はてなキーワード: ゼミとは
http://anond.hatelabo.jp/20091007004822
あ、すいません。元増田です。
そこで言いたかったのは
「恋愛やら何やらじゃなくて、まず今の私に必要なのは脱非コミュだ!!ヽ(`Д´)ノ」
という話。オタクは脱せませんが。
バイト始めて、改めて自分の非コミュ具合に愕然といたしまして。
リア充に溶け込む!とまでいかなくても、
大学でゼミの子達と円滑なコミュ図ったりするにはソレが必要だったんだと最近気付きました。
.
正直な話、二次元でドキドキニヨニヨ・即売会でキャッキャウフフする事はあっても、
「よくわかんないよウワァァァァヽ(`Д´)ノ」
が今一番の回答。
.
で、元記事で言いたかったのは
・お兄ちゃんが巷でよく見かけるアベックみたいな事をしてくる様になった
・兄にそんなことされても気持ち悪い
小学校と中学校のときは一応人を好きになって告白したこともあったんだけど(各一回)、どちらもふられてしまった。
二人ともとても性格の良い人だったので、別にトラウマとかは一切ないんだが、高校ではなぜか全く好きな人ができなかった。
興味がなくはなかったんだが、自分の手元にひきつけて考えることができなかった。
告白されたこともあったんだけど、ありがとうございます、でも今はちょっと難しいです、と言ってしまった。
当然サークルとかは入ってない。学部の友達は少ないけどテストで困らないくらいはいる。
今年のはじめにひょんなことから仲良くなった人がいる。
美人。かわいい。
なんで自分と仲良くしてくれるのかわからないけど、話してるときにいやな顔をされたりしないし、キツイ冗談を言い合えたりするので、それなりにうち解けてると思う。
明日会えるなあと思うとオシャレしたくなるし、遊びの予定を立てたりするとわくわくしてたまにドキドキする。
これは恋なのかな。ブランクありすぎてよくわかりません。でも高校のときにはなかったときめきと艶が生活に戻ってきた気はする。
ふつうの友達とは違うんだよなあ。取られたくない気持ちがいつもある。
答え分かって聞いてるだろと言われるかも知れないけど、私女で相手も女なんだよね……。
ほんとこれなんなんだろう?
※小中のときの好きな人は異性だった。
横増田だけど、ものすごく腹が立っているので、コピペ文と元投稿文を全面貼り付け。
コピペだけ読んでコメント付けてる、ほかの増田さんにはなんの落ち度もないけど、やはり、一部だけでは元増田が言いたいことは歪んで伝わっていると思った。出来れば元投稿も読んでもらいたい。
http://anond.hatelabo.jp/20090927210711
日本の大抵の男性は、女性を馬鹿にしている。そして、そのこと自体に全く気づいていない。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。
それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
■http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
正直、こんな時間に書くことじゃないんだ。明日やることもあるんだし。
ただ、私にとって、考えを大きく揺さぶられる出来事があったから、少し話をさせて欲しい。
ちょっと長くなるかも。あと、女性向きだよ。男性は気分悪くなるかもよ?読むなとは言わないけれど、念のため注意。
http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
↑の記事を、オンライン上の友達に、何気なく見せてみた。
ホント、何の反応も期待してなかった。流せる雰囲気だったから、多分何の反応もないだろうと当たり前のように思ってた。
でも、その人は言ったんだ。『抗いたい』って。
この言葉に、私は懐かしくなって、ものすごく申し訳ない気持ちになって、泣きたくなったから、それについて書く。
やってたことは、女性問題、黒人問題、水俣病問題、沖縄基地問題、色々だ。
ゼミ一番ショッキングだったのは、『私が差別者だ』ということを直視しなくちゃいけないことだった。
社会学を学んだことのある人は、どうか笑わないでほしい。私は、私が世界中のあらゆる差別問題の中に居て、その中のほとんどの状況で差別者なのだ、と、抵抗なく認識できるまでにまるまる1年かかってしまった。
「だって、私はなにもしてないのに、ただ生きてるだけなのに、どうして他人を差別しているなんて言うの?」という疑問を解消する、それだけでだ。課題図書や、毎度のレポート提出が嫌いだった。『分りたくない、信じたくない!』ってずっと思ってた。
社会学を学んだことの無い人は、差別問題をどうか他人事と思わないで欲しい。あなたは世界中の差別問題の中に居て、ほとんど常に差別者だ。
日本国民、大和民族、正社員、男性、健康体である、という、ただそれだけで差別者だ、というのは、すぐには受け入れがたいと思う。(先述の通り、私も理解するのにまる1年かかった)それでも、社会という構造の中にいる限りは、その中で差別者として無意識に振る舞ってしまうことが常にある。無意識に、他人を傷つけている。確実に。
そして、たいていの場合、特別に本を読んだり勉強をしなかったら、この『無意識の差別者』状態から、人は絶対離れない。
だって、この状態が最高に快適だもん。味方は多いし、強いし、くさい、汚い、怖いことはないし、安定している。
この状態から、どうしてわざわざ、よわっちい被差別者の味方をしたり、あまつさえこの特権を引き渡すなんてことをしなくちゃいけないんだ?ってなる。
だから、差別者はこの状態から滅多に自発的には離れない。
もうひとつの原因は、『自覚が無くても困らないから』だ。
道を行く人(差別者)は、花を踏んだことに気づかなくても怪我をするわけでなし、なにも困らない。<でも、踏まれた花(被差別者)にとっては一大事だ。>
だから、差別者(マジョリティ)の集団または親玉は、自分たちの得になるように必死に策を練る。
・なんで沖縄の基地問題は、全国メディアで滅多に取り上げられないんだろう?(だって日本はほとんどが大和民族だもんね)
・沖縄の中でも、基地をなくしたいと考える人と、居て欲しいと考える人がいる。これは国が基地の土地貸し出しに対して支払っている補助金の絡みで起こる対立だ。(このせいで、基地問題の県内世論が必要以上に割れている)
・基地移転は出来て、日本国内に基地が置けない理由ってなに?(移転できないんじゃなくて、移転しないだけなんじゃないの?)
