2020-04-17

年寄り死ぬ以外のルートはないのかもしれない

年寄りコロナについて話をする機会があった。

サンプルデータ1なので参考程度に。

総評としては正常性バイアスの塊なんだなという感じだった。

コロナが原因で飲食店を閉店させるのでテナント大家さんに解約通知をしに行った時のこと。

高齢大家さんだし電話で済ませて通知書だけポストに入れるとかにしたほうが良いかなと思って電話

すると大家さんから「何時くらいがいいでしょう」と。

いや、今すぐにでも大丈夫なんでいつでもいいですよと伝えるも「そしたら14時に来てください」とのこと。

この時点でかなり嫌な予感はあった。

14時に伺うと、ひとまず事務所に通される。

狭く空気の滞った空間

内線電話を鳴らして事務員さんにお茶の催促。

古いお方なのでそこまでが迎え入れるルーティーンなのかな?

と思いつつ、相手の正面を避けるようにソファ入口側に腰掛けようとするも、「いやいや、中央へどうぞ」と大家さんの真正面に招き入れられる。

これが相手にとっての礼儀なのだろう。

ただ、今の世の中にとってはこの「古き良き礼儀」そのもの感染リスクを高めている。

そのことについてどう考えているのか興味がないと言えば嘘ではなかった。

程なくしてお茶が運ばれてくるも、事務員さんも大家さんに負けず劣らずのご高齢

お茶を運んで早々に退出するかと思うも、こちらの閉店にからめて世間話を持ちかけてきた。

自分は店にも立っているしこの閉店で従業員とも業者とも膝を突き合わせて話し込む機会が多かった。

今の所発熱はないけど、感染していないとは言い切れないし、子供が小さいのでそちらから感染コースも十分に考えられる。

その点含めて自分感染している可能性を否定できないし、大家さんたちも気をつけたほうがよい世代だと思うので、世の中的にも長居は避けたほうが良いと思うと提案

ところが、もうひと押しのつもりで「日本はまだ抑えてられていますが、いつイタリアNYのように大変なことになるかわかりませんからね」と、クロージングするつもりの言葉が思わぬ方向に。

イタリアと言えば道路ゴミが、、、NYメインストリートダウンタウンとの差が、、、中国田舎に行ったときトイレそもそもなくて、、、

そこから30分、他国の衛生管理が如何に劣っているか、それに比べて日本の衛生意識がどれほど高いかの話しを延々と聞かされることになった。

この人達に取ってみると、コロナテレビの中の出来事と同じなのだろう。

目の前に、自分といういつ感染しているかもわからない人間が座っていても、それ以外の要素において安心できる(普段からのやり取りもしっかりしていたのでそう思われていると思いたい)からと言って、すっかり油断しているのだ。

日々増加していく感染者数をどれだけ報道していても、自分の周りでは起こらないと信じて疑わないのだろう。

ちょっとくらい手洗いを増やした程度で感染しないのであれば、そんなウィルスはとっくに収束しているはずだ。

日本他国に比べてどれだけ衛生管理が行き届いていたとしても、食い止めることができていないという唯一の真実に目を背けてしまうのだ。

自分の親とかを見ていても、それどころか自分と同世代人間であっても、歳を重ねるごとに正常性バイアスは強くなる傾向にあると感じる。

幼少期がMAXだとして、思春期から減少を始め35歳くらいから再び増加し始め、70を過ぎた辺りにはすでに開き直りとも言えるレベルに達しているようなイメージだ。

結局1時間差し掛かろうという段階で、来客があるという理由こちから退出を求めるまで大家さんの話は止まらなかった。

30分を超えれば感染リスクは横ばいかもしれないが、こんなやり方を続けていれば遅かれ早かれ感染してしまう。

なんとなくではあるが、この人達と会うのはこれが最後かもしれないと心のどこかで思わざるを得なかった。

少なくとも自分はその引き金にはなりたくはない。

若い世代がどれだけ感染を食い止めようと経済を止めて自粛しても、一番死に対するリスクが高い世代がこれである

武士は食わねど高楊枝ではないが、目の前の客に対して例を欠くことのほうがこの人にとっては感染よりも怖いことなのかもしれない。(昔気質テナント大家さんだからというのもあるだろうが。)

この人達感染しないで済む方法は少なくとも思いつくことができなかった。

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