はてなキーワード: 燃費とは
アジアの成長を日本の成長につなげる為に、アジア総合開発計画の策定や、アジアの広域インフラ整備への支援などをぶち上げたらしい。
アジアが成長するならば、それを世界にとって望ましい方向に誘導する為に関わるべきであろう。しかし、成長しない物を成長させる為に、日本国民の血税を他国に注ぎ込むODAのばら撒きや工場の移設、技術供与は、必要ない。当然、仮にアジアが成長するとしても、世界にとって望ましい方向に誘導する為の発言力は、資金や技術の提供で得るべきではない。
アジアには、経済を成長させる前に、民度を成長させなければならない国家が多すぎる。そして、民度を上げるには、政治体制が障害になっている場合が多い。
政治体制を放置したまま経済を成長させたり、生活水準を快適化したりすると、好ましくない政治体制を延命させる事に繋がる。好ましくない政治体制をとっている国家には、民度を引き上げる為の方策が必要になる。内政干渉にならずに、政治体制の欠陥を自覚させるには、国境の無いメディアであり、しかも、閲覧者の閲覧行為が無ければ見れないwebが望ましい。これは、pushメディアでない事が有利になる使い方となる。
web上のコンテンツを充実させる事と、コンテンツクリエイターを増やし、その活動を秋葉原等に集約して観光資源とする事は、つまるところ、お金の問題でしかなく、新しいスポンサーを作り出す事は不可能であるから、既存のお金の流れを、権利を独占してピンはねしている既得権者から実際に物作りをしている人へと渡るように調整する事が手段となる。
ド田舎の温泉地を観光資源化しても、一度行けばそれで終わりであり、パリやロンドンやNYのような、リピーターが確保できる観光地にするには、毎日進化し、変化する芸術や学術を、観光資源としなければならない。ハコ物を作ればそれでおしまいという考え方とは正反対であるし、何が支持されるかわからないので、税金でやらせるようなやり方は、失敗しか生み出さない。
低炭素革命については、低炭素化の為に買い換えるのでは、逆効果である。需要を生み出す為の手段としては、確実に間違っている。使える物は最後まで使いきるという考え方こそが、低炭素な考え方であり、これは、需要活性化とは、正反対になる。すくなくとも、需要を生み出せるような話では無い。なんでこの話が出てくるのか、理解しがたい。燃費の良い自動車に買い換えるならば25万円を税金から補助するという話みたいな物で、自動車を買い替えた時にかかる費用と、節約できるガソリン代から算出できるメリットとを比べれば、タクシー業者並に走り回らないと元が取れないという間抜けな話になる。自動車を処分して、必要な時にレンタカーを借りるというやり方の方が、駐車場代の高い都会ではコスト的に有利になってしまうし、自動車を製造する時に発生する炭素を排除できる。一人だけの移動手段としては、バイクの方が安いし燃費も良いとなる。
あとは、健康長寿社会という話であるが、健康に気を使う人を増やすには、まず、企業が従業員を使い捨てにしない事である。また、健康に気を使いたくとも、代わりは幾らでも居るという雇用側の態度では、まともな労働者は居なくなる。外国人労働者を使わなければならないほど国民に嫌われている企業は、日本から出て行くか、行動を改めるかの二者択一をせまるべきである。
公害を撒き散らし、従業員を使い捨てにして国際競争に勝つのならば、経営者は誰でも良いとなる。公害を防ぎ、多くの人が従業員になりたがる雇用環境を維持しつつ、国際競争に勝ってこそ、高額の役員報酬を受け取れる人材となる。同様に、財政赤字を撒き散らし、賄賂をとりまくって政権を取り、維持するのであれば、政治家は地域にばら撒きを持ってきてくれる人ならば誰でも良いとなる。財政を黒字に保ち、身辺に一片の曇りも無い状態を維持しつつ、国益を増進させてこそ、高額の歳費を受け取れる人材となる。
目的を達成する手段の選択や、役職や地位にふさわしい行動を取っているかどうかを、客観的にわきまえられる能力は、民度の基礎である。
そりゃあ新しい車ほしいよね。
今乗ってるのはもうすぐ14万キロだし。
