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はてなキーワード: MDとは

2008-06-20

1984年生まれの見た世界

幼稚園年長(1990年度)

記憶にある時事ニュースで最も古いものは幼稚園児代。

先生砂場で遊んでる自分たちに向かって

「海の向こうでは今『せんそう』(湾岸戦争)が起こってます。

なんで人は殺し合うんでしょうね・・・」

というようなことを言ったのがそれで、その時はとにかく

「遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるんだ・・・。」

くらいにしか感じなかった。

あの先生がそうつぶやいた日の空は澄み渡ったきれいな青空で、

平和そのものの天気」と「遠くにあるおそろしいもの」がひどく対照的で違和感を感じた。

小学校低学年(1991-1992年度)

父はある日「すごいお土産だぞ」と、

灰色でかわいくて格好いい形をした機械を持ってきた。

パイロットウイングス

あの頃、飛行機を巧く操縦できる奴は神だと思った。

機体を傾け、緑の輪をくぐる。静かな着地。

教官のきつい言葉に、甘やかされていた俺はたじろいだ。

当然ながら一緒に買ったマリオばかりプレイしていた。

少し経ち、マリオカートぷよぷよを持った友達の家に皆が遊びに行くようになる。

スト2はみんな持ってた。↓R↑LYBXA。

子供らしく野球だの公園遊具だので遊ぶこともあったが、

おれらはもっぱら「ファミコン」。

プールや川で波動拳ソニックブームしたり春麗で興奮したり。

もう、昔何やってたなんてそのくらいしか思い出せない。

信号機を自在に操れる熊の親父とか。

小学校中学年(1993-1994年度)

クラスで元気のいい女子が「スナックがかっこいい」だの同級生を

ヤマタク」なんて略して呼んだりするのが流行ってた頃、

テレビでは米不足米不足うるさかった。

小3か小4の頃。そーりだいじんは

「名前の読みにくい徳川家康の子孫」や「眉毛ぼーぼーの爺さん」で、

なんとなく面白く感じていた気がする。

暗闇の中、ベッドから飛び起きて「何事か」と

あわてふためいてる映像ばかりテレビに映っていた頃、

向こうから一時的に「疎開」のような形で来た転校生

関西弁ペラペラ」なだけで人気者だった。

この頃の記憶は割とある。

バブルが・・・」「バブルのせいで・・・」と大人がよく言っていた。

バブルというのは何か「イベント」か「夢」か、

なんか今苦しんでる(ように大人が見える)原因のようなものなのかなあ、

漠然とした理解しかなかった。

バブルなんかよりも目先のジーンダイバーとか恐竜惑星の方が重要だった。

フルハウスとかアルフの方が大切だった。

横取り40万とか嘘つき四択とかヤングチームとかNGワードとかの方が

小学校中学年の俺らにとっては刺激的だった。

小6(1996年度)

自分で自分を褒めたいアトランタオリンピックはよくわからんまま終わった。

男子は全員ポケモン。「ミュウの出し方分かった・・・!!!」と、

どこかで聞いた情報を興奮気味に話す奴とか。

そんなものに皆が夢中の中、クラスの「最先端野郎」は

ペラペラキャラがラップするゲームをやっていてすごくおしゃれに見えた。

6年時、その「機械」を持っていること自体がある種のステータスだった。

田舎だったから特に。

余談だが、「1984年度」生まれは1991年=小1、1992年=小2、

と一の位が学年なので西暦を言われると何年生だったかがすぐ分かって便利。

中1(1997年度)

そして俺たちは人生の中で最もださく恥ずかしい時代を迎えた。

例のあれの時は「赤い実はじけた」中1だったが

「あんたと年が近いのにあんな残酷なことするなんてねえ・・・怖い時代だねえ」

なんてよく大人から言われた。一方おれらは、

ナイフで生きた屍を切り裂いたり脳天をショットガンで撃ち抜くことに夢中だった。

気が付けばクラス男子のほとんどがあの「うすっぺらでCDを入れて遊ぶ機械」を持っていた。

一時期、どこでも買えなくてイライラしていた。

中1の冬は原田笑顔にしびれた。彼らは本当に格好良かった。

中2(1998年度)

ドラエモン」が流行した。

一番強かった奴(モンスター系統図の完全な情報を持っている奴)は

「あいつんち、『インターネット』ができるらしいね」

と言われていて羨ましかった。学校では出来なかった。

ていうか誰もパソコンなんて持ってなかった。

グレイとかラルクとか、「なんとなく格好いい」ものが増えてきた。

中3(1999年度)

