はてなキーワード: バブル期とは
人間らしい楽しみや充実って金かけなきゃ得られないものだけじゃないと思うけどな。バブル期の価値観ひきずってるような印象を受ける。
とはいえ最後一文が切ないな。
うちの彼女もコスプレイヤーなので、あまり他人事と思えなかった。
休日に撮影会があったり、カメラマンの人とマンツーマンだったり、
ここに書かれてることと状況は似てるっちゃ似てる。
ただ、うちの場合は彼女の方が「コスプレとか撮影会とか嫌じゃない?」と
こっちのことを気にしたり、自分が逆にノリノリでエロい衣装をプレゼントしたり、
自分も普通に撮影会に参加したりしているという所が逆(?)だな。
今度の撮影会ではこれを着てくれ!とリクエストしたりもしてる。
コスプレ用品を買いに行くのに店に着いていくデートなんか、むしろ自分が楽しんでる。
退屈してないかと彼女はよく心配してるみたいだけど、
あまりに心配されすぎてこっちが申し訳なくなるくらいだ。
コスプレ撮影会が多いという感じだから、ってのも理由としては大きいのかも。
趣味だと過度にのめり込んでしまいそうだけど、その点では一線を引いてる感じだ。
最初の頃は自分も、浮気されるんじゃないかとビビってた所があったけど、
今ではその心配はしてない。
普段の様子から、彼女がマジメで結構義理堅い性格だという事や、
コスプレイヤーだからとかじゃなくて本当にただの性格の不一致だと思ったよ。
採点するなら120点だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20100211143209
増田は「ソープ行けメソッド」の効用を100%享受できている。
だから100点。
+20点は、後に続くべき童貞達に向けた、リアルなレポートを残してくれたから。
・「挿入した・しない」だけでは人間は何も変わらない、という事実を体感できたこと。
・今まで、女性とセックスするために、多くの金や時間や労力をかけることには全く興味が
無かった人が、女性と裸で接することに喜びを感じ、風俗に通うことまで検討し始めたこと。
・(例え仕事としてでも)自分を男性として接してくれる女性を、特別な存在と感じ、
可愛いと思えたこと。
これって大収穫じゃん。
これでわかったと思うけど、童貞なんて実態の無い、単なるコンプレックス。
挿入したかしないかなんて、本当にどうでもいい。
この先、仮に金を払わずに女の知り合いとか出会い系で1晩だけのセックスが出来たとしても、
素人童貞は卒業だが、恋愛童貞卒業にはならないから、気をつけてな。
男が本当に変わるのは、愛し愛される相手と、互いに全てをさらけ出して抱き合った時だ。
その時の幸福感、充足感、全能感たるや、ただごとではない。
相手や自分が、初めてだろうがやりまくりだろうが、そんなことは関係ない。
愛し合っている者どうしのセックスで得られる感動は、あらゆる障害や問題をやすやすと飛び超える。
素人童貞だろうが童貞だろうが1000人切りだろうが、そんなものは些細な違いだ。
ナンパだけで1000人切りした奴より、1人の相手としっかり恋愛した奴の方がよっぽど充実している。
それに向けた一歩を踏み出したんだから、増田を心の底から祝福したい。
いざ本当に好きな相手といい雰囲気になった時に、経験不足で失敗して、チャンスを逃すことだけは避けたい。
これは、全く正しいやり方だ。
セックスだけじゃなく、デートや口説きの疑似体験こそ、たくさんやっておくべきだと思う。
実は、経験回数によるセックスの技術の差は、ほとんど無い。個人差の方が大きい。
だが、デートだけは場慣れが大事だ。
増田は、今後まわりのちょっと気になる女の子と、恋愛未満の関係で食事に行ったり
映画に行ったりすることをぜひ練習してみて欲しい。
その際にも、自分はもう童貞じゃないということは大きな自信になるはずだ。
そもそも、日本人男性の多くが初体験を好きな相手と出来るようになったのなんて、ここ数十年くらいのことだ。
昔から筆おろしなんて言葉があるように、村のおばさんや商売の女性が童貞達の相手をしてあげてたものだ。
昭和になってからだって、団塊の世代の前までは、初体験を風俗で済ませるのなんて当たり前のことだった。
仕事で一人前になったら、上司が風俗に連れてってくれる、なんてのも一般的だった。
多くの人が恋人と婚前にセックスをするようになったのは、ヒッピーブームと学生運動で、フリーセックスや
さらに誰もが「恋愛しなきゃ」「セックスしなきゃ」と焦るようになったのは、バブル期に消費を煽る
そういう歴史を引用してまで言いたいのは、「風俗で筆おろしは恥ずかしくもないし、何の問題でもない」ってこと。
だから焦る必要は無いんだけど、やっぱり「恋愛×セックス」が重なった時の幸福感は、他の何ものにも代え難い。
人間として生まれたからには、できる事なら誰もが一度は体験して欲しいことだと思う。
25以上でかたくなに童貞を守っている人は、恋愛童貞を捨てる準備としても、早くソープに行った方がいい。
恋愛経験があるのに25以上で童貞のままの人も、恋愛で自信をつけるためにソープに行くのはいいことだ。
要は、25歳以上の童貞は、今すぐソープに行って、くだらないセックスをして来い。
