2008-11-24

ものの主張の仕方で少し考えた事を走り書き。

自分意見を述べる場合、日本語だと「思うに-」とか「私の意見としてはー」とか「ーと僕は思う」とか、「ー気がする」とかそういう表現が多い、気がする。

ちょっと違うけど「もしー様のご都合がよろしければ」とか「お手隙の場合」等の枕詞をつけて相手を慮ったりする。気がする。

また、自分の中身を曝け出す場合「恐縮ですが」とかつけて、更に文章を読んでいる相手を上におこうとする傾向が高い、よね?

まあ皮肉で読み手を上に置く場合もありますが。

他の言語はというと、この点について語れる程近しい外国語英語(不得手)位しかないので引用するのも恐縮なのだけれど「In my opinion」とか「From my point of view」とか使って自分の主張だと言う場合もあるけれど、大抵のエッセーでは堂々と「It isー」と書く。日本語感覚だと「I thinkー」とか入れた方がいいんじゃね?と思うような内容でも。「ーである」という断言。思うに、英語の文だと書き手が勝手自分意見を書き散らしている以上、その考えは書き手の単なる愚痴や主張や考えであって、別に社会通念ではないと読み手は受け取る準備が出来ているんだろうな感じました。

余談だけれど、自分受験の時Z会速読英単語の文章なぞ、かなり偏った思考の内容が、著者だけの考えなのにまるで「世の中はそういうものである」という表現で日本語訳されていて、その文化的差異に驚愕した。英単語はちっとも頭に入らなかったけれど。

日本語の場合直接断言的な書き方をすると、譬え直接明文化してなくても、自分の考えは社会通念や常識だからお前ら聞いておけよ。俺の言葉、Hey YO!みたいなそういう受け取り方をしなくてならない雰囲気になってる方は多いと思うのです。

それを更に「常識」って言葉を添えて書くと、書き手の「みんなそういう考えでしょ?これと違う考え方の人って何考えてるの」という空気が漂うように私は思う。ちょっと傲慢な感じというか上から目線が感じられるのです。

討議や議論があって作成した文章ではない、個人の考えとして書かれた文章というものは、書いたその個人の意見であるというのは、英語でも日本語でも変わらないのだから、態々常識って銘打つのは結局の所、読み手に常識と捉えるように指示している命令なのでしょ?と。

まあ議事録公示文など人に読んで貰う為に複数の人間意見を詰めたとしても、書く人が総意をきちんと理解せずに書いてしまえば個人の意見が入りまくるわけですが。

あのYahoo!ブログで物議を醸した文章を書いている人は、日本語文章の場合相手がどういう風に自分の文章を受け取るのか?という点と相手の文章を読んで理解して自分意見を洗いなおす、という努力が欠けているように思えます。まあ一言でいうと傲慢。

4004世代と仰るので分別のつく年齢であると推察出来るのだけれどそれ位のお年の方が傲慢と捉えられてしまいかねない文章を人目に晒すのは趣味か何かなのでしょうか。

ま、この文章もね!世代で言ったらゆとりなんだけどね!うそ!もう少し年上。

さ、仕事に戻ろう。走り書きなのでいろいろおかしな所あったらごめん増田

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