日本生まれ日本育ちの自分が海外で転職して気づいたことをメモ。
(ちなみに日本の会社を退職→イギリスの大学院へ→日本及びイギリスで就職活動→転職 というのがここまでの簡単な経歴。今回書く日記には特に関係しないので詳細は省略させていただく。)
大きく差を感じたのは、日本では『過去と理由』をとかく気にするという点だ。
「何故退職したのか」「その会社で何故改善しなかったのか」「何故そもそもその会社に入ったのか」「何故会社を辞めてまで海外の大学院にいったのか」
等々の質問を日本では必要以上にひたすら深入りしてくどくど聞いてくる企業が多かったように感じる。果ては「こうしたほうが良いのに何故そうしなかったのか」等。
また、退職理由はともかく、何年も前の行動を何故そうしなかったのかやたら聞いてくる人事も少なくなかった。
確かに人格判断等には役立つかもしれない。しかし人の考え方や行動は時と場合、さらに年をとるとまた変わってくるし、今現在の意見や考えを聞かずにやたら過去をずけずけと、半ば説教のごとく価値観を押し付けながら聞いてくるのは如何なものか。
こちらが如何にプラスの方向へ、未来へと話を繋げても戻るところは過去の理由ばかりであった。
中でもベストオブおせっかいは「何故大学では○○の分野を学んだのに直接関係しない企業に入ったのか」である。
何年前の選択について聞いてるのかと。当時リーマンショックやらでとにかく不況。内定取り消しなんて日常茶飯事。選んでいる場合ではない。理由なんて「生活のため」以外ない。
とりあえず、当たり障りなく丁寧に説明したが、その後のおっさんのひとことにはさすがにカチンと来た。
「いやー、それでも探せばあったと思うよー」。
お前は一体何様だ。なにを知っているんだ。
対してイギリスでは、もちろん中には似たようなことを聞かれることもあったが、ほとんどが軽く聞く程度で、深入りされることはなかった。
では何を聞かれるのか。
その多くは『今』に着目しており『これから』につながるものだ。
「なにを学んできてこれからどう生かせるのか」「何ができるのか」「自分はどう役立つのか」「今自分はどう考えているのか」
等々、建設的であり、ある意味ビジネス的であると私は感じた。プライベートな問題やこれからの業務に直接関係のないことは聞かれなかったし、ましてや面接官の考え方について語られること押し付けられることもなかった。
日本のような過去の理由について聞かれてもそれは必ず現在や未来に繋げていく上での話であって尋問のように感じることも一切なかった。
そのままイギリスで転職して1年少し。休暇で久しぶりに日本に帰ってきて思うのは、この日本のある種後ろ向きな考え方が、日本での「生きづらさ」の原因にもなっているのではということだ。
転職を恐れてブラック企業から抜けられない若者、一度違う道へ行くとやり直しできない社会、うつなどのメンタルの問題…すべてこういった社会の考え方や価値観からつながっていっているのではないだろうか。
もちろん、過去の失敗や行動から学ぶべきことは山ほどある。しかし、それは内々で取り組み解決や発展させることであり、他者からどうこう言われるものではないし、今現在のその人本人の評価には何ら関係がないのではなかろうか。
また先日、米国で大学を卒業し働いていた友人がキャリアアップと資格取得のため、日本の大学の学士編入の試験を受けたのだが、その面接の際もとにかくやたら「過去」に着目した質問ばかりして気が滅入ったと聞いた。
この考えで日本社会が発展しているならともかく、私が知る限りそうであるようには見えない。
ブラック企業の問題にしろ女性の社会進出問題にしろ何にしろ、法的整備以前にまずは、そういった日本に蔓延る考え方や価値観を変えていく必要があるのだろうし、次の世代のためにも私自身も変わるべきだと、一連の経験を通して改めて考えさせられた。
もうすこし、生きやすい世の中になることを願って。