はてなキーワード: 信頼関係とは
もしかして、麻生政権がどんな景気対策しようとしているのか(民主が何を妨害しているのか)も知らずに麻生批判とかしてる?違うよね?
効果ってのもわからん。
それは貴方が無知なだけで、あちこちの国で減税や給付金、商品券の類が実施されてる。
それは対外的な戦略の一環で、日本国内の経済対策とは異質の物だよ。
たとえば定額給付金とか、補正予算案の中の1割にも満たない規模のはずなんだが。
それに、最初は減税をメインに考えられていたのが「それじゃあ低収入の人達が恩恵を受けられない」って事で給付金に切り替わったんだよ。
だって当時マスコミが派遣切りを盛んに報道して、それの尻馬に民主が乗ってそういう攻撃を繰り返したんだもん。商品券は手間がかかるから外された。
それを今更「無駄遣いの極みだ!」とか攻撃してくるんだから、既に与党と民主の信頼関係は完全に崩壊してる。福田政権の頃だって何回与党との合意を反故にしてきたと思う?
がっついてはいけない。そういいますが、がっつかずに誘うってどういう事なのでしょうか。手をつなごうとするとか、キスを試みるとか、そういうことなのでしょうか。いまひとつ自分のイメージが正しいのか不安です。
(性欲って人間の持つ根源的なものという前提が自分の中にあるので、なぜそれを我慢して抑えなければならないのかが私は根っこのところで腑に落ちていないのだと思います)
がっつくというのは、相手の信頼関係の度合いを超えて、性的な欲求が相手に見えてしまうことかな、と思います。
また、ここからは自分の独断と偏見ですが、おそらく増田さんのその「感情的な自分」の部分は女の子にバレバレです。男の人は自分の感情・欲求が表情や態度に出てしまうことにあまり気づきませんが、女の子はそういう人間観察が得意なものです。なんとなく雰囲気で感じてしまいます。
最初の手をつなごうとしたりというのも、自分との信頼関係が築けていなければ、相当敷居の高いものです。信頼関係の築き方は基本、友達と一緒。おそらくそんなに中の良くない友達に、いきなりべたべた触られたり、ジョークでも後ろから抱きしめられたりすると、普通のひとはギョッとすると思います。
女性が体を許したり、体が接したりするコミュニケーションも一緒です。波長があって、信頼できる相手だったりすれば、抵抗なくより深いコミュニケーションがとれますし、そこまで行けなければ、やはりギョッとしたり、不快感を感じたりします。
まあ相手がそんなことしたさそうにソワソワしてたりするとやはり、女の子は不信感を抱いてしまいます。
まあ深いことは考えず、自分と波長が合いそうな女性を探すために、性的欲求抜きで、いろいろコミュニケーションを取ってみることをオススメします。あと変に一人の女性に凝り固まらない方がよいと思いますよ。そして、この人は本当に気が合うと思った際には、こちらから一緒にいたい!とはっきり伝えることです。そして駄目だったら変に固執せず、また次がんばってみましょう。
あきらめない限り、きっと希望は消えません。がんばりましょう!
一理ある、の横増田です。
自分のどこが悪いのだろう。何が悪かったのだろう。
デートのときになにか大きな不手際があったのだろうか(話がとぎれて気まずい空気などにはならなかったので、自分の気づかないところで何か大きな失敗があったのかという意味)。
容姿のせいだろうか(やや太り気味なので)。
がっついているように見られてドン引きされたのだろうか。
それとも逆に色気の出し方が下手なのだろうか。
まあ、そんなにくよくよしてても仕方ないです。
とりあえず、凹まずに次を頑張りましょう。
どんなに可能性薄い人でも、女性とのコミュニケーションを断ってあきらめない限りは可能性はあります。バットしっかり振らなきゃあたるものもあたらない。問題はそのバットをもう一度にぎれるかどうかです。
ちなみに男性は容姿は女性程マイナスにならないと個人的には思います。
ここはとても大事なところなので出来れば再確認させていただきたいのですが、上記のような事をしっかり行えば、女性は男性のエゴイズムを受け入れてくれる場合も多いと言う理解でいいんですよね。
残念ながら答えはNoです。
ここからは自分の独断と偏見なので、半分ジョークだと思って読んでください。
女の子が体を許してあげたいと思うのは、「惹かれている、かつ、信頼できる」かなと思います。一生懸命努力して彼女があなたに惹かれても、二人の間に信頼関係が気付けてなかったら、長続きしないと思います。一発はできるかもしれない。ただ、一発だけやりたいなら風俗に行った方がコストパフォーマンスよいです。できるなら女性は長くつきあえる女性を選んだ方が、お互いの人間的な成長に繋がると思います。
しかし基本的に成功体験がないもので、(例えば増田では良く童貞がバカにされますが、それと同じように)デフォルトで自分が汚れた存在として女性から見られてしまっているのではないか、女性とうまくコミュニケーションできないので自分が童貞であることはうすうす感づかれているのではないだろうか、だからこれからも自分の男性的な欲求というのはキモイと否定されこそすれ肯定されることなどはないのではないだろうか。
もし、今まで振られた女性がいるのなら、こういう部分をさらけ出してどうすれば女性とうまくコミュニケーションが取れるかどうかを相談したり、デートの仕方や彼女として合いそうな人のアドバイスをもらうと良いと思います。その時に、絶対その女性に手を出さない事。できるならその女性に、前の事は水に流して、絶対つき合おうなんて自分が言い出したりしないと約束した上でアドバイスをもらうとよいかもしれません。
きっと協力してくれると思いますよ。
お金をつっこむというのはどの程度のことをおっしゃられているのでしょうか。もしよろしければ出来る範囲で数字を教えていただけると参考になります。私は数回デートした相手に三万円のネックレスをバースデイプレゼントとして送ったことがあります。めちゃくちゃ喜んででくれたんですが、なぜかその後すぐ音信不通になりました。自分の一ヶ月の小遣いを全てそのプレゼントに使いました。それくらいは投資(投機)として当然という認識で良いのでしょうか。
それは、あちゃー!!って感じです。
ちょっと重すぎるプレゼントです。彼氏や夫でもないのにそういうプレゼントを異性からもらうとそりゃドン引きです。そもそも数回デートして、つき合おうってならない関係ならそもそもその女性は、あきらめた方が懸命かなと思います。つき合おうと言い出すチャンスを逃してしまうと、なかなかそういう関係にするのは難しいです。
あとお金を突っ込むのは、自分も彼女もうれしいものにしましょう。プレゼントは喜びを共有するために使った方がいいと思います。見返りが丸見えで相手に渡すものではないかもしれません。実際は、金額は数千円のプレゼントでうれしいものです。
それよりも、一緒に遊びや食事に行くためにお金をちょっと多めに出してあげる(全オゴリは相手によっては気がひけるかもしれない)とか、あとデートとして自分の服を買いに行って、その女の子のセンスを見込んで選んでもらうとかそういうのに使った方がよいと思いますよ。あと自分を磨くためにとか。
こういうお金の使い方だと、自分もうれしいし、その女の子も喜んでくれると思います。
あんまり偉そうなことは言えませんが、自分自身は高校時代は全くモテず、大学2年生ぐらいから頑張り始め、3人とつき合って4人目の人が奥さんになりました。
とにかく、女性とコミニュケーションを取ろうとすること。そうしつつも、がっつかないこと。最後は思いやりでしょうか。
あと、性欲と相手を本当に彼女にしたいのかを切り分けるために、本当につき合いたいかは、一、二回オナニーしてから考えた方がいいですよ。これ、ほんとです。
彼女の高校時代からの親友という友達(女)がいる。付き合い始めた時には真っ先に祝福してくれた人だとか。