例を沖縄基地問題であげてみたけど、ちょっと考えてみると議論のしがいがある(あるいは明らかにおかしい)問題がぼろぼろ出てくるのが差別問題だ。そして、差別問題を華麗にスルーできる特権を持っているのが、差別者だ。
こういう困難な状況にあっても、『これはおかしい』と気づく人、そして声を上げる勇気ひとたちが現れて、差別問題は議論されてきた。
昔と比べて、良くなってきたものもある。(女性問題は、明治時代から女性の権利の見直しを考えようと呼びかける先達の手で、長い時間をかけて、やっとここまできた。)
まだ根強く差別が残り、世代を超えて人権を脅かすようなものもある。(水俣病問題は、未だに遺族が差別を恐れてる。)
こんな問題の事例に4年間触れていて、その当時は、私も思っていたんだ。
『私は、なにも知らないままで人を傷つけるような人間になりたくない。もし差別者の立場を脱する方法があるなら、私はそうしたいし、もし無かったとしても、せめてその差別について理解して、なるべく他人を傷つけないように生きたい』って。
でも、いざこんな気持ちを持って、たくさんの差別問題の事例を知ったあとで、社会に出てみたら、こんな問題意識が苦しいだけだって分ってしまった。
一番キツかったのは、『大抵の男性は、女性を馬鹿にしていること、そのこと自体に全く気づいていない』という事実だった。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
今まで、女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
こんな長文をここまで読んでくださっているあなたは考えるかもしれない。「どうして、そんなひねくれた生き方をするんだ?女性に対して申し訳ない気持ちがあるなら、そんな風に思わなくて済むような道を探せばいいじゃないか」と。
確かに、正論だ。
ただ、今まで男性社会の中を駆け抜けてきた私の人間関係には、そのようにしなければ維持できない人脈が多くある。今更切ることが出来ない、お金になる人脈が。
一言で言えば、こういうことだ。
「こうしなければ、明日のご飯がない。明日の立場がない。明日の社会に居場所がない。そういう危機感に、ただ突き動かされて、ビジネスという男性社会に埋没しているのです」
・・・あ、万一今、「だったら結婚すればいい」とか考えた人がいたとしたら、冗談も大概にしてくださいね。そういうのが仕事を志向する女性のプライドを傷つけかねない繊細な問題だってこと、いい加減気づいて。
そして、そもそも「働けないなら結婚すればいい」という言説を女性に押しつけるのはやめてほしい。
私は今、こんな風に生きているから、正直、最近の私が差別者に立つあらゆる差別問題に対しては、「分る、分るよ-、その痛み。でもごめん、味方はしないよ。余裕ないから」っていうスタンスだった。思い切り逃げモード。そこそこ底辺の仕事で、それより底辺の人たちの頭を足蹴にして得た仕事で生きている日常です。
そこにきて、冒頭のアレですよ。
『抗いたい』という言葉を聞いたとき、まずはじめに思い浮かんだのは、「青いなあ」という、ある種その人を侮った感想だった。
でも、よくよく考えてみたら、それって違くないか?むしろ、この人が言っていることのほうが正しいだろう?本当は、自分が差別者のままで居続けるのって嫌でしょう?その嫌な気持ちがあるから、他の人に対して内心申し訳ないとか思ってるんでしょう?
そんな風に考えていたら、私は大学生時代に一生懸命学んでいた差別問題の事例が懐かしくなって、現在の自分のことを思うと、世の中の女性に対してものすごく申し訳ない気持ちになって、そして、『抗いたい』と言った友人の若々しい気概が眩しくて、それと比べたら自分はずいぶんみすぼらしくなったと気づいて、泣きたくなったからそれについて書いた。
オンラインの友人だから、性別は分らない。
正直、こんな時間に書くことじゃないんだ。明日やることもあるんだし。
ただ、私にとって、考えを大きく揺さぶられる出来事があったから、少し話をさせて欲しい。
ちょっと長くなるかも。あと、女性向きだよ。男性は気分悪くなるかもよ?読むなとは言わないけれど、念のため注意。
http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
↑の記事を、オンライン上の友達に、何気なく見せてみた。
ホント、何の反応も期待してなかった。流せる雰囲気だったから、多分何の反応もないだろうと当たり前のように思ってた。
でも、その人は言ったんだ。『抗いたい』って。
この言葉に、私は懐かしくなって、ものすごく申し訳ない気持ちになって、泣きたくなったから、それについて書く。
やってたことは、女性問題、黒人問題、水俣病問題、沖縄基地問題、色々だ。
ゼミ一番ショッキングだったのは、『私が差別者だ』ということを直視しなくちゃいけないことだった。
社会学を学んだことのある人は、どうか笑わないでほしい。私は、私が世界中のあらゆる差別問題の中に居て、その中のほとんどの状況で差別者なのだ、と、抵抗なく認識できるまでにまるまる1年かかってしまった。
「だって、私はなにもしてないのに、ただ生きてるだけなのに、どうして他人を差別しているなんて言うの?」という疑問を解消する、それだけでだ。課題図書や、毎度のレポート提出が嫌いだった。『分りたくない、信じたくない!』ってずっと思ってた。
社会学を学んだことの無い人は、差別問題をどうか他人事と思わないで欲しい。あなたは世界中の差別問題の中に居て、ほとんど常に差別者だ。
日本国民、大和民族、正社員、男性、健康体である、という、ただそれだけで差別者だ、というのは、すぐには受け入れがたいと思う。(先述の通り、私も理解するのにまる1年かかった)それでも、社会という構造の中にいる限りは、その中で差別者として無意識に振る舞ってしまうことが常にある。無意識に、他人を傷つけている。確実に。
そして、たいていの場合、特別に本を読んだり勉強をしなかったら、この『無意識の差別者』状態から、人は絶対離れない。
だって、この状態が最高に快適だもん。味方は多いし、強いし、くさい、汚い、怖いことはないし、安定している。
この状態から、どうしてわざわざ、よわっちい被差別者の味方をしたり、あまつさえこの特権を引き渡すなんてことをしなくちゃいけないんだ?ってなる。
だから、差別者はこの状態から滅多に自発的には離れない。
もうひとつの原因は、『自覚が無くても困らないから』だ。
道を行く人(差別者)は、花を踏んだことに気づかなくても怪我をするわけでなし、なにも困らない。<でも、踏まれた花(被差別者)にとっては一大事だ。>
だから、差別者(マジョリティ)の集団または親玉は、自分たちの得になるように必死に策を練る。
・なんで沖縄の基地問題は、全国メディアで滅多に取り上げられないんだろう?(だって日本はほとんどが大和民族だもんね)
・沖縄の中でも、基地をなくしたいと考える人と、居て欲しいと考える人がいる。これは国が基地の土地貸し出しに対して支払っている補助金の絡みで起こる対立だ。(このせいで、基地問題の県内世論が必要以上に割れている)
・基地移転は出来て、日本国内に基地が置けない理由ってなに?(移転できないんじゃなくて、移転しないだけなんじゃないの?)
