はてなキーワード: 自己憐憫とは
最近よく解らない状態が続いている。
それは単なる「自身の状態を理解しようとしていない」という怠惰から来るものなのかも知れないし、
本当にどうしようもなく解らないのかも知れない。
客観的に見ても、よく解らないのだ。というよりも、客観的に見るという行為がよく解らない。
理由を考えれば、一日が過ぎ。
動こうとしても、動けずにまた一日を消費する。
貯金も減る一方だ。
夜遅くまで起きていて、こんな日記の様なよく解らないものを書いている。
人間、不幸ばかりを数え上げて幸福の方を数え上げない、という旨の事を言ったのは
ドストエフスキーだったか。
確かにそういう面があるのは事実。幸福は幾ら良いものだとしても、不幸を語るという
その劇場に落ち込んでしまった方が、よっぽど快感があるからだろう。
そういう落とし穴にはまって、もう数ヶ月。事態はやっぱり改善しないで、ノロノロと過ぎていく。
まぶしいんだよな。最近。何を見ても。
輝いているよ。
こんな駄目な(劇場に落とし込めている例)自分にも、好きといってくれる人がいる。
正直勿体ないと思う。
遠距離だし。
幸せになって欲しい。
かといって、僕が幸せにしてやるんだとも思えない自分が存在している。
いわゆる『自信』というものがないのだ。(と言ってしまえばそれで終わってしまうのだが・・・)
人間、死ぬ気になれば何でも出来るというが、大部分の人はという注釈が抜けている。
こういう自己憐憫が得意で、やる気、生きる気がない人間は既に死んでいるのだ。
死んでいる人間に、死ぬ気云々言っても何の効果もないのが実情だ。
しかしそうなると、こういう人間はそういう言葉が来るのが解っているのだ。
結局、生きる為のモチベーションが低いのだと思う。
別に幸せにもなりたくないし、楽しく生きられなくても良いと思っている。
前進する為のモチベーションが存在しないのならば、どうやって前に進めばよいのだろうか。
そして、夜だけが進み朝になっていく。
いま・ここからはどうしようもできない問題を、まだ、手放せないでいます。それを強く胸に抱き込めば抱き込むほど、それの突き出た刺が自分に深く刺さると分かっていながらそれを解放できないでいる私は、自分を傷つけるよろこびに満ちあふれたマゾヒストみたいに鬱陶しいでしょう。いつまでも自分の大過去にこだわってばかり、いつまでも自分の苦しみや痛みやつらさや怒りにのみ心を注いでばかりいる私が、理解できないんでしょう。あなたはきっと、「早く忘れなよ」といいたいんでしょう。そんなものは覚えているだけ自分を害するから、その記憶ごと忘れてなかったことにしなさいと、いいたいんでしょう。
「悪い犬に咬まれたと思って忘れろとひとはいう」―だけどあなたは犬に咬まれたことを本当に忘れられますか。
あなたが捨てなさいといっている時間は、まぎれもなく私のものです。あなたが目をつぶりなさいといっている日々は、ごまかしようもなく、実際にあったことです。あなたが知りたくないといって切り捨てようとするその大過去は、それは、私の肉の一部です。あなたが私から切り離そうとしているのは、私の腕、私の耳、私の鼻、私の腹、私の足、私の血と肉と骨、そのものです。あなたが忘れ、捨て去ろうとしているものは、切断された、まだ温かい、まだ生きている、私の一部です。
こうやって書くのは、ずるいでしょう。「つらいのはお前だけじゃない」なに、私もそのくらいのことは、知っています。私はあなたに、理解を迫るつもりはありません。私はあなたに、私の傷の手当てや、私のえぐれたところの補修と修繕や、不足しているものの埋め合わせや、そんな面倒で図々しいお願いをするつもりは、ありません。私はただ、あなたに、知っていてほしいのです。いままであなたが耳を塞ぎ、知りたくないと切り捨ててきた私の血の通った時間のありさまを。