その友達と会ったのは彼女とその友達がこちらの地元で用事があり、その道案内をしただけ。その時友達は沢尻エリカよろしく常時で仏頂面。明らかに自分に対して心を閉ざしている。後日付き合いに対して歓迎ムードだった態度は豹変、「**とは合わない」「もっといい人がいる」「信用できない」「別れろ」など言ってくるとか。彼女は俺とその友達に気を遣って詳しくは言わないが、話を総合するとどうも**ならあんなキモブタ野郎よりイケメンと付き合えるからやめろ的なことを会う度に言っているらしい。彼女はあまりにも俺のことを悪く言うものだから、大ゲンカもしたとか。確かに彼女は自分で言うのもアレだけどかなりのハイレベル。話によれば中高の頃付き合っていたのもクラブのエースとかのイケメン揃いだったぽい。対して俺は伊集院光の言うところの痴豚面で何もかっこよくも無いし、付き合いの経験もそんな多いわけじゃない。
彼女と付き合い始める前は1年かそこらのお友達期間があって、お互い相談に乗ったり本音をぶつけ合ったり励ましあったりしてきた。彼女の本当の過去(そのイケメンたちは結局体目当てだったことや襲われ掛けたこと、クラスの女に妬みでいじめられてたこととか)、身体のこと、そして俺が人間不信になった過去の彼女との出来事も語り合った。俺のその過去を唯一受け入れ、励ましてくれたのは彼女だけだった。正直友達時代から彼女のことは好きではあったけど、自分が自分なので言い出せなかった矢先に彼女が声をかけてくれた。こんな痴豚面だけどいいの?イケメンじゃないよ?と問えばかっこよくなくたって、あなたはあなただからいいのと言ってくれた。そういう経緯もあって、恐らく彼女とは強い信頼関係ではあるとは思う。
で、先の友達は1度その道案内をしただけであって、俺のことやそんな信頼関係があることを何も知らないし、本当にこっちの表面上の「見た目」だけで判断している。「人を見た目で判断する」の「見た目」ってのはさ、あくまでTPOに適した身形とか顔付き、人への振る舞いとか態度のことのはずなんだけども、それをほんとに容姿の美醜とか自分の好みだけで判断している。その友達のブログには「今は急がしそうだから言わないけど、あいつと付き合い続けるなら友達をやめる」ということまで書いている。メンタルが弱い彼女が見ているのをわかってて。彼女はそれを見て凄いショックを受けて泣きじゃくった。期末考査期間にも関わらずただでさえ悪かった体調がもっと悪くなって、試験もまともに受けれてない。
そもそも何でちょっと道案内しただけでそこまで悪く言われなくちゃならないんだ俺。その時も別に重そうな荷物持ったぐらいで嫌われるようなことはしてない。お前は俺の何を知ってるの?お前の好みに合わないのは友達が付き合っちゃいかんの?彼女がお前の言動で深く傷ついて今も寝込んでしまっていることわかってるの?第一この時期にそういうこと書いたりしたら彼女がどうなるかなんか親友ならわかるだろ?その親友の恋人をそこまで悪くいったりする神経もわからんし、付き合った相手が気に入らんから友達やめるって何なの?バカなの?
話によれば片思いの男がいて、あんま上手くはいってないみたいね。彼女も乙女の秘密だよって詳細は言わないからよくは知らない。その片思いの男のこと俺が「そんな女が好きになる男って顔だけのヤリチンじゃねえのwwwww」とか悪く言ったらどうよ、いい気分かい。結局自分が上手くいってないから、やっかんでるだけじゃん。高校時代から親友なら、そういう妬みとかで彼女が傷ついてきたことも知ってるのになんで同じことをしてるんだい。彼女にきっと妬みだからあまり気にするなっていったら「またそういうの嫌だ、辛い」って信頼している親友にそういうのされて更に泣いてたんだぜ?つうか文句あるなら俺に直接いえよ、聞いてやるよ何が気に入らんのか。彼女にコソコソ言わないで堂々と出て来いよ。いくら親友でも彼女を苦しめるのは黙ってられんぜ?
人の価値を間違った「見た目」でしか判断できないようなのが上手くいくわけねえし、その片思いの男にもお前がボロクソいうブサメンレベルにも好かれたこともない現状が全ての答えになってるんじゃねの。
・黙っていった方が無難だし、一々、報告しない。
「こ、この店は別に今回のために探したわけじゃないんだからね!たまたま知ってただけなんだからね!」
・ボケるのは人を見てボケること。突っ込みとボケは信頼関係が大事。
・例えば、飲み会当日に「いいお店だね」とか褒められたら、その時に初めて「今回は色々とリサーチしたんだよ」って言ったらいいんじゃないだろうか。
逆に言うと、これで下手こいた場合、「アレだけ下見してもこの程度かよ・・・」という評価になる。
・本当にボケたつもりで発言したの?
少なくとも同僚はそれをボケとは受け取れなかったんだと思う。
もしかして、幹事って新年会とか歓迎会の店の下見とかってしないの?
わし「今日は3件、現地調査にいってくるぜ!」
同僚「はぁ~!?なんでそんなことを・・・」(ひいた感じ)
あるぇ~??
(追記と現状のまとめ)
・現地調査はかまわない。
・黙っていった方が無難だし、一々、報告しない。
「こ、この店は別に今回のために探したわけじゃないんだからね!たまたま知ってただけなんだからね!」
・ボケるのは人を見てボケること。突っ込みとボケは信頼関係が大事。
・実は新年会とかはPublicな行動らしいので、社会人と会社員の自覚をもって適切に処理すること。
・飲み会のしおりなる物を作ろうと思ったけど、ちょっと自重しとく。
・この日記が、こんな議論になるとは思わなかったよ!と思いつつ、部屋でガタガタふるえる。
http://anond.hatelabo.jp/20090121125115
(M)どこを見回してもすべき仕事がある。
(A)あらゆるところに、なすべき仕事がある。
(Y)なすべき仕事は至る所にある。
(M)経済状況は、大胆で迅速な行動を求めている。我々は新しい職場の創造だけでなく、成長のため新しい基盤を作らねばならない。
(A)経済状況は、力強く迅速な行動を求めている。私たちは行動する。新たな雇用を創出するだけではなく、成長への新たな基盤を築くためにだ。
(Y)米国経済は、大胆かつ迅速な行動を求めている。そして我々は新規の雇用創出のみならず、新たな成長の礎を整えることができる。
(M)我々は道路や橋、電線やデジタル通信網をつくり、我々の商業を支え、我々の結びつきを強めなければならない。
(A)商業の糧となり、人々を結びつけるように、道路や橋、配電網やデジタル回線を築く。
(Y)道路や橋を造り、電線やデジタル通信網を敷き、商業を支え、我々を一つに結び付ける。
(M)我々は科学を本来あるべき場所に引き戻し、技術を活用し医療の質を引き上げると共にコストを下げる。
(A)科学を本来の姿に再建し、技術の驚異的な力を使って、医療の質を高め、コストを下げる。
(Y)科学を本来あるべき地位に戻し、医療の質を引き上げながら、そのコストは減らす。
(M)太陽、風や土壌を使って我々の自動車の燃料とし、工場を動かす。
(A)そして太陽や風、大地のエネルギーを利用し、車や工場の稼働に用いる。
(Y)太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす。
(M)我々の学校や単科大、大学を新たな時代の要請にあわせるようにする。
(Y)新時代の要請に合うよう学校や単科大、大学を変えていく。
(M)これらすべてが我々には可能だ。
(A)これらすべては可能だ。
(Y)我々はすべてのことを成し遂げられる
(M)これらすべてを我々は実行するのだ。
(A)そしてこれらすべてを、私たちは実行する
(Y)し、行っていく。
(M)我々の志の大きさに疑問をはさむ人もいる。
(A)私たちの志の大きさに疑念を抱く人がいる。
(Y)我々の野望の大きさについて疑念を抱く人がいる。
(M)我々のシステムでは大きすぎる計画は達成できないという人々だ。
(A)我々のシステムではそんなに多くの大きな計画は無理だ、と言うのだ。
(Y)我々のシステムは多くの大きな計画に耐えられないと指摘する人もいる。
(M)彼らは覚えていないのだ。
(A)だが、そうした人たちは忘れるのが早い。
(Y)だが、彼らは忘れている。
(M)彼らはすでにこの国が成し遂げたことを忘れているのだ。想像力が共通の目的に出会った時、必要が勇気と出会った時、自由な男女に達成できることを忘れているのだ。
(A)これまで我が国が成し遂げてきたこと、そして、共通の目的や勇気の必要性に想像力が及んだとき、自由な人々がどんなことを成し遂げられるかを、忘れているのだ。
(Y)彼らはこの国が何を成し遂げたかを忘れている。想像力が共通の目的と出合った時、必要が勇気と結びついた時、自由な男女が何を達成できるかを忘れているのだ。
