少しだけ落ち着いたのでここに記します。誰か、自分のことを知らない誰かに話を聞いて欲しくて、でもそんな人はいるわけもなく、とりあえず吐き出して誰かの見える所に置いておきたくてここに来ました。自分に酔ってる人間なのでポエム的文章になりがちだと思います。なにも考えずに書いているので長いです。あと読み返してません。
自分は生きてきた中で彼氏彼女と言えるパートナーも居らず何のご縁もなかった。そもそも異性と関わる機会が少なく、誰かを猛烈に好きだと思ったことも無く恋愛とは何ぞやという気持ちで生きてきた。所謂根暗で、用がなければ人と話さなくても良いかと思っている。有難いことにある程度は自立して生活でき、オタク趣味に溺れて健やかに過ごしている。あえてパートナーを積極的に探すことに意欲はない。
自分は女友達(今後Aとする)のことが大層好きだ。Aは学生時代からの友人で、はちゃめちゃに良い奴で、同じオタクで、趣味が合う。自分のAに抱く感情は自分の中で至って普通に友情と形容していて、今まで出会った人間の中で誰よりも信頼し、尊敬している。ここでAへの愛を語らせてほしい。
最初に話していた時の感想はこの人めんどくさいだった。妙に理屈っぽくて言葉が多くてよくしゃべる。皮肉などなく純粋に理屈っぽいよねと実際言ってしまったこともある。一緒にいる時間が長くなるにつれ言葉の多さにも慣れてきて、色々なことを話すようになった。一緒にいる時間の長さは人との関わりの中で大きく影響するのだなと今書きながら思った。Aはあまり人前に出て話すタイプではなく、議論や人と話すのに物怖じせず淡々と自分の意見を言うことができる。めんどくさがりでよく寝坊して約束の時間に遅れることもあるのだが、高校時代は行事に仕方なく参加しながらちゃんと協力的だった。贔屓目だがめんどくさいところも含めて大変かわいくて、なんだかんだ言いつつ“良い奴”なのではないかと思う。単純に、Aという人間好きなのだと思う。一緒に居て居心地が良く、安心できる。自分はAが死んでから生きていくのが少し嫌だと思うためAより先に死にたいし、また、Aの最期を看取りたいからAより長く生きたいとも思う。でもきっとこれは友情なのだと思っている。わからないが。
Aは彼氏彼女がずっといなかった。高校時代、異性と一緒に2人で帰っているのを見たり(自分は回り道をして帰った)、一緒に映画に行ったというのを聞いたりもしたが、パートナーはいなかった。例え誰かいたとしても自分には知らせずにいてほしいとは思った。人伝いでそうなのだと知らされるのも正直しんどいが、なにも知らない方がマシだった。
さらっと会話の中で彼氏がいることを伝えられ、自分は何事もなかったかのように会話を続けたが、内心かなり焦った。その日は帰ってからなにも手につかず酒を煽って寝た。
Aに彼氏がいることへの感情は一体何なのか。考えてみた。かぶっているものもあると思う。
1.自分にはパートナーがいないのにAに彼氏ができたことへの嫉妬
5.どこかパートナーのいない同士だと思っていたため裏切られたような気がした
多分もうすこしなにかいろいろあった。
Aには幸せになってほしい。これはきちんと自分の中にある感情だ。なってくれ、と思うことが既に傲慢なのか?願うくらいはさせてほしい。Aのことが好きだからこそAの可愛さ、良さに気づく人はきっと居るだろうと思っていたし、パートナーと、あるいは1人でも、どんな形だとしても健やかに過ごしてほしいと思っている。
1は少なからずないとは言えないが、正直パートナーがどうしてもほしいわけでもなく、比べるのはおかしいが自分がAよりも優っていると思っているわけでもないため少し違うような気がした。
結局Aへの独占欲なのではないか。人は当然変わるものであるが、変わっていくAに勝手に執着していただけではないか。わからない。
小学生時代、別の友人からの手紙にずっとそのままかわらないあなたでいてほしい、というようなことが書かれていたことを思い出した。変わらないなんてあり得ないのにこれはある意味呪いだなと思った覚えがある。自分も友人もお互い変わったし、その変化を受け入れて関係は続いている。変わってしまったことに少し寂しさを覚えるが今の自分と今の友人しかそこにいないのだから、今ある姿で付き合うしかないのだし、それは結構面白くもある。
最近Twitterで米○玄師のインタビューのようなものを見てなんとなく納得できた。
2週間ほど経ち、爆発しそうな、誰かに聞いて欲しくてどうしようもない感情は薄くなっていった。
今月、またAと会うのだと思う。なんとなく自分は気まずい部分もあるが、Aとはつながっていたいし話したい。
Aへのでかくなった感情はわからないまま時間と共に見えなくなってきた。そのまま見えなくなって、見えないところで小さくなっていてくれたらいい。
どうでもとぐろまきうんち
うんち