ブレーキ効かないし、サスぎしぎしいってるし。
今日から。
で、この不景気のあおりを受けて、日産車を新車で買うと購入額の10%の補助金を出してくれる。
これも今日から。
一定の排ガス基準、燃費基準をクリアすると、自動車取得税・自動車重量税・自動車税が50%~75%も免除される。
日産はこれに合わせて、4/23日からその基準を満たす小型車を発売する。
これがキモだ。
個人資産1400兆円の内6割が60歳以上が持ってる。
少なく見積もってもうちのおじいさまは1,000万円ほどは資産があると思う。
ただ、現預金がどの程度なのかは未知数。
・地元への恩返し
・貯蓄から消費へ
・上手におねだり
http://anond.hatelabo.jp/20090222184603
スピード狂だし、趣味として贅沢に乗ってはいるがスポーツカーではない
年間 約125万円
趣味として乗っていたのでこれくらいかかるのはしかたがないと思う。
都下で実用車としてケチるところをケチれば年間80万位にはなるだろう。
だが、ケチるにはそれなりの知識と労力が必要だし
そこまで手間をかけるなら不要と言うことで手放した。
都心なのでデートに車なんてありえないし、酒を飲んだら運転できないというのもマイナスだ。
スーパーまで歩いて10分だけど、米酒の重量物はすっかり通販専用になった。
最近の車は日本の道路事情から見て完全にオーバースペック、PS3のようなものだ
メーカーはそれを無視して車をどんどんでかくするから走りにくいことこの上ない。
次に買うとしたら疾走感的に軽ターボかなと思うんだけど、DS的に
だけど軽を運転するとやたらDQNがオラオラしてきて不愉快な思いをする。
趣味娯楽としての車ははっきり言って終わっている。
と言うかスポーツバイクを買ってから全く車を運転しなくなった。
これが車を手放すことを決意した最大の理由。
http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/pamphlet/pdf/keiki_taisaku.pdf
高速道路を国道化して無料化すると、内航フェリーのほとんどは競争力を失うので、廃業することになる。廃業しないで済むのは、短距離便と空港の無い離島便ぐらいという事になる。短距離便は橋梁や海底トンネルによって置き換えられるし、離島便も、空港が作れないほど小さい島だけという事になるであろう。
内航フェリーは事実上完全廃止という事になるが、何か、不都合があるというのであろうか。
貨物船や客船は成立するが、貨客船の需要は、もともと落ちている。船舶輸送中のサービスを一切しない貨物船においては、荷役コストが重要要素であるし、船舶輸送中のサービスが命である客船においては、イメージ戦略こそが重要となる。貨客船は、そのどちらでもなく、橋やトンネルが無くて、それを使うしかないという客の弱みに付け込む商売でしかない。貨客船が不便で高価だから、橋やトンネルを望む客が出てきた時点で、存在意義が否定されているのである。
地方の港に揚がった鮮魚を大都市に運ぶ船便というのは、ナンセンスである。船で運ぶのならば、地方の港に揚げずに、漁船が直接消費地の港に行った方が、合理的である。そもそも、地方の港に揚がった鮮魚は、トラック便で運ばれる。貨客船の巡航速度は20ノット(時速37km)ぐらいで一番燃費が良くなるように設計されている。10時間で370Kmである。トラックならば時速90Kmで走れるので、4時間ちょっとで追いついてしまう。地方の港に揚げてセリにかけてトラックに積み込むまでに3時間かかったとしても、7時間後には追いついている。休憩や道路事情による予備時間を加えたとしても、トラックの方が、はるかに早いのである。
工業製品を運ぶのにも、郵便物を運ぶのにも、速度が重要であり、高速道路が張り巡らされている状態では、わざわざ港で船待ちをしなければならない船便よりも、トラック便の方が速い。
競争力の無い内航フェリーに補助金を出すのであれば、かつての石炭鉱業合理化臨時措置法と同様に、廃業を前提とした処理とするべきであろう。
リッター4kmってそんなに悪いか?
