はてなキーワード: タブーとは
ブックオフで100円になってたエロ漫画を大量購入して色々気づいたことがあるので書く、その1である。多分3つぐらいは書く。そのうち。
エロ漫画においては近親相姦はどうやら一大ジャンルであるようだ。SMと同じ規模の勢力といったら言い過ぎかなあぐらいの多数である。ただし眼鏡とかスクール水着とか使い方が決まっているものと違って、作家によって多様性があるように思われるのでそれ
を一覧にして書いてみたい。
重いものから軽いものへ。
近親相姦という行為の「重さ」が作家によってまったく違う。また、その「重さ」は作品ごとであまり大きく増減することはなく、作家の思想がはっきり表れるようだ。
悩む話を書く作家はもうめちゃめちゃ重い。狂おしい愛をこれでもかと書き綴ったり。悩まない話はもう近親相姦というシチュエーションだけお題にもらって単にえっち書きましたみたいな。口先だけいやんおじさんもうすごいのぉとか言ってれば課題クリアみた
いな。
http://www.chugoku-np.co.jp/Otoko/otoko98/980416.html
鈍さの後天的な理由を探っていけば、男の育てられ方に行き着こう。小さいころから「お兄ちゃんだから我慢」「泣いちゃだめ」「負けるな」と、耐えることを教えられてきた。つまり感情や本音を抑えて、強くあることである。
競争に打ち勝つ強さを崇拝するのが、男社会の特徴だ。そこでは本音=弱さであり、それを見せるのはタブーである。これではうれしさ、悲しさ、苦しさの感情は凍結されてしまう。それをまさに地でいっているのが、受験競争や企業組織の中の男ではあるまいか。
ものすごくわかる。
恋愛における競争でも、弱さ=泣き叫んだり、慌てふためいたりしたら、負けだ。
弱さを見せた段階で、女性は寄り付かなくなる。
だから、男性は弱さを隠すほかない。
いつになったら、女性のように自由に感情を出すことができるのだろうか。
それとも、永遠に来ないままなのだろうか。
ゲイにとっていい時代になってきたなあ。ネットさまさま、ニコニコさまさまですよ。
「ゲイというものが存在すること」への認知がこんなに広まるなんて思わなかった。カジュアルになるなんておもわなかった。俺の観測範囲では、10年前はゲイであることが反社会的だったし、ネットワークが超絶限られていて全くコミュニケーションがなりたたなかった。その理由の一つとして「認知されていなかった」のがあるとおもう。オタクやJUNE好き(腐女子とは書かぬ)が認知されていなくて、特殊なやつらとカテゴライズされて日陰を歩んできたように、ゲイはさらに認知されていなかった。一般世間とは別物だった。
俺は地方にすんでいたので、本当に情報が限られていた。ネットもなければ書店にゲイ雑誌もないしね。二丁目のようなコミュニティも(目の届くところに)ない。だからコミュニケーションできる相手もいない。ひたすら偏った情報が、ちらちらとテレビや一般紙から届くだけ。そこからくる情報は「ゲイはエイズもちの病気野郎みたいなもんですよ」というふうにしか聞こえなかった。
インターネットはそんな俺に世界を与えてくれた。仲間がいる。話しがなりたつ。悩みをきいてもらえる。雑誌の存在もしる。
なんてすてき!
オタクならわかる、んじゃないかな、話し相手がいる幸せを! 一人じゃなかったという喜びを!
