はてなキーワード: 自己憐憫とは
だいたい人様に迷惑をかけてばかりいるので、死にたいです。
どうして世の中にはぼくのような人に寄生される人がいるのでしょうかね。ぼくは人間のクズで、ゴミで、まるで生きる価値のないうんこのような存在です。だいたい家賃なんてためては払わずに引っ越しますし、今までつきあった人から借りた金を返したことはほとんどありません。しかもお互い金がなかったりして3000円程度借りたまま音信不通になった人が大勢います。ぼくの噂は悪い噂ばかりですし、それはもう自分でも納得するほど正しい噂だったりします。部屋は常にゴミ屋敷みたいなもんですし、雪崩れた本の隙間で寝ていますし、それが嫌で知人の家を泊まり歩いてはズルズル暮らしています。
死にたいです、誰か殺してくれないかとずっと願っています。3年くらい前からずっとゴミみたいな生活をしているんですが、なかなか破綻せず生きています。むかしは、死のうと思って車道に飛び出したこともあるのですが、車にはねられただけで死ねませんでした。しかも相手が保険に入っていてくれたために、なんだかお金をもらったりしました。ほら、また迷惑をかけた。
ぼくのような人間はすりつぶされて死ねばいいのにとずっと思っているのですが、いまもこうしてインターネットに接続できるように、なかなかすりつぶされたりもしませんし、こうして自己憐憫をくりかえすことすら許可されている始末です。世の中の弱いところ、人の心の隙間を見つけると、そこを癒しにかかるのがぼくの生きる手段なんですが、もう死にたいのでこれで終わりにしたい。騙されないでください、ぼくには才能はありません、ただすごい才能があるように見える才能を持っているだけなのです。ぼくに期待しないでください、ぼくを投げ出してください、ぼくを無視してください。
どうつぐなえばいいのか、教えてください。このままでは、また迷惑をかけてしまう。
・巷にあふれるトンデモ経済本と見かけ上大差ないチープな論争本の量産。ターゲットの一般人にはその質が他とどう異なっているのか判断しようがない
・クルーグマンがスティグリッツが・・・・・・、とお馴染みの名前の列挙。それはいいけどなぜ海外のジャーナルに査読論文を載せたり、そういう大御所たちと直接意見交換したり、自分たちの権威をアップさせるような実績を積まないのか
・ツイッターで公開内輪悪口大会、被害妄想と陰謀論と終末論の嵐
・友敵区別の過激化。カンタンな行き違いで「敵」認定して常軌を逸した罵倒の嵐
この局面で、ファナティックな先鋭カルト集団化への道を自分たちで選んで突き進んでおいて、「リフレ派が世間に受け容れられない」とか自己憐憫に浸るのは、ちょっと違うだろとしか言いようがない。
振り返ってみると、私の父と母はあまり折り合いが良くなかった。だいたい顔を合わせると罵り合っていたように思う。共産党の専従だった父は実に「野党精神」旺盛な人で、家庭のことで何か気に食わないことがあると(家庭を顧みない自分を差し置いて)いつも母を詰った。共産党員らしい几帳面さで問題点を洗い出して問い詰める父に、血の滲むような努力で仕事と家事を両立し、暮らしを支えてきた母は激昂し、時には皿が飛び交うような諍いを繰り返した。それに自分がどう反応していたのかはよく思い出せない。子供なりの頓珍漢なやり方で、父や母に何か気を使っていたような気がする。(帰ってくると笑顔でお帰りを言いに行く、積極的に肩揉みをする等)ともあれ、そういう諍いに巻き込まれるのは恐ろしいことで、彼らのご機嫌をとることが生活の指針になっていたことは覚えている。概ね幼少の頃は良い子であろうとした(客観的にはともかく、主観的には)。
父はおよそ仕事に熱中する人であったが、家庭内のことに無関心というわけではなく、むしろほんの些細な出来事にまで拘り、様々な形で命令を発し、物事を支配しようとした。家庭は彼の王国だったと言ってよい(いや、人民共和国と言うべきなのか)。彼の築いてきた学歴と自信に比して、彼の党内での立場というのは実に弱々しいものであったようで、それを埋め合わせようという願望もあったのかもしれない。家庭内のどんなものにも彼は権力を振るいたがったし、自由にさせていることであっても、不満が感じられたときにはいくらでも介入し、彼の満足行くように改めさせた。彼はまさしく闘士だった。向かう方向はまるで見当違いだったが。それでも、彼が母や子供に暴力を振るうことが(記憶にある限り)さしてなかったことは、彼の美徳と言っても良いかなとは思う。しかし、彼が子供と自分の自我を分離できなかったことは、子供の成長に大きな悪影響を与えたと私は確信している。子供が何をやりたいか、ではなく、父が何をやらせたいか、子供が何に不満を感じているか、ではなく、父が何に不満を感じているか、それだけが問題になった。そこから子供が外れようとすれば、恐ろしい査問が始まることになる。今でも、そうやって査問を受けたときに感じた恐怖と屈辱の念は忘れられない(ただ、彼がそのように振舞わざるを得なかった背景について整理して考えると、彼を非難する気持ちはどんどんしぼんでいってしまう。結局、彼もまともな家庭で育っていないのだ)。私よりも数段優秀だった上の兄弟が某国立大学の受験に失敗して、それでも某有名大学に入ったときの騒ぎなど、見ているこちらまで頭がどうかしてしまうぐらいだった。優秀であっても、努力をしても、結果は真っ黒に塗り潰されている――彼との生活から、私はそういうメッセージを受け取った。
一方、母は「みんな我慢している。楽な生活なんてない」と子供たちを叱った(今でもたまに口にする)。私は恐ろしかった。超人的努力で家庭を支え、苦しみに堪え、そして報われずに生きる母の姿には、まるで生きる希望も喜びも見出せなかったからだ。正直、その言葉は、子供を教え導くためというより、家庭内で一番我慢を強いられてきた彼女の自我を守るためのものだったように思う。(「私はあなたのようには生きられない」と訴えたときの母の怒りたるや、凄まじいものだった。状況に押し潰されて、意味を考える暇もなく「我慢」の結婚生活を強いられてきた彼女には、「我慢したくない」「我慢に何の意味があるのか」という主張は自分の人生の否定にしか映らなかったのだろう。)そういう潜在意識の透けて見える姿で、子供たちに「我慢」をさせようとする母は、とてもとても恐ろしかった。今でも、我慢するしかない、という言葉を聞くと、自分の中で、明日への希望が全く消え失せていくのが分かる。「明けない夜はない」でなく「明けない夜を生きていけ」という教えには、人から長期的展望を奪い、刹那的な生き方へと誘導する力があるのではないかと思う。私は何か希望が欲しかった。結局縋る先は間違えた訳だけれども。
