はてなキーワード: タブーとは
だから、そういう奴を空気が読めないというんだろ。
例えば、リア充(オタク系に興味がないという意味を含意する)が多数派を占める職場で
オタク系の話をする奴が白い目で見られるのは明らかだろう。
「理解して興味をもってもらえるように」という問題でなく、そもそもそういう話を口にすること自体がタブーなんだっつーの。
だから、そういう回答が事実上禁止されているような場面ではどうすべきかという話。
「おまえ運動音痴なのかよwwだめだなー」とかは言われるかもしれないが
要するに、それは「空気が読めていない」(=スポーツという多数派的趣味に適応していない)ということだろ。
就活対策本にも「『スポーツ欄:なし』はタブー」って書いてある。
それはスポーツ好きこそが標準であり、そこからの逸脱は許されないということだ。
「空気嫁」と思われるのと相手をいらいらさせるのではどちらが相対的にましかという問題。
まあ、確かに聞かれたことにまともに答えないとはよく言われるが、
回答を保留したりごまかすほうがまだまし。
自国の王室批判だけはタブーと聞いたけど。
この元増田のソースは何なのか、ただのいちファンとして積み上げた憶測なのかそれとも何か確たるものがあるのか。
それが気になるところではあるけど、きっと真相の1つは遠からずその辺りにあるのだと自分も思う。
少なくとも「遂にバーニングが動いた」とか「ゆうこりんの893事務所が動いた」とか「そうかそうか」とかが原因だとは思えない。
もしそうだったとしたら北野誠なんて微妙なタレント1人ごときより先に、もっと沢山消したい存在があるはずだからだ。
(大体ネット上でこれだけそういうバーニングやら学会批判が飛び交っているのにそれらが全く削除されない時点で、その節はおかしくならないか?
「創価に消された!創価批判をしたから消されたんだ!」と叫んでる自分が消されてない事に矛盾を感じないんだろうか?)
ちなみに場所は控えるけど、ある朝日放送の人で例の「事実上の最終回になった翌週」に「サイキックは先週で終了しました・・・」って
打ち切りのコメントを読み上げていた方の日記があって、そこで語られていたのは
・できるだけサイキックリスナーに馴染みのないアナウンサーの声が欲しいと言われてサイキックに縁のない自分が読むことになった
・その関係で終了の原因、こうなった経過は聞かされているがお話しすることは出来ない
・それでもラジオに詳しい方、私と親しい方達からはしきりに真相を訊かれてくるが、申し訳ないが本当にお話できない
・それは北野氏だけでなく、松竹芸能さん所属のタレント全ての死活にも関わるし、それはまた朝日放送としても大きな問題になるからだ
・ひとつ言える事は、この日以降、それまではちょくちょく取り上げられていた「ある話題」が局内で完全タブーになった。もう私達も一切取り上げることはないだろう。
というもの。だからきっと原因としてもうひとつ、やはり何かの虎の尾を踏んだのはあるのかもしれない。それが何かは判らないが。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090330/1238349203にid:tari-Gが答えないのは単に読み難い文体の問題だということだから、本人に代わって文体を書き換えてみるよ。
これで逃げ場がなくなったね。
知的誠実を他者に要求するtari-Gクンへ
さーて、書かなければならないことはあるけれど、それはそれとしてまず売られた喧嘩を買っておきますか。
にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが、多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…ケッ 2009/03/27
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090326/1238051100
このtari-Gクンは、永訣の朝、公開オナニーにダンス・ダンス・ダンス - 地下生活者の手遊びで遊ばせてもらった、negative_dialektikクン(以下、否定弁証法クン)を擁護していたお方です。
で、このtari-Gクンに、「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去のコメント欄で2009/03/26 10:31に、idコールまでして答えたくないと思われる論点を挑発的に問うてみたら、そちらには答えがなく、上記のブクマコメがかえってきたということです。
hokusyuのところのコメ欄でのtari-Gの発言などを考慮すると、実にカロリーの高いエサなので、おいしくいただくといたしますか。
では、エサをいただくにあたっては、いつものように逐語的にお料理させていただきます。
tari-Gクンは猫かぶり文体を読んでいたはずだけど
「にゃー語は脳が受け付けないので」
ほうほう、僕の猫かぶり文体が読めないと。まあ、それ自体は珍しくないよな。
ただ、はてなブックマーク - tari-G のブックマークを開いて、tikani_nemuru_M で検索してみると、現時点で14件ヒットします。そのうち6〜7件のブクマについては、否定弁証法クンの騒ぎが持ち上がる以前にブクマされたものだね。
