はてなキーワード: 掲示板とは
最近、どのアニメを見てもどのマンガを読んでもどの特撮を見てもキャラクターが受けにしか見えない。ゲイビ(ジャニ系とか)に軽く片足を突っ込んでいる。
たぶん自分は、腐女子というよりは男が喘いでいるのを見るのが好きな変態だったんだと思う。
「A×Bいいよねー!」とキャッキャするよりは「B犯したい」といったような感じ。
でも女性向けふたば的な掲示板を見る限り、腐女子界隈にはそういう人は多いみたいで安心した。
しょっちゅう「ソープへ行け」と言われているのを見てきました。
ソープランドを勧める人いわく、行けば悪い憑き物が落ちる。人格が改善すると。
自分と似たところのある人がいつもそう言われているのを見るうちに
試す価値があるのかもしれないと決心し、昨日行ってみました。
まず自己紹介しますが、
彼女いない歴=年齢。好きな子がいたこともなく失恋したこともなし。
彼女作ろうという努力をしたこともなし。特に理由はありません。
なんとなく女の子に引け目を感じるというか苦手なところはあり
知り合いに「あんたはきっと女性不信」と言われたことが刺さっています。
リアル姉も居るので性的対象と思わなければ全くキョドりません。
酒を飲んで性的な話題になると童貞を隠して合わせるのにいつも辛い思いがありました。
女同僚に「エロ本も持ってなさそう」と言われたことがあって
童貞なのはばれているのかもしれません。
どこを直したいという明確な意識はないものの、何か改善したい、という漠然とした気持ちはありました。
予約したのは高くも安くもない価格帯のお店で、
有給を取って午前中から行きました。何故か普段の出勤と同じスーツで。
非モテの人はピンと来るかもしれませんが、私服のセンスに自信がないからです。
時間だけでなく女の子も全部事前に予約で決めるのがソープランドの流儀と言うことなので
お店のサイトとネットの掲示板の情報から24歳という女の子を予約しました。
童貞ならベテランがいいしこの人はオススメだよ、というネットの常連のアドバイスに従いました。
24歳で何故ベテランなんだろうと思ったら、この世界で24歳は実年齢30前後という暗黙のルールがあるそうです。
意外に礼儀正しいボーイさんに待合室に案内されました。
ソファーのある待合室には壁に女の子の顔写真がモザイク無しでズラッと張ってあり、
見ていたら「女性を売り物にしている」というフレーズと田島陽子先生の顔が突然浮かびました。
女の子の準備が出来たということでボーイさんに促され
1人でカーテンをくぐって薄暗い所にいくと、予約した女の子がニコニコして手を振っていました。
そこで驚いたのですが、予約するときに見た写真とは全然印象が違ったものの、
日常生活で女の子を見る時に感じたことがないぐらい物凄く可愛く見えました。
はっきり言って行為前のところのほうが驚きのポイントが多かったので実際の行為の所は省略します。
行為自体の物質的な快感はオナニーと変わらないような感じでした。
行為中に発見した感動
・女の子が手を繋いでくれる
・女の子が自分とセックスをするために目の前で服と下着を脱いでくれる
・目の前の女の子に欲情して、それを隠さなくても許される
・性器を褒められると馬鹿みたいに嬉しい
(おじさん向けのエロみたいなのでよくそういう概念が出てきて「馬鹿じゃないか」と思っていたのに
お世辞でも大きいとか言われて嬉しかった。というか相手に対して勃起しているのを見られるだけで嬉しかった。
理解不能だった露出狂の気持ちも、犯罪は許せないとして、動機は理解できてしまった…。)
ということで帰ってきまして、
しかし自分の中で何が変わったか考えると、うーん…。
相手をしてくれた女の子にはとても感謝してるし感動すらしましたし、
何か錯覚が働いているのは自覚しながらも、人生で会った中で一番可愛い女の子のように今も感じています
ただ、お金ではなくそういう関係になれる相手を作ろう、作れる、という自信はとても涌きません。
ソープの同じ女の子に週1で通う程度には金銭的余裕もありますが、
それも何か違う気がしています。
以上、これは気付きや人格改造の試みとして成功なんでしょうか失敗なんでしょうか?
採点をお願いします。
「ネット内コミュニティ」。古くはNewsGroup、BBS(掲示板)、最近ではmixiなどのSNS内コミュニティや、著名ブロガーのブログなども範囲に入るんじゃないかと思う。多分増田も入るだろう。
それらを「不特定多数だが、同じ志向の持ち主が集う場」として評価する時の基準の一つに、「何らかの文化を生み出せたかどうか」は必須じゃないかと思う。
そういう意味では、たとえば「2ちゃんねる」の板・スレッドの中には最高レベルの評価を受けるものがあるだろう。「2ちゃんねる」発のスラングやAA(アスキーアート)の中には、ネット利用者の大半が知っているという物も多いし、一時期は「電車男」のように、書籍やドラマ、映画化したものまである。犯罪予告の書き込みで逮捕者が続出するというのも、ある意味「文化」と言える。
「mixi」や「ニコニコ動画」あたりは説明するまでもないだろう。
そういう観点で見てみると、果たして増田(はてな匿名ダイアリー)はどうか。
増田から生まれた、何か「文化」と呼ぶべきものはどれほどあるだろうか。
「実はそれ、はてな匿名ダイアリーが発祥なんだぜ?」と言えるようなものがいくつあるだろうか。
案の定、産経が余計なことをしてくれたおかげで、
鉄道趣味について扱う掲示板、ブログ等がオタク叩きに席巻されている。
「だから良心派は必要」という声もある。
しかし、私は「良心派」こそ消えるべきであると考える。
なぜなら、「良心派」とは以下のような者だからだ。
・正義の名のもとに、鉄道趣味のコミュニティを破壊し回っている
・自分は常識を守っているという売名行為のため騒動を利用している
・およそ現実的と思えない、極端な規制、制限をすべきと譲らない
・これに乗じて、自分の気に入らないファンを「邪道」として排除したがる
小学生だか中学生だかの男の子が自殺した、というニュースを見た
一緒にニュースを見ていた祖母に、悲しいからお前は自殺なんてしないで頂戴ね、といわれたのを覚えてる
割りと年齢の近い子の自殺だったというのも一因だったと思う