あの日までカウントダウンしておびえていた。

結局あの日(月)はなにもなかった。

地域振興券使わしてくれ使わしてくれとずっと言っていた。

卒業間近、学校で「インターネットPC)」の学習をするための教室が出来た。

OSは2000Proでメモリ256MB。

家のボロパソがメモリ64MBだったからか「超」最先端に感じた。

数回しかなった情報の授業中、

好きなバンドを検索すると掲示板のようなものが結果の上位に出てきたのでクリックした。

口汚く罵倒されていて身が震えて泣きそうになった。

ハンドルネームを誰もいれていないのが非常に不気味だった。

・・・社会的経済的な用語とはいえ、

ここまでの人生を「失われた10年」なんて言われた。

俺たちは何かを得たし、間違いなく楽しく生きていた。

高1(2000年度)

ミレニアムミレニアムうるさくなった。

高校は、全教室にネットの使えるパソコンが設置された。

部活が楽しすぎてゲームはほとんどやらなくなった。

進化を遂げた機械」は発売日に買ったが大学2年まで

ファンタビジョンしか持ってなかったのはいい思い出だ。

DVDプレイヤー代わりだったもん。

ミレニアムだの新世紀だので盛り上がっていたころからだ。

どこに行ってもカチカチやってる奴が増えたのは。

最初、ちらほらと増えていく「カチカチ病」に違和感を持っていたが

自分が感染するのに時間は掛からなかった。

田舎なのに、7??8割は所持していた様に思う。

auじゃないやつが心底羨ましかった。

小遣いが多かったのか料金親持ちだったのか知らんが、

docomoってだけで「裕福な家庭死ね」なんて思ったものだ。

高2(2001年度)

音楽家のような髪型のおっさんが総理大臣になっていて笑えた。

高2の運動会前日。遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるようだった。

開会式でも全くふれなかったのが今思うと印象的だった。

CDを小さいデータに変換してパソコンにたくさん詰めこんで、

それをMDプレイヤーより小さい機械にたくさん詰めこめる」

ということを説明するのは当時、骨が折れた(今もあまり変わってない気がするが・・・w)。

マッキントッシュを作っている会社が白色でかわいくて格好いい形をした機械を世に出した。

全く流行らなかったし、説明しても誰も興味を持ってくれなかった。

MDの方が格好いい」「“えむぴーさん”だっけ?オタクくさいね」

なんて言われたり。俺は流行らないと思った。

パソコン音楽を取り込む」こと自体が一般人にとって非常に抵抗のある行為だという感覚は理解出来たから。

高3(2002年度)

W杯休み時間の談話室(テレビがある部屋)の盛り上がりがすごかった。

高校卒業してからゆとりだのなんだの言われ始めた。

その頃「ゆとり」という言葉は非常に美しく感じられた。

複素数を知らないこどもたち」

大1-大3(2003-2005年度)

大学文系学部だったが

常時接続が安く使える時代突入」+「工学部情報系学科の知人との出会い」で、

高校リア充だった自分が一気に地に落ちることとなった。

その知人は「本名出して私生活を晒しまくる」ウェブサービスを教えてくれた。

本名顔写真・所属している(していた)集団と私生活全部暴露。

変態か?」これが最初見たときの素直な感想

今でこそ「知人以外には非公開」が多いけど、

当時はとにかく誰も彼も晒しまくり。俺は使うのに気が引けた。

携帯さえあれば、とりあえずコミュニケーションには事欠かない。

そのころ「文中にやたらと下線が引いてあるブログ

を目にすることが多いのに気付いた(それまで気付いてなかっただけかもしれんが)。

シンプルで、どことなくおしゃれなデザインだが書いている内容は気持ち悪いものが多い気がした。

冴えない青年は綺麗な女性を助けて本になって皆に読まれた。

その頃大学内で「それっぽい」奴は「萌えってどういう意味?w」だの

「お前の時代来たぞw」とかからかわれていた。

そして街に、キャンパス内に、増えていく白い機械

ホリエモンだの球団再編だの買収だのヒルズだのセレブだの勝ち組だの負け組だの格差だの、

なんとなくカオス

いつの間に「無職」の状態を「ニートやってるんでw」なんて明るく言えるようになったんだろうか。

大4(2006年度)

就活は、売り手市場なんて実感はなかったが内定先は大手メーカー

ブラックを避ける」という消去法で選んだ。

社1(2007年度)

街はパカパカ開け閉めする機械であふれた。

家ではリモコンで遊ぶ奴が急増。

ファミ通の売上チャートを見て(10年前から毎週見てるが)頭がくらくらした。

他はサブプライムローンがどうこう、原油高がどうこう、環境が、民主党が、

安倍さんが、携帯小説が、もう、断片。

・・・食品会社に行った知人はえらくストレスを抱えている様子だった。

社2(2008年度)

最近中国あたりが色んな意味でアツイ。

相変わらずの原油高は鬱陶しい。台湾もなんか変。

そう言えばちょっと前は、遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こっていたようだ。

傍観していた人がその動画を撮ってアップしたりそれが罵倒されたり。派遣がどうこう。

さいごに

俺はこんな感じだが、他の俺「たち」はどうか知らない。

俺は約150万人いる「1984年生まれ」の中の一人に過ぎない。

高校携帯を持ち、家ではPCを夜11時からネット繋ぎ

大学ではADSLになってブログだのmixiだのでどうでもいい自分語りをしていた人間だ。

そして今は匿名ブログはまっている

それだけだ。

2008-03-15

[][]PythonからSWIG経由でVisual Studio 2005を使って困ったこと

以上のような組み合わせで出くわした困ったことと、その解決策をメモしておきます。

setup.py を実行するとエラーが表示された!

