はてなキーワード: 軽蔑とは
ものすごい後悔するからやめとけ。勿論、クールで他人とつるんだりしないことが元来心の底から望むことである人間なら何も言うまい。しかし、ひとかけらでも「はっちゃけ遊んでいる人達への憧れ」の念があるなら、悪いことは言わんから今から目一杯遊んどけ。
自分は、幼い頃から学生が終わるまでずっと“年齢よりも精神的に老成している”というキャラを行ってきた。最初((物心ついた頃))は自然にふるまっていたらたまたまそういうキャラクターであったのだが、高校、大学と年を経るにつれ、実ははっちゃけ回って遊びまくりたい自分を抑圧して“寡黙で人生に達観しているかのような”キャラを演じていた。いつの間にか演じている自分が生まれていた。それでもまぁこのままでいいんじゃないかと、得意の言い訳を並べてそのまま社会人を迎えてしまった。
挙げ句、絶望。
「若いうちは馬鹿をやっておけ」という言葉は蓋し名言である。他人には興味がなく俗物を軽蔑する(フリの)生活だけを過ごしてきた人間は圧倒的に経験が足りない。年を重ねるにつれてその経験不足は想像力でカバーすることができなくてってきて、周囲に対して見識の浅さや世界の狭さを露呈していくことになる。
仮想世界に逃げん込み、いつまでも自分を甘やかすことはやめた方がいい。とにかく“実際に”色々なことを体験してみるべきだ。お台場プギャーと馬鹿にするが、一度も言ったことがないくせに馬鹿にする方がおかしいだろうが!
今になって色々と経験((0から1への経験))を重ねている自分であるが、時すでに遅い感は否めない。社会人ってものすごく狭い世界に住んでいて、自由な時間もないし新しい出会いも絶望的に少ないからね。学生時代の、あのありあまる時間の中で生きるってことはもう二度と帰ってこないんだろうな。本当に貴重な期間だったんだなぁ。
だからもう、僕と同じような人間を新たに生み出さないためにここに記しておきたい。無理やり大人ぶってるキミよ、思いっきり遊びまくりなさい!色々経験しまくりなさい!
以上、今年24歳になる者、記す。
ちょっと前の記事ですけど…
おもしろさは誰のものか:“同人出身”ガイナックスが語る、同人誌のグレーゾーン (1/2) - ITmedia News
これに対する同人作家側の意見があんまり見当たらなかったので、自分で書いてみようと思います。
ファンの勢いをそいでしまってはつまらないじゃないですか。これは、良い悪いという判断ではなくて、それではつまんないでしょうという感覚です。
まあ、やっぱり同人誌の中には、つくり手側にとってカチンとくるような表現だってないわけじゃないですけれども、まあ、それはそれで作品の楽しみ方のひとつではある。
こういう風に版元側の人から「見てみないふりしててやっから、まあせいぜい面白いもん作れや」って言ってもらえるのは本当にありがたい話です。
自分の押さえ切れない妄想を形にし、「自分はこう思うんだけど、みんなはどう思うかなっ?」と問いかけるのが同人誌の「あり方」だと思っています。
だからこそ、版元にできる限り迷惑が掛からないように配慮し、「自分のケツは自分で拭く」精神を持つべきで、たとえ押さえきれない妄想を形にしたものだとしても、連絡先メールアドレスも印刷所の名前も書いてない本を(サークル規模の大小問わず)売り逃げるような人達を心底軽蔑します。
(※「メールアドレスを書くとネットストーカーが…」とか「印刷所名から本の原価を割り出されて、もっと安くしろと言われる」とか言いますが、そんなのただの言い訳です。昔のように住所氏名まできっちり書くのは流石に危ないと思いますけど)
あと、同人誌でやるよりネットの隠しサイトでやった方が版元にばれないor迷惑が掛からないと思っている人は、即刻考えを改めるべき。
「我々のところにも『同人誌出してもいいですか』といった問い合わせは、時々きますよ。でもこれについては『OKを出すことはない』としか答えられませんね。これはもう暗黙の了解みたいなものを読み取ってもらうしかない。
許諾を出すということは、できあがった作品について、我々にも責任が生じるということなんです。ですから作品について監修を行う義務も生じます。公序良俗の問題も含めて。
前にいたジャンルで、そのジャンルは版元が自ら公式アンソロジーを出すようなところだったんですが、どうもその公式アンソロジーが今ひとつ面白くなかったんです。
普段よく買っているそのジャンルの作家さん達が参加していたのと、あとは原作ファンのたしなみとして買っていたんですが、いつもは超面白いネタを描く作家さん達の公式アンソロでのネタは、それなりに面白いのだけれども、どうも勢いを感じられなくて。
そうこうしているうち、何故かその公式アンソロの執筆依頼が増田のもとにもきました。
大変光栄なことですので、二つ返事で依頼を受けたのですが、いつものノリで描いたネームがことごとく修正の嵐でした。(セリフを丸々変更するよう言われたページも…)
結果、自分でも「これ面白いのかなあ?」というようなものになってしまったのですが、今改めて考えると「公式」アンソロなんですから、増田がノリで描いた漫画にすら版元の「責任」が生まれてしまうのですから、当然のことですよね。
同人誌であれば、ごく一部の人だけが「これは特に面白い!」と感じられる漫画が正解ですが、公式アンソロでは100人が100人「それなりに面白い」と感じられなければいけませんから。