本当に好き同士の相手とするセックス以外は、みんなそんなものだから。
失業者の増大や、晩婚化、未婚率の上昇といった、20~30代の若年層に関連する社会問題の大半って、ある企業が引き起こしている気がする。
その名は「リクルート」。
自分が輝ける働き方だとか、私らしい結婚式とか言った理想像を、「リクナビ」だとか「ゼクシィ」といったメディアで増幅させまくったあげく、
まず、就職について。
バブル期と比べても、20代の人口は減っているのに、ホワイトカラーの仕事への応募数は増えていて、
合同説明会なんかの就職イベントは毎年参加人数が過去最高を更新。
みんな、ブラック企業でばばを引きたくないばかりに、大手の優良企業のイスを必死で取り合う。
そのくせ、ニッチできらりと光るような隠れ優良企業は、日の目を浴びずに人員不足というミスマッチ。
不況のくせに、結婚式費用は右肩上がりで、結婚式場はドカドカ建設されている。
そういえば、80年代に結婚した両親に、結婚式の平均費用が300万だというとすごく驚かれたな。
年収が低下傾向にある現代、この費用を貯金するのは用意じゃなくて、
俺の周りでもお金が貯まらないから結婚に踏み切れないって言うカップルは結構多い。
で。
若者たちは、夢をつかめないまま老いてゆく。十分な蓄えができないうちに。
こうあるべきと言う理想像と現実の落差が、社会の閉塞感を生み出している。
これへの理由として「収入がない(格差が増大した)」「バブル期を経験した人が意見している」という考えが度々持ち上がる。確かにそれもあるかもしれないけど、もしかしたら生産への敷居が昔よりぐっとさがったからというのも要因にあるかもしれない。
最近ではクオリティの高いものを望まなければこれといった専門知識や投資がなくてもクリエイティブな生産が可能。自分の依存する価値観を金銭やそれで発生する財産の取引ではなく別のスキルへ移し変える人が増えただけなのではないか。
職人気質を求められる仕事が多かった時代と比較しても現代人は結構「何でもできる」環境が揃っている。だからひとつの事にこだわる必要がない。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51337693.html < こいつの元ネタを訳しておいた。
かつて、日本は金融危機への対応がどれほど大きな賭けとなるのか世界に教えてくれた。そして今、欧米諸国がその賭けをする番になっている。
「東京では新年のご祝儀相場による値上がりが予想される。」 1989年12月29日の速報ヘッドラインはこんな風に市場を熱狂的に支持していた。その日、世界史上最大規模の資産バブルはその臨界点に達していたのである。そして日本は、ちょうど20年後の今もまだ、そのバブル期のツケを払い続けている。日経225はバブルのピーク時に38,916円を記録したが、現在ではそのたった1/4超にまでしぼんでいる(新年のご祝儀相場があると言われてはいるが)。「失われた20年」の日本経済は名目値でかろうじて成長したくらいで、いまだにデフレの害を受け続けている。この国はいったんアメリカににじり寄ったものの、最近では中国の首筋に熱い吐息をかけている。皆さんは"ジャパン・アズ・ナンバーワン"というコピーを覚えているだろうか? 今日、その同じ国のご自慢は、総額でGDPの200%に達する政府債務なのである。
日本人にとってこれらはみな深刻な問題だ。ところが、この2年で'89年以降の日本が抱え込んだ問題の多く(資産価格の暴落、投げ売り同様の債券、のしかかるデフレの恐怖)と同じものに、西側諸国も直面することになってしまった。崩壊しかねない金融システムに対し、政府はどうすべきで、どうすべきでないのか、日本は有用な教訓を残してくれた。
日本という先達のおかげで、その教訓の多くは迅速に実行された。日本当局がやったよりかなり迅速に(日本国民は試行錯誤せねばならなかったという点で不運だった)、欧米の政策決定者は、国内銀行に流動性を供給して資本を積み直させ、同時に財政刺激を惜しみなく行って民間需要の激減を相殺したのである。そのおかげで、世界経済の見通しはだんだん明るくなってきている。
日本からの教訓で残っているものはあるだろうか? 日本に学ぶというやり方は、様々な点で、すでに使えなくなってしまっている。それは、部分的には、欧米諸国の現状が日本のかつての状況より悪いからだ。ギリシアのように最も不安定な国々は、かつての日本にはなかったような問題に直面している。これらの国々の市場では国の債務返済能力が信頼されなくなるだろう。一方、日本は巨額の国内貯蓄で災難をやり過ごしており、日本の投資家は海外投資よりお金を国内にとっておくほうを好んできた。世界金融危機の規模は大きく、日本の問題はかすんでしまうほどだ。彼らの問題は海外にほとんど影響せず、世界経済の成長にとっては背景のようなものだ。それより、膨大な赤字を抱えた国が多すぎて、財政の信頼性が急激に失われることのほうがもっと深刻な事態である。
