歳のせい(何かのせい)にしないとやってられないひとが多いだけなんだとおもうの。
終わってると思ってるなら、本当に終わってるよね。おわり。
手も顔もボロボロだったのをよく覚えている。たしか眉毛もほとんどなかった。
ある月、背の順で1番前だった女の子に抜かれてしまって、前から2番目だった私が1番前になった。男子の1番前は山田くん。
背の順で隣り合う男女は、散歩の時手を繋ぐことになっていて、「じゃあ出発しまーす」という先生の合図のあと、困惑しながら山田くんの手を取った。
手、繋ぎたくないなあと思いながら、それでも躊躇わずに繋がなくちゃいけないのだと、園児ながらわかっていた。
昨日は、電車の2人がけに座っていたら、効果音を声に出しながらPSPをする障がい者の人が隣に来てしまって、やっぱり嫌だった。でも、席を立つわけにはいかないしなあと思って座っていた。
中学生時代の席替え、角っこの席で私の隣になった女子が「うわ最悪」と言ってるのを、「遊びに来るからー」とその子の親友が慰めているのを、机に突っ伏しながら聞いてしまったのを思い出した。辛い。
別に主婦業(ハウスキーピング及び食事の支度)を求めるのは「好意と善意」からじゃないでしょ。もし「好意と善意」からの「譲歩」なのだとしたら、それは契約時に伝えない方が悪いじゃん。それなら「そういう契約なら結びません」と言えるわけで。
それはDだろいい加減にしろ
Cを忘れるなよ