(M)皮肉屋が理解できないのは、彼らの下で大地が動いたということだ。
(A)皮肉屋たちは、彼らの足元の地面が動いていることを知らない。
(Y)皮肉屋が理解できないのは、彼らがよって立つ地面が動いたということだ。
(M)我々を余りに長期間、消耗させた使い古しの政治論議はもはや適用されない。
(A)つまり、これまで私たちを消耗させてきた陳腐な政争はもはや当てはまらない。
(Y)長い間、我々を疲れさせてきた陳腐な政治議論はもはや通用しない。
(M)今日、我々が問うのは、政府が大きすぎるか小さすぎるかではなく、機能しているかどうかだ。
(A)私たちが今日問わなくてはならないことは、政府が大きすぎるか小さすぎるか、ではなく、それが機能するかどうかだ。
(Y)我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ。
(M)家庭が人並みの収入を得られるよう仕事を見つけ、威厳をもって引退できるよう助けているかどうかだ。
(A)まっとうな賃金の仕事や、支払い可能な医療・福祉、尊厳をもった隠退生活を各家庭が見つけられるよう政府が支援するのかどうかだ。
(Y)家族が人並みの給与の仕事を見つけたり、負担できる(医療)保険や、立派な退職資金を手に入れることの助けに、政府がなるかどうかだ。
(A)答えがイエスならば、私たちは前に進もう。
(M)「ノー」の施策は廃止する。
(A)答えがノーならば、政策はそこで終わりだ。
(Y)ノーならば終わりとなる。
(M)公金を預かる我々は、説明責任を果たさなければならない。適切に支出し、悪い習慣を改め、誰からも見えるように業務を行う。
(A)私たち公金を扱う者は、賢明に支出し、悪弊を改め、外から見える形で仕事をするという、説明責任を求められる。
(Y)公的資金を管理する者は適切に支出し、悪弊を改め、誰からも見えるように業務を行う。
(M)それによって初めて、国民と政府の間の重要な信頼を回復できる。
(A)それによってようやく、政府と国民との不可欠な信頼関係を再建することができる。
(Y)それによって初めて、国民と政府の間に不可欠な信頼を回復できる。
(M)市場が正しいか悪いかも、我々にとっての問題ではない。
(A)市場が良い力なのか悪い力なのかも、問われていることではない。
(Y)問うべきなのは、市場の良しあしでもない。
(M)富を生み出し、自由を拡大する市場の力は比肩するものがない。
(A)富を生みだし、自由を広めるという市場の力は、比類なきものだ。
(Y)富を作り自由を広げる市場の力に比肩するものはない。
(M)だが、今回の金融危機は、注意深い監視がなされなければ、市場は制御不能になり、豊かな者のみを優遇する国は長く繁栄することはできないことを我々に気付かせた。
(A)しかし、今回の(経済)危機は、市場は注意深く見ていないと、制御不能になるおそれがあることを、私たちに思い起こさせた。また、富者を引き立てるだけでは、国は長く繁栄できない、ということも。
(Y)だが、今回の(経済)危機は、監視がなければ、市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。
(M)我々の経済の成功は国内総生産の規模だけでなく、繁栄が享受される範囲や、望む人すべてに機会を広げる能力にかかってきた。
(A)私たちの経済的な成功は、国内総生産(GDP)の規模だけではなく、繁栄がどこまで到達するかに常に依存してきた、つまり、意欲のある人にどれだけ機会を広げられたかだ。
(Y)我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。
(M)慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。
(A)慈善心からではなく、それが、私たちの共通の利益への最も確実な道筋であるからだ。
(Y)慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。
えーと…なんか
ここら辺が男性的だなーと思った。個人的にはさらに人生が複雑化するという印象しかないのだが。
複雑化する中で簡単には降りれないという心理的ストッパーとそれを支える信頼関係というのが存在するとは思うが足場はむしろぐちゃぐちゃになるんじゃないかね。逆説的だが。
個人的には同棲の方が、些細なすれ違いや違和感やをいざとなったらわかれればいいやというので見なかったふりをしがちなのであまり良いものとは思わない。きっちり期間や目標を決めていつまで、とするならいいけどさ。
人それぞれ結婚に対する考え方も同棲に対する考え方も違うんだからこういうのって言ってもしょうがないと思うんだよなー。経験談でこういうところはうまくいったこういうところはうまくいかなかったっていうのはわかるんだけど。こうしたいああしたいと言ってる未経験者は見守るしかないんじゃないの?特に子供に関しては女はタイムリミットがあることを知ってるから落ち着いてからなんていわないよ。だいたい子供は授かりものだし。
あーあと必ずしも奥さんが専業志向である必要はないよね。最近話題になった離婚への序章の話もそうだが夫と妻で家庭を作っていこうという意思を持ってりゃ崩壊しないための話し合いはするさ。同棲のままのつもりでいるとすれ違ってく一方だけど。
・中学校2年まで、母親に近親相姦(軽度)されていた。俺はノンケな男。
・小5から高1入学まで、周りに日本人がいない英語圏に放り込まれてたこともあって、母親のいっていることは特に疑わずに信じていた。
・最初は摩擦がすごかった。カルチャーショックかと思ったけど、母親に都合よくゆがめられていた世界の解釈がおかしいということだったんだろう。
・母親によって作られた人格は母親のit、マリオネットにしかならないことがわかった。
母親を信仰する、母親による、母親のための、家庭内宗教。 そんな感じ。
・なにかがおかしいとはカルチャーショックとして捉えられてはいた。
・母親に育てられた人格は到底役に立たないばかりか、僕を原理主義的な行動原理に拘束する有害なものだととらえるようになった。
だから人格を作り直すことにした。 徹底的におかしいところを列挙して槍玉に挙げてもらうようにする。
たとえば高校では母親を騙して寮にはいった。「勉強したいから」という口実にした。
内心、母親原理教から抜け出すことは、勉強以上のプライオリティだった。
自分で、自分が再洗脳されるようにする。 毒をもって毒を制し、その上に健全な人格を作る。
旧人格を徹底的に潰す。 「殺す」といってもいい。
・・・・この計画は成功した。僕はもう、毒親のマリオネットではない。
・・・ただ、「毒親」が理由になっていることを認識すること、言語化してそれを捕らえることは一番難しい課題だった。
僕は母親が気に食わないであろうことをすることを本能的に恐れてる。 言語化しようとしても、怖くて怖くてたまらない。
だからいつも、別の口実をつくってきた。
旧人格を壊してる間のダメージは相当なものだった。 2年で、35キロやせた。
その間は勉強はまったくできなかった。 ・・・そのときは、自分の内面的な課題に向き合うのに精魂を使い切っていた。
外界に、他人に、向けるエネルギーは残っていなかった。
うつ病なのかと思った。 抑うつではあるけど、うつ病かははっきりしなかった。
ふとした理由で、「毒になる親」という本に出会った。 ありがとうはてな。
それまでは、もっともらしい理由を見つけないといけなかった。
母親に性的なあれこれや、盛大に釣られて手のひら返してもてあそばれたりしたことが、今の僕を苦しめているのだと立証するすべがない以上、それを口実にはできなかった。
「毒になる親」にはチェックリストがあった。 ほぼ全部YESになってしまって、うれしかった。
これで、僕が抱えてる問題を他人に知ってもらうことができる、と。
・・・・他人に知ってもらう。 信頼関係を築く。
この本を使えばできるかもしれない。 涙が出るほどうれしかった。
少なくとも、親との問題を言語化する糸口が見つかったように思えた。
この本曰く、「常に親の都合やニーズが子供のそれより優先する自己中心的な人間で、愛情というものが決定的に欠けている」ことは、欧米では虐待とみなされるらしい。 20年以上前から。
