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2009-03-26

そろそろ WBC について一言いっとくか

全試合観てないから、一部だけだけど。

気になった点だけ書くよ。

 

(1)キム・グァンヒョンのスライダーリリースで分かる

5試合あった日韓戦の第1戦の韓国の先発は、

若手の左腕キム・グァンヒョンだったわけだけど、

スライダーを狙い打ちされた」みたいな話になっていた。

これは、確かにそうなんだけど、付け加えると、

神宮の投球練習をテレビで見て思ったのだけど、

彼はリリーススライダーだとわかってしまう部分があった。

 

(2)イチロー小笠原は速球が打てなくなっている

小笠原の方がはっきりしてたけど、速球についていけてない。

たぶん目の問題。筋力的な問題はないと思う。

イチロー小笠原も同じ1973年生まれの35歳。

シーズン序盤のピッチャーが調子のいい時期に打てるかどうか不安

 

(3)日本野球の強さはアマ野球の強さ

キューバ戦(第1戦)で、松坂がわざと逆球を投げたみたいな報道があったけど、

ああいう細かい芸は、日本プロになるような選手

少年野球時代から仕込まれている。

気付いている人もいると思うけど、

三振した打者がネクストバッターサークルにいる打者に

球種や球のキレの報告をしているが、

野球をやっていない人には分からないと思うけど、

アレもクセみたいなもので、少年時代から仕込まれている。

打者がテンポを崩すのにタイムを要求するのも、仕込みである。

 

こういった細かい芸が日本の強さになっており、

前にサッカー界隈でマリーシアの話が出たけども、

そういう意味では日本野球マリーシア権化である。

 

そりゃ新渡戸稲造先生も「野球は賤技なり。剛勇の気なし。」と言っちゃいますよ。

野球という遊戯は悪く言えば巾着きりの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れようベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが英人や独人には決してできない。野球は賤技なり。剛勇の気なし。

http://www.kusamado.com/contents/1911.html

ちなみに、野球害毒論というのは今の朝日新聞が行ったアンチ野球キャンペーンで、

今となっては“どの口がそれを言う”なんだけども、

ちょうど甲子園やっているけど、試合前に整列して礼をしたり、

過剰に美談を作り出したりするのも、

野球害毒論キャンペーンをやった手前、

教育的意義を盛り込まざるを得なかった朝日新聞アレなんだよね。

あまり書くと・・・あ、あれ、お昼なのに誰かきt(ry

2009-03-18

少年野球、9回ツーアウト。最後の打席に代打が告げられた。

その代打少年事故で片足をなくし、これが最後のバッターボックスだった。

松葉杖無しでバットを両手で握り、一本の足でよろめきながらもピッチャーをにらみつける。

第一球、空振り。バランスを崩した少年は、そのままバランスを崩して倒れた。

キャッチャー差し出す手を断り、バットを杖がわりにして

少年は砂まみれになりながらも立ち上がる。

二球目。少年ピッチャーのゆるいカーブに、食らいつくようにバットをあわせた。

ボールはてんてんと、三塁線へ。

走れ! 少年は片足で、飛び跳ねながら一生懸命一塁ベースを目指した。

三塁手は転がるボールを拾うが、投げられなかった。

みんな、そんな少年の姿に感動し、見入っていたんだ。

がんばれ、がんばれ! 叫びながら、涙する子もいた。

片足の少年は、泣きながらヘッドスライディング。

その涙は、苦しみからなのか、うれしさなのか、悔し涙なのか。

少年の手はベースに届かない。けれどもずりずりと這いながら一塁へ向かった。

もうちょっと、もうちょっと!

ベースのまわりには、子供たちが集まる。

そして、その指がチョコンと、ベースに触れた。

わっと湧き上がる歓声。片足の少年は涙をぬぐいゆっくりと立ち上がった。

顔も、ユニフォームも、どろどろだった。でも、とても輝いた顔をしていた。


そして、審判が言ったんだ。


    _、_

 ⊂( ,_ノ` )⊃ ファール

  (  )

