はてなキーワード: 法則とは
完全に主観で統計とったわけではないですが、外れたことなしなので各自ご確認ください。
http://www.tv-asahi.co.jp/yajiplus/uranai/
朝ニュースの占い、それのテレビ朝日版なんだけど、実は法則があってですね。
じつは牡羊座をみるだけで自分のその日の運勢、細かくいうと星の数が平均以上かどうか、
というのがわかってしまうという法則です。
はい、簡単にいいますと、奇数グループである牡羊座の運勢が平均よりまあいい場合、
その日の奇数グループは、まあまあ良い運勢からすばらしく良い運勢となります。
反面、偶数グループはすべて、まあまあ悪い運勢からとっても不運となります。
放送時は常に牡羊座から始まるので、自分が奇数グループの星座なら牡羊座の運勢をそのまま、
偶数グループなら牡羊座の逆をみるとたいていあっていることになります。
そのときは偶数グループのトップである、牡牛座をみるとわかる、ということになります。
星の数だけ気になる人は、たったこれだけで一日の運勢がわかってしまうわけですね。
せっかくなんでアスペかどうか主観で判断してみてくれるとうれしい
こんなところですかね。パッと思いつくのは。
どうかな。アメコミは日本の主流と方向性は違うだろうが面白いのあるぞ。単純に日本より格下にランク付けするのは抵抗があるな。他の国の漫画はあんまり知らんが。
イラストレーションの分野に関してはそう思う。韓国イラストレーターのレベルの高さはすごい。
だけど、アニメ、ゲーム、漫画になると日本は他の国には全然追いつかれる様子が無い。はっきり言おう。何年経っても、他国のそういった作品は、日本に追いつけていない。近年の韓国の最新の漫画(マンファ)でさえ、日本の80年代で既にやりつくされた感が強いものしか出せない。絵面は良くてもストーリーが弱すぎる。抑圧された自分がイヤボーンの法則で解放、なんてネタは日本の雑誌じゃまず編集の段階で蹴られる。
何故日本の漫画のストーリーがすごいのかというと、日本ほど自由な発想の国は無いからだ。他国には、他国の素晴らしい文化があるが、日本ほどいろんなものを笑顔で受け入れてしまう国は無い。社会的に抑圧されてないし、ニートなんて存在さえも大量に生み出す。その自由な発想から描かれるから漫画は面白い。
抑圧された社会では、抑圧された社会に反発する漫画ばかりしか書けない。そう、かつての日本もそんな漫画であふれてた。中国も韓国も抑圧されているから、漫画にそれが現れる。実際イヤボーンをはじめ、抑圧ありきの漫画ばかりだ。
そういった意味では韓国も中国も、資本主義にならない限りは土台の部分さえも日本には絶対に並べない。
そして、韓国も中国も、資本主義になるのはまだまだずっと先で、更に資本主義がこなれるまでは更に先。俺らが生きてる間に成されるかどうか不明なぐらい先。
という事だ。
そう言ってもらえると多少は救われた気になるけれど、複雑な気分だな(増田は違うみたいだけれども、経済学や法学への不信を口にする理系人はやはり少なくないし、後者の学問はダメって言われているようなのもちと悲しい)
自然科学は入り口程度の知識しかないけれど、それでも自然な法則をほんの僅かな式で綺麗に表現する手法は本当に凄いし、物事を明晰に分析してみせる理系の知人のことは尊敬しているよ(だから、文系的センスのみで理系を切って捨てる人間には嫌悪感を感じる)。
文系の人間でも確かにそういう感覚は理解できるのだけれど、そのことと価値を混同した話をする理系の人が居て、「勘弁してよ」と思わされることはあるなあ。例えば近代史なんかを語る時、前提として知るべき情報量が多くなるのは仕方がないことだし、その文脈を把握すること無しに変にして解釈されたら恐ろしいことになる、ってことが伝わらなかったりするのは凄くもどかしい。理系の人が文系的分野を「モデル化」するとき、時として演繹的判断が行き過ぎているように見えるのは分かってもらいたいな(もちろん、それは理系の人全てが陥る罠ではないけど)。
文系・理系は車輪の両輪のようなものだと思っているので、出来ればほんのちょっぴり我慢して、文系の世界も理解してもらえたらなあ、といつも思ってる。
放送大学で見かけた、教育系の講義?かなんかのフィリップボード*2。
学校 | 現実社会 |
教員 | 職業人 |
教育の専門家 | 仕事の専門家 |
知識の体系化 | 知識の非体系化 |
教科書 | 一般の情報 |
静的 | 動的 |
普遍的な知識 | 経験的な知識 |
長期間で固定的 | 短期間で更新的 |
権威ある情報 | 多様な情報 |
校則 | 社会規範 |
生徒と教員 | 社会人すべて |
規律 | カオス |
教育理念 | 多様な価値観 |
(Akahori,1998)
生徒 | 実践家 | ||
1 | 何に基づいて推論するか | 法則 | 因果モデル |
2 | 何に基づいて行動するか | 記号 | 概念的状況 |
3 | どんな問題を解決するか | 形の整った問題 | 形の整っていない問題 |
4 | 何を生み出すか | 固定的な意味/普遍の概念 | 交渉可能な意味/社会的に構築された意味 |
Brown,J.P.,Collins,A.,Duguid,P.,1989,杉本卓(訳)からの引用
