「枕詞」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 枕詞とは

2010-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20101209174619

重要なことは「メリットだけ見て、付き合えるかどうか」じゃないかな。日常的なことがどうでもいいなら、ポイント高いと思う。なんせ、彼らは自分たちの価値観から外れている人間の顰蹙を買いやすく、しかも、なぜ買っているのか理解出来ないから。フツーの人と、彼らとの、日常的な橋渡しになってあげれば、他のことはことさら取り入ろうとしなくても、彼らは友達認定してくれそうな気がするなあ。

紹介してくれる人がいる、というのは大事なことだよ。「誰それさんの紹介」って枕詞が付くと扱いが違うよ。「信用を裏切らない」ってイメージさえ作れば、それなりに人脈になるよ。

2010-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20100927233757

自分(20代女)の場合は、庶務的な仕事担当パート女性(おばさんとお姉さんの中間ぐらい)が声かけるときにいつも

増田さん、 お忙しいところ、 すみません〜」と言うのが気になったり、時にいらっときたり…

皆に同じこと言ってるし、仕事のできる方なので単純な気遣い的な枕詞なんだとは思うのだが

自分はそんなにいつも忙しいわけじゃないし単刀直入に声かけてくれないかな〜、と思ってしまう。

2010-07-21

俺が誰かに言いたいこと

どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。

でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。

我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、

誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。

親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。

真ん中の兄貴中学に入った頃から、何かが変わって来た。

真ん中の兄貴剣道をやっていて、それなりに強かった。

ガタイもデカいので、ケンカも強い、そんな奴だったんだが、

いつの頃からか登校拒否をするようになった。

何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、

毎日の様にいびられる様になったらしい。

教師からのいじめだな。

そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、

家の責任でもあるので恨み言は書かない。

(まぁ今時の教師にどれだけ覚悟があるか分からないが、教師ってのは人の人生を変えるぐらいの影響力があるって、

どんだけど命かけて教壇に立っているのか、それぐらいは認識して欲しいと思うが。)

その後はお約束のように「不良」というレッテルが貼られお約束の展開になって行った。

高校は何とか進学したが、結局中退暴走族シンナー中毒

俺が中学に行った時にはもう、あいつの弟、って事だけで教師からも

その手のグループからも目を付けられて、そりゃもう肩身の狭い思いをした。

高校中退後の兄貴は、勿論仕事にも就かず、暴走族からその日暮らしのバイト

金がなくなれば無心、そしてシンナー、と、そんな生活を繰り返していた。

高校を出て東京大学に入学した俺は、そんな積み木崩しな生活から少し離れられた気がして、

家の状況の事をあまり考えなくなっていた。

大学の間に、兄貴は更正したのか?親父の会社を手伝い始めていた。

それでもまぁ、暴走族時代のまんま、70年代アメ車を買って来ては改造して乗り回していたらしく、

いわゆるDQN成分は変わっていない感じだったが。。。

俺が帰省すると、「就職なんてしないで一緒に親父の会社手伝えばいいやん」と口癖の様に言っていた。

俺はそんな気は全然なかったんだが。。。


で俺が大学7月

俺はバブル崩壊直後の東京と言う凄まじい環境の中で就職活動をしていた。

携帯ネットだと情報が氾濫している今より氷河期度合いは凄かったと思う。

とにかく思う様に就職が決まらず、焦っていた。

当時発売されたばかりのスーファミストII大会を夜通し学校でやってそのまま飲み会

阿呆の様な気晴らし方で毎日をして過ごしていた。

そんで徹夜明けの始発でアパートに帰っていたその日、実家から留守電が入っていた。


電話して」


母親からの短い伝言。??と思い家に電話をした。

親父の会社部長さんが電話に出た。

なんでだろう?と思いながら母親電話を変わってもらった。

母親はいきなり、ごめんね、ごめんねと言い出した。



俺は兄貴が死んだ事を告げられた。




意味が分からなかった。

死んだって?