 /   ヽ

2008-12-20

逃げまくってきた末に行き着いた俺の精神

http://anond.hatelabo.jp/20081219121223

上の増田の気持ちと精神構造はすごく共感できる。ってか君は俺か。

たしかに逃げ癖,負け癖の蓄積は精神破壊する。

何度も精神的に死にかけたし、何度も妄想で人を殴り殺した。

現実にならなかったのはほんのちょっとのタイミングの違いだ。

タイミングさえ違えば今頃塀の中で暮らしてたかもしれない。

増田と同じくちょっと俺のカスな逃げ話もカウントさせてください。

小学校4年の頃、近所の少年野球チームに入った。

ヘタクソのままレギュラーにもなれず1年で辞めた。(1回目)

小学校5年生のころ、学校サッカー部に入った。

これもヘタクソのままカス扱いのまま1年で辞めた。(2回目)

小学校6年生のころ、ラグビーチームに入った。

もちろんヘタクソ鈍足ガリガリチンカスは変わらず半年で辞めた(3回目)

もうこのへんくらいからスポーツは向いてないと悟ったので

中学生の頃は帰宅部になった。勉強やろうと思った。

高校はそこそこ中途半端進学校にはいることができた。

で、高校2年生のとき高校ごと辞めた。(4回目)

根性足らずで勉強について行けなくなった。そんでやる気もゼロになった。

そうしてるうちに朝起きても体が動かなくなった。

夜起きて昼間に寝るようになった。

テレビばかり見てメシ食って屁こいて寝るだけの生活になった。

そしてたくさんいた友達は全ていなくなった。

ヒキコモリを2年やった後、バイト生活を転々と計4年ほどやった。

最後のバイト先は1年半ほどやってバイト仲間ともすごく仲良くなったが

ある日突然そのときの気分で衝動的にバッくれた。(5回目)

トレインスポッティングエンディングみたいにバイト中に走って逃げた。

バッくれたその足で衝動的に地方から東京に出た。

たくさんできた友人知人もまたいなくなった。

東京にでてきてから自分の繰り返す不甲斐なさ情けなさに激しく落ち込んだ憤った死にたくなった。

ヒキコモリから精神的に立ち直っていたのに、この一件で再びおかしくなった。

具体的には自虐的かつ暴力的な思考が加速した。一人言の口癖は「殺したろか」だったと思う。

でもその意味わからん怒りをパワーに変えようとした。そして一応決心した。

バイト生活、非正規雇用不安定な生活から抜け出してやると。

社会階層を駆け上がるべく専門職に就くことを考えた。

選んだ道は大学法律を学ぶことだった(弁護士コースではないけれど)。

その後1年間のバイト受験勉強を両立してマーチレベルの私大に入った。早稲田には落ちた。

まあ中途半端レベルまでしか受験勉強できなかったってことだ。

大学に入ってからはサークルにも属さずひたすら授業と資格勉強をやった。

まあ通常より5年も遅れているから今更大学デビューとかいう気にもなれなかったし

何より精神的にはかなりすさんでいた(暴力的に)ので、あえて大学では勉強のみに集中した。

何ていうか肩が触れ合った、目が合った、足踏まれたとかで完全に殺すつもりで喧嘩になるの前提で

怒鳴り散らしてた。俺があまりにもキティGUYだったのか、怖がられたのかキモかったのか

不思議と一回も暴力沙汰にはならなかった。

冒頭に塀の中にいないのはタイミングの違いだけと言ったのはこのへんのこと。

大学1年の終わりには法律むいてないっていうか

どうしようもなくつまらなくなってやめた。(6回目)

勉強の動機が不純というか目的のための手段でしかなかったので

法律の内容自体に興味関心がなかったのが敗因だったかもしれない。

う、ここまで書いてたら改めて情けなくなってきた。orz...

大学2年のときなぜかプログラミング始めて色々ツールとか作ってるうちに

大学院に行こうとまたいつもの心変わりの決心をした。

周りに競争相手もいなかったので(文系学部の図書館でひたすらCとかJavaとか数学とかやってた)

スイスイ自分のペースで集中して勉強できた。

結果大学院(他大学理系)にも受かった。

大学院に入ったはいいが周りの出来の良さに驚愕した唖然とした自分の身の程を

客観的に知った死にたひタスケテ状態になった。

ゼミレジメきるだけでも頭の違いが良く出るのだけれどもそれはそれはもう

俺のやってきたことがフェイクだった事を200万回はわからせてくれるほど

レベルの違いは明らかに出た。微分方程式って何ですか?おれ馬鹿ですかありがとうございました。

それでも1年のときは何とか食らいついてギリギリこなしてたけど

2年になって就活つまづいたのをきっかけに完全に死にたい死に体となって

死んだも同然の幽霊学生となりかけたのだけれども逃げかけたのだけども

何とか踏ん張ったり落ちこんだりを繰り返して繰り返して

何とか仕切り直して極低レベルな内容だけど修論書いてる。(7回目免れかけている)← イマココ!