一方、日本では専門家ですらこの「毒親」に抵抗を示す人が少なくないらしい。 この本の訳者あとがきが正しければ、日本は虐待への認知にかけては後進国らしい。
・・・僕は喜怒哀楽の一部が欠けてる。
喜ぶこと、自分を表現すること、リラックスすること、素の自分を他人にさらすことがどうしてもできなかった。
「公私」の「私」がなかった。 ・・・マネはしてたけど。
・・・いつもいいようのない虚無感と、フラストレーションと、恐怖感に襲われていた。
それは家庭で、母親にも父親にも、怖がること、従うこと、イェスマンになること以外のことをしてこなかったからなのかもしれない。
・・・昨日初めて親しい友達に、「毒親」を中心とする僕の問題を打ち明けた。
・・・友達って、顔色を伺って普通を演じるだけの関係ではなかった。
・・・一般概念的にそうだと認識できていたけど、自分の身でそれが起こるなんて。
初めて、人間と話したような気分だった。
・・・・夜明けは来るだろうか。
・・・自分の子供には、「ふつう」になってほしい。 代々続いた虐待の連鎖は僕が断ち切る。
・・・・僕ができることをしっかり検証して、これから自分の人格を取り戻していこうと思う。
◆追記
この本のいっていることをいえば、「育てられ方が悪かったことに関しては、子供は一切責任を負わない。」
親のせいにできることもある。
それは、心のケアを怠ったことも含む。 虐待というのは、アザが残るような暴力に限らない。
ただし、「真実に向き合い、精神的に独立した人間になり、親が自分にしたことを他人にしないように身を律すること/健全な対人関係を築くこと」は自分でやれ、といってる。
そして「適切にサポートし援助してくれる人を見つけること」。 こういうことが、この本の12章に書いてある。(青い表紙の文庫版のほうで確認)
日本にはおそらく、毒親によって潰されている人がたくさんいると思う。 僕の先輩はその典型だった。
日本は・・特に儒教の影響もあって、立場が強い人に対して矛先が向けられることがあまりない。
つまり、親に問題があるなんて言論は社会的に避けられやすい。
欠陥育児の非を「自己責任」という論説で子供に押し付けるのは、日本の限界なんだとおもう。
大切なのは、育児が子供に何を残したかだ。 親の意思、意図、愛情とはまったく関係なく、親は毒親たり得る。
有害な善意ほど恐ろしいものはないっていうしね。
子供側は、自分の潜在意識にたまってるかもしれないフラストレーションに向き合えばいいとおもう。 それはとても恐ろしくて、心が折れそうになることだけど。
まず、本人が親に立ち向かう決心をしなければいけない。
なんでもかんでも親のせいにしろというわけではない。
「育児」には良し悪しがある。 それによって責任の所在が左右される。
自己責任論で苦しんでる人は、一度自分と自分の過去に向き合ってみたらどうだろう。
この本を持ち上げすぎてる気はするけど、僕は問題を言語化する取っ掛かりを作るのに
http://www.amazon.co.jp/dp/4062565587
この本が役立った。 お勧めしておく。
◆追記その2
読みやすくなるようにちょっと補足いれてみた。
書籍について。
「不幸にする親」という姉妹本を読んでみた。 こちらの方がチェックリストが多いし、うまく整理されているように感じた。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062144484
どんなものかを理解するには「毒になる親」がいいと思うけど、抱えている問題を言語化するツールにするにはこちらの方が便利だと思う。
みんな、健やかに生きれるようになったらいい。 そう思った。
◆後日談(随時追加する予定)
○毒親のいとおもしろし国語力測定 (前編)
http://anond.hatelabo.jp/20090118194006
コメントもらって元気が出たので文体が変わっています。
http://anond.hatelabo.jp/20090110191238
間違いなく、今ある環境に満足いかないからやめて次の環境に移る、の繰り返し
になる。
自分=男30、小学、中学、高校での、いじめられたというか、周囲とうまく行か
なかった経験あり。友達との写真が少ない、修学旅行のときの同じ部屋になれな
い、そんな経験多々あり。
でもその経験から考えると、いじめそのものの行為はNGだとしても、いじめられ
る理由は必ずある。自分もそうだった。ちょっとした見栄、嘘、集団行動につい
て行けないなどなど。運動できなくても、ブスでも、太っていても、いじめられ
ない奴は、いじめられない。
大切なのは、いじめられている原因を自ら認識し、部分的であれ解決すること。
もちろんそれには、カウンセリングだったり、親や周りの信頼関係だったりが必
要だけれど。最終的に解決できるのは自分。自分で解決できなければ、また同じ
「逃げ」の手段に頼るようになる。
物理的にある程度、身の危険を感じるようになるまでは、親は立ち向かう手助け
をしても、逃げる手助けをしちゃいけないと思う。
前からわかってはいた。母親の仕掛けてくるあれこれに翻弄されて心を病みながらもそれを認められずに生きてきて、去年の夏やっと病名がついた。ほっとしたというよりも恐怖だった。
医者がずいぶん前からかかっていたようだと言った時正直やっぱりなと思うのと同時に安堵した。よく頑張って普通の生活を送ってきましたね、ともいわれた。考えてみれば心を病みながらも大学入試を乗り越え、大学を卒業しようとしているのだから心の病にかかってるとは言い難いのかもしれない。自分ではよくわからない。ただ、母親の存在が自分の毒になっているということがはっきりしたことだけが嬉しかった。
考えてみれば、母親とはまともな会話をしたことがない。いつも物の置き方や歩き方、扉の締め方で機嫌を伺っていた。突然スイッチが入るのだ。それは例えば、あのころはまだ小さかった妹が粗相をしたとか、皿を割ったとか、あるいは父親がへまをしたとかそういう負の原因の矛先が自分に向いていることもあった。たとえば運動会で一番になれなかったとか、マラソン大会で後ろの方を走ってたとか、勉強しているとかそういう自分に原因のある場合もあった。あるいは表情が変わらないとか、びくびくして隠れてばかりいるとかそういう環境による原因から来た自分の状態を責められることもあった。時には鍋が焦げ付いたからとか買ってきたものを間違えたからとか庭の植木の剪定がうまくいかなかったからとかそういう母親のミスが原因でスイッチが入ることもあった。いつどこでどういう風にスイッチが入るかはわからなかった。とにかく機嫌が悪ければ、自分に矛先が向いた。うまくことが収まらなければ、ちまちまとためているお小遣いを没収されたり、教科書などの学用品を捨てられたり、あるいは着の身着のままで追い出されたりもした。折檻も受けた。いまだに残っている傷跡もある。でも一番きつかったのは給食費や修学旅行費などの学費を出さないと言われることだった。それが一番弱った。
スイッチが入っていなければ普通の、ごく普通の家庭だったと思う。大学にまで行ってるのだから、と人は言うからおそらくは幸せだと考えなければならないんだろう。感謝しなければならないんだろう。そうずっと思ってきた。
学費のことはよく言われた。困らせようとしているのはある程度大きくなったらわかっていたが、しかし実際困った。中学を卒業してしまえば、金を出さない働けと言われてしまうとそうするほかなかった。そうしなければならないんだろうと何度か学校をやめようとしたこともあるが、そのたびに誰かに止められた。先生だったり友達だったり、恋人だったり。お金を出してあげるからと言ってもらったこともある。金を出さないという脅し文句は一番卑怯で最も子供に言ってはいけないことなんだから自分が悪いと思う必要はないと諭してくれた人もいた。その中で毒親という言葉を知り自分の母親がそうであるということも理解した。
よく考えてみれば、何を言っても言い訳になるようになっている。うまいこところころと人の発言を自分の思う通りに解釈してそれを掲げて人を糾弾するのが得意な人だ。自分が悪いような気がしてしまう。誰かを責めるためなら直前にいったことと180度逆のことも恥ずかしげなく言える人だ。しかしそれはうまくコーティングされて、それが正しいような気がしてしまう。そういう能力に関しては長けている人だ。生きてきた年数分うまいのだろう。