それは気持ちの悪い話です。だから、あなたが知りたくないのも当然でしょう。私がどんな男とどんな風に寝て、どんなひどいことをされて、どんな風に手首を切ったり薬をのんだり、祈りの姿勢で便器を抱いたりしたか、黄色いヨーグルトを酒で流し込んだあと、真っ白というよりはむしろ灰色に近い天井と病室の中で運悪く目が覚め、管と管のあいだで力なく横たわっていたひからびた私が、そこからどうやって、今の今まで、死にたい心をなだめすかし、ごまかし、騙し、つまずき、転びながらここまで泥だらけになって走ってきたのか。そんな身勝手で鬱陶しい、自己憐憫と自己欺瞞と被害者意識とにまみれたぐちゃぐちゃの黄土色の吐瀉物みたいに饐えた匂いのする時間から、あなたが目を伏せ背を向けるのも、致し方ないことです。
それでも、私は、私の一世一代のわがままをあなたに押しつけて、いいます。私は、あなたに、知ってほしいのです。他の誰でもないあなたに、私にあったことを、知っていてもらいたいのです。理解しろとはいわない、慰めろとはいわない、私を傷つけないと約束しろだなんて、もちろんいいません。私があなたに望むことはその一点を除き、何もありません。理解することは誤解することであるし、共感も同情も、安っぽい傷の舐め合いに過ぎません。そこから何ものをも生み出しません。それは恐ろしくくだらない、一人では立てそうにない弱り切った甘えたが生み出した、愚かでみじめな、他力本願の妄想に過ぎません。
それでも、私は、あなたのそれが欲しいんです。理解なんかしてくれなくていいんです。分かってなんかくれなくていいんです。同じものを味わわせて、あなたを苦しめたいわけではないんです。あなたに傷ついてほしいわけではないんです。ただあのときの幼い自分に、あなたに、味方になって欲しいんです。あなたが、私の時間をただ知っていてくれるというだけで、それだけのことで、大過去のなかの私も、現在に生きる私も、すごく勇気がでるんです。誰にも泣き声が聞こえないように、誰にも泣き顔をみられないように、心を砕き身体も砕いていた私という人間がいたことを、あなたに知っていてほしいんです。
といって、あなたに、特に何をして欲しいというわけではありません。あなたにしてほしいことはただ、黙って、この話を聞くことです。どうか私から目を逸らさないで下さい。どうかみっともない私という人間を無視しないで下さい。私は、あなたに、頷いてもらいたいのです。あなたに、私を、認めてもらいたいのです。
http://anond.hatelabo.jp/20080425012140
実感が違うなら、ひとまず宝くじ当たった場合で考えてみてくれ。でも、男女の話はほとんど水面下で進むものの職場で誰と誰が付き合ってるとかそこそこ把握してたら実感できるもんだと思ってたけど。経験上、おじさん好きの勘違い女子は30人に1人はいる。
「非モテ」ってカテゴリわけは単なる自己レッテルに過ぎないかもと思い始めた。そう思いたくなかったから質問したんだけど。
恋愛に参加したい、でもどうせ自分は無理だ。傷つくくらいなら参加しない。その程度の人間のことを「非モテ」というのなら、くだらない自己定義の言葉あそびだと思う。どこかの糞シンクタンクが今年の新入社員に「カーリング型」とか名前付けてるけど、それくらい意味の無い、消費されていくフレーズではないの?
オンライン上で非モテ論を堂々と展開してる人って、実際のオフラインでは全く主張しないの?
「自分は性的マイノリティとも違う、非モテに属してる」と堂々と言ったりしないの?そこまでしなくても、もしくは、そういう概念を認めさせていくための運動みたいなことはしないの?運動というと大げさだけど、ちょっとしたことでも。
ネット上で非モテ論をゴリゴリ展開してるけど、それって誰も見てないところでうっぷん晴らしをしているだけだと思わざるをえない。大多数は知らないのに、ネットの一部で後ろ向きな人間が慰めあってるだけになってしまうんじゃないの?