dankogai の論旨にも突っ込みどころが多いのだけれど、
ゲームに強くなるには様々な方法がある
そのものを変えてしまうことだ。
わかりやすく言うと
欧米人は、負けるとどうしてルールそのものを変えちゃうんですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212860312
こんな感じ。
ゲイツやジョブズは技術進化といった正攻法だけで金持ちになったわけではない。
オタク系のネタではあるが、「トップをねらえ」で最速の推進機関はアルゴリズム航法といって
日本の大企業のルールは番場蛮でもそう簡単に変えられるものではない、
それは、jkondo も含めてだ。
dankogai の論旨についての疑問点は改めて書く。
元グーグル社員がGoogleのライバルとなる検索エンジンをつくったらしいけれど。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/28/news048.html
マイクロソフトや、IBMやアップルとかには当然優秀な社員がたくさんいると思うけど、そこをやめて、同じ畑で元会社より成功したってのは聞かない気がする。ジョブスのネクストはアップルのライバル会社というスタンスではなかったと思うし。
それって、技術的にはどうかわかんないけれども、人格的になんとなく自然な成り行きな感じがしないでもない。だって、「この技術はいける」「これなら今のGoogleのエンジンよりいいはずだ」と思ってほんとにやりたかったら、Google内でなんでやんなかったんだっていう。
ちなみに法則といってるけど、いま思っただけ。
via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の物理オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない物理の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、物理のことを紹介するために
見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に物理を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うマニアックな人物は避けたい。
できれば伝記が出てる人物、少なくともブルーバックスレベルにとどめたい。
あと、いくら物理的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
物理好きが『ケプラー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
物理知識はいわゆる「ブルーバックス」的なものを除けば、中学校程度の物理は知ってる
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりかよとも思うけれど、「アインシュタイン以前」を濃縮しきっていて、「アインシュタイン以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。知名度もあるし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
情報過多なアインシュタインの業績の数々について、特にリーマン空間上の時空の幾何学という数学的側面が強い一般相対論について、
どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな物理学者(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「物理オタとしてはニュートン力学と万有引力の法則は“常識”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSF物理オタが持ってる時空制御やタイムトラベルへの憧憬と、一方で時間順序保護仮説を唱えるオタ的な理論物理へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもSFオタ的な
の二つをはじめとして、オタ好きのする理論を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「モーツァルトだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
これほどの変態的天才がその後続いていないこと、これがアメリカでは軍事への貢献で大人気になったこと、
数学から経済学までのあらゆる分野に影響を残した天才ぶりはアメリカなら実写テレビドラマになって、
それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういう天才が生まれないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり物理は目に見える自然現象を説明するためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「アンリ・ナビエ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、電磁気学にかけるマクスウェルの思いが好きだから。
