はてなキーワード: ブログ界とは
今更だが、はてブで http://www.atmarkit.co.jp/fjava/column/andoh/andoh53.html が人気だったのでまとめてみた。(末尾Eは英語)
まずはその記事にあった、16あるけど購読するべき15の開発者ブログ一覧(一部追加あり)
で、偏ってるんじゃないのとか、あれないよね、みたいなのとか、その時の http://reader.livedoor.com/ranking/hot.html とかから集めた、14しかないけど購読するべき15の開発者ブログ
あと、企業ブログじゃないけど、 http://reader.livedoor.com/ranking/subscribers.html から、これも購読するべき15の開発者ブログ
さらに、 http://gihyo.jp/dev/serial/01/alpha-geek にある、もっと購読するべき15の開発者ブログ
まだまだ、 http://geekdb.jp/ とか、 http://jibun.atmarkit.co.jp/lcom01/rensai/comrade01/comrade01.html とか、 http://bizmakoto.jp/bizid/kw/newgenchronicle.html とか、 http://web-engineer.buyuden.net/buyuden/ とか、これでも購読するべき30の開発者ブログ
あとは個人色強め、社会派、学者派、ビジネス派もある、これは好きにすべき15の非開発者ブログ
これ無いとかこれ違うとかあったらよろしく
そのお人良しさを利用されつくし精神をすり減らした後ポイ捨てされる
人を都合良く動かしたい時のマジックワードの一つに過ぎない
自尊心を傷つけまいとしてかける言葉→「相手ではなく自分が変わるしかない」
本音→「相手を従わせるか対等に話し合えるだけの力が無いなら迎合するか従う他選択肢が無いだろ 力が無いのに面倒事起こさないでね」
追記
相手のせいにしすぎて回りの形勢が見えなくなるのも考え物ですが
原因を内面に求めさせて現実から目を逸らせようというのはマインドコントロールの一種
例1:「○○だからいじめられても仕方が無い」
例2:「あなたが・・・だから」
ブログ界隈によくいるああいうの真に受けて周囲の状況から目を逸らして自分の内面を責めてる人達って可哀想
金と心を搾り取られてるなあ
ああいうのを見ると洗脳を解いてあげたくなる
そこでこの記事を書いた訳です
ここで言うイスラム金融とは、してぃとかうおーる街とかの対比。
イスラム金融の主なポイントは金利。利息や利子を交えないところがポイント。他方、20世紀に猛威をふるった資本主義は利子、複利万歳の世界。リスクを計算して投資対利益比率だのなんだので利率は「%で」、だからサブプライムみたいのが売れる売れる。
お金でお金を稼ぐことができるのに、なんでお金のために労働するのか意味わかんないよ!
バカでお金がねえやつを働かせればいいじゃない。
大企業に就職するのがそんなに安定ならその大企業の株をかえばいいだけじゃないか。みたいな。
ひとにぎりだけどそういう傾向があった。ぐりーどだ。
世界で流通するお金は倍々で増えていき国家間でも制御できない事態に。で、資源高で先物市場が暴走して、あげくサブプライム爆弾。だけど、これも振り返ればびっくり水ぐらいの効果しかなかった。今でもお金は膨らみつづけている。
というのがここまでの流れ。
日本はここにきて、キムタケの銀行をつぶした。それもペイオフ発動という形で。
これは日本の近代史的にもとんでもないことだとおもうのだけど世間的には存外おちついていて社会不安に発展していない。ある意味でいいことだが、あるいみで悪いこと。民衆の愚鈍さをあらわしている。
せめてブログ界隈ぐらいでも盛り上がってよさそうだけど、みんなおっかないのか口をつぐんでる。おれもおっかない。
まだオールドメディアがある程度コントロールできるのだなと思った。
話しがそれた。
この銀行がやろうとしたのは一貫してリスクマネーの取り扱い。リスクがあるお金の貸出をやって、その分きちんと利息をつけようとした。実態はともかくポリシーは悪くない。今の日本の銀行は雨の日に傘をとりあげて、晴れの日に傘を貸しつけようとするとか揶揄されちゃうぐらいのやくたたず。そこに立ち向かおうとした。無茶しやがって。
政治だか官僚主導だかしらないけれども、消費者金融をしめだ作戦は順調にいっている。
消費者金融は現在ほとんど銀行に吸収されている。全てが低金利におさまろうとしている。
キムタケ銀行がああいう形でやられちゃったのをみるとなんかもうイスラム金融でも標榜しているのかなと思う。わるくはないが市場主義ではない。
この揺り戻しは違う形になってまたどこかで現れるとおもうのだど、それがどういう形であらわれるのかは今からハラハラドキドキ。いままでの既存の道を明確に否定したのだけど、じゃあどこにいくのかがいまだ見えない。
多分イスラム金融なのかなとおもうのだけどどうだろう?