しかし、欧米のほうが日本よりまともな点もある。我々のシステムは日本より柔軟なのだ。柔軟な国であればあるほど、生産性を維持するための構造改革への抵抗も少なくなる。また、欧米は日本と違い民間の不良債券処理に対する政治的障害も少ない。さらに、西洋人は日本人より決断力をもって行動し、とくに経済に流動性を供給して金融業界のバランスシートを改善させているという点で有利だ。ゾンビバンク(訳注: 経営破綻しているはずなのに政府の救済で生きながらえている銀行)が少ないほどデフレに陥る兆候は減り、成長のきざしが見えるのはずっと近づくだろう。欧米は未知の領域にいる。そして、すでに日本が踏み込んだことのない段階にあるのはおそらく間違いない。
したがって、日本の哀しい窮状から特定の教訓を導きだしつづけるのはとても難しくなっている。しかしながら、日本は、すべての経済災害に共通する一般的な教訓を残してくれている。それは、景気回復っぽい兆候に騙されてはならないということ。日本はこれを誤認し、民間需要が回復を維持できるほど力強くなってもいないのに、なんども財政引き締めを行ってきた。それがデフレを固定化したのである。また日本の国内銀行の資本も、今後のショックに対応していくには少なすぎるまま放置されている。
先進国の政策決定者は、まだ数え切れないほど多くの作業を抱えている。多くの銀行はその融資に巨額の評価損を抱え、経済には余剰設備が重荷となり、家計の借金はかさんだままだ。このような状況であわてて引き締め政策をとれば悲惨なことになりかねない。試行錯誤するしかないが、ミスをすればするほど、我々の今後10年は日本の失われた20年に似たものになっていくであろう。
「草食男子」にあきたらない 20代女は「40男」が好き
上の記事を読んで、いち年上好き20代女としては、工エエエ(´д`)エエエ工と思ってしまった。
「20代女は『40男』が好き」の部分については、特に違和感は無い。
まぁ、昔から一定数いたオッサン好きの層が表面化しただけなんじゃないのとは思うけど。
問題は、「『草食男子』にあきたらない」の部分だ。
「30歳代後半から40歳代の男性はバブル期の少し後を経験していて、リストラされたこともなく、独身でもバツイチでも自分に自信があって、ガツガツしている人が多いのが特徴です。その点が20歳代の男性と異なります」
また、20歳代は恋愛に消極的な「草食男子」が目立つのに対し、40歳代は「肉食おやじ」が多い。この本によると20歳代女性にとってセックスは「非常に重要なファクター」となっていて、40男に「オスとしてのオーラ」を求めている、とみている。
この部分に工エエエ(´д`)エエエ工なのである。
20代女が40男を好きな理由って、「草食系の若者はパス。オッサンは肉食系だから好き!」ってわけじゃないと思うけど。
つーか、いい年して女の子にガツガツしてるのって、逆に引かないか?女の子にガツガツするのは、若い時に済ませておけよと思う。
むしろ、オッサンの魅力というのは、若い時のガツガツが過ぎ去って、余計な油分が落ち、恋愛に対して落ち着きと余裕が持てているというのが魅力なのだと思うけど。
現に、余計な油分がこってり残っているギラギラしたオッサンは、若い女から引かれている。
男側から提唱された「ちょい悪オヤジ」は、若い女からしてみれば、「ガツガツしてて格好悪い」「必死でモテようとしてる感が引く」「無理矢理若作りしてて痛い」という感想であり、そういう「ちょい悪オヤジ」に対するアンチテーゼ的に女側から提唱されたのが「カレセン」だった。
言うまでもないが、「ちょい悪オヤジ」は肉食系で、「カレセン」は草食系だ。
以上のことを踏まえて、20代女が40男を好きな理由が「オッサンは若者と違って肉食系だから」っていうのは納得がいかない。
そもそも女は、若いうちは年上好きであり、30歳あたりから「年下もいいな」と思うようになる傾向があるので、20代女が年上の男を好きになるのは、何ら不思議なことではないと思う。
つーか、マスコミにおける「草食系男子」が、最初言われていたものとはかけ離れた「恋愛に消極的で、臆病で自分から告白できない男」という意味で使われてしまったから、おかしなことになるんだろうけどね。
本来の意味での草食系男子は、「恋愛に関しては量より質で、恋愛や女にガツガツせず、単純に女=性の対象と結び付けない。ゆえに恋愛対象の幅が狭く、女の大半は彼の脳内で友達フォルダに振り分けられ、必然的に告白する回数が少ない」という感じだったと思うんだけど。
それに、マスコミでは「肉食女子が草食男子を狙う時代」というふうに取り上げられることが多いけど、実際は草食系女子かなり多いと思うよ。目立たないだけで。
関連:
ネタ元
ソニーよ”普通の会社”にまで堕ちてどうする! - 池田信夫 blog
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/0d5611a694129a39b34d60aa7a6f78b6
私はバブル期に20歳で運良くソニーの系列子会社に入社したが、いろいろ思うところあって5年ほどで辞めた。
やめた理由は、まぁ90年代の不況に伴う人員整理で、どっちかというと整理される側のボンクラ社員だったということもあるが、一つには、「自分が40歳ぐらいになる頃には、ソニーはガタガタになっているに違いない。こんな会社に自分の人生を預けられない」と感じたからというのもある。
