こんな、する側もされる側も高等テクを要する性癖を今更明らかにして何になるの。
したいにせよされたいにせよ、夫婦間で現実にするのは不可能なわけで。
だったらイラストで発散している今の状況をそのまま続けてもらうのがよっぽどいい。
誰に何をアピールしたくてそんなこと書くのでしょうか?
その「悪意がないと言い張れば、場の空気を武器にしてひとを弄って辱めてもいい」みたいな同調圧力をわりと積極的に批判しているのがフェミニストなんだが
私の経験に照らすとそれは自分自身の考え方や、自分のことを考える機会だと思う。
少し恥ずかしいだろうけれど、それらしい本を読んだり音楽や詩に親しみながら「自分は物事をどのようにとらえているか」という自分以外は誰もやってくれないことに向き合うことをすすめます。
そうして自分のことを人にわかりやすく説明できるぐらい把握すると、色々な作品や人に対して今までとは別の感慨を持てるようになるかも。
お酒飲んだりすごい好きな曲聴いたり(安藤裕子ののうぜんかつらとか)
彼氏いるけど、彼氏の友達のこともわたしの自分の女友達のことも
直接血が繋がってないけど一瞬でもすごく楽しい時を過ごした
いろんな人の事を思い出して、
その人たちみんなのことがもう懐かしくて、
そういう人みんなのことを同じ分量で、
目一杯ただひたすら愛でていたい
それが不可能だというのがすごく寂しくて、
もどかしくて仕方なく、
なんだかもう泣けてきてしまう。
とか考えてしまう。
ほんとはできないけど、せめてみんなのことを
そんでその人のことをとにかく褒めて褒めて褒めてあげたい
みんなほんとに愛してるし素晴らしいし素敵だよって
そういう人だと思われるかもしれないけど、
これといった華やかな思い出も
むしろ地味な思い出も無い平凡で起伏のない
目立たない同窓会のお知らせ来ないみたいな
そういう性格だしそういうふうに生きてきました。
みんなのこと愛してるのに
そういう友達のことも大好きなのに
あと好きすぎる人とは男女問わずうまく話ができない
どこのどんな汁がどこについてもかまわないし
すべてを舐め倒したいと思ってるけど
みんなのことそういう気持ちで愛してる
パッピラヴィー
なかなか自分の性癖を満たす絵に出会えないので、男女逆のもので欲求を満たしているんだよ。