決めたマッカーサー
の主張が通ったのです。イラクのフセインなら到底、独裁者の無罪は通用
しません。米国が日本にもっとも警戒心を抱いているとすれば、その警戒
の対象は不気味な官僚独裁でしょう。そこで米国の現ブッシュ政権は、戦
前日本のしたたかな権力構造をモデルにしているように見えます。ブッシ
ュ大統領を戦前日本の天皇のように扱っている。9.11テロ事件以降、ブッ
シュ大統領のオドオドした表情に、それは見て取れます。彼の個人的キャ
ラクターは育ちのよい、お人好しカウボーイです。決してヒトラーのよう
な実質独裁者には見えない。その意味で現代の米国の政治体制も民主主義
を装う特定資本独裁と言えます。日米政治体制を比較すれば、軍事・石油
資本のリモートコントロールに傾斜している現代の米国の独裁体制の方が、
日本の官僚独裁よりも、はるかに危険で悪徳であると思います。米国の影
の独裁者集団は、あるときは、共産主義者を敵だと騒ぎ、あるときは、テ
ロリストを敵だと騒ぎ、結局のところ、最後は戦争に持ち込むことが最優
先している。こうして戦争をビジネスとして、国際軍事競争力を維持する
ことを通じて、世界を支配するには、米国は世界中で定期的に戦争を引き
起こすしかないのです。刀は使わなければさび付きますから。テロリスト
のオサマ・ビンラディンも、フセインも一時、米国の手先となって、初め
て米国の本質を知り、ともに、過激な反米独裁者と化したのです。彼らの
間違いは、「目には目を」の戦略です。この発想では、永遠に殺戮が繰り
返される。その点、インド独立の父、ガンジーの非暴力主義のほうが絶対
に正しいのです。
さて現代の日米関係は、端的に言えば、上記のような危険な米国の影の独
裁者集団と日本の官僚集団の駆け引きです。戦前の日米対立構造と、その
本質は少しも変わっていないでしょう。大きな違いはただひとつ、戦前の
日本の官僚独裁が、軍事力をもつ軍部官僚に支配されていたのに対し、現
代日本の官僚独裁は軍事力を持たない点です。戦後、日本の軍事勢力再発
の封じ込めに成功している米国覇権主義者は、獲物としての日本に関して
は、1400兆円の日本国民の資産(レント)を狙っているでしょう。ただし、
獲物としての優先順位は、中東の石油資産の次くらいでしょう。だから、
日本は戦争に巻き込まれなくて済んでいるのです。石油が取れない日本は、
天然資源の資産価値はゼロです。このハンディキャップは、プレデター
(肉食獣)から狙われないという意味において、不幸中の幸いと喜ぶべき
です。さらに、イラクと北朝鮮は「ならず者国家」としては一括りにされ
ていますが、プレデター米国にとって獲物としての価値には天と地の差が
あります。北朝鮮は、イラクのように石油はない。日本のようにお金もな
い。獲物としては、まったくおいしくない国家なのです。それでは米国に
とって北朝鮮の価値は何でしょう。それは日本を、恐怖心を煽りながらコ
ントロールする上において、北朝鮮はある程度、利用価値があるにすぎま
せん。この点を、日本国民はよく認識しておくべきでしょう。私利私欲に
目ざとい官僚はわかっていると思いますが。日本における子羊国民の究極
の選択とは、その虎の子資産を、日本人の匿名官僚集団に好き勝手に食い
荒らされるか、それとも米国プレデターに好き勝手に食い荒らされるか、
どちらの被害が少ないかの選択です。どちらにしても、支配者というもの
はそれ相当のピンハネをするのが世の常です。前述の猪瀬氏の官僚批判を
逆手にとれば、私利私欲のかたまりのような悪徳官僚の方が、清廉潔白で
まじめな官僚よりプレデターの横取りをある程度防いでくれる可能性があ
ります。
ゆったりシートとエコノミークラス症候群の境目。
タダでカップ麺が食えるか、食えないか。
トイレには自由にいけるか。
食後のチョコがついてくるか、ついてこないか。
スリッパ。電源。
まずい飯さえ我慢できれば、こんな面白い場所は他にない。
誰かが突然床に突っ伏して痙攣しはじめる。
「お客様の中にお医者さんはいませんか?」のアナウンスを期待したが、無い。
隣の席のビジネスマン風の青年が機内放送の映画を見ている俺を横に、
確かに今期の映画のラインナップは新作から旧作に至るまでクソ揃いだったけれど、
狭い機内ではきわめて面倒くさい行為である「パソコンの出し入れ」をしてまで
観たい映画ってのは一体なんだろう?