少し厳しい言葉を書いたけど、非モテってことばを使うならもっと意味や実体のある言葉にしなければいけないと思う。いつ変節するかわからないような曖昧なヒトのあつまりなんて意味が無い。ここに書いたのは「非モテは自己憐憫・言い訳か?」ということを強力に否定してくれる人がほしかったからなんだけど、反論求む。
うーん、というか自分ももうすぐ魔法が使えるようになるので属性上は非モテの一員という事になるんだろうけど、
それを踏まえて、今は「反非モテもキモいが、自称非モテや自称『なんちゃって非モテは本当の非モテの俺たちに失礼だ』系も相当ウザい」と思ってる。
非モテなんてのはもし自分がそうでも、自分から口にするものじゃないと思うのよ。
自分を非モテと公言する男子は「私って二重人格なんですぅ」っていう女子くらいウザい。
そこにあるのは自虐的に見せかけた自己憐憫で、人に謙ってるようで「俺を傷つけるな」と脅している。
まさに『それって…なんか…二重にあくどいって言うか…調子よすぎる…!』って感じだ。
だから個人的には非モテ論なんて語るものじゃないと思うのね。
付き合ってからの前段階ならともかく、
その前の段階で女に振られてそのことを何年も引き摺っている男がいたら結構キモいんだが
増田の言う通り、とっとと次へ行けばいい
女も「私ひどいことしたなぁ」って思ったところで別に何もできるわけないんだから、
あまり深く考えても仕方ないだろ
自己憐憫にしかならねぇよ
ってかそんなくだらんことで一々悩むな、とは思うよ
「親御さんが不憫だから死ねない」と思えるのはとても人間的な気がしますが…
料理ができない、国家資格がない、運転免許がない、という人は割と大勢いるとは思いますが、だからといって「それでいいとは思えない」という気持ちはわかるような気がします。
とりえがなくても別にいいと思いますが、自分でそれでいいとは思えないということなのかもしれません。
外見のことが述べられていますが、これは世の男子はよく読んでおくべきです。
ネットには「女性にもてない恨み」を延々と書き連ねている人々がいますが、そういう人々は容貌にコンプレックスをもって苦しむ女性のことなど念頭にありません。
独りよがりな自己憐憫を垂れ流すだけ。
モテないことをこぼす男性諸氏は「かわいい子」にもてないのが不満なのですよね。
苦しんでいる女性の書き込みにレスすらつけられない気の利かなさじゃもてなくて当然ですけれどね。
話はそれましたが、私もたいして趣味はありません。何をやっても長続きしませんで。
掲示板のほうはさすがに最近はあまり読んでいませんが、その代わりできるだけ下らないジョーク・サイトを探して読んだりしています。
沖縄戦で自決がどうのこうので揉めているのは、反日とか左翼とかじゃなくて「俺達の歴史を東京者が決めるんじゃねえ」ということなのか。
当時の本土の人間からしたら、沖縄なんか植民地みたいなもんだったのだろう。今もだけど。
沖縄に移住しようとしている奴なんか植民地主義の糞野郎だと思いますが、どうか。本土でうまくやって行けなかった奴が遥か遠くに離れた沖縄に仕事もなく行ったってうまくいくわけねえじゃん。銭金に出てくる離島移住貧乏なんかも同じ違和感を感じる。というか、あの人たち貧乏じゃないし。
離島や田舎が本当にいい所ならふるさと納税なんて話は出てこないだろうが。じゃあ都会の貧乏さんはというと今やただ単に悲惨なだけだしな。そんなもん夕飯時に見せられても困るっちゅーの。ネットカフェ貧乏さんとかな。
雨宮処凛とか赤木智弘とかの言ってることは正しいんだけど、そのベクトルは間違ってると思うがどうか。正直今はフリーターなりの当事者である若年者にしか届いていないのではないか。もっと言えば単なる自己憐憫にすぎねえんじゃねえの。俺も若年者のフリーターだけどそう思う。