まあ、ここまでならありがちで共感も得やすい話なんだ。ネットで個人がつながったおかげでできたはなしだ。
TV発の秋葉原ブームでオタクがカジュアルになったり、腐女子という言葉が出来てJUNE好き/BL好きが認知されたじゃないですか。
「本来の姿」からは大きく外れて、にわかが増殖して、元々オタクやJUNE好きをやってきたひとはいい迷惑を被っていたりするとおもうんだけど、それでもこれまでの完全な日陰よりは俺は幸せだとおもうのだ。社会に認知され、居場所ができたというのは、長期的にはよいほうに向かう兆しだとおもうんだ。それが軽い嘲笑混じりだとしても、犯罪者扱いや存在しなかったことにされていたのに比べれば、とくに思春期の人にとって、生きるよすがになるとおもうのだ。
ふたば、2chと経てニコニコで阿部さんやパンツレスリングが定番ネタとなっているのは、「世の中にはゲイってのが存在してるんだよ」と認知が広がる意味で、とてもうれしい。だってこれまでTVに出てきた同性愛者は、オカマばっかりだったんだもん。ゲイ=オカマだとされてきたんだもの。実際には女性的な口調や女装子よりも、そうでないタイプのほうが遙かに多いのに。そしてTVは性愛にまつわる話しはタブーだったんだよ。性的指向として男性に魅力を感じても病気じゃないですよなんて話しは、ニュースバリューがないからほとんどでてこないんだもの。
最近はじまったユーザー生放送は「ゲイです」「腐男子です」「ちょいバイかもw」という放送が複数あって、楽しい。キワモノでなく、腐女子と同じ程度には居場所があるものとして存在しているのが、嬉しい。もちろん女装子にも、居場所ができてたりする。
ホームページや、ブログや、SNSは個人をつなげてくれたけれど、それはマイノリティが身を寄せ合うだけだった。
ニコニコはエンターテイメントを軸に、マジョリティにたいしてPRできた感がある。
あなたには仲間がいますよ。確かに少数派ですが、異常者ではないですよ。マイノリティとしてコミュニティに認知されていて、コミュニティに居場所がありますよ。
嬉しい。
ゲーム理論で「しっぺ返し戦略が最適」とされるのは、同じ相手と永久に付き合う場合であり
一回きりの付き合いであれば、攻撃が最適となる。
有限回の付き合いであれば、最終の対応は攻撃がベストとなる。
最期に攻撃されるのであれば、先手を打たなければならない。
他者は全て潜在的な敵となり、社会は崩壊してしまう。
という合理主義の行き着く結末を回避し、社会を維持してきたものが宗教である。
「死んだ後も魂はまだまだ続くよ!」と皆で信じることによって、
ライフゲームの「最後の手」を出させないようにするキリスト教やヒンズー教。
現世の人間関係の絶対性を徹底的に脳に刻ませる儒教、日本教、共産主義。
一神教vs多神教という差よりも、未来主義か現世主義かという差のほうが大きい。
そして危険性/安全性という観点や、タブーの多さという観点においては
どちらが優れているとも言えない。
http://anond.hatelabo.jp/20081227001149 を見て思い出したことそのいち。
人によってはみっともないと思うらしいので、そうじゃない人とつるむ時、もしくはソロ時限定にしている冬スタイルについて。
冬はよくニイハオする。袖の端と端を繋げるようにして、温熱密封快適空間を作る。手袋の無い時はもちろん、ある時も。そのまま歩く。
この状態から、片腕だけ袖から外してボディに忍ばせ、腕にょいーんおなかぼいーんコンボに繋げられるところも、利点だし美点だと思う。
そのに。
小学校の頃から、決まりを破っちゃった時に壮絶な罪悪感を食らう性格だった。そして自分の通った小学校は、冬に自転車禁止令が布かれる地域に建っていた。
そんな育ち方をしたもんだから、冬は基本的に自転車に乗れない。今はあったかい地方にいるからタブー気分を抱えつつも乗ることは可能だけど、路面がハードモードになった時のテクニックを小さい頃に全く磨いていなかったため、技術的な側面から冬のテクニカルコースはまるまる駄目になった。
大学にいた頃、秋田とかの比較的やさしめな気候で自転車禁止令の布かれない地方出身の子、もしくは決まりと実益のバランスを小さい頃から見極められていた子なんかが、つーいつーいとチャリ乗りこなして通学する様に憧れを抱いて、自分も冬チャリデビューしてみたんだけど、毎日つるつるすっ転ぶだけじゃなく、交通事故の危険性も半端なかったので、ほどなくして徒歩通学に戻った。
なので、冬の自転車、冬の自転車を天真爛漫に乗りこなす人に、羨望のようなものを感じている。あと、スタッドレスタイヤの自転車とか、冬を切り抜けるかっこいい自転車妄想も同時開催される。さあチャリンコカーニバルの幕開けだ。
「相手の気持ちってのが欠落してる」ってのが全てじゃないですか?