調子に乗って乗り回していた70年代アメ車。それが老朽化していて、排気ガスが漏れ

一酸化炭素中毒で死んでしまった。。。そんなバカみたいな死に方だった。

夏休みですぐに飛行機も手配出来ず、翌々日、家に帰り着いたのは通夜最中だった。

客間が、なんか真っ白な布で張り巡らされていて、見た事ない人たちが走り回っていて、

その部屋の奥の方に祭壇があり、兄貴が眠っていた。

その日はそのまま明け方までそこにいた。

途中、ウトウトした時に、兄貴に呼ばれた。そんな気がして目が覚めた時もあった。

そっから葬式までほとんど覚えていない。

嫌なくらいに暑かった事と、直前に控えていた第一志望の就職先の試験の事だけを考えて、

ここで崩れてたまるかと、唇を血が出る位に噛み締めていた記憶だけはある。


長男は何時までも号泣していた。俺も泣きたかったが、負けてたまるかと、そんな事ばかり考えていた。



ここで見事就職決まれば美談だが、そうはいかない。物語の主人公の様にはいかなかった。

結局、その年の就職には失敗し、就職留年をした俺は1年遅れで地元の小さな会社にようやく就職し働き始めた。




長男はフリーターだった。当時はそんな呼び方もなかったが、バブル景気

その真っ只中にいながら就職出来ず、フラフラした生活を余儀なくされていた。

実は長男はてんかんを患っていた。クスリで抑えながら、発症しないように、そんな生活を送っていた。

何年間か、発作が起きなければ完治。もし起きてしまえば治療のやり直し。

高校受験大学受験に失敗した長男からすると、高校、大学と順調に進学し、

留年しながらも就職した俺に対してコンプレックスがあったようだ。

実のところ、あまり仲は良くなかった。

というか、俺もどこか毛嫌いしている節があった。

そんな長男が、てんかんの症状も出なくなって、働ける様な体調になった、

遅ればせながら就職をし、「社会人」となり、次男の死以降、それまで落ち着かなかった

俺の家も、なんとなく落ち着き始めていた。

だけど、次男の事故から3年後。

また7月。

仕事が原因か何かは分からない。ただ何か最近様子がおかしく、

ひきこもり状態になっていた長男に対し、情けない奴、とぐらいにしか思っていなかった俺。

親は心配していた。手首に、今でいうリスカのあとがあったらしい。

あいつにそんな度胸はないっしょ、程度に考えていた俺。

ある日の夕方、俺を呼ぶ叫び声の様な親父と母親の声。

慌てて駆け付けた俺が見たのは、首を吊って自殺を図った兄貴の姿だった。

救急車を呼び、意識不明の兄貴と一緒に乗り込み、親より先に病院へ向かう俺。

訳も分からず、スローモーションの様に救急車カーテンの隙間から見える流れる外の景色を見ていた。

ICUに運び込まれた兄貴を見届け、待合室に待つ俺。

親が来るまで、どれぐらいだったんだろうか、何時間にも感じた。

どうすればよいか分からず、入院の準備の為に看護婦が質問する事にも、

ヘラヘラ愛想笑いをしながら答える情けない俺。

1人だけ取り残された待ち時間の間に一度だけICUに通された。

その時はまだ、長男の顔は人間の顔をしていた。なにか寂しそうに、

半分開いた目が宙を見ていた。

その顔に、何とかなるんじゃないかと、と言うか死ぬとかなんだとか、

そんな事は考えてもいなかった俺。

こんな時は泣けばいいのかなぁとか、漠然と考えていた。


時間か経った明け方、親父母親揃って、俺達はICUの中に呼ばれた。

その中で見た長男の顔は、さっき1人で見た時の、まだ人間の顔をしていた長男の顔ではなかった。

どす黒く変色して、もう人間の顔ではなかった。

それを見た瞬間に、俺は悟った。

あ、もうダメなんだ。。。

医者からこれ以上の延命をしても回復する見込みがない事を告げられた。

初めてICUに通された両親は意味が分からずにいた。

その顔の変貌振りに、悟ってしまった俺は両親に告げた。

もういいよ、もういいよね?

何がいいだろう?何がよかったのだろう?この自分で発した言葉は、

今でも俺を苦しめるときがある。

そこからはテレビドラマを見ている様に、心音?が途切れ途切れになり…

そしてピーーーと言う音。

その瞬間、母親が泣き崩れた。

残されたこの子(俺の事)が可哀想すぎる!

泣き崩れても最初に出た言葉は他の誰でもない、俺に対する言葉だった。

今なら何となく分かる。俺は両親から愛されてると言うことが。

だけど、当時の俺は、もう自分の事だけで精一杯だった。

またもや嫌なぐらいに暑い夏の日に、葬式

警察が来て、事情を聴かれ、遺書を探し。。。結局原因は分からなかった。


で、2人の兄貴の死を経験し、これで何か目覚めれば美談なんだが、

さっきも書いたけど俺はもう自分の事だけで精一杯だった。

一人は事故、一人は自殺。次の俺は何だ?病気

うそんな事に頭の中を占領されていた。

2人から取り残された思いがして、その不安に押しつぶされそうになり・・・

いわゆる鬱状態だった。

病院にも行った。精神安定剤やら何やらもらった。

自分の事しか考えられない俺は、また、実家を離れて東京に戻って職を探そうかとも思った。

とにかく、ここから逃げ出したかった。その事を、ふと母親の前でつぶやくと、母親はその場で泣き出した。

親父からは、今はそんな事を言うなと怒られた。

それからもう、13年。次男の死からは20年近く。

立ち直れたかどうかは分からないが、いつの間にか、普段どおりの生活になり、

普通に生活し・・・そんな日々を過ごし、俺は結婚して3人の子供にも恵まれた。

また、夏が来る。7月が。この季節は、毎年なんか鬱になる。

どうして俺だけが生き残ったのか、そればかりを考えてしまう。

これは今もトラウマになってるんだが、親からの電話

救急車の音、嫌なくらい暑い日に汗が出てスーツシャツが肌にまとわりつく感覚

とにかく一瞬意識が飛びそうになる。


もしも兄貴たちが生きていて、そして結婚子供を作っていたのなら、その家族に語り継いで行ったであろう

達兄弟の話は、残念ながら、俺しか知らない話になてしまった。

だから俺は良く子供達に言う。

「真ん中のお兄ちゃんは喧嘩がものすごく強かったんだぞ!」

「一番上のお兄ちゃんは、ピアノギターが得意だったんだぞ!」

俺たち兄弟の話は、親が死んで俺が死んだらもうそれで終わりだ。

だから、少しでもあいつらがどんな人間だったかを残したいんだ。

で、何にも教訓めいた事もなく悟りを開いた訳でもなく、

今もフラフラ右に左に迷い、突っかかり引っかかりながら俺は生きてる。

決して順風満帆でもなく清く正しくも生きていない。

だけど、やっぱり人間は生きている事が一番の幸せだとだけは思うようになった。

今日うまいメシが食える。今日失敗しても明日が来る。

当たり前の様に明日を迎える事ができるのが、最高の幸せだと思う。

そして、自分幸せにできるのは、やっぱり自分しかいないんだと思う。

どんなに人から施されようが愛されようが、自分幸せに出来るのは、

自分幸せだと思える、自分自身の気持ち以外にないと思うんだ。

お前らの中に、もし今の自分の置かれた環境に憤りを感じ、絶望を感じているヤツがいるなら、

もっと今を生きる事で自分幸せにしてやって欲しい。

死ぬ幸せを選んだ長男の顔は、俺には悲しい顔にしか見えなかったんだ。

お前らもまず自分自信を幸せにしてやってくれ。

誰の為でもなく、自分の為に。

自分幸せに出来ないと、誰も幸せに出来ない。

2010-07-06

このブルジョア

この前松屋で飯食ってたら、割と高そうなスーツ着た若い男が、

「こういう店初めてなんだけど、注文どうすればいいの?」

などとでかい声で店員相手にしゃべっていた。

一回ならともかく何回もこういう店初めてなんだけどを繰り返していた。

ブルジョアめ。

お前が初めてかどうかなんてどうでもいいんだよ。聞きたいことだけさくっと聞けばいいだろなんでわざわざ枕詞みたいにこういう店初めてなんだけどこういう店初めてなんだけど連呼すんなやプチブルめ。

俺の怨恨の視線に気づくこともなく、やつは斜め向かいの席で豚丼並を平らげた。そして軽やかに店を後にすると、路駐していたBMW軽トラに乗り込んで去っていくのが見えた。