そんなに燃費の悪い車乗ってて「生活が苦しいの」とか言うなら頭おかしいのかもしれないけどwww
http://anond.hatelabo.jp/20081210233358
11月は本当に売れてないらしくて、12月でいいって言っても「お願いです!11月に普通車登録これ1台なんです!」みたいに力説された。というわけでクルマ屋には既にあるが僕が忙しくて納車できていない。今までは個人売買で知り合いから譲ってもらうケースがほとんどだったので、自分で新車を買ったの12年ぶり。車を引き取りに行くのが待ち遠しい。自分へのクリスマスプレゼントになりそうだ。以前よりは燃費がちょっと悪い車種になったけど、いいタイミングでガソリンは過去最低価格に近づきつつある。出費は変わらない感じだ。
そもそも、
・ガソリン高騰で車売れない
と言っていたのなら、今はもっと売れてもおかしくない。でもその高騰した前年同月比でさえ-30%ってガソリン関係なくね?
東京に引っ越すとき今の住居も駐車場代相場から優先して安い場所に決めた。電車もまあまあ便利だけどあまり都内に遊びに行きたいところもないし、一人で知らない土地にやってきて、それなりに友人知人もたくさん出来たのは全部クルマを通じたクルマ好きコミュニティのおかげ。
今の大家もクルマ好きでおかげで賃貸でも地域の行事に呼ばれたりして非常に楽しく「大家は親も同然、店子は子も同然」みたいな暮らしである。駐車場代を払いにいってはそのままクルマ話で飲み談義(近いので徒歩だから)になる。
いや、車買わないっていう人はそれでいいと思うんだ。正しい。
http://anond.hatelabo.jp/20081124182353 を書いた増田だけど
半分冗談で上げたんだよね。だから最後にwが入ってるわけだけど。
正直俺もあれは無いと思う。つーか誰が買うんだろ?
車を必要としてる郊外ではあんな車を必要とはしないし、かといって都心でも中途半端すぎるし。
ディーラで聞いたら「セカンドカーとして……」って返答に困ってたよ。
メリットってなんだろう?税金も安くならないし。4人乗れないし。燃費も大してヴィッツと変わらない。(私的センスで申し訳ないが)スタイルもあまり……
田舎だと裕福ではなさそうな家ほど高級車が止まってる。(気がする)
凄まじく安そうな団地とかにベンツとかBMWとか。まぁ、中古車っぽいけど。
田舎だとセルシオの中古という存在価値のわからんものがバンバン売れる。
安いなら分かるけど、セルシオだからって結構な値段がする。
あれだろうな。買えるものは買ってしまうんだ。きっと。
だから貯金とかしないと買えない高い家は買えないけど、それなりの中古車なら買ってしまう。
最近は新車で軽を買ってるところが多いかな。
最近の軽はその辺のリッターカーより走るし、税金も安い。タイヤも安いし燃費もいい。エンジンオイルも安いし、もう何もかも安い。
1ヶ月あたりに割れば大した額じゃないとかいう奴いるけど、
違うよ。
その車をどれだけ長く乗って行きたいかは、やっぱり愛着だろ?
車なら「耐久度とか性能とか燃費とかのスペック」重視なら、新車の方が良い筈だが…この場合はたとえなんで、それは「どちらの場合も同じ」なんだよ。
どれだけダメでも、燃費が悪くても、愛着があれば無理してでも乗り続けたい。それが根底にある。
そこで、「乗り続けるなら新車がいい」って価値観の持ち主が、中古しか手に入らなかった場合、少し耐久度が落ちたとか、燃費悪くなったら、「ああ、やっぱり中古だからな」って乗り換えたくなるじゃん。
新車というのはそれくらいその人にとっては価値があるんだろ?