だとすれば次に来るイベントはなんだろうね。
為替の介入はほとんどないとおもっていたので、正直おどろいた。
意味ないよね?あらがえないよね?
関係組織のために逃げ場をつくったのかなとかかんぐっちゃう。
http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20090905/1252129864#c1252191636
つーかもう何を言われても絶対に譲歩も妥協も肯定もする気はないんだな、と思う。
そう、猿が単に一言、ちょっと言い過ぎたかなと言えば、ちょっと譲歩して理解する余地をつくっておけば、なんてことはない問題だったんだ。HALTANのほうはそういう努力をしてるし。
猿が「理解する気がない」と言ってるのは、自分たちの文脈に乗ってこないから、だから「理解」がないと言ってる。で、HALTANが言ってるのは、その文脈に由来する認識の歪みに俺はついていけませんと。その文脈というのは、猿が日頃の戦争責任問題関連でも同じ文脈で論じているものだから、あからさまにそう言われてしまうと、大げさに言えば猿の存在が否定されかねないことになる。なぜなら、戦争責任問題の取扱についても、同じような歪みがあることになってしまうから。
もちろん、誰にでも文脈に由来する認識の歪みはあるのだけれども、猿やあの手のはてサの連中は、理屈で論じて自分たちは正しいと信じて、そこから一歩も動かない。自分に歪みがあるとは思えない、あるいは思わないようにしている。だから妥協ができない。
ハルタンが「俺はそんなこと言ってない」と言ってる件には何も反論できないから
議論できない、と苦し紛れに言ってるだけとか。
猿は、そうはいってもブログ界では一目置かれるというか、あのテーマに興味のある人ならそれなりに知られている人だから、ここで引いては信者たちを引っ張っていけなくなる。映画好きの中年オヤジの議論に負けてられないんだよ。だから、意地になる。外部の人間を見下して信者をまとめるのはよくある手法だ。
あの記事に星つけてるやつがどんだけ党派性でもの見てるかよくわかるわ。
という結論に至るわけだ。トリアージの話で猿がマヌケをさらせばさらすほど、意固地になればなるほど、得意分野の戦争責任関連の記事に対する信用がなくなってしまい、ついていけるのは「党派」の仲間うちだけになる。
猿に負けを認めろとは言わないが、この件についてはもう触れないほうがいい。損なだけだ。
ああ、お前か。
コメントしようかと思ってたんだけど承認制になってたからよしてたんだった。だからいま言うよ。
まぁ、ハックルちゃんと大体論旨は同じなんだけどさ。
非常に危険な領域
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090723/1248279206
読みたくないなら読まなければいいのだ。
これな。引用された時点で俺が言いたいことは分かるよな?