それ以来、何となく寿命を全うして逝こうと言う気になれない
A高校以外認めないという親類縁者一同からのプレッシャーの中での高校受験期(結局A高校に受かった)
センター8割取れなくて志望校E判定の大学受験期(結局前期に受けた第1志望と私立は全部落ちて、後期に受かった大学に入った)
内定取れなくて6月頃まで就活していた時(同業の人からも「そこはやめたほうが…」といわれるところに内定決まった)
そう言う人生の節目じゃなくても、卒論の中間報告の前日とか、審査稿の提出の前日とか、ピアノの発表会の前日、嫌いな習字塾のあった水曜日、何故か勝ち上がっちゃった水泳大会の日…
そういう些細なことで死のうかな、と思うようになった
小学生の時のタイムカプセルが送られてきたけど「まだ生きてるの?何が楽しくて生きてるの?この先も本当に生きていて楽しいと思うの?」なんて言葉が出てきた時には笑った
早期発症の厨2病を10年以上引きずってるようなもんなのかな
小学生時代にははさみで足を切ったりしていた、中学時代にリストカットをしては見せびらかすことが学年で流行っていたのを幼稚な人たちだなと思いながら結局自分も影ではリストカットを繰り返していた。
高校時代には具体的に死ぬ方法を求めて自殺マニュアルとか自殺のコストとか南条あやとか買って、そこからネットにハマって、自傷行為を繰り返す日記をつづっている人たちの日記を読んだり、たまに掲示板なんかで全然関係ない趣味の話とかしてた
大学に入ってからは一人暮らしを始めて結構楽しくやれていたと思うのにやっぱり折に触れて死にたくなる
別に生きているのが辛いとかそう言うことは全然ない
自分の人生に頑張って乗り越えられない壁は今のところなかったし、多分これからもそこまでの壁はないんじゃないかと思う
まぁ、非コミュだし、デブス喪だし、性格悪いし、どもりだけど、これまで何とかなったんだし。
でも、ただ、なんか死にたい
別にうつ病とかじゃないと思う。食べ物を食べて美味しいとかまずいとか思うし、眠くなるし、面白い映画見れば笑うし。
続きが気になるドラマとか、行きたい場所とか、食べたいものとか、世に言うところの未練もたくさんある。
長女だし両親の老後とか、祖父母の老い先だとか、あとは妹の大学受験とか就職とかも気になる。
でもやっぱり「確実に死ぬ方法がありますよ」って言われたら迷わず死ぬと思う
「大学生の自分」は想像できていたけど「社会人の自分」は想像したことなくて、ぶっちゃけ今でも想像できない
何となく、今が節目なんじゃないかなと思ってる
今を乗り越えたら、多分そのまま「世間並み」を目標にしてそれなりに生きていくと思う
でも、乗り越えても大していいことなんて無いよね
※改題
ってなわけで、作画オタクマンセー、って内容で今から繰り出すわけですがね。
「作画オタってうぜえ、くせえ、ビーッ!ビーッ!」って人は読んだらものすごく不愉快になるだろうからそこんとこよろしくね。
かといって作画オタがご機嫌になれる内容かと言えばたぶん違うと思うんだ
俺が普段モヤモヤしたものをここでぶちまけさせてスッキリさせてもらうわってだけのエントリだから
んで、まーなんつーか
アニメ系のブログとかスレッドとか評論ぶったサイトとか見て回るとですね
純然たる客観的事実としてどう考えても「作画オタ以上の見識を持った奴がいねえ」って印象を受けざるを得
ないわけですよ
いや、いやいやいや、俺だってね、アニメは作画だけが全てとは思わんよ。作画に疎いこととアニメ語りがで
きる事は別だと、一時期は思ってましたよ
でもね、結果的に見ますと、やっぱあれだ、作画オタのほうがよっぽどアニメ語ってるわー
どういうこっちゃねんなオイ、考えたよ、そんででた結論は「作画オタじゃないとアニメ語れないんだ」です
よ
あ?また作オタお得意の優越感ゲームだよーって?はいはい偉いですねーって?そうなんですよ、偉いんです
よ作オタって。
考えてもみなさいよ、昔のアニオタってアニメ作画について語れることがステータスだったんですよ偉いんで
すよっていうか、アニメを今まで以上に好きになるってことは作画を好きになるってことと同義なんすよ、そ
れをお前今じゃ、「作画しか見てない奴は純粋にアニメを楽しんでない」って論調がふざけんなよ!作画「も
」見てんだよ!お前らは「作画も見れてない」んだろうが!!いいか、アニメを純粋に楽しみたいから作画も
好きになったんだよ!
でだ、ネットが普及して作画に入れ込んでないけどみんな作画を気にするようになったよねここ数年の傾向と
して。それ自体は良いと思う。問題はそのわりにちゃんと知ってみようとしないこと。
アニメの作り方とか知らないけど作画にはケチつけるよって連中がすげえ多いこと多いこと。一時期よく背伸
びしたがりなアニオタの内で「原画を犠牲にして動画のクオリティを上げてるね(キリッ)」(逆のパターン有り
)ってフレーズ流行ったけど(流行ってないかも)今じゃギャグにしか使わないでしょーって思ってたけど今
でも割とネタじゃなくマジで言ってる奴がいたりしてげんなりしてくる。原画と動画の違いとかググればパツ
イチで出てくるようなことだっつうのに、それも手間だと思ってるんでしょうかキーボード打つ暇もないのか
。ていうか興味対象の限界なんだよねこれが奴らの。それとは別の次元のところに作画に対する興味(といい
つつ興味でもなんでもないただの脊椎反射だよね)がやつらにあんのが末恐ろしいっていうか
いや、わかるよ俺、かわいいキャラが崩れるのはヤだもんね、だからそこに文句つけんのは凄く正しいと思う
。けど文句のつけかたに妙な気味悪さが萌え豚(あ、言っちゃった)たちにあるのがな。その最たるものが「
作画崩壊」って造語なんだけ・・・・あーこの言葉ほんと気分悪い。だってこれ使ってるのって自分の言葉で
語るの根本から放棄しますって宣言だろがよ、自覚あんのか自覚。よくわかんないものを「作画崩壊」ってカ
テゴリに無理ぐり当てはめて安心したいだけなんじゃねーのかよ。違うかよ。わかんないものはわかんないだ
ろうからいいよそれで、わかんないものを分かってみようって姿勢ももちろんいいよ。でも「作画崩壊」って
決めつけることはどっちでもねーだろ。わかんないものをわかった気になりたいけどわかろうとしない(めん
どくさいから)アンビバレンツを「作画崩壊」っていうんだろ違う?