特に、舌打ちにのたうつ40♂ - 地下生活者の手遊びにつけていただいたtari-Gのブクマには「うんうんそうそう」というタグがつけられていますにゃ。少なくとも、このブクマをつけた1月17日時点では、「ない語は脳が受け付けない」ということではなかったみたいだね。
ま、そういうこともあるだろ。
急所をつかれると、突然に気にならなかったものが気になるようになることは、よくあることですからね。いままでも、猫かぶり文体を理由にして逃げ回る恥知らずは数えきれないほどいたし、卑劣な弱者に逃げ場をつくってあげるために、このような文体を使っているというところもありますしね。
だから、hokusyuのブログエントリのコメント欄で、僕からの質問に応えなかったのもそういうものだと思って見逃してあげるつもりでいたのにね。
わざわざ自分でクチバシ突っ込んできやがりましたので、何の遠慮もいらないだろう。
しかも、
「にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが」
などと言い訳を前面におしだしてやがりますね、みっともねええええ(げらげら
hokusyuのブログのコメント欄では、こちらからの質問に逃げておいて、僕のエントリにブクマコメで文句だけはつけたいのかー。しかも、「ない語は脳が受け付けないので斜め読みだが」と言い訳全開にしてだと?
こんなヘタレが、「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去のコメ欄で、「知的誠実」だのといっちゃってるわけですにゃ。
tari-Gくんは文献を示す義務がある
「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。」
なるほど、僕の前回エントリは[なにこれ], [これはひどい], [ご都合主義]とタグ付けされたうえに、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で」書かれた駄文というわけだな。うむうむ。
まず、僕自身はシロウトであるし、この問題について包括的に書くつもりもないということは前回エントリでも最初にことわっていますよね。
もちろん、シロウトであるからといって、研究が積み重ねられているものを無視するどころか否定するようなことを書いてよいということにはなりませんね。無知を盾にとって、ホロコースト否定論とか南京事件まぼろし論にくみする言論を垂れ流すのは確かに無恥だな。ホロコーストや南京事件については、その規模や細部についてはともかく、そうした事実があった、ということについては学問的にも確定しているわけだしね。
ところで、前回の僕のエントリを駄文と評するのは問題ないし、包括的に文献を読んだつもりもまったくないのだが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化」と断言するのであれば、当然のことながらどのような文献のどのような論点を未消化なのか指摘できるよね?
いやね、フツーならばブクマコメのこの程度の指摘に対して、いちいち「ソースだせや」なんて言うつもりはないんだけどさ、tari-Gクンってば、↓のようなことをいっていますよね。
海外の著作に言及する場合、自分が依拠しているのが、原著を参照せずに翻訳書だけなのか、それとも両方参照しているのか。依拠している文章が、翻訳書なのか原著なのか。引用訳文が翻訳書からなのか独自訳なのか。そういった極めて基本的なことを明確にしたら?。
あと、hokusyuさんは、「通説である」とか「多くの研究者に支持されている」を極めて多用するけど、そういう場合は、必ずちゃんとその根拠を明示しなよ。少なくとも、それを裏付ける著作名と研究者名ぐらい列挙しなさいよ。
学問的手法に忠実云々ということをあれだけ強調していながら、実際には、そういう最も基本的な事からして全然できてないのは、ホント困るわ。
学問というのは、自律の世界なんだから、まず自分に厳しくしないとダメだよ。
出典の紹介等について、私が「一番」「甘い」というのも全く根拠不明で意味不明だが、誰に言われようが、自分の言葉の典拠や論拠を明確にするのは当然でしょ?世界のどの研究者もしている当たり前の学問的手続きを、自分の言説にまず適用するのは当然じゃないの?誰に言われようが関係ないじゃん。情けねー。
一般読者達向けに、惜しみなく情報を提供しようとは思わないの?そもそもそこがよく分からないな。なんで知識を出し惜しみするの?
てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?
hokusyuが見てて不快なのは、学問的誠実さが本当にないところ。自分が得た情報をできるかぎり共有して判断して貰うという、最も基本的姿勢がない。結局、客観性へのこだわりがないんだよね。「信じればいい」という主観だけ。
と、議論相手にここまでソースを出すことを要求するtari-Gクンが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書く」と断言している以上、僕の前回のエントリが、多分野に渡り山のようにある文献のなかで、特に必須なものをどう未消化なのか、具体的に言えないはずもないだろう。「てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?」
僕が誰を冒涜できるのだろう?
「こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…」
何をいっているのかぜんぜんわかんないのだが。
ホロコーストがあった、ということは歴史学的にもまともな学者には完全に合意され決着がついていることがらなので、ホロコースト否定論が「先人の業績」にまるで敬意をはらってないということになるのは当然だな。
ところで
人工妊娠中絶について、生命倫理学的に決着がついていたっけ? で、僕がそれに反するようなことを書いていたかにゃ? 僕が「先人の業績」を冒涜しているというのなら、ちゃんと根拠をだして説明してくんないかな。
それに
「被害者」「死者」等への冒涜 って何のことかにゃ? 僕のエントリが、どのような理路で、「被害者」「死者」等への冒涜 になるのか説明してくんないか?
tari-Gクン、チミな、他人に対して知的誠実だの学問的誠実だの、根拠をだせだのとさんざんいったのだから、求められたことを説明するのは当然だろ?
以前は猫かぶり文体も読めていたようだし、猫かぶり文体で書かれた文を、頼みもされないのにわざわざDISりにきたんだからさ、説明の責務があるのはアッタリマエだろ?
ここで僕の予想を書いておくと、tari-Gクンはまともに応えることはできないと思う。他者に要求するものが自分に向けられることを想定すらしてないだろう。
そして、他者に要求することを自分はまるでできないということと、否定弁証法クンのような歴史修正主義にくみする者を擁護することと、多分つながるところがあるのだね。
もちろん
自らがhokusyuに要求しているようなことをtari-Gクンができた場合、僕は鼻水を垂らしながら全力で謝罪するつもりです。
再掲
それと、ついでといってはなんだけど、hokusyuのところのコメ欄に書いたものを再掲しておくので、こちらにも応えるように。>知的・学問的誠実を他者に求めるtari-Gくん
>id:tari-G
「歴史問題は、政治問題化してしまうのです。ホロコーストの歴史的実態について再検討する必要がある、と口にしただけで、反ユダヤ主義者のレッテルを貼られてしまいます。南京での中国人の被害者の数も、中国共産党政府の主張する30万人とか40万人とかいう数字をそのまま受け入れなければ、大日本帝国の軍国主義復活を目論む右翼分子とレッテルを貼られそうな勢いです。冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺されてしまいます。」否定弁証法3/17
と、上記の主張は端的にデタラメだよね。「冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺」ってのは事実と異なる主張だよね。
で、歴史に関する記述が政治的に歪められているという上記断定は、歴史修正主義が大喜びする「どっちもどっち」という判断を直接的に導くよね。tari-Gも、「どっちもどっち」は歴史修正主義の手口だと認識してるだろ?
さて
3/17の否定弁証法クンの主張は明らかに歴史修正主義にとって都合の良いデタラメの垂れ流しであるがゆえに、これを厳しく批判する論調がでてきたわけですね。
しかも、直後の否定弁証法クンの反応は、具体的な反論に対して「史上最大のタブー」「「信者」と議論するのは、ご遠慮しておきます」と、明らかに陰謀論を採用して議論を拒絶していたわけですね。ここも批判されて当然だろ。
でな、今回は否定弁証法クンがデタラメを垂れ流したので叩かれた、というだけの話だぜ。しかもそのデタラメは歴史修正主義を利する典型的なデタラメだね。
こうした批判に対して
>これはhokushyさんのような圧殺的行動への批判であって、具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白です。tari-G
って意味がわかんないんだが。
いいか? 先にデタラメ垂れ流したのは否定弁証法クンだぞ。それを批判すると、後付けで「圧殺的行動への批判」となるわけ? 時間的前後が無茶苦茶。
しかも、デタラメを批判すると圧殺的行動になるってのも支離滅裂。デタラメを批判したらいかんの?
おまけに、「具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白」って、どこに根拠があんの? チミの脳内で明白なだけだろ?
