はてなキーワード: 青年とは
格調高い、硬質な文体でブログを書く人物がいた。
文学や伝統芸能の話の他、時々話題として出るジャズや映画が魅力だった。
出てくる人物が何故か懐かしい親しい人のように感じられて夢中で読んでいた。
きっかけは忘れたが、私は彼の読者になった。
本当は毎回コメントを書きたいが、彼に鬱陶しがられるのが怖く、
3回に1回程度の頻度で書いた。
このような状態が半年程続き、
同じ地方に住んでいるということも記事から分かり、
彼にどうしても会いたくなった。
送ると引いてしまうのではないかという思いから躊躇していた。
コメント欄のやり取りよりも深い話をしてみたい、
したら引くだろうな、
でもしてみたい、
しよう、
とメールを送った。
内容としては
「あなたの文章が好きだ」
「実は自分も〇〇に住んでいる」
「時間が合えばお会いしたい」
といった感じ。
彼からメールが来た。
OKだった。
何回かやり取りをした後、
場所や日程を決め、最後に彼から
「私は12時に××の下でグレーのキャスケットを被って煙草を吸っていますので」
と来た。
当日待ち合わせの場所に行く。
背は高いんだろうな。
体も細いんだろう。
煙草も様になっているんだろう。
目が合う。
手を振られる。
色々な事を話した。
と言っても、色々な話をする前に当然突っ込んだ。
前置きが長かったがここからが本題。
なぜ彼女は女であることを一切匂わさずにブログを書いていたのか。
彼(便宜上)の言い分はこうだ。
「男と女が全く同じ文章を書いた場合(プロフィール等にて明示する限り)、
女の方が、アクセスや反応が多いのではないか。
加えて、女が女しか書かないであろう文章や己の写真を晒せばどうなるか。
私は純粋に、文章の力だけで勝負したい。
文章は表現であることと同時に戦いでもあると考えている。
私は「女であること」を利用するのはフェアではないと思っている。
女である事をおおっぴらにして文章を綴り続け、
ある男の読者が強烈に自分を支持しているとしたら、
文章の評価とは別の何らかの思惑がある場合もある、
と考えるのが妥当ではないか。
だから私は女の匂いの一切を消すために、
その手の話題を一切せず、
時々一人称に「俺」を使う。
女としての評価ではなく、
「表現をする一個人」として評価されたい。」
それから話したことはあまり覚えていない。
顔も綺麗だったのにどうしてそういう思いに至ったのか分からない。
過去に何か拗らせたのか、あるいは自分から女をとったら何も残らないと感じたのか。
結局のところ私は「女として書かれたその文章」ではなく、
「男として書かれた」それが好きなだけだったんだ、ということにようやく気付いた。
目の前に希望なんて無かった。光なんて見えなかった。
友達だって少なかったし、自分が一体何を好きなのかさえ分からなかった。
高校時代のぼくは、空っぽだった。
小沢健二を知ったのはそんな時だった。
テレビ画面に映っていたダウンタウンとじゃれ合う痩せっぽちのその青年は、見た目の弱々しさとは裏腹に、自分がどれだけ凄いかを自信満々に、それでいて、嫌味なく語っていた。
そして、その歌声は決して、上手いとは言えないか細いもので、けれど何か幸福感に満ちていて、ぼくには何だか眩しすぎるような気がした。
でも、ぼくはなぜだか分からないけど、小沢健二を好きになろうと思った。
たぶん、背伸びをしたんだと思う。
ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!
鬱屈した日常に一筋の希望の光を与えてくれる存在だと思ったのかも知れない。
確かに彼の音楽は心地よく、何度聴いても飽きなかったけど、正直いって、ぼくの大事な部分を刺激するような体験はなかった。
小沢健二にはすべてがあったけど、ぼくには何もなかった。
彼の曲や詞は、ぼくの憧れと嫉妬のフィルターにかかって耳から耳へと通り抜けて行った。
程なくして、小沢健二はテレビ出演を控え始め、同時にぼくも彼の曲を聴くことが少なくなっていた。
やがてぼくはひとりの女の子が気になり始めた。
言ってみれば初恋だった。
けれど、正確に言えば、いる気がしていただけだった。
別段「好き」ではないけど、みんな誰々が好きだとかいうから、ぼくも誰かが好きじゃないといけないんじゃないかと思って、手近な女の子を好きだと思い込んでいたような気がする。
だから、断じて「恋」とは違っていたんだと思う。
その子が気になりだして、初めてそれに気がついた。
明らかに今までの感覚と違っていたから。
ぼくが彼女と話すことはほとんどなかったけど、彼女が微笑んでいる姿を見つめるだけで胸が一杯になった。
ただの事務的な会話を一言三言交わすだけで胸が踊った。
そして、ぼくのような人間が彼女に振り向いてもらえるわけがない現実を勝手に作り上げて胸が痛くなった。
そんな時、何の気なしに再び小沢健二を聴いた。
妙に瑞々しく感じられていた。
いつの間にか、ぼくはその曲と、その歌声に聴き入っていた。
神様を信じる強さを僕に 生きることを諦めてしまわぬように
信じられないことに、涙がこぼれていた。
「おはよう!」と。
彼女は最初一瞬戸惑った感じだったけど、「あ、おはよ」と返してくれた。
「◯◯くん」と名前を呼ばれるだけで、ある光が射した気がした。
左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる
僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも
友だちとは言えないけれど、日常会話くらいは交わすようになった。
けれど、自分の好意を伝えることはできなかったし、もちろんそれ以上発展することもなかった。
