はてなキーワード: エントリーとは
2月3日をもちまして、はてラボ内で提供しておりました「はてな匿名ダイアリー」サービスを終了することになりました。このサービスは、名前を隠して楽しく日記として実験的に運用を行ってきましたが、その後匿名であることの悪影響が認められたことから、サービスを終了するとともにすべてのエントリーについてidを公開することになりました。
はてなダイアリーでは、id公開のもと日記が多数活用されており、また複数人で日記を書けるはてなグループもございますので、今後はそちらをご利用いただければと思います。
なお正確な情報に付いては、機能変更、お知らせなど - はてラボの日記をご覧ください。
http://anond.hatelabo.jp/20070131154754
の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。
とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。
長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。
まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。
あとリアルで学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。
にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。
http://anond.hatelabo.jp/20070131162229
http://anond.hatelabo.jp/20070131170249
まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学は上智大学の神学部神学科です。試験は英語、世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文と面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格にキリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)
偏差値の方ですが各予備校のボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。
あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。
大学での講義の内容については、大学のシラバス、担当教官のホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生のホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。
予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。
大学に入学後にはキリスト教倫理学、日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。
とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。
これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20070131174254
お言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接で試験官にできる限りのことを伝えようと思います。
というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。
お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。
まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。
上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親がセールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科の電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みのドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校の合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。
春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学と英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当の外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。
そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学の先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートのコピーに一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生のテストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。
色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校の勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語と数学、中学三年生ごろから数学は高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校のクラブの顧問が最悪のことに私の数学の担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベルの高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手。
心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血、リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学と英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期でおしまい。担任と父親と校長と面談して高校に進学することになった。夏休みの英語と数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。
高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験で卒業式で二次試験で不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。
で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。
今でももっているのだけど私の志望は国際政治を勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。
影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャーの自伝を読んだのがある意味国際政治を勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャーの生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校の勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。
中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。
当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋のバックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府に安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。
父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋の北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)
あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本が国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁の国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁は防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。
そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターのボーダーマイナス40点だったと思う。
で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学で勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義の担当教官、国際関係学と国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学の面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。
そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。
まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センターの英語でいまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。
で、正直地元の国立の試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。
神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。
もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。
なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。
でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。
長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。
2chと比べると理論武装してくれる分、作者の考え方が読み取りやすいし、
それが他人を不快にさせるようなものでも、対話のきっかけになるよ
一単語だけで中傷するようなことを書かれても、反応のしようがないからね
慣れてくると何にも思わなくなるんだけど、やっぱり精神衛生上少ない方がいい
あとは、もう既に「増田はレベルの低い場所」みたいな感じで言われてるけど
増田君の地位を向上させよう!みたいな運動は起こってこないのかな
次のエントリーの作成の励みになるようなトラックバックかはてブコメントしてあげるのでもいいし
それとも、本当はみんなめんどくさいことはいやで
2chの代替場所になることを望んでる?