というわけで、僕はこの1点でチミのお相手をさせていただく。
人生つーかプライベートつーかでのホームをいつのまにか失ってしまった。物質的な「家」のことじゃない。帰るべきところ。無防備になってもいいところ。大概のことは受け入れてもらえて、大概のことを受け入れたいところ。ホームグランド。
私は人間不信だ。何故だかたくさんの人が私をかわいがってくれて、嬉しいからへらへらとしているのだけれど、根っこの部分では「どーせあんたらも私を捨ててくんだろ!!」っていうわけのわからない諦念と怒りに支配されている。いやもうお互いいい歳なわけで、それぞれの生活や信条や立場があるのはわかっている。でもなんつうの、背中を預けて戦いあえる仲っつーの? 確か前はこの手に持たせてもらってた自信があったんだよ。
少し前までは、とんでもなく困った時に泣きつける場所をひとつ与えられていた。深夜に突然電話しても、「寝てない、横になってただけ」と話を聴いてくれる人。ずっと甘えてきたけれど、自分に彼氏ができたのをきっかけに無意識にけじめをつけてしまった。彼女がいる彼に甘え続けてきた私がおかしかったのだ、と、強く思ったらしく、自分がまた独り身になった今でも何故か、連絡を取れずにいる。
一瞬付き合った彼氏つーか元彼は、友達期間がえらい長かったので、この人なら大丈夫だ、と思った。が、無防備になった途端に、セックスだけ求められてたことがはっきりして、腹が立って別れた。あなたを知りたい、私を知ってほしいと求めても無視された。それでますます人間不信になった。私を見て!って強烈に主張する大人はうざい。それをやっていいのは子どもだけだ。それは知ってる。彼氏彼女って関係では少しくらい、それを主張してもいいんじゃないかと思ったんだけどなあ。
友達がいないわけじゃない。十年来の仲の子もいる。けれどもみんな、「私のことより自分のことがんばれ」な状況が多くて、気を遣ってしまって頼れない。大親友とお互いに称するかわいいあの子は子育て真っ最中だ。そうでなくともなんだか私は、彼女にはどす黒いことは話せずにきた。彼女は本当に素敵な女の子で、一緒にいるとまぶしくて、自分のいいとこだけ見せたくなっちゃうんだ。聖域のように扱ってきた。
ほとんどの人が最後の砦として持ってる、実家はどうだ。残念ながら私の実家は地獄だ。つーかそもそも人間不信の発端は、実家でのというか母との暮らしにある。私が幼い頃から、母と、ご利用が計画的に出来ない父は言い争いを続けてきた。父と私と妹だけが食卓につき、母が台所で食事を取る・二人の伝言役を仰せつかるっていう冷戦状態と、かりそめの団らんが交互に続いた。寝て起きたら冷戦だったり、学校から帰ったら団らんに変わってたりするわけです。団らんになるたび、今度はいつまでも続いてくれないかなーと祈る日々。狂ってたと思う。今でも思い出すと過呼吸寸前になる。母子家庭になってからも父の話題は私の中でタブーになっていて、気安く持ち出しては「おまえの父の借金なんだからおまえが返せ」といびってくる母とは、そろそろ別居しようと思っている。妹ばかりかわいがり、私をなじるのにもうんざりしている。こんな家庭なのに学費バカ高い大学に行かせてくれたとか、いろんなことに愛情は感じているけれど。記憶はしみついて消えない。
そういう毎日の結果、自分でなんでもしなくちゃ!と思った私は、一人で生きてけそうな女に育ちました。なんでもしなきゃ!と思ってるから、人を信じられない。末永く幸せに暮らしましたなんて家庭はどこにもないと思ってる反面、ものすごく憧れが強くて、それが重たがられて誰かと付き合ってもすぐ別れてしまう。全面的によりかかっていいはずの時期に両親がエゴ全開だったから、未だに甘えたい部分が強く残っている。
と、自分を分析しているけれど、「二十代半ばで性格を親のせいにするとかpgr」とも思っている。こうなってしまったことについて親を責めようとかは思ってないけれど。だって母だってメンヘラ気質なんだもの。責任とれや!とか言ったって泥沼になるだけ。つーかもっと子どもなころにぶち切れたことあったけど、逆ギレされて終わったんだよなあ。「人間はみんなさみしいの!」「自分の思い通りになると思うんじゃねえ!」と、年端もいかないのに罵られたことは忘れません。まあね、母も余裕がなかったんだよ借金問題で。
この先ももう、全てを預かりたいと思う人は現れても、私の全てを預けていい人なんて現れやしないだろう。だから内側に残っちゃってる小さい自分は、自分で育ててやらなきゃならんと思っている。少しだけ頼るっていうさじ加減も、覚えていけばいいんだと思う。何故だかいろんな人が私を頼る。それに応えることで、自分を認めてやればいいんだと思う。
何年もそうやって努力してきたけど、やっぱさみしい。傷つきたくないから自分で人を遠ざけて、その結果の強烈な孤独だということもわかっている。でもさみしい。守られたかった。頼りたかった。ここに戻ればおおむね大丈夫って場所が欲しい。ホームが欲しい。