公開してるブログって時点でお前にそんなことを言う資格はないのだ。
ましてやはてブは一応外部サイトだ。そこで何を言おうが自由だ。
しかもお前は、はてブの存在を知っていた。
その上、好意的な理由でホッテントリになるとしたならば、
それは好ましいことだと淡い期待はしていたであろう。
甘いんだよ。
ちゃんと読んでもらえれば、冒頭の「伯父の家族エピソード」というのは話の導入部にすぎず、「僕の問い」の本質は後半に集約されることがわかってもらえるはずだ。
なのに、書いた本人としてはどうでもいい(もっと言えば無くてもよい)前半のエピソードの枝葉末節をあげつらっての批判が大半ではないか。
ぜーんぜん、分かってない。
読者はな、お前がセクハラ云々のエピソードをメインディッシュとして書いたのではないことぐらい、百も承知なんだよ。
その上で、お前が何故叩かれたのか検討してみようか。読者の「森」が何か、考えてみようか。
つまりだな、「お前が言う『僕の問い』とかいう哲学的な思索だかなんだかを語る上で、
さらりと自分がやらかしたセクハラを、さして『気持ち悪い』とも思わずに公言してしまった厚顔無恥ぶり、鈍感さ、そこに起因する気持ち悪さ」に不快感を示しているんだよ。
自覚しつつ「俺ってきめぇでしょ?ブヒブヒ」とばかりにセクハラエピソードを入れたわけじゃないんだ。
思索のネタとして使う材料としては、あまりにも気持ち悪いエピソードを平気でチョイスできた、
お前の非常識ぶりに生理的な不快感を示したんだ。分かるかしら。
いいか、そこが読者にとっての「森」なんだ。お前は気持ち悪い、と言いたがってんだ。いいな。
「お前の論点はどこにあるか」ってことなど、読者にとっては「木」なんだよ。
そこをお前は理解できていなかった。
そんで、お前を叩いた読者たちの「森」がなんであるかを理解していただいた時点で、話そう。
そう、これはハックルちゃんの言うとおりいわゆる「いじめ」だ。お前の人格そのものを否定しているんだ。
お前の考えの正否などどうでもいい。
「JKだかJCにセクハラしてビンタされた後に、したり顔してはてななんぞに思索らしきものを書き、あげくのはてに『やれやれ』などと余裕ぶってるキモヲタネット弁慶」という人間を、とりあえず叩いているんだ。
「そういうことを書くあなたの人間性の根底に女性への蔑視が隠されていて…」なぞをかます輩がいるかもしれないが、そういうイデオロギーの流布や僕の深層心理の分析は存分にやってくれ
さっきも言った通り、これは実にポイントがズレているんだ。
分析をしているやつがいたとしても、それはお前への批判の副産物だ。
いいか、「お前は『きめぇ』と数万人に思われた」。これは厳然たる事実なんだ。
そんでだ、いじめっこが弱者らしきものをいじめている場合、いつ興奮するかなんだが、
「よわっちいくせぇに虚勢は張って、でもビビってるのはバレバレ」って状況なんだ。分かるな。
ν速だのVIPだののスレのまとめブログとかを見てみることを勧める。
定期的に、彼らは「いじめ」をしている。いいかどうかは別として、している。
そんで、ターゲットは、大体「虚勢を張ってはいるが、実はビビってる」。
はてブ民はν速民と結構住民層がかぶってる気もするし、これは参考にした方がいい。
だいたいこのエピソード自体が全くのでたらめ、フィクションかもしれないではないか。
いま言ったような視点でこれを見てみろ。お前、ビビってんだろ?
いいよ。認めないでも分かるよ。それを悪いとも思わないよ。
ただ、虚勢を張ると彼らは面白がるよ。そもそも「否定はしない」とか言ってるなら、
あんなに長文で「やれやれ」などと愚痴らない方がいいよって話になる。
俺は常々こう思ってるし、子供ができたら「社会の現実」として教えようと思っているのだが、
悪いのは、いじめるやつ。
原因は、いじめられるやつ。
ショックかな?でも、リアルでいじめられてるやつの7~8割って大体変人だろ?そうなんだよ。
もちろんそれを「いじめる側の論理」として使っちゃいけない。いじめはいけない。悪いことだ。
ただ、実際に起こったら、いじめられてる側がそれを主張しても誰も聞いてくれないんだ。
そういうことなんだ。
勢いで書きました。
傷ついたかもしれない。だけど、これは分かってほしかった。
ちなみに自分はいじめるつもりはない。ただ、君にはそいつらの一人にしか見えなかったかもしれない。
だとしたら、ごめんよ、とだけ言っておく。
ハックルちゃんと言ってること結構かぶってるけど、直接君に言いたかった。
どうしても怖かったら、別垢でブログを再スタートするのもありだと思うから、
・キモいって言われないように気をつける
・言われたら「(´・ω・`)ショボーン」となりつつも気にしない、少なくともそれに対するリアクションはしない(犯罪自慢等ならともかく「キモい」程度の炎上だったらガン無視した方が実害は少ない)
・ましてや「俺が言いたいのはそこじゃねぇよ馬鹿どもが」って態度をとらない
・「キモ認定された」記事(≒はてブ界での一種のトレンド)をネタにしてまた記事を書くと、「あなたそのもの」に「キモキモブランド」がつくので注意
http://d.hatena.ne.jp/lovecall/20090401/p1
まぁ、当然と言えば当然なんだろうね。
昨日まで公表されなかったのは期末だからかね?
