はてなキーワード: 軽蔑とは
人が言うことには以前ほど注意を払わない。人の行動をただじっと見る
Yahoo!辞書 - 巧言(こうげん)令色鮮(すくな)し仁(じん)
[六韜][外見]世間の人々が軽蔑する相手、聖人だけ真価を認める
真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物。孔子
はてなブックマーク - コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由 - 分裂勘違い君劇場
巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)
ことばを巧みに操って人の気をそらさないように表面をとりつくろっているような人物には、
人としての最高の徳である仁に欠けている者が多い。
「巧言」は巧みなことばづかい。
「令色」は顔色をよくすること、
つまり見せかけをよくして表面をとりつくろうこと。
噂が怖いのは、聞き耳を立てその噂をかぎつけた人は、今度はそれを他人に言いふらすからです。
見出しのコトワザのいうように、
とくに他人の噂を伝えてくれる人や、
あなたのことを根ほり葉ほり聞きたがる人には、
気をつけなければなりません。
上海で下海!:「巧言令色鮮し仁」 - livedoor Blog(ブログ)
言葉巧みで顔つきもにこやかな人物にかぎって、
徳の少ないことが、おうおうにしてある。
うわべだけで人を判断してはならないことの戒め。
http://anond.hatelabo.jp/20110622150551
デュラント
私は知識に何ものかを付け加え、また他の人々がより多くのものを付け加える手助けをしたい。
G.H.ハーディ
人に会いたくない。
彼女の番号だった気がする。
かけ直してはいない。もう別れて2年半。いまだにちゃんと吹っ切れていないけど
この電話に出ず、かけ直さないことで区切りを付けられるのだろうか。
後悔しない選択を思いつかない。
別れた相手の連絡先を削除とか、自分が振られた場合にもやるものなのだろうか。
同僚が必ずやると言っていたので、試しにやってみた。1年以上前に。
自分からは連絡とれなくなったけどたまに電話がかかってくる。
そんな状況だったから、友人の結婚式で久しぶりに会ったときも親しげに話をしてくるが
便利に使われているような気がして別れ際に「たまにはパソコン関係以外のことで連絡しなよ。」と
皮肉っぽく言ってしまった。どうせ言うなら皮肉ではなくちゃんと言えばよかった。
それでもぼくは今でもその人のことがものすごく好きで、でも表面上は忘れたい振りをしてる。
だからもう連絡はしないでほしい。それだけできっと終わる。でも今すごく寂しい。
怒りよりも軽蔑を隠すことがより必要である。
悪意はしばしば忘れられるが、軽蔑はけっして忘れられない。
http://anond.hatelabo.jp/20071129184748
世の中自分以外バカばっか、生きる理由なんてないけど死ぬのも面倒なので生きてる、みたいな。平凡な大人を軽蔑していて、周囲の人間を全員見下している(ここにいずれ自分も平凡な大人になるだろうという絶望が加わってたり加わってなかったり)タイプ。文化祭に盛り上がっているクラスメイトをちょっと離れたところから嘲笑してるタイプというか。大人な自分かっこいい。厭世的な自分かっこいい、みたいな主人公。
中二病設定というと邪気眼系を指すことが多いと思う(超主観)のだが、個人的にはクール系無気力系主人公をそこに加えたい。所謂セカイ系の主人公に多いタイプ。というかセカイ系が流行って以降、ライトノベル界を席巻しているタイプ。
世の中自分以外バカばっか、生きる理由なんてないけど死ぬのも面倒なので生きてる、みたいな。平凡な大人を軽蔑していて、周囲の人間を全員見下している(ここにいずれ自分も平凡な大人になるだろうという絶望が加わってたり加わってなかったり)タイプ。文化祭に盛り上がっているクラスメイトをちょっと離れたところから嘲笑してるタイプというか。大人な自分かっこいい。厭世的な自分かっこいい、みたいな主人公。
自分が年をとったせいか、最近無性にこのタイプの主人公がむかついて仕方がない。と同時に、過去に自分が行った行動を思い出して恥ずかしいというよりももっといたたまれなくてドス黒い思いを覚えてしまう。