ふつーに作画がヘチョいものをケナすのはいいよ。ただアニメタの画風が露出した部分が受け入れがたいって
のもあるだろうからそれを非難するのもいいと思うよ。ただそれまで「作画崩壊」で解決させようとする姿勢
はなんなんだ?理解ができん。ていうか単純に画力の無さヘナってるのと画風との区別ってそんなつかないも
んなの?絵がいくらキモかろうとも巧いものは巧いってのは普通わかると思うんだか(漫画家?あれは下手な
のも画風の内っしょ)逆にうまくてもキモいものは叩かれるのは道理ですよね。それはわかるよ。でも奴らの
論調は道理じゃないと思うんだよ。いや、俺だって作画の巧さと好き嫌いは別だと思うし、作オタだから谷口
キリコや安藤セラムンとか無条件で受け入れろってわけじゃないし、でも巧さは巧さとして認識しようぜとは
思ってる。俺もネギまやぱにぽににおける大田和寛のキャラデザは正直生理的に受け入れがたいものがあるん
だけど大田和寛自身はアニメタとしてメチャ巧いのは確かだからあれはあれでいいと思ってる。(もともとリ
アル系目指してたらしいしね、素の絵柄の時はまったく違うらしい、同人誌かなんかで見た)まあ、そこらへ
ん度外視してあーだこーだ言ってしまうのは、正直フェアじゃねえんじゃねえかなって。道理のようで道理じ
ゃないんだよ。
そこらへんが悪い形で出てしまった悲劇というのがかのアクエリオン19話だよな。「いやあれは演出だから
(キリッ」「アバンは現実世界なのに絵が変わってるからその言い訳は(キリッ」って低次元の言い争いじゃなくっ
て、まあ、放送当時は荒れたよねほんと。あそこで糾弾の的に上がったのは絵コンテ・作画監督(Aパート)そ
のほか世界設定であるうつのみや理だったけど、あの話数はうつの画風全開(Bパートは別の人が作監でうつ度
薄れた感はあるんだけど大多数はそこまで気にしてないよね)で、異空間に紛れ込んだのをあの画で現してん
だけど、やっぱり叩きに叩かれた。うつだけが、そう、うつのみや理だけが。何故か。え?そりゃそうだろう
って?そうなのほんとに?たしかにコンテや設定込みでやらしてもらってるからうつ主導の回なのは間違いな
い、それが受け入れられなかった場合はうつのほうに追求が行くのも間違いない。でもだれか忘れてない?こ
の話数にゴーサインを出した人、監督:河森正治の存在を。なぜかあの騒動の中で、河森はなんの責任も無い
どころかまるで被害者かのように否定派連中は担ぎ出していた。河森の当初描いていた物語(作品全体という
意味で)をうつのみやが破壊したと、こう言いたいわけだってなんだそりゃあ。あまりにも筋が通ってないだ
ろそれは。あの回はアクエリオンという作品でこういうことをしたいという河森の構想をうつが委託して作っ
たようなものだったのに。どの口で言ってるのだろうか連中は。公式ブログには当時のコメントログがそのま
んま残っている、律儀にも。(http://aquarion.blog.so-net.ne.jp/2005-08-06)コメントのファビョりっぷ
りが当時の様子を伺わせるだろう。「うつのみや理はアニメに二度と関わるな」「追放しろ」というようなベ
クトルでだ、わあすげえ、きっと人殺しても許されると思ってるんだろうなあこの人ら。あまつさえ「原作者
のこの作品に対する気持ちを冒涜するかのような横暴って感じです」ですって。原作者!原作者ときましたか
wwwいや、このアニメの原作者はもちろん監督である河森なんだけど、果たしてこのコメント付けた馬鹿は
「原作者」と「河森正治」とがリンクしてるのかどうかものすごく疑わしいんですが。えーと、まあ、筋の通
った話なら、河森がこういうことをやりたいから、うつを起用して、こういう回を作り上げたと、それでまあ
それが視聴者に受け入れられなかったのならそれはそれで仕方ないけれど、その時に河森に対する責任はゼロ
ってそんな筈ぁないよね。でも非難が集中したのはうつの方だった。HP(現在は消滅)の掲示板にも突撃かまさ
れてた、心苦しかった。作オタとして。筋が通ってるんなら監督不行届的な意味で河森にも同じくらい非難が
こないと納得いかないんだが、そうはならなかった。あまりにも一方的過ぎて酷いと思った(いっとくけど俺
は19話大好きだしうつも河森も間違った事はしていないと思ってるから誤解のなきよう)。
もうあんな悲劇はゴメンだと思ってるから、二度と起きて欲しくないんだけど結局これまでに似たような事は
何度も起こってるんだよね、はあ。
嫌なものは嫌だというのはわかるよ、嫌でも好きになれよって言うつもりは無いんだよ作オタ側でもな。でも
、なんだその歪みきった行動はよ、あまりにも非人道的だろうが、お前らがそういう手段に出るんだったらこ
っちだって怒気荒らげるわさ。死ね、お願いだから死んでくれ。頼むから。
・・・・えーっと、何の話だったっけかな?作オタがいかに優れてるかだっけか?正直もうここまでくるとそ
のテーマどうでもいいんだけど。
しかし、今はそれなりに作画に関する認知度はあの当時よりはマシんなってきたと思うし。やっぱあれだよね
、作画MAD、そして作画WIKI、そしてその大元になった作画を語るス・・・!え、それは違う?いやでもあそこ
なんだかんだ言って常駐してりゃ作画情報すぐ入ってくるから便利っちゃ便利なんだよね。そりゃタチの悪い
のもいるけどもそれでも他のアニメ系スレッドに比べりゃ遥かにマシだと思うし。俺も一度愛想尽きて作スレ
離れようかと思ったけど結局まだ入り浸ってるし。だって質がいくら落ちようが、他のスレより全然語ってる
ほうだと思うし、作画だけじゃなくアニメそのものも。テロ萌えだとかで名前だけでしか語ってないっていう
のもネタを除けば共通言語で名前出しゃ言いたいことはわかるってレベルなんだと思うし。あー脱線。まあそ
んなのので作画、認知されてきてるよね。うん。特に作画MAD。これは間違いなく作オタ人口を増やしたんだと
思う。そして増えた結果がこれだ。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070424/drawingotaku
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090414/1239659751(真ん中の作画オタクの新入生のほう)
・・・・・・・・・・・ま、これが作画に興味を持つフックになってくれればいいんだけど、こっから先行け
んのかどうかちょっとうにゅにゅ・・・って感じだよね。ここでもう満足してるっつか。ほんと「MAD見て良さ