「知られたら終わり」なタブーは友人同士でもありますよ。
ちなみに私もこんなん聞かされたらそれ以前と同様に接する自信はないです。
まあその女性は増田の意見を複数回読んで「相手の気持ち」を理解する努力したんじゃないでしょうか。
想像ですけど。
タイトル通り。
結局、増田民は「とにかくモテたくて、とにかくヤリたい」んだろ?
一々話が不毛すぎる。
どんなに意見を主張しようと、ヤリたい君の感情論が暴走してるだけではスマートではない。
かくいう俺も学校や親に植えつけられた「性=タブー」という価値観で雁字搦めに囚われたままの童貞だが、
近頃の増田の暴走っぷりはもう見てられない。痛い。心が痛い。黒歴史的な意味で。
頭を冷やせ。冷静に対処しろ。
お前らの周りの人間を見てみろ。
いきなりセックスだ、なんだと言うから頭が悪くなる。
まずは周りのやつらとつるんでみろ。男女問わずいい関係が築ける仲間を作れ。
それだけでちょっとだけ人生は楽しくなる。
それでも黒思考が騒ぎ出したら、
賢者たれ。そのために右手はあるんだろ?
もし、セックスの機会があったら、その時は、アレだ。ラッキーだ。
それくらいに思って仲間とバカやってみろよ。
お見合い結婚と恋愛結婚の数が逆転したのが、確か60年代の半ば。
とはいっても恋愛も結婚を前提とした、前段階という位置づけだったから、
70年代に入ると段々と恋愛と結婚が別のものという考え方が浸透する。
なぜならば恋愛を結婚から切り離した方が、新たなる市場が開拓できるから。
すべては商業主義による作為的な思想誘導とも考えられるが、この際どうでもいい。
(まあ恋愛は儲かる。今でも儲かる。恋愛禁止になったら失業者すごいぞ)
さて恋愛と結婚を意図的に分離するために商業主義者たちはあるハードルを撤廃した。
結婚が恋愛の延長線上にあった時代には、男性はぶっちゃけHしたいからプロポーズをした。
同時に女性は切り札としての肉体的な証である処女膜を守った。これを失うと結婚しにくかった。
普通に考えるとこの考え方を撤廃するのは生易しいものではないんだが、
ちょうどフェミニストの台頭による女性の社会進出(これも儲かるが別の話)に便乗して、
そして80年代となり日本はバブル到来。もう大変。乱痴気騒ぎ。
んでOLの市場が食い尽くされたあとは、女子大生の市場を開拓した。
バブル弾けて女子大生市場も美味しくなくなって、90年代になると女子高生を商品化した。
このころの女子高生たちが今の30代〜ね。生まれながらにして商品。もう泣くしか無い。
当然チヤホヤされて、食い荒らされていることにも気がつかず、性を大開放。
どれだけの経済効果(表も裏も)があったのか計り知れない。
女性にありつける男とありつけない男。
当然いい男にはたくさんの女性があつまる。恋愛における選択権は性を開放した女性にあるのだから仕方ない。
しかし法律で男は一人の女としか結婚できないということを忘れていた女が多すぎた。
http://anond.hatelabo.jp/20081208211208
の、元増田です。思いのほか反響あったなぁ。8ブクマ&5トラバで?って言われそうだけどさ
5人目の増田
http://anond.hatelabo.jp/20081210184744
が、ちょうど鬱になった時に色んな人から受けたアドバイスや、ネットとか鬱関連の書籍とかで得た知識なんかとかぶる部分が多くあったので、追記じゃなくて新たにざざっと書いてみる次第です。
あなた自身、自分と違うユニークな人に触れて新しい刺激を得ることを好んでいるから、ユニークさそれ自体に価値があると感じているんじゃないかな。
YESYES!!