学会発表にももうすぐ出場する予定。

長くなってすいません。言いたいことはここからです。

逃げまくってきた俺がここで今逃げないのはなぜか言わせて下さい。

「逃げるなら死んだ方がマシ(精神衛生上)」と心底思うからです。

死んだ方がマシというのはやりきって玉砕したほうがマシという意味です。

マッチョ精神論ではないです。

賞味の話20代後半で7回目逃げるってもうその後の精神状態考えられない。

発狂する死ぬ。もう立ち直れない。もうここで逃げたらこの先メンタル完全に退廃。過去にがんじがらめになって

次の一歩を踏み出せなくなる自尊心のかけらもなくなる何をやるにしても実績がないので自信がないetc...。

過去の負け続けた経験にこのまま一生苦しむくらいなら今ここで死ぬまでやりきって完全燃焼して

結果ダメでも結果体壊して死んでも結果大恥かいて羞恥プレイの刑にあって自尊心を虐殺されてもやりきる方が

逃げた後の死ぬほど情けない気持ちを一生引きずるよりいいと思いませんか。

僕思いましたもう逃げたくないです現場で死にます。

冒頭の増田さんにもどうか問いかけたい。

あなたの気持ちは痛いほどわかる。つらかろう死にたかろう俺もたまにまだ死にたくなるよ自分が情けなさすぎて。

ただし!

死ぬなら現場玉砕する方向で行きませんか。やって死のう。完全燃焼して死のう。恥かいて笑われても疲れきってやりきって死のう。

何歳からでも何をやるにも遅くないと信じろ。It's never too late. この素晴らしき世界でこのクソザコ人生を歩んだ俺は

世間的に見たら小さな自分から見たら大きな夢に向かって死ぬまで歩き続けるつもりでいる。

人と比べんな、俺らみたいな人生は人と比べたら至極当然に死にたくなるので、自分の考えた自分の道を歩まなければいけない。

正しい目標一生懸命コミットするしか道はない、もう後ろに道はないよ、前しかない後ろは崖左右も絶壁。

進むしかないだろ、部屋の中でゴニョゴニョ悩むのはもう十分やってお腹いっぱいだろ、歩き続けろ、

毎日ケンカすると思って世の中にでろ、殺し合いと思って世の中にでろ、挽回しろ巻き返せやり返せ殺し返せ

増田にしかない道を作れ、増田みたいなドロップアップ人生歩んだ奴らが目標となるような人になれああ俺はなるよ

歩き続けるやり続ける殺し合いに脊髄反射で応じ続けていつでも死ぬ気で対峙するよ、で結果も何とか出すよ。

なんの実績も経歴もない俺が言うのも恐縮だけどもう書いちゃったからこのまま額面通り受け止めてほしい。

おれもがんばるから増田さんもがんばれ。色々考えながらこれ書いてたらもう1時間経ったよ力作だよ俺からの遺書と思って受け取ってください。

(そして老婆心ながら具体的にアドバイスもさせて下さい。むかついたらカス寝言と思ってスルーしてください。

非正規雇用労働時間遵守で働きつつ空き時間資格勉強再開しろ経理の事務とかいってないで税理士事務所の敏腕営業マンぐらいは目指せ

稼げるから。税理士事務所会計系の専門学校に行けば求人が結構ある税理士事務所の合同説明会的なものがあるから専門学生のふりして

潜って行って面接受けたら前職がスタバの店員や資格浪人5年のNEETでも雇ってもらえるから何とか受かって前に歩き続けて下さい。

結局何をするにしても勉強するか経験するかしか社会階層駆け上がる道はないと思います。)

で俺はといえば今度歩けなくなったら潔く死にます。

長々とお付き合いくださってありがとうございました。

2007-10-18

[][]努力天才

[一万時間][努力][天才][反復][質より量][閾値][九九]

天才とは1%のひらめきと99%の努力である

エジソン

Thomas Alva Edison quotes

Genius is 1% inspiration, and 99% perspiration.