匿名ダイアリーのほうが不愉快度が高いのは、こっちの方が理論武装して感情的に語ってるからなんだろうな。
「自分は賢い」「自分は可哀想」と喚く厨房だらけで胸糞悪くなるだけだし。よって2chチラシの裏スレと同じ使い方をしている。
増田は一昔前のサイバーパンクとか功殻の電脳世界のようなゴミゴミした感じを思い起こさせてくれて好き
既に無責任な、とても信用できないようなアドバイスがあふれていて、
それはそれで楽しめればいいし、実際そうしている人が多いと思う
だいたい、時事ネタ以外は学歴とか恋愛とか似たような悩みが並ぶことは予想できるし
この楽しさは、サービス開始時の一時的なものなんじゃないか、
’新しい物’好きの人たちが離れていった後は、2chのように自分の居場所をネガりつつも
そこから抜け出せない人たちが残るんじゃないか、
私も増田は好きで、今の状態は心地よいとは思うけど
これから正式サービスが始まって人が増えると、
今の心地よい音楽がノイズに聞こえてきて結局は2ch化してしまうんじゃないかと恐れています
それならそれで、また別の魅力的な場所がでてくるのでしょうけどね
随分前((question:1163763608あたり))に話題になってたけどね。
二つ以上のエントリーが、同一の人物によって書かれている証明は、難しい。
それっぽいことは出来なくはないけど。
増田にはトリップ機能がないので(付けられると増田でなくなる)、
元記事に、『追記 何月何日何時』してもらうのが、良いと思う。
それなら、騙りでないことは分かる。
で、作者の方にお願い。追記で更新したときは、
と、増田の新しいエントリで、アナウンスよろしくお願いします。
してもらえなくても、はてなアンテナで対応ということでもいいかなと。
…… →クソエントリ→思いつき→自虐ネタ→意味不明→クソエントリ→思いつき→突然おもしろエントリーが現れる→自虐ネタ→意味不明→ ……
飴とムチなのか、じらしプレイなのか、いずれにせよ増田にはまる一要因だろうな。はてブの「anond.hatelabo.jp の注目エントリー」をチェックするだけでは、この退廃的な快感は味わえぬ。
■「お嬢さんが亡くなったそうで」目次
(1)1/29|(2)1/30昨日書いた動機について|(3)2/1K宅訪問にあたり|(4)2/6豆まきで初対面|(5)2/9Kからのメール|(6)三連休の出来事
■移転のお知らせ■
というわけで普通のブログに移転します。こちらは目次ページとして残しておきたいと思います。
[番外編]4/1 恵比寿のはてな匿名ダイアリーオフに行ってきました
⇒(24)約束(終)
さっきスレで見つけてタブを開きっぱなしにしておいたら dat 落ちしたので転載しておく。
本当かなこれ。
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984 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/29(月) 07:23:34 ID:Jw84+fk
彼は二人兄妹の長男で、妹が殺害されてテレビやネットでその報道は流れたらしい。
別に特段有名な事件でもないしバラバラでもないよ。
テレビとかで流れると被害者の家ってやっぱわかるひとにはわかるじゃん?
だから報道が一段落した後は様々なDMが来るらしいのだが、ある日ある若者が訪ねてきたんだって。
「お嬢さんが亡くなったそうで」と。
その女の子は23才。昨日日テレのドキュメントでやってたようにネットカフェ暮らしをしているらしい。
何でも、ネットでニュースを見て、娘さんが同じような歳ということでショックを受けた。
特に用はないんだけど、ご焼香させて欲しいと。
まぁ断る理由もないので焼香していただいてお茶出してたら、「娘さんの部屋が見たい」とのこと。
両親も同じ年頃、同じ背丈の女の子ということでお部屋見せてまたいろいろしゃべってたんだと。
そしたらポツリと、
「私、今帰る場所がないんです。家のお手伝いさせてくれませんか?」
と言ったらしい。
娘の死という不幸から心が落ち着いていた親だが、娘の影を見たのかどうか知らないが、
なんとなくまぁいいか程度の気持ちで住んでもらったと。
ただ強盗かもしれないので寝室にカギ閉めたりはしてたみたいだけど。
986 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/29(月) 07:37:50 ID:Jw84+fk
友人はその時は彼女と海外で家を空けていたらしく、
今年の正月に帰宅したら知らない娘が家事の手伝いしてて、
両親もまんざらでもないような顔をしていたので驚いたらしい。
親に聞いたら「家も仕事もないって言うし、放り出すわけにはいかないだろう」とのこと。
知人はその娘に聞いて身分証明とかを確認。実家の住所も知っていると。
でも実家には帰りたくないとか親は親で生活が大変とかで