大体において、「こんなやつ実際いたら確実にいじめるわ」というタイプでも何故かモテモテで、これまた脱力してしまう。そしてモテモテでも絶対に「そんなのどうでもいいよ」「人との係わり合いなんか面倒臭い」みたいな舐め腐った態度なのだ。マジテンプレ。少女小説ではあまり見ないがライトノベルでは腐るほど見た気がする。
知り合いに「ライトノベルなんだけど面白いから読んで」などと言われて借りた本の主人公がこのタイプだと、一気にその人の本の趣味に対する信頼度が地に落ちてしまう。「興味ないんだけどモテモテで困っちゃう」みたいな主人公とかお前人を舐めるにもほどがあるだろう。感想に困るんだよ。つーかこういう男の妄想大爆発><みたいな本読んでも面白くねーんだよ。お前だって「私モテモテで困っちゃう」みたいな乙女の夢大爆発><な本貸されても困るだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20071127121532を読んでも思ったことだけど、ハーレムものの時に男はひたすらに周囲の女の知能を下げる傾向(白痴レベルまで)があるが、女は上げる傾向がある(それがきちんと描写されているかはともかく)んじゃなかろーか。
何が言いたいかっていうと、大人を舐めくさった無気力主人公がモテテモテテ困っちゃう話はもう勘弁してくださいってことなんだ。全然タイトルと違うけどそういうことなんだ。文章おかしいけどな。
わざわざ相手が得意な、そして卑劣なやり方に乗っかるのは労ばかりで実がないと思うなあ。
相手より優れたところを持つようにして、それにすがってこっそり軽蔑するくらいが、お互いの社会的地位とか面倒なものを賭けずにすむんじゃない?
結局のところ、「人に押し付けられるかどうか」だよな。この話。
っていう anond:20071123003336 の意見が一番的確だと思う。俺とか(多分)この増田とかは、実害も悪意も感じられない「マナーの違反」ごときで「ひとに何かを押し付けられたくない」し、何よりも「押し付けたくない」んだわ。まっぴらだよ。
元増田みたくマナー、マナーうるさい連中の気持ちがわからんとは言わんよ。その場その場で適切なマナーがあるってのも認める。俺だってマナーには従って生きてきたつもりだ。しかしそれを「他人に要求していい」っていう感覚は理解できん。本当に心から理解できん。なんでそんな無邪気に、無責任に、無根拠に、人に何かを押し付けられるわけ?
ってここまで書いて気付いたけど、これって要するに「ひとに押し付けないのがマナー」ってことだな。実害も悪意もない人間に何かを押し付ける、それがマナー違反だと思ってるんだ。それは自分と違う文化の存在を認めているからだ。俺とあんたは住んでる世界が全然違う。何が正義かとか何がマナーかとかは考え方がきっと全然違う。どうやっても理解しあえない部分がきっとある。だから、お互い共存していくために、相手に要求するのは最低限度の「ルール」だけにしておこう。そういう前提がある。
「自分のマナー」を押し付けるのは、「自分と違う価値観の人間がいる社会」の中では「マナー違反」だ。
郷に入れば郷に従え、っていう言葉は言いえて妙だった。「郷」の中では、みんなほとんど同じ価値観だったんだ。だから押し付けても問題なかった。ほとんどの問題は郷内の人間で完結していたから、郷の外側の事情は無視できた。だけど今はそんな時代じゃない。グローバル化、っていう単語が普及して久しいが、色々な「郷」から来たひとが共存してるし、共存せざるをえなくなっているのが現代だ。ある意味で「郷」なんてもう超局所的にしか存在しないんだよ。
もう一回言うけど。
「自分のマナー」を押し付けるのは、「自分と違う価値観の人間がいる社会」の中では「マナー違反」だ。
だから俺は押し付けない。あんたらが誰かにあんたらのマナーを押し付けるのなら、俺はあんたらを「マナーを知らないやつ」と軽蔑するまでだ。
追記。「押し付けるな」というのは「提案するな」という意味ではない。そうでないとそもそも誰も「マナー」を共有できないし。納得できるなら、あるいは従っておくほうが合理的なら、従ったところで実害のないマナーには従うことで、社会は成り立ってるんじゃないかと思う。
もしもこの者が善に化せられたならば恐らく彼が役立つと思われる他人をも、