例を沖縄基地問題であげてみたけど、ちょっと考えてみると議論のしがいがある(あるいは明らかにおかしい)問題がぼろぼろ出てくるのが差別問題だ。そして、差別問題を華麗にスルーできる特権を持っているのが、差別者だ。
こういう困難な状況にあっても、『これはおかしい』と気づく人、そして声を上げる勇気ひとたちが現れて、差別問題は議論されてきた。
昔と比べて、良くなってきたものもある。(女性問題は、明治時代から女性の権利の見直しを考えようと呼びかける先達の手で、長い時間をかけて、やっとここまできた。)
まだ根強く差別が残り、世代を超えて人権を脅かすようなものもある。(水俣病問題は、未だに遺族が差別を恐れてる。)
こんな問題の事例に4年間触れていて、その当時は、私も思っていたんだ。
『私は、なにも知らないままで人を傷つけるような人間になりたくない。もし差別者の立場を脱する方法があるなら、私はそうしたいし、もし無かったとしても、せめてその差別について理解して、なるべく他人を傷つけないように生きたい』って。
でも、いざこんな気持ちを持って、たくさんの差別問題の事例を知ったあとで、社会に出てみたら、こんな問題意識が苦しいだけだって分ってしまった。
一番キツかったのは、『大抵の男性は、女性を馬鹿にしていること、そのこと自体に全く気づいていない』という事実だった。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
今まで、女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
こんな長文をここまで読んでくださっているあなたは考えるかもしれない。「どうして、そんなひねくれた生き方をするんだ?女性に対して申し訳ない気持ちがあるなら、そんな風に思わなくて済むような道を探せばいいじゃないか」と。
確かに、正論だ。
ただ、今まで男性社会の中を駆け抜けてきた私の人間関係には、そのようにしなければ維持できない人脈が多くある。今更切ることが出来ない、お金になる人脈が。
一言で言えば、こういうことだ。
「こうしなければ、明日のご飯がない。明日の立場がない。明日の社会に居場所がない。そういう危機感に、ただ突き動かされて、ビジネスという男性社会に埋没しているのです」
・・・あ、万一今、「だったら結婚すればいい」とか考えた人がいたとしたら、冗談も大概にしてくださいね。そういうのが仕事を志向する女性のプライドを傷つけかねない繊細な問題だってこと、いい加減気づいて。
そして、そもそも「働けないなら結婚すればいい」という言説を女性に押しつけるのはやめてほしい。
私は今、こんな風に生きているから、正直、最近の私が差別者に立つあらゆる差別問題に対しては、「分る、分るよ-、その痛み。でもごめん、味方はしないよ。余裕ないから」っていうスタンスだった。思い切り逃げモード。そこそこ底辺の仕事で、それより底辺の人たちの頭を足蹴にして得た仕事で生きている日常です。
そこにきて、冒頭のアレですよ。
『抗いたい』という言葉を聞いたとき、まずはじめに思い浮かんだのは、「青いなあ」という、ある種その人を侮った感想だった。
でも、よくよく考えてみたら、それって違くないか?むしろ、この人が言っていることのほうが正しいだろう?本当は、自分が差別者のままで居続けるのって嫌でしょう?その嫌な気持ちがあるから、他の人に対して内心申し訳ないとか思ってるんでしょう?
そんな風に考えていたら、私は大学生時代に一生懸命学んでいた差別問題の事例が懐かしくなって、現在の自分のことを思うと、世の中の女性に対してものすごく申し訳ない気持ちになって、そして、『抗いたい』と言った友人の若々しい気概が眩しくて、それと比べたら自分はずいぶんみすぼらしくなったと気づいて、泣きたくなったからそれについて書いた。
オンラインの友人だから、性別は分らない。
今から10年位前、大学生、ひとり暗い部屋で、馬鹿騒ぎの深夜番組から、「おはようございます」とニュース携えたアナが爽やかに挨拶する夜明けまでずっと、光るテレビ画面をひたすら眺めていた自分。
膝抱えて、ビクターのラジカセでスピッツの大宮サンセット聞いていた自分。
今自分がタイムマシンかなんかであの時に帰れるなら、今でも当時の自分に何て声掛ければいいか分からんが、よしよし大丈夫大丈夫だとひたすら頭をなでてやりたい。
ド田舎から出てきて、妙にプライドだけ高くて、東京の最高学府にぎりぎり滑り込んだはいいが、周りのあまりの賢さやリア充(当時こんな言葉はなかったが)の眩しさやオサレさに思いっきり打ちのめされる。
生来の引っ込み思案も手伝って溶け込めず、クラス仲間とも当然疎遠になった。
1年の終わり、ろくに出なかった第三外国語のテストの口頭試問で、優しい外人先生に、心から心配そうに「あなた友達いないでしょう」と流暢な日本語で言われたのを今でも傷みたいに思い出したりする。
何とかしようと真面目系サークルに入っても皆勤なくせに和気藹々も出来ず、ゼミもしかり、真面目キャラのくせに勉強ができるでもない。まさに準ひきこもり(当時こんな言葉は(ryだった。
んでもあのとき必死だったと思う。
悩んで悩んで自分何やりたいんだろうか、どうして友達できないんだろか、学校辞めようかでもせっかくこんないい所入ったんだしとも思うしうじうじ、でも行動もどう起こしていいのか分からない、授業に足を踏み入れればクラスメイトが散らばっててどの席座ったらいいのか分からない、食堂もどこ座っていいのか分からない、
卒論もお情け合格、就職するにあたっても当然面接落ちまくり進路も決まらず、最後は学歴だけで採用してもらったようなもんだが、まあ職場の人間関係にも恵まれたのか、今何とかこうやって生きていて、そう苦しくもなく、恋人は無論いないものの、中高大と合計して片手で足りるほどの友人と、たまに会ったりして今ではそれなりに心安い生活を送っている。
これくらいの年月生きてきて、ようやっと社会人として、いやそれ以前に人間として、他人とコミュニケートできる素地が育ってきたと思う、大学の同窓会にもやっと出られるようになって、当たり障りない話して笑えるくらいになった。
そして今大学時代を思い返してみると、大半の暗い思い出の中で、痛痒かったり楽しかった瞬間も思い出せるっちゃあ思い出せる。今は無き新宿リキッドへ初めて連れてってもらったよなーとか、文化祭で皆で夜中じゅう寄ってたかって変な食べモノ作ってたよなーとか、ゼミ旅行で酒飲んで初めて記憶失ったよなーとか、もう卒業だってんで好きだった優しい先輩に告白してうん、とだけ言われて玉砕したよなー、とか。
ビタースウィートシンフォニーっていう、ヴァーヴのヒット曲のタイトルがあるがまさにそういう感じ、90パーがビターで10パースウィート、昔は思い出したくもなかったが、苦さの中からスウィートのほう思い出せるぐらいには成長して、自分を卑下するには年を取りすぎたのかもしれんし、人生に耐性がついたのかもしれん。遅っ。
ネットでよく非コミュで大学辛いぜと泣きそうに笑っている人を見て、あの時膝を抱えて暗い部屋の隅っこでじっとしてた自分の姿とダブりまくって、ああ大学なんて人生の一部だ、あと10年も生きればなんとかなるなんとかなると頭をなでたくなってくる。
人生の輝かしい時期を棒に振ったと言われりゃその通りかもしれんが、うあああーと朝まで苦悩していた自分を思えば、今の時点からえらそうに後悔という言葉を当てるのも痛々しい程だから、せめて今の自分はあのときの自分を肯定してやりたいのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20090922064043は本当の恐怖感が全くわかってない。
例えば会社の同僚に告白しよう。同じゼミの女の子でもいいし、クラスメイトの男の子でもいい。
次の日にはみんなに告白したことが知れ渡っていて、そのことで延々と陰口を叩かれる恐怖感。わかるか?お前にわかるか?
