はてなキーワード: モーマスとは
もう二十年以上前の話だから時効ということで許して貰えるだろうか。実は私は生首を運んだことがある。十七歳の時のことだ。
その日真夜中に『2001年宇宙の旅』を観た私は、感激のあまり外に飛び出し線路沿いの道を歩いていた。夜空に煙草を押し付けて穴を開けたような月が空に輝き、灰色の線路が鈍く輝いていた。
既に路線の運行は終わっていたので、私の足取りも勢い大胆になる。私はいつしか線路の真ん中を歩いていた。すると私は、線路沿いの側溝に黒いものが落ちていることに気がついた。
それはクラスメイトのヨーコの生首だった。ヨーコが線路に飛び込み自殺したという話は聞いていたが私は普段は列車を使わないし、ヨーコとも特に仲が良くなかったので自殺の話はそのまま忘れてしまっていたのだ。
初めて私はヨーコの生首を見た。切断面は粗く踏み潰されたようにぐちゃぐちゃになっており、辛うじて骨と分かる部分が肉色に染まりながら白く光っていた。生首に手を触れてそれを拾い上げる。手ににちゃにちゃと脂と血がついたのだがそれは構わなかった。
ヨーコは目を閉じていた。土で汚れていたが未だ生命力を誇示するかのようにストレートな髪が私の腕をくすぐった。頬は奇跡的に綺麗なままでその象牙のように白い肌を光らせていた。
閉じられた瞼に目をやったところ、生首も瞼を開けた。死んだ魚のように濁っていた。生首は口を開いた。
ミツバチ君じゃない。
こんばんは。ヨーコだよね。
呼び捨てにしないで、とヨーコは言った。そんなに仲が良かったわけでもないでしょう?
私は生首を私の首の高さに掲げた。面と向き合う形にしたかったからだ。結構人間の生首というものは重いんだな、と思ったことを思い出す。
ミツバチ君、こんな遅くまで何をしてるの?
さっき『2001年宇宙の旅』を観たんだ。最高だったよ。
私とヨーコの間には、改めて言うが何の付き合いもなかった。せいぜいフリッパーズ・ギターやモーマスのCDを貸し借りした程度の仲だった。
ねえ、それより私を運んでくれるかしら、とヨーコは言った。
どこへ?
沼まで。私が案内するわ。
その言葉に従って、私は生首を胸のところで抱きかかえて歩き始めた。
ヨーコはその角を右に、左にと指示していく。私はその通りに歩いた。私たちはどんどん線路から外れていく。家に無事に戻れるんだろうか、と心配になった。
やがて私たちは町の外れの森に辿り着いた。既に道は舗装されておらず、土が茶色く光っていた。
森の中に入ると、道の両側から立っているクヌギがその幹を誇示してどこまでも高く伸びていた。森は腐葉土特有の芳醇な匂いに満ち充ちていた。そしてその頂点にある四方八方に伸びた枝から生えた葉が頭上の月を丁寧に隠していた。僅かな月光を頼りに二人で歩いた。
ヨーコは言った。ねえ、ミツバチ君。
どうしたの?
さっきはごめんね。呼び捨てにしないでって。
こっちこそ呼び捨てにしてごめん。確かに僕らってそんなに仲良くなかったよね。
ミツバチ君のことは気に入っていたのよ。告白しようかって思ったこともあった。
そうなんだ。
今から思い出せば私はあの頃は恋愛に特に興味を持って居なかった。好きに音楽を聴いたり本を読んだり出来れば幸せだったのだ。だから異性の私に対するそうした反応に対しても私は極めて鈍かったのだろう。
今度は私から尋ねた。ヨーコさん。
何?
死ぬってどんな感じ?