孤独感が高じて、一日の三分の一くらい死ぬことを考えている今日この頃。素人自己分析の結果を話して、どう変わっていけばいいのかカウンセリングに行こうと思っている。もう限界や。甘ったれさ、ああ甘ったれなのさ。ふつーに育った人はこういう気持ちをどこにやっているの。
なんか文章ぐちゃぐちゃだな。明け方の増田だから許して。
いやもうその通りなんだよ。
もちろん私立だってなんかあるところではあるだろうけど、発生率が段違いっていうかさ。もちろんゼロではないわけだけど。
単純なリスク回避の問題としての私立というのは選択肢として充分にあり得るわけだ。
ところがメディアレベルではこのことはタブーなんだ。(唯一サバンナの八木だけがこのタブーを犯せる)
つまり成績や、もっといえば職業との粗暴度や犯罪発生率の相関関係が明らかになってしまう。
ここに差別性が生まれる余地があるから。(だって犯罪発生率の高い要素を満たしている人間が善良な人間であるケースは山ほどあるからね。犯罪発生率80%の分類グループがあったとして、そいつらを100%犯罪者扱いすることは残り20%には濡れ衣なわけだ)
だからと言って相関関係がないかと言うと、それはもう確実にあるわけで、だったらリスクの少ない方を選ぶのが生きるコツなわけで。
生きる知恵として大いにアリだと思う。
ついでに、昔BUBKAかGONか実話ナックルズか忘れたけどその辺の雑誌が、「職業別犯罪発生率ベスト20みたいの」を調べて掲載しようとしたらストップがかかったらしい。
と、http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090311/p3を見て思った。
心が狭い? でも、彼もこう言っているではないか。
「タブーとされている」とは思わないけれど、自分の好きなものの欠点を指摘されると怒り出すひとは実在する。ていうか、いっぱいいる。
「欠点を指摘すること」は必ずしも「存在を否定すること」ではないのだが、その差異を理解できないひとたちである。
それはまあ、見当はずれの批判をされたら腹も立つだろうが、どう考えてもこれは認めざるをえないだろ、という批判でも怒るひとは怒る。
たぶんそうひとは「好き/嫌い」と「良し/悪し」が一直線に繋がっているのだと思う。しかし、やっぱり「好き/嫌い」と「良し/悪し」は別物として考えたほうが良いだろう。
「見当はずれの批判」をされたら怒るのは当たり前なのだ。
そして、その批判が見当はずれかどうかを判断するのは誰でもない、自分自身である。
自分の好きなものを批判されたとき、その批判が「どう考えてもこれは認めざるをえないだろ」と冷静に思えるだろうか? ほとんどの場合、「見当はずれ」だと判断するのではないか。その判断が各人にゆだねられている以上、他人から見て「どう考えてもこれは認めざるをえない」批判であっても、関係がないのだ。
よって、自分の好きなものを貶されて怒っている人を見て「お前が怒るのは器が小さいからだ」とDisるのは無意味だと思う。
むしろ、「他人の批判を受け入れられるオレかっこいい」と言っているようにしか聞こえない。
多分海燕先生だって、自分が好きなものが自分の想定していない方法で批判されたら「見当はずれだ」と言って切り捨てるに違いない。
なんか女って今結婚する意味あるのかなと思う。メリットっていうのか。なんていうと「結婚という神聖なるものをメリットなんていう冷たい計算で考えるなんて!!」「本当に(笑)好きな人と結ばれてどーたらこーたら」「真実の愛が」とか言う宗教者みたいな人がわらわらわいてきそうで怖いんだけどさw
男だったらセックス要員とかぼくのお母さん要員的な意味で一応あるんだろうけど(でも自分が男だったらしないと思う……まあ男になってみたらしたいと思うのかもしれないけどね)
女ってそれすらないっていうか。子供をとにかく無意味に強烈に持ちたい!って女性でもなきゃ結婚する意味ないような。
専業主婦なんて、リスク高すぎで絶対したくないし。夫に人生丸預け、に等しいことをよくやれるなと思う。そのリスクの割に子供がいたら楽でもないし、全然割に合わない。専業とかやってる人はよくやるなと思う。といって共働きなんてしたら、家事は大抵妻が背負うハメになるのがこの国っしょ?どう転んでも割に合わないwセックス拒んだらそれが離婚原因になるらしいし。てこた、結婚したらセックスせねばならんということでしょ実質的に。性欲薄いからそれにまず耐えられないなと思う。
この先女性が一人で暮らしていけるようになったらどんどん結婚意欲減るんだろうなと思う。だってする意味がないもんね。世間からの無意味なプレッシャー以外。きっと、そのプレッシャーは女性が結婚する意味なくね?と気付く割合と反比例するように増えるんだろうけどwまあ男も最近したくない人多いらしいしちょうどいいんでない?皆成人はそれぞれ基本一人で暮らせばいいじゃん。子供を作るのは職業にすれば?