わかった(つもり)だから俺作画オターw」みたいな。なわけねえっしょ。これ見て(URL前者)嫌な汗かいち
ゃって、作画WIKIに「作画MAD見ただけで作オタになった気にならないでください日々精進」って注意書きをダ
マテンで追加したんだけど俺、未だに残ってるね。これが効果あんのか無いのか無いと思うけど、まあここで
作画オタだと自分勘違いした人って多いんだろうね。いや、俺だって自分が生粋の作画オタなのかというと疑
わしいけどさ、21世紀入ってからだし。やっぱメージュとかOUTとかの世代のほうが遥かにすげえんだろうなっ
て思うよ。だってナチュラルになってんだもん。しごく当然のように作画を語ろうとする。ネットもYOUTUBEも
当然ないしビデオダビングの交換とかでどうにかしてんだし草の根情報網で作オタライフ(作オタなんてカテ
ゴリ分け存在してなかったかも)やってんだもんすげえよ。かないっこなさそう。作画オタってさ、なろうと
思ってなれるもんじゃねえんだよなって思う。なれる奴となれない奴は最初っから決まってるんだよ。俺もな
れたとはまだ思えてない。でも好きなもんは好きなんだって衝動はあるから「作品的には駄作でもエポックな
作画はやってる」なアニメも積極的に見るぐらいの情熱は俺あるよ。うん。だって気になんじゃんよ。純粋に
。純粋なアニメの見方じゃない?いや純粋だよえげつないほどデュワじゃなくてピュアだよ。純粋にアニメが
好きなんだよ。でなかったらするかよこんなこと。
けど作画認知度ってのは結局は今んとこ作画MAD止まりだよな。いくら憲生MADや大平MAD見て「アニメタの個性
だ(キリッ」つってったって何も偉くねんだよ。同族嫌悪じゃねえよ。あいつらは作画オタなんかじゃない。アニ
メーターの個性(この呼び方好きくないんだけど)ってのは絵柄だけじゃないけどまだ絵柄単位での話しかし
てねーっつうかさ。ていうか、ああいうキャラデ逸脱型ってのは「やっちまったもんは仕方ない」っていう前
提ですげえ!って言えるもんでさ。やっぱ設定は守るべきなんだよね基本はさ。その設定が変えちゃいたくな
るようなつまんないものだったのかどうかは当事者なアニメタしか知りようが無いけど。でも作画オタの側か
ら見ても基本は設定だと思うんだよ。設定から外れたからスゲエんじゃなくって、設定から外れたけどそれは
それでスゲエんだよ。そこは履き違えんなよ。まあ元の設定があるからこそよけい凄さが際立つケースもある
けどね。言ってることメチャクチャだって?すまんね。けどここんとこを履き違えた結果起こった第2の悲劇っ
てのがあれだ、鉄腕バーディー DECODE:02第7話。ていうか仁保パート。あれの論争はちゃんとした作オタは一歩
引いた目で見てたと思う。それよかパート当てに盛り上がってcoosunのいぢわる情報に振り回されてた気がす
る。あそこでアニメ板本スレとか乗り込んで「あれはアニメーターの個性だからイイのだ」つって対抗してた
つもりっぽいのは作画オタじゃねえんだよ。作オタだとしても「作画オタクのB君」みたいな人達なんだよ断言
しちゃうよ。だからあれを作画オタかなんかのように見られると正直嫌な気しかしないっていうか、だからゲ
ーラボのネット事件簿みたいなコラムで「バーディーの手抜き作画に作画オタが反論!」みたいな事書いた多根清史はマジで死んで欲しいんだけど閑話休題。
作画オタクのB君で思い出したけどもう一つ、この記事書いたy_arimは作画MADに対して以下引用「純粋に作画
だけを見ようと思ったらあのBGMはかえって邪魔なんです。もともとのBGMや台詞、S.Eとも違うわけですから。
まあ海外のAMVを真似て導入したんでしょうけれども……」て言ってっけどダウトだよそりゃあ。作画MADを資
料映像かなんかだと勘違いしてんだよ。俺も作画MADは音消して見る癖ついちゃったクチだけそれは単に選曲が
酷くて絵もあってねえっていう、聞くに耐えねえだけっつうわけで音消してんだし。出来がいいやつはちゃん
と音有りで見るよ初期のやつとか、だって作画MADは資料じゃねえじゃん。他のMADムービーと同じじゃんエヴ
ァの映像にイッパツマンの逆転王の曲かけるやつ(結構好きだった)とかのと同類でっしゃろ。出来の悪いヤ
ツはそれこそ資料映像と割りきって音消しちゃうわけなのよ。逆よ逆、資料映像としてハナから見るわけじゃ
なくMADとして見ようとしてんだけどMADとして見る価値がないと資料映像として音消すんよ。導入の仕方はぜ
んぜん違うよ。音消すようなのは大抵1回見てもう二度と見ないなそれは。つか純粋に作画見たけりゃオリジナ
ルで見るっつうの。MADなんか頼らんっつうの。てなわけで作画MADの思い出でも語りますか。
まあ実質これが元祖作画MADでしょう。これが公開された時の事は覚えてる。YOUTUBEもロクに活用されたなか
った頃だから生ファイルで上がってたんだけど皆驚いてた。何に驚いたかっつうと何の脈絡も無くアップロー
ドされた事もそうだが「なんつー物好きな奴がいたんだ」って感じに。作オタなんてマイノリティの極みだっ
たからこんなヒマなことする人間がいたのかって驚きがあったんだよ。そんで妙な中毒感はたしかに存在した
。完成度で言えば荒いけど新鮮さではものすごかった。何でこの曲なん!?って言われたけど、磯作画による
爆発や地面がエグられてく様はたしかに「地球の危機」を感じたんだよ、笑わば笑え。SAMURAI7の森久司パー
トが何故か混ざってたのは当時も指摘されてたけど、正直それは問題ではないっていうクオリティだった(こ
の辺が作画MADは資料用じゃないってたらしめてるんだとおもう)。一時期何度も見たなー。もう一つあとで上
がった、曲がゴルドランEDのやつも良く出きてたけどこっちはあまり知られてないね。やっぱり動画サイトに
も無いし。保存してあるからいいけど。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm222484
これもつべ消えててニコのしか無かったわー。これも時代か。
これはたしか「作るよー」って制作者が宣言してたと記憶してる。磯MADに触発された感じで。それで期待は高
かったしそれに応えられていたとも思う。何故かなかなか流行らないインストゥメンタルタイプの作画MADの元
祖。何度かバージョンアップして追加とかパート間違い修正してたな。これも良く見ればちゃんと曲に合わせ
た編集してるんだよね垂れ流しじゃあなくって。曲フェードアウトで中途半端に終わらしてる風だけどこれは
これで余韻が残ってカッチョ良かった。この時期が作画MADを純粋に楽しんでたなー。作画じゃなくて作画MAD