同人誌に興味を抱いて日が浅い人や、ネットや報道だけの知識で同人を知っている人には誤解されてると思いますが、実は同人活動って原作者や版元とすごく距離が近くなることがままあるのです。(原作者とお友達になれるとか、そういうことではないので、夢を持っては駄目です)
原作者が自ら補完同人誌を出すことはもとより、某アニメのキャラクターデザイナーがファンの作った同人誌に参加していたり、某アニメシリーズの公式漫画を描いている方がファンと一緒に同人誌を作っていたり、某小説の原作者が自分で音頭をとって同人アンソロジーを企画したり、某漫画の作画担当の方がコミケで嬉しそうにそのジャンルの同人誌を購入している姿が目撃されたり、某ゲームのスタッフがお忍びでオンリーイベントに来て(でも濃いファンにはバレている)嬉々として同人誌を買い漁ったり、某ゲームのスタッフがオンリーイベントの終了後、主催者に「開催してくれてありがとう!」とねぎらいの言葉をかけてくれたり。(全て増田とその周囲で実際にあった事・実際に見た事です)
公式な場で容認の立場を見せることはありませんが、同人出身であろうとなかろうと、同人誌に寛容、むしろ楽しみにしている原作者・版元は多いです。
勿論それと同じくらい、同人誌を忌み嫌い、許せないと思っている原作者・版元もいて、それは当然のことだと思います。
そして、容認の立場をとっていても、内心面白くないと思っている原作者もいれば、禁止の立場をとっていても(こちらが一般的ですね)、こっそりやっているならいいよという版元もあります。
原作を手掛けた人々が実際にどう思っているのかは、当人達しか分からない事で、我々消費者が「同人は悪」「原作者がどう思っているか聞いてみるべき」と勝手に騒ぐのは、ナンセンスではないかと思います。(原作者や版元の気持ちは考えるべきだと思いますが…)
同人界に関わる人達は、すべてファン活動なのだから悪ではないのか、というと、それは勿論違います。
ただ1000冊単位で買い取って、それを販売するといった状況ですと、それはもうファン活動ではない。ビジネスだろうと思うんです。だから、株式会社の会社がね。お金を出して同人誌を買い上げて、それを第三者に販売しているような場合だと、その同人誌の中身にあなたはちゃんと責任を持てますか、と聞いてはみたいですね。ビジネスになった瞬間に、そうした責任は発生してくるだろうと思うんですよ。そこのところをどうお考えなのか。
地方の方にとっては非常に便利なものだと思いますし、増田も大手サークルの列に並ぶのは確かに面倒なので時々利用しますが、やはり新刊同人誌専門書店って、何かおかしいと思います。(増田のところにも時々取り扱いのお誘いがありますが、お断りしています)
ところで、増田の思う「ワルモノ」順は↓です。(※二次創作のみで考えて)
新刊同人誌専門書店 > 同人転売ヤー > ビジネス同人サークル > 大手志向の買い手 > その他、原作・版元ありきなことを分かっていないサークル
それを踏まえて思い出したのが、だいぶ前にあった↓のスレまとめ記事です。
同人活動だけで貯金が1700万も溜まったんだけど何か質問ある?|2chテラワロス
たまたま売れてしまったものは仕方ないですし、だからこそ同人誌を生計を立てる道具にしてしまった気持ちも分かるのですが、それで楽しいかどうかは>>1本人が一番分かっているようなのが、もの哀しいスレだったと記憶しています。
よく、今は専門書店もあるし、同人誌が世間に知られてきたこともあり、頒布数は昔に比べ格段に増えたと思われがちですが、実は個々のサークルの1冊あたりの頒布数は、10年ほど前と比べると減少しています。(ソースは増田の経験)
「趣味が細分化したからだ」とか「ネットがあるから」とか色々言われますが、最大の原因は、専門書店などでなんとなく気軽に買えてしまうから、「価値」が下がり、書き手もなんとなく書いたものがなんとなく売れてしまうことにより、「パワー」が落ちた、そういう負のスパイラルではないかと思います。
だからこそ、なんとなく売れてしまったサークルに対し、「もっと楽に、もっと稼げますよ」という甘い言葉で近づいてくる専門書店こそ、害悪でしょう。
なんかカルチャーショックを受ける
俺の大学(旧帝)で文理問わず修士以上で奨学金を貰わないのはほぼ皆無じゃないかな
少なくとも俺のいた研究室には男女問わず貰っていない奴は一人もいなかった
育英会の場合、学部だと親の収入で貰えないこともあって
事実俺は貰えなかったが
地方出身ならその地方の奨学金があるとか
兄弟が多いとか
親が金持ちでも自営ならOKだったりとか
色々抜け道があって、過半数はなにかしら貰っていた
理由は親の世話になりたくないから
子供の立場でそれを黙って受け取るのはぼんぼんの腰抜け役立たず扱いだった
学部時代は親に学費を出して貰った俺もちょいぼんぼん
それどころか親に車を買って貰って自慢しちゃうような奴は軽蔑されるし戦力外
上京ついでにマンション買ってもらって仕送り毎月50万とか言う学生も知り合いにいることはいたがね
ただ、そう言う子供を甘やかすような親を持っちゃうのは
漏れなく地方の大病院の御曹司とか、土建の社長のご令嬢とか、芸能人の息子とかの成金か田舎もので
そんな奴らも一年も経つ頃には世間知らずを自覚してバイトを始めたりする
サークルづきあいがあるBラン程度の私大や女子大だと卒業するまでそのままの浮世離れした人もいて
それにしても今はともかく、昔からそんなに貰うもんだったんかな?