勝った。

俺はそう思った。

2010-06-21

死ぬほど英語勉強してきたこととは別に関係ない、英語との付き合い

「死ぬほど英語」第三弾。

第一弾: http://anond.hatelabo.jp/20100620143255

第二弾: http://anond.hatelabo.jp/20100621000447

あ、ちなみに俺増田でこれ以外は書いてないです。

ブコメトラバを見渡していて、やっぱりもう一度書き足しておくことに意味あるな、と思ったので。コミュニケーションって難しいよねー日本語ですら。

ブコメの伸び方を見て、やっぱり日本人には英語ってオオゴトなんだなあ、と痛感する。しかし俺はそのオオゴトっぷりが正に問題であると思っている。もっとどうでも良くなればいい。「死ぬほどキヴンジョ語を勉強してきたからわかる、キヴンジョ語学習の限界」というエントリぐらいの扱われかたがいい。そうなったら、英語で不幸になる人がずっと減るはずだ。俺は日本人英語力向上とか心底どうでもいい。だけど日本から英語で不幸になる人がいなくなるといいと思っている。

結局のところ、俺が叫びたいのは、で自分学生には実際に叫んでるんだけど、まあそれは何かというと、「自分英語力にプライドを乗せるのはやめなさい」ってことになるんだと思った。「自分英語ができない」ことを自尊心に対する脅威と受け取って萎縮したり反発したりするのも、「自分英語ができる」と鼻高々に吹き上がるのも、どっちも誰かを不幸にする(そしてその二つは大抵表裏一体だったりする)。俺のTOEICは600点あいつは900点とかうだうだやってたって、ネイティブに対しては所詮フリーザの前の地球人だ。そしてその意味では、死ぬほど英語勉強してきた俺だって変わらないんですよ、ということなんだ。

で、自分で書いたときは全然意識して無かったんだけど、俺が例として挙げた、「指導教官英語表現を直された」「学部生にあいつの英語はだめだと言われた」。沢山の人が、これを「苦杯」もしくは「挫折」の例として受け取ったようだ。「俺はこんなに英語勉強してきたのにこんなに出来ないことがあった!俺の努力は報われなかった!」という愚痴を引っ張る枕詞としての例。

自分の文章を読み返すと確かにそういう取り方もできるなあ、と思った。でも実際は全然そんなことないのだ。例の出来事が起きたとき、まず頭に浮かんだのは、「うっわーアメリカ来てよかったー」という安堵感だった。日本にいたら多分こういう指摘をされることは無かっただろう。アメリカ来て、自分では見えていなかった自分英語力の実態が分かって、これからはそれに合わせて対策をとることができる。よかったなーホント来てよかった。そんな感じ。落ち込む要素は全然ない。

考えてみたら俺は、自分英語力に全く思い入れがない。XBOX360の実績ポイントって知ってる?XBOXゲームには、「実績」という要素があって、例えばあるゲームであるボスを倒すとXXポイント、という風にポイントが獲得できる。そのポイントは各ゲームとは独立ハードウェアに記録されて、色々ゲームを遊んでいくうちにどんどん増えていく。XBOXを起動して自分アカウントサインインすれば、今までの実績ポイントの累積が表示される。現在5480ポイント、とか。

俺にとって英語力は、実績ポイントみたいなものだ。そりゃまあ増えればそれなりにうれしいけれども、別にポイントを増やすためにゲームをやってるのではない。面白いと思うゲームを楽しんでやってたら勝手に溜まっていく。自分の実績ポイントを人に自慢するとか、他人の実績ポイントを見て一喜一憂したりとか、そういうことには何ら興味がわかない。俺のポイントは俺のポイントで、こないだよりは多少増えている。それだけ。

で、そういうわけで俺は、これまでの人生自分英語力に誇りを感じたことも、苦い思いを味わったこともないんだよね。うーん、それでも大学合格した時はちょっと誇らしかったかなあ。地元では周りにやたら持ち上げられたし。でも入学してみたら、同級生には帰国子女がわんさかいた。そもそもお前らもう英語なんか勉強しなくていいだろ、って連中ですよ。誇ってる暇なんか全然なくて、むしろ「クラスメイトからも英語を教われる」ことがすごく嬉しかった記憶がある。だっておっさんネイティブ教師より、かわいいバイリンガル女子に聞いた方が楽しいじゃないですか。授業でわかんなかったとこを丁寧に教えてくれた女子告白して玉砕したのは、まあ苦い思い出と言えなくもない。

真実として、英語は、英語だ。「たかが」でも「されど」でもない。「英語なんか」でも「英語こそ」でもない。英語自然言語の一つ。英語。「死ぬほど英語勉強してもネイティブ並にならなかった」という事例には、俺にとっては何のドラマ性もない。ただ「そうだった」だけである。そうだったからにはどうすればいいのか考えればいいだけである。そこに苦いドラマを見いださずにはいられない人がいたら、その人はたぶん英語をオオゴトにしすぎている。

2010-04-26

僕は他人の事に一切関心を持たないようにしている

この地球上では、自分には無関係な事なのに、知りたがったり、論じたがろうとするアホが多すぎる気がする。

日本は見苦しい「チラ見文化」の国だと思う。

ニュース番組でも会った事もない誰かが殺されただの行った事もない遠い国で災害があっただの放送してるけど

俺からすれば「他人がどうなろうが知った事じゃねーよ、勝手にしやがれ、わざわざ全国に公開する必要なんかねーだろ」という気分になる。

ブログとかでも何かを書く前の枕詞として「どうでもいいけど」「関心はないのだが」とわざわざ書くのがマナーであるかのようにみなされている。本当に興味ないならチラチラ書いてんじゃねー!と言いたくなる。しかも日本の人気ブログはたいてい有名人日常生活をさらしてるだけのもの。世間の人達は、なぜそんなに「有名人日常生活」とかそういう「自分には全く関係がない事」に興味があるのだろうか?