なにより、アルカーナの社長は彼女のようなタイプの人間を何のために雇用したのだろうか?
彼女が公演の様な形で喋っているのを聞いた事があるが、はっきりいって優秀とは言えない人材だと感じた。ブログ界隈で有名だったから、会社の売名のテコ入れとして、というのが本音なんじゃないだろうか?確かに、ブログ上の記事には魅力的なものもあるが、現実で喋っている彼女はどこにでも居るOLでまったく魅力を感じなかった。それとも、みんな気づいてたけど口には出さなかっただけなのかね?ブロガーとしては優秀だったかも知れないけど、社会人としては正直微妙で一緒に仕事はしたくないって。
一昔前(大体2年位前か)、世界のフラット化という言説はブログ界隈で物凄い流行を見せた。
知と富のフラット化により、世界は大きく変わる。今後の世界は、今までのやり方では渡って行けなくなる。
多くのブロガーがこの言説に乗っかった。
フラット化により縦割りの硬直化した組織は破滅し、自由で伸び伸びとした知的生産活動ができるとされ、
また、知識はネットにより瞬間的に共有化されるため世界の知産労働者は互いに協力し合い、
素晴らしい成果を上げる事ができるようになるといわれた。
多くの知識がネットにあふれ、それに溺れまいとブロガーたちは日々ライフハックの知識を出し合った。
だが、フラット化という魔物(そう、これは魔物だ)がもたらしたのは知の平滑化だけではなかった。
彼ら知的労働者が大手をふって大歓迎していた距離が0の世界にどんどん近づいていく中で、
知産では無い、単純労働力の平坦化すら始まっていたのだ。
日本においては、安い労働力を求めてのアジア圏への工場移転がそれである。
時間が進み、単純労働者が派遣に塗り替えられ、基礎的な経済力さえ失いつつある中、
盛んにフラット化を喧伝していた連中の言うことが単なる詭弁であることも明らかになっていく。
世界は一面的にはフラットになってはいたが、しかし完全にフラットになることは決して無いのだ。
人間というものは、結局は肉からなる動物であり、肉体によって感じるリアルを捨て去ることなど出来はしない。
首都圏や地方の大都市圏に留まっていることを説明しなければならない。
本当にフラットになっているのであれば、世界のどこに居ても高い知的生産性を発揮することが出来るはずであるのに、彼らはそれをしない。
何故か。それは、彼らは自分の肉体が存在する場所によって、自分の生産性が変化することを知性なり、直感なりで理解しているからだ。
肉体を介して言葉を交し合うことが知的生産にきわめて有効であることを彼らは承知している。
金を出してくれるスポンサー(雇用元の企業)の元で知的生産を行い、日々勉強会に励むのだ。
大都市圏で暮らすということは、平均以上の高い経済性を維持する必要があることを意味する。
日々暮らすための金を得るための労働に追われてしまえば、知的生産に励むことは難しい。
経済的に言えば、フラット化を叫ぶ人間のほとんどが、派遣村に居るようなその日を暮らすのにも苦労する立場にはない、
もし彼らがこのことを知りつつフラットであることを肯定し続けているのであれば、
それは単なる詭弁であり、邪悪な偽証であるとしか言いようが無い。
フラット化によって知識が共有されるようになった、そのことは肯定するべきだという向きもあるだろうが、本当にそうだろうか?