奇行が目立つ子供だった私は友達も少なく、専ら空想の世界に親しんで暮らした。願望を実現するために計画を立てて行動する、という発想もなく、誰かがいつか自分を拾い上げて夢の国に連れて行ってくれることを待ち望んでいた(当然、そんなものは実現しない)。現実に対して何か求めても無駄、何かやってみようとするだけ無駄、という無力感と、両親の叱責に対する強い恐怖感に私の思考も行動も拘束されきっていたのだと思う(流行の玩具を持っていない私を不憫がって、友人が「余りをあげる」と申し出てくれたときも「両親が怒るかもしれないから」と断ってしまうぐらいには)。もちろんそのような抑圧の下にあっても、子供らしく欲しい物を求めることはあったし、客観的に見れば我侭としか言いようのない要求もしてきたと思う。だが、そうした要求を口に出すことにハードルがあったし、また、そうした要求が聞き入れられることにもまた、高いハードルがあったし、要求が聞き入れられても、「聞き入れてやったこと」の恩に応えるよう求められ続ける、というさらに高いハードルがあった。無論、共働きにも関わらず決して豊かとは言えなかった我が家の台所事情を考えれば、何でも子供の求めたものを買う、なんてことはできっこなかった。だから、ことあるごとにカネ・カネ・カネと言われたのも止むを得ないところはある。ただ、父や母の不和と、それが生み出す強い緊張感、暗黙の強い要求と支配は、子供が自分自身の財産(小遣いやらお年玉やら)をどう使うか、という計画性や、正常な欲求の発達までも妨げたと思っている。どんなものに、どんな風にお金を使うのか。どう資産を運用するか。どう節約するか。何に使うか。そのことについて子供の頃に落ち着いて考え、学ぶことができた人のことを、私は羨望している。もちろん、必要を感じたなら今からでもやるしかないことではある。ただ、願望や欲求の正常な発達なしに、必要性だけでそれを手に入れようとすることはとても難しい。
私は小学校から中学校に至るまで、勉強だけはよく出来た。きちんとした学習の習慣があったわけではなく、単純にそういう方面に適性があったのだろう。テストの点数以外のあらゆる要素において、私はほとんど完全な劣等生と言ってよかった(宿題は全くやらない。ノートも全くとらない。授業中に騒ぎ出す、他の生徒と流血沙汰を起こす、等々)。行動・努力することに対する無力感と、テストの高い点数が自分自身の可能性を証明しているかのような小児的全能感とのせめぎあいが、私を同級生達と比べて圧倒的に情緒不安定で幼い人間としていた。私には何の目的も方向性もなかった。自分がどんなことをやりたいと思うか、そのためにどう努力するべきか、そういう意識は全くなく、ただ目の前にある面白いことに飛びついていただけだった。中学・高校以降はさらに反抗精神が加わり、叱責されたことに対する敵意と憎悪と、命令に対するボイコットがそれに加わる。私は自分の意思が奪われることに強い憎しみを持ち、それに抵抗した。実際に論理立てて主張をするなどの一部の行動は、それなりにまともな態度だったと評価することもできるが、「私の現在と未来は、彼らが自由にできる物ではない」と訴えるために、私自身の現在と未来の可能性を自ら破壊したことは、実に実りのない行為だったとしか言いようがない。結果は当然惨憺たるものに終わった(せめて前者の比較的穏健な訴えが当時もう少し受け入れられていれば、と思うときもあるが、それはこういう結果を招いた私自身の責任を軽くしようという、下種な欲望の表れなのだろう。私がそのような道を選んだことの責任は免れ得ない)。
本当は、両親に何かを期待するのではなく、正確に現状を認識し、自分自身の能力でそういう状況を切り拓き、逃れ、先へ進むための方策を考えるべきだったのだと思う。しかし、私には出来なかった。自分の願望を達成するために、自らの意志で計画を練り、主体的に行動していくこと、そこからフィードバックを得て、自分自身を変革し、成長していくこと、こうしたやり方から遠く離れた生き方を選んでしまった。そのことが、今も自分の人生に大きな影を落としている。そうできる可能性がなかったわけじゃない。高校時代にはそれを達成することが出来たかもしれない出来事や、出会いがあった。多分、妄想や空想でない希望があった。しかし私はそれを生かすことが出来なかった、それどころか、気付いてすらいなかった。そして、その失敗を乗り越えることなく無駄な人生を続けてきた。今更そう理解することで、私は過去から復讐を受けているような気持ちに苛まれる。今からでもあの希望に立ち返って、取り戻すことが出来たなら。それがもうとっくに手遅れで、今や子供の頃に散々お世話になった妄想とほとんど変わらないしろものだと分かっていても、そういう蜃気楼みたいな希望に縋らなければ、今は前に進む気力すら保つことが困難なのだ。
だが、そうやって、取り戻せない過去に縋りつく自分の姿はあまりにも亡霊じみていて、客観的に自分を省みる度に、鋭い痛みが走る。幻を支えにする自分の耳元で、お前はもっと建設的に、現実的に生きなければならない、と理性が囁く。多分それは正しい判断なのだけれども、私には、その囁きがおぞましいものにしか聞こえない。その声が、かつて両親が私を縛り付けた言葉を思い起こさせるからだ。親が私を支配し、縛るために使った言葉と、私自身が自分自身の意思と判断で下すその言葉は同じ手段を示していようと、同じものではない、理屈ではそう分かっていても、どうしようもない無力感に、呑みこまれそうになる。私は、どこにも逃れることができず、多分このまま檻の中で一生を終えるのだという確信。
もちろん、わざわざ自己憐憫めいた口を利くまでもなく、こんなことは世間にありふれているということはよく知っている。私はその中の、ごくつまらない例の一つにすぎない。もっと建設的に、もっと現実的に、もっと合理的に生きなければならない。さもなければ、明確な意思と主張をもって戦い抜くか、死ぬか。私には後者をやるほどの強さがない。よりよく生きなければならない。嗚咽はどこかに押し込めて。古傷はどこかに包み隠して。自己憐憫はどこかに放り捨てて。そして如何にも楽しげに。人生を満喫しているような素振りで。きっとうまく騙せるはず。
不具合を抱えながら、私は私を騙し騙し動かしている。オーバーホールできる場所まで走り続けられるのか。途中でエンコしてのたれ死ぬことになるのか。死ぬまで騙し騙し動かし続けることになるのか。恐らくは三つ目を選ぶことになろう。多分、世間に一番多いのもそれだ。そういう人生にも、そういう人生を送る人物にも、私は価値を見出すことが出来ないが、そういう人生も、そういう人生を送る人物も、痛ましいなとは思う。恐らく、もっと苦しい状況を生き延び、自己実現を果たした人々にとっては鼻で笑うような話だろう。いや、是非鼻で笑っていただきたい。勝利はあなたたちのものだ。心から、それを祝福したい。私はその隣を、びっこを引きながらとぼとぼ歩く。時折、同じ道を歩く者同士が石を投げ合うのを見る。「不幸な自分をそんなに哀れんでもらいたいか、乞食め」と。何もかもがひどく虚しいが、そう思うことさえも、ごくありふれた、つまらなく、くだらなく、何の意味もないことだと感じる。勝者の説諭も敗者の同族嫌悪も首をすくめてやり過ごし、びっこを隠してとぼとぼ歩こう。何も無い道を歩きながら願いを呟く。私と同じ道を歩む者が今後少なくありますように。同じ道を歩む者たちにささやかでも幸せがありますように。いつか全ての人々の夜が明けますように。