そこで追い出すのもなんかなぁと思い、ずっと家にいるわけじゃないから
ただ二次被害にあったらシャレにならないので、金目のものは銀行に預け、
その娘の目の前で親戚に電話で事情を話し、こうやって俺にも事情を話すことは
その娘には伝えてあると。
「俺たちも身の安全を図らなくちゃいけないから。
ある日帰ったら男たちが荒らしていって親も殺され金もなくなってたじゃ困るから。
それにうち金ないからね」とか。すると、
「大袈裟ですね(笑)」とケラケラ笑ってたらしい。
それ聞いてそいつに「なんか映画みたいだな」といったら、
「ホントそうだよ、映画になるよなこれ。現実感が湧かないんだよ」とのこと。
今も両親、そいつ、娘の代わりの少女という奇妙な四人生活は今も続いているんだとか。
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まだ続きはあるけどこれから会議。
■追記 01-29 16:30
帰社。うわっ! ブクマ付いててビックリです。月曜で多忙ゆえちょっと待っててください。続きは夜。
■追記 01-29 19:55
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987 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/29(月) 07:42:51 ID:ah9dZCH
つか、なんで暮らせるわけ?よく暮らせるな・・
988 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/29(月) 07:51:16 ID:Jw84+fk
続き。
そんなわけで週末は一応その会話をICレコーダーに録っておいた。
俺も先週「それでもボクはやってない」見てきたから正義感満々でさ、
このICレコーダーがちゃんと本人が自主的に吹き込んでいるっていう
証拠になるよう、本人しか知らないこと、例えば
免許証の番号言わせたり、小学校の文集や先生の名前言わせたりとかしてた。
「付き合ってた女のほくろの位置って決定的な証拠になるかな?」
とかお互いネタ感覚で笑いながら吹き込んだり。
そんで録音用にいろいろ聞き出すわけ。
でも「どんな事件の兄です」って言わなくちゃいけないってのがあるから
妹?ができてけっこう楽しそうな感じもするし途中で飽きてやめた。
「そういやその子はよく家を突き止めたね」って言うと、
彼がボソッと
「映画といえば、こういう娘には大抵謎があるんだよな」
って言い出してさ。
「妹さんの生まれ変わりだったとか?」って聞くと
「ベタだな(笑)」って笑われた。「映画で生まれ変わるなら次は子供だろ」とか。
そうじゃなかった。
992 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/29(月) 08:09:04 ID:Jw84+fk
その謎って何よ?って俺も野次馬根性でなんとかして聞きたかったけど、
結局言ってくれなかった。ただひとつ、
「モラルとして言うべきじゃない」って。
今の俺の気持ちわかる?もやもやしっ放しだよ!(笑)
これは絶対に聞き出そうと思ってる。
「そんなに興味あるなら家に来るか?」とも言われてるし。
まぁこんな場末のスレにこういうことを書き込むのはいいもんだね。
今俺は「王様の耳はロバの耳」的な快感を得てるよ(笑)
どうしようかな、彼もたまに2ch見てるから書くよう勧めようかな。
ただ、2chやYahoo!の掲示板じゃメジャーすぎるってのもある。
質問に答えていくうちに個人情報バレたりとかする流れがあるからそれが怖い。
俺らがふざけたお陰で身元特定されたら嫌だし。
996 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/29(月) 08:10:11 ID:Jw84+fk
あれ、もう終わり?次スレは?
999 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/29(月) 08:10:33 ID:9FVhabo
>>996
> どっかいい場所ないもんかね
-------------------
というわけで2chからこちらにやってきました。
「○○男」みたいに指示されるのは嫌なので一方的に書いていきたいと思います。
でも匿名ダイアリーは初めて使うからこういう「追記」でいいのか「(2)」とかで別にした方がいいのかどうなんだろ?
その点で意見あったら教えてください。ってコメント欄はないか。
■追記 01-30 9:35
ブクマ数に卒倒しそうです。自分のダイアリーに書けばよかった?(笑)いや匿名ダイアリーだからいいんでしょうね。
ご意見どうも。ここに追記していくと見るの面倒なので、冒頭に目次を追加しました。これ以降の更新は新規エントリーに書くということで。
1万件目のエントリーってこれ(思想、行動、価値観と表現)で合ってる?