この、「M元副社長がK誌に書いた原稿」の内容は、十数年前の時点で、ペーペーの下っ端でさえ既に肌で感じていたことだ。
やっと今頃、上層部が危機感を持ち始めたのかよ。遅すぎるよ。
「現在社内の主流を占める一流大学を十番以内で卒業して入社してきたような奴は、失敗を恐れるから製品として目新しいものが出てこない。」これは現場の感覚としても、まったくそのとおりだ。もっといえば、バブル期に既に新卒者の人気企業になっていたソニーの新入社員は、約20年前の当時から、すでにこういう雰囲気に満ち溢れていた。そういう意味では、ソニーが新卒者の人気企業に躍り出た時、既にソニーの崩壊は始まっていた、と言っていい。皮肉にも。
ではそれ以前はどうだったのか。実は80年代に中堅社員としてソニーを支えていた人たちというのは、50~60年代に優秀な同期が東芝や日立やその他財閥系大企業に就職していくのを横目で見ながら、「しょうがなく」ソニーに入社したというような、いわば「元落ちこぼれ達」だった。創業者のリーダーシップも大きかったとは思うが、それに応えた「元落ちこぼれ達」の頑張りが、かつてのソニーの足元を支えていたんだということを、忘れてはならないと思う。
http://d.hatena.ne.jp/MATO/20091014/1255526719
年収いくらの給与明細ってのがちょっと前に話題になっていて、比較のために自分の数字を出してみるのも面白いかなと思った。
1000万の人が公開したので自重していたんだけど、消えてしまったので、時期を逸してしまった感がありありだけど公開してみる。
当方のスペックは、外資系金融、30代、部長クラス、既婚子ども1人、23区の郊外のほう在住といったところ。数字は加工してあるけど、だいたいあってる。
サラリー 月 780,000
公的控除
健 保 27,000
年 金 63,000
雇用保険 5,000
所 得 税 40,000
地 方 税 80,000
-----------------
計 215,000
ボーナス 年 5,700,000
公的控除
健 保 180,000
年 金 340,000
雇用保険 30,000
所 得 税 950,000
-----------------
計 1,500,000
総収入 780,000×12+5,700,000=15,060,000
総控除 215,000×12+1,500,000= 4,080,000
総手取 15,060,000 -4,080,000=10,980,000
年収1500万から400万ほど控除されて、手取りは約1100万。ボーナスはもちろん業績連動。不況で減った。
年収300万から、転職と抜擢人事でようやくここまできたこともあって、今でも基本的には堅実にやってるつもり。
生活費・光熱費・通信費で月17万、家のローンと保険で15万、家族3人の小遣いが8万の計40万円程度が基本出費額。固定資産税とか自動車税・車検費用を平準化すると月2万くらい?、最後に後述のマンション費用が月4万程度相当で、合計で46万円くらいが毎月の支出になる。
余ったサラリーとボーナスは、一部は家電や旅行に使って、残りは住宅ローンの繰上げ返済にあてている。地価が底のころに買った格安物件なので、あと数年でローンも完済できそう。繰上げ返済を優先しているので、貯金は当座のための50万円程度だけにしている。
ちなみに自己投資的なものとしては、本を月15冊くらい読んでる。半分は新書、半分は専門書。だいたい小遣いから月2~3万円使っている。
あと、無駄遣い的なものとして、リゾートマンションを持っている。
バブル期に建てられた中古を、数年前に数百万で買った。こちらはローン完済で、維持費は光熱費・税金込でも年間50万円未満で済んでいる。しょっちゅう家族で使ってるし、実家の両親も毎年1週間以上滞在してくれて恩返しにもなっているので、維持費分は十分回収できていると思う。
車に金をかけてない(60万円で買った中古国産車に6万キロ乗り続けている)ので、購入額的にも維持費的にも、高級外車を買うより割のいい無駄遣いだと個人的には思っている。
でも、何だかんだで、今はまだ資産形成=自宅のローン支払いになってしまっているのが悔しい。地方出身で、身一つで上京して働き始めたから仕方がないけど、最初から都内に自宅がある人との「格差」はものすごく大きいと実感する。
あと何年かで家のローンを完済すれば、ようやく余剰資金が生まれてくるので、本格的に資産運用を始めて老後に備えるつもり。リゾートマンションもキャッシュフロー的には悪者なので、いずれ手放す予定(売却しやすいよう、最寄り駅から歩けて管理費の安い物件を選んである)。
今後公的負担は増えそうだし、それでも年金・健保・介護保険は破綻しそうだし、そもそも今の手取りを維持できる保証もないので、今の収入でも、2人めの子どもは作れないと感じる。
まあ、本当に日本の公的福祉が破綻したら家族で海外に移住したほうが賢明そうなので、そこまで見据えて今からいろいろ準備・研究していこうと思っている。
そこそこ読んでもらえたみたいで嬉しいので、いただいたコメントについて少々追記。