親のリアクションから、親の世代では貰う人がすごく少なかったんじゃないかと思っただけなんだけど。
俺の親も貰っていたみたいだよ
同じ大学で学部卒だけど
昔は学費がタダ同然で良かったな的に
そっかー。参考になる。
ちなみに自分は女だけど、やっぱり元増田の彼女と同じ状態になったら、
結婚の話が出始めてた時点で言えよ!とも思うし、
え、実家そこまで苦しいんだ(ごめんね元増田)って思ってしまう…。
結婚を考えていた相手が次男、三男で
長男がちゃんと家庭を持ってるなら話は別だけど、
老後の介護とか(お金がないからこっちから持ち出しになるだろうとか、高価な支援は頼めないとか)、
働けなくなった元増田の両親へ資金的な援助をしなければならないとか、
おそらく同居になることとかを考えると
自分の一生が拘束されることが怖くなる。
考えすぎとか言う人もいるかもだけど、女は結婚前にそこまで考えるものだと思う(で、すごくネガティブに考えるわけ)。
自分が全然的外れなことを言っていればいいなあとちょっと思う。
でも結局元増田の実家がどうであれ、このまま別れてしまうことになれば
本当に元増田と寄り添って歩むことができる伴侶じゃなかったってことじゃないのかな。
あるサラリーマンが退社後しばらくして携帯で呼び出された。緊急の仕事ということで、
古い付き合いの居酒屋で呑んでいた彼は、電車で職場に駆けつけた。
さて、その晩は暑く、シャツ一枚でもいいくらいなのに、彼は背広の前ボタンを
きっちり留めてオフィスを駆けずり回っていた。額には汗が光っている。だが誰も
特に深く考えず一緒に働いていた。そして、書類のチェックのために横に立った
女性がふと覗き込むような姿勢になったとき、何気なく見たワイシャツの胸にはキス
マークがあった。
たくさんあるなら「飲み屋で酔った知り合いがふざけて」とごまかせたのだが。
そんな話はあっという間に広がり広がり、お局の耳にも入った。女子社員の一部が
動揺し、あとでちょっとした口論になった。
肯定派意見
否定派意見
「誰にも迷惑かけてない」といっても彼と一緒に働いていた女子社員は
それなりにショックを受け、ガッカリしたことだろう。
その時点で迷惑をかけていなくても、不快な思いをさせていることに間違いない。
さて、『「キスマークをつけている男」を見る女』の目ほど恐ろしいものはない。
その後彼がどうなったか、考えるだけでも怖い。
あすスポーツ選手(10代後半、女性)がケガをして、試合に出られなくなった。
試合はできないが、お詫びの意味も込めて試合会場で
明るくて可愛い彼女は人気があり、それなりに列ができる盛況ぶりだった。
さて、その日は暖かくTシャツ1枚でもいいくらいの陽気だったのに
彼女はジャージのファスナーをきっちり上までしめて撮影に応じていた。
額には汗が光っている。だが誰も特に深く考えずサインを貰ったり写真を撮っていた。
そして背の高い男性が2ショットを撮るために彼女の隣に並んだとき
何気なく彼女をふと見ると(身長差があり覗き込むような形になった)
そのジャージで隠した首には「無数の」キスマークがついていた。
※1つだけなら虫さされといってもごまかせたのだが…。
そんな話がネットで広がり、別のファンからも
別の日にもキスマークの目撃談があり
一部のファンが動揺し、ちょっとした論争になった。
肯定派意見
・誰にも迷惑をかけていない。お前らのものになるわけじゃなし。
・キスマークついてるくらいでショック受けるなよwww童貞乙www
・わざわざ隠してるのに見るんじゃねえよ、キメエ
否定派意見
・スポーツ選手といえどサイン会だの撮影だのをする人気商売なのだから、キスマークはだめだろう
・せめて絆創膏で隠せ。
「誰にも迷惑かけてない」といっても
最初に見てしまった人にとっては
それなりにショックを受け、ガッカリしたことだろう。
その時点で迷惑をかけていなくても、不快な思いをさせていることに間違いない。
さて、『「キスマークをつけている女」を見る女』の目ほど恐ろしいものはない。
想像するだに恐ろしい。
一種類しかモデルなかった昔に比べれば、現代はまだマシになったと思うが。昔は「一家の家長たる強い男」が唯一のモデルで、それになれない男は女にも劣るダメ男だという烙印を押されてた。昔の男尊女卑文化は、男なら無条件で尊敬され優遇されるかというとそうではなく、「男」としての役割を果たさない男は男社会からも軽蔑され、「あんな男のところへはうちの娘を嫁にはやれん」などと言われ、結婚から締め出された。
対して現代では、相変わらず強い男を望む女もいれば、「主夫」を望む女もいる。男も女も、恋愛対象となるモデルが多様化してきた。求められるモデルやニーズが多くなり、幅広くカバーできるようになった分、昔よりはいい社会になったと思うよ。
まあそれでも、「相手のニーズを満たす」という部分は変わってないんだけどね。ニーズが多様化しただけで。やっぱり、自分が一方的に相手に満たしてもらうのではなく、こっちも何かしら相手の望んでいるものを提供しないことには恋愛できないというのは、今も昔も変わらない。
それと、現実は、生まれついての超イケメンや絶世の美女でなければ恋愛できないというわけではない。そこそこの恋愛くらいなら、大した外見を持ってなくてもできる。周りの既婚者を見てみれば、世の中それほどクソゲーでもないということがわかるよ。
非モテが非モテたる理由は、恋愛したいという気持ちより、恋愛するための努力をしたくないという気持ちが勝っているからだと思う。そして、何故だか知らないが、「努力しない自分」を認識したくないらしい。素直に「恋愛したいけど、努力するのが死ぬほどめんどいんだよね」とは言わない。
「あいつはたまたまモテる要素を授かった。自分はたまたまモテる要素を授からなかった。世間とはそういうふうにできていて、あいつは自分が優遇されていることを知らない」というクソゲー的例えを持ち出してくるのも、努力じゃどうにもならないってことにして、「だから自分は努力してもしょうがない(=努力しなくていい)」っていうふうにしたいんだと思う。「今モテてるやつは、努力してモテるようになった」とは考えない。