明日から好きな女の子あるいは男の子には笑われ、自分のことをなにも知らないような奴から笑われ、それで生きてけって?死ねって言ってるのと同じだろ。
もし付き合えたとしよう。http://anond.hatelabo.jp/20090922042145の言うことはよくわかる。
考えてもみろ。彼氏である自分よりも仲のいい友達がいくらでもいる彼女と付き合うってことがどれくらい苦しいことなのかを。周囲は全部敵なんだぞ?
彼氏より仲のいい男友達がいるのに、彼氏なんて作ってんじゃねーよ!ってのは置いといても、絶望的な戦力差を見せ付けられ、味方は誰もいなくて、じゃあどうすんの?
努力することを楽しめって、努力する過程がとても苦しい人だっているんだ。
死ぬべきか。死ねばいいのか!
なぜ日本にはレディファーストが根付かないかについてゼミで討論した事がある。
例によって女子学生たちは日本男性批判と想像上の外国人紳士崇拝の言辞を並べていたが、
30分ほどで教授(女性)が静かに、だが力強い声で言い放った。
「レディーが絶滅しつつある日本ではレディーファーストを普及させようがありません」
教授は海外で教鞭を執っていた時期が長いが、茶道華道ともに師範の免許を持つ人。
その教授曰く「与えられる平等や優遇をあさましく求めるのは日本女性特有の醜態」
自らレディとならずして、レディ扱いを求めるのは常軌を逸していますと。
女子学生達はその後、ひとことも喋りませんでした。
元増田です。
たくさんのトラバ、ありがとうございます。
(これでたくさん?と思われるかもしれませんが、最近増田を始めたので、これでもたくさんなのです)
様々なご意見、目から鱗が落ちる思いで拝見させて頂きました。
就寝の前にPSPブラウザで確認したら、思いの外トラバがたくさん来ていたものだから、
ポメラを引っ張りだして、コメント頂いて、感じたこと、考えたことを書き連ねていこうと思います。
●友人は本当に「友人」なのか
まず、友人と私の簡単なステータスを上げると以下のようになります。
A:テレビっ子。オタク趣味はないが、少女漫画は好き。地方在住。
D:テレビも見るしネットもそこそこする。ややオタク傾向あり?東京在住。
出会い、というか、この集団で固まった要因は、何となく話が合うから、だと思います。
私が女子大時代に所属していた学部は、ギャルな方々がとても多かったのです。
私のように、明らかにオタク趣味のある人は他に一人もいませんでした。
A,B,C,Dの4人は、オタクではなかったけれども、それ以外では話の合う人たちです。
彼女らがいなければ、私の大学時代はとても寂しいものになっていたと思います。
よくご飯を一緒に食べに行ったり、カラオケに行くなどもしてましたし。学内での行動は大体一緒だったし。
……ただ、大学時代、趣味の話で一番盛り上がる相手は、ゼミの教授だったわけですが。
自作PCの話でよく盛り上がったものです。……と話が逸れました。
しかし、教授とPCの話は出来ても、月9ドラマの話はテレビを見ないからさっぱり分からなかった。
彼女らは、大学時代に仲のよかった人たち、という言い方が一番正しいのかもしれません。
4年間も一緒で、喧嘩も全然しなかったので、この人たちは私を知っている「友達」なのだ!と壮大な勘違いをしていたのかも。
全く仰せの通りです。
こればっかりは私の性格が悪いのです。
内弁慶なものですから、増田では言えても面と向かっては言えないのです。
疲れたとか、他のところに行きたい、と言うと、誰かに迷惑がかかるんじゃないと思い、文句は言えませんでした。
いつからか、他人の顔色ばかり気にして、行動するようになったから、今回の旅行でこういうことになったのだと思います。
自分の言いたいことは言えるように、もっと色んなことをたくさん話せる出来るようになりたい。
小さいときはやかましい性格だったのに、その反動か何かで今ではすっかり人見知り。
色々頭の中で考えて、口には出せないこの性格をどうにかこうにかしないと、次に行っても二の舞でしょうね。
はっきり言えればすっきりするけれど、その後関係が壊れるのが嫌で今まで何も言わなかった。
友人の定義って何なのかよく分かりませんけど、言いたいことが言えないのなら、友人じゃないのかなあ。
この集団の外での出来事の相談には何度も乗ってもらったけれど、この集団内での不満や愚痴を言ったことはそういえばない。
今回の旅行のことも、私以外はみんな楽しそうだったし、頭が冷え始めた今ではこれでよかったのだ、と思い始めています。
自分がこの集団ではマイノリティに属するのだから、不満があっても堪えればそれでうまくいく。
そういう考えが染み付いているから、被害者妄想と不満が爆発してああいう愚痴だらけの日記を書いてしまいました。
●プラン立てて行動しろよ、単独行動すればいいじゃん。
これも仰せの通りです。
とりあえず東京組に任せればオッケーかな、と思いこんだ結果がこれです。
大体行きたいところを決めて、行き当たりばったりな旅でした。
それと、東京組にとっては最早東京は珍しいところではないから、
(前項目の話になりますが、皇居と国会議事堂は、プランを立てたし、意地でも行きました。
プラン通りに進んだのはそこまでだったか)
単独行動は思いつきもしなかった。5人一緒で行動するのが、見えない原則としてありました。
また前項目の話になりますが、この集団の中では私の意見がマイノリティとなるから、言いたくても言えない、
他の子たちに合わせなくちゃ、という意識が、大学時代から根底にずっとあったのだと思います。
今回の件と、頂いたトラバが、大学時代の交友関係を考えさせられるひとつのきっかけとなりました。
次に行く機会があれば、そもそも行く必要があるのか、というところから考えてみたいと思います。
どうもありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090725202927
鬱の原因はもちろん人によっていろいろあるだろうけど、私の場合は「八方ふさがりの状況」だった。
進むことも戻ることもできず、右にも左にも行けない。そうなるともう、沈んでいくしかない。
具体的には、「東大京大慶應のどれかの大学院に受からないと学費も生活費も出さない」と親に言われた。大学4年の4月始め、帰省した時の話だった。
どうしても研究したいことがあり、大学院に進学したいということは以前から親に話していて、総論的には賛成してもらっていた。自分の大学の院に内部進学するつもりで準備していたので、親の発言は寝耳に水だった。