強くある事、あり続ける事はとても難しい。
しかし弱さならばどうだろう。
弱さを盾に「私はこんなに弱いのよ。悩んでいるのよ。苦しんでいるのよ」
それが通らなければ「世の中は冷たい」「あなたは人の傷みがわからないのか」と他人を非難する。
浅はかなヒロイズムで甘やかす、自称「優しい人間」が少なからず存在するということ。
彼らは、弱者こそ正義、その味方たる自分たちこそ絶対的な正義だ!俺たちはお前達一般人より優れた人間だ!という、
根拠のない歪んだ選民意識に酔いたいだけのカルト信者にすぎない。
彼らサヨクはそれを支え合いと呼ぶが、私たちから見れば腐らせ合いだ。
折伏用の知識を我が身に向かって使い、なぜああした、なぜこうしたと、日々明け暮れるまで勤行と唱題を続ける。
日々の暮らしで分かったことは、逃げ帰っても、呵責に責められ、魔に食われ滅ぼされそうになり、なぜああした、なぜこうした――そんな風に我が身ばかりを呪い、右にリア充いれば呪い殺したくなり、左にかつての見知った人がいれば凶器を握りたくもなる。御書開けば、それは畜生だの地獄だのと説き、ああもなぜにこう落ちぶれたのかと悔い改め、爆薬抱えて秋葉原だの、毒薬抱えて池袋だの、そんな風に自爆を行って数多の人を葬らないように務めようとし、なぜああした、なぜこうした、どうしてこなった……そんな風に自分は嘆いている。
されど悔い改めたところで現実は変わらぬ。
されど謝りわびたところで現実は変わらぬ。
今のこの手で過去の自分を引っ張り出せれば、木刀もって殴りたいところであるが、まあ、それも無理な話。やってしまったものはもう戻らない。やってしまったものは直らない。やられる前、しでかされる前にも巻き戻らない。一年、二年、三年、振り返り、あのときこのときに戻りたくても戻ることも叶わない。ここまで来た以上、どうせみすぼらしく生き恥をさらし、のうのうと日々を明け暮らし、ああ、己は愚かだと嘆き、それを繰り返して、こんこんころりと死ぬしかない。かつて好きだった人が去った後、二度も三度もただただ狂っていった。裏切ったのはどちらだったか。きっと信じれなかった自分の方じゃないか。もしも出来た人間であれば仲違うこともなかったのではないか。そう考え、そう引きずられ、ただただ、狂っていくのが分かっていた。すがりつき、蹴飛ばされ、不安になり、殴られ、傷口だけを広げていた。
とまあ、こんな感じで失意のどんぞこのあとメチャクチャに破壊していったんだ。
自暴自棄になって荒むに荒んだんだ。そんなもんだから、ろくでなしだのなんだのいって自己憐憫に耽ってはどこかに向かって「ごめんなさい」と頭を下げている。一回転んでどうしようもなく連鎖式にぶっ壊しても仕方ないんだ。そういう増田もいるのだよ。たった振られただけでこの様。その後、何も信じていなくて別のものまで傷つけ壊して、この有様。
でも色々勉強はしたように思うよ。俺も。痛みを覚えるのなら何も考えない方がいいとかさ。アイビリーブインフューチャー? 別にそうでもそうじゃなくてもいいよ。自分が不幸だと周りも不幸にしたくなるし、自分が余裕あるといけしゃあしゃあと誰かに向かって「あんたも幸せになるよ」とかほざくのが人間だと思ってる。バカだと思うよ。けど、たまたま増田もそんな風になっているんだろう。たまたまだって割切っておけ。今だけだ。いつまでもそんな風であると「しにたいでござる! しにたいでござる!」ってなってちっとも良くはならないよ。
苦しいなら寝ておけ。寝られないなら天井の木目でも節目でも数えていろ。それで少しはマシになる。
立ち直るの失敗すると、こんな風になるんだ。失敗を失敗の上塗りにして、どんどん落ちていく。何も信じられなくなって、別のものまで連鎖式に壊す。
壊した物に対して謝って、裏切られるようにした自分のことも謝って、最後に裏切っていた自分のことも謝りたい。そうなってからでは遅いよ。
スーパーでもどこでもいいけど買い物に行くと結構な頻度で
腐れ自己憐憫系の曲であるところの「素直になれたら」が無限ループで流れていて不快極まりない。
今調べたらとても人気のある曲であるらしいが、
愛してるとかなんとか言いながらもチキンすぎて行動に移れない私超かわいそうという
気持ち悪い事この上ない自己陶酔の曲でしかなく、そんな腐ってる感情をウジウジと篭めた歌い方で熱唱していて誠に聞くに堪えるものではない
しかも輪をかけて最悪なのは、featなんとかと称して男と女の歌手が交互だったり同時だったりしながらネチネチと歌うのだから、
もうこれは聴いてる側からすれば、目の前のカップルが寸止め愛してるアピール合戦をやっているようなもので
おまえらいいからとっとと告白でもセックスでもしてろよとしか言いようが無く
買い物に来る客がほとんどであるはずの店で、こんな曲を強制的に聞かせるのは愚の骨頂でしかない。
890 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 03:09:43 ID:8lhB2MML0
原則非ヲチ先
id:kurokuragawa
id:HALTAN
id:Sokalian
id:zaikabou
id:gokinozaurusu
id:fuku33
id:inumash
id:wiseler
id:muffdiving
id:gryphon
id:guldeen
id:NATROM
◆ウヨ系に追加
id:munyuu
id:satoumamoru
891 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 03:21:22 ID:aEasmJXR0
いしけり騒動で本当のはてサ(笑)がわかったと思うがw
とくに猿、北守、toled、リカちゃん、flurry、horai551あたり。
892 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 03:37:29 ID:wShy/lmn0
ポルノ騒動で、自身は大学で女性学を専攻しているのにも関わらず、
いしけりに「伝統的な議論から外れている」とあきれられる
とか体張った笑いに果敢に取り組んできたのに!