そういう、「見えないものは無いもの」的な思考も、非モテが非モテたる理由の一つかもな。「努力しない自分」を認識することを避けるために、相手の影の努力を推し量る思考がない。他にも、恋愛できている人も、もしかしたら恋愛以外のところで深刻な悩みを抱えているかもしれないとは考えず、「非モテの俺は世界一かわいそう。恋愛できているお前は不幸とは無縁で優遇されている(だから俺に気を使え)」という「見えないものは無いもの」も、非モテによくある思考だな。
2007.11.29(その3)
森田実の言わねばならぬ[757]
「稲は実るにつけて俯き、侍は出世につけて上向く」(日本の諺)
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11月中旬、東京の中心地で行われた経済人の会合に招かれた。40分ほど前に会場のホテルに着くと、主催者はすでに待っていてくれた。
しばらく3人の経済人と懇談した。それぞれかなりの大物経済人である。ひとりの経済人が言った。 「森田さん、最近、中央官庁が非常に強くなりましたね。戦後、中央官庁がこんなに強くなり、こんなに民間にきびしくなったのは初めてではないですか。国民は今の流れは“官から民へ”と思っているかもしれないが、実態は逆です。官と民の力関係は、官の側が強くなるばかりです。日本の現実は完全な(中央)官僚独裁国家ではないでしょうか」。
この見方は、私と同じである。最近、私の耳には各方面から「中央官僚が強くなった」「きびしくなった」「威張るようになった」「横暴になった」という話が断片的に入ってきていた。しかし今までの情報は経済界の中枢部からの情報ではなかった。今回の情報は日本の財界の中枢部にいる人の情報だった。財界中枢部にも冷静な判断力をもった人がいるのである。
数日前に、かなりハイレベルの経済人の集まりに講演に行ったときにも、同様の話を聞いた。ある経済人が言った。
「最近、公益法人法が大幅に改正されたのですが、実は法律ができあがってから、その法律のなかに当然入るべき“公益法人の定義”がなかったことに気づいたというのです。欠陥法律をつくったのです。そこで監督官庁で研究会をつくって、公益法人の定義についての議論を始めたのです。法律づくりがずさんなのですね。次々と法律をつくるものですから十分な審議が行われず、そのためにこんなひどいことが起こるんですね。ただ、公益法人法改正後、中央官庁の干渉はきびしくなりました。いちいち口を出してくるようになった。公益法人の自由度は狭まっています。最近、中央官庁は次々と法律をつくったり、改正したりしていますが、その都度、中央官庁の力は強くなっています。小泉内閣は“官から民へ”“民にできることは民に”と言っていました。国民はこれを中央官庁の権限を弱めることだと思いましたが、錯覚でした。逆でした。実態は、新法ができたり、改正されるたびに中央官庁が強くなっているのです。いまの日本は中央官庁の官僚独裁国家になってしまいました」。
小泉内閣以来の構造改革の結果、アメリカ政府とアメリカの巨大ファンドと日本の中央官庁の指導層が勝者となった。最大の勝者とみられていた日本の財界の地位はいまや傾きかけているのである。日本の「民」は中央官庁に負けたのである。中央財界からこのような告発がされ始めたことは、大変な進歩である。
山本尚利
1.猪瀬流の日本国批判
猪瀬直樹著「日本国の研究」「続・日本国の研究」文春文庫には、日本
の政官財の構造問題が事例中心に詳細に書かれています。誰でも、コレを
読めば腹が立ってくるでしょう。猪瀬氏は日本国の研究成果が認められて、
小泉内閣の下、道路関係四公団民営化推進委員会の委員に抜擢されました。
政府委員会は、これまで官僚からみてイエスマンの権威者を委員に選ぶの
が普通でした。小泉首相は、官僚の敵を委員会に入れたのです。この判断
は画期的でした。おかげでこの委員会はもめにもめて、マスコミに格好の
ネタを提供してきました。小泉首相は、同委員会に構造改革派を入れて、
国民の前に、道路族・国交省と小泉首相の対立の構造を鮮明にして見せま
した。この作戦は図星となり、2003年11月の衆院選挙で小泉は見事勝利、
国民に承認されたのです。衆院選挙後は、元のシナリオどおり、道路族と
手打ちして、道路公団問題のゲームは終わりました。小泉首相は、国民の
中に、悪役、道路族議員を支持する沈黙の人々が少なからずいることに着
目し、国民に紛れ込む無言の抵抗派を喜ばせたのです。まったく狡猾なパ
ーフォーマーです。日本において構造改革への抵抗派はバカではないので、
道路建設の無意味さを百も承知ですが、背に腹は変えられないほど切羽詰
まっているにすぎません。道路建設がまさに生命維持装置と化しているか
らです。構造改革派の猪瀬氏も委員に選ばれて、テレビへの露出頻度が上
がり、小泉首相へ大感謝です。ツケはまたも国民に押し付けられます。日
本国批判は、一定程度、ビジネスになることを猪瀬氏は証明してくれまし
た。これも小泉首相のおかげです。
小泉首相の手口は、野党的批判を身内に取り込んで、野党の攻撃を無力
化するものです。「自民党をブッコワス」というスローガンも同じ手口で
す。ほかの自民党議員より、若干スマートなだけですが、一時的には新鮮
な手口に見えました。
さて、前述の猪瀬氏は、日本の官僚、そして官僚に操られる自民党議員
がいかに私利私欲を追求しているかを克明に告発しています。彼は日本国
批判の急先鋒でしょう。日本国民の資産は、政官財の支配層によって、好
き勝手に食い荒らされていることが、猪瀬氏によって克明に検証されてい
ます。小泉首相は日本国批判のシンボル、猪瀬氏を取り込むことによって、
正義の味方、月光仮面を演じることに成功しました。小泉首相自身は、た
たき上げの鈴木宗男氏と違って、政治家ファミリーの2代目ですから、正
義の味方を演じるに十分、身辺はきれいであったのでしょう。小泉首相が
登場するまで、金権まみれの政治家しか首相になれなかったのが、運良く