2010-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20100309222944

「そう見えますか…」どころじゃなく、超をつけても良いほどミエミエだよ。

その「そう見えますか…」って言葉には、「現実はそうじゃないけど」って枕詞が隠れているでしょ。そういう風に、一連の言動のところどころに、自分は絶対に条件なんて気にする人間じゃないっていう意思が出ている。

でもね、本当に条件なんて気にしない人間は、もっとあっさり受け流すんだよ。

2009-12-23

2010年参議院選挙後の政治風景

政権交代から約100日。「こんな筈ではなかった」「やっぱり」「意外に」など評価は様々。

こういった評価をぶつけられる機会は2010年夏の参議院選挙ということになろう。

民主党を中心とした3党連立政権に対する信任投票意味合いが大きいことは疑いない。

ただ,選挙結果とその後の政治風景想像しておくのも無益なことではないと考え,駄文をしたためることとする。

1 民主党単独で過半数確保

(1) 民主党関係者の悲願。社民党国民新党などに気兼ねをする必要のない政権運営が可能となり,数の上では相当に安定した政権となる。この場合,国民全体の意思としては「3年間は民主党に任せた。3年間の政治運営があまりにもひどかったら下野してもらうけど。」と受け取られるだろう。

(2) 社民党国民新党にとっては内心面白くない。社民党が持っていた連立離脱カードがほぼ無価値となる。普天間基地移設問題が参議院選挙前に片付いていないなら,この問題に対するスタンスの違いから社民党が連立から離脱することも十分ありうる。

(3) 自民党は解党の危機に直面する。二大政党制による政権交代健全民主制に必要であるとしても,将来の与党候補が自民党でなければならないという必然性はない。

2 非自民・非共産で過半数確保できず

(1) 非自民・非共産というのは1994年細川連立政権のときの枕詞。相当古い。民主党からみると,自民党共産党連立政権を組む相手とはならない。民主自民大連立? 福田元首相時にそんな話もあったけど,つぶれた経緯を考えるとありえない。自民党の一部議員を引き抜いて過半数がとれるかどうかの泥仕合がはじまる。過半数を押さえられれば「ねじれ国会」という最悪の事態は免れる。ただ,気を遣うべき勢力が多く,政権運営は今以上に不安定となろう。

(2) 社民党国民新党が発言力を確保できるかは選挙の結果次第。

(3) 公明党政権に加わらないと参議院の過半数はとれないだろう。公明党中道政党であるが故に民主党連立政権に加わることは十分ありえるとみる。

(4) 自民党民主党の多数派工作に対して防御しきれるかが鍵。あるいは,政界再編を仕掛けるか?

3 民主党単独で過半数には足らないが,3党で過半数

現状維持。社民党の連立離脱カード意味を持ち続ける(ただ,あまりにも理不尽な行動をしつづけると,公明党を取り込みにかかる可能性はありうる。)。

4 3党で過半数には足らないが,公明党を足せば過半数

公明党を入れて4党連立内閣になるだろう。

これらの想像を踏まえつつ,民主党連立内閣への評価を踏まえながら来年夏の投票行動を決めるのはいかが。

追記

参議院選挙時に鳩山由紀夫首相であるかは未知数。選挙を戦えないという評価が固まった場合には辞任させられるかもね。

2009-12-16

高校の頃、同級生から「お前はオタクだ」と渋い顔で認定されてから、自分オタクなのだと何となく意識しながら生きてきた。

そのときのその子の態度、口調、表情の端々から、非難の色が滲み出ていたので、オタクとは一般的に肯定されないものなのだと感じた。

それからオタク趣味を表にせずに過ごしてきた。

普通女の子の生活って面倒なものだな、と思いながら大学時代を乗り切った。

そうしたら段々とオタク趣味は薄れていった。だけど消えはしなかった。だから”自分オタク”という意識も消えなかった。

大学卒業し、正社員じゃないにしろ社会人になり、オタク趣味が始まった中学時代の友人らと久しぶりの再会を果たした。

彼女らは更なる進化を遂げていた。進化しすぎて前が見えない。


まず、ネットで用いられている言葉を当然のように用いる。

ちょwおまww とか、~~ですた、など、風化しつつある言葉も当然のように用いる。

また、「俺の嫁」という言葉を多用していた。

自分が女ならばそこは婿じゃないのか、という突っ込みはしなかった。

伴侶にしたいと思わせるほど魅力的なキャラクターに用いる常套句のだし、

何より「俺の婿」もしくは「私の婿」じゃ語感が悪いのだろうと勝手に思うことにした。

彼女らの嫁は複数いる。好きな作品が出来ればそれだけ増える。多分半年に1回くらい増えている。

果てなく増える逆ハーレムが羨ましいことこの上ない。それだけ惹かれる人物に出会えるのは素敵なことではないだろうか。

(しかし、嫁になる基準のひとつ、そしてもっとも大きな基準を担当声優とするのは頂けない。

これは彼女らが声優オタクになった頃から思っていたのだが、担当声優があの人だからこのキャラクターが好きというのは失礼なのではないかと思う。

キャラクター自身は勿論、その作品を作った方々に対して、そして担当声優の方に対して。

「リナの声が林原さんだから、声優が同じである綾波レイが好き」と以前友人が言っていた。

どちらも作品の中で段々と魅力を増していったのに、声優が同じだから好きだという。ましてや、この2名の場合は性格がまるで違うのに)

友人の一人はこの3月まではニートのような生活をしていたが、やっぱり昔からの夢を追いたいからと言って、4月から声優の育成学校に通い始めた。

また別の友人は、パートで働きつつ、地元イベントmixiなどで企画されたオフ会に参加。今はダンス情熱を燃やしているようだ。

布代に給料を費やし、寝る間も惜しんでコスプレ衣装を作り、イベントがある度にその姿を披露する友人もいる。


正直、今の私には、イベントに行く情熱すらない。欲しいゲームを買って、遊んで、感想を書き込む。それだけで精一杯だ。

このように、未だに色々と活動している友人を見ると、私はそこまでオタクではないのか、と錯覚する。

そして、自分趣味のために生きられる友人らを羨ましくも思う。

少し前まで、私はこの友人らを、自分未来をまともに考えない人たち、と馬鹿にして、見下していた。(自分だって同じ穴の狢のくせに)

だけど、オタクな話をする友人らは心底楽しそうだった。

私は楽しくないわけではなかったけど、彼女らほど楽しめてはいなかったのではないかと思う。

先日の忘年会の際、上司に「若いんだからもっとはっちゃけろ」と言われたが、こういうことなのだろうか。

自分未来が怖いから、色んな勉強をするより、今楽しめることを楽しんだ方がいいのだろうか。

(だけど、今を楽しむと後悔することになるのは経験上よく分かっている)


