横からなんだが、だれか、インフレ期待で給料が上がるって言ってたのか?
もともと中間所得層はインフレだろうがデフレだろうが貯蓄傾向だからな、消費は変わらないか悪化だろ。
一定額を貯蓄するというのが貯蓄のセオリーだから、物が高くなれば買う量が減る。
http://anond.hatelabo.jp/20121220180341
なるほど…。
そういう人間は教師とか向いてないと思うんだけどねえ…。
そうも言ってられないというのは分かるけど。
残念な世の中だ。
んなこと俺に言われてもなー
さっきも書いたけど、賃金上昇は物価上昇に遅行するのが普通なんで。
「強硬に主張」なんてことをしてるのは「9割9分」とはまた別の層じゃね
世の中の大部分は「そんな議論どーでもいい/興味なし」だろ
「強硬に主張」してんのは「教科書(とか指導要領とか)に書いてあることは正しいってことになってないと困る」みたいな連中じゃねーの?
教える側なんかは、絶対的な典拠があってただただそれにのっとって教えてりゃそれでいいって方がラクだしな。何かと。
まぁ他にも単に権威大好き権威主義者とか、自分の間違いを認めるくらいなら死んだほうがマシとか、色々いるんだろうけど。
それなりにお偉くなったりすると、些細なことでも自分が間違ってたって認めるのが難しくなるみたいだしな。プライドだか何だか知らんけど。
誤字とか指摘されても逆ギレ、みたいな。
そもそも「順序のある掛け算」は「自然数上の積」じゃないんだよね。N×N→Nの写像ではない。
これを定義するには、「単位」集合上の代数構造を定義して、その部分集合としての「掛ける数」集合と「掛けられる数」集合を定義し、
それらとNとの直積集合上で定義された演算として「順序のある掛け算」を定義する必要がある。
そもそも異なる代数構造を同じものとみなすから矛盾が生じて混乱するんだよ。
何が言いたいかというと、算数を教えるのは教育学部卒のド文系には荷が重すぎるので、音楽の先生みたいに別立てにした方がいいということ。
「めんどくさい」とかはまぁ分からなくもないんだけど、だとすると、あそこまで強硬に「教科書(とか指導要領とか)に書いてあるから」という理由だけを根拠に自分の正当性を主張したりはしないと思うんだよね。
あそこまで行くということは、やっぱり「教科書に対するある種宗教的な信奉」か「教科書を疑うことに対する潜在意識的な恐怖」のどっちかがあるような気がする。他の何かかもしれないけど。
その辺がどうなってるのかが知りたい。
それがどういう思考回路なのか理解できんのだよねえ。
横だけど。
その辺は(本当に徴兵制やるとして)今後の制度設計の話じゃないの?
育児休業だって職場復帰させることは法律で義務付けられてるんだから、そこは同じような制度にすればいい話では。
いつぞやの増田が書いてたような、前髪の長さにまで踏み込む校則や、掛け算の順序問題を見てると
学校というものが守りたいものが。どういうものか見えてくる気がする
意味不明なレベルにまで暴走した校則は、生真面目で、何にも染まっていない子どもというものを守りたいのかなって思うし
掛け算からは、掛け算の意味と式の意味っていうものを子どもに理解して欲しい、それを守りたいのかなって思う。
大人が作った子ども像、子どもはこうあるべきで、こう考えているのが望ましい、みたいなものを刷り込むのが教育だけど
長年の学校教育の歴史の中で、あまりにも世間から隔離培養された結果、あさっての方向にねじれた保守文化ができてしまったように思う。
学校はねじまがったそれを刷り込むことこそ教育だと疑ってやまない。
それを教えることに誇りすら覚えてるだろう。
だから、前髪の長さやかけ算の順序が日本の学校以外で何ら意味のないものだと知っていても、それを廃止しよう、変えようという気が起こらない。
最悪、日本の学校以外で何ら意味のないガラパゴスなものだと認めても、それが教育現場では必要なのだと開き直るようになると思う。
いじめ自殺者を前に、いじめが「あった」「なかった」で議論が始まるのも、長年にわたって形成されたあるべき学校、あるべき子どもを守りたいからだと思う。
大きく報道されて社会問題になってさんざんバッシングされて、やっと、学校にいじめや暴力や学力低下やが存在することを、学校が認めてもよくなるんだろうなあ。
まあ印象論だけど。