と思ったらハルヒ。
高度何千フィートもの空の上で、長門を食い入るようにみつめて、ハルヒ。
泡吹いたおっさんは死ななかった。医者を呼ぶアナウンスもついに聴こえなかった。
本当に、この席は面白い。
御三家でなくて地方高校出だけど,プレジデントファミリー(笑)風に育てられたわけでない俺から言わせると,いかにも軽薄そうだが,案外部屋の状態とか高校の雰囲気とか大学で何専攻するかとか人生において重要なんだぜ.実際親やって,子供が勉強したがってたら読んだほうがいいなと思う.マスコミに提示された価値観を拒否するのも自由だし受け取るのも自由なんだな,これが.スイーツ(笑)と違うところは医学部なんて入った日には卒業するのに必要な努力がスイーツ食ってふわもてふぁっしょんするのよりはるかに多大でストイックな生活を強いられるところだな.出た後も.今の日本の経済とか医療を支えてるのはまぎれもなくエリートなわけで,その辺はやってみないとわからんと思う.
そんな俺はニート.
http://anond.hatelabo.jp/20071230175412
も少しはあるんだけど、都市配本じゃないわけよ。
可処分所得が少ないのでコンビニで本を買わないのさ。
だから一時期客寄せのために重宝されたコンビニ本棚は都市部では縮小される一方。
でも地方ではむしろコンビニ本棚は拡大傾向で書籍まで置いてある。
そのへんのコンビニは客層が大人なのさ。
大人は地方に書店が減ったせいもあって、コンビ二でも本を買うのさ。
街道筋店とかの客筋はおのずとわかるよね。周囲は住宅地、道路はトラック類&ドライブする人だから
実際のところ少子化で、地方にそれらの姿は減っている。
面白いデータがあってさ。
業界ベスト5に入るコンビニの仕入れが女性になったことがあって
そのとき本人の強い意向もあったんだけどエロ本を全部はずしてみたんだ。
そしたら、弁当の売れ行きがものすごく下がった。総売れ行きも下がった。
つまり、弁当を買う主力って男性、しかもブルーカラーとかだよね。
男性客を無視した構成をしたら、駄目だと。明白にPOSデータがそう言っていた。
だからその後、その業界ベスト5くらいのところはそれらエロ本をそれなりには
重宝するようになった。
多分熟女本のニーズも、かつての劇画誌の代わりとして存在しているんだろうけど
http://en.wikipedia.org/wiki/ASUS_Eee_PC から
(公式サイト:http://eeepc.asus.com ※ポータルなのか妙に重くて要JS?)
(追記15:35 4Gモデル分解レポート"ASUS Eee PC Exclusive Inside Look!")
これはNECがいつ即死してもおかしくない、そんな緊張感のあるプロダクトだ。
PCは既に5年前にエンドユーザでの端末能力として飽和している。今となっては内部バスに比べりゃ糸電話に見えるイーサネットの帯域ごしのプロセッシングでも情報交換と整理が大半を占める事務業務やファミリーユースには支障がない。
選び放題のウェブサービスによってWindowsすら必須ではなくなりつつあり、所有データのストレージさえローカルにある必要もなくなってハードだけでなくソフトウェアまでも含め、全てが規模の経済に飲み込まれようとしている。
時代の変化は想像よりもずっと早く、コモディティアプライアンスのステージを飛び越え、手帳やバッグのように個別化の不経済を許容する高付加価値の逃げ道も絶たれ、紙と同様の「書ければ何でもいい」素材へ移行しつつあるのだ。
ここでサポートセンタを大連に移して日本人フリーターを使い捨てにしても、新入社員の初任給を20年間抑えつづけても、若手だけ年金制度を変更しても、追いつかない。
もう日本の“パソコン”メーカーに残された選択肢は国内大統合によってASUSに対抗できるだけのボリュームを確保しさらに効率よく安いものを作るか、ASUSから買い付け設置を請け負う小売になるか、あるいは事業部を10人に減らして資産を投資・運用に回すかしかないだろう。
昨日、数年ぶりに光麺に行った。
結構人が並んでいたので、味は落ちてないかなと思って入ったんだけど、
実際に入ってみて愕然としました。
味がどうこう以前に、内装のあり得なさに。
あのですね、カウンターの前に10インチぐらいのモニターが付いてるんです。
カウンターの前ですよ?