ヨーコは少し目を閉じた。しばらく黙りこくったうちに、ごめんね、と言った。脳が痺れてうまく考えがまとまらないの。
分かるような気がするよ。
私たちはどんどん森の内奥へと入っていく。それはまるで陰部をどこまでも探るような淫靡な試みだった。森の中を彷徨う私たちの足取りに到達点などあるのだろうかと不安になる一方で、月をやがて覆い隠すクヌギの森の葉が濃くなってきたことに興奮を覚えた。
ヨーコは言った。生きていた頃のことが全部夢だったみたい。
途方もない夢だね、と私は言った。十七年間も続いたんだから。
そうよね。本当にね。
私たちはそのようにして森を小一時間ほど歩いて、ヨーコの言っていた沼に辿り着いた。表面が鰻のように黒くぬめっていて、おぼろげに月が反射していた。
中に沈めて、とヨーコは言った。
いいの?
いいわよ。私泳ぐのが好きだったから。
そこで私はヨーコの首を沼の中に漬けた。最初は浮かんでいた首はやがて水の中に沈んでいき、上方に漂う髪の毛が藻のように揺らいでいたがそれもまた沈んでいった。彼女が浮かべる細かな泡が後に残った。私は帰ることにした。
森の中は相変わらずどこかじめじめと湿り気を帯びており、土を踏む私の足は時々剥き出しになっている石に躓いて転びそうになった。途中で小動物らしきものが立てるかさかさとした物音が聞こえた。私は森の中をどこまでも歩いた。
死ぬってどんな感じなんだろう? そんなフレーズがヴィーナス・ペーターの歌にあったことを思い出した。「死ぬって何だろう?/解ってる、この漂う世界は/一時的な輝きに過ぎないんだ」……。
私は家に着き、窓から二階の自室に入り込んでそして眠った。クヌギの木の匂いと彼女の首の匂いは朝になっても残っていた。
今でもヨーコのことを思い出す。つい最近休暇が取れたので私はあの沼に行き、追悼の言葉を呟いて戻って来た。何故かは分からない。ただ、そうしなければいけない気がするから、そうして来た。それだけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の渋谷系オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「腐女子ではまったくないんだが、しかし自分の音楽の趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない渋谷系の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、渋谷系オタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、渋谷系のことを紹介するために聞かせるべき10枚を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に音楽を布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うコンピレーション、トリビュートのアルバムは避けたい。
できればLP1枚、長くても2枚にとどめたい。
あと、いくら渋谷系的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
渋谷系好きが『ナゴム系』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
渋谷系知識はいわゆる「CM系」的なものを除けば、オザケン程度は聞いている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「渋谷系以前」を濃縮しきっていて、「渋谷系以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。
長さもちょうど良いし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この一聴するとポップな作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の腹黒さを彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな渋谷系(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「渋谷系オタとしてはこれは“ポップス”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の渋谷系オタが持ってるフランスへの憧憬と、モーマス監修のオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもな
の二人をはじめとして、オタ好きのするモノクロ写真をジャケにちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを聞いた彼女は「bonobosだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが一部では大人気になったこと、アメリカならipodのCM曲になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり渋谷系は小山田を避けて通れないよね」という話になったときに、そこで選ぶのはファンタズマでもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける小山田の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも72分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
69/96の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが小沢だったらきっちりシングルにしてしまうだろうとも思う。なのに、各所に頭下げて迷惑かけて69/96を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ小山田がそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でTOKYO NO.1 SOUL SETを聴いたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
Jラップよりも前の段階で、ビッケの哲学とかサンプリング技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品がクラブでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく1995年シーン好きとしては不思議に誇らしいし、日産マーチのCMでナレーションしてるビッケしか知らない彼女には聞かせてあげたいなと思う。
ヘッド博士の「音」あるいは「サンプリング」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない夏休み」的な感覚が渋谷系オタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ「パーフリ」は小山田小沢以外ではあり得なかったとも思う。「解りあえやしないって解りあう」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタク気分」の源はフリッパーズにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう雑メロ風味の内容をこういうかたちで小山田がプロデュースして、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9枚まではあっさり決まったんだけど10枚目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に中原を選んだ。
小沢から始まって中原で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、渋谷系時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。スチャダラパーの「サマージャム'95」が入ってないのはおかしい!とかね。
ああ疲れた。サニーデイやラブタン関連great3とかも入れたかったんだが無理だった。
所詮この程度ですかそうですか。