確かに、二年前に比べ現在のネット上の情報は精度も高く、素晴らしいものがあるといえる。
だが、質の高い情報が人類の共有財産になったといえど、それを活用できなければそれは人類にとって宝の持ち腐れである。
さらに悪いことに、この共有財産は労働力のフラット化の煽りを食らっている単純労働者たちにとっては富を生むことの無い無駄な情報である。
無駄な情報などではない、ネットで学んで単純労働から脱せと思われるかもしれないが、
知産階級が増えることは、同時に知産階級の椅子取りゲームの参加者の増大を意味し、いずれあなたの立場を危うくすることになる。
本当にそのように考えていてよろしいのだろうか?
答えは出ている。よろしくないから、ネット上にある知識は単なる知識に留まり、本当に価値ある情報は「オフレコ」として
これまた肉体、リアルな関係性を介してのみ伝えうる情報(=経済的武装)として担保されているのだ。
フラットな世界がもたらした共有知で真に富を生んでいる、生みうるものは、ごくごくわずかだ。
知る限りでは、経済的評価を下せるものはLinuxカーネルやいくつかのオープンソースプロダクトと、
一旦破壊されつくした後に再構築されつつある音楽配信、そのくらいのものだろう。
Googleなどのウェブ企業がもたらしているサービスは、その会社の所有物であり、
フラット下における生産物であると言うことはとてもでは無いが不可能だ。
そのほかのものは、趣味的な充足が可能、といった程度であり、富を生み出すには到底至っていない。
フラット化が生み出す富がたいしたもので無いのに比べ、
無料の情報が強力になりすぎることで、情報の経済価値が物凄いスピードで落ち込んだ。
出版不況は構造的問題も叫ばれるが、情報の無料化を無視することはできない。
デジタルメディアに金を出すことがバカらしいという認識も世間一般に広まり、
情報産業を守護し発展させていくべき立場の者ですら、情報に金を払うことを止め、ファイル共有ソフトの活用に勤しんでいる。
企業は距離が無くなった世界のなかで、より税金と労働力が安い国を求めてさまよっている。
結果、先進国と途上国の経済格差は解消されつつあるが、それは途上国が発展していると同時に、
これまでの富国が経済力を失っているということでもある。
世代の中で、金を得ることが出来ない人間の割合が増えていっているのだ。
距離が、経済が、知識がフラット化することで、それを利用できるくらいに富んでいるものは更に富み、
利用できずに貧しているものは、窮するのだ。
所詮人間は個体間差を感じなければ生きていけない。動物だからだ。
動物だって個体差があるから、例えば同じライオンでも、子供を残せるものと残せないものがある。
肉体という頚木を人間の知性が上回ることは、どんなに科学が発展したところであり得ない。
科学は人間の動物性をなだめることくらいにしか、役に立たない。
世界は慣性に乗り、このままのスピードで平坦になっていくだろう。
だが、完全に平滑化された次の瞬間に平坦を望まない誰かが均衡を崩す。
ユートピアの夢は終わり、破局が訪れる。
以上、いまさら的なたわごとでした。
wikiによると
ということらしいが、
関係ないぜーとか思ってた。
(だから「あわせて読みたい」とか
まあパーツのデザインとかも悪いんだろうが…)
なぜかって?
メインコンテンツである「絵」で勝負するわけだから、
介在させる余地がない。
結果として絵描き側の取り組みもテキスト系より手薄になってるんじゃないか。
少なくとも俺はそう感じる。
それはそれでちょっとどうかと思う。)
じゃあ代わりになにか無いかって話を知人ととしていたら、
というあほな素敵な提案があった。なんだそれ?
まあ、つまりこういうことらしい。
名づけるならば
「JSO=(Junkai Site Optimization)」なんだと。
その手法は次の3点だ。
今ならば「東方」が適切な例だろうよ。
あ?設定を知らないor設定が複雑で踏み込めない?