よ何度も言うけど。
http://www.youtube.com/watch?v=d3rJCPFqKRI
アニメーター復帰後の作品でかためられて、80年代の山下してた頃のは一切無いけどどっちかに統一してるの
はとっちらかってなくて良かった。それよりもこのMADの破壊力はあれだよ、「消してーリライトしてー」の部
分。オリジナルの吉成鋼パートんとこに合わせてイノのバトー飛び降りをかぶせてくる編集。MADとしちゃ常套
手段だろうけどこれはムッチャかっこよかった。すげーキマってた。思わず手をグーにしたもの。この部分の
ためだけにこの曲使ったのはもはや明白だけどそこの所の一点突破的なやり口はすげーイケてたですよ。マジ
でこれが作画MADのその後の方向性決めちゃったんだと思う。逆に言えば、真似して失敗したのが多すぎ。
この3本が作画MADの歴史を物語ってる。これは間違いないです。作画MADってやっぱミュージッククリップなん
だよね有志の。いつから作画オタ育成ようになってしまったんでしょう。前述したように作画オタなんてなれ
る奴となれない奴に分けられてるんだから。それでも作画オタになりたいんだったら自分で好きな作画見つけ
て追っかけてみましょうよ。MADなんかに頼んないでさ。というわけで、作画MADのお話でしたマル
・・・・・・・・・冒頭あんな挑発的な導入しといてここで終わるのはなんともアレなので最後にもう一つ話
題。「作画を体系的に理解するための7作品」(http://anond.hatelabo.jp/20091127174928)を書いたのは俺
だ。あれは作スレで「映画を体系~」(http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980)の改変やっ
てー見たいなレスあって、本気で言ってるわけじゃないだろうけど面白そうだから改変した。そんでバッカで
ーって笑ってもらえりゃいいやと思ってた。だからわかりやすいようにあんなWEBアニメスタイルに依存しまく
ってる内容にした。したがってあれはアニメスタイル読んでりゃ全部分かりきったような内容しかない。上げ
た作品は俺も一通り見てはいるけどさ、でもやっぱネタだネタ、こんなんで体系的に理解できるもんかよ。元
ネタの7つ限定に無理やり当てはめてみたんであって、ちゃんと体系的にしたかったらAプロとかデザスギとか
も盛り込んでるよ。(俺もそこまで濃いわけじゃないからそんな地雷源渡れないけど)宮崎大塚もハブって最
後にしか書いてないのも元ネタ記事の「ここでは取りあげられなかったのだが、ルビッチやワイルダー」の宮
崎大塚バージョンがやりたかっただけだよ。だから100%ネタで書いてたんであって、こんなん参考にする
ようなやつ終わってるわーって思うわけよ。実際は200ブックマーク越えちゃってビビッたけど、「これはすご
い」「勉強になる」「歴史」とかくせえのが多いの。んなバカなこんなんで勉強にされちゃうのかよ。こんな
ネタ見る奴限られると思ってたから俺驚いちゃったよ。いや、彼らがそれで納得して勉強んなったんなら良い
んだけど。それでも俺なんか脱力しちゃったよ、あああ~~~そこまでなのか~~~~って。笑って貰うどこ
ろか関心されちゃったよ~~~~って。まあ遥か先の世代から見れば俺みたいなニワカ作オタだって似たよう
な印象受けちゃうだろうけど。でもそんな俺からしてみてもあああああ~~~ってなるのはよっぽどじゃねえ
のかな。だって俺、このネタに上げた作品を一通り見て、そこで初めて「ニワカ作オタ」になれるレベルだと
常に信じてたんだもん。※
と、言うわけでして。これで作オタが全アニオタで優れている存在だと理解できましたねみなさん。何、でき
るわけねえだろ?そんなら良し。
※今見たら逆の事書いてた俺
先ず最近特に思うのは、140文字の中で@なんとかRT:だのQTだの、せっかくでっかい独り言を言うだけの場所だったのに
無理矢理な使い方に広げて行こうとしてる、という事。
twitterは「相互で」コミュニケーションする事を強要されないから、独り言の様に気易く参加出来るんですよ。
って「元々」の考えは理解出来るし、後発のコミュニケーションサービスとしてはそういった新しいパラダイムは
必要だと思うけど、相互じゃ無くて良い、言いっ放しで良い、けど、そんなでっかい独り言をせっかくだから
誰かに聞かせられる場、ってのに意味があるんだろ、その意味が「ビジネスツール」なのか
アピール下手の為の「ハードルの低い出会い系」なのかは知らないけども、どちらにしろ人を集めれなきゃ
存在する意味さえ無いし。
なら、フォローなんて考えむしろ要らないでしょ、参加して直ぐは全員のツィートが表示されているし、
(まぁさすがに読めなきゃ意味ないだろうから、表示言語圏の選択くらい出来ても良いだろうけど)
自分の発言は全員に見られる、それが何万人相手だろうが。
で、そこから見てて興味が無い独り言やウザい奴だけブロックしていけば良い。
それがメンドクサイとか使いづらいって思うのなら、つぶやきを垂れ流すサービスじゃなくて、
もっと発言や遣り取りの流れを管理して行える他のものを使う方が良いだろうし。
それなら全員コテハン前提のスレッドフロート掲示板で「>>」で発言をツリー形成して追いかけられる、
とかの方が遣り取りのし易さでも、TLの見易さでも、参加しようとする他の人が状況を把握する上でも
良いだろうに、と思えてならない。
で、何が言いたいかって言うと、結局は日本においては2chがいかにコミュニケーションの場として
完成されているか、ってのをtwitterによって意識しただけだったと。
日本では2chがコミュニティの有り様として完成し過ぎていて、それが、物珍しさが過ぎるとfacebookも
tumblerもおそらくtwitterも下火になる理由なんじゃないかな。
あれだけの参加人数が、あれだけ集中して発言しあっても、議論したければそれが可能だし、言いっ放したければ
それも可能で、混沌としてるとは言われつつも、独自の空気感や、そこから一般社会へのトレンドすら生み出せる
擬似的な一体感や、それを守ったり育てたりしていける帰属意識みたいなものを、錯覚させる事も出来る、
もうコミュニケーションの器として他のものとは比べ物にならないくらい、完成してるし、システムとしても
無理無く誰でも扱い易いって事でもある。
匿名である事が問題だとかは、個人的には、「自由で活発なコミュニケーション」の本質にとっては、重要な事だとは
とても思えないけど、ある程度の品性やmixi程度の顕名性が必要とされるのなら、単にスレッド式掲示板に、