彼女らの生き方を羨ましく思うけど、だけど私は彼女らのような生き方は出来ない。同じオタクでも。

そう考えたら、自分がとてもつまらない人間のように見えてきた。それでも今を楽しんでリスクを増やすような生き方は出来ない。

私にとってゲームを初めとするオタク趣味は、心身を癒す「ただの趣味」だけど、彼女らにとっては「生きがい」そのものだ。

私と彼女らの違いは、たぶん尊重するべき違いだ。

私がオトナのふりをして、もっと将来のことを考えなさい、というのは失礼にあたることなのだろうと思う。


帰りの電車の中で、友人の1人私に言った。

「今からでも夢を追っていいんだよね」

私は答えた。

「夢はいつから追ってもいいものだよ」

この言葉には、「失敗した際の後始末を全て自分で出来るのならば」という枕詞がつく。

彼女がこの言葉に気づかないことを願うばかりだ。

2009-09-29

人気声優ユニットスフィアプレスリリース

スフィア(戸松遥豊崎愛生寿美菜子高垣彩陽)のプレスリリースが笑える

どのプレスでも枕詞のように"人気声優ユニットスフィア"って毎回必ず書いてある

そのままコピペして記事にしちゃう俺も俺だが

2009-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20090810182954

フェミの言う旦那に依存しないってその程度でしょ

経済的にって枕詞がつくことも多いし

2009-07-31

ようやくヱヴァ破を見てきた

個人ブログにも書いたけど反応が見たいので転載します。ルール違反かな…。


混んでるのは避けたいなあと思いつつなかなか行けなかったんだよね。

エヴァって書いた方が検索に引っかかるかな、と。


さて、「破」を見て思ったのは、いよいよ「悪夢」が現実化してきたかなってこと。


11年?12年くらい昔になるのかなあ、当時生まれた子供はもうじき中学生だ。

エヴァがああいう形で終わり、旧エヴァの天に昇れぬ魂は地上のオタクはおろか業界にまで呪いをかけ縛り続けてきたんだと思う。

アニメ界は一時期エヴァリスペクトみたいな作品が沢山作られたし、エヴァクローズアップされたのかな、セカイ系ライトノベルが腐るほど量産されたし、京アニ作品群(AIRとかハルヒとか)には大抵「エヴァを超えた」なんて枕詞が付く(京アニファンが言ってるだけだろうけど)。

同人誌もものすごかったし(エロばっかりじゃなく考察系や文学系、芸術系も結構多かった)、当時はまだインターネットがそれ程普及してなかったけど、サイドストーリーエヴァアフター物なんてのが溢れんばかりに作られた。


で、結局これって、旧エヴァがアン・ハッピーエンドだったからなんだよね。

幻魔大戦」を書いた平井和正氏は「ハッピーエンド物語の死である」と言っている。

つまり、ハッピーエンドであればもう足すものも引くものも無い、更に何かが続くことなどありえない、無限の可能性は失われ物語は完全に終わってしまうわけ。

エヴァハッピーでは無かったからこそ、せめてファンの手でと、供養の花束を贈り続けることになったわけだ。


でも、ヱヴァは本気で終わらすらしい、しかも見たところ、ハッピーエンドとして終わらす気配が濃厚だ。

エヴァの魂はいよいよ天に昇るのかもしれない、が、それは同時に無限の循環にあった物語が終着点にたどり着くことを意味する。

もうファンはエヴァで遊べなくなるのだ。もちろんパロディという意味での遊びは残っているが、エヴァ世界にはこういう可能性があるかもしれないと夢想する遊びはできなくなってしまう。

これはある意味悪夢」だ。

楽しかった終わり無き日常は終わりを告げる、ビューティフルドリーマーは目を覚ます。

当時、エヴァを心底楽しんでいたファンとしては、続きはもう見たくないと思ってしまう。

ものすごく勝手だけど、続き作らなくていいよとすら言いたくなる。

つらい。

2009-07-02

匿名アロハブロガーはなぜ卑怯者ばかりなのか

http://anond.hatelabo.jp/20090702172450

その人に限ったことじゃないが匿名ブロガーってやたらと予防線はりまくる奴が多い。「おちゃらけ」「勘違い」「釣り」「関心ないが~」とかわざわざ枕詞書かないと気がすまないらしい。自分が書いてるのはネタであってマジレスじゃない、だから批判されてもそれは本当の自分が劣ったと思われたわけじゃない、俺様が本気を出せばもっとすごいんだということにしておきたいんだろう。ゴミカスねらーが「明日から本気出す」というのとなんら変わらない。本気を出してもせいぜい文章が多少丁寧になる程度でクオリティは大して上げれんだろうに。そういう気力も含めたものが実力であってやる気がないのは能力がないのと同じ。脳内妄想で有能な自分を信じ込んでるだけ。

自己評価は高いが他人に批判されても平気なほど自信はない、そういう精神的にアンバランスな人たちが多いんだろうな、ブログで目立ちたがるのには。

2009-05-12

いつから環境問題には「地球のため」などといううさんくさい枕詞がつくようになったのか

いつから環境問題には「地球のため」などといううさんくさい枕詞がつくようになったのか。

環境問題は「環境」の問題であって、人間の「住む環境」を良くしようと言うのが本題のはずである。

環境問題を訴えるならば「環境を汚すとお前も生きて行けないよ」と言えば、よりストレートに伝わるメッセージではないか。そしてそれは全くの本音でもある。「地球の事なんて俺知らねえし」などと言われる事も無いのである。

そもそも地球がそんな事を望んでいるなどと誰が調べたのだろうか。地球はこの50億年地球としてあったし、またこれから50億年変わらず地球であり続けるだろう。その内部にとんでもないエネルギーの対流を今もなお抱えている地球が、ほんの些細な地表のエネルギー活動の変化など気にするはずが無いではないか。そんなものは地球にとっては誤差である。

地球のため」というのはなんともくだらない陳腐なファンタジーである。ファンタジーでは世界は変わらない。21世紀になったというのにまだ人間は「少し先の生活を豊かにする為に、身辺環境を整えましょう」などという単純明快極まりない戒めを、ファンタジー宗教)に頼らなくては保てないと言うのだろうか。なんとも悲しい事ではないか。

