アスペとADHDを併発してる夫に、カサンドラ症候群になって別居中の妻が最近言ったり送ったりしたことをまとめなおしてみた。
あなたはいつもデフォルトの「あなた」がしっかりとあって、基本的に寝て起きるといつも同じ「あなた」からスタートする。
昨夜言い争った内容も、私の涙も、出ていない結論も、あなたに訪れた幸運さえも、きれいに「解決」「終わったこと」になっていて、
「えっ、なにそれ?」「ごめん、思い出せない」「いつの話だっけ?」と忘れ去り、毎日まっさらな気持ちで気持ちよくニコニコ笑っている。
私はこんなに悶々と悩みを抱えているのに。まだ、何も解決していないのに。
どうしてあなたはそんなに幸せそうな顔でいられるのだろうと、私は静かに憤りを感じる。
そのことに、あなたは気付かない。気付けない。
でも、私の雰囲気の変化を敏感に感じて、だけどそれが何かわからないので、
「どうしたのー?」とニコニコしながら頭を撫でてもらっても、今は私の気持ちを逆撫でするだけだというのがわからない。
私が「今はやめて」と言ってしまうと、あなたはどうすればいいかわからなくなって、泣きそうな顔でフリーズする。
そして明日になって、今日が昨日になってあなたがリセットされるまで、身体的接触自体に消極的になってしまう。
あまりに純粋すぎるあなたを前に、私はまた罪悪感から自己嫌悪に陥ってしまう。
あなたが「昨日」を引きずるのは、心身の調子がとても悪いときだけ。
常に私が話すとその場その場では真剣に考えてくれているのはわかるのだけど、何かで気が散ったりしてその場で結論に至らなかった場合、話が翌日に引き継がれることはなかなかない。
引き継がれているとき=考えすぎて身体にも異常が出てしまっている(大体急に40度近い高熱を出す)ときなので、
あなたが苦手な分野の話をするのはとても億劫になるし、熱を出させてしまうと申し訳なくなる。
毎日リセットされるので、行動も思考もほとんど変化がなく他人に影響されない。
ブレない自分を持っているあなたは、その基準の中で厳格で明快な判断を下す反面、
まるで精密機械にように、同じ結果、同じ結論に達するために同じ経過を幾度も辿るので、何度も何度も同じやり取りをして、同じ失敗をする。
あなたは気付いていないかもしれないけれど、私からは、毎日同じ段差に躓き、毎日車輪を再発明してニコニコ喜んでいるような生活を送っているように見える。
だから、最初からできることは確実にできるけど、できないことはなかなか、時には年単位で時間をかけてもできるようにならない。
実は前の失敗を踏まえてアプローチの仕方が変わっていたり、つまずくポイントが微妙に違ったりして、あなたなりに変化が全くないわけじゃないのはなんとなくわかるんだけど、
一度失敗したら、気を付けていれば普通二度と失敗しないだろう。と思うようなことで何度も失敗しているのを見ていると、面倒くさくなって頼むのをやめたり、つい手を出してしまう。
私が手を出すと、あなたはペースが乱れて混乱し、蓄積されかけていた経験値はあっという間にゼロに戻る。
あなたの歩みを見守るには、私には忍耐強さが足りないのだと思う。
一つ新しいことを覚えるのに、時間をかけて体と脳に染み込ませる必要があるし、大抵のことはリセットされて翌朝には元に戻ってしまうので、
一緒に暮らしていて相手として、相手に影響を与えている感じがしない。まるでよくできたロボットと暮らしているような気持ちになる。
カレーを焦がさず作る練習の為に毎日カレーを食べ続けるのはさすがに苦痛だし、仮に特訓の果てにカレーの玉ねぎは焦げなくなっても、野菜炒めはやっぱり焦がしてしまうのがあなた。
特に苦手な、自他の心情や情動の絡むことになると、そもそも全く一般的でない、突拍子もない考え方でこれまで生きてきていたりして、
一般的な感覚やリアクションに至る理由が全く理解できなかったり、「その発想はなかった!」ということばかりのようで、教えようとすると大変労力がかかるし、それも徒労に終わることの方が多い。