本当なんで皆結婚を当然するものと考えているのか分からない。なんか一種の洗脳に見えて怖いんだよね。だって「なんでそうまで結婚したいと思うの?」って聞いてもたいてい「いや、だってやっぱりしておかないと」みたいな答えしか返ってこない。そんな「やっぱりしておかないとなんとなく」的なことで人生の一大イベントの決行を決めてしまうことが理解できないわけなんだけどさ……
で一番不思議なのは、男が「男は結婚する意味あるのかな」みたいな事言っても、あまり叩かれたりしない(むしろ同意されたりしてその流れで今時の女なんてクズ的な感じになったり…)けど、女がこういうこと言うとこぞって「それは若いうちだけ」「年取ったら後悔する、するに違いない、絶対してる。まあいいけどね自分には関係ないし!でもしらないよ」「女は結婚すべきとにかく」「それが本能」とか呪うような言葉を必死こいてかけてくる傾向が見られる。あと、執拗に哀れもう哀れもうとするのね。その必死さが寧ろこっちからは哀れに見えるんだけど、それ言うと余計ヒステリックになるからなぁ。ああいうのは何なんだろう。
女が結婚別に意味なくね?というのはある種のタブーなのだろうか?そこに気付いてしまうとヤバい、みたいな。結婚したい男は焦るだろうし、結婚してしまった女や、結婚前提で人生歩んでる(一生仕事する気ないとか)に早々に転換してしまった女は否定されたようで焦る、っていう感じなのかな。
男のときには割りと「フーン。そう思うなら結婚しなきゃいんじゃね」的な感じでも女となると「結婚しないなんてとんでもない」みたいな扱いになるのは、女が産む側だからなんだろうか?貴重な子産み要員・まんこ要員を一人でも失いたくないという気持ちが無意識に働いてしまうっつーか。男が結婚したくないといっても女からしたら「別にブサメンがそんなこといってるのは構わんよ」で男からしたら「ライバル減る」みたいな。女がしたくないというと男からしたら「子産み&まんこ要員が!!」で、女からしたら「何?私たちを否定する気?!」みたいな。なんにせよ女ってとかく両性から責められること多いよなぁ……女の敵は女とよくいうけど、それより、女の敵は男だけでなく女も!が正しい気がする。まあ黙っていればいいんだから、別にいいんだけどね。
「一生結婚しない」と周囲に宣言している男がセックスにに至れる確率は低い気がする。
「一生セックスしない」と周囲に宣言している女もやはり彼氏は作れないと思う。
しかしこの逆はどうだろう?