2009-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20090427182612

どうやら、「来世でも云々」という言葉に嗅ぎ取れる宗教メンヘラ臭に強い拒否反応があるようで。

その気持ちはわからんでもないけど、そんなに強い宗教意味を持たせずに「来世でも~」という枕詞で強い想いを表現する人たちも居るんだ。そこいらは、教育とか宗教とか、育ち方による影響が大きいと思う。

だからまあ、そう猛烈にアレルギー示さないでいいと思うんだよ。

増田がイヤだっていうなら仕方ないけども。

2009-03-25

森田健作先生マニフェストはそんなにひどくない。

森田健作先生マニフェストがひどい。 - dj19の日記

http://d.hatena.ne.jp/dj19/20090324/p1

dj19さんの日記のほうがよっぽどひどい。

森田さんてひとは全く知らないし、興味もないんだけど

どう行間を読んだら、そんなおかしな日記が書けて肯定的ブクマ

つくのだろうか。

ジャンプ率が高く、勢いはあれど読みづらい文脈や、数値の裏づけの薄い、保守的な論調。

それは確かにひどいが、そこまで言うほどでもない。

んで、

>子ども達の間で「家庭内殺人」「無差別殺人」が「頻発」しているというのは何を根拠に言ってるんだろう?

え、そんなこと書いてありました?サラっと目を通した限りマニフェストのP17には

書いてません。「子ども達の間で」ってのは脳内補完でしょ?世間では、という意味

枕詞として書いているのだと思いますが。その証左として、「それらの元をたどれば(教育が不十分だった)」と段落を変えているよね。

子どもへの教育が不十分だから、殺人が頻発している。ただ殺人を犯しているのが子どもだとは書いてないよ。

ジェンダーフリーの書き方がおかしいのは、確かにそうです。それがなぜ

産経新聞やら安倍さんやら、直接関係のない対象とからめて

ひっくるめておかしいというあさっての方角にとばしてなんとなく悪い、おかしいという方向に行くのか?意味が分からない。

関係ないじゃん、それ。

あ、森田健作先生マニフェストはそんなにひどくない。と書いたけども、比較しての話ですので。

2008-12-15

id:Ubuntu

はてな村古参であり みなに愛されている ほぼ無言キャラであったはずのあなたが

突然 語り出したので 驚きました。

Hatena::Todeskin::G::Ubuntu - todeskinグループ

あなたを誹謗中傷した一部の人々は 骨の髄まで腐り切った唾棄すべき輩だと感じました。

でも とても複雑な気分になりました。

あなたの素早いブクマをいただき 過疎ダイアラーな私でも何度か励まされました。

そのことについては とても感謝の気持ちでいっぱいです。

ただ 残念なことに 悲しい噂は広がりすぎました。

id:Ubuntuを 捨てるべき時が 来たのではないですか?

自分の分身ともいえる名物idです。放り出す気持ちにはなれないとおもいます。

プライベート事情を干渉して悪くいいふらす人の悪質さには腹立たしい気持ちでいっぱいです。

でも もうはてな村人達は あなたのidを見るたびに ネガティブなエピソードを

そのたびに心の中で思い出すでしょう。

口にするのも憚られるような下品な枕詞付きで あの...ね、と ささやき合う時間

継続していくことになります。

それは UbuntuさんとUbuntuさんの大切な人、触れて欲しくない記憶、が 傷つけられ

損なわれていく時間です。

誹謗中傷規約違反としてひとつひとつ消して回っても

あなたのidが現れるたびに 負の感情が他人に起きることを止めることはできません。

ブログ炎上はよくありますが、あなたの場合はid炎上しているのです。

id:Ubuntuさん、おせっかいを承知で 申し上げます。

喪に服す気持ちで idを捨ててください。

いつか 村人達が忘れ去り 静かな時が戻ったら 

新しいidで 気持ちよく戻ってきてください。

悪いことをしたわけでもないのに逃げているようで不本意かもしれませんが

男が大切な人を守る為にはなりふりかまわず捨てなければならない時があるのです。

お金を払ったから 今は安定してうまくいっているからいいという問題ではなく

はてな村の住人として けじめをつけるべきです。

追記1

をかいたおデブさんへ。

id:Ubuntu自分の好きな人格付けをし→好きな人格付けとはどの部分ですか?わたしの好きな人格をなぜ知っているのですか?

レッテルを張り→レッテルとはどのようなレッテルですか?あなたが私にしていることはレッテルはりということはわかりますが。

崇拝し→崇拝?してません。普通の人だと思っています。

自分の意に反した行動→別に意に背く行動をしていないと思います。

途端に批判する→批判していません。

ID部分ををアイドルに置き換えてもおk。→どうやったらそういうひねくれた思考ができるのか不思議です

きもいよ→あなたに好かれなくて本当に良かったと思います。どうぞ嫌がってください。

追記2

ブコメについて

id:Captain-Yの「引退を薦めることで追い出そうとするメソッドに見えなくもない」という

はてぶ名物腹の探り合いによる ネガティブコメントに影響されたコメントがいくつか

(どうして考える必要も無いことを悪くこねくりまわす人がこうもいるのだろう?)

あったのですが id:Ubuntuさんに向けて書いた内容を ご本人に誤解されるのは

残念なので(これでもできるだけ誤解のないようにがんばって書いたのですが

力不足のようで 申し訳ない)はっきり叱っておきます。「id:Captain-Y氏ね

はい 以上です。

その他の似たようなブコメいくつかへ

そもそも 追い出す?ってなんですか?どういう仮想現実脳?

仮に「追い出し」なるものをして 得をする人がいるのですか?

なにがなんでもアラを探してつついてやろう的思考にはついていけません。

追記3

id:Ubuntuの人が今何を思っているかどうしているかはわかりません。

この先どうするのかも どうなっていくかも どうにもならないのかも

ご本人の行動次第で 誰がどうするものでもないことはわかっています。

物事の感じ方もそちらは男性なので私には理解し難い面がありますし。

ただ Ubuntuさんに関する噂の状況を見て

どうしても逃げろと言わずにはおれない気持ちになるような

深い体験が過去にあり あの頃の泣いていた自分

救いたくて書いたということは事実です。(そういう意味ではエゴです)

自分語りをする気はありませんのでこの話はここまで。

ついでid:ululunさん 煩悩是道場 いつも楽しく読んで...