893 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 04:01:29 ID:19QiNcIb0
え、あれで女性学専攻なの? ひでえなそれw
894 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 04:31:56 ID:wShy/lmn0
895 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 04:35:58 ID:ttYfEF9M0
このあたりの分布は石蹴り騒動以来、相当変わったと思うぞ。
猿、モジモジ、北守、toled、リカちゃん
・ はてサ(笑)の金魚の糞(メタ批判、人格攻撃、批判になっていないもの担当)
flurry horai551 hit-and-run umeten 回虫、lever-building
mujin 、media debugger(デバガメ)
・ はて基
mujige
これから比べれば後はまともだろ。
896 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 04:52:30 ID:zjMiQuD10
石蹴り騒動で「案外まともだったんだ」と再評価
tari-G
PledgeCrew
鳥味騒動のときの悪印象を挽回できてないけど
897 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 05:05:05 ID:GrBq0/cP0
回虫、lever-building あたりはこれまで破局と思っていたが、それにも
値しないと思った。
石蹴り騒動で明らかになったのは、はてサのヘタレぶり。石蹴りにボコら
れた位で、 言論弾圧とかいって、あまりに温すぎる。
信念があるなら、独自にデモでも「反日上等!日の丸ウンコ!」とぶち上げて
デモでもすればいいのに、それもしない。
その意味でmujigeだけが真の破局で、後はヘタレとヘタレの金魚の糞だろう。
898 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 06:04:57 ID:w61eWAD70
そのへたれ振りが「笑」で示されているわけで。
899 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 07:31:04 ID:AR1VKKj/0
結局、石蹴りが左翼で、mujigeが極左で、あとはすべて「はてさ(笑)」と
その金魚の糞と。
分りやすいね。
900 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 08:26:29 ID:FzVlkKdcO
http://b.hatena.ne.jp/entry/obiekt.seesaa.net/article/123715257.html
釣り結果:RRD,kyo_ju
kyo_juはこんなとこで油売ってていいんだろうか
901 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 08:29:23 ID:FE41F4Uq0
>ブクマ数が減ったのは単にkanoseの気分じゃないの?
村長が何か書けばとりあえず揉め事に黒白付くみたいな風潮はなくなった。
個人的にはいいことだと思ってるけど。
>とりあえずいくつかブクマみたかんじでは、はてな村民で村長の次にfav数多いotsuneとかも
>はてサ側についてたらしいけど、やっぱotsuneも信用ならんの?
俺としては信用ならんと言わざるを得ない。kanoseとotsuneはまさに「自称中立」だと思う。
自分と反対意見の奴に悪印象を与えつつものを言うことに長けているから、
敵に回すと金魚の糞が大量にやってきてネガティブブクマ付けられまくるから
902 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 08:41:05 ID:pvcZEZi20
903 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 08:41:25 ID:FE41F4Uq0
RRDの記事も面白い。
>この言葉を持ち出す奴は、たいてい理解力が欠如してる奴だ。
>自分が理解出来ないつながりはないものとして考えるから基準が2つあるように見えるだけ。
>あるいはそもそも同じ基準を使うべきではない2つの事象をミソクソごっちゃにして、1つの基準を当てはめるべきだと言ってるだけ。
http://d.hatena.ne.jp/RRD/20090514/1242316973
ぜひともそれを猿軍団に言っていただきたいものだ。
904 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 09:27:20 ID:iqCNF33T0
tari-Gがまともに見えるのは末期。
春樹騒動時の基地外っぷりはmojimojiを遥かに凌駕していた。
905 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 09:46:28 ID:wShy/lmn0
必然的にtari-Gみたいな主張に行き着かざるを得ないし
だから早い段階にみんなにたたかれていたんじゃない?