(以下思いつかねえ)
今の若年層でオイラーを目指す人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
量子力学よりも前の段階で、力学現象を解析的に取り扱う哲学や位相空間の技法は彼で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの物理学者が数学者の片手間でこの時代に生まれていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく物理好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるニュートン力学でしか物理を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
(還元論的)物理の「本質」あるいは「原理」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「あらゆる基本的な物理量は保存する」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ理論物理学の最も基本的な量はハミルトニアン以外ではあり得なかったとも思う。
「複雑系を取り扱う新しい物理」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はハミルトニアン(時間並進対称性に起因する保存量)にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に対称性と保存量の美しい関係を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう純粋数学チックな物理を元文系の天才物理学者が推進していて、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファインマンを選んだ。
アインシュタインから始まってファインマンで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、場の量子論以降の
素粒子物理時代の先駆けとなった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
10人は疲れるなこれ…。穴だらけだわ。そういう意味では元増田すげえな…。
蒸し暑くじめじめした天気が続く昨今、
冷静に科学的にデータを検討すると、CO2排出を減らそうとする努力に実は意味無いんじゃね?
...という。
個人的にはその意見に賛成なのだが、それはさておき別件で、
冷静に科学的に考えてみたら、これ意味無いんじゃね?って品物に思い当たった。
押し入れとかタンスとか下駄箱とかにおく湿気取りの塩化カルシウム製品だ。
「ドラ○ペット」とか「水とりぞ○さん」とかの商品名でドラッグストアなどに並んでるやつね。
あれ、プラスチック製容器に塩化カルシウムが入ってて、液体は通さないけど気体が通れる
膜のようなものでフタしてあるよね。
この膜を通ってくる空気中の水分を吸収して、容器の下部に水(塩カル水溶液)が溜まるわけだ。
でも、通常の押し入れやタンスなどの気密性を考えると、その膜を通る空気量より遥かに多くの空気が
たとえば、気温が10℃くらい変化すると、ボイル・シャルルの法則だっけか(?)で、だいたい0.3%くらい
体積が膨張または収縮する。押し入れの容積を(1.8m×1.8m×0.9mで)約2900リットルとすると、
ざっと8〜9リットルくらいは毎日空気が入れ替わる可能性があるし。
窓を開けて風が吹き込んできたりすれば、それによっても10リットルやそこら(ちゃんと計算するには
たぶん流体力学とか考えないといかんとは思うが、よく知らないので感覚的に^^;)の空気が出入り
するはず。
対して、ドラ○ペットとかの膜は10cm四方くらいの面積しかなくて、気体の分子運動でその近くの
気体が出たり入ったりするんだと思うけど、そんな1日に10リットルなんてとても行き来するとは
思えない。しかも静止しているだけなので、押し入れ内の空気がまんべんなくその容器内を通過する
はずがない。
結局、押し入れ内の湿度は平均すると、湿気取り製品を置いても置かなくても、ほぼ変わりないのでは
ないかと考えられるわけ。
俺も句点の位置の法則性は教えなくて良いと思う。
そもそも法則があるのかも謎だし。
おそらく、人間が学習するものの中には、法則性の分かりやすいものと、分かりにくいものがあって、前者は法則を意識して適用するように学習することが出来るが、後者は無意識、経験的に法則を見出し学習せざるを得ないのだと思う。
句点の位置は後者の方法で学習すべき内容だろう。そこで、国語では文学作品だけど大量の文章を入力して、作文を書かせて、フィードバックして、学習させることになる。(パーセプトロンかよ!)
