なのに共に過ごした時間はとても長かったように感じる。
これからもとても長くなると思う。彼はもうこの世にはいないけど。
つらかった、おつかれさま、さようなら。と彼は遺書の末尾に書いた。
残念ながら私は外国語が読めないのでツイッターで遺書の訳を読んだ。
わかるわけないのに、私は彼の気持ちがわかった。
毎週毎週、連れられて話をしに行った。
「がんばれって言ったらだめ」と言われ、それ以外の言葉で励まし続けた。
ある日、庭の木に首を吊って亡くなったと連絡が来た。
見つけた家族が、急いで下ろしたとき、体は未だ温かかったらしい。
それでももうこの世には帰ってこなかった。本人の意思だと思う。
悲しい気持ちが無かったわけではないと思うけど
「やっぱり」死んでしまったんだと考えていた気がする。
そのときも、彼が死んだ日のように寒かった気がする。
あのときのことはあまりよく覚えていない。でもこわくはなかった。
彼はずっとつらかった、それに耐え続けたのは健気だったでしょ、と書いた。
さいごまで真面目な彼らしいなと思った。キュートなジョークだ。
私が観てきた彼は、どんなステージでも最高に輝いていた。
その素敵な彼を構成する要素のひとつに悲壮感はあったかもしれない。
もともと器用なタイプではないとはじめは思っていたけど
彼のすべてを魅力に変えた。ステージを観る私たちはそう感じたし、
でも、彼にとっては違った。
彼のすべてが彼を追い詰めたのかもしれない。
皮肉なことに彼の周りには多くの愛情しかなかったのではないかと思う。
自身の欲を満足させたい、そして周りの愛に応えたい、心からそう思っていたからこそ
今、ここで、この瞬間に別の道(たとえばスポットライトが当たらない生活)は
彼の中に存在していなかったんじゃないだろうか。
さらに強い向かい風、追い風だったかもしれないけど、自分の意図しない形で流行やニーズが
ビュービュー吹く。
時間の濁流の中で、彼の愛した音楽もオセロみたいにひっくり返った。
拠り所になっていたはずの大好きなやさしい音楽が、一番きつく彼を締め上げた。
風が吹くじゃないけれど情報がビュンビュン自分の周りを走り抜ける。
年齢のせいではないかもしれないけど、最近その感覚がまったくない。
死ぬことはこわくないけど、年をとることはこわい。
自分が弱いことを知っているので年を重ねていくことに明るい展望が持てない。
もうあの時の最高の感覚でモノを作れる日は来ないんじゃないか。
これは彼の話ではなく、私の話だけど。
逃げたい、死にたいという人と話をしていると、強い力で引っ張られる。
考えが変わることは、とてもつらい。
私も今では立派な死にたがりになった。不眠症だし、病院に行ったら
病名がつくと思う。どうでもいいことだ。
彼はお疲れ様って言ってよって、言う。だから、言ってあげたいと思う。
つらかったんだって。そうなんだね。おつかれさま。
これまで貴方をずっと見守っていたけどずっと素敵だった。
あとはもう好きにしてよくなったみたいだよ。
遠慮なく好きなところに好きなだけ逃げるといいよ。
真面目だからどこにいってもまたつらくなっちゃうかもしれないけど…
彼は今までずっとつらかったそうなので、これからは私がそのつらいを持とうと思う。
つらいを持って、生きれるところまで生きてみようと思う。
今はまだ直視できないけど、彼の残してくれたものがたくさんあるし。
死後の世界に国境があるかわからないけど、死んでもパスポートを取ろう。
私は彼の所に行きたいと思うし、行くと思うし、おそらくそのとき、
それはまったく彼の意に反していることわかってるんだけど、どうしても応援がしたい。
あとなんとなくだけど、いつもみたいにかわいく微笑んでくれるような気がするんだよね。
だから彼には先に待っててもらうことにする。
きちんとごはんを食べて、つらいをもった自分におつかれさまってしよう。
寄り添ってくれてありがとう。おつかれさま。