「一生結婚しない」と宣言した女でも彼氏は作れるし、当然セックスにも至れるだろう。
「一生セックスしない」と宣言した男でも、結婚は出来るだろう。
突き詰めると、結婚とは男と女の間での資源交換であって、男は女の体、女は男の財を求め、相手が求めるものを差し出すだけなんじゃないかと。
とはいえ、体と財の交換が結婚の本質だとしたら、結婚に関しては女が不利だ。
男もさすがに女の体が目当てとは言えないが、男が女の顔や体系の好みを言うのはタブーではない。
金持ちブサメンと貧乏イケメンだったらどっちが得な人生かは判断が難しいが、金持ちブサ子と貧乏美人だったら後者のほうが幸せな人生だろう。
昨日の夜寝る前に
http://anond.hatelabo.jp/20090209001638
を読んでちょっと思うところがありつつもそのまま寝たのだけど
さっき覗いて今日の宗教話の大元がそこだったことにびっくりしたよ。
いつもながら思うのだけどほんとみんな宗教話が好きだよな。
文ちゃんと教室に入ってどこの席に座ろうかと思ってたら、
もうすでに席が埋まってて、HP(?)によると、
当日の朝早くからクラス女子が集まって親睦会をいろいろ開いて写真をUPしてた。
そしてひろくんがハンディカム片手にいろいろレポし、インドの店でレトルトのカレーとか盗んで女店員に捕まり、
「ワタシハシリマセン」とかとぼけて、「さんまさんに取れといわれた」といって、
さんまさんは家族のことを馬鹿にするのはタブーらしく、それ以外ならいいって感じだった。
フックンがそこから入るのはだめといってくる。
研究室にいくと、ネットワーク系研究室のはずが、家庭用廃棄油を蒸留して、きれいにする装置があった。
それで、この装置で最終段階ってとこまできてて。
でも新規性を探すのに悩んでた。
増田って人事関連の人居ないのかな。
これ、「正解の無い揉めそうな話題を投げてみて、どう周りの人とコミュニケーションとるか見ましょう」ってヤツなんだが。
そもそもの目的をきちんと確認しているか、リーダーシップを取るのか、発言できないのか、人の発言を遮らないか、全員の意見を確認するか、時間内でまとめようとするか、etc.etc...
でも、宗教とか性別とか出身とか居住地とか人種とか年齢なんかはタブーであることが良くあるので、大抵もっと穏当なのを選ぶけどね。
「あなたたちの乗っていた飛行機は、砂漠に不時着しました。こんなものが手元にあります。どうしますか」ってやつとか。
「どこからどこに向かう飛行機で、自分たちはどの砂漠に不時着したか知っていますか?」とか質問してくる学生が居ると、おっと思う。
(あるいははてなにおいて戦線が拡大し収束不能になる過程の記録。)
悪いのは誰? - ある無人島漂流の物語 - タケルンバ卿日記
ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。
@_temaki_ あ、そこか。あれは違うんだよ。話を聞いた女の子(研修した子)がそう言ってたんだよ。「感情論でおしたんだけど、ダメでしたー」って。俺が感情論って判断したわけじゃなす。
@Yoi ああ、あるでしょうね。実際、その研修時、論理的な回答をした男性に女性陣はd nbkだったそうですw
※dnbk=どんびき、らしい。
@yoppa0516 そうそう。俺もそう思ってたの。こういう喧々諤々できる設問がいいのにね。価値観がバラバラだから、思考実験にいいのに。なかなかおもしろいリアクションだと思った。これは新発見。
@Yoi 思考実験とはいえ、身に置き換えて考えやすいからこそ、痛みを伴うのかもしれませんね。想像上の世界とか、思考や論理ではなくて、自分の身に置き換えて考えやすいのかも。
@Yoi そうですね。共通の答えを導くプロセスの学習と、ほどほどの妥協の必要性とか。そういう社会性を身に着けるのに適しているかと思います。
@_temaki_ そうなんだけど、それを会社の研修という強制参加の場でどうよって反発はようわかる。わかるが、それは俺のせいじゃないw 第一、俺が講師か研修担当者なら、この論題選ばんよ。
@threelz つか、研修受けた人の話聞く限り、そういう研修なんよ。まとまらないことを学ぶ研修というか。あるいは強引にまとめることで、まとめたかに見えて、実はバラバラになる体験をしたりとか。
※以下流れを大づかみにつかむための説明文なので、詳細は本文を参照してくださいです。
論理的思考と説得の技術を試す機会だ、という考え方は『それはそれでひとつの考え方なのでしょう。』としながら
『女性の感情論を、ムリヤリ数の力と、論理で押し切ったようですな。』という卿の発言を批判。
会社の行った研修に対しても『低俗な心理テストもどき』として短く批判。