部長で1500万は安い→業種・職種によると思うけど、殺人的に忙しい職場でもないし、まあその程度の人もたくさんいるということで。
子ども作れるはず→同意。生活水準の問題でもない。ただ失職のリスクもあるし、将来を考えると躊躇する、という感じ。2人めは1人めよりコストかからないし、子ども手当が出るなら結構魅力的だとは感じる。
貯金が少ない→繰り上げ返済直後は50万。でもそこにサラリーが乗るし、毎月余ってくので、大体いつも100万以上は口座に残ってる。
収入が増えると支出も増える→そうならないように努力はしてる。実は今の支出は年収700万相当で収まってる。マンション手放して住宅ローン完済すれば500万相当まで下げられる。
financial crisisからeconomic crisisへ。
腐敗したCDS(credit default swap)で大損をした金融機関の危機が、いよいよ、経済全体への危機へと広がり始めている。
CDSを買うということは、債務者の借金の連帯保証人になる事であり、債務者がdefaultしたら、債務者の代わりに、全額を被らなければならなくなる。危機以前の金融機関の羽振りが良かったのは、産業への融資が全然ダメであったが、双子の赤字の増加によって運用しなければならないお金が増える状況において、CDSという投資先を見つけたからであり、それに投資したがる新興国や産油国との間に入って手数料を稼げていたからである。
金融危機に対して、中央銀行が特融を出しまくって一時的に支え、会計基準を捻じ曲げて評価額の粉飾を認めて、損失の表面化を年間利益の中に押さえ込むことで、表面的には金融危機は沈静化していることになっている。アメリカでは、今年に入ってから、すでに92行の地方銀行が破綻しているが、政治的には、金融危機は沈静化している事になっているのである。
金融機関の危機が沈静化するということは、金融が引っ張っていた経済構造から金融の影響を取り除くという事でしかない。金融危機を沈静化したら、産業がダメで成長要因が無いという現実が表面化する事になる。この現実への対策は、産業を再興する事しかなく、その為の施策が望まれるのだが、遅々として進んでいない。
バブルの頃は、家屋の建築や担保余力を使った融資による消費といった要因があったので、それなりに仕事が発生したが、バブルが終わってしまったら、それらの要因が消え、労働力の過剰という現実だけが残る。賃金は低迷し、通貨が弱くなる事から輸入物資の価格は上昇し、スタグフレーションへと向かうことになる。しかも、金融機関が抱え込んだ莫大な負債は、毎年の納税額を0にして償却する事になり、金融機関からの納税額が大幅に減少するし、バブル期に良かった事業は軒並み左前になっており、このセクターからの納税も期待できない。財政出動をしたくても、歳入欠陥が確実視される状況では、赤字国債を発行して手当てをするくらいしか道が無いのだが、この赤字国債を買ってくれる経済的な余裕のある人は国内には無く、海外に買い手を求めるには、通貨が強くなる見込みが無ければならない。幾ら金利を引き上げても、それ以上に通貨の価値が下落していくのでは、利回りはマイナスになる。
輸入に頼らずにやっていける国家であれば、スタグフレーションの影響はかなり小さく出来るが、それでも、通貨の強弱と金利というパラメーターによって影響を受ける。輸入を必然とする国家においては、スタグフレーションに入ってしまうと、自立回復は難しくなる。日本はアメリカよりも条件が悪く、アメリカよりも早く、有効な手を打たなければならないのである。
[2009.9.15]
何が問題って性欲が満たされないから問題なんじゃあないでしょう。
風俗の料金が安くなり続けても客は減り続け、「非モテ」は増えていた。
秋葉原でたくさんPKした加藤が「彼女が出来ないこと」の絶望を日記に書き連ねてた件について
ある女性識者が「風俗を割引したらどうだ」と言ってて、面白い女性だとは思うが的は外れている。
加藤の日記だってよく読めば不安定な生活に職場での疎外、友達の不在、絶望の種は具体的にたくさんあって、
彼女云々の話のときだけがむしろ抽象的・空想的な筆致で書かれていた。
「恋人、セックス相手としての異性との物語だけが我が物顔をしすぎていること」。
そうなった理由は
バブル期軽佻浮薄文化にどっぷりだった元若者が引きずり続けてる、でもあるし
デート文化で金使ってもらおうと企んだ企業やマスコミの陰謀だー、でもあるし
恋愛白熱が自分達の価値高騰に繋がると睨んだ女性が加担したー、かもしれないし
惰性と無能と思考硬直でそれしか作れなくなっちゃっただけだー、もいくらかありそうだし
とにかく、なんだかいろんな不自然な力が働いて
「恋人、セックス相手としての異性との物語」になってしまった。
・もしくはそれを近日獲得予定でその途上の人間
でなければ物語に参加できない。
このメッセージが、社会から繰り返し繰り返ししつっこく与えられてきた。
そのせいで人の心に産まれた無用の疎外感や虚無こそが「非モテ」の正体ではなかろうか。
本来は恋愛に向いていなかった人、興味が薄かっただろう人まで恋愛・SEX物語のプレッシャーを受ける。