噂では、彼女も小沢健二のファンだったらしいけど、そんなことはどうでもいいことだ。
ぼくにとって小沢健二とはそういう存在なんだ。
『わざと記載しなかった』 石川容疑者 犯意初めて認める
小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」による土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部は十五日夜、陸山会の事務担当だった同党衆院議員石川知裕容疑者(36)=北海道11区=らの逮捕に踏み切った。「小沢先生は激怒するだろう」。石川容疑者が政治資金収支報告書への虚偽記載の犯意を認めていることも新たに判明。検察側の聴取要請を拒む小沢氏は窮地に追い込まれた形だ。
「このことを知ったら小沢先生は激怒するだろう」。関係者によると、特捜部の任意聴取に対し、石川容疑者は、こう述べながら政治資金収支報告書への虚偽記載の犯意を初めて認めたという。
特捜部が石川容疑者の任意の聴取に踏み切ったのは、年の瀬も押し迫った昨年十二月二十七日。年が明けた今月十三、十四の両日も石川容疑者から任意聴取を重ねた。
関係者によると、石川氏は今月十三日まで、東京都世田谷区の土地購入の原資となった四億円の収入などについて、陸山会の収支報告書に記載しなかった理由を「単なるミス、忘れていただけ」と説明していたという。
ところが、十四日昼すぎから行われた聴取では、聴取が進むにつれ、石川容疑者は憔悴(しょうすい)した様子を見せ始め、やがて「わざと記載しなかった」と供述した。
聴取を担当した検事が、その理由を何度問いただしても「言えない」「言えない」と繰り返したという。
さらに、虚偽記載の犯意を認めたことについて「このことを知ったら小沢先生は激怒するだろう。自分の立場もなくなる、知られたら政治生命は終わりだ」と供述したという。
特捜部は十五日午後五時、石川容疑者に出頭を求め、逮捕状を執行した。
◆律義な好青年 わきの甘さも
石川知裕容疑者は、小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」による土地購入をめぐる問題で、先月二十七日以降、複数回、東京地検特捜部から任意の事情聴取を受けていた。
小沢氏の公設秘書の大久保隆規被告が政治資金規正法違反罪に問われた準大手ゼネコン「西松建設」による陸山会などへの違法献金事件でも六回、任意で事情を聴かれており、小沢氏の政治資金の流れに精通した「キーパーソン」の一人だった。
石川容疑者は北海道足寄町出身。函館ラ・サール高から早大に進み、在学中に知人の紹介で、書生として小沢氏の家に住み込んだ。朝五時に起き、犬の散歩や掃除をこなす生活を三年、秘書になってから十年。剛腕政治家の下で基礎を築いた。
問題の土地取引があった翌年の二〇〇五年の衆院選に北海道11区から出馬したが、自民党の故中川昭一元財務相に敗れた。〇七年に比例代表北海道ブロック選出の民主党衆院議員が知事選に出馬し、繰り上げ当選。昨夏の衆院選では中川氏を破り当選した。
当選二回となった今も、石川容疑者を知る人は「律義な好青年」と口をそろえる。だが、小沢氏の元秘書としても常に注目される立場。「政治家は金がまつわると命取りになる。わきが甘いといえば甘い」と言う人も少なくなかった。
犯意認めたら逮捕するしかねーわな。
[本]この世でいちばん大事な「カネ」の話
ttp://d.hatena.ne.jp/fujipon/20090116#p1
幼年時代から苦労を重ねたこともあり、Aは人情家であった。若い者が訪ねてくると、Aは決まって「メシを食ったか」と尋ねる習慣があった。少年・青年時代、満腹感を抱くことが少なかったAだからこその、温もりのある言葉である。Aが人望を集め、高い人気を誇ったのは、その根拠に血の通った人間臭さがあったからであろう。
Aの人身掌握術は天性のものだったかもしれないが、苦労によって磨きもかけられた。一方、Aの官僚操縦術は、昭和20年代に数々の議員立法を手がけたことによって習得されたものだといえる。昭和30年の国会法改正前までは、議員は1人でも法案を提出することができ、その数はきわめて多かったが、実際に成立したものは少ない。しかし、Aはみずから政策の勉強を重ねて低学歴のハンディキャップを克服し、先輩・同僚議員や官僚への根回しを行いながら、道路三法など実に30本以上の法律を成立させている。
もちろん、人心を掌握するため、人一倍、カネも使った。正確にいえば、苦労人のAにとり、カネこそみずからの気持ちを表現する数少ない手段のひとつだったのかもしれない。首相に就任したとき、ある祝賀会で小さな女の子から花束を贈呈されて感激したAは、すぐにその場で財布から一万円札を取り出して渡したという。周囲は驚いたが、それが「A」であった。「政治は数であり、数は力、数はカネ」との台詞からも、「A」が透けて見える。
この「A」って、誰のことだかわかりますか?
研究者には社会性のない人が多いという話はよく聞きます。自分が大学にいた4年間をみてみると、研究の深いとこまでは何してるかわかんないのですが、しっかりしている人もいたし、そうでない人もいました。それは、約束や時間を守る、人と親しくする、挨拶をする、気を配る、自分が間違っていた時には謝るなんてことなど一般的なことです。中には、そういったことのできない(だけなら、まだいいですが・・・)社会性というか社会人として人としてどうなの???とう人も見たり聞いたりしました。例えば、学生を道具のように扱っている、お茶を入れてもありがとうの一言もない、研究しかしない、人と接しない、他人を侮辱する人間性を否定するようなことをを簡単に言ったり、etc.