東大京大慶應(以下「東大等」とする)なんて受かるわけがない。それだけの頭があったら、学部の時点で受かっている。
親曰く、「だって東大等って、学部は難しいけど院に入るのは簡単なんでしょ?」「東大等以外の院に入っても、研究者になんてなれないんでしょ」「あなたは頭がいいんだから、そのくらい受かるはずでしょ」
全く話にならない。学歴ロンダリング勝者の謙遜を真に受けてどうする。それに私は研究者になりたいわけじゃない。自分が納得するためにあと2年だけ研究させてもらって、その後は普通に就職するつもりだって言っているじゃないか。しかし、全く言葉が通じない。
もう4年の春。今更就職活動を始めるのも遅すぎる。
それとも、バイトと奨学金で内部進学する? 無理だ。ロングスリーパーで身体も強くない自分が、年間200万円以上稼ぐのと研究が両立できるとは思えない。
もう、東大等の院に受かるか、無職になるか、の2択しか残されていなかった。受かるわけがない。無職だ。人生おしまいだ。
それでも一応、東大等の院試を受ける準備はした。今の担当教授に事情を話して紹介状を書いてもらい、ゼミに潜り込ませてもらったりもした。しかし、そうやって準備をすればするほど、自分には東大等の院試をパスする実力がないことが絶望的にまではっきり分かった。
気がつくと、朝起きられなくなっていた。大学にも行かなくなっていた。昼すぎに起きて、ネットやって、酒飲んで寝る、という生活になっていた。
前期の授業はほとんど落とした。大学から、このままだと卒業できないという通知が実家宛に送られてきて、やっと事態に気づいた親が慌てて上京してきた。ぶくぶく太って一日中部屋で寝ていた私を発見し、病院へかつぎ込まれた。
その後、薬の助けもあってなんとか卒業だけはして、今は故郷の小さい会社に勤めている。納得はしていない。まだ鬱は治ってはいない。
何が言いたいのかというと、少なくとも私の場合、現状維持を望んでいたわけじゃない、ってこと。
私は、大学院に行きたかった。
「じゃあ行けばいいじゃない」と言われて行けるだけのリソースがあれば、鬱になんてなっていない。行きたくても行けないから鬱になったのだ。
「じゃあ行けばいいじゃない」は一番言ってはならない台詞だ。これほど無神経で、持たざる者を見下した発言はない。障害者に対して、「じゃあ健康に生まれれば良かったじゃない」と言うようなものだ。
ウン十年前の俺と瓜二つなので驚いた
・俺も成績的には東大合格圏だったが、入りたかったゼミが一橋だったので一橋志望だった。
・俺は俺のやり方で勉強して、それなりに成績を上げていたので自分で不要と思った授業には出なかった。
・成績が東大合格圏だったから先生と親は強烈に東大をプッシュした
・親の態度も似たようなもんだった。
その後は圧力に負けて東大に入ってしまったが、もともと東大なんて第一志望じゃなかったからやる気を失ってしまう。そして東大生らしからぬ人生を歩み、今は田舎で充実した日々を送っている。同窓生からは東大ブランドをドブに捨てたとも言われている。
俺の場合「親のエゴで東大に入ってしまった」と逆恨みして自堕落な大学生活を送ってしまったことを後悔している。今思えば、東大も結局は自分が選んだ道であり、親を恨む筋合いなどなかった。何事も周りのせいにして自分も親も傷つけていただけの大学生活だった。
家族を持ち、社会の一員として働いていて思うのは、自分の行動は全て自分の責任だということ。親がこういった、先生がこういった、時代が悪かった、いろいろと理由は思いつくけど、やっぱり最後は自分の責任。どんな結果になったにせよ自分に降りかかったことを自分以外のせいにしてはいけないし、それを理由に自分以外を恨んでもいけない。自分以外を恨むのは時間の無駄だし、非生産的だ。
ロジカルロジカルってうるせーボケナスが。数学できなくて悪かったな、数学できないやつをそんな見下した目で見るな、こっち見んな、微分方程式の意味が未だにわからん計算はできるけど丸暗記だけど。あとな、勉強の話になると急にキレるに近い形で熱くなるのはやめろ普通にびっくりするから。おまえとの距離感つかめなくなるから。逆に勉強以外のこともっと真剣に知ろうとしろ、お願いだから普通にテレビの話題についてきて。春日知らないとかやめて。名前だけでも知っててお願いそこで会話止まっちゃうから別に漫才の内容とか笑いについて語るつもりねーから。
よしとりあえずお前らは背景問題目的方法論実験結果考察参考文献ってTシャツにかいてふりがなに「ドウテイマルダシ」って書いとけ。恋愛の話になると急に黙り込むやつ大杉だろもっと努力しろもっと自分の容姿に対してお前らお得意の背景問題目的方法論から実験してみて結果みて考察しやがれバカよしおれがやってやる。まずお前らの背景は勉強ばっかやってきたせいで極度にキモイってことだ、そんでから次に背景からくる問題としては総合的にどっからどう見てもキモイってことだ。そしてキモイを「ロジカルに!」要因分解するとまずメガネのデザインがキモイのと髪型が流行をとらえてなくてキモイのと服装が小学校6年生くらいから基本的に変わってないのがキモイのとで3点だわ。で目的は生身の人間かつ素人とセクスルするという富士より高くそびえ立つ目標でいいな。で方法論はまず容姿を変えて女友達つくれバカ、太ってるやつはやせろ、目がかけてる奴ははずせ、服装はユニクロでいいから組み合わせを重視しろ、屁理屈こくな、人の話を聞け、文系を見下すな俺を見下すな俺がゼミで発表するとき退屈そうな態度で他のことやるな傷ついてんだよこっちはバーカ。そして実験は何回もやれ、すべては経験だ、いきなり告るなよキモイから。で結果は出せないだろうから考察にはお母さんへ生んでくれてありがとう的な感謝の言葉を書いておけお前らはまだお母さんと服を買いに行って買ってくるレベルの服しか着てないんだからな当然だ。付録の参考文献はお前らが書いてる研究についてとかたまに語っちゃってるもしかしたらこれが就職とかその後のキャリアとかに影響しちゃうかもしれないとか思っちゃってるお前のクソブログでも引用しとけ、研究のソースコードとかいっちょまえに貼付けちゃって語っちゃってるやつまじ何なの顔真っ赤っかになんないのAVなら全裸で農作業してマジックミラー号の中でレゲエダンスしてるレベル。そんでもってな、お前らここからが重要だ。よく聞けよ一回しか書かねえからな。おまらみたいなもんはな社会にでたら日本の技術革新のエンジンとして世界にはばたくんだよ、おまえらなくして日本の技術は成り立たねーんだよGDPはお前らにかかってんだよ生み出せよ付加価値を!技術を!製品を!そして貧困撲滅エコ平和愛をさあ!