もっと色々書きたいけれど昼飯を食うのでこれで終わり。
僕の病気は治らない。僕は社会の中で十分に生きていくことができない。だったら、この世界なんて、そっくり消えてしまえばいいと思う。僕の生きてきた人生がその根拠だ。恵まれた人間、強い人間、狡猾な人間だけが弱者の犠牲によって栄えるこの世界など、消えてしまえばいいと心の底から思う。
梅田望夫のポジティブエントリーなんて失笑するしかない。僕はこうしてこの一人きりの部屋からひっそりとキーボードを打つ以外の、何の能力も可能性も持ち合わせていないんだ。あいつらみんな、はやく死んでしまえよ。人間なんて皆、いや、不安や苦悩を恐れる全ての生命は、この世から消滅してしまうべきだ。僕の前途には苦しみながら死を待つだけの時間しか待っていない。
いったい、これは何なんだ。何の罰ゲームなんだ。僕は罰を受けるためにこの世に生まれてきたのか。僕に何が起ころうと、季節は移り変わり、波は果てしなく海岸を打ち、強者は弱者を踏みつけ続ける。この世の中には、それしかないじゃないか。これ以上、何か語る必要があるとは思えない。これを残酷と形容しようが、美しいと形容しようが、そんなものは強者の虚栄でしかない。弱者には終わりのない痛みが待っているだけなんだ。
旧約聖書のヨブ記では、サタンに全てを奪われたヨブがこう嘆いている「なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。なぜ、膝があって私を抱き、乳房があって乳を飲ませたのか。それさえなければ、今は黙して伏し、憩いを得て眠りについていただろうに。」僕の問いは、すでにヨブがはっきりと示していたのかもしれない。ともかくここには何の解決もない。何の言い訳も、感傷も、虚栄心も、同情を誘う算段もない。ほんの微かな自己憐憫くらいならあるかもしれない。でも、そんなささやかな感情の淀みなど一瞬にして姿を消し、後には何も残らないだろう。
勢いだけで生硬な、到底面白いとは思えないネタ文章が100も200もブクマを稼ぐ。それに引き替え練りに練った自分の文章は誰にも見向きもされず野晒しになったまま数ヶ月、やがて自己憐憫から書くのに二週間も費やしたそれを消去した。ローカルからもすべて。ためらいはなかった。わかっているよ。自分に創作能力がないなんてことは。
とくに興味深いところのない有名ブロガーが思いつきのようなフレーズを適当に呟いて40も50もブクマを稼ぐ。皆が何をありがたがっているのか自分には少しも理解できなかったが、自分もそれを真似て呟いてみた。毎日欠かさず呟いていた。しかし反応はなかった。わかっているよ。自分には適性がなかった。読み返してみたらまるで狂人の呻き声みたいではないか。そこには面白がることが困難なほど真に迫った、真性の異常者が確かにいた。
ブログをはじめてから二年ほど経つ。訪問客は検索エンジンに騙されて連れてこられるようなやつらばかりで、ブクマされることもなければコメントもつかなかった。ブログ上には独り相撲の痕跡だけが地層のように淡淡と積み重なって、むなしさばかりが募るのだ。わかっているよ。自分のハンドルネームに時間をかけて人格を宿したところで誰も自分に興味を持たないのだから無意味だということは。ブログを投げ出して遺跡になっても誰ひとりとして掘りかえしてくれないだろうことも。
藁にも縋る思いでブックマークを使い始めた。他人の嗜好が理解できれば自分を認識させることができるに違いないなどと白白しい夢を見たのだった。これまで他人の書いたものにはまったく注意も敬意も払ってこなかったが、このときばかりはひたすら読んだ。意味を解体し、舐めるように読んだ。千や二千ではきかないくらい、とにかく読んだ。しかし、自分のブックマークページに誰かの文章が陳列されることはなかった。きっと自分は、素直に他人の意見を受け入れられない、自分にしか愛情を注ぐことができない人格破綻者なのだと自己分析してからセルフブックマークに挑戦してみたが、それでもページは白いままだった。わかっているよ。他人を認めることができない質で、そんな自分が好きになれないということは。