身体で覚えるというやつだ。スポーツなんかは究極的にはこっち。
それで、両方の学習の仕方それぞれに習熟するのが良いと思うのだ。
あーのーさー、そんな方法なんてあるわけないって。
経験積むしかない。
非モテの一番いかんとこは、そうやってすぐ人間関係に絶対的な法則とかマニュアルを欲しがる所。そしてそれが無いとすぐ投げ出す所。いい加減悟るべきだよ、ベタな言葉だが、人間関係にそんな「絶対失敗しない見分け方」「絶対嫌われない方法」とかそういうの無いってことをさ。何したって嫌われるときゃ嫌われるし、案外嫌われなかったりするし、そんなん色々だよ。そのくらい中学で分かってくれよ頼むからさ……「絶対に人に嫌われない10の方法」みたいなライフハック(笑)探していつまでもネット界さ迷うマネしてるんじゃないだろうな?頼むよほんと。
これを読んで思ったこと。
という風に分かれるのだけれど、正直どっちも違うんだよなあとその度に思う。
作品の質が、メインカルチャーだからよいとかサブカルチャーだから悪い、あるいはその逆だとかいうけれど、そもそもそれって関係のあることなのかどうか、と、クラヲタ(クラシックオタク)の俺としては思ってしまう。
音楽の世界でよく持ち出されるのが、音楽家なんて昔は貴族の召使いで、オペラなんて町人の娯楽じゃないかという話。確かに、モーツァルトのオペラの粗筋は昼ドラやらハリポタ並みだし、ベートーヴェンの交響曲はチンドン屋節、そしてシューベルトの歌だってオーストリア民謡だ。そしてそれを根拠に、「難解なだけの音楽は音楽ではない、だからクラシックはもう文化として死んでいる」なんていうことを言う人も、世間レベルではまだまだいる。
だけれども、クラヲタの俺に言わせれば、彼らの良さは別に素材の俗っぽさが原因ではない。あの時代には、高尚な素材を使って下らない音楽を書いた奴も沢山いたが、低俗な素材を使って下らない音楽を書いた奴も同様に沢山いたのだ。
要するに、素材が高尚だの低俗だの、あるいは作品が難解だの明解だの、それらのことが作品の質とは必然的には関係しないということだ。
それだけのことがわかっていない奴が20世紀にはまだ力を持っていて、たとえば大指揮者のバーンスタインという人はミュージカルの作曲家でもあったのだけど、彼の代表作「ウェストサイド物語」なんかは最も成功した現代音楽作品でありながら、コアなクラシックファン、特に現代音楽ファンからは軽視されたりもしていた。
だが、そんなことはもはや昔の話だ。たとえばビートルズの作品の質の高さは誰の目にも明らかで、クラシック以外から音楽の傑作が生まれないことは明白に事実に反していることは誰もが認めている。その結果、現代ではジャズピアニストがクラシックを弾いたり、あるいは民族楽器奏者がオーケストラと競演したり、クラシックの声楽家がロックのスタンダードナンバーをアレンジして歌ったりということが、部分的にではあれ、普通に行われている。そんなことをしたからといってファンから見放されるなんてことはあり得まい。
そういう目で見ると、文学やらその他の世界で言われている話ってのは今更に思えてならない。純文学が漫画やゲームやケータイ小説より優越していたり、あるいは劣っていたりしなきゃいけない理由なんてどこかにあるのか?誰が見ても手塚漫画は平均的な芥川賞作品より圧倒的に作品のレベルが高いし、逆にエロゲーの凡作は村上春樹作品に人気でも質でも及ばないというのが、世の大半が一致する見解だろう(個人的には村上もエロゲーも大嫌いだから客観的な判断はできない、すまぬ)。
カルチャーのメインとかサブってのは単にメディアだけの問題だろう。使っている楽器とか雑誌とかが違うことが、作品の質に必ず影響すると考えるのは根拠がないことじゃないのか。この手の議論を聞くと「理系の人間は哲学がわかってないからだめだ」とか「文系の人間は熱力学の第二法則も理解していない」みたいな低俗な論争を思い出してげんなりしてしまうのですよ。
追記 題名が誤解を招くと思ったので修正しました。
誰かと気持ちを共有出来る機会を多く持つようにするってのはどうだろう。
一緒に映画とか本読んだりしてあの場面はどう思ったかを誰かと話したり
一緒に観た人は同じその場面をどう感じたか聴いたり
「自分はこう思ったんだけど、この自分の感じ方変かな?」とか意見もとめたり
そうすれば、人はどう考えてるのか指標みたいなものを自分の中に作れるんじゃないかな。
やった事ないから知らんけど。
訓練のように何十回もやってれば、こういう場面で人は悲しくなるのかーとか法則がわかるんじゃね?