いつものように途中で放り出したから、ごらんのありさま、なんだと思うよ。
といっても、これって
日の丸うんこを賛同してたらいつのまにかカルデロン一家を切り捨ててしまったでござる
とかわらないな、とも思うけれど。
906 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 10:14:12 ID:AR1VKKj/0
tari-G は石蹴りにくっついていくようになってから(一時期は訳の分らん音楽
今は石蹴りポジションを狙っているような感じだし。
907 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 10:43:56 ID:wShy/lmn0
元の主張がおかしいとどうしようもないって事だな。
軍事国家への国際的制約 に ちょうへいきはくりんだん とか
908 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 11:08:02 ID:jifIOFw30
そういう意味では「信用してどうすんの」という手合いだな。
909 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 11:20:14 ID:19QiNcIb0
党派性で動いてるから信用できるってのも違う気はするが。
まー結局、自分の頭で考えろってことだと思うけどね。
910 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 12:52:34 ID:scqAc1XX0
なるほど確かに理解力が欠如している
911 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 14:09:49 ID:FzVlkKdcO
ワロスwww
912 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 18:17:02 ID:tqxpqDs20
厳密にはウヨサヨ話ではないが面白かったので一応。
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/manysided.blog85.fc2.com/blog-entry-27.html
913 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 18:35:10 ID:p9/mJBF9O
すまんが、とても「面白い」と思えない。正視に堪えない。
「我々ユダヤ人は有史以来虐げられ続けてきた!」
とか言ってパレスチナ人無差別虐殺を正当化しているような印象。
結局、そういう被害者感情を利用した創価やその他カルトだけが喜ぶという帰結。
914 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 18:41:38 ID:CErU4jVk0
非常にはてサ的思考で面白いと思うが。
相手が自分の主張を理解してくれない場合、二つの可能性があって、
一つは当然、相手の読解力の問題だが
、もう一つは自分自身の主張の弱さなんだよね。
そしてその主張の弱さというのを解体すると、
「相手に必要なことを適格に伝えるための能力」
「主張を裏付けるための物的証拠」
というのが欠けているからなんだけど、
自分が正しいと思い込んでいるから、相手に読解力がないと思い込んでいる。
915 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 19:07:10 ID:p9/mJBF9O
いやそれはその通りだよ。ただ、俺はこの人叩く気になれないんだ。
ひどい目にあった人がある程度思考が歪むのは当然だし、
そこには武士の情けがどうしても働く。俺としてはね。
例えば昨日出てた田原の件ね。俺は江川支持で家族会は間違ってると思うが、
家族会を批判したいとは思えないんだ。
ただしその代わりと言っては何だが、騒動の尻馬に乗って家族会叩きをする
はてサ連中や、家族会の尻馬に乗って田原叩きをするウヨは激しく軽蔑する。
トリアージの時にもあったけど、当事者をダシにする奴らって大嫌いなんだよ。
同じ理由で俺はこのブログ主を叩きたくはない。
ただ、空しいと感じるだけ。
自分語りスマソ
916 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 19:26:52 ID:19QiNcIb0
同意。少々納得いかないこと言っててもそっとしておく優しさがほしいよな。
一方はてサは。
http://b.hatena.ne.jp/entry/manysided.blog85.fc2.com/blog-entry-15.html
>hokusyu 生, 社会, 自由 id:furukatsu様におかれましては、ブクマで自己憐憫
>コメントする暇がおありになるのでしたら、さっさとコメント欄に突撃あそばされるのが
>よろしいかと。敵なんですよね。
馬鹿に突撃しろとけしかけてましたとさ。これで味方面してるんだからわけわかんねえ。
917 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 19:34:27 ID:j8TrH3F20
y_arim メタブクマの翼 ところでぼくの記憶が確かなら、
manysided氏は最初から議論するつもりでこのブログを立ち上げたわけではまったくないはずなのだが。
ただ「性犯罪被害の実態を知ってほしい」というだけで。議論レイヤーに乗せたのは誰?
↓
fut573 id:y_arim この辺でトラバ送った人がいたのが初出。明確にコミット求めてる。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20090609/1244556324 2009/07/18
シートンはろくなことしねえなw
918 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 19:36:18 ID:69qgoubf0
有村が何か言ってるが、はてなで話題に上がる=議論になるのは仕方ないんでは、と思った。
本エントリは被害者意識の感情論丸出し&思いついたこと脊髄反射で書いてるような
電波ぶりだからまともな議論なんか無理だろうが。
919 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/07/18(土) 19:51:42 ID:sVe0UuYV0
id:kanoseはアレだ、もともとid:matsunaga、松永英明の古い仲間で、
何年か前までは松永と、奴が現役オウム真理教信者だった頃からの仲間・・・
ネットに多少詳しいだけで威張り散らす腐れガキどもといっしょに
はてなの一般人(finalventなど)をウヨ呼ばわりして粘着、どんどん潰していった一派だろ。クネクネだかモヒカンだかいう・・・
昔の噂ではオウムじゃないかって話もあったな。これはマユツバだとは思うが。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1242395850/201-300
で、matsunagaどもがウヨ認定して一般人を潰していったから、はてなのクソサヨどもに受けて羽振りがよかったんだよな。
むかつく。あれ絶対あの糞女だ。嬉しげに書き込んで、見る人見たらバレバレなんだよ
ぶひぶひばりばりジャンクフード食って豚みたいに肥え太って\(^o^)/ とか何気楽にやってるの?
親がいるから死ねない…とか、はあ?親だって死んでほしいと思ってるよ
何度も私ぼやかれたもん。産まなきゃよかったって
あんたにできる唯一の親孝行は死ぬことなんだよ。親は対外的に泣くかもしれないが心底ほっとするよ
先月から親への仕送りをやめた
せっせと貢いでもあの糞女の糞になるだけだと分かったから。
へー頑張れば?勝手にすれば?
食費が死ぬほどかかる糞女なんてペット飼ってるのは自己責任でしょ
私たちじゃあの子はもうどうしようもないの…とか、何自己憐憫浸っちゃってるの?
何度も言ったよね、あの女捨てるんだったらいくらでも協力するって
私はあんたたちとはもう親でも子でもない
大学へは奨学金でいったし、○万円×12ヶ月×△年。十分に借りは返したと思ってる。
でも高校生だってそれくらい稼いでる子はいる。
あの糞女がちょっとでも働いたらそれくらい家に入れられるだろ。
ごめんね、お父さんお母さんもう親孝行娘はやめたの
あの糞女、あんたらが死んでも引き取るつもりは当然これっぽっちもないから
だから死ぬときは道連れにしてね
そうじゃないと、糞女悲しいことになるよー
遺産も少ないだろうしね、あれだけ健康体じゃ生保も通りにくいだろうしね
女のホームレスって悲惨だよ?