ところが世の中には自分と違う経験や考え方に触れることを好まない人が結構いて、そういう人と接する時にぎくしゃくしちゃう、ってことかなと思ったんだ。
ハハハこやつめ、見てきたような事を言いやがる。その通りです。
コレがねー。本当に不思議だったのよ最初。今まで、人との出会いとは新たな世界へのパスポートだと思ってた。
登山が趣味な友人ができて、山が綺麗な日に登山に連れてってもらった。
釣りが趣味の友人と、釣り道具一式貸してもらって楽しく夜釣りをした。
新しい友達ができたら、一見さんお断りな場所と言うか、何の知識もなくぶっつけで楽しもうと思ったら失敗しやすい遊びを低リスクで最大限に楽しめるワケですよ。登山だったら登る時期やコース間違えたら、実際行くまで楽しめるかわからんし。演劇もテキトーに選んだら風俗で指命しない並にリスキーだろうし、釣りなんか遊びで釣り竿買うワケにもいかんし夜釣りにどんな道具いるかとか想像もつかんし餌の付け方教わらないと始められやしねぇ。
だから、積極的に色んな特技を持った人と交流する事が大好きだったし、誰もがそうやって自分の世界を広げてるんだろうなって思ってた
そこに欠けている資質を補えるDさんがきたとき、問題が解決できる。このように、その場に足りない何かを提供することがユニークさの価値なんだ。
ここで増田が言おうとしている事とは別解釈と言うかズレた視点でこの文を抜き出したんだけど、自分は問題解決能力やアイディア力に優れているって自負があった。
何かの議論や話し合いの時、脳内で様々な可能性をだーーーっと考慮して、いきなり結論を出しちゃう自分に自信を持ってた。
でも、最初に出した結論が結局採択されるのに、いきなり自分の解答が認められずに2時間ぐらい会議があるって事があったり、最終的に最初に出した自分のアイディアが採用されるんなら無駄な会議の時間をこれといった問題点がない自分のアイディアをみんなでさらによくしたらいいのに・・・って思ったりしてた。
それも間違いなんだな。まず、同じレベルから徐々にスタートしなきゃいけないと言うか、自分の中で問題解決の為のプランを作って、それに自分で色んな場合を想定したパッチをあてまくって満足がいくものにしてから出してた。
そうじゃなくて、パッチを当てる前のプランをまず提示すべきだったんだろう。そして、みんなでパッチを当てる作業をする事で、考えてる事の共有をすべきだったんだろうなぁって。
大学では自分の意見にすぐパッチをあててくれるような人が多くて、中高の頃よくあった上記のような事はいつの間にか忘れてたけど、社会に出たらまた中高の頃みたいな空気が戻ってきた感じ
足りないものを提供すると言うか、○○がしたいなって話題にジャストな知識や人材をチョイスする事はできるけど
『普通の人達』は悩みや理想に対する解答が欲しいんじゃなくて、ただ話を聞いてほしくて、「そうだね、わかるよ」「そうだね、俺もだよ」って言ってほしい人が多いんだなって思った
いくらでも提供できるんだ。楽しい事がしたいとか、自分の趣味の発表の場が欲しいとか、クラブに行ってみたいとか美味い飯屋に行きたいとか面白いゲームやってみたいとか。俺自身でムリでも、それができる人の輪がある
でも、本当に欲しいのは普通の範囲から出ないもの、自分が知らない何かじゃなくて、自分が知ってる範疇でお互いが知ってるものを「あの飯屋は美味しかった」「あの有名ゲームは面白いよね」と言いあいたいたいんだろう。
結局
自家製酒の話題を出して引かれたなら、その理由はあなたの出した知識がユニークだったからではなく、その話題がその場に「必要とされていなかった」だけかもしれない。
コレなんだな。その場に必要な情報を取り違えてたワケだ
ただ、そうとわかれば俺も何をすればいいかわかる
相手を中心に考えて、話題の中心に立って気分がよくなっている相手の気を悪くしないよう、うんうんすごいねーノリで聞いてりゃいいんだ
傾聴ってやつだな。あいづちはうって、相手の気を悪くしないように話を引き出して、アドバイスや話題の発展とか切り出さず、相手に話させるテクニック。心理学専攻してる友人に教えてもらった
でも俺傾聴されるの嫌いなんだ。話題振ったら相手からも同じぐらい話題や、今まで知らなかった知識が欲しい
