格調高い、硬質な文体でブログを書く人物がいた。
文学や伝統芸能の話の他、時々話題として出るジャズや映画が魅力だった。
出てくる人物が何故か懐かしい親しい人のように感じられて夢中で読んでいた。
きっかけは忘れたが、私は彼の読者になった。
本当は毎回コメントを書きたいが、彼に鬱陶しがられるのが怖く、
3回に1回程度の頻度で書いた。
このような状態が半年程続き、
同じ地方に住んでいるということも記事から分かり、
彼にどうしても会いたくなった。
送ると引いてしまうのではないかという思いから躊躇していた。
コメント欄のやり取りよりも深い話をしてみたい、
したら引くだろうな、
でもしてみたい、
しよう、
とメールを送った。
内容としては
「あなたの文章が好きだ」
「実は自分も〇〇に住んでいる」
「時間が合えばお会いしたい」
といった感じ。
彼からメールが来た。
OKだった。
何回かやり取りをした後、
場所や日程を決め、最後に彼から
「私は12時に××の下でグレーのキャスケットを被って煙草を吸っていますので」
と来た。
当日待ち合わせの場所に行く。
背は高いんだろうな。
体も細いんだろう。
煙草も様になっているんだろう。
目が合う。
手を振られる。
色々な事を話した。
と言っても、色々な話をする前に当然突っ込んだ。
前置きが長かったがここからが本題。
なぜ彼女は女であることを一切匂わさずにブログを書いていたのか。
彼(便宜上)の言い分はこうだ。
「男と女が全く同じ文章を書いた場合(プロフィール等にて明示する限り)、
女の方が、アクセスや反応が多いのではないか。
加えて、女が女しか書かないであろう文章や己の写真を晒せばどうなるか。
私は純粋に、文章の力だけで勝負したい。
文章は表現であることと同時に戦いでもあると考えている。
私は「女であること」を利用するのはフェアではないと思っている。
女である事をおおっぴらにして文章を綴り続け、
ある男の読者が強烈に自分を支持しているとしたら、
文章の評価とは別の何らかの思惑がある場合もある、
と考えるのが妥当ではないか。
だから私は女の匂いの一切を消すために、
その手の話題を一切せず、
時々一人称に「俺」を使う。
女としての評価ではなく、
「表現をする一個人」として評価されたい。」
それから話したことはあまり覚えていない。
顔も綺麗だったのにどうしてそういう思いに至ったのか分からない。
過去に何か拗らせたのか、あるいは自分から女をとったら何も残らないと感じたのか。
結局のところ私は「女として書かれたその文章」ではなく、
「男として書かれた」それが好きなだけだったんだ、ということにようやく気付いた。
ネットの男に妄想を抱いてハァハァしていたら、 相手はネットの男に妄想を抱かれてハァハァされるのがウザいからネナベやってる女だった。 まで読んだ。
http://anond.hatelabo.jp/20100201210118 ある男性(こちらは確実)の親友だと言う男名前の人の小説に惹かれて、てっきり男だとばかり思っていて、ときどき、こちらの感想に感情的な反発をして...
文章に恋してたのに中の人の性別云々でがっかりするって身勝手だよね
あった、あった。