何か揉め事の起こっているあたりを眺めてみると割と見かける単語がある。
「文系」である。
議論にあたっての論理的でない思考展開は批判されて然るべきものだと思うが決まって「でたでた文系理論」と煽られるのは、自分とは一切関係がないとはわかっていつつも、人文系の学部を出たものとしては奇妙な居心地の悪さを感じる。
自分が「文系」と言う分類の中に入っていると言う自覚があるからだろう。
ブログで批判的に持ち出される文系と学問の区分としての人文系はどう考えても線の引き方が違うのに「自分のことではない」と割り切れないのは、やはり文系なのだろう。
理系はいいなあ。
先にことわっとくけど、俺は法律に関してはさっぱりわからんよ。
で、ニュースの転載に関してなんだけど、((blogじゃなくてね))
例えば、ざっくり1年前あたりのニュースを見てみたんだけど、
この中で、
が見れなくなってる。
cnetやimpressあたりだと残ってるんだけど、一般向けの新聞社だと消されやすい印象。yahooとかもね。
そんなときに、全文転載してるblogがあると、元記事が見れて便利。
元記事が何で、どこからどこまでが元記事で、どこからがblog主の記事かがわかれば問題ないと思う。((法律上は知らないよ。)) ((Livedoor PJニュースの件はここが問題なのでは?))
見やすさからいうと、別ページになってた方がいいけど。魚拓とか使ってほしい。
otsuneさんのblogだと、リンクの横に_がついててキャッシュへのリンクになってるっぽいけど、公開してくれてないからキライだ><
あと、自動でウェブ魚拓とって、はてブの関連URLに登録してくれないかなぁ、誰か、それplaとか言いながら。
転載がほとんどでコメントが一言だけ、ってのもちょっといやだけど、
それよりも、はてダ使ってて、リンクにコメント一言とか、リンクだけってがひどいと思う。はてブ使えよ。
はてブの含む日記に載ってて、長いコメントがあるかなと思いながら見に行ったらリンクだけとか嫌過ぎる。
リンク先にどのくらいのコメントがあるかわかるようなの作ってくれないかなぁ、誰か、それgreとか言いながら。
しかし、著作権が存在しないことをたてにしたweb上での転載が横行すれば、独自性のあるブログを作ろうという野心を持ったブロガーが減少してしまわないか不安になる。現に、2chコピペブログやここはてな匿名ダイアリーにおいても、無断転載と思われる記事が結構多いのだ。無断転載をされた側は糾弾するすべがなく、無断転載をする側は何も考えずにブログのエントリやニュース記事を作製できてしまうことになる。これがネット上での議論をより質の低いものにすることは、目に見えている。よりよいネットでの議論を維持し再構築するためにも、「引用」を正しく用いてくださるよう、私から皆様にご協力をお願いしたい。
これに関しては、元記事へのリンクがある「転載」ではなくて、自分の記事としてコピーすることに問題があるんじゃないかな。
いわゆる「パクリ」ってやつですな。「剽窃」ってのもこのことか。
少なくとも、アホ理系青年の主張〜窓野マサミ☆アホージャーナル〜:ニュース記事転載系ブログサイトを読むと憎いし苦痛だ - livedoor Blog(ブログ)で言ってる「転載」とは違うと思う。
ある思いつきが頭をよぎったので増田にでも書いておくべぇと書きはじめたら存外掘りさげがいのある深い内容のエントリーになりそうなのでやっぱり自分のブログに書く事にした。
でも時間がないので書かないかもしれない。
記事の評価はカテゴリー機能を使えばできる。
例えば、上記のタイトルは、http://anond.hatelabo.jp/20070127131234のエントリーに対し、5点満点で3点をつけたことをあらわす。
他人が同じエントリーに異なる評価をつけるかもしれないが、自分の書いた記事でソートすれば、問題ない。
あー、でも数が増えると面倒か。2つの条件でソートできればいいのだが。
Amazonみたいに、「1 人中、0人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。」みたいな投票ができればいいのになあ。
評:
人間は少なからず愚かな生き物です
80%くらいが愚かで、残りの20%は真人間です
僕の名前は見えないようになってるんだけど、君には僕が判るはず。
これがねー、わからないんだよねー。何か、自分で書いてると、「みんな俺のことは分かってくれてるはず」とか思うんだけど、冷静にエントリーの羅列を眺めると誰が誰だかさっぱりなんだよね。例えばさ、君、僕が誰だか分かる?
以前、人力検索で、増田の記事で特定の人物が書いたことを証明するにはどうすればいいか、みたいな話題で盛り上がったことがあったけど、たとえある一つのエントリーが誰が書いたものか分かったとしても、同じ人がそれまでに書いた他のエントリーに関してはその限りではないんだよね。例えばさ、君、僕がこれまでに増田で書いたエントリーを全部列挙できる?