それでも傾聴を試みてみると、意外なほど相手はこちらに悪印象を持たない。この事でまた一つ一般人に対する理解が深まったと思う
共感してほしいんだ
話飛ぶけどさ
俺は自分で自分をKYって思ってるんだけど、どうやら『普通の人達』ってのはテレパシーを使って会話をしてるようで、言葉を使わずに満足いく会話をしているらしい
大学の頃は、お互いがお互いに今日まで知らなかった知識を会話で与えあってたから、知らない事のぶつけあい、魔球のキャッチボールでは空気の読み方なんて学びようがなかったんだな。空気とやらのテレパシーから伝わる情報ってのに片方が知らない情報ってのは含まれてないんだもの
空気とやらの正体が何なのか、何故、ちゃんと定義づけをせずに空気なんていう文字通り曖昧な言葉で濁すのかってのが、AnonymousDiaryを読み込む中でかなりわかってきた。自分の仲間であると、多数派であるという確認行為でもあるんだな
まーた話それるんだけど、『普通の人達』を観察してて疑問に思ったのがもう1コ
彼らは自分を物語の主役だとは絶対に思わないんだな。それがビックリ
って言うかドラマとか小説とか漫画とかあんま読まないんじゃないんだろうか。もし読んでたら、同じ職場の人の陰口で笑いあったり、誰かの失敗を見て楽しそうにしてたり、
いいこちゃんぶりたいとかそういうのじゃなくてさ、人の悪い面ばっか見てんだなって
俺や仲間はどっちかと言えば、仲間の悪口より良い所を伝え合って、それで関係を広げていったと思う。だって、誰かの悪口言う奴がいたらその悪口を言ってたって事実が言いふらされてのけものにされるかもしんないじゃん
でも、普通の人達にそれは無い。誰かが誰かの悪口を言ってたって事だけは何故かタブーみたいなんだ
結果的にフロア内の誰もが陰口叩かれてた事に戦慄したね。同時に、誰もが俺の陰口を影でたたいてるんだって思って陰鬱になったりした
って言うか、俺が嫌われ者なら嫌われ者に聞こえる所で本人に知れたらヤバいような事言うかね?本人の耳に入るかもしれないとか、そういう事怖がっちゃう俺は親友レベルの人か匿名相手にしか悪口とか言えませんよ
自分が少数派である以上、多数派である彼らが正しいんだろう。でも、何かがおかしいと思うの
(もちろん、「相手のために何が出来るだろうか」を考え抜いた末に「自分はこの人に対して何も出来ないなあ」とか「何もしたくないなあ」という結論に達したなら、その場から抜け出すことをおすすめする。その状態でそこにいるのは自分にとっても相手にとっても不幸だから。)
こんなデタラメな文章を相手の事を考えずに書いておきながらアレだけど
今までの自分ってのは常に相手の為にできる最善手は何だろうか!!!って勢いだった
それが相手が嫌がる事とか、想像もしてなかったって意味じゃ全然ダメなんだけど、それでも自分が持ちうるすべてを駆使して、相手の望みを叶えようとしてた
召還獣とか、ランプの魔神でありたいと思ってたんだ。自分を使ってほしい、自分の人脈もなんもかんも、友の為ならさらけ出そうと思ってたしそうしてた
他には『借り』とか『貸し』とかに異様に執着してたと思う。借りは返すものだと思ってたから、借りを作ったと思ったら相手の為に全力になった
でも、相手の為にできる事はそんなおおげさな事じゃなくて、『相手が望む事』ってのを空気とやらを読んで全部聞いてやればいい。生きた壁になるのが一番賢く、雄弁は銀・沈黙は金。きっとこの言葉は雄弁な人が生み出した言葉なんだと思う
ぶっちゃけ、相手の為に何もしたくないって気分だけど、簡単に退職はしない。だって、ここで全ての失敗をしてケーススタディをしたら、次に就職する先で失敗する事はないだろう
普通の人達から学ぶ事はまだまだたくさんある。それに、仕事では無表情で淡々と仕事をこなして、素の自分とは真逆な自分を演じてると、反動で私生活に色々とヤンチャがしたくなる
二面性こそ自分の本文だなとつくづく思うから、しばらくはこの生活も悪くないって考えてはいる
自分がいる事で、自分を嫌っている人を不幸にさせている事はわかっている。一昔前はそんな事を思っただけでストレスで、他人に嫌な思いをさせてるって考えただけで何度も自己突っ込みしたモンだけど、今じゃなんだか平気だ
一昔前は怒鳴られたり、陰口を聴覚過敏で耳に入れたりしたらすごい落ち込んでたけど、今は全然大丈夫だ