それって何でだったんだろう?と今日は考えてみました。
恐らくいろんなタイプの人がいる、社会性に関しても、ある人、ない人、出来るけどやってない人、そういった人が、どうやって出来てくるのか?ということを考えてみました。
研究して業績があって、会議や最低限の講義をこなせばどうにかなってしまう(実力主義なこの部分は、個人的に好感がもてます)。周囲にも、社交的でなくて大丈夫な人が多いので許されちゃったり、本人も学ぶ気がない。
「僕って、理系なんで社会性なくって、イヤ~、人と違うからまいっちゃうなww」みたいなナルシズムがあるタイプ。(これは私がオタリーマンを読んだ時に、この種のナルシズムをプンプン感じて、作者の鼻の穴が開いてる映像が浮かびました。あ これ完全にオタリーマンの感想です。)
これが一番に思いついたこと。昔から勉強ができるタイプの友人には、3種類の人がいた。
1.知的探求心、処理能力が高く、勉強が好き(正に研究者向きの性格という感じですかね)
2.ちっちゃい頃はそんなに勉強しなくてスポーツや遊びに夢中で、塾や高校に行きだしてからポテンシャルの高さを発揮する。
3.人付き合いやスポーツは苦手。勉強でなら勝負できる、勉強面でしかやることを見出せない。また、勉強しなければいけないという思い込みが強い。
1.と2.は持ち前の処理能力の高さが目立つ人たち。
3.のタイプの人って結構な割合を占めていると思うんですよ。たまに、3.のタイプは、成績いいけどそんな頭良くないよねなんていわれることがあるが、私はそうは思いません。そのタイプでも、本当に頭がいい人はいます。
ただし、3.のタイプの人の社会性を問われると、根底にある(んではないかと私は思う)劣等感・嫌悪感や、思春期や青年期の複雑でやや乱暴な世代の中で人付き合いを学ぶ機会を拒否してしまったりで、コミュニケーション技術を育てず、結果的に社会性がなくなってしまうのではないかと思うんです。
(3.になれないタイプ、どこかで勝負できる場所を見つけたいけど、勉強やっても無理だったって場合には、別の場所を見つけることにはなるんだろうけど・・・うーんって感じ。)
3.の場合、他のレパートリーがないから、勉強に特化して掘り下げることが出来たんだろうし、そのレパートリーの無さが、研究能力を高め、その人を生かしているとも言えなくはないと思う。成長過程で何かしらの傷をおって、人から離れ、それでもそれが本人を生かしているとしたら、その混沌さがまた、人間らしくも思えて、昔理解できなかった大学研究職の方々とも少しは歩み寄れそうな気がしました。
27歳男性、朝ipodを聞きながら出勤してふと思った。
「『音楽に支えられる』って表現は良く聞くけれど、その言葉は自分を対象に考えたときに、あまりしっくり来ないなよな。」
自分はコアな音楽フリークではないし、細かな演奏の違いだとか音質の違いだとか正直言ってよくわかんない。けれども音楽は好きだし、音楽に助けられたって想いはある。それでもやっぱり・・・・・・後ろから支えられたんではないよなと言う感覚があった。自分は歌詞でCDを選ぶほうだ。好きなアーティストのCDは買うってルールはあるものの、普段はジャンルや曲調は問わずにバラバラにレンタルして聴いている。
「今凄く引き込まれている」。そう感じるとき、胸は苦しくってじんわりと嫌な汗をかく。ドキドキして、まるで胸を鷲掴みにされてしまったよう。特に自分に響く曲の歌詞は、人間のずるい部分や、いやらしさ、醜さみたいなものを、死や絶望や現実の残酷さを、ダイレクトに力強く表現してくれるものだ。希望ばっかりを声高に叫んだり、愛だ勇気だ自由だなんていわれても、(たまにそう思うことはありますけど)なんだか引いてしまって、自分が集中して聞いているという感覚は得られない。
一歩ひいて考えてみると、私の好きな曲たちは、自分が目をそらしたいと思っているものを歌詞にしている。自分だけで考えているだけでは、「醜さ」「いやらしさ」「死」であったり、「異常性」というものを、咀嚼して消化することはとてもじゃないけどできない気がする。今は、すこし年をとって内省できることも増えたけれど、思春期から青年期前期にかけては、ただでさえ悩める年頃なんだから非常に難しかったと思う。
それでも、音楽はしっかりと私にぶつけてきてくれる。「死から目をそらすな、お前も醜さを抱えているんだ」と。私の手をとって、彼ら自身も苦しさを感じながら共に触ってくれる。一人では見つめられないものが、どんな形をしてて、どんな質感・温度なのかを、共にたしかめてくれる。そうして、「本当は、俺も恐いんだよ。」というメッセージまでくれる。そう、音楽は一緒に触れてくれていたんだ。
音楽に限らず、マンガや小説、絵画、映画にもそういう側面はある。そういったものを通して、自分の中のモヤモヤを咀嚼し、置き場所をさだめ、それらを携えながら生きてこれたんだろう。迷いや不安は現れつづけるけど、それに触れながらこれからも生きていくんだろう。
ここ2-3年、仕事とインターネットが楽しくて、全然TVを見る機会がなくなった。
今日、久々に年末年始のTV番組表を見てみたら、興味が無くなった理由が解った。
以前は、やれ『ミニスカポリス』だ、『A女E女』だと興味をそそられる番組名が多くあり、
ふすまで仕切られた寝室から親が起きてこないことを願い、時間が長く感じられる時を過ごし・・・
たまに紛らわしい名前で「何でこんな時間まで頑張ってたんだろ…」と哲学の時間を提供してくれる番組ありで、
今の青少年は可哀想だ。
そして、エロい番組を口うるさく言っている団体は【青年期のわくわく・どきどき】をちゃんと調査して欲しい。
また、青年期を過ぎた人の悶々についても思慮願います。
フェミニスト団体とか知らんけど、日本男児はその青年期・壮年期の欲情ををエロい番組で解消しているんです!!!
ここんとこ解って欲しいなー。。。と思う今日この頃。
オーゥ。嘘つき呼ばわりですかw
そんなことどっかに書いたかな?