お前は明日からでもこのジャンルで描いていけるさ。
見て、売れてる絵柄を一生懸命マネしてみろ。
ただ、丸トレスは叩かれるからやめておこうな。
恥ずかしがっては駄目だ。
するようになるハズだ。多分。
支離滅裂かもしれないけれど聞いてください。
僕は向上病という病気にかかっている、と自分では思っている。
以前、ブログ界隈で話題になった天才という病の亜種かもしれない。
小さい時から数学的に物事を理解するのは上手かった。けどそれ以外の、特に日常生活に必要なことはてんでだめだった。
いつからか、親から増田君は天才だもんねーと言われるようになった。
中高で数学に目覚め、物理をやる前からビリヤードの軌道を理解できた(ただし、モーメントは無視の話)。
突然裏紙を持ってきて、カリカリやったり。
そのたびに、天才だからねーという理解の拒否にあってきた。
ただ単に自分に合っていて、ただ単に楽しかっただけなのに。
大学に入ってこのままではマズイと思い、大人数のサークルに入った。
恋愛もした。自分の分野と関係ないこともたくさんした。後輩の世話もした。それでも埋まらない、何か。
サークル生活の中で、数学とは限らなくても、一人で突き詰めていくことが結局のところ自分には合っていて楽しくてしょうがないということに気がついてしまったのだ。
結局自分の根っこにある部分は、人との交流の中にあっても変わらなかったのだ。
それどころか、はっきりと自覚してしまったことで、人との距離感をより強く感じさせる結果になってしまった。
いつからか、自分が毎日少しでも成長していないと我慢ならない体質になっていた。
見た目も少しずつ良くしようと、洗顔料を毎日使って、ローション塗ったりしてフェイスケアしたり、どうしても爪が割れてしまうので、マニキュアをつける前に爪の強度を強めるベースコートと呼ばれる液を塗ったりした。(女性だったら不思議でないかもしれないけど、男です。)
喋り方とか女性の口説き方とか本読んで勉強したり、心理学の本を読んで相手がどんなことを考えているかを理解できるようにしようとか、あらゆる手を尽くして、成長しようとしてしまう。
同時に、成長しない他人を見るとイライラするようになってきた。昔は同じ目線で話を聞いてあげることが出来たのに、今はどうしても上からモノを言ってしまう。
でも、向上心の塊なのに、自分はどこか受動的だ。やはり結局のところ他人を知ることよりも、自分を知ることのほうが大事になってしまったのかもしれない。
こんな自分がイヤでたまらない。もっと世界と繋がりたい。でもつながる要素がない。
今の自分を振り返ると、「これが自分です」と堂々と提示できるものがないのが悪いのかもしれない。
たとえある分野が人より優れていたとしても、より上がある限り満足できない。
ちっぽけなプライドだと思う。けど捨てるに捨てられない。
ハッキリ言って寂しい。どうやったらこの心のスキマは埋まるんだろうか。
「経済学者なら経済全般知ってるはずだ/知ってなければおかしい」っていう
変な期待があるせいじゃない。で、勝手に期待して勝手にがっかりするっていうバカな大衆と、それを見越した売文家。
(というか、他の学問だってそうだとおもうんだけど。物理にしたって大槻教授がプラズマ超えて色々答えなければいけないとか。)
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そういうところを鑑みれば、本人の言ってるとおり、バーナンキの背理法で否定される命題は、
existence,uniqueness(or for-all proposition)を含んでるから、リフレ派の言いたいことは出てこないかもって、
いう程度で収めてあげるのがいいんじゃない。
本当は本人の矜持として、マクロなんて畑違いに口を出さないのがいいんだろうけど、マクロは既にぐちゃぐちゃだしさあ。
若手のホープっぽい先生もエネ庁の審議会とか早速、研究と畑違いなところに駆り出されてるし。
それを引っこ抜いてきた親分の先生だって純粋なゲーム理論家でしょ。
官庁からすると畑違いで、事務方の言うことを素直に聞く人のほうがいいってことだろうな。
ブログの文脈だと、やはり経済学の専門的教育を受けたわけでもない、
生半可な人たちが、自分たちの信念の補強のために経済学を使ってる。
サンプルバイアスのせいかわからないけど、リフレ派とかなんと言って分からないけど、ある種の強い命題を持った人たちが
アルファブロガーなりなんなりで存在していて、それが経済学界と別の判断基準を持って、