当然のように恋愛・SEX相手の異性がいることが「まともな人間」の前提として求められる。
それ以前にその獲得のためのアクションと努力が無制限に求められる。
人間の「型」が恋愛へのアクション・努力に適していなければまず徹底した自己否定と改造が求められる。
努力して結果が駄目であったら人格領域にまで踏み込んだ自己批判が求められる。
これはウザかろう。最大与党の物語としては薄っぺらいしポンコツ過ぎる。
異性は「非モテ」を救わない。その獲得はこのウザい物語の枠組みの強調でしかないから。
加藤が救われるには、安定した職場や彼を気にかけてくれる職場のオジサン、友や仲間としての男達、
やりがいのある仕事をしているというプライド、社会に貢献していると言う自負、
そういうものこそが本当に必要だった。
昨今はさすがに、自分が選んだでもない恋愛物語の価値上で努力や実現を強制されることについて
苛立ち・拒否の表明みたいなものも珍しくなくなってきたが
(過去はこれを言うと「強がっているw」「すっぱいブドウw」などと言ったありがちな石がバラバラ振ってきて
しかもそれを必死に投げてる人達をよく見ると恋愛物語下で苦しんでいる非モテもいっぱい参加してたり、という
それでもまだまだミソジニーだと言われたり無気力だと言われたり問題把握に混乱や誤解が多い。
加藤も彼自身が恋愛物語の支配的影響に毒されて、自分の不満や問題点が概念としての「彼女」に集約していた。
自分を苦しめていることの本質がモヤで見えなくなってれば暴れるぐらいしか解決策が思いつかないこともあるだろう。
この不幸で有害な恋愛物語支配はいつになったら打倒されるんだろう。
潜在的にはかなり支持率低下してるようにも感じられるのだが
ロンドンハーツ「実名アンケート! 芸人リアル好感度調査」(前編,後編)は今が旬のブラマヨとアンタッチャブル山崎が活躍して非常に面白かった。
番組はこんな感じ : http://www.tv-asahi.co.jp/londonhearts/contents/backnumber/cur/img/1_6.JPG
カメラは「アメトーーク」と同じロケ手法を使ったのかな。同じテレ朝の加持さんの番組だし。芸人のガヤや動きが漏らさず収められているので、実力のある芸人にとっては非常にやりやすそうだった。
その中で山崎がすっごいカブせまくってて、、すごい、もの凄い才能があるわ。。
「AAA → BBB、って何でやねん」 (やや乗り突っ込み気味)
「AAAでBBB、みたいな」 (バブル期は「AAA、みたいな」のみ)
■ホリケン
(前に出てくる)「AAA! → BBB! → CCC! → DDD! → EEE!」(後ろに下がる)
■ビートたけしの全盛期
AAA → BBB → CCCだ、この野郎!(肩をヒクっとさせる) / DDD → EEE → FFFだって、ふざけんな馬鹿!(肩をヒクっとさせる)/
AAA(笑) → BBB(爆笑) → CCC(淳振る) → DDD(笑) → EEE(DDDの被せ) → FFF(笑) → GGG → HHH(爆笑) → III → JJJ(笑) → KKK(笑) → LLL(笑) → MMM(LLLの被せ)(笑)
司会のロンブー淳がCCC以降に絡みながら話を引き出していく感じ。(笑)は笑いが起こり、(爆笑)は爆笑が起こった地点。
全盛期のたけしでも/の部分で一息入れてる感じがあるんだけど、山崎は「ブルドーザーみたいに持ってっちゃう(by東野)」。
東野は「さんまさんタイプ」って言ってたけど、こういうカブせ方を見てるとたけしタイプなのかも。
最近までのレッドカーペット的な短いお笑いの流行りが終わった今このタイミングで山崎に注目が集まってるってのが非常に面白い。そんでそれを迷わずすくい上げて放送してくれる番組もありがたい。
その後、スティグリッツやクルーグマンが新自由主義批判を行いますが、ここからは日本に焦点を絞って考えようと思います。
日本人は元々「ワーカーホリック」と呼ばれるほど異常に働いてきましたが、
なぜかと言うと日本は経済成長のおかげで、ほぼ非自発的失業がない完全雇用に近い状況にあり、
「働きすぎによって他者の雇用機会を奪う」社会への悪影響があまり認知されてこなかったことが大きな要因のように思います。
しかしその中でも若い人たちの間で、特にバブル期頃から
「自分らしさ」とか「がんばれば夢はかなう」といったような主張をan・anやHanako系の雑誌が行い
フロムAが「フリーター」なる造語をつくり「アルバイトでも正社員でもない第三の働き方」とポジティブに扱うなど、
「脱・社蓄的働き方」志向は芽生えてきていたように思います。(香山リカ調べ)
しかし残念なことに「社蓄」の皆様は自分たちの働き方を否定するような彼らの生き方を
「いつまでも夢見てるんじゃない」、「早く大人になれ」などと非難し、
彼らの生活が困窮したときにも我らが日本人が大好きな「自己責任」論を浴びせました。
しかしバブル崩壊の大波が彼ら正社員たちにも大きなダメージを与えました。
企業は正社員をコスト削減の名の下に非正規労働者へと変えていき、労働者の平均賃金は上昇しなくなりました。
ここでケインズの主張に立ち戻ってみると