歴史に学ぶ、なんて言ってる奴のいうことのほとんどがこじつけだってことは研究者はよく知ってるはず
そんなことばっか言ってるからそういうのに騙されるんだよ
こじつけじゃないよ。歴史に学ぶことが自分にとって面白く、有用だったと述べる実業家は多い。パッと思いつくだけでも、投資家のジム・ロジャーズ、ホンダの創業者の本田宗一郎などがそう。また、松下幸之助の本にも、ドラッカーの本にも、歴史上の人物が困難にどう対処したのかが具体例としてよく出てくる。和民の社長も青年期に歴史関係の本をむさぼり読んでる。経営者が大好きな小説は決まって司馬遼太郎や塩野七生。
増田のような人にこそ、読解力や、自分の主張にきちんと根拠をつけて述べる、いわゆる論理的な文章作成術を学んで欲しいと思うなー。
動物化ワッショイの話に成ってしまう。(既に過去の事とは言え、チキンレースですねある意味。)
大学の講義でそのセンセイは「オタクは動物化している。自分だって動物化しているんだ。」と仰った。
皮肉を皮肉として受け取らないでいたワタシは「ならば我はライオンに成って豚を喰い殺そう。それで宜しいか?」と斬り返した。
これは1年前の夏の出来事だから、その後の事である。
茨城で8人を無差別に殺害した青年は証言台に立ち、言った言葉は
「ライオンがシマウマを食べるとき、ライオンはシマウマに何か感じるでしょうか?」であった。
これはただの偶然では無いと思っているが、具体的に名を明かさなかった罰だ。
彼の素性は何1つ解らないし、あちらさんも同じだろう。
ライオンでは無く虎に成り果てた2人の結末である。
〜T/H
例えば戦争やってる地域に行って殺されるのは自己責任だろ。イラク日本人青年殺害事件とかな。あれはアホとしか言いようがない。
ものをとられるのも自己責任。盗むことができるようにする方が悪い。
高級時計店とかでは本当に盗まれると困るような高級品はショーケースに入ってる罠。盗られて困るものは金庫にしまっとけ。
スーパーなんかでは必ずと言って良いほど警備員雇ってるけどな。小さい店でも監視カメラとか監視用のミラーとかで対策してるだろう。何も対策してない店は皆無だと思われ。
これは個人のレベルでどうしようもないことだな。
自衛しろって言ってる奴らは、犯人悪くないとは言ってないだろ。犯人は悪いけど、自衛したほうが被害に遭いにくいよねって話なだけで。北朝鮮は悪いよ。もちろん殺人犯も泥棒も万引きするヤツも悪い。
自己責任って素晴らしい!自由万歳!
極論言うやつは絶対1か0しかないよな。もうちょっと柔軟にグレーゾーンについて考えた方がいいだろ。
ちょっと今大学の授業が1コマ開いてるから、授業の復習と人生の反省をかねて自分に当てはまり過ぎた自己同一性の拡散について書きます。青年期の人は軽かれ重かれ体感しざるを得ないらしいので、共感できる部分があるかも。
アイデンティティとは
(自己)同一性とは
同一性の拡散
1.親密性の失調 対人不安、コミュニケーションがうまく取れなくなる
2.時間的展望の拡散、生活の緩慢化 時間的な見通しが出来なくなり、堕落した生活を送る
3.勤勉性の拡散(職業的同一性の獲得の回避) 努力することへの価値観が失われ、それに伴い勤勉さが失われる
4.否定的同一性の獲得 社会が望む役割、同一性への憎悪、軽視から否定的になる
5.自意識過剰 他人の評価を気にし過ぎる
なんというか、全部当てはまってるんですよねー。
同一性の拡散が起こる原因としては簡単に言うと、人生に躓いたときらしいですけど、多分自分の場合は大学受験失敗した挙句に見学にも行かなかった滑り止めのFランに浪人する度胸が無かったっていうので、そのまま入学しちゃって、馴染めなくて、言うところの準ひきこもりみたいな感じなんですよね。
大学では表面的な関係がほんの少しあるだけで、家に帰ればダラダラしてて、勉強する気も全然起きなくて、自分が悪いのに環境の事に文句ばっかりで、外に出れば人の目が気になるから学校行く以外はほとんど家出なくて、バイトしようかと思っても心配が多すぎて踏ん切りがつかない。
あーぁ、どうしちゃったんだろう本当に、なんかもう自分と身の回りに対する嫌悪とか嫉妬とか憎悪とかで塗れてる、自分でどうにかする以外に手は無いんだと思うと、絶望する、別に人にとっちゃ大したこと無くても自分を客観的に見ることができない今、一歩を踏み出す勇気が無い、あぁ女々しいな、これでも名前はすごい猛々しいんだけどな、こんな皮肉はいらねえよ
私も昔は、喋ったことがあるだけで女の子を好きになってしまう童貞オタク青年でしたが、こんな妄想まみれの人生ではおかしくなってしまうと思い、一念発起してデリヘル通いを始めました。ほぼ、週に一回くらいのペースで、違う女の子と遊び続けた(いわゆる「フリー」というやつ)と記憶しております。結果、自分がかつて恋愛感情だと思っていたものは、変形された性欲の一種であり、運命の出会いとか一途な恋とかいうものではない――つまり、その子を好きになったのは「たまたま手近にいた女性だったから」であり、基本的には自分という男は「女なら誰でも構わない」生き物である――ということを自覚するに至りました。50万円ほど使いましたが、今となっては安い授業料だったと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20070416200820
http://anond.hatelabo.jp/20070416200820これ書いた人だけど、少し反応があったので、続き。そいで、まあ、デリヘルに通うようになってからは、隣に座っただけの女子に恋をしてしまうようなことはなくなった、というかそれは恋じゃなくて変形された性欲だというのが分かったのだけれど、逆に言えば色々と自分の中にあった活気みたいなのが衰えて、枯れて来てるなあというのは思う。昔だったら、パソコンの事聞かれたりしただけで、「気があるんじゃないか?!」と思っちゃうくらいの妄想野郎だったけど、今...
http://anond.hatelabo.jp/20070417213857
みんな、大事なものを無くしてないか?