あー、うっっっっざ。
「○○だから××しませんでした」ばっかり。
痴漢にも家族がいるから、明らかに触られているのに何も言いませんでした!というのと基本は同じ。
しかもそれが「毎日」「複数の人間から」行われているのに何もせず、しかも延々と何もしないことへの言い訳。
うっっっっっざ。
そんなだらしない母ちゃんの娘なら、また「あえて被害者になる!」みたいな自己憐憫の暴走で同じ道をたどるかもねー、わかるわかる。
おめーの心の在り方の問題だ。
自分自身の問題なんだ。
こんだけ言ってもわからないなら一生責任をどっかに転嫁してろ。
娘がかわいそうでならんわ。
http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20090409へのレス。
何故感情的になったのか、という問いかけが面白かったので改めて考えてみた。
結論。
ここで火がついたんだな。うん。
この書き方は自己憐憫だよね?
芸大で自分の才能の無さに打ちひしがれ、食うためにやむなく教師になり、教師として生徒に適切なアドバイスをすることも出来ない、
これが感情的になった理由。
たぶん最後のこの一行が無かったらあのレスは書かなかっただろうと思う。
それ以前に書かれていることは、まあこういう奴もいるよな、って程度のものだし、結論も妥当だと思うから。
自分のことをかわいそうだと思っている人間が、こどもに道を示せるのか?否!って反応だった。
トラバやブコメにもあったけど、才能の有無や努力や諦めやそういった諸々は個人がどうにか付き合っていくものだから、
教師がどうこうしようってのがそもそも無理なことだとも思う。
一応俺も
よく分からんけど賞取ったりして評価されてる他人の作品とか、
俺から見るとすげー作品作る友人とか先輩とか後輩とかが評価されたりされなかったりするとか、
今のアートシーンとは合わない自分の作風とか、公募展のお約束にも乗れないとか、
そういうのとつきあってきたので元の人が書いていることはよく分かる。分かるよ、そのぐだぐだした屈折した感情も。
でもね、自己憐憫、自己否定を乗り切れてない人が、他人の未来について憂うのって人としてどうなのかなあ、って。
社会的には今の自分以上には成功しないであろう生徒を(それもあくまで大学レベルの話でしかないし)
自分よりもかわいそうな人を見つけた!何とか思いとどまらせないと自分みたいにかわいそうな人間になっちゃう!
だからなんとか諦めさせようって言うのはやっぱり欺瞞だし、それによって自己満足を得る、自分を慰めるって、事だよね。
それはあまりにも情けないじゃないか。
一度は芸術を、自分だけの美を追い求めた人間は、そこから離れたらいわゆる負け組みなのかい?
俺はそうは思わない。そんな小さな相対評価で俺と言う人間を図りたくない。
だから、元増田にももっと誇りを持とうよ、明るく行こうぜ!そう言いたかったんだな。
そう思って読み返すと、ほんと感情的で酷い文章だなあ。つくづく反省。
ということで、結果として生徒に示せる方法(この場合は画塾に行かせる)は同じでも、
何かに挑んで挫折しても、立ち直ってしなくても生きていけるし、
それはそれで結構幸せな人生だぞってサンプルになるのが教師としての役割じゃないのかな、そう思いたいんだね。
こんなことで答えになっただろうか。
こういった類の話をするとき、相手を選ばないとね。
内的なものを打ち明けるって、相当親密な相手、もしくは、ネット上の見知らぬ相手にすべきで、中途半端な間柄の相手にすべきじゃない。話された相手も戸惑うでしょ。
発達障害を抱えているので、直観力というものが全く働きません。
CTスキャンでくっきり造影されるほどの「真性」障害は300人に一人だそうですが、“気質障害”“形質障害”といわれる比較的軽度な人は、日本の場合「人口の約5%」程度だそうです。
「私」を含めてこういう人は、“空気を読む””直感的に良好な人間関係を築く”能力を持ち合わせていません。
これは、そのほかの様々な身体的特徴と同様その人固有のもので、多かれ少なかれこういった障害を持つ人物に、
「空気を読め」「勘を働かせろ」と要求する事は、
※目の見えない人に『よく見ろ』という
※耳の聞こえない人に『話をよく聞け』という
このような要求と同様に「物理的に無茶な話」です。
日常的に、それなりに勘働きをして生活をしているように思われていますが、それは星の数を超えるほどの膨大なパターン認識を繰り返す事で“学習”し、不測の事態に熟練する事で補っているだけなんです。
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」
これが事実であり、真理です。いくら精神論や常識論を振り回してもらったところで、生まれつき動いていない器官が正常に動き始めるわけでは有りません。
手足を失った、あるいはそれらをもって生まれてこなかった人に、
「五体満足でないのは自分が悪いのだから、健常者のように手足を生やして来い」
とおっしゃるのでしょうか?
先年、思うところあって障害者支援・不登校支援に参加して、そこで報告される事例に心当たりがありすぎるから診断を受けたら、冒頭のように宣告されました。35歳のときです。
『誰の理解も、何のケアも受けられないで、良くこの年齢まで生き延びてこられたものだ』
そう言って驚かれたものです。無かった事にしたいほど屈辱まみれだった半生を思い起こすと、類稀な精神力を持って生まれたらしき事を果たして喜んでいいものかどうか判断が付きません。
迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、今でも心臓が止まりそうなほどの不整脈が出ますが、リスクとメリットを天秤にかけて、あえて障害者手帳は取っていません。
一見しただけでは分からない、脳や精神に関する障害をもって生まれた事が、本人だけの責任と言い切れるのでしょうか?
いつ何時、些細な差異を理由に命の危険にさらされるような、そんな不寛容な世界に、果たして「あなた」は暮らし続けたいと思うのでしょうか?
普通人・常識人のつもりな「あなた」の“無知と無理解と無関心”が、今も誰かを死に至らしめているのかもしれませんよ?