「むしろ賃金の引き下げが総有効需要の構成要素であるところの消費と投資を減少させ、雇用状況をかえって悪化させる」
という負のスパイラルが日本の不況をさらに悪化させた側面は否めないと思います。
ケインズは賃金引下げが総需要を引き上げる効果を持つためには資本の限界効率が上昇する必要がある、としていたため、
フリードマンらにが将来にわたる所得が消費を決定付けるという仮説の下では総需要は増加する、と反駁されていました。
しかしながら、フリードマンらの「恒常的に得られる所得」というのはすなわち身分の安定がもたらすものです。
したがって所得が不安定化したばあい、消費が収縮し、貯蓄傾向が増し、投資が減少するのはありうべき事象でしょう。
こうなると負のスパイラルから、一度正社員の身分から脱落した人間、または正社員になれなかった人間は
なかなか正社員の身分に戻ることができません。
本来は供給過剰に陥った社会の需要を喚起して、失業者を正規労働者へと回収していかなければならないのに、
経済が成長していかない状況になると、企業は新たな投資(人材含む)を行うことに躊躇し、
利益を出すためにコストをカットし、ますます投資と消費を減衰させました。
企業はバブルの教訓から、労働者雇用の硬直性が不況時に大きなダメージをもたらすことを警戒し、
オリックスの宮内氏に代表されるような企業側の圧力から、政府は1999年、2004年に構造改革の名の下に
労働者派遣法を改正し、対象業種を拡大し、製造業においても派遣が認められるようになりました。
2008年の金融危機以降、本来労働者の味方であるべき労働組合は
正社員の雇用を守るので精一杯、と派遣切りに対して何の行動もしてきませんでした。
これははっきり言って組合と使用者の「共同犯罪」だと思います。
2008年の10月以降の失業者のうち、
正規雇用者は僅かに6000人、非正規雇用者は12万人以上といわれています。
労働組合がこのような事態を甘受していたのは明らかです。
このようにバブル崩壊以降、日本の労働組合は自らの権利を守るために、
他者を犠牲にする、という戦略の上に使用者側と交渉をしてきました。
この状態こそが、ブラックに勤める正規雇用者を我慢させる要因だと思うのです。
正規雇用者(労働組合を構成)は自分たちが誰かの犠牲の上に守られていることを自覚しているため、
自分がその犠牲者側に回ることを極度に恐れているのではないでしょうか?
しかし正規雇用者がそのように思うのはあまりに当然で、非正規労働者は実際にその労働に対して十分に報われていません。
ここで注意したいのは非正規雇用者にとっての正規雇用者も、正規雇用者にとっての非正規雇用者も
憎むべき敵ではなく共に働く仲間である
という当たり前の事実です。
これを憎んでしまうと、非正規雇用者は正規雇用者の権利を奪おうとするし、
正規雇用者はますます非正規雇用者との関係をとろうとはしなくなるでしょう。
非正規労働者が「不当な扱いを使用者から受けている」わけです。
そのことによる労働ダンピングによって正規雇用者もまた苦しんでいます。
非常に当たり前のことですが、労働組合の力とは組織率、数の力です。
非正規雇用者と正規雇用者は対立するのではなく、共闘すべき存在なはずです。
ここまでを整理しますと
①日本は戦後ずっと右肩上がりで成長してきたために、失業問題に大きく悩まされる時期があまりなかった
②それがゆえに社蓄の害が単に個人の人生観に回収され、社会的問題とならなかった
③バブル後の増加した非正規雇用者の悲惨な状況を見て(または未必に協力して創出し)失業への強い恐怖を抱くようになった
④失業への強い恐怖から、不当労働行為を甘んじて受ける(法律上は勝てても経済体力的に持たないという理屈もあるだろう)
という流れかと思います。
提言編に続きます
女が入ってきた文化は間違いなく衰退する
http://blog.livedoor.jp/kaibu222/archives/51466679.html
↑のブコメ
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/kaibu222/archives/51466679.html
既に※欄やブコメで色々と突っ込まれているが、色々と思うところがあったので書いてみる。
男だけで楽しくワイワイやってきたところに
女がチヤホヤされたいと私も混ぜてぇ~混ぜてぇ~とズケズケ入ってくる
そうして衰退した文化は多い
Ⅴ速
どう見ても、「流行る→落ち着く→定着or衰退」という、よくある流れになっただけのものがほとんどです。本当にありがとうございました。
定着or衰退期に入ると、あとはもう個人の趣味の領域で、やる人は深くハマってるけどやらない人は全然やらないというふうになる。
バブル期を経験した人が、「最近の若者は飲む・打つ・買うをしないね」と言ってるのと一緒。別に女関係ない。
昔は今より夫婦漫才が盛んだったし、音曲漫才は多数の女芸人が活躍してた(証拠映像:http://www.youtube.com/watch?v=tzWfxPs0Fmg)。
漫画挙げるなんて、もうね…2000年以降急に女漫画家が参入して来たとでも?
ただ単に男同士で遊んでて女の存在が見えてなかっただけ。
つーか、スレを見るに、今の中高生中心の若者文化を楽しむには年を取ったが、かといって昔のことはよく知らない20代ぐらいのやつが懐古厨気取って、昔は男だけで盛り上がってたはずだと、憶測だけでものを言ってるんだろうな。
まあ自分も20代で、お笑いと流行歌は昔のほうが良いと思っている懐古厨だけど、懐古厨気取るなら、こんなちょっと調べればわかることぐらい、調べてからものを言えばいいのに。
ここで、コミケを例にとって話をしてみる。
一般参加者の男女比については、2004年8月のコミックマーケット66でコミック文化研究会(九州大学助教授・杉山あかし)が準備会と共同で試験的に計測した結果によると、男性がやや多いかも知れないという。一方で、2008年2月に準備会が公開した資料「コミックマーケットとは何か?」によると、女性57%、男性43%である。サークル参加者に関しては、同資料によれば女性71%、男性29%であり、準備会は「世の中の認識とは異なり、女性の参加者が多い」と結論づけている。時期によってサークル参加者の男女の比率は大きな変動があるが、第1回コミック=マーケット開催当時から一貫して女性のサークル参加者数が男性のそれを下回ったことはない。
つまり、女の場合は比較的全員参加型になるのに比べて、男の場合は、一部の自分でガンガンやる人と、沢山の消費専に分かれる傾向があるということだ。
そして、消費するだけの人間ほど「自分たちのもの」「わしが育てた」と思い込みやすい。
実際に、2chやニコニコ動画などでは、運営は「誰でもいらっしゃい」のスタンスであるにもかかわらず、「自分たちのもの」と勘違いする男が沢山いて、「女は出て行けよ」などと言っている。
加えて男の場合、「女にはわからない男の世界」というホモソーシャル的な優越感を感じながら趣味を楽しむ人がいるのが原因かと。
これが全てですね。
文化の衰退の根本的な問題を考えずに女のせいにする思考回路は、子供がキレる原因をゲームのせいにする「ゲーム脳」と変わらんよ。
ゲーム脳を信じても子供のためにはならないように、女のせいにしたって文化のためにはならない。
もうほんと、何もしない人に限ってこういうこと言うよね。
ヒトラー総統も言っています。
ヒトラーを持ち出してくる時点でアレだけど、あのナチスの時代こそが、ドイツの文化が衰退した時代だったんだが。
近代日本においても、第二次世界大戦中が一番規制かけまくって文化が衰退した時代だったよね。
中国も、文化大革命の頃が一番文化が衰退した時期だ。中国の場合は、現代もまだ衰退期を抜け出せていない感があるけれど。
あと、是非ようつべで、昔の懐古厨代表、人生幸朗・生恵幸子の夫婦漫才見てみてください。
面白いよ!
http://www.youtube.com/watch?v=wHQflkzqDx8
そして、半田健人に超期待。
小町より
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0701/249024.htm?g=04
女性バブルの崩壊?(駄)
先日、夫と兄弟とで集まる機会があり、その席でのお話です。
弟(30代・独身)がいまだ結婚の話ひとつ無いことに対してこう反論したんです。
耳慣れない言葉に説明を求めたところこういう説明が。
「つまりね、かつて女性の価値はバブル期の不動産並みに資産価値があったんだけど、今のご時世、その価値は急落しているんだよ。だって、経済的な面から見ても昔みたいにお金は使えないでしょ?」
弟曰く、女性というものの価値がかつては社会的に高かったが、その価値はバブル経済と同じで不自然に上昇したものだったそうです。バブルであれば当然いつかそれははじけるもので、現在はバブルがはじけた状態だというのです。
ただ、それは女性自体はいまだ気がつかない人も多く、いつかは値上がりするだろう、と借金をして土地を買い占めた資本家が破産していったように、女性も破産(どういう状態を言っているのかは知りませんが)していくだろうと弟は言ってました。
しかも夫もそれは否定していないのです。
確かに、私自身そう美人でもないのに昔はいい目を見ることができた、と感じることもありましたが、少々失礼な物言いですよね。皆さんはどう思いますか?
なお蛇足ですが、そんな上から目線な弟に、だったら男はどうなのよ、と言ったところ、男性バブルは高度成長期が終わった時点ではじけているので、ずいぶん前から質素な物だそうです。そんないじけ根性が女性に縁がない理由では、と思うところもありますが、堅実な男性は人の目に触れにくいのも確かですし。変な女性を連れてくるよりはよっぽどマシかも、と思う自分に女性バブルに納得している可能性を感じて怖いです。