好きこそものの上手なれ
これこそが生活するうえでうまく立ち回っていくことだと思う。
初夏の蒸し暑い夜にこんなことを書いているのは、偏に将来への不安に包まれたからである。
というのも、僕はいま大学四年生なのだが、そろそろ将来の事から逃げるのは無理があると考えたからで、高校までの友人を見ていると、結婚したり同居したりまじめに働いていたり、ちゃんと社会に出て適応することができている。その中でも最もすごいと思うのは小学校と高校の友人のTくんだ。彼とは同じ小学校だったが、途中で僕が転校して、高校で再開した。
Tくんは高校では成績はさほど良くなく、がんばって偏差値50程度の情報系の大学に進学した。その後、彼はプログラミングに目覚め、めきめきと実力を伸ばし、みんなもよく知っているし利用している会社のインターンに積極的に参加したりして、立派なエンジニアとして確立した。自分から会社を選ぶことのできる立場にある(と僕は認識してる)。これは好きこそものの上手なれの顕著な例だと思う。彼は楽しそうだ。
僕はといえば……興味のあった数学や物理は全く興味がなくなり(僕の好きなのは数字パズルだった)、ただ自堕落に本を読みゲームをしながら、単位をとりこぼしながら生活してる腑抜けた大学生だ。
興味がないことを勉強するのは苦痛だった。興味がないのだからなんの専門性も身につかず、卒業したらただの肉に意思が宿ったただの人になってしまう。
たとえば料理人や、彫刻家みたいな専門性のある事をガチでやっている人はそれで飯を食っていける(それがとてつもなく険しい道なのは分かるけど)。しかし僕の想像するサラリーマンは、ただの人が、電車に揺られ、会社に行って上から与えられる業務をこなし暗くなったら帰る、という日常を繰り返しているだけのように見える。
何事に興味が湧かず、ずるずると就職していった人は脳裏に陰鬱なものを堆積しながら日々を過ごしていくのだろうか?
サラリーマンになったら、学生だった時代のような、数年単位で環境がかわり、後に期待するということができなくなってくるように思う。たとえば、中高では彼女ができなかったけど、大学ではできたみたいな。だってサラリーマンって約40年もある。のっぺらぼうみたいな移ろいで40年も過ごさなきゃいけないなんて酷だ。
胸を焦がすような恋愛なんてなかなかないし、学生以降はさらに機械が減るだろう。結婚が現実的なのはおよそ30前半までだと思ってる。しかも胸を焦がす恋愛が成就するのなんて一握りだしそれ以降は妥協の恋愛になる。
僕のサラリーマンのイメージは、ツイッターから来ている。だってみんな「満員電車つらい」「朝起きるのつらい」「上司うざい」「飲み会いきたくない」「仕事したくない」「残業いやだ」しかいわないじゃん。
それで、興味のないことを仕事にしてる人がどうやって生きているのかアイデアが欲しい。どうやって仕事に向き合っているのか?
言いたいことの三割も伝わらないし軸がブレブレの説得力のない駄文になった。
要するに、僕は単調増加する幸福の微睡みの夢にずっと浸っていたいということです。
好きなあの子と手をつないで、学校帰りを一緒にあるいて、もどかしさと煩悶に感情を跳ねまわらせる、そんな恋愛は夢なんだなあ。
幸せになりてェ
一個人における認知上において、夢と現実にそれほど意味上の差はない。 夢が幸せならばそれは幸せそのものなのだよ。 それに、現実を生きる市民の多くは現実に向き合っていない。 ...