(むしろ性能やスペックがブラックボックスだから投資家的ギャンブル)
愛着ってそんなもんだよね。
via http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の軽カーオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない軽の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、軽のことを紹介するために
知るべき10台を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタファッションガイド」の正反対版だな。彼女に軽を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、軽規格制定前の車は避けたい。
できれば660cc、小さくても550ccにとどめたい。
あと、いくら軽カー的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
軽カー知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「規格改正以前」を濃縮しきっていて、「規格改正以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。トールタイプだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な軽について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな軽(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「軽オタとしてはこの二つは“自動車”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
たぶんこれを見た彼女は「ミニだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
このクラシック系譜の軽がその後続いていないこと、これが以前の日本では大人気だったこと、
当時の主な車種にこの設定があって、それが今の日本で続いていてもおかしくはなさそうなのに、
最近の日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり軽は実用性のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「アトレー」
でもいいのだけれど、そこでもこっちを選んだのは、この車にかけるダイハツの思いが好きだから。
断腸の思いでエンジンルームを削りに削ってそれでも2000mm、っていう室内長が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「ボンネットを捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
室内長の広さを俺自身は冗長とは思わないし、もう伸ばせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
なのに、各所で工夫してエンジンルームの整備性に迷惑かけて2000mmを作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の軽自動車観を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえダイハツがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。車自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でワークス見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
規格改正よりも前の段階で、軽スポーツの哲学とか技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品が旧規格時代にひしめき合っていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく軽好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるスペシャリティなcopenでしか軽スポーツを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
スバルの「車づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「コンパクトでも生活に大切な車」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ『軽自動車』という規制枠以外ではあり得なかったとも思う。
「コンパクトに日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はスバル360にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうオフロードも走破できるSUVをこういうかたちで軽して、それが非オタに受け入れられるか
乗り心地や燃費への文句を誘発するか、というのを見てみたい。
9台目まではあっさり決まったんだけど10台目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にiを選んだ。
ワゴンRから始まってiで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、21世紀以降のエコ時代の先駆けと