去年の夏ごろ、父親が病気になった。体に多少不自由が残っているが、自分で身の回りのことはできる。思うように動けないせいかややひがみっぽいことを言うことが増えたが、命に別条はない。父親も被害者のようなものだった。昔はそうでもなかったような気がするのだが、最近は呆けたような顔をすることが増えた。長年人格を否定され罵声を浴びせられ続けるとあんな空虚な顔になるのだろうと思う。その父親を母親は親の敵のように嫌っている。いや、母親が親に恩など感じているわけがないし自分でもそう言っているのだから、犬猿の仲とでも言えばよいのか。物心ついた時には母親が父親をいつものやり方で責め立てているのが日常の風景だった。
正月、正直実家に戻る気にはなれなかった。卒論もあるし、家に帰ったらそれどころではなくなるのはわかっていたのだ。でも帰らなければまたうるさいということもわかっていた。最大限の妥協をして年末の数日実家に帰り年が明けてすぐ下宿先に戻ろうと思っていた。でもやっぱりそうは問屋がおろさなかった。
愚痴を聞くだけなら、かまわなかったのだ。病人を抱えていればそれなりにたまってくるものはあるだろうということは簡単に予想できるから、それを聞くのはやぶさかではないと思っていた。忙しくてあまり帰らず申し訳ないとも思っていた。夏はちょうど私自身も心を病んでいてどん底にいたのであまり父親の病気には関わらなかった。関われなかった。それでもできる限りのことはしようといろいろしたのだ。しかし、それが足りなかったらしい。まずその不満からだった。母親は自分のしゃべっていることでどんどん興奮していくたちなのでなだめながら聞いていたが、でもやっぱり駄目だった。父親に向けられなくなった分こちらに向かってくるエネルギーがすさまじかった。私は疲弊した。そんな私を好きなように攻め立て、あらゆる事実を捻じ曲げ、母親は私を糾弾した。薬をいつもより多めに飲んでもそれでも駄目だった。気分が落ち込んでいくのは止められなかった。そんな私に母親はあんたの性格が悪いから病気になるんだといった。薬を飲むのをやめろと言った。医者なんか信用するなと言った。そして、その医者はあんたの好みなのかと聞いて嗤った。それでもおさまらなかったらしく、離婚してやると喚いた。離婚して父親の面倒を押しつけてやるといった。離婚したら結婚も難しくなるあんたはみかけもたいしてよくないし、と言った。父親の面倒をみたら仕事にも支障がでるだろうねと笑った。親が離婚していてさらにその親の介護をしているあんたは嫁にいけないよと言った。仕事にも集中できないから貧しい暮らしになるに違いないと言った。そういいながら笑った。ずっと私は正座し黙っていた。10時間。ひどい正月だった。卒論は進まなかった。たぶん留年すればいいとでも思っているのだろう。そういう人だ。留年したら就職は難しくなるから、これからも矛先を向け続けることができるし、そして逃げ出せなくなるとわかってやっているのだ。わかっていた。だから黙っていた。もう何度死んでくれたらいいのにと思ったかわからない。頭の中でぐるぐるとどうやって殺してやろうかと考えていた。そう考えるだけでずいぶん楽だった。どうやって苦しめてやろうかと考えていた。静かな気持ちになれた。
母親は私を捨ててやるとよく言った。母親は私を不幸にできることを信じて疑わなかった。子供のころはそうだった。しかし、いつまでもそうではないのだ。私は卒業し、就職したら母親を捨てるだろう。徐々に不自然でないくらいゆっくりと捨てるだろう。性急になってはいけない、勘付いて何もかも元の木阿弥になってしまう。母親は困らせればすがりついてくると思っている。またいつもの手を使って絡め取ろうとしてくるに違いない。だが、私は捨てるのだ。なにもかも。親もきょうだいも何もかも捨てて過去は断ち切るのだ。まともな生活を普通の人間関係を、得てもいいといろんな人が言った。幸せになっていいんだとたくさんの人が言った。母親が私を評したのとまるで逆のことをいつも他人から言われる。居場所を奪わない人がいる。失敗したら許してくれる人がいる。泣き言を言っても聞いて慰めてくれる人がいる。怒りを向けてもそれを受け止めてくれる人がいる。私のことを思い、傷つかないように言葉を選んで忠告をしてくれる人がいる。世の中にはそういう人がいてそういう人たちにたくさん助けられてきた。普通の、ごく当たり前のこと、そういう幸せを私に与え、私が差し出すものを受け入れてくれる人がいることを私は知っている。ふつうになりたい。いつも切望している。
追記:
わわわ、ありがとうございます。がんばって逃げます。
icloud 幸せになってほしい。あまり大きな声でいえないけど、計画がうまくいくといいな・・ ・・・・・ところでうちの母もこのような感じ(ここまでではない)のだけど・・・病院につれていってみるかな・・
残念ですが毒親本人はおそらく病院に連れて行ってもせいぜい境界線人格障害と診断?される程度じゃないかと思います。それだったら距離を置いてしまうのがよいのでは。程度によりますが少し距離を置いた方がうまくいったり環境を変えることで寛解することもあるらしいです。
お母様が毒親に苦しめられているということだとしても病院は病気になってる人しか助けられないので病名はつけてくれるかもしれませんが原因が取り除かれないことには…。穏やかな日々が来るといいですね。がんばりましょう。
私が飲んでるのはデパスじゃなくてリーマスなんですよね…正真正銘メンヘラです。はぁ。でもたぶんきっと本当に必要なのは、薬じゃなくて簡単になくならない信頼関係なんじゃないかと思うのです。たとえば私は無自覚に誰かを傷つけたり怒らせたりすることはあるわけだけれども、そういう状況になった時にあぁ生活すべてがめちゃくちゃになるこれで何もかも終わりだっていう絶望感にとらわれなくてもよい、という思えることが本当は必要なんです。そういう信頼関係が築ける相手がいることが必要なんです。対立しても怒らせても、ちゃんといいたいことは言って嫌だと思うことは伝えて、そういうことができる関係というのが。
母親は自分の存在を確かめるために、自分が必要な人間だと思われているということを確認したいがために私を使ってきたわけで、私はあくまでも母親の自尊心を確保するための道具だった。必要な道具だったからそこにおいていただけなんですよ。私じゃなくてもよかった。ただちょうどよかっただけで、そのために手入れもしたんだろうし金もかけたから手放すのは嫌なんでしょう。でももし代わりになる道具がでてきて私が必要なくなれば簡単に捨てるだろうってことを私は知ってる。
道具が持ち主を愛さなきゃいけないんでしょうか。しなくてもいいですよね。理解すらしなくていいと思う。泣かせてもエグいとすら最近は思わないです。やりこめることはできる(そのあと包丁が出てきたりとか面倒なことになるので避けることが多いですが)。だって私は道具だし。都合のよいように使えなかったから泣いてるだけでただの子供なんです。あの人は私にとって脅威ではない。ただの面倒な子供で、縁を切ってしまいたい。でもあの面倒な子供は生きてきた年数分だけ聡く狡賢いやり方を知って、攻撃力は半端ないし、私も痛いのは嫌だし職や住まいや恋人を奪われるのは嫌なので空気のように消えていくしかないんだと思います。中途半端はよくない。やるなら徹底的に消息を絶たないと、たぶんいろんな意味で殺されるから。
まあ、「気の置けない仲」というやつか。
彼は突発的に自分やその関係者をネタにした「業界裏話」的なおまけページを載せる人なんだけれども、俺が自分の近況を面白おかしく話していると彼が「いいんすか増田さあん、今度それをネタに描いちゃいますよお?」と訊いてきた。酒の席で彼の口癖のようなものなので「別にいいよ知られて困るもんでもないし(笑)」と軽口を叩いてその日は解散。
1、2ヶ月後、彼の掲載誌におまけ漫画が数ページ載り、俺の事(やる気のなさ過ぎる伏せ字で俺のペンネームだと丸わかり)がネタとして描かれていた。「あんにゃろ、あの事を覚えてやがったな」とニヤニヤしながら読み、後日彼にメールで「仕返しに俺も来月号で、お前にそっくりなキャラを登場させて速攻で悲惨な死に方をさせてやるw」と送っておいた。名前も当人のペンネームを外国人風にもじったものにして、登場から数コマで惨殺される哀れな一般人役として彼に死んでもらった。ちなみに担当さんによると、2chあたりでそれに気づいて「二人は仲が悪い」と勘違いする人が多少出たらしい(笑)。