サービスを提供している部署が、「案内板や標識が有効活用されていない」、という事実認識を持った上で更なるサービスの向上を図るべき、とも言えるような。
最終的に「ユーザー側の最低限の自助努力範囲内。自己解決せよ」で片付けようとするクレーム対応って、いまどきの流れじゃないでしょ。
自らの非をことさら強調して平謝りに謝って、クレーム処理やもろもろのサービスの充実に人手とお金をかけて、さらにそれを大々的に宣伝して企業イメージの向上を図るってのが今風。
なんでこうも身近なところからしか動けないのだろう。あぁ、目に入ったものを最短のものをそこから何かを考えるだけ。
増田でもそうじゃ、昨日今日のエントリーに書いてあった言葉や直前の言葉に振り回される。
最近、基礎または芯がなくなってしまったように感じる。生きているようで生きておらん。凄く薄っぺらい。もう駄目かもわからん。
ゆらぎが発生し過ぎている。たまらん。
筋を通すだとか、一本でいくだとかどこにいったんだろうか。テレビや雑誌や変わりゆく音楽や、どんどん映りゆく。瞳に耳に心に。一瞬だけ輝きを放つそれらに眼を奪われて、
何かを忘れる。つぎつぎと過去は薄くなる。未来が過去を水増ししていく。濃いココアが飲みたい。刺激物はもういいよ。悲しくなってきた。
ほしいものは・必要だと感じるものは世界に対しての総量がとても少なく、感じられることは稀であるから、それを大切にしないといけないのだと思う。
なのに、目の前の出来事に、傾向に全てを奪われ、また全てを失う。
全てを放り出して、新しい女のところに向かう、動物のように、心を動かすものが目に入れば空っぽにして飛びつく。
子供の頃に抱いた人形を女に代える。その行為が大切なものを失わせているのではないか。ニュースに眼を通す大人になり、何が良くなった。
心に響くものは複雑なものばかりか?そうではないのではないか。探すうちに今まで持っていた資源を全部使ってしまって、何もなくなり。
書き記した紙は暖を取るために燃やし、心も磨り減り。乾いた生活を潤すことが出来ず、みずみずしさは失せ。
最小の単位で存在している、極小の点に当たったところだけが全ての日々。
荘厳な住宅も形だけで、心は虚ろ。
こんな生物であるなら消え去ってしまいたい。通り過ぎるプランクトンを摂取するだけの日々。
何かになりたいのだろうか。形や行いではなく、心に何かを持ち続けたいのだろうか。アイデンティティが欲しいのだろうか。
全てを賛美することもされている中でくだらないと言い切ることもできず、疑うばかりで、満足も立ち止まりもせず、
瞳をあけつづけ針の一刺しを受けることに託すことすら出来ない。
美しいものを積極的に失うこと。怖れを抱かないこと。そうやって始めて美しい現実が見える。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070121/p1
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20070121
たばこやめる気なんか全然なかったんだけど、「読むだけでやめられるから読んでみ、実際俺もやめた」なんていうから、どんなもんなのよって読んでみた。
結果、たばこやめた。
読みながら色々考えた。本の内容とは全然関係ないんだけど、たばこの非合理性について。
「善く生きる」ことの定義、人によって違うんだろうけど、僕にとっての「善い」ってのは「非合理的」であること。子供っぽいけどこれはちょっと譲れない。
たばこ吸う人間はどうしてもたばこを正当化しようとするけど、僕の場合、非合理的であることをもってその正当化の根拠としてた。禁煙のススメってのは全部たばこの非合理性を説くものであって、この本も逆から攻めてはいるものの、例外ではない。僕の喫煙の正当化根拠はその非合理性自体であったわけで、その意味で、この本は僕には効果がなかった。
ただ、今、僕は件のエントリーでいうところの「サバイブ」の最中で、サバイブする、すなわち巧みに生きるってことは、合理的に生きることだったりするわけで、巧みに生きなきゃマジで人生オワタってことになっちまうような状況で、ちょっと悩んでた。
そこで、一つ合理的な選択をしてみようと思った。祈りを込めて。
で、たばこやめた。