面の皮の厚さまで鬱から手に入れる事ができた
・・・なんか本当に散文だなぁ
http://anond.hatelabo.jp/20081207162752
自分がした失敗を次の世代にさせたくないからこそなんだろうなって思ってます。
だから、自分の事を少しでもアスペルガーだの発達障害かな?とか思った人は
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
でも読んで、試しにアスペ関連の知識でも収集してみたらいいと思うの
それは発達障害者向けの文章かもしれないけれど、そこから学べる事は少なくないハズだと思うんです。
リア充から非コミュになってみて初めてわかる事ってのがいっぱいあった
『普通の人達』ってのを知る事で、本当に多くの事を学べた。小説や漫画で普通の人が一切出てこない作品がたまにあるけど、そういう作者は普通の人達に背中を向けて生きてきた人なのかもしれない
むしろ、そういう創作をする人の大半がナードで、ナードだからこそ『普通の人達』が、サイレントマジョリティってのが場を支配する世界が好きじゃなくて、自分の理想の世界観を作ってきたのかもしれないとか思えるようになった
普通でいる事の何が楽しいかって、多数派でいる事が楽しいんだろうな
自分も自分のコミュニティで多数派であった時期はとても楽しかった
ネットではふたば☆ちゃんねるなんかで完璧に住人の1人として楽しく色んな事をして遊べてる
多数派である事が、人生を楽しく過ごすコツで、自分が多数派でいれる場所さえ見つけたら、人生は楽しいんだなってわかった
最後に最大の言い訳だけどさー
大学時代に色々成功させて、チームのリーダーとかやって、新聞とか地方紙とかの取材受けたり、自分が立ち上げた企画が後輩達に受け継がれて立派に予算出て大学のメインの企画として祭り上げられたり色々したら勘違いすんなって方がムリだって!お調子者の俺には!
最後に好きなメロディで〆
こりゃまたマッタクどういうワケだ
世の中なんか間違いだらけだ
あの頃だったらなんとかなった
あーこーりゃ、シャクだった??♪
「視聴料がかかる」という誤解も――ワンセグを利用しない理由 - ITmedia +D モバイル
ワンセグ対応携帯の利用者にワンセグ機能の利用状況を聞くと、「よく利用している」は6.5%、「たまに利用している」が38.1%で、利用している層は合わせても44.8%だった。一方「あまり利用していない」は23.2%、「ほとんど利用していない」は32.0%にのぼり、性別、年代を問わず半数以上が「利用していない」と回答した。
まぁ、母集団やらなんやらを調整すれば結果はどうにでもできると思うので、
この結果が真実かどうか、ということをいうつもりはないんだけど、
「ワンセグが使われていない」という結果を見せるのはタブーだったんじゃなかったんだっけ?
例えば、
ケータイでワンセグ、利用頻度は“週に1回以上”が約半数 - ITmedia +D モバイル
同調査によれば、ワンセグを「利用したことがある」ユーザーは42.6%で、「対応機種を持っているが利用したことがない」人が7.5%、「持っている携帯電話が対応していない」人が49.9%となった。全体の約4割の回答者がワンセグ対応機種を持っており、そのうちワンセグを利用している人が約8割以上となる。またワンセグの利用頻度を見ると1週間に1回以上利用する人の割合が54.7%となった。
こんなのとか。
でもって、こういう調査をもとに、「iPhoneはワンセグがないから日本では売れない」とか散々やってたはずなのに。。。
手のひら返すときはほんとに速いよねぇ。。。
でもこれはあれかな、こういうデータは、今後ワンセグを搭載しない携帯を出すときに、
言い訳にするために使うのかな。
やっと逮捕されたか....感慨深いな。まあ、だれも殺傷されずに拘束されたことは良いことだ。
今後社会措置入院の日々が続くんだろう。実質社会復帰は無理だろうし下手に野放しにすると先の事件の様に怨恨を募らせた結果、悲惨な結末になりかねない。彼のブログはかなり前から注視してきたが、元々高機能障害だったのだろうなと思っている。それに加え、司法試験?の失敗で統合失調になってしまったのだろう。
話は変わるのだが...