構造改革の波に乗って、幸運にも首相の座を射止めることができたのです。
正義の味方は常に、悪役を必要とします。構造改革を標榜する月光仮面、
小泉首相の場合、官僚や族議員が悪役にさせられます。ところが小泉首相
の手口は常に、WinWinです。彼は悪役にこっそり耳打ちします「実は獲ら
せるから協力してよ」と。道路問題はこの手口で見事、成功しているよう
に見えます。その結果、小泉首相への評価は二分します。100点満点では
ないが、ソコソコ、健闘していると観る人、彼はごまかしている。インチ
キだと批判する人。
彼の新鮮な手口を今、もっとも勉強しているのは官僚でしょう。官僚が
小泉首相から学んだもの、それは国民ダマシのテクニックでしょう。その
秘訣は与党への批判派を取り込んで、野党を無力化する手口です。改革す
る振りして、実は何も変えない。インフルエンザの耐性菌のように、従来
の薬が効かないという厄介な代物です。しかし、この手口が通用するのは
一時です。批判丸め込み手口が流行すると、国民の不満は不完全燃焼する
ことになります。国民に精神状態が慢性不健康となります。これは、まっ
たく始末が悪い。
日本の官僚批判は、猪瀬氏の日本国の研究にまかせます。ところで、日
本の官僚の特徴とは何でしょうか。それは匿名の独裁性にあり、出る杭を
打つ習性です。官僚の天敵は、政治家ではなく、個人のカリスマ的独裁者
です。小泉首相が官僚の料理方法にどれだけ精通しているかは、実のとこ
ろ、よくわかりません。もし、小泉首相が名実ともに、日本国のカリスマ
独裁者になろうと野望を抱いたら、たちまち、官僚から引き摺り下ろされ
るはずです。かつて学歴のない田中首相は官僚から内心、軽蔑されていま
した。そこでロッキード事件によって無残に引きずり下ろされた。この事
件は、米国の事情と官僚の利害が一致したことで田中おろしが奏功したの
でしょう。その娘、田中真紀子氏は天性のカリスマ性を引き継いでいるの
を、官僚の勘で悟られ、たちまち外務大臣の地位を引き摺り下ろされたこ
とは記憶に新しいところです。
戦前の日本の官僚(軍部官僚含む)は、虚妄の独裁者、天皇を祭り上げ
て、好き勝手をやったとみなせます。ヒトラーとか、フセインとか、金正
日とかの個人のカリスマ独裁者は、官僚の匿名独裁が維持される限り、日
本では生まれにくいでしょう。しかしながら、民主主義精神の醸成がプア
な日本において、当分の間、日本の国家運営には、必要悪として所詮、な
んらかの支配者を必要とするのでしょう。そこで、日本では当分、官僚支
配か、カリスマ独裁者支配かの二者択一しかないかもしれません。戦後の
官僚は、天皇のカリスマ性を利用しないで、自民党という利権集団を担ぐ
だけで実質的官僚独裁を維持できたのです。この実績により、一部の官僚
は非常に傲慢となっている一方、子羊国民を内心、愚弄していることでし
ょう。米国覇権主義者は、日本には、想像以上に民主主義が根付かず、実
質的官僚独裁国家であることを悟っています。そこで、官僚人事権に介入
して、官僚経由で日本を支配しようと考えていると思います。小泉首相は、
米国覇権主義者と官僚に間で、適当に泳がされているという図式が見えて
きます。しかし、小泉首相はそれほどバカではないので、米国エリートと
日本国の有能官僚の駆け引きのテンションを巧みに利用して、首相の座を
守っているのです。
日本国民に民主主義が定着しない限り、日本の統治には、結局、官僚独
裁か、カリスマ独裁かの二者択一しかない。これは完全に必要悪です。ど
ちらが、子羊国民にとってリスクが低いかの選択です。カリスマ独裁者の
悪例は隣国北朝鮮を見ればよい。
リスクの点では、チェックアンドバランスがソコソコ機能する官僚独裁
の方がまだましです。支配者がある程度、好き勝手をすることは、避けら
れない。人間は神様ではないですから。カリスマ独裁の場合、10人に9
人は悪徳支配者でしょう。だから、世界支配を目論む米国覇権主義者にと
って、カリスマ独裁の方が、ある意味で攻撃しやすい。しかし、彼らにと
って、日本の匿名官僚制ほど不気味なものはないでしょう。フセインや金
正日の方がよほど御しやすい。敵が見えますから。ならず者国家と名指し
もしやすい。一方、日本は、民主主義を装う匿名官僚独裁国家ですから始
末が悪い。敵が見えない。かつて、日本は顔が見えないと言われました。
米国として、本音では、北朝鮮ではなく、日本こそがならず者国家なので
す。にもかかわらず、日本は民主主義の衣をまとっているので、ならず者
と面と向かって名指しできない。米国にとって、実に腹立たしい大嫌いな
国、それが日本です。旧ソ連の共産党独裁、中国の共産党独裁、ともにカ
リスマ指導者を頂きます。米国にとって、この方がまだわかりやすい。と
ころが、日本では、明治以降の天皇制時代でも、天皇がフセインや金正日
のように振舞っていたわけではなく、裏に匿名官僚集団が控えていたわけ
です。だから、敗戦後、戦犯天皇の死刑を回避すると決めたマッカーサー
の主張が通ったのです。イラクのフセインなら到底、独裁者の無罪は通用
しません。米国が日本にもっとも警戒心を抱いているとすれば、その警戒
の対象は不気味な官僚独裁でしょう。そこで米国の現ブッシュ政権は、戦
前日本のしたたかな権力構造をモデルにしているように見えます。ブッシ
ュ大統領を戦前日本の天皇のように扱っている。9.11テロ事件以降、ブッ
シュ大統領のオドオドした表情に、それは見て取れます。彼の個人的キャ
ラクターは育ちのよい、お人好しカウボーイです。決してヒトラーのよう
な実質独裁者には見えない。その意味で現代の米国の政治体制も民主主義
を装う特定資本独裁と言えます。日米政治体制を比較すれば、軍事・石油
資本のリモートコントロールに傾斜している現代の米国の独裁体制の方が、
日本の官僚独裁よりも、はるかに危険で悪徳であると思います。米国の影
の独裁者集団は、あるときは、共産主義者を敵だと騒ぎ、あるときは、テ
ロリストを敵だと騒ぎ、結局のところ、最後は戦争に持ち込むことが最優
先している。こうして戦争をビジネスとして、国際軍事競争力を維持する