Python was built with Visual Studio 2003;

extensions must be built with a compiler than can generate compatible binaries.

Visual Studio 2003 was not found on this system. If you have Cygwin installed,

you can try compiling with MingW32, by passing "-c mingw32" to setup.py.

setup.pyに.iファイルとか.cppファイルを記述して実行すると、こんな感じのエラーメッセージが表示されました。うーん、困った!

http://labs.cybozu.co.jp/blog/mitsunari/2007/08/vc2005boostpython.html

上記のページを参考にして、"%Pythonインストールしたフォルダ%/Lib/distutils/msvcompiler.py"を以下のように修正してみたら解決できました。ありがとうありがとう

--- msvccompiler.py    2007-04-04 17:17:12.000000000 +0900
+++ 
@@ -126,7 +126,7 @@
         self.set_macro("FrameworkDir", net, "installroot")
         try:
             if version > 7.0:
-                self.set_macro("FrameworkSDKDir", net, "sdkinstallrootv1.1")
+                self.set_macro("FrameworkSDKDir", net, "sdkinstallrootv2.0")
             else:
                 self.set_macro("FrameworkSDKDir", net, "sdkinstallroot")
         except KeyError, exc: #
@@ -252,7 +252,10 @@

     def initialize(self):
         self.__paths = []
-        if os.environ.has_key("DISTUTILS_USE_SDK") and os.environ.has_key("MSSdk") and self.find_exe("cl.exe"):
+        if self.__version >= 7.1 or (
+            os.environ.has_key("DISTUTILS_USE_SDK") and
+            os.environ.has_key("MSSdk") and
+            self.find_exe("cl.exe")):
             # Assume that the SDK set up everything alright; don't try to be
             # smarter
             self.cc = "cl.exe"
@@ -288,10 +291,16 @@

         self.preprocess_options = None
         if self.__arch == "Intel":
-            self.compile_options = [ '/nologo', '/Ox', '/MD', '/W3', '/GX' ,
-                                     '/DNDEBUG']
-            self.compile_options_debug = ['/nologo', '/Od', '/MDd', '/W3', '/GX',
-                                          '/Z7', '/D_DEBUG']
+            if self.__version >= 7.1:
+                self.compile_options = [
+                    '/nologo', '/Ox', '/MD',  '/W3', '/EHsc', '/DNDEBUG']
+                self.compile_options_debug = [
+                    '/nologo', '/Od', '/MDd', '/W3', '/EHsc', '/Z7', '/D_DEBUG']
+            else:
+                self.compile_options = [
+                    '/nologo', '/Ox', '/MD',  '/W3', '/GX',  '/DNDEBUG']
+                self.compile_options_debug = [
+                    '/nologo', '/Od', '/MDd', '/W3', '/GX', '/Z7', '/D_DEBUG']
         else:
             # Win64

cl.exeが見つからないと言われた!

setup.pyを実行するとcl.exeが見つからないみたいなエラーが表示されました。これは、アレだ。「パス通せ!」ということですね。bashを起動するときのバッチファイル(たぶん"cygwin.bat"とか)で、以下のような行を入れてやれば解決しました。

call "%VS80COMNTOOLS%vsvars32.bat"

setup.pyを実行したときに"basetsd.h"が開けないと言われた!

d:\python25\include\pyconfig.h(189) : fatal error C1083: include ファイルを開けません。'basetsd.h': No such file or directory

error: command 'cl.exe' failed with exit status 2

setup.pyを実行すると、上のようなエラーが表示されました。

http://d.hatena.ne.jp/ousttrue/20070531/1180556273

上記のサイトを見るとインクルードパスが通っていない場所に"basetsd.h"があるのが原因なので、"cygwin.bat"にインクルードパスの設定をしておきました。

call "%VS80COMNTOOLS%vsvars32.bat"
set INCLUDE=C:\Program Files\Microsoft Platform SDK\Include;%INCLUDE%

setup.pyを実行したときのリンク時にエラーが発生した!

link: extra operand `/INCREMENTAL:NO'

詳しくは `link --help' を実行して下さい.

error: command 'link.exe' failed with exit status 1

これは、cygwinのほうのlink.exeが実行されてるのが原因でした。スマートな解決策ではありませんが、cygwinのほうのlink.exeをリネームして解決。パスの設定順序とかでどうにかできるといいんだけど、どうすればいいんかな。

MSVCR80.dllが見つからないと言われた!