なった軽でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
「地球温暖化と環境破壊との因果関係がはっきりしていない」という意見がある。しかし環境破壊は良くない、というのはみんな一致した意見だよな。そもそも環境破壊や環境保護の「環境」ってのは、「人間が住みやすい環境」を指しているのだから。極論すれば、クジラやシロクマが死のうが人間が未来まで快適に住めればいいのである。
「環境は大事だけど自分の便利な生活は失いたくない」という意見がある。正直であり当然である。しかし、便利な生活を失った見返りがあったらどうだろうか。たとえばお金。現に、ガソリン代が上がったらクルマでの遠出を控えたり回数を減らしたりしてるという。流通業界は業種業態の枠組みを超えた共同配送等も検討するという。みんなお金は大事である。
というわけで、地球と財布に優しいエコ(エコロジー/エコノミー/エネルギー)を考えてみた。
折角納得した後になんだが、その言い方は正しくない。
まず、金ってのは株(投資)じゃ増えもしないし減りもしないんだ。
(中略)
投資で金が増える、なんてのはまやかしに過ぎず、結局はどこかで誰かがモノを売り買いして始めてお金が生じる。勿論、効率よい投資の分配のためには株式市場などの投資市場は必要なのだけれどね。投資市場というのは経済の潤滑油なんだ。エンジンオイルをいいものにすれば燃費は良くなるし、エンジンオイルなしじゃ燃費が悪くてやってられないけれど、エンジンオイルだけでは車は走らない。
金は労働力や情報(技術)と同様に、モノを売買するための要素だよ。この要素のどれが欠けてもビジネスをすることは出来ない。潤滑油の喩えは、金のある側面を表現しているが、同時に金自身が商売の必須の要素であることを省いている。おそらく意図的に。虚業/実業なんて言いたがりな日本人気質に関係するかもしれない。
その必須の要素をどう調達するかって手段に株式ってのがあって、この株式ってもんがどう動くかは他増田のエントリの通り。金の持ち主にとっては、利子は相手任せで(でも過去の利子は分かる)金を貸してるようなもんで、これまで儲かってたと聞いたから自分も便乗しようと金を貸したら、急に失敗しやがって、というようなことだ。
金を貸して儲かるための権利である株式自体が一種の商品になってて、価格がついてて、毎日競りにかけられて価格が変わる。そんな世界。
まず、金ってのは株(投資)じゃ増えもしないし減りもしないんだ。
投資すると、AからBに金が流れる。Bはそれを、他に投資する。株を買う場合もあるだろうし、工場を作る事もあるだろうし、銀行に預けることもあるだろう。すると株を売った側や機械を売った側などに金が流れる。この繰り返しだ。
投資で金が増える、なんてのはまやかしに過ぎず、結局はどこかで誰かがモノを売り買いして始めてお金が生じる。勿論、効率よい投資の分配のためには株式市場などの投資市場は必要なのだけれどね。投資市場というのは経済の潤滑油なんだ。エンジンオイルをいいものにすれば燃費は良くなるし、エンジンオイルなしじゃ燃費が悪くてやってられないけれど、エンジンオイルだけでは車は走らない。
この投資サイクルが滞るのは、出資した(貸し付けた)資金に見合うだけの金が戻ってこなくなった時。100万円の利益を上げられるはずの機械を100万円で買ったのに、50万円分の利益しか上がらなかった人は、50万円の損をする。すると、その人に100万円お金を貸した人も、50万円分しか返してもらえないかもしれない。出資のサイクルの逆回しで、損が循環していく事になる。実際には株式市場は、結果が出るより先に価格が動くけどね。最初の企業が50万円分の利益しか上げられそうにない、と分かった時点で、出資したことの証明書=株の価格は100万円を下回る事になる。
逆もまた然りで、この機械が150万円分の利益を上げそうだ、となると、100万円分の出資をした証明書=株式は、結果が出るより先に120万円とかで売れる事になる。どのくらいの値段がつくかは、みんなの予想しだい。
実際には、企業の成長と投資は継続的に行われる。「100万円稼げそうな機械を買ったら150万稼いでくれた」という個別の投資に対する評価ではなく、「その企業は今年度の頭には100万円稼げそうだと思われたけど、どうも今期は150万円稼げそうだ」という、企業の成長性自体に対する評価になる。
で、ライブドアの場合だけど。株価が急上昇していたのは、要するにライブドアが急成長するだろう、という期待のあらわれ。で、逮捕だなんだでライブドアの見通しが暗くなったから評価額が急激に落ちた。
つまり、消えた400万というのは、ライブドアが今後稼ぐであろうと期待された金額に相当するんだ。どこかに今あるお金が消えたわけではない。消えたのは、お金を稼いでくれるだろうという期待、いわば未来のお金。
ガソリン暫定税率でギャーギャーやってるけど、例え、復活したとしても、そう遠くない将来に電気自動車に時代になったり、ハイブリッドの割合が増えていったり、低燃費の車がどんどん増えてくるんだから、ジリ貧じゃね?
ガソリンを買う人、買う量が減れば、税収も減っちゃうんだぜ?
今のうちになんか方策を考えて、ここはいったん暫定税率廃止にした方が美味しいんじゃね?
っつーか、今、考える話じゃねーよなあ。もう数年前、それ以上前から解ってるんだし、自動車の世界の進化もその当時からわかってるんだから、未来を見据えて戦略を練っていればスムーズにコトを進められたはずだ。
案外、道路族っていうか、権力者っていうか、うらでコソコソと税金吸ってる連中って、知恵が回らないのかなあ。
一般市民やマスコミに注目される前に目立たないように法律変えるコトくらい簡単だろうに。財務省にケチをつけられなくて美味しい財源なのに、なんでこんなに杜撰なんだろうか。
こんなことくらい、誰でも思いつくのになんで出来ないの?