といいたいのですが 近頃 引用が多すぎて 読みにくいです(泣)

たまに 目がしょぼしょぼする日でも さらっと楽しめるような

エントリも混じっていると 嬉しいな(^ ^);

id:sionsuzukazeさんの分析面白いですね。リアルではどこの村にお住まいなのでしょうと

いう想像が膨らむお説です。(土葬とか人柱とか姥捨て山がありそうなかんじの)

よく考えると 村八分空気などどこにも生まれていない。噂が広がったとはいえ

一つ一つの嫌悪感であり一つ一つの弁明なり解説であって連帯はしていないのですよ。

ネット意見を発信していると錯覚するのですが 私たちはパソコンの前にいる時

オフ会モバイルを持ち寄って身を寄せ合っている場合を除いて)孤立しています。

そうだね、こうだね、と 同意しているように見えても 自分の言いたいことを

言っているに過ぎないのではないかとさえ思うときがあります。

連帯の無いなかに村八分空気は生まれようがないのです。

Ubuntuさんを批判した人達は 確かに酷いことばかり書きましたが

彼等を駆り立てた怒りの原因はそれなりの内的な動機なり、理由があるはずだ、

とも 思っています。(渦中の女性への愛やシンパシーではないかと思います)

それらをひとからげに 空気 とまとめてしまうには あまりにも軽すぎる。

2008-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20081214145426

こういうの見るといつも思うんだが何でわざわざ「私は煙草を吸わないけど」とか枕詞をつけるんだろうか?中立性を装うこと自体に気持ち悪さは感じないのかな?

あと気持ち悪いとわざわざとらばするのは声高で気持ち悪くないんだろうか?匿名日記で「歩きタバコ禁止しても良いだろ」といっただけで声高になっちゃうんだろうか?いろいろ疑問が尽きない。

歩きタバコ禁止したら全否定でファシズムになるという感覚の人もいるから、匿名日記愚痴るだけでデモもせず会社通りすがりの人には何も言ってなくても声高扱いされるって事かいな。その場合それに反論してる人を声高扱いしない場合は別に中立でもなんでもないという自覚くらいはあってほしいな。

2008-12-07

「一応釣られておくが」を枕詞にする理由

自分突っ込みどころのあることを書いてる人への配慮としてやってる。

「キミ間違ったこと書いてるけど、意図的に間違えてるわけで本心じゃないよね?」という意味

「まじめに書いてるのに間違ってる」という前提で突っ込むと相手に恥をかかせるための攻撃的議論になってしまうが、釣りとみなせば相手のボケにつっこむ自分というネタになる。

2008-11-24

ものの主張の仕方で少し考えた事を走り書き。

自分意見を述べる場合、日本語だと「思うに-」とか「私の意見としてはー」とか「ーと僕は思う」とか、「ー気がする」とかそういう表現が多い、気がする。

ちょっと違うけど「もしー様のご都合がよろしければ」とか「お手隙の場合」等の枕詞をつけて相手を慮ったりする。気がする。

また、自分の中身を曝け出す場合「恐縮ですが」とかつけて、更に文章を読んでいる相手を上におこうとする傾向が高い、よね?

まあ皮肉で読み手を上に置く場合もありますが。

他の言語はというと、この点について語れる程近しい外国語英語(不得手)位しかないので引用するのも恐縮なのだけれど「In my opinion」とか「From my point of view」とか使って自分の主張だと言う場合もあるけれど、大抵のエッセーでは堂々と「It isー」と書く。日本語感覚だと「I thinkー」とか入れた方がいいんじゃね?と思うような内容でも。「ーである」という断言。思うに、英語の文だと書き手が勝手自分意見を書き散らしている以上、その考えは書き手の単なる愚痴や主張や考えであって、別に社会通念ではないと読み手は受け取る準備が出来ているんだろうな感じました。

余談だけれど、自分受験の時Z会速読英単語の文章なぞ、かなり偏った思考の内容が、著者だけの考えなのにまるで「世の中はそういうものである」という表現で日本語訳されていて、その文化的差異に驚愕した。英単語はちっとも頭に入らなかったけれど。

日本語の場合直接断言的な書き方をすると、譬え直接明文化してなくても、自分の考えは社会通念や常識だからお前ら聞いておけよ。俺の言葉、Hey YO!みたいなそういう受け取り方をしなくてならない雰囲気になってる方は多いと思うのです。

それを更に「常識」って言葉を添えて書くと、書き手の「みんなそういう考えでしょ?これと違う考え方の人って何考えてるの」という空気が漂うように私は思う。ちょっと傲慢な感じというか上から目線が感じられるのです。

討議や議論があって作成した文章ではない、個人の考えとして書かれた文章というものは、書いたその個人の意見であるというのは、英語でも日本語でも変わらないのだから、態々常識って銘打つのは結局の所、読み手に常識と捉えるように指示している命令なのでしょ?と。

まあ議事録公示文など人に読んで貰う為に複数の人間意見を詰めたとしても、書く人が総意をきちんと理解せずに書いてしまえば個人の意見が入りまくるわけですが。

あのYahoo!ブログで物議を醸した文章を書いている人は、日本語文章の場合相手がどういう風に自分の文章を受け取るのか?という点と相手の文章を読んで理解して自分意見を洗いなおす、という努力が欠けているように思えます。まあ一言でいうと傲慢。

4004世代と仰るので分別のつく年齢であると推察出来るのだけれどそれ位のお年の方が傲慢と捉えられてしまいかねない文章を人目に晒すのは趣味か何かなのでしょうか。

ま、この文章もね!世代で言ったらゆとりなんだけどね!うそ!もう少し年上。

さ、仕事に戻ろう。走り書きなのでいろいろおかしな所あったらごめん増田

2008-10-21

外国古典を気軽に話題にする難しさ

http://anond.hatelabo.jp/20081020231740

シェイクスピアヘッセトルストイヘミングウェイホメロス ドストエフスキー

この中だとヘッセ以外ならだいたい読んだよ。

ホメロスって長くて面倒だけど結構おもしろいよな。

神様につく枕詞がいちいちかっこいい。物語自体の意味なんてわからなかったけど、ホメロス読んでると現代文学がおもしろくなる。ジョイスだったり。

たしかに自分のまわりにもほとんどいないな。文系だけど。

でも、もし語れたとしても語る内容が重くなるから気軽にはなせないんだよね。

それだけじゃなくて、少々わかりにくいし意味だってどうとでも取れるから、適当なことを言ったらバカにされそうだし、背伸びしてこむずかしいこと言ったら相手が「うーん」とか言って黙り込むし。たまに原典厨がいて(帰国子女外国語が得意な人に多い)、日本語訳しか読んでないくせに偉そうに語るなと陰で言われることもある。ある意味間違いではないけど、そういうこと言い始めたらなにも始まらない。