MSVCR80.dllが見つからなかったため、このアプリケーションを開始できませんでした。アプリケーションインストールし直すとこの問題は解決される場合があります。

SWIGが生成した.pyファイルをimportしたら、こんな感じのエラーダイアログが表示されたよ。うーん、困った!

http://d.hatena.ne.jp/moriyoshi/20070525

上記のページを参考にして、"%Pythonインストールしたフォルダ%/python.exe.manifest"として以下のようなファイルを新しく作ったら、解決できました。ありがとうありがとう

あとこれ、bashから実行したらエラーダイアログが表示されず、importするモジュールが見つからないみたいなエラーメッセージが出力されるだけだったよ。

<?xml version='1.0' encoding='UTF-8' standalone='yes'?>
<assembly xmlns='urn:schemas-microsoft-com:asm.v1' manifestVersion='1.0'>
  <dependency>
    <dependentAssembly>
      <assemblyIdentity type='win32' name='Microsoft.VC80.CRT' version='8.0.50608.0' processorArchitecture='x86' publicKeyToken='1fc8b3b9a1e18e3b' />
    </dependentAssembly>
  </dependency>
</assembly>

2008-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20080219102449

CDは同等の競合規格なかったからね。

MDがこんなに普及しているのは日本国内だけ。国外ではほとんど使われていない。未だにカセットテープという国も多い。音声記録用途以外の派生規格も数多く出されたが、結局何一つ残っていない。

DVD東芝陣営のSuper Density Discが元になっている。フィリップスソニーもMMCDという規格を提唱していたが、結局は折れてSD陣営に加わり、DVDとして統一された経緯がある。

ちなみにDVDフォーラムDVDの正式な記録規格として決まったDVD-Rが気に入らなくて、別団体まで立ち上げてDVD+Rなんて作っちゃったのもソニー

SONYBD以外にも勝ってる

HD DVDの撤退報道を受けて各所で「βで負けたSONYがやっと勝った」的なこと言われてるんだけど。

そもそもSONYメディア策定者としてはむしろ勝ち組だと思うんだ。

CDだってDVDだってSONYの関与した規格だし、MDは(iPod登場までの短い間とは言え)ポータブルプレイヤー覇者だった。

むしろ失敗の方が少ないんじゃないかな。

知る限りではβとメモリースティック(負けとまでは言わないけど)ぐらいのもので。

2008-02-11

時速3キロメートル 小説版

俺は今、ベッドに寝転がりながら自分の手元にある機械を眺めていた。一見ただの黒くて薄っぺらい塊の、その機械iPod touch今日帰り道でたまたま拾ったものだ。多分人並みには道徳心を持ち合わせていない俺は、その機械をもらってしまうつもりで拾って家に持ち帰った。そして今、そいつと顔をつき合わせている。

イヤホンをしてそいつのイヤホンジャック差し込んで、そして前面に一つぽつんとつけられたボタン押してみる。そうしたら、前面のパネルに『ロック解除』と光るスライドボタンが現れた。てっきり本体のボタン押してしまえば音楽が聴けるものだとばっかり思っていた俺は、肩すかしを食らうのと同時に困惑した。一瞬戸惑ったが、そのパネルに表示されたボタンタッチして見た目の通りにスライドさせてみると、今度は電卓の様な画面と一緒に『パスコードを入力』という表示が現れた。

またもや肩すかしを食らった。どうやら曲を聴くには、数字を4つ入力しないとならないらしい。試しに適当な数字を入力してみるが、『パスコードが違います』と赤い表示が出てくる。

こいつでは音楽が聴けないのか?

軽くいらだちながらあれこれといじっているうちに俺は、最初に押したぽつんとしたボタンを2回連続押してみた。すると、ギターを持った山崎まさよし写真と一緒に再生ボタンだと思われる三角が表示された。

俺は当たりを引いたらしいことに軽く興奮し、今度こそと思いながらその三角タッチした。

するとどうだろう、見事にギターのイントロが聞こえてきた。

その曲は、『One more time, One more chance』だった。

俺はもっと他に曲が入っていないか、再生ボタンと同時に現れた早送りボタンや巻き戻しボタン押してみたが、どうにもその曲しか流れない。

やっぱりちゃんと音楽を聴くにはこのパスコードをなんとかしなければならないことに気づいて俺は軽く落ち込んだが、今しばらくはこの山崎まさよしの名曲に聴き入ることにした。

その曲で俺はふと、中坊だった頃の出来事を思い出した…。

その日は俺にとって特別な休日だった。小学校の頃から密かに憧れていたあの子と、一緒に映画を観に行く約束をしていたからだ。しかも、二人きりで。最初はクラスの奴ら5、6人で、みんなで観に行く予定だった。ところが約束の日が近づくにつれ一人抜け、二人抜け、最後には俺とあの子以外のみんなが揃って予定を悪くしてしまった。あれはきっと誰かが気を回してくれた結果だったんだろうと思ってる。要するに、隠していたつもりの俺の気持ちはあいつらには筒抜けだったというわけだ。そのことに多少気恥ずかしさを覚えたが、しかし折角もらえたチャンスを俺はモノにするつもりだった。

薄曇りの寒い冬の日、俺と彼女は昼前に待ち合わせて一緒に電車に乗り映画館のある街へ向かった。

あの日の俺は冴えていたと思う。まずは映画館に向かい午後半ばのいい席のチケットを買ってからファミレスでお昼ご飯を食べて、上映時間になったら再び映画館へ行って映画を観た。そしてその後あの子のウィンドウショッピングにつき合って、あの子が色々と眺めていた小物のうちで俺もいいと思ったものをあの子に気づかれないように気をつけながら内緒で買った。本当にいい手際をしていたと思う。

冬の日、早くに日は暮れはじめ、さあそろそろ帰ろうと、駅で切符を買おうとしていた時だった。

俺はだんだん緊張してきていた。帰りはあの子を家まで送っていって、告白しながらプレゼントを渡すだけ。たったそれだけが俺の完璧な計画に残った最後のシナリオなのに、それを迎える勇気はまだ出来ずにいた。

「あれっ!?」

そんな俺の逡巡を、あの子の短い悲鳴が断ち切った。

俺は驚いて彼女の方を向いた。

「どうしよう?お財布落としちゃったみたい…」

自分でも信じられないといった様子で、彼女は俺に告げた。

シナリオにないそのトラブルに、俺は非常に焦った。動揺しながらも、彼女と一緒に今日立ち寄ったところを、財布を捜して一通りまわってみた。でも、見つからなかった。

駅に再び戻ってきたとき、あの子は泣き出しそうな顔をしていた。俺もどうしようか途方に暮れていた。さっきプレゼントを買ってしまったため、電車賃は自分ひとりの分しか残っていなかった。

だから俺は、あの子に自分の財布を押し付けながらこう言った。

「お前電車に乗って帰れよ。俺は歩いて帰るから」

俺は、トラブルでの動揺ぶりを少しでも挽回したくて、余裕を持った振りをしてこう言った。

「でも、そんな…」

そう答えるあの子に、俺は更に余裕を見せつけるべく、ポケットの中から当時ようやく普及しはじめていたMDウォークマンを取り出し、

「大丈夫だって。これがあるから退屈しないし」

と強がった。

そうしたら彼女は、少し考えた様子で、

「じゃあ一緒にそれ聴きながら歩いて行こう。私もウォークマン聴いてみたいし」

と提案してきた。

俺はなおも彼女電車に乗せようとしたが、彼女の「ウォークマン聴きたい」という意見を退けられず、結局二人して歩いて家まで帰ることになった。

そのウォークマンで流れていた曲が、山崎まさよしの『One more time, One more chance』だった。その日観た映画主題歌だった曲だ。

ほどなくして、雪が降ってきた。

もう日は暮れていて、街灯の明かりにだけひらひらと光る雪が。

俺たちは、ふたりで一つのイヤホンをして線路沿いの道を歩いた。雪の寒さに身をかがめ、黙ったまま歩いた。何度も何度もリピートしてかかる『One more time, One more chance』を聴きながら。

「ねぇ、知ってる?人が歩くスピード。時速3キロメートル

不意にあの子はそうつぶやいた。

「家までずいぶんかかることになっちゃうね」

そして、

「ごめんね」と。

その言葉に俺は、

「何言ってんだよ。老化は足から来るって言うし、俺ら若いもんは歩いて当然なの」

はっきりとは覚えていないが、確かそんな感じのことを答えたと思う。考えてみれば、中学生の発言としては多少ジジ臭かったかもしれない。

そのまままたしばらく、黙ったまま道を歩いた。

だんだんと白くなっていく足下に、並んで、一定のテンポで、黒い跡をつけながら、黙ったまま道を歩いた。

信号待ちで立ち止まった時、俺はふと気づいた。家に電話をして親に迎えにきてもらえば帰れると。なんでこんな簡単なことを今まで思いつかなかったのか、軽く後悔しながらあの子の方を向いて、口を開こうとした。

あの子はただ、まっすぐ前だけを見ていた。

その目元は、なんと表現したらいいのだろうか?はにかむ、というのか、優しげで、切なげで、でも幸せそうな。そんな横顔をしていた。

それを見て俺は言葉を飲み込んでしまった。そして、このまま歩いて帰ろうと心に決めた。

信号が青に変わり、俺たちはまた歩き始めた。

何度あのギターのイントロを聴いた頃だっただろう?結局地元の駅に着いたのは夜の11時過ぎで、駅の前に待ち構えていたお互いの両親にたっぷりと怒られた。俺としてはあの子を家まで送っていくつもりだったけど、そんなことは出来ず、俺たちは別れてそれぞれの親と一緒に駅から家までの短い道のりを帰った。