ID登録を必要とさせてプロフィールページがあれば良いだけなんだし。
マーケティング媒体としては、失敗したセカンドライフや、すぐ炎上する扱いにくいブログを絡ませるより、ハードル低くて
利用し易そう、って流れが出来たらもう終わりは近いでしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20091215072940
外山滋比古の思考の整理学が本屋で平積みになっていた。家に帰り、久しぶりに件の本を棚から引っ張りだしてパラパラと捲った。その中の一段、時の試練という項目で取り上げられている、当時は天才と持て囃されたけれども時代とともに忘れ去られた島田清次郎と、当時賛否両論であったのに現代は国民的作家となった夏目漱石との対比の例を見て、ふと脈絡なくスレイヤーズのことを思い出した。
富士見ファンタジア系、といってもそこまで詳しくないのだけれど、当時見ていて覚えているのは、スレイヤーズ、天地無用、セイバーマリオネットとかだろうか。確かに面白かったし、同じ文脈を持った同年代と出会うと大抵話題に上る。けれども、そこで終わり。懐かしむ以上のものはない気がする、といったら傲慢だろうか。
順調に年を取り、或いは40年後、擁護老人ホームで溜め込んだオタクコンテンツを消費する生活になったとして、何を見るか、何が残っているか、みたいなのを夢想する。もしかしたら、その頃にはアニメをみていないのかもしれない。今でさえもうリアルタイムで追っていない。もしくは、アニメという産業自体が存在しているかどうかも分からない。
近年で言うと、DVD,BDともに一番売れた化物語が数年後どうなっているのかとか。個人的に西尾維新は好きだけれども、数年後は分からない。空の境界などはどうだろうか。こちらもDVDが売れているみたいだけれども。と思ったら、ニコニコ動画のチャージマン研ブームのように、局地的に意外な視点で取り上げられることもある。SFが好きなため、ハルヒは一巻の頃から追っていたが、あそこまでブームになるとは思わなかった。突然話がずれるけど、書痴は何でも読むから書痴なのであって、当然ライトノベルも読む。そこで、当時図書館でスレイヤーズと一緒に借りたのが・・・記憶が曖昧だが、それが確か島田清次郎の何かだったかも・・・というのを思い出した。いや、出来すぎだから多分記憶違いだろう。
今年も様々なアニメ作品が放映されるけれども、どれだけの作品が残るのか、というのも興味深い。ちなみに、掲示板の質問で、どんなアニメをみたらいいか、という内容のときたまに上がるプラネテスだけれども、あれは正しいと思う・・・みたいな感じで作品は語り継がれていくのかな、とも思ったり。
それを盗んでいったいどうしようというのか。
そんなものを売ったところで大した金額にはならない。
もしもそれで生活しようとすると膨大な数のハンドルを盗まればならず、そんなことをしたらどこかで捕まってしまう。
だとすると個人的な目的だと思う。
恨みを晴らすのにわざわざ渋谷まで行って盗むのはちょっと婉曲すぎるので、たぶんそれは違うだろう。
そういうタイプの人は自分の住んでいるところから遠い場所では窃盗しない(アウェイでは窃盗しにくいだろう)から、近くに住んでいる可能性が高い。
同じ駐輪場を利用している人の一人だろう。
白いハンドルをつけたロードバイクというのはそんなにたくさんあるものではない。
周辺を歩いてみて白いハンドルのついたロードを探してみるといいかもしれない…と思ったけど渋谷のど真ん中じゃないか。これは難しいな。
バーテープを変更されている可能性もあるが。
掲示板なんか見てると、最近のJポップ(笑)に比べたらアニソンの方が全然いいよwwwという書き込みと、
アニソンばっか聞いてる奴に言われたくねえよ。声優(笑)wwみたいな書き込みの応酬をたまに見かける。
実際どうなんだろう。
歌詞に関しては、Jポップ(つまりオリコン上位のやつ)より、アニソンの方が優れていると思った。
アニソンの方が「詞」としての本来の役割を果たしているなあというか。
Jポップにおいて歌われるのはとにかく共感を得やすい最大公約数的な内容が多いのに対し、アニソンはそのキャラクターの心情とか、作品の世界観に合わせたものが多いので、より狭い感覚を歌いやすい。
なによりの特徴は、そういうマニアックな感情なんかを歌ったものもアニソンにおいては「売れることがある」という点で。
アニソン以外のジャンルでも、もちろん素晴らしい音楽はあるわけだけど、上に浮かんでくるのはどうしても多数派の毒抜きされたものなんだよね。
仕事でゲーム企業関連と関わっているわけだが、ある件で色々と未発表な内部資料を提供された(そうしないとこっちの仕事が進まないので)。
かなり話題になりそうなやつで、「あーこれ発表されたらゲハ周辺が騒がしくなるなあ」とか思っていたりする。
中の人の説明によるとかなりの規模の人数で取りかかっているそうで、現場を直接見せてもらった限りそれは誇張されたものではないと感じる。
それが当たり前な環境にいると全く気づかないけど、こういう状況でもネットやら何やらにリークが全く無いというのは凄い事なんだろうな。
漏洩させた際のリスクが滅茶苦茶デカい俺みたいなのは当然だけれど、20代アルバイトのテスターレベルからも全く漏れていない。かれこれ1年近く。
3日間だけなら秘密を守ってくれるだろうと紙媒体の資料を渡したら3時間後にスキャナで取り込まれて海外の画像掲示板に全部流出していた、なんて笑えない笑い話が茶飯事の○国人と彼らの違いは一体どこにあるんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20100116035019
だらだら縦に長い広告ページに誘導して、
infoナントカとかいう決済サービスで数万円で買わせる、っていう。
それ、本屋さんに置いて2000円でいいんじゃない?って思っちゃう。
(広告ページのご立派な能書きのごとく)本当にいいものなら、ね。
これ何かに似てると思って考えたんだけど、
昔よくあった学習教材を高い値段で売りつける手口に似てるかも。
もっといい参考書が2000円で売ってますよー、店頭で手に取って読めますよー、
と言いたいんだけど、巧みなセールストークに引っ掛かっちゃう奴は引っ掛かるんだな。
まぁ、大抵全然活用しないで終わって、
本棚の一角を占める何の役にも立たない恥の蓄積になってしまうだけ。
「情報商材」は目に見えないからそのぶん邪魔にはならないのかな。
数万円出ていくだけで済むw
さすがに理由は様々じゃないのか?