本当はドストエフスキーは笑えるほどおもしろいらしいね、大学先生が言ってた。それなのに、私小説あがりの陰気な日本文学史の態度で読むのが(インテリの)マナーみたいになってるからみんな難しい顔して読まないといけないようになってしまってると僕は思う。たとえばアメリカビートあたりはもっと楽しく読めるけど、そういう明るいのは正当に評価されないし。実験作品でも笑えない言葉遊びだけが文学的に評価されて笑える言葉遊びは評価されてないと思う。

それから、読んだことの見栄や既得権意識邪魔してる。今でも憶えてるけど、僕が高校生の頃ライ麦畑でつかまえて学校図書館で借りたら「おっ、ライ麦か、ふーん」と読書家の友達からちょっと上から目線コメントされたことがある。

似たような感じだとドストエフスキーだったら3作読むだけでも大仕事なのに、「地下室読んでないの?あれは基本だろ!」とか「死の家の記録は彼の転換点なんだから、読んでないなら彼を語るな」とか「ニーチェも読んだ?バフチンは?読まないとダメだよ」なんていくらでも言われる。読んでることが既得利益になってる、情報ならなんでもそうだけど。そうやって見栄を張るための道具になってて、さらにはプロ批評家同士が勉強不足をなじることで議論に打ち勝って原稿料をせしめるというシステムすらあるから、なかなか声に出しずらいんじゃないかと思っている。別にアホな感想でもいいから気軽に楽しく読んで話せたらいいのにと思うけれど、そういうつっこみが怖くて誰も語らないからどこに行っても話題にならない。

結局読書自己完結なんだから良いのかもしれないけど、読書は上からありがたく拝見させていただくだけ、という図式になってるのが問題なのかなと思う。この形式は読書感想文なんて最たるものかもしれない。一人で静かに書いて先生にみてもらう。そして先生が採点する。そういうのより、みんなで3冊ほど読んで、昼ご飯食べながら2時間くらいしゃべったりしたほうが、活字離れはなくなるはず。逆にマンガみたいなのは下からの支持があって成立するからみんながわんさか話し合って業界全体が盛り上がれる。ただし、みんなにみてもらわないと成立しないというのは弊害もあって、萌えなんかの要素に頼ったり、似通った感動パターン作品を量産してしまう欠点はある。そういうのがあって深みがないだとか他の分野から言われることもあると思う。ライトノベル携帯小説の強みは楽に読めて楽に人に勧められる点にあるのかもしれない。

殴り書きしてみたけど、こんな感じかな。

もしかしたら、こういう風にきまじめな分析をしてみたがること自体が気楽に話せなくなる理由の一つかもしれないけれど。

とりあえず、ここで気楽に話してみたらどうよ?

2008-09-26

枕詞が抜けてんじゃね?

(1)

携帯で読めるように】短く文を切る。

携帯で読めるように】意味よりもテンポが重視される文体。

(2)

【なんでそこまでして携帯小説読むかというと】メールの延長ぐらいでしか文章読めない小中学生(並の人)向けだから。更に付け加えるならばそういう人向けに『感動』を手軽に切り売りする目的の娯楽物。

で、

(3)

小中学生(並)の人間相手だから】イディオムは不要。

小中学生(並)の人間相手だから】内容は(背伸びしたい)子ども向け、エロ・グロ・バイオレンス主体。

…とまあ、そんな風に、

 携帯というスタイル必然的に要求する枠(1)

 携帯電話現代社会の中で持つ文脈(2)

 その条件と要請の下で築き上げられた文化(3)

定義すれば大体規定可能。枕詞をはずすと、物の本質が見えない。基本は「枠」が生み出した一つの文化でしょ。たとえば

 (1)5/7/5というスタイル

 (2)暇な町人が難しいこと知らなくても取り組める娯楽

 (3)さらなる暇人の手によって進化

…という形で規定できる俳句と同じ。(近代俳句はまた別規定だけど。)

英語圏外国人ケータイ小説とは何かを説明するには?

http://anond.hatelabo.jp/20080926101510

2008-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20080820212803

この事件に言及するときは必ず枕詞として

「亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、遺族の気持ちが少しでも納得できる方向に向かうことをお祈りいたします。」をつけろっていうことですねわかります。

このblog主が何回話題にしてるか知ってるの?そのたびに枕詞つけろって?

どうせホッテントリさまよってたらたまたま見つけて脊髄反射したんだろうけど、たいがいにした方がいいよ

------------------------------------------

追記

まくら‐ことば【×枕▽詞/×枕言葉

「まくらことば」を大辞林でも検索する

1 昔の歌文、特に和歌に用いられる修辞法の一。一定の語句に冠してこれを修飾し、または語調を整える言葉普通は5音、まれに3音・4音などのものもある。「あしひきの」「たらちねの」「ひさかたの」など。冠辞。

2 前置きの言葉

3 寝物語。枕物語

2の意味で使ったがなにか?

2008-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20080715160604

うわ、タイトル間違えた・・・。

枕詞はつけてるつもりです。

「申し訳ありません、いまお時間よろしいでしょうか」て感じで。

人の善意に期待しすぎ、といわれればそのとおりかもしれません。

そんなの自分でやればすむこと、ですから。

ただ、向けられているのが善意ゼロなのか悪意アリなのか、に

気づくのに時間がかかったのだと思っています。

2008-05-26

犯人派遣社員の○○××で、……」

いや、まあ、確かに、派遣で働いてる人間会社員ではないし自営業でもないし無職と言える状態でもない

だから、「派遣社員の」という枕詞になるのは問題ないんだが、何故かなにか引っかかる

ニュースで聞き慣れていないというだけの違和感であることを祈る

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん