2008-09-14

向上病

支離滅裂かもしれないけれど聞いてください。

僕は向上病という病気にかかっている、と自分では思っている。

以前、ブログ界隈で話題になった天才という病の亜種かもしれない。

小さい時から数学的に物事を理解するのは上手かった。けどそれ以外の、特に日常生活に必要なことはてんでだめだった。

いつからか、親から増田君は天才だもんねーと言われるようになった。

中高で数学に目覚め、物理をやる前からビリヤード軌道を理解できた(ただし、モーメントは無視の話)。

突然裏紙を持ってきて、カリカリやったり。

そのたびに、天才だからねーという理解の拒否にあってきた。

ただ単に自分に合っていて、ただ単に楽しかっただけなのに。

大学に入ってこのままではマズイと思い、大人数のサークルに入った。

恋愛もした。自分の分野と関係ないこともたくさんした。後輩の世話もした。それでも埋まらない、何か。

サークル生活の中で、数学とは限らなくても、一人で突き詰めていくことが結局のところ自分には合っていて楽しくてしょうがないということに気がついてしまったのだ。

結局自分の根っこにある部分は、人との交流の中にあっても変わらなかったのだ。

それどころか、はっきりと自覚してしまったことで、人との距離感をより強く感じさせる結果になってしまった。

いつからか、自分が毎日少しでも成長していないと我慢ならない体質になっていた。

見た目も少しずつ良くしようと、洗顔料を毎日使って、ローション塗ったりしてフェイスケアしたり、どうしても爪が割れてしまうので、マニキュアをつける前に爪の強度を強めるベースコートと呼ばれる液を塗ったりした。(女性だったら不思議でないかもしれないけど、男です。)

喋り方とか女性の口説き方とか本読んで勉強したり、心理学の本を読んで相手がどんなことを考えているかを理解できるようにしようとか、あらゆる手を尽くして、成長しようとしてしまう。

同時に、成長しない他人を見るとイライラするようになってきた。昔は同じ目線で話を聞いてあげることが出来たのに、今はどうしても上からモノを言ってしまう。

でも、向上心の塊なのに、自分はどこか受動的だ。やはり結局のところ他人を知ることよりも、自分を知ることのほうが大事になってしまったのかもしれない。

こんな自分がイヤでたまらない。もっと世界と繋がりたい。でもつながる要素がない。


今の自分を振り返ると、「これが自分です」と堂々と提示できるものがないのが悪いのかもしれない。

たとえある分野が人より優れていたとしても、より上がある限り満足できない。

ちっぽけなプライドだと思う。けど捨てるに捨てられない。

ハッキリ言って寂しい。どうやったらこの心のスキマは埋まるんだろうか。

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