ことを通じて、世界を支配するには、米国は世界中で定期的に戦争を引き
起こすしかないのです。刀は使わなければさび付きますから。テロリスト
のオサマ・ビンラディンも、フセインも一時、米国の手先となって、初め
て米国の本質を知り、ともに、過激な反米独裁者と化したのです。彼らの
間違いは、「目には目を」の戦略です。この発想では、永遠に殺戮が繰り
返される。その点、インド独立の父、ガンジーの非暴力主義のほうが絶対
に正しいのです。
さて現代の日米関係は、端的に言えば、上記のような危険な米国の影の独
裁者集団と日本の官僚集団の駆け引きです。戦前の日米対立構造と、その
本質は少しも変わっていないでしょう。大きな違いはただひとつ、戦前の
日本の官僚独裁が、軍事力をもつ軍部官僚に支配されていたのに対し、現
代日本の官僚独裁は軍事力を持たない点です。戦後、日本の軍事勢力再発
の封じ込めに成功している米国覇権主義者は、獲物としての日本に関して
は、1400兆円の日本国民の資産(レント)を狙っているでしょう。ただし、
獲物としての優先順位は、中東の石油資産の次くらいでしょう。だから、
日本は戦争に巻き込まれなくて済んでいるのです。石油が取れない日本は、
天然資源の資産価値はゼロです。このハンディキャップは、プレデター
(肉食獣)から狙われないという意味において、不幸中の幸いと喜ぶべき
です。さらに、イラクと北朝鮮は「ならず者国家」としては一括りにされ
ていますが、プレデター米国にとって獲物としての価値には天と地の差が
あります。北朝鮮は、イラクのように石油はない。日本のようにお金もな
い。獲物としては、まったくおいしくない国家なのです。それでは米国に
とって北朝鮮の価値は何でしょう。それは日本を、恐怖心を煽りながらコ
ントロールする上において、北朝鮮はある程度、利用価値があるにすぎま
せん。この点を、日本国民はよく認識しておくべきでしょう。私利私欲に
目ざとい官僚はわかっていると思いますが。日本における子羊国民の究極
の選択とは、その虎の子資産を、日本人の匿名官僚集団に好き勝手に食い
荒らされるか、それとも米国プレデターに好き勝手に食い荒らされるか、
どちらの被害が少ないかの選択です。どちらにしても、支配者というもの
はそれ相当のピンハネをするのが世の常です。前述の猪瀬氏の官僚批判を
逆手にとれば、私利私欲のかたまりのような悪徳官僚の方が、清廉潔白で
まじめな官僚よりプレデターの横取りをある程度防いでくれる可能性があ
ります。
正直、同性から見ても元増田は災難だったと思う。
その女性は多分友達に「生理の時辛いのに、彼氏に冷たくされた」程度しか言っていなくて、自分がヒスった話なんかはしてないんだろうから気にすることはあるまい。
野良犬にしっこかけられたと思って、さっさと忘れるべき。
けど、だからといって思いこみ強めで女性を非難するのは頂けないぞ。
すぐには無理だろうけど、徐々に風化していくといいねえ。
世間の風潮としてはそういうところあるよね。
女性がヒスっても苦笑で済ませるけど(まあ軽蔑はされるが)、男性だと深刻にずっと言われちゃうっての。
同じ女性から言わせてもらうと、そういう人が多いせいで同列に扱われるから
http://turnjpn.tripod.com/text/ww69.html
人権意識がよみがえった中国人は、故意に自国の法的義務を軽蔑し、
目的実現のためには向こう見ずに暴力にうったえ、挑発的なやり方をした。
そして、力にうったえようとして、
力で反撃されそうな見こみがあるとおどおどするが、
敵対者が何か弱みのきざしをみせると、たちまち威張り散らす。
・・・・・中国に好意をもつ外交官たちは、中国が外国に対する敵対と裏切りを続けるなら、
遅かれ早かれ、一、二の国が我慢しきれなくなって手痛いしっぺ返しをしてくるだろうと説き聞かせていた。
(1935年の覚書より一部要約)
もしかして今も昔もおんなじ?
そういう人たちを軽蔑しているわけでは特にないです。
そういう人たちも、社会を動かす上では必要であることは、理解しています。
無機質な仕事でも、誰かがやらなければいけないこともわかっています。(ただ、自分はそちらの世界へ行くのはごめんですが)
そういう人たちの愚痴を聞いたりすることは別に良いですし、大変なんだなと思ったりもしますが、
嫌なら、自分の力で何とかすればいいじゃんと、能力があれば自分がやりたいこと出来るでしょとかも同時に思ってしまうことも事実です。
>ただ、理解できなくても尊重することはできる。この二つを混同しないでほしい。
俺はとりたててイケメンでもなく、仕事も普通にやってるサラリーマンなんだ。
そんな俺に不思議な出来事が起こった。
先日のバレンタインデーに新卒の女の子からチョコをもらったんだ。舞い上がった。
でも、とくにつきあって下さいとかそういう話じゃなかった。だから、いったん舞い上がって、また落ち着いた。日頃のお礼なんだろうと。
ところが先日だ。その後輩が、悩みがあるという。悩みなら聞くよといって、聞いてみるとそれは、告白だった。俺に対しての。
もちろんまた舞い上がった。なんでモテてんの…? という根本的な疑問もあったが、とにかく舞い上がった。
だた、俺はそのとき酔っていたので、告白に対する返事はその場ですべきでないと思った。これは真摯な対応だったと思う。
その数日後、俺は先輩にそのことを相談した。
正直いって、どうしていいかわからなかったからだ。そして、わからない理由は、俺にも好きな人が別にいたからだ。
先輩は俺の話をひとしきり聞いてから言った。
「とりあえず、返事を早まらなかったのは正解だろう。次にお前がすべきことは、お前の好きな子にお前が告白することだ。破れれば、告白してきたことつきあえばいい。」
…?
それは滑り止めってこと?
話を聞いたとき、まず先輩を軽蔑した。一生懸命告白してきた子に対して、あまりにも失礼ではないかと。そして、それを先輩にも言った。
先輩はこういった。
「自分の幸福を、使える手段をすべて活用して追い求めて何が悪い」
…!