あと
「理屈ぬきで」「腹の底からぐつぐつ煮えたぎるように」「頭で考えるより手が出ちゃうくらい」「誰かのためだけに無償で動きた!!」
こういうのって性格的なものじゃないのか。自分の感情の琴線に触れるものなんて人それぞれだろ
こういう経験がないからって何か問題があるようには思えないけどな。
時々、はてブで「ライフハック的に(?)効率よく英語を勉強する方法」のような記事が人気だったりする。
個人的には、どういう心理状態でブクマしているのかなあ、と思うときがある。
もちろん推測に過ぎないのだが、多分、ほとんどの人がブクマしておしまい、のような気がしている。
思い出すのは、ある本に書かれていたこんな感じの話だ。
「セールスの秘密のコツを講演で惜しみなく話すスーパーセールスマンにある人が聞いた。『秘密のコツを教えちゃっていいの?』 彼は答える。『私の話していることは簡単なことですが、実践する人はわずかです。まして続ける人は1%もいません』」
「向上心こそ、重要なのだ」という意見はそれはそれで正論だと思う。
ただ、違和感は感じる。一ヶ月で英語を覚える?来月、訪米する予定がおありなんですか?その魔法のメソッドならば誰でも英語がペラペラになる?そんな都合のいい話を信じるんですか?私はやれば出来る子なんです?いやー、お互い、未来の自分に対する期待はオタクのリュックのようにパンパンですよねー、などなど自戒を込めて思ってしまう。
いや、言いたいことはそういうことではないな・・・。
プログラマならおなじみの「必要なときに必要なところを勉強する」勉強方法。確かにこの方法は有効だと思う。ただし普通に考えれば分かるが、その有効性は、緊急性と必要性の高さにかなり比例する。それで、「ライフハック的に(?)効率よく英語を勉強する方法」のような記事のブクマ数の多さと、英語力が緊急に必要ある人の数はあまり関係ないような気がする、的なことが言いたかった。
そしてタイトルに戻るのだが、「趣味として英語」をやっていった方が、人生も豊かになるし、まるで失敗することが運命づけられているダイエットのように新しい方法を見つけてはチャレンジしては挫折し・・・を繰り返すよりも、効率が良くないか?と思うのだ。茂木健一郎も効率の良い勉強方法は「脳に適度な負荷をかけ(続け)ること」と言っていたはず。ならば、あまり苦痛にならない程度の勉強量を生活の一部にしてしまって、習慣化し、継続して勉強した方が力になるはずだ。
では勉強量は?という話になる訳だが。多分、「上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)」
http://www.amazon.co.jp/dp/4569621988/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1211648437&sr=8-1
に(元々この著者は「最強の英語上達法(これもPHP新書)」で有名)、週二回(を各々30分くらい?)やるくらいが一番コストパフォーマンスが良い・・・と書いてあったような気がする。
ではどこから始めるか?好きなところから始めればいいと思うが(基本的に趣味なので)、そもそも、このエントリを書こうと思ったきっかけが下の動画がyoutubeのトップにあったことなので、ちょっと見てみることをお勧めします。(元動画も含めて)
Re: 英語を早く上達する秘密な技 How to Improve Your English FAST!