4/3追記1
その度に宣言してレスつけて歩くのも面倒なので、ここで追記する事で代えよう。
変な誤解が発生してるようなので宣言しておくが、
「空気読め」(http://anond.hatelabo.jp/20090401235551)の元増田とは別人。ついでだからもう一つ宣言、本IDはこっち⇒http://d.hatena.ne.jp/cambrian/
本IDからリンクをありったけ辿って貰えば分かる事だけれど一応書いておく。零細だけれど一応会社役員の末席で、他にも2つのNPO団体から乞われて理事や事務局を勤めさせていただいている。最初に書いた内容は、全て“id:cambrian”という立場から見てきた現実であり、あるいは経験してきた事実に過ぎない。
それがどうして“分かってちゃん”だとか“自己憐憫”だとかっていう話に転がってっちゃうのかわかんねーよ。
「正論を正論として突きつけるのは控えてくれ」と言われる事もあるけどね。今もって「迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、心臓が止まりそうなほどの不整脈が出る」のだから、「道理は道理、正論は正論」というスタンスしか摂りようがない。
対人関係で衝突が増える事なんかとっくに織り込み済みで、「志半ばで命を落す事もありうる」覚悟は完了してるがそれがどうかしたかね?改めて振り返ってみれば、命を落していたかもしれないような危機の連続を、およそ全て力ずくで踏み潰して乗り越えてきた形になっているのな。どれもこれも、「十人十色であり、みんな違っていてみんな良い」のだと信じてきたから。打たれ強いか、弱いかというなら、抜群に打たれ強いんだろうさ。
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」でしょ?
知らないのも理解できていないのも、知覚・判断能力に個人差があるのも止むを得ないじゃないか。知らなかった事、理解できていない事を理由に吊るし上げられてもどうにも出来ないし、誰かをそのような理由で吊るし上げたりする事に何の価値も利益もない。
「誰の力も手も助けも借りられなかった」からこそ、「力ずくで踏み潰して」でも生き延びてこなければならなかったのであって、そのこと自体を今更どうこうは言わない。だけれども、
もし、只ひたすら助けを求めて泣き叫んでいるだけだったらどうだったんだろうか?
とか、
もし仮にここまで生き延びてこれずに途中で命を落していたとしたら、「人間一人の命の危機をただ眺めているだけだった」自称普通人たちはどうしたんだろうか?
とか思わなくも無い。
それだけの事なんである。
こんにちはこんにちは!mixiは退会しちゃったからここにかくよ!←文句は勝手にパクってるだけだよ!
ちなみに入会後にiPhoneに変えちゃったからmixiには再入会できないんだってさ!なんとかしてよミクシィ!
さて、いくつかあやまらないといけないことがあるんだ。
まず、うつ病の状態で日記を書いてたせいで、一年間「チラシのウラ」に書くべきことをつらつらと書き連ねてしまったこと、ごめんね!
うつの状態が慢性化してるのの気づかなかったせいか、僕の思考のどこからどこまでが「健常者」クオリティなのか判断しかねてたんだ。
一応脳内ファイヤーウォールを厳重警戒モードにして、口数は多い方だったのにうんともすんともいわなくなったけど、ネットを掃きだめにしちゃ意味無かった。
というかネオリベっぽい言動をミクシィですること自体お門違いだった!
卒業してミクシィ解禁になって、もう1年間醜態をさらし続けていたんだと思うと、時空の穴があったら入りたい気分だよ。
思考力の鈍化・・・うつの束縛からは徐々に解放されてきた。生きてるだけで必死だったことも当たり前のように気づけるようになってきた。??finalventさんはやっぱりすごかったんだ!
回復期は不安定な状態が続くけど、あと少しだと思う。 焦っちゃいけないんだけど。
でもやっぱり生きることに対しては否定的なままだし、普段はそれをファイヤーウォールで検閲してるからテンション低くて無口なままだ。
そして、死ぬことに対して全く違和感がない。 というか、安息とか平和とか完璧とかそういうポジティブなイメージしかない。
だからこれからは死を魅力的にしないようなメタ認知的な意志決定をしていかないといけないんだと思う。
でもご存じの通り、寮で一緒に暮らして3年のときは死にたいとかウツだとかおくびにも出さなかったけど、この前メッセでぽろっと「死にたいんだ・・デフォルトで」っていっちゃった。
そのときはYとKがつきあってくれてたよね。
それでKにたしなめられて、なんかいろんなことに絶望した。 絶望する材料が(また)たまってきて、そのトリガーがそれだったんだな。
フィルタリングできなかった自分と、「そんなこと相談されるYがかわいそう」って憐憫の矛先がそっちかよ!って思っちゃったことと、Kは僕のこと嫌いなんだよなあってことと、ぶっちゃけうつ病の浪人生なんて付き合ってていいことないよなあ、っていうことと・・・
あと、ミクシィで健常者の言動をまねぶのが窮屈で仕方なかったって気づいたこと。
僕、高校のころの記憶はあまり残ってないんだけど、友達との関係もすべて過去完了形でおわらせてしまおうと思う。 どうせおぼえちゃいないんだ。
・・・はあ。 環境に嘆いても始まらないんだ。 僕の親が両方(元)中国人だったり、僕が帰国子女でインターナショナルスクールに通ってたこととか・・・小5までは日本で育ったと家、日本の高校になじめない材料はただでさえあったんだ。 ??????この言及自体、自己憐憫に属してしまうね。 すまない。
もっとすまないのは、去り際に何も言わなかったことだ。 ミクシィもメッセもメールもすべて衝動的に消してしまった。
・・・なにをするにしても、禁則事項になってしまう。 まだ自分の認知がうつバイアスから回復してないかもしれないってだけで怖いのに。 僕はちっぽけな傷口をなめてほしくてたまらないんだ。
去り際に何かを言うと、それも禁則事項になってしまうようなきがする。 自分でも恥を増やしたくないって思惑もあるけど、たぶん僕がいない暮らしのほうが快適だと思う。
みんなは京都大学や大阪大学やら東京大学やら、いろんなところで活躍して欲しい・・・一般人として。
・・・・・がんばれが禁句のヤツががんばれって、愚かしさもきわまったよね。
・・・・ポジティブに行きたいんだけど、僕が「がんばります!」って、もう説得力ないよね。無担保では・・・
1回途中でうつ病から回復してて不安定ってことで寝込む理由につかっちゃった。
とにかく、高校の人たち、いままでありがとう。 さようなら〜FOREVER!