ことごとく台無しにすることになるが、それとちょうど逆に、
自己のために良く尽くす者は誰でも、
他人のために将来役立つものを用意するという、
正にそのことによって他人に役立つことになる。
正直気持ち悪い。やむにやまれぬ事情でそうしてるんだから理解してほしいとか言われてもこればっかりは無理。だいたい過食嘔吐だって理解不可能なのにそんなん理解しようったってむりでしょ。
馬鹿なことしてるなあ、悪化するぞ、死ぬぞ、とは思うけど、そんだけ。
なんなんだろうこの嫌悪感。
昨日友達がODした。2度はしないと約束させはしたが、あの調子ではたぶんまたやるだろう。
また無意識のうちに(笑わせる!)してしまうかも、と言っていたし。
もう一度友達がODしたら、このままの付き合いは続けられない。
はっきり軽蔑してしまうからだ。
そんなのは嫌だ。
「怒ってはいけません」「否定してはいけません」「受け入れてあげてください」
無理。心のそこから無理。だって気持ち悪いもん。
せめてこの嫌悪さえなければ、普通に対応できるようになるんだろうか。
でも気持ち悪いしなあ…
友達に気持ち悪いって言いたくないし思いたくない。
この二種の区別には同意だが、はたしてモテの側の分割統治といえるのかどうか。
既存の「恋愛」言説のなかでの弱者という意味で両者はともに非モテであり、弱者であるが、これは支配的言説と比べての話であり、この結合はいまの民主党とどっこいどっこいの便宜的なものにすぎないと思う。支配的言説の存在が両者を同等視させているだけである。
ここでは仮に恋愛「からの」自由をもとめるものを「非恋愛主義者」、恋愛「への」自由をもとめるものを「反恋愛主義者」と呼ぼう。
非恋愛主義者は恋愛主義そのものを馬鹿にし、支配の存在そのものを戯画化しようともとめる。それは恋愛そのものへの軽蔑と、非恋愛領域の擁護(てっとりばやくいうとオタク趣味の公然化)、さらには非モテのネタ化や独身貴族への賛美として表れてくる。彼らは恋愛が人生にとって最も重大なものであるというテーゼを否定し、それ以外の生き方があることを示している。
一方、反恋愛主義者が求めるのは、自分が認められるような「よりよい」恋愛言説であって、けして恋愛主義が廃棄されることなどではない。たとえば「いい人が評価されない」とか、「こういうタイプがモテるべき」とか、「自分が差別されている」といった発言が意味するのは、恋愛主義の「純化」がなされ、適正化すべきだという意見であって、けっして恋愛主義そのものの否定にはなっていない。むしろこうした発言は、恋愛そのものへの信仰が一般人以上に強固なことを示している。
恋愛言説による格差付けそのものからの自由をもとめる非恋愛主義者にたいして、反恋愛主義者たちの求めるのは自分が恋愛言説のなかで適切な位置を得ることだ。しかし、それはかなわぬためにルサンチルマンは怨嗟の声として表れる。
こうした分裂は共通の敵があったからこそ見過ごされてきたに過ぎない。はてな村が非モテ言説に支配された今、モテ言説という共通敵を失った両者は分裂していくに違いない。具体的には、自分の趣味や生き方を恋愛以外の代替肢として提示するものと、恋愛に対する恨みつらみを共有することを望むものとにである。前者は後者のこだわりを理解できず、それゆえに後者は前者が同じ「非モテ」であることを疑い、空気を読むことを強要しだすのである。
この抗争は革命後のセクト争いに似ているが、セクト争いでは常に急進的な側が勝利していた。はてな村非モテ革命の結果はどうだろう。
声かければいいと思うよ。ここに書いてることそのまま正直に話せばいいと思うよ。きっとわかってくれると思うよ。軽蔑するような人なら当時あなたにメールなんか送ってこなかったと思うけどなあ。
やあ、わかるわかる。
そういう裏切ってしまった記憶ってのは残るんだよね。
残って、新しいほうに踏み出そうとするときに足を引っ張るんだ。
人生の負債みたいなものだね。
この場合、続けられなくなったことよりも、けじめをつけずに終わりにしてしまったことや、不義理を働いてしまったことのほうが大きいと思うけどね。
可能なら声をかけるというか、連絡を取るといいと思うよ。
なんでっていうこともない。後悔し続けるよりは軽蔑されたほうがマシなこともあるってだけ。
ただ、取り繕ったようなことを言うと多分取り返しつかないかもね
6,7年前、メールマガジンを発行していた。