よくしゃべるから友人は多いけど、休日は誘いがなければヒキ。無論、喪。ユニクロに行く服がない。
要するにとある大規模板でskypeだのメッセだの晒して、とある女性と親しくなった。
で、半ヒキだけあって本は読むんで話題の引き出しは多かったせいか、結構好かれたんで、オフることになった。
無論下心がないと言えばウソではない。ただ、それ以上に、怖かった。
現場にて。
思ってた以上に簡単に特定完了。そこいらで昼飯だけ食って、カラオケでも行くかという話に。
あれ?俺ってそういえば、二人きりで身内以外の女と街を歩くって初めてじゃね?
いやそりゃゼミだのコンパだので女とは話すさ。目も見れませんってほどのウブじゃないさ。
でも、それとはやっぱ全然違うじゃん。複数人で歩くのとはわけが違うじゃん。
俺が話さないと間がもたないわけよ。どうすべぇ、って思ったけどクールキャラを装って言葉少なに「じゃ、行こうか」と指示。
いま思い出すと感じ悪かっただろうなぁ。ていうか、クールキャラなんかに見えちゃいなかっただろうなぁ。
カラオケ屋につく。相手がねらーということもあって、JOYを選択。
かといって調子こいてハレ晴レをいきなり唄ったりして引かれたら嫌なので、十分に気をつけて、無難な選曲をする。
俺さ、歌だけはうまいのよ。プロ級かっていうとちょっと違うんだけど、とりあえずカラオケニストとしては相当上位なのよ。
メジャーバンドの曲とか歌っても、大体全国20番以内になるぐらい。いるじゃん、キモヲタっぽいけど妙に声が澄んでるやつとか。アレ。
んで、二人きりでトークとか怖かったんで、そりゃもう必死に歌った。
ラルクだのB'zだのマイケル・ジャクソンだのミスチルだのなんでも歌った。
で、「うまいうまい!」とか言われたんで俺も調子にのりだしてラブソングとかはじめちゃうわけよ。
そんで「今だけは悲しい歌 聞きたくないよぉ~」とか言ってた時、相手の顔を見たら、少しトロンとしていた(気がした)。
なんとなく、イケると思った。じーっと見てたら「え?なにw」とか言われたんで、あごをクイッとしてキスした。
抵抗はなかった。
んで、カラオケボックス内で「ABC」でいう「B」までやってしまった。もう二人とも収まりつかないんでホテル直行。
やべ、童貞とか言ってなかった。どうすべ?まぁコンドームはあるけど。
とかなんとか色々考えてるうちに、気がついたら俺は腰を振っていた。
心配とかしまくってたけど、なんでもなかった。
6時間ほどヤッていたと思う。相手は(本人曰く)俺が二人目だそうだ。
本当かよとは思ったが、まぁそんなことはどうでもいい。
「初めて逝った」「前の人より大きい」「●●(俺)くんは私で何人目?」「好き…」
などと歯が浮くような愛の言葉を聞かされた。俺は気まずかった。
そんなこんなで、いま俺は彼女持ちである。
まだ友人に紹介してはいない。どこで会ったとか聞かれたくはないからだ。
こんなんでいいのかなぁ、と今でも思う。
と同時に、出会いはなんであれ今がラブラブならいいじゃんとも思う。
なんだかんだほぼ毎日話してるしね。
でも、これからどうすべきなのかなぁとも思う。
テストが近いってんのに、そんな俺は鬱々としている。
研究生活に於ける「打ち込み」って何でしょうか?
今現在そこそこの大学の工学系大学院一年生たる自分ですが、研究って何をすればいいのか分からない。
学部四年生の頃から研究室にいたからなんとなく分かっていてもおかしくないはずなんだけども。
うちの研究室は学部四年生でも研究室宿泊が当たり前的な空気があり、ゼミでもそれなりの成果を求められとる。
こんな増田を書いてる時点で分かると思うけど、自分は結果が出ていない方なわけ。
で、自分は何か辛い状況に直面した時には柔道部時代の経験則からヒントを得ることが多いので、今回も考えてみたのですよ。
「学会」が「試合」
だとしたら、どうやって「試合」や「乱取り」で満足の行く結果が出るようになるのか。
そう考えると、最近自分は先輩に「技のコツ」ばかりを聞いていたように思う。
曰く
「この技って効果的な奇襲ですかね?」
「どうすれば手痛い反撃を受けないですみますかね?」
即片羽絞めかけながら「打ち込みせいや!」って言ってたじゃん!
でもそこで思うのは冒頭の一行なんですよね。
強くなるには「打ち込み」しか思いつかねえけど、何を反復練習すりゃいいんだ?
論文読めばいいのか?アイデアにもなっていないような妄想をすりゃいいのか?それって次の「乱取り」までに形になんのか?結構「試合」近いぞ?エントリするのは規定路線っぽいぞ?持ってる技は先輩が「やってみたら〜?」程度で示した技くらいだぞ?「乱取り」で使ったら「その技クソじゃね?」みたいな扱いされたぞ?