よくある「中華料理屋の店の隅にテレビ」みたいなのじゃなくて目の前。まん前。
どんぶり置いたら、その10センチの先に10インチのテレビモニター。
いやいや、ちょっと待ってほしい。
こんなの置かれたら、見ないという選択肢を取るのが難しい。
しかも垂れ流されているのはカウントダウンTVみたいな、
どうでもいいミュージッククリップと光麺の店舗紹介。音もうるさい。
いやいや、俺にはそんな情報全く必要ないから。
なんで流行ってるものは誰にでも受け入れられるものだと思ってるんだ。
全体の数%しか興味が無くて購買に結びついてなくても
ランキング1位というのは普通にあり得る。ランキングとはそういうもの。
つまり、ウケているけど、9割以上の人間にはどうでもいい情報というのは
普通にあり得る。どうでもいいものを押し付ける、そういうアホみたいな
マーケティングしかしないからマスメディアや広告はダメになったんじゃないのか。
それに、他の店舗の紹介がしたいんなら、ナプキンのところにでも
俺、そういうのよく手に取る人だから。
いくら入るのかしらんが、固定客がもう一杯食べにきてくれたほうが
利益率高いでしょ? 帳簿しかみてないから失うものの大きさが分からないんだよ。
…いやいや、そういうツッコミをしたいわけじゃない。
そもそも、俺はラーメン食いに来てるんだし、連れもいる。
純粋に嫁さんとラーメンについてああだこうだ言いながら楽しみたいだけなんだ。
久しぶりにあんたのところのラーメンを味わいに来たんだよ。
よくあんたのところで食ってた学生時代でも思い出しながら。
だいたい、モニターみてたらそっちに神経が行って、味に注意が行かないじゃないか。
あんたは親に食事中にテレビばっか見んな、って怒られたことがないのか?
マスコミや広告代理店とかにはそんなに不信感を抱いてないので、
「なんでそんなに怒るのかわかんない」みたいな反応されて、
俺がなんか神経質野郎な感じになってしまった。
俺はもうあまりの不愉快さに、席についてすぐメニューでモニターを
塞いでバカヤロー、みたいなノリになったのだけど、周りをみると
割と普通にラーメン食ってたりしてたので、受け入れられてるのかもしれない。
ただ、みんな連れで来てるのに会話は少なかったけどね。
まあ10センチ前でモニターがアホみたいな音楽鳴らしてたら会話もできないわ。
人のアテンションに入るときには「失礼します」と言って入る、
あの思い遣りはどこに行ってしまったんだろう。
私が関心あることはあなたには関心がないかもしれない、
私が必要だと思うことはあなたには必要ないかもしれない、と思える
人間としての配慮はどこに行ってしまったんだろう。
全盛の頃はどこもかしこもあの下品な音が鳴り響いていて、
街を歩くのも本当に苦痛だった時代があったのを思い出した。
無神経な社会だったのかもしれないな。
最近そういう流行の押し付けがましい状況は改善されたと感じていたので、
あれはバブル崩壊後の失われた時代の空虚さがそうさせていたんだと思ったけど、
そうじゃなかったんだな。
ヨーロッパなんかではヒトラーの教訓があるし、小説『1984』なんかにも
表れているように、他人のアテンションをコントロールすることによる
「支配」について結構敏感に反応するから、こういう「自由な」食事の場面に
コマーシャリズムの権化が押し付けられる状況が生まれること自体
考えにくいと思うんだけど、歴史的に見ても「支配者」に従順な日本人は
あんまり疑問を感じないのかと思った。
つまり「なんとここでこんなことが!!」とか「正解はなんと!!」の
次の瞬間に「はい、CMー」とか、そういうの日本だけらしいっすよ。
海外だとそういうコマーシャルやると、不買運動食らうからやらないんだって。
でね、あと心理学的に言って、
アテンションの量に人間は行動が左右されるんですよ。これはもう無意識に。
人はよく目にするものに好意を持つようにできてるんです。
電通がタレントの認知度を好感度とか言い替えて金作ってる裏には、
一応それなりのカラクリがあるわけで。
それに、アテンションが支配されるって事は時間も取られるってことで、
コミュニケーション全般にも影響する。
ベッドルームにテレビがあると、セックスレスになる率が2倍以上って
アテンションのコントロールについて真剣に考えたほうがいいんじゃないかと思った。
まぁとりあえず、俺は二度と光麺には行かないけどね。
味も落ちてたよ、やっぱり。
嫁さんはモニターについてはマイナスの印象を抱かなかったみたいだけど、
味のことは分かったようで、やっぱり残してたよ。魂を売り渡したらそうなるって。
昔は単価が高くていつもは食べられなかったけど、味は結構好きでした。
トンコツ全盛の時代に、あえてあっさり醤油で勝負していたスタンスも好きでした。
さようなら、光麺さん。