その短い道のりの中で、俺は両親になんで電話しなかったのか問いつめられた。あの信号で思ったことをそのまま言うことは出来ずに、「別にいいだろ」とぶっきらぼうに答えたのを覚えている。

そして同時に、こう思っていた。

あの子も俺と同じ気持ちで歩くことを選んでくれていたらいいな、と。

あの子との特別な思い出は、それっきりだ。俺たちは違う高校に進学し、疎遠になってしまった。

そんなことを思い出しながら俺は、きまぐれであの子の誕生日パスコードに入力してみた。当然ながら、正しくはない。

「だよな」

そう思いながらそのiPod touchを一旦は机に置いたが、ふともう一つのきまぐれを起こして今度は自分の誕生日パスコードに入力してみた。

そうしたら、ロックが解けた。

俺は一瞬固まってしまった。でもすぐに我に帰り、何かに取り憑かれたかのように、左下に現れたミュージックボタンタッチする。そしてプレイリストアーティスト、曲、アルバム、その他、すべてをチェックした。

そのiPod touchには、山崎まさよしの『One more time, One more chance』しか入っていなかった。

俺はそれを見て、あの結局渡しそびれてしまったプレゼントをどこにやったのか思い出そうとしながら、「また、歩くか」とつぶやいた。

窓の外には、雪が降っていた。

2008-02-10

時速3キロメートル

彼は道を歩いていて、iPod touchを拾った。

早速家に持ち帰ってみて曲を聴いてみようとするが、そのiPod touchにはパスコードがかかっていて曲が聴けない。けれどもいじってみるうちに、ホームボタンダブルクリックすれば今流れている曲を聴くことだけは出来ることに気づく。

そのiPod touchで流れていた曲は、山崎まさよしの『One more time, One more chance』だった。

その曲で彼は中学生の頃好きだった女の子のことを思い出す。

その女の子と初めてのデートに行った時、女の子が財布を落としてしまい、家に帰る電車賃が無くなってしまった。彼も自分の分の電車賃しか持っていなかった。彼は女の子に自分の財布を押し付けて、「お前電車に乗って帰れよ。俺は歩いて帰るから」とカッコ付けようとする。「でも、そんな…」と渋る女の子に、彼は最新型のMDウォークマンを見せながら、「大丈夫だって。これがあるから退屈しないし」となおも強がる。そうしたら女の子が、「じゃあ一緒にそれ聴きながら歩いて行こう」と提案し、結局二人で歩いて家まで帰ることになった。

そのウォークマンで流れていた曲が、山崎まさよしの『One more time, One more chance』だった。

雪が降ってきた冬の道を二人でひとつのイヤホンをして歩いて帰った。

何度も何度もリピートしてかかる『One more time, One more chance』を聴きながら。

「ねぇ、知ってる?人が歩くスピード。時速3キロメートル

女の子はそうつぶやいた。

「家までずいぶんかかることになっちゃうね」と。

途中で彼は、『そうか、家に電話をして親に迎えにきてもらえば帰れる』とさすがに気づく。でもそのことを言おうと女の子の方を見たら、切ない様な、優しい様な女の子の横顔が目に入ってきて、そのまま歩いて帰ることにした。

結局家に着いたのは夜の11時過ぎで、二人して親に思いっきり怒られた。でも、後悔とか罪悪感とかは全く感じず、満たされた気持ちだった。

けれども二人は結局、違う高校に進学したのをきっかけに疎遠になって行ってしまった。

そんなことを思い出しながら彼は、きまぐれでその女の子誕生日パスコードに入力してみる。当然ながら正しくはない。「だよな」とか思いながらそのiPod touchを一旦は机に置いたが、ふともう一つのきまぐれを起こして自分の誕生日パスコードに入力してみた。そうしたら、ロックが解けた。そのiPod touchに入っていたのは、山崎まさよしの『One more time, One more chance』だけだった。

それを見て彼は、「また、歩くか」と一人つぶやいた。

2007-12-18

MD

ミサイル防衛MD)が高いとか、効果が薄いとか。そりゃそうなんだが、撃たれた後は何の対処も出来ない、撃たれた後は不可侵だったミサイルに、初めて対処できるものが出てくるというのは重要なんじゃないの?