わかんねー。
『勉強しなさい。』昔よく言われた言葉だが、それで勉強した試しなどない。心に届く。刺さる言葉がある一方で、『うるさいな。言われなくてもわかってるよ』という上述のような言葉も多い。そのため、どういう条件があれば、心に刺さる言葉に成るのか考えてみた。就職活動で苦しんでいる自分の心に、彼女の言葉は刺さらなかったから。
結論から述べると
■ 信頼関係のある人に また、 重みのある言葉を言われること だと思い当たった。
この人には相談したい。アドバイスを聞きたい。という、人での審査・基準と、
人との数十分の会話の中でも、この一言が響いた。といった、言葉での審査・基準がある。
だから、この2つの審査・基準を、吟味して、どういう特性があったか、思いだして心に留める。
■ 前者 : 人について
・過去にも、真面目な相談をしたことがある
・秘密を守ってくれる。
・同様の失敗・経験をしていそう
4番の要素は、重要かもしれない。
普段あまり話さないバイト先の店長にも、就職活動について聞いたことがあった。
3番の要素は、そこまで重要ではない。
同じバイト先の店長についてだが、1つ前の頼りなさげな店長にも、聞くだけは、聞いてたと思う。
『雇われ店長って、どういう感じの苦労ありますか??』って。
・本人が気づいていなかった 願望を肯定してくれる言葉。
思い返して、案外驚いた。
★ 新しい ってことは凄く重要だ。
友人発言『俺のゼミ生でもまだ半分以上決まってないぜ。安心しろよw』
自分『このままじゃどこも決まらないかも・・』
就職支援の人 『新卒の求人倍率のデータはね。また、昨年度の我が大学の実績は~~、加えて、10月まで学校への求人票は届くよ。』
友人『失敗しても 死ぬわけじゃねぇーよ。気楽にやれよ。』
● 4項目を満たした人になる。その中でも、同じ経験・失敗をして、問題に対して詳しい人だ。と相手にイメージさせる必要がある。
● 相手の悩みを理解した上で、相手が知らない【個人的な話、データ、事実】を用いて相手がそう考えている前提を崩す。
特に、【本人にとって 新しい 必要がある。】だな。
そして、コレを自分が満たせないなら、相談されても、相手に満足を与えられない。だから自重するべきだな。ただ、相談されそう。と思ったら、相手の状況を分析して、個人的な話、事実・データ集めに奔走するのもありだな。
今年、院の受験生だが、同じ研究室(助手のほうだが)の女子にむかついた。
彼女は他の研究室とどっち受けるか迷っていて、きょうその話を聞いたのだが、
曰く、
①やりたいことは他の研究室
②現研究室でやってることに興味はない。
③現助手の雑用をしたくない。
③しかし現研究室のほうが受かりそうなので、とりあえず現研究室に入って、他のゼミに参加しようか。
とのこと。
「だったらほかの研究室のほう受ければ」としか言わなかったが、
雑用になっているのは自分のためになるよう昇華できていない君の実力のせいだし、
第一、本気で現研究室の研究をやってこうと思っている人に失礼じゃないか。
明日、君と一緒に研究はしたくないといおうかと思っている。
(ちなみに僕が受ける現研究室は教授のほうで倍率クソ高くて院試が大変だが、彼女のほうは助手の方で倍率は高くない。研究室の活動は一緒。)
不安な気分は偉大なオクスリの力で解決しちゃおう!レッツショックサイエンス!ケミカルハイ!
ということで、神経科に行ってきた。精神の不調が身体の不調として顕在化されてきたということもあり、そろそろ限界かな、と思っていたのだ。毎日いつどこにいても心が安らぐことがなく、常に緊張していて、息の仕方も分からなくなり、寝ても三時間程で目が覚める。更に人前で話すと顔の筋肉と声がプルプルと奮え出してしまうので、自分の言いたいことも伝えられない。
ああ!こんな僕がこのしがらみだらけの世の中で生きていくにはどうすればよいのだろう!?
そんな時に頼りになるのは他人の上っ面だけの励ましなんかじゃなく、オクスリさ!人格改造マニュアルで培った知識を駆使してお医者様からオクスリを貰うんだ!オクスリを飲んでケミカルな人間になれば僕だってアッパーになれる!もう僕にはクスリしかないんだ!
そうと決まれば作業は緊急を要する。なぜならば次の週にはゼミの個人発表があるからだ。それまでになんとかしてクスリを手に入れないと、皆の前で恥をかき、影で「あいつすげー震えてたよなw」などと噂されてしまうんだ。その事態を回避する為にも、一刻も早く近くにあるクリニックに予約を入れなくてはならない。
「あ、あああ、あの、よ、予約お願いしたいんですが!」
「今大変予約が混み合っておりまして、一番早くて6月の中旬にお取りすることができますが」
…ああ、ストレス大国日本。どこに電話してもここ二週間程は予約でいっぱいだ。生きる気力が沸かないのは僕だけでなく、みんな同じなのか。現代日本の裏側を垣間見た気がして憂鬱になる。
そうして何度も電話をかけていくうちに、今すぐにでも診療可能なクリニックが一つ見つかった。数々の診療場が予約で一杯のなか、ここだけが空いている状態にあるということは不可解だけれど、そうも言っていられない。ホームページを見てみたら物凄くがさつに作られていて更に不安になったけれど、オクスリを貰えるならばどこでも一緒だ。
決意を固めて、自転車を漕いでクリニックへ向かう。BGMは戸川純。
着いたらそこはかなりアングラなところだった。マンションの一室みたいなところでやっていて、ボロいし狭いし、「この場所は明らかに精神に良くないだろ!」と思わずツッコミを入れたくなるようなアングラっぷりだった。…なるほど!だから空いていたのか!
受け付けで手続きを済まし、番号札を渡される。「名前は個人情報なので、お呼びする際には番号で呼ばせていただきます」とのことだったけれど、あまりの狭さのせいで医者の診断の様子が待合室まで筒抜けの所で個人情報も糞もないだろ!と憤怒する。「また薬いっぱい飲んじゃって…」などと聞きたくもない他人の鬱事情が聞こえてきて、こっちまで深く静かに憂鬱になる。
そのうち僕の番号が呼ばれた。カーテンの向こう側へ行くと、なぜか知らないけれど明らかにお医者様は苛立っていて、「お前が精神を落ち着けた方がいいんじゃないか?」と、思わず心の中でツッコミを入れてしまった。なにからなにまで、まるでコントのようだった。症状を吐露したらわりと呆気なくお薬は貰えた。
かくして手に入れたのは精神を落ち着ける薬であるドグマチールとエビリファイ、副作用止めの薬2種類、睡眠薬一種類。一番欲しかったレキソタンは貰えなかったけれど、今日は睡眠薬の偉大さを知りました。
と、いうわけで。
「した」と言うより「している」が正しい。
修士課程、まったくうまくいっていない。
原因は全て自分にある。
家族、尊敬している先生方、同期、先輩方に迷惑をかけてしまっていて
正直、そろそろ楽になりたい。
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私の大学では学部3年次に研究室配属、3,4年次は大学生活の中心が研究室での過ごすことになる。
大学院に進んだきっかけは学部研究室時代にいた修士の先輩方に憧れて。
教授との議論、後輩への指導、自分も「ああなりたい」と思った。
先輩たちと過ごした夜~朝にかけての研究の時間はとても楽しかった。
けど、話は簡単には進まなかった。
学部時代にお世話になったA教授は他大に引っこ抜かれる事になり、
様々な縁があり、学部と同じ大学で、A教授の学生時代の先生のB教授の所で引き取ってもらう事になった。
でも、何もかもが空回りだった。
まずスケジューリングから失敗した。
授業:週9
ゼミ:週6
バイト:不定期
私の大学では1年が前期と後期に分かれており、
修士1年前期中に修了単位分を取ろうと思った私は授業を多く取った。
しかし、修士の授業は専門性が高く、ほぼ毎回、発表資料を作らないといけない為、
私はだんだんと、授業に追われるようになっていった。
元のAゼミに出なければいいじゃないか。と他研究室の同期に言われたが
そんな事はできなかった。
情けない話だ...