まず増田がいうように
そういうコミュニティあると思う。仲間内で「私○○なんだよ!」「すごーい!!」みたいな。
それぞれの心中は知らないが。
増田の友人がいうように
ありうると思う。リアルで友人が少ない/居ない人が「これって客観的に考えてすごいんじゃね?誰か褒めてくれるんじゃね?」って考えに至ったら。
もしくはリアルじゃ公表できないような功績だったり。所属しているネットコミュニティだけで評価されるそうな功績だったり。
リアルじゃみんな認めてもらえなかったけどネットなら!ってのもありそう。
あとはあれがあった
ネットを通して話を膨らませるかそもそものウソっぱちで褒めてもらいたい場合
あとは現時点思いつかなかった。
まだなんかあるのかな。
【インタビュー】署名サイトを運営した東京大学医科学研究所病院・湯地晃一郎氏
ttp://www.yakuji.co.jp/entry17692.html
――今回、事業仕分けに端を発した一連の漢方薬保険外し問題について、どのような感想を持っていますか。
湯地 電子署名に関して言えば、歴史的な革命的事象が起こったと思っている。患者さんにとどまらず、漢方薬を服用していない10~40歳代のインターネット利用者が,危機感を共有し、自分の住所、氏名という個人情報を、自発的に善意で第三者である漢方薬の署名サイトに提供し、意見表明したという行動が、厚生労働行政に対し大きな力となったことは、今までの日本の政治史上に見られなかった動きだ。
――電子署名の約9万5000通という数字については、どう見ていますか。
湯地 約10日間という短期間で,10万通近い電子署名が集まったことは、かつてなかった事象であり、画期的な数字だと思っている。
今回の特徴として、漢方薬を服用している患者さん・ご家族に加えて、漢方薬や医療と全く関係ないと想定される一般のインターネット利用者層から,多くの署名があったことが、署名数の爆発につながったと想定される。インターネットの巨大掲示板(2ちゃんねる、まとめサイトのハムスター速報)、SNSのmixi、ミニブログのtwitterなどのメディアが大きく寄与した。
医療や漢方薬に対する市民の関心の高さ、あるいはネット利用者への情報提供が、医療や漢方薬に対する関心を高めたことを反映していると考えられる。
――その中で、最大の牽引力となったメディアは何だったと見ていますか。
湯地 起爆剤となったのはtwitterである。11月27日金曜日早朝(木曜日深夜)、午前1~3時に署名数・署名サイトアクセス数が急増したという,極めて特異な現象が生じた。漢方薬の保険外しに危機感を持った患者さんのブログをきっかけに、一気にtwitterで話題が広がり、署名の起爆剤となった。twitterの高いリアルタイム性、伝播性が遺憾なく発揮されたと考えられる。その後、掲示板やSNS、ブログ、メーリングリストでの署名呼びかけなど、様々な電子媒体が大きな推進力となって、約9万5000通の署名につながった。
なお、漢方署名運動に先立ち、twitter内で勝間和代氏がデフレ脱却署名運動を11月4日に開始していた。これは、twitterのアカウント(@anti_deflation)に賛同者のフォロー(追従)を募るものである。12月17日現在、3000人強のフォロアー(賛同追従者)を数えているが、漢方署名運動は、9万5000人という圧倒的数、そしてネット利用者が、住所・実名という個人情報を提供したという点で、質量とも全く異なる。ネット世界が、現実世界に大きな影響を与えたのである。
湯地 11月28日に某有名ブログに、漢方薬の保険外しはデマとの記事が出た。この記事が,電子署名の撤回につながるのではないかと,事務局は危機感を持った。ところが、その後にすぐ良識を持ったブロガーが反論して,デマ説を一蹴するという揺り戻しも来た。ネット上では賛否両論に意見が寄せられたが、読んでおかしいと思った人が,逆に署名してくれたという要因もあり得る。それだけ,今回の漢方問題は大きな現象になった証である。
――今回のネット市民による電子署名の盛り上がりを通じて得た教訓については,どう考えていますか。
湯地 今回事業仕分けで様々な項目が,予算の削減、廃止対象になり、多方面で反対運動が行われた。この反対運動の方法は、大きく二つに分けられると分析している。
一つは、ノーベル賞受賞者、オリンピックのメダリストなどによる有名人を動員したトップダウン式の反対運動。これはメディアで報道され、大きな世論を盛り上げる影響力がある。仕分け関連団体が単に反対声明を出し陳情を行っても、全くメディアが取り上げないため,世論への影響力は乏しい。
もう一つは、われわれが取ったボトムアップ方式である。以前から財務省が漢方薬の保険外しを狙い、そのたびに署名を集めたという歴史的な経緯もあり、民意を総集する手法を取った。その結果、わずか10日間で約27万人、3週間で約92万人という署名数を集め、厚生労働大臣宛てに提出することができた。さすがに政権与党の民主党も、これは無視できないということで、役員会で漢方薬の保険継続を正式決定し、12月17日に与党3党の予算要望の3項目に盛り込まれた。
われわれはボトムアップの手法で民意を総集したため、最終的に政権与党を動かすことが可能となった。漢方薬を保険で継続使用したいという患者さん、ご家族、一般市民の総意が政権与党、政府に伝わったが、83万人弱の書式署名に加え、インターネットという媒体を通じた約9万5000通の電子署名活動も大きく寄与したと考えられる。
――今回、改めて漢方医療のあり方がクローズアップされたわけですが、一連の署名活動を通じて、漢方医療の進展にどう生かしていったらいいとお考えですか。