ミサイルの脅威に晒され、唯一の対処法だった発射(されるかもしれない)基地を全て叩くという方法をとれない国、日本。それがMDという手に出るのは全く持って不思議じゃない。そして、日本単独での開発はいつ終わるとも知れず、その費用対効果を考えれば米国との共同開発、米国への投資というのは非常に現実的な道。

批判するのも良いが、その代わりにどうするのか、納得のいく代替案を出して欲しい>古館

2007-11-20

マスダティック12

そう、増田には12人います。

誰にも詳細を語られることのないその12人を、あるところでは「マスダティック12(MD-12)」と呼ぶそうです。

2007-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20070921153943

まあ、この辺のデータはいくらでもごまかせる(いいように見せられる)ので円グラフだけで語っちゃダメだよね。

基本テクニックとしては、

といったあたり。

2007-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20070828001323

耳コピ初見スキルは全く必要ないというツッコミはさておき、

耳コピだって訓練すよ。

天才ドラム少年はそれだけの時間をかけているだけの話。

あとは音源再生環境を整えることかな。

モノは何であれ、1回聞いただけでは分からない箇所を容易に何回も繰り返し再生できるように。

波形編集ソフトに読み込ませて途中にマーカー的なものを打つとか、

MDで曲の途中に曲IDを打つとか。

2007-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20070814225405

DATに関していえば、あれはS-DATという別の発展をとげた架空の装置であり、実際はエヴァが放映されていたころはポータブルMDプレイヤーの草創期だった。

増田だけど、それは知ってるよ。

「架空の装置という事を知らないで、MDカセットテープDATだとコメントしている事」に対して切なくなったのさ。

Re: もう12年も前…

古参チマンによる例えの主客転倒。

DATに関していえば、あれはS-DATという別の発展をとげた架空の装置であり、実際はエヴァが放映されていたころはポータブルMDプレイヤーの草創期だった。

もう12年も前…

ニコニコでなんとなくエヴァを見ていたら、

綾波を「長門みたい」だとか、アスカを「ハルヒみたい」だとか

そんなコメントばっかりでびっくりした。(中にはネタで言ってる人もいるだろうが)

初見だというコメントも意外とあった。

そういえばエヴァ流行ってたのって今の高校生幼稚園児くらいの頃だもんね。

ネットで声の大きな世代は初見の人も多いんだろうね。

公衆電話がいっぱいある(しかも緑)」「MDですらなくてカセットDAT)かよ」「IDカードは非接触じゃないのか」ってコメントは、なんか切なかった

あと、ミサトさんが激しく飲酒運転してたから(ビール飲む描写→程なく車を運転)

今の時代じゃテレビで放送できないかもしれないんだな…。

2007-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20070723074001

裏を返せばそれだけPCユーザにDMPが浸透してるってことで。

「まだMD使ってる」人達はほとんどがPC音楽管理するほど使い込んでないんだろうね。

2007-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20070711055728

機能分担が非効率的だと言うのなら、テレビにはビデオとかDVDとかCDとかMDとかの再生装置が全部くっついてた方がいいってことにもなりかねないし、ついでだから洗濯機乾燥機と冷蔵庫エアコンもくっつけちまえってことにもなりかねないし、じゃあもうこの際だからエンジンタイヤ屋根も付けてその中で生活しちゃえってことになる。更に農場も付けて自給自足生活ができるようにすれば完璧。最終的には海や山や太陽などの大自然も取り込み、あなただけの小地球が完成します。

2007-06-26

やむを得ず使ってる

タイマー録音が必要で。

ケータイ短歌とかLifeとかをMDに録音して通勤の車の中で聞いてる。

直接MP3に落とせたらiPodで聞けてどんなに便利だろうと思うが、

PC立ち上げてとかなると正直めんどい

http://anond.hatelabo.jp/20070626213852

2007-06-07

こんな感じ

自分:ゲーマーSFCよりMDPSよりSS腐女子経験者。

相手:ゲーマー。っていうか作る人。

殆ど相手宅です。外出ません。家でアニメ見てゲームです。週末だけ同棲って感じ。

今まで行った場所は買い物・コミケ(売)・水族館ぐらい…

デートじゃないな…。全く持ってデートじゃないな…。

増田みたいにアキバ見学ツアーしたいよー。

2007-05-29

自衛隊軍縮

MDと引き換えに通常戦力が窮屈になっているのは、世間的には軍縮と言わないと思う。

あれだ、中共が兵隊の頭数だけ減らして軍縮というのと一緒。

http://anond.hatelabo.jp/20070529140542

http://anond.hatelabo.jp/20070529141824

2007-03-20

フォルダに日付を付加する。のなんてメンドクセ

http://www.milkstand.net/fsgarage/archives/000984.html

(1)ソースコードが入ってるフォルダに年月日をつける。

とか

http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0703/15/news102.html

さらにユニークファイル名(同じフォルダに入れても上書きされない名前)にするには、作成・更新の日付を入れるとよい。

で日付入れるとかあって、でも手打ちでメンドクセとか思って調べたらコマンドプロンプトから作成が出来る見たい。

REM 日付(yyyymmdd)でフォルダを作成
MD %DATE:/=%

REM 日付_時分秒(yyyymmdd_hhmmss)でフォルダを作成
SET T=%TIME:~0,2%%TIME:~3,2%%TIME:~6,2%
MD %DATE:/=%_%T: =0%