さて。
受験の問題が残ってるんだよな。 死にたいってポロって漏らしちゃったのも、受験のことをどうするのか相談に乗ってもらったときだったよな。
というより、受験は「どれくらい生きる意志がありますか?」の問題になっちゃうんだ。 ぶっちゃけると受験なんかどうでもよくて、死ねちゃえばそれでいいんだ。
カリウムも買ったし、注射器もある。 でもなんか踏み出しにくいんだよな。 きっかけがないとな・・・
たぶん僕が唯一行える譲歩が、なぜか「東京大学ならいいんじゃない」なんだよな。 スパルタ式進学校の洗脳はすごいな。
はてなでマッチョーウィンプの議論をみてきたせいなのかもしれない。 何をするにも低水準で、妥協を空気のように行うわが母君に嫌気がさしてるのかもしれない。
父親は単身赴任で上海だしなあ。 母親は毒親っぽいけど、うつ病のぼくがいっても説得力ない・・・
英語はもともと得意なんだ。 東大の試験でも満点ねらえるんだ。
でも高校の頃の記憶がない・・・というより、高校にいるあいだはうつ真っ盛り大流血バーゲンで、脳内HDDの読み取り/書き込みができなかったんだ。ずっと。
それで、去年卒業して幾分か回復して、高校の数学と物理と生物と倫理を詰め込んだ。 とりあえず知識と基礎的な応用はすべて身についた。
といっても夏ぐらいからうつが再来したけどね・・・ けっこうがんばったとおもうんだ、そういう状況を鑑みたら。
普通大学受験に記憶喪失(←便宜上こう呼称してる)もうつ病も、HDD読み取り/書き込みも関わってこないよね!?
・・・っていうのが僕の論点なんだけど、東京大学は英語の力を持ってしてもちょっと辛いな・・・
・・・ということで、もう一年。 さっき母親と一週間に及ぶ交渉をおわらせて、やっとOKがとれた。
一人暮らししてもいいって!
(本当は一人暮らしは好ましくないかもしれないけど、母親は外的病原体みたいなものだってドクターもいってるし、ドクターも一人暮らしには同意してくれた。)
それで、どこに一人暮らしすると思う?
京都だよ!
このまえ家でして泊まらせてもらった君の家、京都大学近郊すぐちかくだよ!
なんてこった。 いやでも思い出してしまう。 KとY、たのむから平和でいてくれ。
はてブをみてたらゲストハウスもいいかなあ、って思えたんだけど、京都にも大阪にもあまりいいのがなかった。 だから学生専用の一人部屋を借りることにしたよ。
実は夜間、ゲストハウスの管理人として管理室で寝るだけのバイトがあって、それだと家賃無料だったんだけど、昼間はどこかにいかないといけないってことでNGをだされちゃった。
家の経済的な理由をひとりぐらし反対にあげたんなら、OKすればいいのにね。
経済的な理由ってものに僕の(ただでさえ枯渇気味の)生きる意志(笑)が局限されると死にまたコンニチハしちゃいそうだから、寝込んでる時間を生かして、
・・・まだ収益あげられてないんだ。まだ作ってる途中で、最初のポストは相互リンクするのめんどくさい。
普段からニュースをRSSで収集するクセがあったのが役に立ったよ! ほぼ自動化できてる。
Rubyとかできればコード書くんだけどなあ。僕はHSPしかできないんだ(笑)
高校2年で25キロやせたのはレジェンドだけど、あれ以来結局さらにやせた。高校入学するまえとくらべて35キロやせた(笑)
おかげで贅肉がとれて若干イケメンっていってもらえるようになったよ。 多分お世辞というかかわいそうな人へのはなむけだけど。
ダイエットしたいひとはうつになるといいよ。
・・・ものすごく収集つかなくなったけど、アイドリング中に高校の友達のことを思い出してしまうのはそろそろやめたいって思う。
一応、2010年の今頃に、アドレス張のバックアップが僕の新しいメールアドレスに送信されるようにしてるから、そのとき回復が進んで、関係を再構築できそうだったらするかもしれない。
でもしばらくは全て0に収束させようと思う・・・
メンヘルなりに精一杯あがいてみる。 結局禁則事項を犯しまくることが、一番回復への近道だと思う。 でも迷惑をかけるのも、これ以上僕に対して関心をもってほしくもないんだ・・・
Steve Jobs的に言うとbag of hurtだからね・・・
はてブでは最近自己責任教ってのが気になりだしたけど、たぶんこれも自分で自分の傷をなめる行為の一環に分類されるんだろう。
まあ、目立ったことは何もしないことで、サンドバッグ状態を作り出せるかな。
支離滅裂だね。そろそろ自重するよ。
今までありがとう。
留年もしてるし、本当の終わりが近づいてきたんだと感じる。
積極性がない・ネガティブ・・・な人間なんだそうだ。だから、会社には入れない。どの企業も判で押したように同じ答えが返ってくる。
今までまっとうに生きてきたつもりだった。他人に大きな迷惑をかけてきたわけでもない。だけれども、これから人間らしい生き方は出来ない。
社会人として認められない自分に絶望した。知的能力では劣っていなくても、人間性の部分で不適格だから、俺は、職に、就くことが出来ない。
唐突だけどライトノベルが書いてみたいと思った。日常の中に不意に訪れるファンタジー、なんて。ヒーローは俺じゃなくてもいい。
でも、ライトノベルも漫画も古本屋にとうの昔に売ったよな。大人になればこんなの読まないと思ってたから。
これからどうしよう。最低限のライフラインとして介護労働者の道が残されているのか。まだ覚悟は出来てない。
実家には帰りたくない。両親とは折り合いが悪く、一人暮らしが何よりの楽しみであり希望だった。
あの監獄へ連れ戻され、悲哀と落胆のこもった眼差しを向けられ生きていくなど嫌だ。自己憐憫に囚われ、身を委ねることなど出来ようか。
けれど、遣る瀬無いくらい絶望してる。他に吐き出すところがなかった。
確かに、マイナス思考な人が貧しくなると、自己憐憫の心が生まれ、他者から孤立していくということはあるかと思う。
しかし、ガンジーのような例は、貧しい生活をしているからこそ心が豊かであることもあるという証拠のような気もする。