子供の頃から声優とラジオが好きだった。好きというか、それしか無かった。
何かスポーツに打ち込んだことも無く、趣味も長続きしない、飽きっぽい子供が唯一、熱が冷めずに続いているのが、声優とラジオ。
こんな人間が大学在学中にする行動といえば、ラジオ局への就職活動。
マスコミ関係は学歴フィルターで書類選考で落ちるのが関の山だが、必死の努力で筆記試験までたどり着けた。
だが、あまりにもレベルが高かった。いや、次元が違った。声優とラジオしか知らない三流大学の私には、まるでロゼッタストーンの暗号に見えた。
試験結果を待たなくても結果は判っていた。試験後、その日受けた放送局の大好きな番組をネットカフェで放心状態になりながら視聴した。
その後、夢は膨らむばかり、系列の専門学校も受けたが、中卒から入学可能の学校なのに受ける人材は一流大学の学生ばかり。倍率20倍の壁厚く、落ちた。
何度も夢破れているのに、まだラジオが死ぬほど好きだから、たちが悪い。
入社試験から月日が流れ、二つの事件が起こる。
一つ目は受験した放送局の携帯コンテンツで、内定を貰い入社できた猛者の日記を目にすることになる。
日記を読んであることに気づく、その人は受験した日に私が放心状態で聴いていた番組のスタッフになっていたのだ。
しばらく、その番組に投稿するのを辞めた。
二つ目は別の局のラジオイベントに参加した際、パンフレットを配っていて、パーソナリティーとスタッフの写真を掲載していた。
その中に、専門学校の集団面接で私の隣に座っていた、国立大学在学中と自己紹介していた青年の姿が……。
別番組でラジオマンになったことは知っていたが、私の好きな番組のスタッフになっていたとは、悔しくて純粋にイベントを楽しめなくなっていた。しかも、この番組はリスナーからイベント企画を募集していて、私は二年連続で企画を通している。
企画は採用されているからこそ、なぜ?企画は採用されているのに、、、と無情な気分になる。
同じ試験を受けた人がチャンスを掴んで憧れの場所にいる。
この状態になって、試験に落ちた時「"その辺"の学生より頑張ってるのに、、なぜ……」と嘆いた時に言われた恩師の言葉が反芻して蘇る。
私は、1965年早生まれ、東京五輪世代です。ひきこもり問題については、多くのひとが、30歳未満、あるいは35歳未満を想定していると思われます。けれども、40歳前後、40歳以上のひとたちの存在については、ただきもちわるくみられるだけで、専門家にしても、当事者にしても、あまり語られていないように思います。
私たちが、思春期から青年期をすごした70年代から80年代にかけて、ひきこもり問題が語られることは皆無に近く、私もそうですが、ひとりでさびしく、えたいのしれない悩みにむかっていました。このところようやく、ひきこもり問題が社会問題として、クローズアップされましたが、もうそのときは、私たちは、青年とはいえない歳になっていました。
わたしは、この歳になっても、自分自身の思春期の問題が解決されたり、思春期葛藤をのりこえているとは思えません。思春期・青年期に卒業していなくてはいけない問題が卒業できずに、今後は、自殺率の高くなる中高年期をむかえるわけで、こころのなかに、累積債務がたまるばかりで、不安でいっぱいです。 現在、語られているひきこもり解決策は、私からみると、20歳前後のひとたちを想定しているように思えます。歳に関係なく共通することもあるかもしれませんが、人格がかたまり、人生の年輪だけが増してしまった、高齢化したひきこもり者の解決策は、個人や家族だけではとうていうかびませんし、専門家の間でも、語られにくい、あるいは良案がみつかりにくい問題なのかなあと思います。
私自身、大学卒業後、何度も就労にトライしたり、精神科・カウンセラー・デイケア・自助グループなどを利用して、専門職をめざしたりして、あの手この手をつくしたのですが、もう万策つきてしまったと感じています。人生が破綻したとおもっています。 私のように、思春期・青年期から引きずっている中高年のひきこもりは、ほんとうに、「終わらない思春期」の問題だと思います。思春期・青年期・中高年期の対人不安や社会不安などが複雑に入り混じった問題について、希望のみえる打開策をもっと社会全体で考える気運があってほしいです。専門家の方には、高齢者グループにしぼって、ひきこもりの打開策を研究していただきたいです。
高齢者グループのひきこもり者たちは、なぜ、ひきこもりから抜けた出せないかというと、数十年前から現在にいたるまで、当事者が単独でもがき苦しみ、若い世代と比べて、ほとんど社会において、ときには専門家においてでさえ、扱いずらい、扱おうとしない問題だったのではないでしょうか。そして、年月を増すごとに、悩みや問題がこじれる一方だったのではないかと思います。
「残りの後半生、わずかでも希望をみいだしたい」「すこしでも、ひとのやさしさやあたたかさにふれてみたい」「えたいの知れない孤独な気持ちをわかってほしい」「すこしでも、おとなとしての自信をもちたい」これらが私のこころからののぞみです。
このように私と似たような悩みやお考えを持っている方、いらっしゃいませんか。個人的には、ひきこもり高齢世代と自称されるかたがたにこそ、インターネットでもその他の手法でも
かくれていないで、ひとりでもやもやしていることを思い切って語ることができれば、みんなで考えあう気運がもりあがるかもしれないと思っています。
http://anond.hatelabo.jp/20091109124346の続き。
団体のうち、青年たちで構成される組織を一般的にこう名づけられる(例えば[[商工会]]青年部(([http://21impulse.jp/:title]))など)。 ++天理教の組織の一つ。構成員の男女の性は乱れていて問題となっているが、改善されない。
天理教では、青年部ではなくて青年会と呼ぶのが一般的のようです。
http://www.google.co.jp/search?as_q=&hl=ja&num=100&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&as_epq=%22%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%E9%9D%92%E5%B9%B4%E9%83%A8%22&as_oq=&as_eq=&lr=&cr=&as_ft=i&as_filetype=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=&as_rights=&safe=images
http://www.google.co.jp/search?as_q=&hl=ja&num=100&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&as_epq=%22%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%E9%9D%92%E5%B9%B4%E4%BC%9A%22&as_oq=&as_eq=&lr=&cr=&as_ft=i&as_filetype=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=&as_rights=&safe=images
泉東分教会に所属する16〜40歳までの会
これははてなキーワード「青年部」の定義である「団体のうち、青年たちで構成される組織」と一致し、別項を新たに設ける必然性がありません。
【政治】自民党の佐藤正久参院議員、岡田外相にかみつく「自衛隊は若葉マークというが、あなたが若葉マークだ!」
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1257845363/241
241 :名無しさん@十周年:2009/11/10(火) 19:11:51 ID:NYgUedpm0
お前らこの経歴を見てよーく考えろよ
小沢一郎・・・・大学卒業直後に議員当選、ほぼ一度も就職した事がないポリティカルニート
鳩山由紀夫・・・・大学で教鞭畑を歩き続けて準教授まで行った、就職活動はやってない
岡田克也・・・・・ほぼストレートで東大合格~卒業~通産官僚~政治家 一般企業での働いた事はほぼ皆無
安倍晋三・・・・神戸製鉄に三年間勤務 ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した
麻生太郎・・・・元起業経営者、青年期は海外にて起業活動をやっていた。
中川昭一・・・・慶応大学で仮面浪人の後に東大合格~卒業 日本興業銀行にて6年間?勤務
どっちがなまじ一般的な社会や世間を知ってると思う?