湯地 民主党はそもそも,マニフェストで統合医療、漢方を推進するとうたっており、財務省の意向で保険から外すという文言が入ったが、そこから強力な押し戻しが起こり、約92万通という多くの民意が集まった。逆にこの民意が、政府が国策として漢方医療を推進する後押しとなれば幸いである。<<
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100104/edc1001042223002-n1.htm
日本製の人気オンラインゲームで、日本海を「MER DE COREE」(朝鮮海)と表記している地図が使われていることが分かった。開発したゲームソフト大手「コーエー」(横浜市)のホームページ上の公式掲示板には、「大変不快」「どこの国の企業なんだ?」などとユーザーの非難が殺到。日本政府の見解と異なる表記を使用したことに識者からも批判の声が上がっている。
ソースはWikiしか見つけられなかった。当時TVニュースでも報道されていた内容だったのだが。(NHKだったと記憶しているが、朝日だったかもしれない)
http://oncon.seesaa.net/article/137501296.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%90%E7%9D%A3%E3%81%AE%E6%B1%BA%E6%96%ADIII
中華人民共和国からの抗議
中国では本作を「東條英機らが出てきて、日本による中国侵略を正当化するもの」と解釈し『反動遊戯』に指定していた時期があった。それより前の1996年にも重慶の市民グループから抗議が出されたこともある。この時期、光栄が「III」を中国の工場で生産していたこともあり、抗議は激しいものだった。重慶にあった光栄の支社では、中国人従業員が仕事をボイコットしたとも言われている。この抗議があってからシリーズはしばらく封印されることとなった。実際、光栄は天津市から電子出版物管理規定違反により、479,000元(約670万円)の罰金刑を科せられたことがある(1996年12月4日の中国中央テレビの報道)。
この抗議の理由に関しては「蒋介石だけが出てきて、毛沢東が出てこないことに腹をたてた」「国土に星条旗が翻る(アメリカ側の都市を示すものであり、もちろんアメリカの支配下という意味ではない)ことに我慢ならなかった」という異説もある。
上記記事も中国の工場で生産していて問題になったようにしか書いてないが、「提督の決断」シリーズの移植かなにかを中国に開発させていたような報道がなされたことも(おぼろげながら)記憶している。
ゲームの内容うんぬんはおくとしても、第二次世界大戦を題材にしたゲームを戦争当事国、よりにもよって日本が実際に交戦した相手に生産させたり(記憶が正しければ)開発させたりするのはさすがに無神経なんじゃないかと当時思った。
こういった”地雷”をかわすリスク管理がまともにできないなら、歴史を題材にした娯楽なんて作るべきじゃないと思うんだけどどうなんだろうね。
現在絶賛アニメ放映中の某作品の801二次創作サイトをやっています。
15禁程度のエロと原作漫画やアニメの感想を載せた日記がメイン。
カプ萌え話もですが、漫画にネタや真剣なツッコミを入れたりすることもしばしば。
そこまで閉鎖的ではありませんが、入り口には最低限の注意事項があります。それで問題なくやってこれたので。
掲示板もなく、訪問者とのコミュニケーション手段はWeb拍手と定期的な絵チャット会だけなのですが、つい半年ほど前”作者からWeb拍手がありました”。
内容は”いつも応援してくれてありがとうございます”といったようなもの。
最初は偽物かと思いましたが、作者のブログに”(自分のキャラクター)を描いているサイトをたまに見るのだけど、つい衝動的に足跡を残してきてしまった”とあったので本物だと認識。
その後も何度か拍手がありましたが、私は本人が見ていようが作品に対する愛も含め、辛口なツッコミや萌え語りを自重する事はありませんでした。
伝聞ですが同じジャンルの他サイトにもその作者はコメントを残しているようで、絵チャット会に入ってきたりすることもあったようです。
しかしその後、作者のブログに”(私のHNイニシャル)の言ってることも分かっているが辛い”という発言が。
元々ネガティブな記事も多かった作者のブログで、しかも名指しでそんなことを書かれたものですから、辛口発言を自重せざるを得なくなりました。
作者本人は素直に”私の描いた絵”や”感想”をうれしく思っておられ、コメントを残したりしたのでしょうけど、私は”作者が見ている”という圧力を感じています。
作品は好きなので絵を描いたりを続けていきたいとは思っているのですが、その圧力のおかげで、少し嫌いになりそうです。
たくさんのブクマがついてびっくりしました。
私は作者と読者はお互い不可侵であるべきだと思って活動していました。
私の思いは決して届くことのない(801系なのでなるべく届くべきではない)一方通行でよかったのです。
”作者は同人サイトを見ていても、決して口に出すことはないだろう”、”こんな腐女子のサイトに影響される作者などいるはずがない”という考えが根底にあったのも原因だと思ってます。
2チャンネルに比べれば十分甘い感想も、作者にとっては非常に辛いものなのですね。
”作者と読者の間の距離感が絶妙だったからこそ、ひっそりと活動できたのに”という、自己中心的な考えは捨てるべきなのかもしれませんね。
一番可能性として考えられるのは、「掲示板というものがどういうものかわからずに書き込んでいる」というもの。
当たっていると思う。