ともかく、こういう「業界裏話」系の漫画ってのは、ネタにする側とされる側に相応の信頼関係が無いとうまくいかないよね。当人から直接聞いた話と真偽も定かではない伝聞情報では、やっぱりページから感じる印象が違う気がする。
ところで、前述の彼とは別人で俺とは全く面識の無いある人も、別雑誌で似たような漫画を描いてらっしゃるんだけど、俺をネタにするのはともかくネタ元が明らかに俺のブログなのはちょっとどうかと思った。それ全然「裏話」じゃないじゃん!って。
しかもネタ元は相当に誇張した部分なのに、あたかも事実であるかのように描いちゃってるんだからやりきれない。当時からさかのぼること一年ほど前にある商品を間違えて2個立て続けに買ってしまった話で、「この調子だと数年後には数十個が自室に並んでたりして」という風にオチをつけだだけなのに、その人の裏話では既に10個以上購入済みって事になってるんだよね。こないだその人の掲載誌の関係者と会ったとき「あれを10個以上買ったって本当なんですか?」とか訊かれて思わず苦笑してしまった。
○○先生、そっちに移籍するまでに頑張って買いそろえておきますんでご期待ください。
元増田です。
いろんな意見があるけど、100人以上の人がこのエントリに興味を持ってくれたってのは、すごし嬉しいし、励まされたし、闘っていこうと心底思った。
はてブってネガコメの巣窟みたいなイメージがあったけど、真逆で、元気玉みたいだな。
しんどくなったときに、読み返すよ。
はてブの人たちに返事してみた。
お前、本当にいい奴だな。僕から助言できることは何もないが、こういうときこそ楽観的に振る舞ってほしい。/このエントリがホッテントリ入りすれば、有効なアイデアを持った人と巡りあえる確率も高くなるかも。
悲観してもしょうがないからね。どんなときでも、ジョークを飛ばすことを忘れないようにしたいよ。
とりあえず何もわかってない状況なので、確認してから行動するよ。
足だけならデスクワークでなら食えるようにはなると思う。だから増田の考えてることは凄く正しい。まずは症状と本人の意志の確認から、聞けないではなくてマジデそれからだ。選択肢を示してあげると良いと思う
通勤できるかとかもあるから、本人の意志を尊重しながら決めていくよ。
まずは状況整理、情報集めて冷静に対処しないと。今の立ち回りに失敗すると妹さんや親との信頼関係にも影響する。こういったときのことって忘れないからね・・
親との信頼関係はまったく考えてなかったw
別に何があるってわけではないが、親とはあんまり仲がよくないというかなんというか・・・。
まあ、親が安心して死ねるように、これから頑張っていくよ。
俺が出来る親孝行はそれくらいだろう。
障害を抱えているのは彼女であって君ではない。どうやって生きていくのか考えるのは彼女の仕事。身内の障害を理由にあなたが何かを諦めることはない。ええ、うちにも二人いますよ。
妹の意志は当然尊重する。ただ、俺は俺でいざとなったら支える状況を作っておいてあげたい。
世間の障害者への理解って、どんなもんなんかな。
もし俺に彼女ができて結婚することになったら、事前に「親もだけど妹の世話をすることになるかもしれないよ」って説明する。
親も死んで最悪ヘルパーとか頼めなくなった時に、俺が妹の下の世話をするわけにもいかんだろう。
その場合は嫁さんに頼むしかなくなる。嫁さんからしたら、言い方は悪いが結婚するリスクが高いよね。
まあハードルが高くなる分、心根の優しい嫁さんと出逢えることになるんだろう。
僕の弟は歩けないし妹はフリーターだし僕自身も普通の会社員だけど、僕の彼女はとても理解のある人だし、飯トイレ風呂に移動に病院に遊びに、挫折したことはないよ。とマジレス
ありがとう。参考になる。
俺も障害者の友人がいるし、テレビなんかでは障害者の生活やらを見たことはあるけど、
俺も理解のある彼女を見つけたいよw
実は意外に身近な話なんだよね、こういうの。 そういう事態にならないと気づかないかもしれないけど。 / 団塊世代が高齢化したらあちこちで悲鳴があがるだろうなあ。
でもここに書いて、みんなに読んでもらったおかげで、だいぶ励まされたよ。
まずはこの辺からか。チェックしているとは思うけど。http://www.syougai.jp/
親が健康なうちに、やる気があれば実家をでて二人で仕事をするスタイルを確立したほうがいいと思う。君が背負っている仕事の苦労を魅せて(見せて)あげるべきだ。
そうなんだよね、親が生きてるうちに、なんとかしないと。
妹は実家で、俺は一人暮らしだから、その辺をどうするかなんだよな。
通勤の問題もあるし、俺、車ないし。
幸運なことに、妹とは仲が悪いわけじゃない。
これで仲が悪かったら怖いよね。支えるものも支えられなくなる。
以前車イス生活の障害者にPC操作を教えるボランティアをしてたが、最も差が出るのは結局興味を持てるかどうかだった。仕事目的で入るよりウェブに係わること自体を面白いと思えれば、それが生きる目的にもなりえる
パソコンなんて、特に興味もてるか・もてないかは重要だからな。
インターネットって、障害者にとっても(むしろ障害者だからこそ)すごい便利だし、
買い物したり調べ物したりするだけじゃなくて、メシを食うための道具にもなりうる。
妹にその意志があるなら、そのノウハウを教えたい。
重傷筋無力症とかが原因だったら、病状が進むと足だけでなく全身が動かなくなっていく。PCの操作すら。まずは、病状の把握と、妹さんの意思の確認からだな。あと、障害者支援制度の詳細な調査。
そう、今後、病気がどうなるかが怖い。
とりあえず実家帰って、いろいろ確認してくるよ。
精神的な事からくる障害だとしたら、いいんでない。働かせてみれば。
もっと笑える話だと期待したのに…
バーロ??、オチで笑えるだろ?
・・・え、おもしろくない?失礼しました・・・。
ただ、障害者だからって投げやりになって、クズみたいな人生は送ってほしくない。「心の障害者」にはなってほしくない" / 僕の姉が先天性の障害者だったから言うけど、あなたのこの一文完全な差別発言だよ。
配慮に欠いた発言だった。謝る。ごめん。
こういうとき年金は大事だからみんな払うんだ。配偶者の親族の扶養義務は無かったはず⇒「もしかしたら俺の嫁さん、俺が死んだら俺の妹の面倒みなきゃいけないの?」
年金大事だねー。
義務って、法律的な問題じゃなくて、生活レベルの問題で。言い方は悪いかも知れないが、世間体的なものもあるだろうし。
親も死んで、妹と俺・嫁が同居してたのに俺が死んで、
最悪ヘルパーとか頼めなくなったら、その場合は嫁さんに頼むしかなくなる。
はてな書き込む暇があったら、妹と今後のこと相談しろよアホかこいつ。具体的なことが何も「判って」ないじゃないか。
アホですが何か。
でもおかげさまで少し冷静になれたし、みんなにも励ましてもらえて前向きになれた。
書いて良かったよ。
ガノタは死ぬべきだね。 > 『・・・祖母が亡くなったが、死んだ方が楽だ。残酷なくらいにそれは真実だ。』『「足なんて飾りですよ」だ?だったらお前の足、俺の妹によこせ馬鹿野郎。』
後者はもちろん知ってていってるけど、前者もガンダムにそんなセリフあるの?知らなかった。
心配してもしょーがない。自分自身でいえば、日々の生活習慣に気をつけるくらいか。
あとは人に親切にしておけばいいんじゃね?親切は回り回ってくる。
“なんでこうなるの?って。 妹がなんかした?って。”これは本当にそう思うときがある。周りの人間によって少しでもフェアにしてあげるしかない
フェアにできるよう、がんばるよ。
http://www.nanbyou.or.jp/top.html 病によっちゃ公費が出ることもある
妹に確認して、調べてみるよ。
まさしくそうだね。
一歩身を引いて家族や身寄りが一人もいない人、妹がいない人、妹を失った人のことも考えよう。そういう人から見れば、足が動かなくても妹という肉親がいるというだけでとても幸せなことだ。
敢えていうが、いない方が幸せだってこともあるんじゃないか?