死んだ魚のような両目に、明け始めた東の空は少しばかり刺激が強すぎた。先ほどからずきずきと網膜が痛みに喘いでいる。眼球も横から釘をずにゅうと差し込まれているような鈍痛に悲鳴を上げている。深夜まで及んだ仕事の疲れと、その他諸々の精神的疲弊、底が抜けた樽に流し込むように煽り続けたアルコールとが混濁しながらぐるりぐるりと私の身体を蝕んでいる。
もたれかかった始発電車のシートは、なんだか変なにおいがしていた。煙草の、汗の、口臭の、蒸れた靴の、新聞の、雑誌の、香水の、化粧品の、ありとあらゆるものをひとつの鉄釜にぶち込んで煮出した、グロテスクに澱んだ悪臭がつんと鼻腔の奥を突いてくる。胃の中身が飛び上がりそうだった。たくさんの人を乗せて運び続けてきた月日の賜物は、疲れきった人体に悪影響しか及ぼさない。
がたん、がたん。振動するたびに、ひとつ、またひとつと猛烈な吐き気のうねりとなって押し寄せてくる。波高は順調に成長し続けていた。まずいな、と止まりかけた思考の片隅で考えながら、その更に奥に残っていた後悔が、計画性もなく酒を呑みすぎた私自身に対して呆れかえっていた。
嫌なことが重なって、ついつい馴染みの居酒屋に浸ってしまったのだった。ビールを二瓶に日本酒を三合ほど流し込んだことまでは覚えているけれど、以降の詳細はついと忘れてしまっていた。
泥粘土のような身体をどうにかこうにか支配下に置いて、窓の外を流れていく景色に視線を投じた。目覚めだした街並みは、その内部に鬱屈としたエネルギーを滾らせながら、今日も刻々と息を吹き返し始めていた。気だるげな風景に、朝日はいやに綺麗に照りつける。
不意に、こんなにも私自身のことが惨めに思える朝は、後にも先にももうないだろうなと思った。仕事でへとへとになって、つまらないことで恋愛に失敗し、自棄酒で酩酊した上に、酒臭い呼吸を繰り返しながら始発電車でアパートに帰っている。他の人たちは仕事に向かったり、学校に向かったり、そりゃあ面倒で行きたくないこともあるのだろうけれど、やらなければならないことに向かっているというのに、私だけがぐでんぐでんに身体を弛緩させてしまっている。
その浅ましさ、情けなさといったらなかった。頬が緩んでしまったほどだった。自嘲気味な笑い声が、くつくつと腹の底を痙攣させる。ずっと、向かい側で音楽を聴きながら座っている大学生らしき青年の眼差しが痛かった。出勤途中のサラリーマンのおじさんが向ける迷惑そうな視線が、鞄を肩に掛けたOLさんが寄こしてくる好奇に満ちた眼光が辛かった。
疲弊し悲しみに翻弄されて空っぽになった心には、今日という日に真正面から向き合わねばならない彼らに対して優越感を抱く余裕なんてなかったのだ。むしろ、こうやってだらしのない恰好で朝を迎えていることが恥ずかしくて、なぜか悔しくて、どうしようもなく頭を下げて謝りたくなっていた。無論、泥人形と化した身体は思うようには動かない。生き地獄にも似ているなと、再び自嘲気味に思ってしまった。
アナウンスが次の停車駅を伝えてくる。まだ降りるべき駅ではなかった。ぼんやりと霞がかった頭で残りの駅数を勘定する。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。ゆっくりと瞼が覆いかぶさってきた。
そうだ。帰ったら冬眠中のヒグマのように寝てやろう。心拍数を抑えて、呼吸回数もうんと減らして、できるだけエネルギー消費を抑えつつ、気を失ったように布団にくるまり続けるのだ。うん、それがいい。日の目から逃れて、薄闇の中で横になっていればいい。
思いつきは、幸い翌日のシフトが空いていたので実行に移せそうだった。一日中寝て過ごしたって構わないという事実は少しだけ嬉しくて、底が見えないほどに虚しかった。何も食べず、飲まず、そうっと息を潜めたまま時間を過ごすことができる。その代わり、くるまった布団の中で私は途方もないほどに空虚な夢を見なければならない。
電車が速度を落とす。駅に滑り込む。通勤途中の人たちが乗車してきて、少し車内は狭くなる。走行再開。がたん、がたんと振動する電車。再停止。乗客の乗り入れ。走行再開――
ルーティーンな繰り返しにまどろみかけた身を委ねていた時だった。不意にいままでとは比べ物にならないほどに強烈な吐き気が込み上げてきた。両肩がびくんと跳ねて、脈打った胃袋から熱いものが込み上げてくる。反射的に掌で口を覆うと、堪らず屈みこんでしまった。第二波、三波と酒と胃液とどろどろに黒ずんだ感情とが混ざりに混ざった液体が食道を駆け昇ってくる。
びしゃり、とか、べちゃり、とかいう液体の音を随分遠くで聞いたような気がした。涙に滲んだ視界が、ぶちまけてしまった吐瀉物を映し出す。
やっちゃったかと、変に静観している自分と、ごめんなさいごめんなさいと声を大にして謝り続けている自分とが、内心せめぎあっていたものの、実際に声などは出せなかった。断続的に続く吐き気が、まったく治まる気配を見せなかったのだ。どうしようかと、冷静な私が考える。ごめんなさい、醜態を晒して気分を害してしまってごめんなさいと、もうひとりが叫んでいる。
みっともない。恥ずかしい。情けない。消えてしまいたいよ。どうしてこんなことになったんだろう。
目からは涙が、鼻から鼻水と胃液が、口からはどうしようもなく響いてしまう声が流れ出し続けていた。今世紀最大の失態だ。今生の汚点に違いなかった。
きっと、冷たい視線が注がれていることだろう。あるいは、私の周囲に輪ができあがっているかもしれない。近づきたくない、関わりたくない心境の表れだ。私だってことの原因でなかったのならば離れる。舌打ちをしてしまうかもしれないし、車体を移動するかもしれない。それが普通の対応なのだし、だから特別な何かを期待していたわけではなかった。どうするべきなんだろうかと、ようやく治まってきた吐き気の残滓を感じながら考えていた。
そんな折だ。そっと、背中に誰かの手が触れた。