経済学者の言説を判断してる。自分の凝り固まった知識と価値観でもって。
っていうか、僕らの仕事として見たら、けっこうしょうもないところで叩かれてるよなあ。
たとえばJRの花形で働いていますっていったからって、その人がルミネとか駅ナカビジネスの担当なら、列車運行とかきちんと知らなくてもしょうがないでしょ。JR職員でない鉄オタに負けるってことも。(ただJRという全社的にどうしたらいいかっていう感覚はあるかもしれない。)
陰謀論とかくだらないと思うけど、アルファブロガーっぽいリフレ派の先生がその若手のホープと喧嘩したときの「ドキュソ化計画」とかも微妙だよな。あの人のパターン見てると、その若手とか児島とかマクロ専門でない人といったん仲良くしてから、
どこかで突き落とすみたいな。でも、マクロ専門の人は最初から眼中にも入れない。あと、仲良くした人と喧嘩するときって、
彼らの専門自体じゃないしさあ。メカニズムデザインとか、よくわかんない数理とか。
なんというか「経済学者と僕は知り合いだよ、しかもやつらの理論のおかしいところも指摘できるよ」って身振りじゃないかしら。
東工大系のゲーム理論家は気をつけたほうがいいね。彼らは本当に余計なこと言わないけど。
ともかく、ブログ界なんて有象無象のところで議論しても、収拾つかなくって、しかも(ろくに専門家の話を理解しようともせずに)「議論しようぜ」的な態度で絡み続けるから、うざいだけだってこと。本とか紙媒体でコミュニケーションをしていた頃には、噛み締める時間があったんだろうけどさ。ブログじゃなくて、ホームページでもそうか。(単にスタイルシートがあって編集が楽だからってことでmコメントなしのブログにすると文句言われる今日この頃。)
ケーザイガクシャを超える見識を持つ方々はほんと今すぐにでも、とりあえず宮廷とかの公共とかビジネスとかに入って推薦状とって、それで海外留学したらいいんじゃないの。そんなよほどの見識もってるんなら、あとは英語さえ頑張れば、初任給1000万円くる世界が待ってるんだしさ。見たところ、ダンコガイ以外で経済学周辺でごちゃごちゃ書いているブロガーってそんなに稼いでないっぽいし。でさ、社会人だったけど経済学に興味持ち始めたから、よっしゃといって大学院はいってるなんて、海外だとざらでしょ。中国人でさえもさあ。SEでルサンチマンしてるよりかはよっぽどいいんじゃないの。(っていうか、コンピューターエンジニアなんて、社会人経験大学院生の一番の出身じゃないの。)
で、いずれにせよ、生半可な知識を持ったちょっと頭いい子たちが、専攻とか関係なく、自分の価値観に合う「経済学者」さんに会えば、それが経済学界の絶対の見識だと思って、歩兵のように従順に動き始めるってわけだ。でもちょっとしか頭はよくないから、学者にはならないわけで。(あと、そもそも面と向かって議論できる学者が近場にいない。友人とか同期とかさあ。)そういうのを見ると、尚更、経済学を学ぶのは「経済学者に騙されないため」ってのも至言。
で、さ、そんくらいのことなんて、別に経済学者じゃなくても、長くネットで経済学談義を見てれば見えてくるのにね。あと、学者が輩出されるような大学にいればさ。(ナントカ先生がナントカ学なんて世間でキャッチーなことを言い始めてるけど、それは科研費取るためだろうね、とかそういうことがわからない。)とてもかわいそう。
グッチー氏の嘘八百の問題が指摘されているが、
そのブログの宣伝をしていたのがアジャイルメディア・ネットワーク社の徳力基彦氏である。
匿名の存在であるグッチー氏の自称するウォールストリートを生き残ったという経歴をそのまま、
載せてしまったりするだけではなく、何の証拠もなしに金融関係者や個人投資家の読むブログと称しています。
http://diamond.jp/series/weblog/10007/?page=2
また、自身が主催したアルファブロガーイベントを受賞したことも書いていますが、
このアルファブロガーイベントでは誰がどれだけの票数を獲得したかなどは一切不明です。
この徳力基彦氏のブログに対する読解力はどの程度のものなのでしょうか。
はたして人の上にたって講演をしたり、勉強会を主催したり出来るレベルなのでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20080531222207
毎日新聞の磯野彰彦氏はなんとノンキにブログで、個人的な昇進を発表していました。