すごく頼れてしっかり者で、同年代の人よりはるかに精神的に大人な部分と、普通の人は当たり前にできることができない小学生並の部分が混在していて、そのギャップが激しすぎる。
だから、「ただもう少し気を遣ってほしい」とか、「こういうことを察して行動して欲しい」というような小さな不満が、
元の不満が小さいからこそ、『なぜこんな簡単なことが何度言ってもできないのか、それは私が大切にされていないからではないか』とどんどん膨らんでいく。
診断がついて、頭ではあなたの特性によるものだと理解しているつもりでも、あなたの優秀な側面も知っているからこそ、「そんな馬鹿な」「できるはずだ」「私でもできるのに」と、どうしても心が納得させられない。
あなたがもっとポンコツで、スッパリ諦めがつけばいいのに、諦めきれない。
あなたが私を愛してくれていることは、あなたの態度や行動からとてもよくわかるのだけれど、
あなたの表明してくれる愛情と、そういった未発達な部分からくる対応の齟齬で、私の心はひどく混乱し、罪悪感や自己嫌悪に蝕まれ、疲弊する。
口に出して頼みさえすれば、なんでも喜んでやってくれるのはわかっているし、その都度私があなたに言うようにすれば家庭が円滑に回るのはわかっているけれど、
全部言葉にして言わなければ伝わらなかったり、項目や手順を紙に書いて掲示しなければいけなかったり、やってくれても思わぬところで失敗したりするのがしんどくて、つい、言うよりも自分でやってしまう。
伝える労力と我慢を天秤にかけて、我慢を選んでいるのは私自身なのだけれど、それでも不満が蓄積されていく。
もっと早く診断がついていれば、言わなければわからないものなのだと知っていれば、まだ言っていく方向に頑張れたかもしれないけれど。
ずっと「普通は察して自発的に動けるハズで、それをしないのはやる気がないからだ」と思っていたし、
「なぜ私ばかりが言うという労力を払わなければならないのか(なぜ分からないのか)」
「なぜ書かないとわからないし、今から書く必要のある話をするということも察せないのか」
「なぜ記録を残さないと忘れるのか」
「なぜコミュニケーションをするために、準備に労力を払って、テンポの悪いやり取りをしなければならないのか」と、今もどうしても思ってしまう。
普通じゃないのがあなたの魅力でもあり、弱点でもあるのに、私はあなたに私の思う「普通」であることを強く望んでしまう。
カウンセラーとのやり取りの中で、あなたがあなた自身あまり意識はしないままに、幼いころから自分はなんとなく社会の中で居場所を確保できなさそうだと気付いて、
時間をかけ、工夫を重ねて、人とは方法が違っても概ね同じ結果が得られるように様々なことを訓練してきたことを知った。
その結果、表面上「ちょっと変わった普通の人」風に振る舞えるように努力し続けて、今現在社会的に自立した生活を送れていて、
それが同じような特性による不自由さを持つ人たちの中では、カウンセラーや医師が投薬を渋って今後に期待をかけたくなる程度には上々の成果とされることもわかっているつもりだし、
実際、なにが問題なのかさえ正しく認識できれば、大抵のことをゆっくり解決に向かわせられるだけの自己分析能力も問題解決能力もあって、
生活を改善する意識もかなり高い部類であることも、本などに出てくる様々なケースを読む中でわかってきた。
けれど、それでも、私が無意識に求めてしまう「普通」と、あなたの演じられる「普通」には大きな隔たりがあって、その溝はきっと今後も埋まらなくて、それがとてもつらいし、不安になる。
長い 3行で
カサンドラ症候群にある妻もそれなりにアレな感じがするけど、この事例は確実にアレだわ。
これは死にたくなりますわ。 俺は最近アスペルガーとADHDの診断を受けた。 俺が妻や子供を傷つけてないか不幸にしてないか、考え出すと気が狂いそうになる。 俺もこんな風に思われ...
自分が書いたのかと思うくらい共感できる箇所があった。