「大丈夫ですか?」
手を汚し、口許を汚したまま悄然と見上げた隣の席に、肩に鞄をかけていたあのOLさんが近づいてきてくれていた。
「これ、よかったら使ってください」
目の前にハンカチが出現する。綺麗な花が描かれた、清潔な一枚だった。彼女は私の背中をゆっくりと擦りながら、心配そうに眉を顰めていた。
「……ありがとう、ございます」
辛うじてそれだけ口にして、私はハンカチを受け取る。口に当てると、再び吐き気が襲ってきた。突如として屈みこんだせいで、OLさんが少し大きな声を出した。ぎゅっと両目を瞑り苦しみに耐えながらも、一方で私はとても温かな気持ちが胸の奥に芽吹き始めていることに気が付いていた。
「大丈夫かね」
野太い声が頭の上から降り注ぐ。答えられない私に代わってOLさんが何かしらのリアクションを示したみたいだった。よっこらせと口に出しながら、その人は私の前にしゃがんだ気配がした。荒い呼吸を繰り返しながら目を開くと、迷惑そうにしていたはずのサラリーマンのおじさんが、読んでいた新聞で吐瀉物を片付け始めてくれていた。
「もう少しで次の駅だ。それまで頑張りなさい」
下を向いたまま穏やかな声が放たれる。頷くことしかできなかった。ありがとうございますの一言は、蚊のようにか細く空気を振るわせただけだった。
「あの、よかったらこれどうぞ。俺、飲んでませんから」
ゾンビのような顔を持ち上げると、イヤフォンを外した大学生らしき青年がペットボトルを差し出してくれてきていた。ずいっと前に出されたボトルを空いていた左手が受け取る。
「飲まなきゃ駄目っすよ」
思いのほか強かった口調に、かくんと首が反応した。はい、分かりました。言うとおりに致します。
反応に安心してくれたのか、彼は困ったように頭を掻くとその場を後にした。背中に向かって小さな声でありがとうと言った。背中越しに上げられた掌は、少々気障っぽかったけれど、とても格好良かった。
アナウンスが次の駅に到着したことを伝える。ちょうど私が降りなければならない駅だった。OLさんは相変わらず背中を擦ってくれていて、おじさんが立ち上がろうとした私の身体を支えてくれた。
声に、私はがくんと頭を垂れる。
「……本当に、ご迷惑を、おかけして」
「迷惑だなんて思っていないさ」
「そうですよ。それより、本当に大丈夫ですか?」
OLさんにも頷いて見せた。
「……ハンカチ、洗って、返します」
言って私はよろよろと、電車の出口へ向かって逃げるように向かっていく。ベンチに腰かけるのと同時に、扉の閉まった車体が再び動き出した。遠く離れていく車窓に、OLさんとおじさんを探そうと思ったけれど早くて無理だった。
ミネラルウォーターを口に、青年のことを思いながら何とか飲み込んだ。少しだけ、けれども確実に気分がよくなってきたのを感じていた。
朝陽というのは、どんな時でも美しいものだと思う。陽の光そのものにしてもそうだけれど、色付いていく空の変化とか圧倒的な効能で見ている人の心を浄化していく作用があるように思える。
でもきっと、本当はそれだけじゃないのだ。朝陽が差し込んでいるからだけで、私の気持ちが澄み渡っているわけではなかった。
とぼとぼとアパートへの道を歩きながら、この大きな世界の、辛くくだらないことだらけの世界のことを考えてみる。それから、与えてもらったぬくもりと、芽生えた感情とを大切に抱き締めてみた。
そしたら急に、なぜか部屋の掃除をしようと思った。それから外に出て、買い物をするのもいいかもしれないと考えた。
見上げた空に雲はひとつも浮かんでいなくて、どこまでもどこまでも飛んでいけそうな、無限に広がる可能性を見たような気がした。
いっちゃあなんだが、彼女は遊び人の気があった。いわゆるフラフラする体質でも言うべきか。
彼女は、好きな人ができたといい、俺の元から1年前に1回去った。
しかし、彼女は俺から離れることが出来なかった。そして俺も彼女から離れられなかったのだろう。
そしてよりを戻した。
毎日つけていた日記サイトを見、こんな声だったんだ(ハートマーク)と綴ってあった。
嫉妬深い俺は、彼女の連絡先すべてを着信拒否した。
次の日、雨の中、彼女はずぶ濡れになってやってきた。
俺は許す気がなかったが、絶対に離れたくないと泣きつかれ、彼女には俺が必要なんだと思った。
頭がパニックになった。
彼女いわく、浮気したのは俺がかまってくれないからついたウソだということだが、このころから俺の精神状態はおかしくなった。
初めて精神が体を蝕んだ。胃が痛くなり、不整脈が出るようになった。そしてあまり泣くことのない俺が号泣する日が続いた。
彼女の言動がおかしかったので、浮気はウソだということは薄々感じていたが、彼女のことが信用できなくなっていた。
それでも俺は信じたかった。
彼女に俺が必要だったと思っていたから。
6月某日、浮気をしたというメールを送られてきてから初めて会った。そして何ヶ月かぶりに抱いた。
彼女は俺だけだよといった。初めての相手も、最後の相手もずっと俺だよと。だから離れないでと。
男のメールアドレス全部消すよ、もう男と連絡とらないよ。
それからはメールと電話だけの日が続いた。毎日メールはしていたし、彼女は俺を失うのが怖いだろうと感じていたので心配することもなくなっていた。
8月、彼女がたくさんバイトしたからお金たくさんあるの。カラオケおごってあげるとメールをしてきた。
俺は嬉しかったのでOKをした。でももう会う日はこなかった。
8月中旬頃から彼女のメールが減っていった。色々忙しいんだろう。
そう思って11月になった。
7月に治ったと思っていた不整脈が俺を襲った。そしてなぜか、Googleで彼女の名前を検索した。
すると、10月に削除されていたプロフと日記(リアル)が出てきた。
プロフの好きな男性のタイプには、2ヶ月(ハートマーク)と記されてあった。
2ヶ月???俺の頭は混乱した。俺とは3年3ヶ月ではなかったのか??