言われてみればそうかもしれない(単純)。
今回俺は一人からボールを受取った。そしてそれはまだ、投げ返していない。どう返すかもはっきり決まっていない。
そして、それをどう返すにしても、はっきりさせておくべきことがある。投げたかったボール(3年も持ったままだ)を投げるときだ。その投げたボールを受取ってからでも、遅くない…
そうやって、先輩に諭されて、その気になって今に至るわけだが、ひとりになってみるとやっぱりそれはどうなんだろうと思う。
フローで言うとこうだ
失敗 好きな子に告白する ーーー→ 告白してきた子につきあおうと言う ↓ 成功 ↓ 成功(失敗はなし) 好きな子とつきあう 告白してきた子とつきあう
【第二十 選将篇】
武王が呂尚にたずねた。
武王「すぐれた人物を選んで将に任命したいと思うのだが、人物を見極める方法を教えてほしい」
呂尚「外見だけで判断してはなりません。外見と中身の一致しない場合があります。世間の人々が軽蔑する相手でも、聖人だけはその真価を認めるのですが、 凡人にはそのあたりの機微はわかりません。深い洞察力があって、はじめて見抜くことが出来るのです」
武王「どうすれば見抜くことが出来るのか」
第五に、財貨を管理させてみて、どの程度清廉であるかを観察します。
第六に、女を近づけてみて、どの程度貞節であるかを確かめます。
第七に、困難な任務を与えてみて、どの程度勇気があるかを判断します。
第八に、酒を飲ませてみて、その酔い方を観察します。
組織内政治、ゴマすりばかりが上手な人物が出世することになれば、実務能力があり判断の優れた人物が無能な人間の指揮下に入ることになり、前線の混乱と敗北は避けられない
http://anond.hatelabo.jp/20080223093706
16歳から22歳という年齢は、青春真っ盛りとされる高校生・大学生の年齢とドンピシャだなぁ。
当時恋愛がうまく行かなかった人は、自分に自信を無くした。自分が劣っているのだと思った。周りの人もそう思った。世間も「顔が悪い」事はわかっていたけど、それがどの程度なのか把握している人は殆ど居るわけ無くて、もちろん生涯未婚率がどんな事になっているのかを知らない人も多かった。上の世代にも下の世代にも、恋愛できない駄目な奴という視線を浴びせられた。ほんの少し顔の作りが違っただけで、同程度の努力をした人でも就職できたのに、今この年齢を過ぎてしまった人たちは当時恋愛できなかった。そして世間は高齢童貞・処女を軽蔑するので、最初のタイミングで躓いた人はもう結婚の希望はほぼ途絶える。
やっと今になって、今この年齢をすぎた人たちが受けた心の傷にも注目が行くようになった。恋愛をするという事へのトラウマーです。異性にコミットするという事へのトラウマーです。すこし注目されたとしても、助け舟は出ません。政府の対応もままなりません。殆どの人には関係の無い話、ひとごとですからね。ホームレス対策で段ポールハウスを撤去するかのように、風俗への規制を強めるぐらいしか対応できません。
恋愛できない。周りからは「努力不足」と切り捨てられる。そんな人たちにとって生きる方法の一つがはてな村で、他のブログを炎上させてでも居坐ることでした。ある意味でたくましく生きていると言えると思います。
他の人たちが受けられた社会的恩恵よりも、ずっと淡泊な生活を覚悟すれば、楽しみは無いわけではありません。しかし、上の世代と比べても、下の世代と比べても、同程度のレベルの人が正社員で暖かい家庭やマイホームを築けていても、同じぐらい、いや、それ以上に努力しても、こういう非モテの人たちにはそんな暖かい暮らしはなかった。ネットでアダルトサイトを巡回して狭い部屋で独りで性欲処理をするか、風俗で金を払って玄人に処理してもらうか、そういう選択だったのです。
孤独と性欲を抑え込むというのは、精神的に苦痛を伴う難しい事です。もちろん、そうしてしっかり生きている人もたくさん居ます。そうできなかった人もたくさん居ます。それが非モテが極端にこのはてな村に集中しているという事です。
程度の低い暮らしをしていると、他の世代からは、その程度の人間だったのだなと見られます。年齢を確認して、未婚率の数値を把握して、しかたの無かった世代なのだなと考えてくれる人は少ないと思います。非モテに対する目線もそんなもんです。
世間は厳しい。特に今16歳から22歳という年齢を過ぎてしまった人に対して厳しかった。今も厳しい。世間は容赦なく駄目人間を見下す。この世代もひっくるめて駄目人間を見下す。それがどれだけ苦痛でつらい心の傷になっているかなんて、他の世代にはわからない。戦中世代であれば同情もされただろうに、この短い期間に起きた出来事は、ほかの世代には実感としてわかりようが無い。新聞でアキバの状況を目にして「困ったわねぇ」とつぶやくぐらいにしか関心は無い。
当時インターネットが家庭に急速に普及した時期でもありました。お互いの心の痛みを癒しあえる仲間と繋がれるインターネットに皆逃げ込みました。インターネットを使った就職活動をしても、何を遊んでいるんだという目でしか見られなかった。
非モテでなくても、非童貞になれないで素人童貞が多いのもこの年齢の人たちです。オタク文化の隆盛梁でエロゲーが急に増えました(*1)。女性はオタクを避けるようにしたので、あぶれた人たちの受け皿として役に立ちました。近年報じられるように、萌え文化の実態は単なるポルノです。うたい文句は新しいライフスタイル、自由の選択、そういった物でした。
同世代に恋愛に失敗した人が多いと、ちゃんと恋愛できた人が居ても、同窓会も盛り上がりません。
どうしたらいいの? おしえて、ダンコーガイ!
無関係な他人のどうしようもないこういう系のゴタゴタって超楽しいねーーーー!!!!!グフフ
なんか安全な位置にいながら闘犬ショーを見るような感じで
どっちに転んでもイバラの道ですなあ!