宣伝はほとんどしなかったけれど、それでも200人近くの読者が読んでくれていた。
1年間、毎週発行。
飽き性の自分にしてはよくやったものだと思う。
しかし就職活動が忙しくなってくると、なかなか発行できなくなっていった。
来週こそは「お休みしてすみません」の言葉とともに、再開しよう。
そう考えていたが、就職が決まると今度は慣れない社会人生活が始まり、
結局そのままにしておいてしまった。
同じくショートストーリーのメルマガを発行していた人からだった。
「もう、書かれないんですか?」
返事が書けなかった。
その頃はショートストーリーを考える余裕もなくなっていて、もう再開はできないと考えていた。
フェイドアウトが理想だった。
結局僕は、メールマガジンの発行とともに、その人との縁まで打ち切ってしまった。
ショートストーリーに限らず、いろいろなことをブログに書き連ねてみたい
そういう想いはあるのだけれど、もしも更新を期待する人が現れたらと考えると怖い。
●定期的に書かなければならない。
●期待に応えるものを書かなければならない。
そういった強迫観念めいたものに囚われてしまう。
そして、またメールマガジンのときのように、誰かを裏切ってしまうのが怖いと感じている。
名前を掲げるということは、同時に責任も負うということだと思う。
重く考えすぎだと言われるかもしれない。
いや仮名だからこそ、言葉や姿勢に一定の責任を負うべきだと思っている。
増田にはそういったものがない。
自分のスタンスなんて気にせず、無責任に誰もが好きなことを好きなときに書くことができる。
(だからといって、誰かを傷つけるようなことを書いていいというわけではないけれど。)
そして、それをたくさんの人たちが読んでくれる。
責任を負うことができない自分にとっては、それだけで充分。
充分過ぎるくらいだと思う。
こんなことを書いていると、件のメールマガジンが懐かしくなった。
自分の書いたショートストーリーは、もうネット上のどこにも残っていないけれど、
最後にメールをくれた人の作品を検索してみた。
見つけた。
新しいホームページだ。
その人は、まだメールマガジンを発行し続けていた。
今も。
1ヶ月に1話のペースで。
7年間。
継続は力なりというけれど、こういう人のことを言うのだろう。
心なしか動悸が速くなる。
声をかけたい。
あの時はすみませんでしたと伝えたい。
でも、覚えてくれているだろうか。
軽蔑されやしないだろうか。
自分勝手な都合で、返事すらしなかったのだから。
だけど
女性は知らないと思うけど、世の男性にはトイレで手を洗わない人が多い。
統計をとったわけではないが、しっかりと手を洗ってる人間はだいたい半分くらいだろう。
もちろん、公衆トイレ、駅のトイレ、会社のトイレなどで状況は違う。
ただ、どんなトイレに行っても、手を洗わずにそのままトイレを出てしまう人は少なくない。
信じられないかもしれないけれど、実際にそうなのだ。
ほとんどの男性は、小便をするとき陰茎を手で持つ。
根本を持つ人が多いから(たぶん)触っている部分は、他の皮膚と変わらないと言えるかもしれない。
ただ、飛沫が飛ぶこともあるし、衛生的な場所ではない。
個人的には、陰茎を触った手で何かをして欲しくない。
しかし、これはなかなか注意ができないことだ。
同僚や上司、友人など家族以外の人間に「トイレに行った後手を洗え」なんて言えない。
人間関係が気まずくなること請け合いだ。
これは、ある一定の年齢を越えると、誰にも注意されなくなるような内容らしい。
皆は強いな。働いてる人って強い。私は駄目だ。人も不慮の死も怖い。
皆辛いならどうして子供産むの?母に聞いたら「欲しかったから」って言ってた。
産まれた時はそれはそれは嬉しかったんだって。でも今は凄く苦しいんだって。
何だか奈落に落ちてみると世界が違って見える。あぁそうか、だから皆荒んでたのかって今更気付く。
昨日夜中に変なサイレンが聞こえて恐かった。戦時中のサイレンみたいだった。
おかしいな・・・もっと幸せに生きていけると思ってたのに・・・可能だと思ってたのに。
「もう悩まないで、きっと良い事あるから」なんて嘘なんだ。醜い物全てが本当なんだ。
どうして最初からそう教えてくれなかったの。我侭に育っちゃったじゃない。
どうして駄目な血筋なのに産んじゃったの?またこんな子が生まれるって分からなかった?