しかしまあ、程度の差はあれ、東大卒のキャリア官僚に統合失調が多いのはなんでだろうね。タブーなのかどうかは知らないが、あまり語られることはない。日本の官僚システムは著しく不健全なのではないか、でもそれを勝ち残って来た事務次官は既得権益をむざむざ溝に捨てる行為をするわけがなく....
鬱病患者に「頑張れ」は禁句、というのは割と有名になったけれど。
「それって病気じゃなくて甘えだよ」
「皆悩んでることだし、誰だって苦しいんだよ」
「どんなにくるしくてもおいしいものたべてうんこしたらなおるよ!」
みたいな、よくあるアドバイスもタブーだってことを知って欲しい。
率直に言うと、鬱病患者にとっては「素人のアドバイス=ありがた迷惑」です。
おせっかいなんてもんじゃない、もう傷口に塩を塗りこまれてるような感覚に近い。お願いだからやめてくれ。
どれぐらい迷惑かというと、例えるなら
首の骨を折った人に向かって、
素人判断で「喉の調子が悪いの?なおしてあげる!」ってしゃしゃり出て、
じゃあどうすればいいのか?
アドバイスは一切しない。
何か訴えてきたら、「そっか、苦しいんだね」って適当な相槌でねぎらってれば、それで十分です。
首の骨を折った人が、見舞いに来る人に対していちいち
「お前を信頼してるんだ!この苦しみから解放できるのはお前だけなんだ!どうか俺を治してくれ!」なんて言わないし、
そこで見舞い客が「よしきた!『どんなにくるしくても(ryなおるよ!』」っつった所でどうしようもないよねコレ。
時々顔を出してはたわいもない喋りに付き合う、
それが一番の元気の素だってお互い分かってるからそうするだけです。
鬱病も同じ。
信頼する人がそばにいて、たわいもない喋りに付き合ってもらえるだけで、何倍も心強くなれるんです。
「あなたの力で私の心の傷を癒して!」なんてちっとも思っちゃいない。
何もその人のことを信頼していないから、見くびってるから、というわけではなく、それはやっぱり専門家でないとできない治療だからです。
でもね、苦しくて苦しくてしょうがないからつい弱音が出て、そんな時に
アドバイスという名のトドメをぶっ刺されたら、もう治るもんも治らなくなります。
だから、鬱病に関する最低限のタブーだけは知っておいてほしい、そう思います。
どうしてもアドバイスしたい!という人は、鬱に関する本を色々読んでから触れて頂きたいです。
中途半端に聞きかじった知識で引っ掻き回されるのが一番タチ悪い。
ついでに人から言われて傷ついたこともう一つ。
「精神科って大丈夫なの?」「睡眠薬って危ないんじゃないの?」
「カウンセリング?
なんでわざわざ高い金払ってまで人に話聞いてもらうの?アンタ騙されてんじゃないの?
悩んでることがあったら気軽に相談してよ」
よくわからない薬を処方されて、よくわからない療法を受けて、治ってるんだか治ってないんだかよくわからないまま毎週通院して。
不安にならないわけがない。できれば精神科なんて一生世話になりたくなかった。
それでも素人判断ではどうにもならないから仕方なく行ってるんだ。
偏見は無くしてほしい。でも病気だという認識は持っていてほしい。
これはわがままだろうか?