現彼女を選べば出会ったばかりのあの子を思ってことあるごとに「俺の人生もっとよくなるはずだった」とずっと後悔!何かあればそのたびに妻となった彼女に八つ当たり☆「あいつ(出会ったばかりの彼女)と一緒になってたらこんなことには」とずっと後悔☆既に恋愛感情などとうの昔に冷め切った彼女とこれからも妥当でした結婚を続けていかねばならぬ苦しさ☆俺の人生何なんだったんだろう?と死ぬ前に呟く自分の姿を容易に想像してしまい涙が出ちゃう、だって男の子だもん☆
かといって、出会ったばかりのあの子を選べば6年も付き合った現彼女を振った罪悪感が一生消えない!6年も付き合って、非の打ち所もなかった彼女という最良物件を振ったワリには、付き合ってみると案外あの情熱は消えうせてフッツーのしみったれたカップルになっちゃった☆「俺が求めてたのはこんなんじゃなかったのに」と後悔する日々☆ことあるごとに前の彼女と比べて「あいつならこんなことはなかった」と彼女に八つ当たり☆気付けば、振ったときに傷ついて涙した彼女の顔が鮮明に思い起こされてその度に罪悪感と後悔に苛まされる毎日☆
思い切って二股をかけるも、二人ともにバレ、現彼女は目をはらして泣きまくり☆現彼女のご両親は君の両親まで呼び出して大騒ぎ☆うちの愚息が申し訳ないことをと両親涙を流して平謝りー☆出会った彼女からは見損なったといわれ軽蔑の眼差し☆二人から縁を切られて会社でも「二股かけたんだってー」「うそー」「しかも、もうすぐ結婚する予定だったらしいよー」「マジで」「あいつひでーなー」の噂オンパレード☆ついには居た堪れなくなって退社しちゃう☆フリーターへの道☆
きゃー!超得盛りフルコースだね☆
人のゴタゴタってたんのしーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
http://anond.hatelabo.jp/20080205141320
http://anond.hatelabo.jp/20080205154805
http://anond.hatelabo.jp/20080205194914
くさる[動ラ五(四)]
1 細菌の作用で植物性・動物性のものが分解して変質する。食物などがいたむ。腐敗する。「魚が―・る」
2 からだの組織が破れ崩れる。うみただれる。「凍傷で指先が―・る」
3 木・繊維・金属などが風化したり酸化したりしてぼろぼろになる。朽ち崩れる。腐敗・腐食する。「柱が―・る」「さびて―・ったナイフ」
4 物が変質して、嫌なにおいがついたり汚れたりして使えなくなる。「金魚鉢の水が―・る」
5 純な心が失われてだめになる。精神が救いようがなく堕落する。「性根が―・っている」
6 思いどおりに事が運ばないため、やる気をなくしてしまう。いや気がさす。めいる。「気が―・る」「原稿が没になって―・っている」
7 (他の動詞の連用形に付いて)その動作をする人に対する軽蔑・ののしりの気持ちを表す。「いばり―・る」「つまらんことを言い―・る」
8 賭(か)け事で負ける。
・ 「夕べ胴が―・ってありたけ取られ」〈咄・御前男・四〉
9 すっかり濡れる。びしょ濡れになる。
羊水検査でよろしくない結果が出ると言うことを、くさると表現するのはそれほど間違いに思えない。日本語の多様性は辞書でも見て取れるとおりだ。様々な物事の良好で無い状態を「くさる」と表現している事は明白だ。腐敗菌が繁殖した状態だけを指す言葉では無い。
「高齢出産時にとくに行われる羊水検査で芳しくない結果が出やすくなる時期を35歳ぐらいだと聞いた」と言ったに過ぎず、それはおおむね事実だ。
米軍関係のお偉いさんから聞いたお話。在日米軍所属の米兵って、一部の例外は除くけど基本的に米軍の中でも落ちこぼれの集まりらしいです。本国の米兵には在日米軍兵って軽蔑の対象なのだそう。素行が悪かったり、問題を起こしたりした兵士が、厄介払いや見せしめの為に在日米軍に送られてくるそうです。その結果「日本送り」or「沖縄送り」or「横須賀送り」にするぞ、という言葉が素行不良の米軍兵に対しての上官の脅し文句になってしまう程に、ガラが悪い兵士の集まりと化してしまっているのだとか。
「米兵が日本人をレイプ」「米兵が酔って日本人を暴行」「米兵が基地内から銃で日本人を威嚇」と言った物騒なニュースをよく聞きますが、こういった事情を知った今ではなんか納得。とはいえ、アメリカ本国で手に負えないクズ米兵を見せしめと厄介払いのために在日米軍に送り込まれるなんて、たまったもんじゃないですけど。有害廃棄物輸出の構図にやや似てるけど、在日米軍の場合は、日本側が有害廃棄物(=落ちこぼれ・素行不良の米兵)をひきとりつつ、しかも駐留経費まで持ってやってる訳で踏んだり蹴ったりな気が。
追記、一応断わっておくと在日米軍兵全員が問題のある人物と言いたい訳ではないです。もちろん、そうでない人もいると思います。
ずいぶん久しぶりに社会学の書棚にいったらブルデューの『結婚戦略:家族と階級の再生産』という本の翻訳が出ていたのでついつい買ってしまいました。
下の引用は旧来の家中心の婚姻システムが崩れ、自由恋愛システムが立ち現れ始め、農民=ダサイ、都会人=イケてる、という対立が明らかになってきた時期のフランスのど田舎の農村について記述です。それが1962年に書かれた論文のものだということを考えると、今になって「恋愛資本主義」だなんだとさわいでいるのがばからしく思えてきました。
「クリスマスのダンスパーテーが、とあるカフェの奥のホールでおこなわれている。(・・・)フロアの周縁につっ立って暗い塊をなしている一段の年長の男たちが押し黙ったまま見物している。(・・・)独り者が皆、そこに揃っているのだ。(・・・)クリスマスや元日のダンスパーティーでは、独り者たちは何もすることがない。(・・・)独り者連中は夜中までそこにいるだろう。パーティーの明かりと賑わいの中、ほとんど無言のまま、近づくことのできない娘たちを見やりながら。そのあと彼らはカフェの奥に行き、向かい合って飲むことだろう」(pp.7-8)
「たとえ少しでもぎこちなかったり、無精ひげが生えていたり、みっともない身なりをしていれば、農民は即座に『ふさぎの虫にとりつかれた、不器用な、気むずかしい、時には、下品な、女にたいしてつっけんどんな』、社交的でなく無愛想なフクロウと見なされてしまうのである」(p.136)
「自らの身体に関する惨めな意識は、(都会人とは異なり)農民を自分の身体から切り裂き、内向的な態度にさせる。こうした態度こそが臆病さとぎこちなさの根源にあり、彼にダンスを禁じ、女性の前で単純で自然な態度をとることを禁じるのである。結局のところ農民は、自らの身体に当惑しているために、我を忘れさせ、自らの身体を衆目にさらすようなあらゆる機会のなかで、気詰まりやぎこちなさを感じてしまうのである」(p.137)
「経済的・社会的条件が結婚への適性に影響を及ぼすのは、主として男性がこうした条件について抱いている意識を媒介にしてなのである。要するに、自覚のある農民とは、軽蔑的な意味での農民として自らをとらえる機会をいくどとなく持たされてしまった農民なのである」(p.138)