俺は他人と比較しないで、自分が幸せだと思えるよう努力するよ。
幸せは第三者の不幸を元にしなくても成り立つ。
他人の不幸との差分はただの卑しい安心感だ。
やれやれ タイトルだけで読むに値しないシロモノであることは明白。どんな問題も自分とは無関係だと思い込み、差別感情を「あたりまえ」に保持してきた人間にかける言葉などない。
やれやれ だから取締役という立場を離れて発言しちゃう人が出るんだよ。
ところで君は自分や家族が障害を負うことがあるっていう覚悟はできてるんだよね?
アホみたいに増田で書いてる場合なの?
場合でした。おかげで励まされた。
別に一刻を争うわけじゃないからね。
まあアホっぽかったのは正直反省している。
うちの妹もニートさんだわ、甘やかしてるのは良くない。
こればかりは実家の親に文句言いたいねー。
まあ妹もそれなりにバイト探してたりはしたみたいだけど。
まさか障害者になったときにまでマイナス面があるとは思ってもなかった。
興味持ってもらいやすいタイトルにしたんだけど、悪ふざけが過ぎたかもしれない。ごめん。
笑いは差別でもあり力にもなる
まさにそうだね。
できれば俺のくだらないジョークが笑えますように。
妹が、足が悪いことをネタにできるくらいタフになれますように。
逆境こそ最高のネタだと思う。笑い飛ばすことで、立ち向かう勇気になる。
http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20081231/1230669464
受け入れてくれるだけでも、すごい励まされる。
外野は何もしてくれないよ。逆に僕も、外野の立場になれば何かしてあげたくても何もできない。人からの声って、自分の死角に気づかせてくれる点は活用しつつ、人の口に戸は立てられない部分はスルーするのがいいんじゃないかな。
妹というフィルターを通すことで、たぶん人を観る目が養えると思うよ。
「腹減ってる人に魚をあげるより、釣りの仕方を教えてあげれば一生メシが食える」って言葉が好きなんだ。
「障害者」だからってまったく働けないわけじゃないし、何もしないで家の中に閉じこもったまま一生を終えるのも酷だ。
逃げてもしょーがないし、逃げ場ってあるの?逃げたら将来もっと悲惨なことになるしね。
妹の方が逃げられるもんなら逃げたいだろう。でも俺が逃げたら、妹はどこにも逃げられない。
だから妹が望むなら、俺が得たメシ食う術を教えたい。
今回妹の病状もまともに知らずにアホみたいに増田に書き殴ったみたいに、またなんか困ったことあったら相談させてもらうよ。
http://d.hatena.ne.jp/sussy/20081231
だいたい800??1000万くらいの年収があると法人化するメリットがあるんだけど、現状そこまでいってないorz
だからおっしゃるとおり、
がんばっちゃるぜ!
自分の友人は役職者の秘書として勤めはじめたのだが、最近話を聞いていると、なんだかなーと思うことが増えてきた。
友人は上司に非常に気に入られているらしく、確かに自分も話を聞くかぎりでは有能な部類だとは思うので、評価されるだろうということは想像がつくのだが、最近なんとなく話を聞いているともやもやするのだ。
友人の上司は褒めて伸ばすタイプではなく叱り倒して伸ばそうとする人間らしい。聞いているととても周囲に対して厳しい人間のように思える。そしてどうも社内では自分の部下について、「A男はこういう点でだめなやつだ」「B子はこれができれば一人前だがまだまだだな」といった発言を繰り返すらしい。
はじめ話を聞いていた頃は、自分の上司はこういうことがあって部下に対して苦労している、だとか、こういうことのできる部下が少ないから大変だ、という「上司労りバナシ」だったのだが、最近は、友人自身が、「A男はこういう点で使えない」「B子はもっとこうすればいいのにバカなやつだ」という言い方をするようになってきた。
一緒に秘書業務をしている人間のことも混じっているので、一概には言えないが、なかには外回りの営業職の人間の話もあり、ときどき、「おいおい、お前そいつと一緒に仕事したことあんのかよ。実際にそういう態度を見たことあんのかよ」と突っ込みたくなるのだ。
たとえば書類の提出期限を守らない、と言う話なら、秘書にも関係のある話なんだろうから、上司と一緒になってソイツのことを言うのもわかるのだが、「あいつは客先でもへらへらしてるからだめだ、クビにしたほうがいい」だとか、「外回り中にだらだらしているから仕事が終わらないんだ」などと言う。何かクレームが入ったりしたのかと詳しく聞けば、すべてが上司がその部下を叱責するときに、「こういうことができていないということは客先でもへらへらしてるんじゃないのか、それじゃだめなんだぞ」とかそんなふうに言った内容を受けての発言ばかりなのだ。
確かに友人は役職者の秘書だが、それは部下にとって上司と同位なのだろうか。上司の代理人としての側面も仕事のうちだとは思うが、なんだか違うところまでいっしょくたにして仕事をしているような気がする。
要するに、一言でいえば聞いていてあまり気持ちのいいものではないのだ。
さらに、時折、「あいつはこうでこうでダメなやつだから、今日外回りのとき電話がかかってきたので、バカはちゃんと仕事をしろと言ってやった」だとか、「残業の多いのがつらいなどと甘えたことを言うから、甘えていないでもっと休み無しで働けと言ってやった」とまで言うようになった。自分はその部下たちを実際に知っているわけではないのでなんともいえないし、庇える材料もないが、なんだかんだ聞いている話のなかでは上司と部下はそれぞれうまくやっているらしいので、彼らのなかではコミュニケーションのひとつとして流されているのだろうとも思う。しかし自分が聞いている限りでは、あくまでもそれは上司と部下たちのあいだの話であって、友人と部下のあいだに信頼関係があるのかといえば微妙なところだ。逆に、実は友人は部下たちには嫌われているのではないかとさえ思える。さらに、別な部署の上司たちとも仕事がら親しくなるため、自分の所属する部署以外の人間のこともあれやこれや、その他部署の上司に進言しているらしい。
友人は果たして、その上司が居なくなったらその会社でうまくやっていけるんだろうか。あるいは、別な会社ではちゃんと働けるのだろうか。
これをうまく伝えられない僕自身も相当なへたれだと思うし、これで友人などと書いていいものか悩むところもあるが、すべてが虎の威をかる狐の話に聞こえてならない。友人の言葉は部下たちにどのように響いているのだろう?
長くなって申し訳ない。
でももし、自分が、上司の新参秘書にバカだとか使えないだとか言われていたら、気持ちよく働けるだろうか?
