2007-01-26

もうどうでもよくなりそう

なんでこうも身近なところからしか動けないのだろう。あぁ、目に入ったものを最短のものをそこから何かを考えるだけ。

増田でもそうじゃ、昨日今日エントリーに書いてあった言葉や直前の言葉に振り回される。

最近、基礎または芯がなくなってしまったように感じる。生きているようで生きておらん。凄く薄っぺらい。もう駄目かもわからん。

ゆらぎが発生し過ぎている。たまらん。

筋を通すだとか、一本でいくだとかどこにいったんだろうか。テレビ雑誌や変わりゆく音楽や、どんどん映りゆく。瞳に耳に心に。一瞬だけ輝きを放つそれらに眼を奪われて、

何かを忘れる。つぎつぎと過去は薄くなる。未来過去を水増ししていく。濃いココアが飲みたい。刺激物はもういいよ。悲しくなってきた。

ほしいものは・必要だと感じるものは世界に対しての総量がとても少なく、感じられることは稀であるから、それを大切にしないといけないのだと思う。

なのに、目の前の出来事に、傾向に全てを奪われ、また全てを失う。

全てを放り出して、新しい女のところに向かう、動物のように、心を動かすものが目に入れば空っぽにして飛びつく。

子供の頃に抱いた人形を女に代える。その行為が大切なものを失わせているのではないか。ニュースに眼を通す大人になり、何が良くなった。

心に響くものは複雑なものばかりか?そうではないのではないか。探すうちに今まで持っていた資源を全部使ってしまって、何もなくなり。

書き記した紙は暖を取るために燃やし、心も磨り減り。乾いた生活を潤すことが出来ず、みずみずしさは失せ。

最小の単位存在している、極小の点に当たったところだけが全ての日々。

荘厳な住宅も形だけで、心は虚ろ。

こんな生物であるなら消え去ってしまいたい。通り過ぎるプランクトンを摂取するだけの日々。

何かになりたいのだろうか。形や行いではなく、心に何かを持ち続けたいのだろうか。アイデンティティが欲しいのだろうか。

全てを賛美することもされている中でくだらないと言い切ることもできず、疑うばかりで、満足も立ち止まりもせず、

瞳をあけつづけ針の一刺しを受けることに託すことすら出来ない。

美しいものを積極的に失うこと。怖れを抱かないこと。そうやって始めて美しい現実が見える。

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