URL:http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/news/1227360560/
不謹慎ではあるが、『余命1ヶ月の花嫁』に関連した話題を取り扱おうと思う。尚。この文章の予備知識は、まとめwikiや2chのスレッドから取得して欲しい。
お亡くなりになられた(?)方の側近のイベコン達がとたんに本やテレビの話をブログでし始めたのよ。それもほぼ同時期に数種類のブログで。中には本の感想を書いてるブログもあったくらいで、今から思い返すとますます怪しい。もしかするとこの話。この業界のタブーなのかも。だからイベコン事務所内でも、「宣伝しろ」とか「この本の内容について振れるな」とか色々あったっぽい気がするな。BBQ開催の是非は別にして、なんか裏で色々ありそうだ。最も。イベコンとして目のあるコほど、こういう火の気の多いネタには食いつかないとは思う。(きちんと言う言わないを使い分けてるので)
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51176821.html
えーっと始めに言っておくとNTRおよびMC属性がある僕には美味しい事件でございました。むしろ作者の方向性からしてシンプルに見えて蓋を開けたらグロテスクというのは見所だと推測し、この騒動を聞いたときには「ぉぉやっときたか!」というwktk感があったものです。
かんなぎラジオでも監督と脚本が「アルコール度数低いと思ってたらなんだこれ濁酒だった(笑)」と話していたように、見かけ上は少年誌漫画の体裁を取りつつも、鋭い社会風刺とシリアス・鬱展開を内包し、ドロ沼へ徐々に滑走していく作品であることは巻を進めるごとに明らかになっていき、それがこの作品の魅力であったように思うのです。
ただもちろんターゲット層がこういったドロ沼展開に耐性のある人々ではないのは明白であり、
http://d.hatena.ne.jp/speed_mod/20081111/p1
> そもそもキャラクターの魅力的な個性に重点を置いたアニメなんだから、キャラに思い入れをしてはまっていた人たちからすれば、今回のネット騒動は当然のことなんだろうなと思いました。
とここでも書かれているように、この作品の読者が非処女バッシングを行った過程は至極自然・妥当なものであるように思います。この作品を大衆的な視点で見ればまず第一にキャラクターの魅力が挙げられるのは明らかだと思うので。
しかし、原作にしろアニメ版にしろ、序盤の展開の余りに爽やか過ぎるボーイミーツガールでライトに萌えを享受したいオタク層を「釣り」、それを盛大に裏切る形となった今作品、作者が意図的にやっていたのかどうかは不明ですが、これは非常に興味深いことだし、タブーを打ち破る大きな波紋だったと思います。
某スレより:
> 634 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/08(土) > 00:32:30.90 ID:5C2fyyZT0
> アニメで釣られて単行本買い始めた人間も多いだろうし絶妙のタイミングだよな
> 狙ってやったのならこの作者相当の策士だぞ
> 201 :なまえないよぉ〓 :2008/11/16(日) 11:08:28 ID: h5qTXh49
> この作者はガチでアホだな。
> なんであんなマンネリなマンガの「ああっ女神さまっ」が20年くらい
> 続いてるのか考えてみれば良い。よけいな男が出てこないからだよ!
このように、意識的あるいは無意識的に大衆の琴線に触れる部分を捨象する狡猾さがあれば、萌え目的の作品は大衆性と金銭的成功が得られるのでしょうね。そう思えば、そのまま騙し騙し餌を与えてやれば安泰であったところを、敢えてリスキーなタブーを犯してまで泥沼展開に持っていった作者にはある意味で凄い。(大衆性を意図したはずのミスリードであったのでなければ)
そんなわけで僕としてはかんなぎの次回連載で、タタリ神になって穢れて悪コス黒肌になったナギたんがどのようにして仁に言葉攻めしたり以下略するのかが楽しみです。と同時に表面上の腹黒さが取り払われて逆に清純化してきたざんげちゃんであるとか、単純に物語として面白いのでこれからも読んで行きたい作品だ。
正直な話、自伝を出版するとかでもない限り、あんまりいわないほうがいいような気がする。
というのも、事情が何であれ、「中絶=子殺し」と考えてる人ってのは意外と多くて受け入れがたいんだよな。
もし受け入れられたとしても、「中絶する前になにかしなかったの??」と責められたりいいことはない。
下手すると増田の過去に疑惑持っちゃって、うまくいってたものがうまくいかなくなる可能性もでかい。
現在の増田が幸せな環境でいるのなら、なおさら「墓場までもっていけ」コースだと思う。
どうしても、その辺の事情をはきだしたかったら、ネットでそういう専門のサイトがあるので、
そういうところで匿名で吐き出したほうがいいような気がする。