最近考え込んでしまうのだ。僕は考えすぎているのだろうか。ちょっとした酒の肴めいた誇張話なのだろうか。友人の今後がどうなるのか、気になってならない。
5年ほど前の話。
当時高卒で某大手アミューズメントグループに就職したのだけれど、当時の一期先輩だった男性の行動がいまだに理解できていない。
その先輩と言うのがいわゆる「天才」で、一度聞けばすぐ自分のものにできるし、頭の回転も凄く速くて「あいつが居れば何があっても大丈夫」とか入社二年目で言われるような人だった。
世間から見た業界自体のランクなんて下から数えた方が早いくらいだから、普通の企業に行けばこんなタイプの人はザラなのかも知れない。
それでも、当時高校を卒業たばかりで数百キロ離れた職場へたった一人放り出された無知で無垢な自分にとって、仕事やその職場内での人間関係は自分の生活の中でかなり多くの割合を占めていたし、その先輩の噂を入社してすぐに色々な人から聞いた自分は、すぐに「あの人凄い人なんだ」と思った。
その先輩は金払いもよく、年上のアルバイトを連れてご飯を食べに行ったり頻繁にタバコやジュースをおごったりと、上辺だけの信頼関係を築くのも上手な人だった。
そんな信頼関係でも、何か職場で嫌な噂が立ったときに真っ先に擁護される立場を作るには充分だったし、そんなボロは決して出さないような人だった。
配属されて数日?数週間?くらい経ったある日、私は同じ新卒(大卒)の女性と同じシフトに入った。
アルバイトより使えない、なまじ社員という立場だからと気を張っているから笑顔もぎこちない。
それはある程度自覚していたし、その女性も同じような感じだったと思う。
遅番の仕事が終わって深夜1時、私とその女性は先輩から飲みに行こうと誘われた。
教育係である女性の先輩に誘われたことはあったが、この人から誘われるのは初めてだった。
地下にある居酒屋チェーン店、そこは職場の飲み会でいつも使う所とは違うお店。
ちょっと暗い空気で店員の覇気や客入りも全然違う。
自分は確か律儀にジュースを頼んだと思う。先輩は私と女性の向かい側の席に座って、最初の飲み物も届かないうちに言い放った。
「はっきり言って、使えないよ君たち」
わかっていたけど、そうやって言われたのはやはりショックだった。
周りは優しく教えてくれてたし、多少のミスがあっても笑って許してくれていたからだ。
それをぬるいと思ったのか、単に自分が見ていてイライラしたのか、それはよくわからない。
とにかく当時の自分と女性はすっかり縮こまってしまって、飲みという名の説教を二時間ほど受けた。
今思い返しても話の大半は具体性がなく、「○○をもっと○○したらいいよ」と言ったアドバイスとではなく
「俺はもう今くらいの時期には○○ができてたからね」というもののだった。
それでも面と向かって自分達がいかにできていないか。という事を語られて、すっかり私達は凹んでしまった。
そして7月も終わりになろうかと言う頃に、その女性は退職した。
新入社員同士が同じシフトに入ることなんてかなり珍しかったので、結局その飲み以来あまり話もしないままだった。
ここまでの話であれば、ありがちな話だと、甘ったれていると思われても仕方ないと思う。
自分も同じような立場になってあまりに使えない後輩が入ってきたら、そういう場を設けてしまうかもしれない。
今思い返しても本当に理解できないことがある。
あの飲みから更に数週間ほど経った頃、私が一人で休憩をしていた時に仕事を終えた先輩が休憩室に入ってきて話を始めた。
「どう?(私)さん、もう慣れた?」
当時の私にとって、先輩の一言一言がプレッシャーだった。
できればあまり話もしたくなかった。単に凹むのが嫌だったから。
…凹むだけ凹ませて、それをどうやって挽回すればいいかこの人は全く教えてくれなかったから。
「はぁ、なんとか」
「ダメだよー。俺なんかさー…」
そんな感じの当たり障りのない回答をしたと思う。
いくつかのやり取りをして、彼はようやく本題。とばかりに私に言ってきた
「バイトのAさんって知ってる?」
知ってるも何も、うちの職場の2人しか居ない女性アルバイトの中で一番若く、一番可愛く、
チヤホヤされる事を当然と思っているようなタイプの人。今も壁一枚隔てたホールに居る。
ちなみに私は初対面の時、「ねぇ?天然なの?」と質問されて凄く困った覚えがある。
今でもどう返すのが正解なのかはわからない。
「Aさん、(私)さんのこと嫌いなんだって」
…流石に言葉を詰まらせた。
「で、○○くん(男性バイト)はAさんの事が好きだから、Aさんの犬みたいなもんだよ」
「…はぁ」
「彼女を敵に回すと殆どの男を敵に回すから気をつけてね。じゃぁ俺帰るわ」
「…お疲れ様でした」
どうやらそれは事実だったらしく、皆の居る前で「(私)さん社員だからぁ??。私達とは違うじゃん」
とか私は意味のわからない嫌味をよく言われた。
(好き嫌いは事実ではなかったとしても先輩の一言で全て悪い方に解釈してしまっていたんだと思う)
遠くの地でひとりぼっちで、上手に心を開くことも上辺だけの付き合いをすることも知らなかった自分は
胃炎を起こして、お金がなくて正露丸を飲んでは吐いてを繰り返した。それでトイレも詰まったりした。
辞めて田舎に帰らなかったのは、「それだけは負けを認めることになる」と思っていたからだと思う。
程なくして、そのAさんは店内の人間関係を滅茶苦茶にした挙句、辞めた。
先ほど出てきた男性バイト・社員・役職者に気を持たせ、一時期かなり険悪なムードになった。
誰にでも気があるような仕草を見せ、それでも自分は加害者になりたくないと言うように見えた。
先輩が言ってくれたから、身構えることができて私は辞めずに済んだのか
言われたせいで被害者意識ばかり強くなってあそこまで追い詰められたのか
自分でもまだよくわからない。
最もわからないのは、先輩が何故私にあんなことを言ったのか。という事
人間関係をAさんよりももっと上手なやり方でぐちゃぐちゃにして、第三者として楽しみたかったのか
無防備に見えた私に世間の厳しさを不器用なりに教えようとしてくれたのか。
彼の考えること、言う事は、私のような常人には理解しがたいようで
結婚して3年経った今でも、彼の思っていることの8割を私は理解できていない。
とかだったらオチがつくんでしょうけど、彼は転勤してすぐに会社を辞め、今パチンコで生計を立てているとかいないとか。
天才だから探そうと思えばすぐ仕事なんて見つかるんでしょうね。羨ましい事です。
「げんこで殴ること」程度でも容認されなくなったのは、これはもう不可逆な変化で仕方がない。背景には、「教師が学校の中で何をしているかが見えやすくなった」とか色々あるわけだが、そこで素朴に「親が教師を信頼しないのが悪い」と憤って見せても、もはや何の解決にもならない。信頼関係ってのは、正論や恫喝で得られるものではないわけで。
やはり、今こそ新たな枠組みが必要とされているわけで、その中にはもしかしたら「体罰を制度的に取り入れる」という選択肢もあるのかもしれない。しかし、あくまで制度として正当化を図るなら、それは教師の裁量で自由に振るえるといったものにはできないし、あってはならない。おそらく、仮に実現したとしても、体罰肯定派が望むのとはかけ離れたものになるだろう。
ある行動に対する評価がシチュエーションによって変化するなんてのは当たり前の話だ。
だから、「体罰を用いたほうが良い場合がある」とか「体罰を用いたせいでこんな悪影響があった」という個別の具体的なケースを持ち出したら、いつまで経っても決着がつくわけがない。
一方、一般論として日本は法治国家である以上、あらゆる暴力を用いた私的な制裁行為は、法の下で制裁を受ける可能性がある。学校も、法の支配を受ける空間の一部である以上、それは変わらない。
教師と生徒の間に確固とした上下関係、あるいはある種の信頼関係があるのなら、実際に訴追を受ける可能性は低いし、逆に道徳的な善を実践する素晴らしい教師として賞賛の対象になるだろう。しかし、それは完全に訴追を免れうるという意味ではない。
まぁ、己の信じるところをやればいいんじゃないだろうか。そのことと、体罰一般が道徳的に善であるとか、警察のお世話にならないことが保証される、というのは全く別の話というだけで。