REM 日付_時分秒ミリ秒(yyyymmdd_hhmmssms)でフォルダを作成
SET T=%TIME::=%
SET T=%T:.=%
MD %DATE:/=%_%T: =0%

こんなのでバッチファイルでも作っておけば少しは幸せになれるのか…

2007-03-08

hf

元ネタ書いた俺がきましたよ。

hfはhave funの略で楽しもうの意。

通常glhfと打つと、では幸運を、楽しもう的な意味になる。

まぁボイスチャットでfuck off!とか叫ぶことの方が多いがw

FPSでは略語繋げれば云々ってのはその通り。てかそれ以上に長い話する暇が無い。

マジレスするとNHKラジオビジネス英会話オススメ

録音してMDでもいいし、CD買ってきてリッピングでもいいからひたすら毎日聞く。

軽いヘッドホン難聴と引き換えにTOEICリスニングスコア450↑が手に入る

2007-03-07

2004年邦楽って良かったな。

最近TSUTAYAに行かないってのもあるかもしれないんだけど、2004年邦楽がすごいな。

2004年 年間シングルベスト10

順位曲名歌手
1瞳をとじて平井堅
2SignMr.Children
3Jupiter平原綾香
4ORANGE RANGE
5掌/くるみMr.Children
6かたちあるもの柴咲コウ
7ロコローションORANGE RANGE
8気味こそスターだ/夢に消えたジュリアサザンオールスターズ
9河口恭吾
10MickeyGorie with Jasmine & Joann

ソース2004年 年間チャート -ORICON STYLE WM ミュージック

いまだに聞いている曲が入っていたり。ミスチルってこのころかなり出してたよね。あと、サザンスピッツも。

最近TSUTAYA邦楽の棚を見ても分からない・・・というか借りる気が起きない。P2PMX以降はまったく知らない。罪悪感というわけでもないんだけど、面倒なんだよね。ダウンロード待つのが。音楽配信DRMきつすぎて好かん。128kbpsだとちょっとね・・・。

iPodとかが流行りだしたころだよね。この頃。買ったばかりの頃はそれまでPCにためてた音楽を一気に入れたんだよね。だからその頃の曲がたくさん入っているのかなぁ。

iPod((実を言うと俺はiPod使って無いんだけどね。東芝gigabeat))が出てきて、大量の曲をストレスなく持ち歩けるようになった。それまではMDCDメモリカードタイプmp3だったりと、メディアを入れ替えることなく大量の曲を持ち歩くことが不可能だったんだけど、それが簡単になった。

それまではMDCDに録音したりと従来よりもそのメディアに登録したメディアプレイリスト必然的にそのメディアに限られプレイリストはそのメディアの中にある全曲でトラック番号順に再生される。((シャッフル再生もあるって突っ込みはスルーで))しかもそのメディアには工夫してもアルバム数枚分しか入れられ無かった。だから、メディアがいっぱいになっている段階でより良い曲を録音しようとするとメディアを交換するので古いメディアに入っている曲はまったく聴かなくなる。という訳で、iPod以前は曲の新陳代謝があった。それがiPodの登場ですべての曲がずっと蓄えられるようになってメディア新陳代謝で曲が消されていくケースが減ってきた。曲同士が発売された時期に関係なく競われるようになった。

だからかな。

あれ、でもこれだと2004年以降に魅力的な曲が出てないっていうことが言えていないからあまりTSUTAYACDを借りなくなったことには繋がんないな。

うーん。何でだろう。やっぱりYoutube関係しているのかな。今かなり使ってるのがYoutube。しかも自分で探すのが面倒くさいからDARAOとかRimoアクティブデスクトップで表示。

2007-03-05

つっこみ待ちか

http://anond.hatelabo.jp/20070304195912

やってみてぇよ、MD版。SSグランディアは名作。

SSは友達に貸して400km弱移動してってしまった。

それから別の友達にやってみてほしいゲームがあったんで

全部まとめてあげちゃった。そのゲームが「仙窟活龍大カオスシード」。

DS移植するといいと思いますよ、ネバーランドカンパニーさん。

2007-02-18

レンタルCDリッピングについて

買ったCDだろうと借りてきたCDだろうと、家でコピーするのは基本的に自由(著作権法30条「私的使用のための複製」。) 但し次のような制限がある。

権利を貸りているからセーフなんじゃなく、基本的のお家の中までは著作権者の権利が及ばないようになっているという事。でもそれだと産業的に問題があるから細々とルールが追加されているんだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20070218152652

2007-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20070131232959

MDは実体があるからコミュニケーションの道具(贈り贈られ)になって、いいね。

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