http://jp.youtube.com/watch?v=qgt-x0sJ7rs
それで英語の話はおしまいなのだが、思ったことが一つある。上のような動画のまとめ記事が欲しいなあと。いや、上のような動画のまとめ記事が欲しいので記事を書いて欲しいと依頼する→アフィ入りで誰かが記事を書く、みたいなシステムがあれば便利かなあと。必要な記事/読みたい記事を書いて欲しい人と人気記事を書きたい/アフィで稼ぎたい人のためのマッチングシステムみたいなもの。すでにあったらごめんなさい。そんなところです。
How to become a Japanese GEEK? その1からの続きです。
前回は多くの人たちにスウェットの上下とハローキティのサンダルなどを履く人生を選択してもらいました。
もしあなたが中学生以下ならば、あなたはまだギークになる可能性を秘めています。
手始めに家庭用コンセントにマイナスドライバー、安全ピン、鍵の類を突っ込んでみましょう。
え?感電して死んでしまうことを恐れているのですか?
ギークになりたく無いのですか?
誤って (または故意に) コンセントなどに触れ感電すると、神経的ショックを受ける。
これが原因で一時的に頭がおかしくなる等して、その後特定の専門分野に関する深い興味や「問題解決能力」が備わり、ACとなる。
ただし、この方法で AC になれるのは、まだ心身が成長中である 14歳くらいまでの間 である。
それにもし死んでしまったとしても、あなたの人生はそれまでだったということです。
来世はギークになれるといいですね!
あなたには3つの選択肢が用意されています。
この場合、あなたはサラリーマンという重要な職業を目指します。
そして、クリエイティブなことと一切縁を切りましょう。
創作意欲はおそらくあなたの人生に劣等感や弊害をもたらします。
アリやハチといった幾つかの昆虫、自動車のギヤボックスを観察することがあなたの人生を有意義なモノとします。
若いうちはつらいかもしれません。
しかし30歳前後からあなたの人生は安定し、家族に囲まれ、幸せなことでしょう。
1つ目の選択肢をとることが一番幸せにたどり着く確率が高いです。
ここで重要なスキル、タバコとアルコールをマスターしましょう。
さらに上級のバイク、ギターなどといったスキルはマスターするためにお金がかかります。
アルバイトを探しましょう。
新宿二丁目には時給1万円程度の高級なアルバイトが充実しています。
しかし、成功したときに手に入る富と名声はほかの二つとは比べ物になりません。
この文章を読んでいるあなたにはオススメだと思います。
3つ目の選択肢、これがもっとも困難な道のりです。
この選択肢では、バレンタインやクリスマス、青春、ひと夏のアバンチュールなど多くの魅力的なモノと決別しなければなりません。
そして多くの場合、他の二つと比較にならないほど悲惨な人生を送ります。
引きこもり、ニート、ネトゲ廃人などの多くはこの困難な道のりを選択した人たちの末路です。
うまく行っても社会不適合者として多くの一般人から畏敬と好奇の視線に晒されます。
社会不適合であることがこの選択肢にとって最も重要であるからです。
この道のりを選択したごく一握りの人、これがギークになります。
社会の変化はその社会に適合できない人たちの中から生まれます。
個性を持った人物はマジョリティと価値観を共有することが出来ないゆえに一生孤独です。
才能とは他の多くのモノを犠牲にした結果生まれるのです。
これからあなたはひとつの機械に人生をささげていくことになります。
3つ目の道を選んだあなたはコンピュータと寝食をともにします。
コンピュータがあなたにとっての友人であり、信仰であり、伴侶です。
さあ唱えましょう。
This is my system. There are meny like it, but this one is mine.My system is mybest friend. It is my life. I must master it, as I must master my life.Without me, my sysytem is useless. Without my system,I am useless...G