2010-01-30

ある光(あるいは、ぼくが小沢健二を聴いた頃)

目の前に希望なんて無かった。光なんて見えなかった。

友達だって少なかったし、自分が一体何を好きなのかさえ分からなかった。

高校時代のぼくは、空っぽだった。

小沢健二を知ったのはそんな時だった。

テレビ画面に映っていたダウンタウンとじゃれ合う痩せっぽちのその青年は、見た目の弱々しさとは裏腹に、自分がどれだけ凄いかを自信満々に、それでいて、嫌味なく語っていた。

そして、その歌声は決して、上手いとは言えないか細いもので、けれど何か幸福感に満ちていて、ぼくには何だか眩しすぎるような気がした。

でも、ぼくはなぜだか分からないけど、小沢健二を好きになろうと思った。

たぶん、背伸びをしたんだと思う。

ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!

鬱屈した日常に一筋の希望の光を与えてくれる存在だと思ったのかも知れない。

確かに彼の音楽は心地よく、何度聴いても飽きなかったけど、正直いって、ぼくの大事な部分を刺激するような体験はなかった。

小沢健二にはすべてがあったけど、ぼくには何もなかった。

彼の曲や詞は、ぼくの憧れと嫉妬のフィルターにかかって耳から耳へと通り抜けて行った。

程なくして、小沢健二テレビ出演を控え始め、同時にぼくも彼の曲を聴くことが少なくなっていた。

やがてぼくはひとりの女の子が気になり始めた。

言ってみれば初恋だった。

小・中学生の頃も、好きな女の子はいた。

けれど、正確に言えば、いる気がしていただけだった。

別段「好き」ではないけど、みんな誰々が好きだとかいうから、ぼくも誰かが好きじゃないといけないんじゃないかと思って、手近な女の子を好きだと思い込んでいたような気がする。

だから、断じて「恋」とは違っていたんだと思う。

その子が気になりだして、初めてそれに気がついた。

明らかに今までの感覚と違っていたから。

ぼくが彼女と話すことはほとんどなかったけど、彼女が微笑んでいる姿を見つめるだけで胸が一杯になった。

ただの事務的な会話を一言三言交わすだけで胸が踊った。

そして、ぼくのような人間彼女に振り向いてもらえるわけがない現実勝手に作り上げて胸が痛くなった。

そんな時、何の気なしに再び小沢健二を聴いた。

久々に聴くそ音楽は美しく、楽しげで、生き生きしていた。

妙に瑞々しく感じられていた。

曲は「天使たちのシーン」に差し掛かる。

いつの間にか、ぼくはその曲と、その歌声に聴き入っていた。

神様を信じる強さを僕に 生きることを諦めてしまわぬように

信じられないことに、涙がこぼれていた。

そしてぼくは、なぜだか彼女挨拶をしてみようと思った。

おはよう!」と。

彼女は最初一瞬戸惑った感じだったけど、「あ、おはよ」と返してくれた。

「◯◯くん」と名前を呼ばれるだけで、ある光が射した気がした。

左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる 

僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも

彼女とは結局、毎朝挨拶を交わす仲になった。

友だちとは言えないけれど、日常会話くらいは交わすようになった。

けれど、自分の好意を伝えることはできなかったし、もちろんそれ以上発展することもなかった。

噂では、彼女小沢健二のファンだったらしいけど、そんなことはどうでもいいことだ。

ぼくにとって小沢健二とはそういう存在なんだ。

  • 私は音楽をテンションを上げるためのBGM的に使っていた時期があるのですが 小沢健二及びフリッパーズ・ギターの曲は ”無邪気に全部持ってる系”みたいなカテゴリ扱いでした 世間知...

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