『「関係を迫った男が許せない」、「関係を持つことを条件に、船を直すだなんてヒドイ!」という極めて当たり前の道徳を、平気で「女性の感情論」と切って捨てることの出来る非道さを見るだけでも、このバカが如何に拙劣な人間性しか持ち合わせていないことは即座に理解できよう。』
「川を渡る女」の改編であると指摘。
『まあ、こういうしょうもないディスカッションって新人研修でやるところあるよな。俺が最初にこの業界で潜り込んだ会社でもやってた。正直アホらしかったがな。』
『ちなみに研修のときの回答は、「ただ、Lさんが金槌持ってSかBの後頭部ぶっ叩いて気絶させて有り金と船パクって渡っちまったら万事すべて解決するだけの話じゃね?」と。研修担当の産業カウンセラーから「あなたはめちゃくちゃ反社会的で歪んでる。」と言われたけどね。アホらしくて付き合う気にもなれない。』
『そもそもさ、このくだりもかなり偏見が入ってるわけで。元々、その女性たちの意見を「感情論」と片付ける発想と、「金出せばやらせてくれるからいーじゃねーか」というのを論理と考える発想ってさ。それこそ以前炎上した原因そのまんまの話なわけで』
価値観を問題にするのであれば一つの結論を出せるはずがないので、ディスカッションの意味がよくわからない、という批判。
卿のtwitterでの発言に対し批判に対し傍観者になるべきでないと批判。
(後に卿は該当の発言は仕事に対するものだったと弁明。)
id:takerunba これだけブコメがついて、誰一人、個人的な仕事についての発言という可能性を考えない件について。何でもかんでもブログのことについて発言してると思ったら大間違いあるよ。
このテーマでGDをセットした企業を『題材提示の時点で既に性差別が存在している』として批判。
『もし欧米の企業で同じ研修が行われたら、担当責任者の首が飛ぶ問題になりかねません』日本企業の性差別へのデリカシーのなさ等を批判。
「無人島」は「「川を渡る女」の『「性的な局面においてその人の大事にするものがわかる」という認識に基づく改変です』と指摘。
『その発想が新入社員研修において持ち出されることがセクシャルハラスメントでないなら、セクシャルハラスメントという概念が何であるかさっぱりわからない。』と批判
『そう。この設問は、それそのものが理不尽なんだろう。』としながら一連の流れが面白いという反応。
『この話では誰が悪いという結論はどうでもよくて、その過程の反応にこそ価値がある。』としている。
話の論点は『「答えの出ない理不尽な状況下に、個人とビジネスどちらを優先するか?」』にあるのではないかという考察。
GDの議題に対する個人的回答。
問題文を読み変え再設定することで上手く切り抜ける方法を提示。
その後、『こういった鬱展開に揺らがないためにはどうすればいいのか?』という問題に対し、独特の考え方が続く。
『そしてもちろん僕は僕自身の宗教を打ち立てる道を選んだ。大学一年の春のことである。』
『僕の宗教に神はなく、ただ僕と僕以外がいるのみである。世界に不幸があるのはつまるところ僕が世界を救わなかったからだ。』
twitterでのy_arimとのやり取り提示しながら卿の意図の推測と卿への批判。
『ビジネスの場、それも一企業の内部では、多くの場合で前提状況そのものを問うことは禁じられている。
いや、禁じられてなどいないかのようになってるけど、誰も歓迎はしない』として
この議題は差別的なジェンダー規範を内面化させものではないかのではないかとして批判。
『それにしてもid:takerunbaさんは少し叩かれすぎだと思います。』卿を条件付き擁護。
研修がアウトソーシングされそこで企業の日常業務では到底ありえないような行為が公然と行われるケースが多くあることを指摘。企業の研修が「聖域」となり、パワーハラスメントの場になってしまうケースが少なくないことを指摘。
卿は厄介な問題だという認識を欠いたまま首を突っ込んでしまったのかもしれないとコメント。
『あの課題の設定された目的(どの価値観を重視するかという話)とはかなり離れたところで、ふと哲学的な疑問が沸きました。選択の余地があるのと無いのと人間はどっちが幸せなんだろうという話。』
セクシュアリティにからまない別の設問を提示した上で、正答の無い問題を考えること自体は良いことなのではないか、という視点を提示。
※戦線が拡大しすぎてこれ以上追うのはむりぽ。
興味がある人は元エントリのはてブ>「このエントリを含むエントリ」で確認してください。現時点で32コある。
あとはキーワード無人島ではてブ検索とか。エントリについてるタグで飛ぶとか。
派生エントリにはトラバ売ってるけど元エントリにトラバ打ってないエントリも多い。
>id:Midas 面白そうなのでエントリ書いてここのブクマで告知してもらえればまとめに追記しますよ。
>id:matcho226 あまり考えてなかったので反省した。まとめエントリがほしかったけどなかったので書いてみた。