だけど、「自分なんかより努力している、苦労している大学院生はいる。」と自分に言い聞かせ
徹夜根性、土日、休日返上アタックで何とか前期は持ちこたえていた。
新しく入ったB研究室にはC先輩がいた。
B教授からとても信頼されている先輩だった。
何時の頃からか、そのC先輩に嫌われている事に気づいた。
嫌われているといっても、仲が良かった期間があったわけではない。
私の思い込みかもしれないが、業務連絡以外で私に話しかけることはなかった。
話しかけても、「ええぇ、そうですか」の二言で会話が終わってしまう。
しかし、他の後輩とは楽しく喋っている。
今までそういう経験がなかった私は非常に動揺した。
そしてB研究室の学生よりも、前のA研究室の学生達と交流する様になっていた。
元々、A研究室の後輩達は学部生の頃に共に勉強した事もあり、親しい間柄にあった。
今さら考えてみれば大失敗だった。
どんどんB研究室で浮いていった。
夏に入り、後期が始まった。
テーマすら形になっていない。何とも情けない。
そして、報連相が欠けていると注意された。
自分としては驚きだった、自身の休みを削ってでも後輩を指導できる様に努力していたつもりだった、
しかし、報連相、特に「相談」が欠けていたのは確かだった。
自分の力で何とか乗り越えようとしていた。
自分が研究室で浮いているという気持ちから報連相が疎かになっていたかもしれない。
ここら辺から徐々に大学にいるのが辛くなってきた。
11月に入って、研究室全体でOB,OGに研究を発表する機会があった。
いそいそと発表資料を作っていた私だったが、前日になって、その企画を運営している後輩から
「大学院生はA0のパネルを作って発表よろしくお願いします」と言われた。
詳しく聞いてみると私以外の先輩方は既に用意しているらしい。
正直、唖然とした。
ここら辺で何かが切れた。
「私って何の為に大学院に進学したんだっけ」と自問し、
結局その会にはバックれた。
何もかもがどうでもよくなった。
その後は引きこもり。
修士1年前期に大量に授業取っていた事と
恥ずかしい話だが、「私は心を入れ替え頑張ります」と言い努力していたが、
すぐ鬱になってしまった。
そしてそんなこんなで6月になり、
思い返せば修士2年間、何もしていない。
「修士だから何かをしなくてはならない」と思い込んでいるわけではないが
本当に何もしていない自分に嫌気がさす。
鬱という言葉を利用して逃げているだけかもしれない。
そんなこんなで私のくだらない人生はお終い。
私が偉そうに言える言葉ではありませんが、
是非、自分の将来のスケジュールをしっかりと作ってがんばってください。
こんな所で言うのもおかしな話ですが
id:next49さんのblogには何かと心の支えになりました。
ありがとうございました。
某大に生息する理系30代既婚女だが、最近ちょうどこれについて考えてた。以前は、本人が好きで、適性もあって、好きなことを仕事にして機嫌よく生きていけるんだったらこういう道もいい、こちらから薦めはしないけど本人が選択したら応援してあげたいと思っていたけど、今は反対したい気分だ。
同時進行中の痴漢の話じゃないけど、学内で性絡みの事件が多過ぎる。そして圧倒的に男性社会なので公にすることも出来ず、当事者が一人で耐えるしかない状況がある。世の中は女に甘いじゃないかと言われそうだが、セクハラ争議を起こした当事者がそのままの場所に留まることは出来ない。声を挙げると将来が閉ざされる最後の手段なので、そうそう行使することはない。大体、それが起こるのが問題なのに、起こった後の処罰が厳しくても本人の役には立たない(似たような事件を防止する見せしめの効果があるかもしれないので、不特定多数の人の役に立つかもしれないが、本人の役には立たない)。
自分一人分の事例だけ考えても、高校~大学の間に、こんなことがあった。
(なお、他人の事例を勝手に書いてよいものかと思って自分の分を書くだけで、漏れ伝わる学内の話を聞くに似たようなものである。)
この辺までが直接的な事例であり、パターンを学習して自衛するか、ものが無くなる系などはある程度の頻度で起こるのは仕方ないと割り切ってきた。
しかし、なかなか割り切れない事例もあった。
一件一件は理系でなくても起こりうる、ありふれた出来事なのだと思う。しかし、偏った男女比のせいであまりにも一人に集中してしまうところが理系の問題なのだ。一件一件は耐えられる事例でも、連続で起きると耐えられなくなる。周囲もまたかという反応になり、余計孤立する。この状況は過酷過ぎる。これが、自分の娘には理系の進路は薦められないと思う理由である。世の中には知らなくてもいいことがある。自分はたまたま知ってしまったわけだが、最初からこのことを知っていたら、あえて愛する者を飛び込もうとさせるだろうか。これが頭の固い世の大人達の正体なのではないだろうか。彼らは狡猾なので、なにがあるか直接言わずに、悪い虫が・・・なんてあやふやな言葉で誤魔化しているだけかもしれない。
最後に、関連で意外な変化があったので書いておきたい。
20代くらいまではこういったことにはひたすら耐えるのみで目を瞑って全力で駆け抜けて来たが、30代に入って子供を持つことを意識するようになって、性が生殖行為であることを実感するようになって、一気に耐えられなくなった。ある意味、若い頃は実感がないために耐えられたが、今は耐えられなくなっている。周囲からは、若い子だってそんなに騒がないのにオバサンが必死でみっともないと映るだろうか。こういった嫌悪感というものが生殖に深く結びついていることを自分の身を通して知った経験談のひとつとして読んで頂ければ幸いである。
大学までに一切恋愛経験ない奴が、4年になって恋に落ちたりすると大変なことになるよ。
片想いにしろ付き合うにしろ大変なことになるよ。
何が大変かって、もう好きすぎて研究どこじゃない。ゼミとかどうでもよくなる。
あの娘に会うために学校行くんだぜ!みたいな。愛の学舎(笑)
でも相手も4年で忙しかったりするとなかなか会えない。
これもう発狂モノ。全く会えない日とか胃が痛くなる。
で、次の日会えたりすると超舞い上がったり。
まぁ俺のことなんだけど。
それでまぁ今更後悔するに、中学高校でもう少し恋に対してアクティブになっても良かったな、と。
接点の超多い中高時代になんで告白したりなんだりしなかったかなーと。
大学とか学部学科まで一緒なのに気軽に話しかけるほどには接点が無い、なんてのも割とザラにある。
そんな環境で恋愛経験の無い奴はいつまで経っても何も発展できない。
中高時代の経験が、ここで差に出る。
そんな訳で奥手で密かに想いを秘めたる中高男子諸君はガンガンいって、ガンガン経験積んだほうがいいよ。
あ、もちろん身だしなみとかは気をつけてね。