生活保護問題、老後の年金問題。最近だと障害者のバリアフリーも炎上した。増田からも待機児童の問題提起がされたのは記憶に新しい。様々な社会保障の問題が顕在化してくる中で、お前らは社会の責任だとすぐ他人のせいにする。当事者意識が全くなく自責感の欠如は同じ本当に同じ人間なのかと目を塞ぎたくなるほどだ。
はっきり言って、弱者が不遇を見ているのは社会のせいじゃない。お前らのせいだ。責任を国に求めて、社会保障を拡充すればするほど弱者は増えていく。これは間違いない。
社会のせいだ、日本のせいだ、政治のせいだ、がテンプレと化す中で、そんな声を聞くたびに、俺はいつもとある番組の出演者のセリフを思い出す。それは、ここが変だよ日本人だったかなんだったか忘れたが、とにかく外国人がたくさん出演して喧々諤々と意見を通わせるというタイプの番組だったと記憶している。そこには、いつも理性的かつ心に響く意見を言うセネガル人がいたのでその人の発言にはいつも注目していた。
確か、老後が心配だと話す日本人タレントの意見に対して、そのセネガル人はこう答えていた。「セネガルは日本よりもすごく貧しいが、老後の心配をしているひとなんていませんよ」と。それに対して、「なぜ?」と沸くスタジオ内。そしてその答えは「家族がいるからですよ。家族が支え合うのが当たり前だから、年をとって老後の生活の心配をするなんて人いない。日本はすばらしい国だから、それができるはずだ。他の国にはできなくても日本ならできる」と
後半は、単なる日本びいきだが日本人の愚かな面を見事についた意見だ。日本では、あまりにも家族で支え合うという当たり前のことがおろそかにされてる。それは、核家族化が広がってる事実から考えても間違えてないし、若者が都市部で生活するのが当たり前になってとか色々原因を指摘できる。
ただ、一番家族を分断しているのは、社会保障に他ならない。自分の胸に手を当てて答えて欲しい、親が年をとって自分で自分の世話ができなくなったとする。介護をしたいなんて奴いないだろ?正直に言おう。俺はしたくない。例えば、社会保証で老人ホームが無料になったとする。俺は間違いなく介護から逃れる為に利用するだろう。そして、ふと気づく。たとえ家族を作っても行き着く先が老人ホームかと。家族を作る意味があるのか。結婚するの意味があるのかと。そうなると、結婚の価値なんて負債にしか思えなくなってくる。夫妻だけに。
これは、社会保証が家族の価値と助け合うという人間らしい機会を壊す一例でしかない。社会保証が充実した社会というのは一見良い社会のような気がするが、家族は家族で支え合う社会の方が死ぬまで豊かな人生を送れる気がしてならない。
つまり、日本よりもずっと貧しい国ですら、弱者は家族に守られて死なない。社会保証こそ弱者を孤立させて殺すことになるんだ。
じゃあ、どうするんだ?どうやって家族の価値を取り戻すんだ?という声が聞こえてきそうなので、一応自分なりの答えを書いておく。
それは、世帯ごとの家族数に応じた累進型のベーシックインカムの導入である。つまり、家族が増えれば増えるほど国から多くお金をもらえるというシステムだ。一人暮らしだとそれだけでは暮らせないが、10人家族の世帯なら誰も働かなくても生活できるというくらいがちょうど良いかもしれない。その代わり、国による社会保障は一切なくす。
というか必要ないんだよ。家族がいればその分、もらえるお金が増えるんだから。年寄りを老人ホームに押し込む必要はない。ニートを追い出す必要もない。自立という名目で障害者を施設に入れる必要もない。結婚はしなきゃ損だから、しない奴なんていない。女は金持ちを求める必要ないし、男はたくさん稼がないととストレスを感じることもない。たくさんの人数がいるなら住む家は広い方が良いから地方への移住も進む。
良いことづくめなんだよ。もっともっとメリットはあるだろうが、思いつきだからすぐには出てこない。けど、かしこいはてな民なら、もっとこの累進型ベーシックインカムのメリットをバシバシ書けるだろ?風呂入ってくるからそれまでに書いといてくれ。そして、この完璧な社会制度に批判なんてないだろうが、もし問題点があるならそれも教えてくれ。よろしく。