はてなキーワード: ジョージ秋山とは
書誌情報に50冊目であることが確認できる作品(よって超人ロックは該当しない,石ノ森の文庫版マンガ日本の歴史は一応該当とする),サブタイトルは割愛,同一作品でも合算はしない(ドラえもんプラス,ダイヤのAact2等)
サザエさんを追加,クレヨンしんちゃんを追加,絶対可憐チルドレンを追加,キングダムを追加,(試験的に)文庫版のマンガ日本の歴史を追加,劇画人間革命を追加
歳をとるまで気づかなかったよ。ガキのころは読める範囲のマンガなら全部読んだし、繰り返し何度も読んだマンガだって少なくなかった。そういう風にずっと読んでいけるものだと思っていた。
だけど読まないままのマンガを積み上げ続けているのが現実だ。マンガ夜話で夏目房之助が長い作品は最後まで読めないと言ったことが理解できてしまうなんて。
全部いつか読もうと思ったマンガなんだ。ジョージ秋山の捨てがたき人々も、はるき悦巳のじゃりン子チエも、美内すずえのガラスの仮面も。でもなんかもう無理。手に取れない。受け止める体力がない。あんなに焦がれた作品を一度も読まないまま俺は死ぬのだ。手を伸ばせばそこにあるのに。
関心と体力の両方がある時期は短いなんて知らなかったんだ。こんなはずじゃなかった。老後の楽しみになんて置いておく必要はなかった。意味や価値を十分理解するほど成熟していなくても、読めるときに読まなければ経験にすらならない。本棚に並ぶのは後悔ばかりだ。
惜しい!愛とは暴力しかないのだ。いまの軟弱な愛の方が歴史的に見れば異常。
たぶんレイプという状況の判断基準は、感じるか、感じないかでもないし、望んでいるか、望んでいないかでもないのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20090613173230
いまの日本が特殊なだけで、ついこの間まで愛とは暴力に裏付けられていた。そもそも、女は暴力で奪うものであったし、暴力で守らなければほかの男に奪われた。女性は暴力で奪われたことに適応するしかなかった。暴力を愛と受け止めるしかなかったのだ。恋愛結婚なんてありえねぇー、ってのがついこの間までの世界。かつ、暴力を伴わない愛は永続しないだろ。軟弱にもほどがある。韓国では「恩はは3日なぐらないと天にのぼる」という言葉があるそうだ。男は女を暴力でしか愛せない。
先週号のジョージ秋山の「浮浪雲 」が男と女の間にある暴力こそが愛なのだということを描いていた。やさしくなんでもいうことを聞く亭主と、昼間から妻を縛り上げ、なぐり、犯す亭主がいた。やさしい亭主の妻は、むなしさを感じていた。逆に、暴力亭主にこころから満足する妻がいた。それは漫画だろうというだろうが、リアルでそういう関係のカップルをいくつも私は見ている。
力に基づかない愛はあまりにかよわい。いつまでもここでパートナーをゲットできないままうだうだ議論しているがいい。女を得るのは力だ。女は力になびくものだ。暴力的な男の力の誇示をむしろ喜ぶものだ。
ああ、ただ信頼のない力はむなしい。恐怖すらも愛の一部ではあるが、相手を信頼できない男女の愛はどこかで崩壊するのも事実。暴力も含めた、生きるか死ぬか、男女の命のやりとりまでいって得られる信頼こそが男女関係を永続させる。
じゃあ、お前はどうなんだって?