孤独だ。家族は家族で想い合ってると思ってた。でもほらやっぱり本性が出てきた。
皆鬼だったんだ。でも私も鬼だな。
友達もいないし家族ももう絆無いし相談する相手もいない。
無理だ。自分をコントロールできない。
選択肢は狂うか人生捨てるか開き直るか苦しみ続けるか死ぬか賭けをするか。
家族物のドラマって嘘物なんだ。だって本当に困った時は助け合わないもん。
ドラマの中の家族って、恋愛や喧嘩とか結構幸せの中にある物の中で悩んでるじゃない。
生きるか死ぬかとか豹変とか裏切りとか陥れとか絶望とか住む所が無くなるとか・・・
そういった時に他の人はどうしてるのか教えてくれないじゃん。
幸せな家族だったのに、やくざのような親戚が全て持ち去ろうとしてる。法に守られながら。
弁護士にも裏切られ、散財しかできない親戚の元へと私達が生きる為の最低限のお金と土地が奪われる。
その上被害者ぶってる。お蔭で父も母も一生不幸な人生でしたって結末送る事になる。憎い。
私が全て悪い。だからなんで産んだの。産まなきゃ死なずに済むのに。
追い詰められる事も無いし、軽蔑される事も無いし。
犬飼ってて可愛かった。凄く可愛かった。友達も沢山いたし、家族全員仲だって良かった。
私は頑張り屋だった。中学からは違うけど。
笑顔が嫌だ。苦しいくせに笑わないでよ。皆幸せなのに何で私達だけって思っちゃうじゃない。
元気が出ない。家族を支えるだけの元気が出ない。家族は私のせいでばらばらだ。
ごめんなさい。弱くて、頑張れなくて・・・怒らないで。怒鳴らないで。もう家族を苛めないで。
人を憎まないで。人を憎んでしまったら幸せに生きれなくなる。
駄目な人は一生直らない。恐い。母の罵声が恐い。父の怒りが恐い。兄の蔑みが恐い。
「こういう時もあるさ」じゃない。これが本当の姿だ。家族ったって「家族」じゃなくて「人と人」だ。
家族が大好きなのに素直になれない。凄く感謝してるのに感謝し辛い。
皆に幸せになってほしい。世界中の生き物に。一切子作りをやめて、皆で餓死したら皆が幸せになれるかなって変な事考えた事ある。
どうしても、昔あった残酷さが再び出てこない。残酷さが無ければ生きていけないってようやく分かったのに。
八つ当たりはしちゃいけないって思ってたけど、残忍な目に遭っても犯人に仕返しできない場合はどうしたらいいの?
弱い者虐めをしない事だけが自分の誇りだったけど・・・しなきゃ生きていけないの?
だけど弱い者虐めをする人って大抵幸せの絶頂期にいる人が多い気がする。
自分を殺そうとしても、本当に殺したい相手は私じゃない。私よりもっと酷い人はいる。
あのね、昔両親がたくさん助けた親戚に全て奪われるんだ。あの人達って人間なのかな?
母は毎日辛そうだ。笑顔で接しても駄目だった。神様が本当にいるのなら、家族を幸せにしてください。
一生皆が幸せに暮らせるなら死んでも良いくらい。
自分の世界を持ちたいな。さも自分が全て正しいかのようなオーラを放ちたい。堂々と。
で、傷付いて勝手に泣いて変な人と思われたい。後ずさられたい。
あぁもう・・・傷付かないように生きてると嫌われるだけだ。
じゃあわざと傷付くように生きたら誰か好きになってくれるかな?
ズタズタになっても狂いたくないし僻んで人の不幸を願いたくない。のが理想だけど逆行ってるなぁ。
母の生き方は複雑すぎて正しいのか間違ってるのか分からない。
悪い事もしてるけど、皆の為にやった事なら正しい事なのかな・・・分からない。
人を信じちゃいけないって昔教わったな。ちゃんと守ってるよ。お母さん。
あぁもう分からない。どうすれば良いか分からない。最善を尽くしたつもりでいる。
兄は地獄なんだって。嘘吐き。一番幸せ者のくせに。最低限生きる為の能力が備わってるくせに。
人の気持ちを軽視して傷付けたから、それが返ってきただけじゃない。どうしてアンタだけ愚痴言うの?
何もしなくてもすぐ仲間に入れてもらえて、好かれて、慕われて。いいよなー。
遠くから見ると良い香りがして、近付くと棘が痛むタイプなんだよね。