Thomas Alva Edison

99パーセントまでは努力、1パーセントが才能。

チャールズチャップリン

イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点 - 電子書店パピレス

イチローに“偉大《いだい》な才能”を与えたのは、名古屋空港の近くにあるバッティングセンターである

イチロー小学三年から中学三年までの七年間、そこに毎日通いつめた。

 それも一週間に一日くらいは休むといったレベルの生易《なまやさ》しいものではない。

一年間に三六三日通いつめたという。休んだ二日は、バッティングセンターが休業した、正月の二日間だけだった。

 世の中を見渡せば、天才はどこにでもゴロゴロ転がっている。

才能は、成功するための一つの要素にすぎない。

天才と言われる人間であっても、絶《た》え間ない精進《しょうじん》を繰り返して、初めて彼らは成功者の仲間入りをすることができる。

 イチローが一流選手としての称号《しょうごう》を得たのは、二一〇本の安打を打ち、打率三割八分五厘で首位打者に輝いた九四年の秋である

本格的に練習を始めた小学三年のときからすでに一三年経過している。



打撃編 ホームランの技術2~小久保・松中が語るHRの技術~

なんJ PRIDE : 【野球】門田博光(40) .311 44本 125打点 OPS1.062

ホームランバッター門田博光氏が・・・《500本塁打は誰でも打てる!》|ベースボールバイブル

少年野球BLOG: ホームランをあきらめない

門田博光の本塁打一閃―ホームランに魅せられた男 : 門田 博光 : 本 : Amazon.co.jp

http://www.h-kadota.net/profile.html

小学校の頃からプロ野球を目指し、中学高校天理高校)と野球部に籍をおいたが目立った成績もなく、

ホームラン公式戦はおろか練習試合でさえも打つことは出来なかった。

40歳を迎えた1988(昭和63)年には打率.311、44本塁打、125打点で2冠王に輝き、チームが5位ながらMVPを獲得。

不惑アーチスト」「中年の星」と賞賛された。

ホームラン記録は王氏(現ダイエー監督)、野村氏(現楽天監督)に続き

史上3位の567本を打った。

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ジャイアンツの顔」として、今やチームに欠かせない存在となった小笠原道大

高校時代には、ただの一本もホームランを打てなかった男が、チームを代表する男として生まれ変わるまで。

あらすじ検索サイト あたまにスッと入るあらすじ:無形の力 楽天を応援しようという気になる野村克也氏の私の履歴書

2年目で解雇されそうになるが、泣いて頼んで残して貰う。

1960年からは『野村メモ』を取り始める。

それまで歯が立たなかった大投手稲尾も、クセを発見して3割近くまで打ち込むことができるが、同僚の杉浦がオールスターで3人一緒になった時に、稲尾にばらしてしまう。

それ以来チームメートにも企業秘密絶対に口にしないと心に決めたと。


404 Blog Not Found:一発は百の空振りから生まれる

天才になるのに遅すぎるということはない

伝説インド天才数学者ラマヌジャンは、貧乏で進学できなかった子供時代

一人で分厚い数学辞典純粋数学および応用数学における基本結果概要」にでてくる5000の公式方程式を丸暗記していたそうだ。

ある時・・・・・・・・彼は自分の数に関する考えを手紙に書いて、ケンブリッジ大学数学教授へ送った。

シュリニヴァーサ・ラマヌジャン - Wikipedia

君たちが数学で思考するなど10年早い。パターンを全て丸暗記し組み合わせて解け。 - 勉強ランキング

【学歴】東大生は“天才”ではなく,“点才”【受験】

天才よばわり - shi3zの長文日記

天才コンプレックス - shi3zの長文日記

http://anond.hatelabo.jp/20140102001755

2007-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20070906171820

笑えるというか何というか。

一度ジュースの炭酸にサワーがつながっていて、少年野球打ち上げで大量に来ていた子供達がコーラで酔っぱらって帰ったとか。

何故か客の高そうな靴が残っていて、店の備品のスリッパがなくなっていたとか。

閉店後社員のミスで玄関が空きっぱなしになっていて、次の日に材料の仕込みに来たら誰も居ない店内でお客さんがずっと待ってたとか。

笑えないですね。

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