そしてリアルを見ると、彼女と見知らぬ男が手を繋いでいるプリクラが貼ってあった。
また、これから旅行も、お出かけも、クリスマスも一緒に過ごしたいと日記に綴ってあった。
頭が真っ白になった。
「何か隠していること無い?」
「特別無いよ?」
「本当のこと言っていいんだよ?」
「他に付き合っている人いるでしょ?」
「何を根拠に(笑)」
「前略と日記みたよ」
「私が二股したのは悪いけど、
そんなの必至に探している姿想像するだけ怖いわ」
「さびしかった。」
「あなたのことが忘れられないから連絡とっていたんだよ。」
「あなたが別れろって言うなら別れるよ。」
「彼は友達に紹介されたの。貴方に似ているの。」
俺は、
「もう俺が君と会うこともメールすることも無い。かかわらないでくれ。
電話番号は当分変えないから、死にそうになったときだけ電話してくれ。
君に贈ったプレゼントも、何もかも捨ててくれ。」
といい、相手に電話を切らせた。いつもは俺が切っていたから相手に切らせた。相手が俺をだまし、捨てたのだから。
散々だまされてきた。顔もスタイルもそこまでよくない。でも俺は彼女の声が、そして俺にだけ見せる表情が大好きだった。癒されてたんだ。
俺も彼女とのつながりが欲しかったのだろう。着信拒否はしなかった。
もしかしたら何かあったのではないかと思い電話に出ると、
ただ寂しいというだけの電話だった。
俺の言葉は届いていなかった。俺が辛いのも悲しいのも分かっているだろうに。
俺は、もう迷惑だといい、相手に電話を切らせた。
最後の言葉は「わかった」だった。
俺の初めての恋人、童貞と処女同士はこうしてあっけなく終わりを迎えた。
ぽっかり心に穴が開くというのはこういうことなのだろうか。
3年前、俺はまだ今の職についていなく、夢見る青年だった。
彼女は学生。俺には顔も身長も地位も金も無かった。それでも彼女は好きになってくれた。
今でも思い出すのは、彼女がずぶ濡れになってうちにやってきた日のこと。
「捨てないで」
「ずっとそばにいて」
「絶対離れない」
絶対なんてこの世に無いというのを実感した。
俺が彼女と付き合っていた日、いつものように口にしていたのはその言葉だった。
「この世に絶対なんか無いよ。」
でも絶対なんて無かった。
もう恋なんてしない
私の視点なので、どうしても偏ってしまったのですが、元々は仕事のできる真面目な人です。
一緒に働いていたときは、チーム内でも親しみやすい近所のお兄さん的な位置で評判もいい人でした。
「それは自分の性格だからどうしようもなくて、治そうと思ったら喋ろうと思うたびに意識しなきゃ治せない。
それは大変だから、こういう性格だという事を受け入れてほしい。そうでないと辛い」
自分の持つスペックの良さに甘えてコミュニケーションスキルを磨いてこなかったんだな。
だから負担を受け入れてくれる人としか付き合えないんだ。
今までは外見とか仕事能力の高さのおかげでKYでも許してくれる人が多かったんだろうな。
全てが並でチヤホヤされてなきゃ、人との付き合いのあれこれを学習する機会もあったんだろうが…。
残念な人だ。
元増田です。
話を聞いてくれるだけでなく、意見まで頂けて驚きました。
どうしても視野が狭くなってしまっている最中なので、ありがたいです。
「お互いに誤解している」と言われたので話を聞いたのですが、
いらない事を言ってしまうのは自分の性格なんだ、という事でした。
何でも、自分で思った事を、相手がどう思うとか考えずについ、口にしてしまうんだそうです。
ついだったとしても、意味もなく知り合いを貶めるような事を言われたり、自分の事について言われるのは好きじゃないです、
と伝えたんですが、
「それは自分の性格だからどうしようもなくて、治そうと思ったら喋ろうと思うたびに意識しなきゃ治せない。
それは大変だから、こういう性格だという事を受け入れてほしい。そうでないと辛い」
と一生懸命説明されました。
私が彼をもっと好きだったら、理解はするけれど治す努力もしましょうよ、と言えたと思うんですが、
その後の会話を思うと口が重くなり、適当に受け流してしまいました。
それから、私を好きかどうか考えさせてほしい、それから話す時間がほしい、と言われました。
私は、それは考えるような事なのか、と聞きましたが、人と違って考えないと答えが出せないんだ、と言われたので、
了解してあう約束もしました。
多分、トラックバックやブクマで意見をくださった皆さんの言うように、
その気がないならすぐにでも断るべきだとは思ったのですが、
電話ではどうしても話をはぐらかされてしまいます。
というか、こちらがきつい言葉を選んだり、はっきりした言葉を選んでも
「うそうそ、冗談だから怒らないでよ」→「本当はそんな事ないんでしょ?素直じゃない性格だからね」
のコンボでかわされてしまいます。
相手がどんな答えを出すのかは私にはもう全く分からなくて、
告白していないのに私がふられた人の体で向こうに同情されるというパターンもありうる、と思うのですが、
それはそれでこのまま電話でループするよりマシ!という気持ちで臨もうと思います。
私の視点なので、どうしても偏ってしまったのですが、元々は仕事のできる真面目な人です。
一緒に働いていたときは、チーム内でも親しみやすい近所のお兄さん的な位置で評判もいい人でした。
顔も爽やかな整ったつくりをしていて、スポーツもできる好青年といった感じです。
書いてみて改めて、どうしてこうなったんだろう、と頭を抱えることしきりです。