何の因果か増田に流れつき、ここで駄文を書きはじめた。様様なことを書いた。長大で退屈なネタ文章。同情を誘おうとするみっともない、頭の悪い文章。意味ありげなほのめかし、呟き。それらすべてにもやはり反応はなく、つまらないと嘲弄されることすらなかった。一方でブックマーカーを揶揄する本当に意味のない、つまらない文章には続続と反応があるのだった。一度だけ魔が差して、それを模倣したことがあったが、それさえも放置されてしまうという非情な現実。
わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。
自分は世間の隙間にある誤差みたいな人間だ。そんなの今更だ。わかっている。ネット上だけのことじゃない。慣れたものだ。でも。でも、ショックだった。だから、しばらく増田からも離れていた。
そして今日、久しぶりに増田にログインして自己記事一覧を確かめてみたら直近の文章の末尾に1userとあの赤字があって言葉もなく凍りついてしまった。辛うじて動くひとさし指でマウスホイールをおそるおそる撫でてみると、
1user
1user
1user……
今までに書いたすべての文章にそれぞれひとつだけブクマがついていた。呆気にとられながら赤字をクリックしていく。次々と。たちまちタブが増殖して、壊れ物を扱うようにそれをクリックしては読んでいった。最初は緊張していたが、それもすぐに消えた。そこにあったのは他愛もない可愛らしい感想か、あるいはやさしいタグだった。ほっとした。しかしひとつだけ意外なことがあった。自分の文章をブクマしていたのはすべて同一人物だったのだ。まるで狙い打ちしたかのようにことごとくブクマしている。
呼吸が止まった。鼻の奥がツンとする。世界が輝いてみえた。どうしてこんなことになったのだろう。あのidがまぶたの裏に残ったまま消えてくれない。誰かの名前を憶えたのは、気にかけたのは、これがはじめてだった。
恋をした。
http://fragments.g.hatena.ne.jp/nisemono_san/20070115/1168798973
ああ、とてもよくわかる。俺も大学のときに同じような状況を経験した。
童貞だったところを、誘われてセックスして、好かれていると勘違いした。
張り切ってデートに誘ったりしたけど、そういうことではないのだ、と言われて気付いた。
俺が、これは恋愛ではないのだと気付くことができたのは、相手のことが好きだ好きだと思いながらも、どこかで違和感を感じ続けていたからだと思う(思感感思)。それまでまったく興味のなかった女の子が、一度セックスしただけで恋愛対象になってしまったことに、なんとなく居心地の悪さを覚えていた。だから、相手に「そういうことではない」と言われたときに目が覚めた。
早く気付いて本当によかった。
「手に入ったと思った瞬間にそのモノを窓に投げられてしまった」感、すごくわかる。知らなければ寂しいなりに平穏に生きられたのに、なまじその味を知ってしまったがために、寂しさで頭がおかしくなりそうになる。
「身の丈」云々という結論に至ったのも同じだ。
所詮非モテの俺が、人並みの恋愛なんかできるはずがなかったんだ、ということだろ?
わかるぜー。
でもそれが自己憐憫だということにもあんたは気付いているはずだ。
一時の慰めにはなるだろうが、それが恋愛前より説得力を持たないこともわかっているだろう。
具体的な恋愛をする前の、非モテの自己憐憫は、恋愛を経験した後ではもはや空虚だ。
まだ実感はないかもしれないが、あんたは非モテという逃げ場を失っているのだ。