はてなキーワード: オーラとは
上記の2者を同一視している気がする。人気の少ない場所では上のは当てはまるかもしれないけど、電車の中ではあまり無いはず。逆もまたしかり。
任天堂の宮本茂やWiiに関するNew York Timesの記事。
http://www.nytimes.com/2008/05/25/arts/television/25schi.html より拙訳。タイトル含め、所々意訳。
追記:原題の " Resistance Is Futile (抵抗は無意味だ) " はスタートレックに出てくる有名なフレーズだそうですね。これはそのままのほうがよかったかもしれません。教えてくれた人どうも
「任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ 〜 最強の55歳 〜」
宮本茂はゲーム界のウォルト・ディズニーと言っても決して言い過ぎではない。
ディズニーが1966年に亡くなったとき、宮本さんは14歳の少年だった。学校で教鞭を執っていた父の元、彼は日本の古都・京都で育った。当時漫画家を目指していた彼はディズニーのキャラクターに夢中になり、ひたすら絵を描いていたという。絵を描いていない暇なときは、自ら遊び道具を作った。祖父の工具を借りては木彫りの人形を作ったり、予備のモーターを見つけてはそれに糸とブリキの缶を組み合わせてカーレースをしたり。
かの有名なドンキーコング、そしてマリオやゼルダといったゲームを生み出し、最近ではWiiを世に送り出した宮本さんは世界で最も知られ、影響力のあるゲームクリエイターだ。世界中のゲーマーにとっても憧れの的である。しかし有名人になっても彼の仕事への態度は微塵も変わることはない。その姿勢はまるで謙虚な職人さんと言ったところだ。
ミッドタウン・マンハッタンのとある高層ホテルの特別室にてインタビューは執り行われた。彼は部屋に設置されたソファの一角に座っていた。今年で55歳になる男とは思えない天使のような笑顔の彼は、長年人々を楽しませてきた人が持つ独特のオーラを発していた。
宮本さんの生み出した数々の作品は世界中の人々に文化の壁を越えて受け入れられ、経済的な成功をもたらした。その成功はエンターテインメントの世界で比べるならば、ディズニーのあの伝説級の成功と肩を並べると言ってもいいほどだ。
そんな宮本さんがもし西洋の人間だったら、早々に会社を辞めて自ら会社を興していたかもしれない。きっと何千億もの大金を得られたに違いない。セレブになってエンターテインメント界の象徴としての地位を築いていたかもしれない。
しかし彼自身は任天堂の王様として人々の憧れの対象になったにも関わらず、妻と子二人という家庭のごく一般的なサラリーマンという印象を与える。ただ一般のサラリーマンと違うのは、創造力に満ち溢れて特別幸福な点だが。そのためタブロイド紙を賑わすセレブのようにマスコミの餌食になることもなく、比較的平凡な生活を送っているようだ。
インタビュー中、宮本さんをウォルト・ディズニーに例える話が出た際、宮本さんはディズニーの功績にはとても及ばないとした上で、こう補足した。「僕にとって大切なことは、僕だけでなく任天堂で活躍する人たちがもっと世間に認められて会社全体のブランドが今以上のものになることです。もし皆さんが任天堂ブランドをディズニーのそれと同等のものと見なしてくれるのならば、それは会社として大変光栄なことですし、私自身も嬉しいです」
宮本さんが30年近くも前に生み出したひげ面のイタリア人配管工・マリオは、ある調査によれば地球上最も有名な架空のキャラクターだそうだ。彼と肩を並べるのはミッキー・マウスぐらいだという。
宮本さんが生み出したゲームのうち、ドンキーコング・マリオ・ゼルダシリーズだけでも売上合計は3億5千万本はくだらないという。そして彼が生み出したのはゲームだけではない。任天堂のゲームばかりを買い求める熱狂的なファンも生み出した。全人類が今までゲームに消費した途方もない時間のうち、そのほとんどは宮本さんが関係しているのではないだろうか。ちなみに、今春に行われたTIME誌によるインターネット調査では、宮本さんは世界で最も影響力のある人物に選ばれている。
しかし宮本さんの最新の作品・Wiiに群がっているのはなにも古参のゲーマーだけではない。少し説明を加えよう。
ほんの18ヶ月ほど前、ビデオゲーム市場はマニアだけが喜ぶニッチな世界へと沈みかけていた。だがそんな折、この産業に大革命をもたらしたのが何を隠そう、任天堂社長の岩田聡とこの宮本茂(宮本さんの正確な役職は代表取締役専務兼情報開発本部長)だったのだ。彼らのアイデアはシンプルであるがゆえに革命的だった。ゲーム作りにおいて、コアゲーマーを刺激する次世代技術ばかりを追求するのではなく、家族で遊べることを重視し、複雑な操作の必要がない安価でお手軽な娯楽を追求しようとしたのだ。それがWiiの発売へと繋がる。そして特に従来のビデオゲームとは無縁だった女性層を呼び込むことに成功している。今のところ、Wiiは世界で2500万台以上を売り上げている。これはライバルのソニーやマイクロソフトを上回る数字だ。
この成功をさらに積み上げようと、先週任天堂は北米においてWii Fitを発売。従来のゲームでドライブしたり物を投げたりジャンプしたり銃で撃ったりという動作を楽しんできたのと同じ感覚で、テレビの前に立ってヨガなどを楽しめるゲームだ。今のところ明らかにできる具体的な売り上げデータはないが、既に売り切れの店舗が多数報告されているようだ。
世界中でアメリカのメディア文化が幅を利かせているが、ビデオゲームに関しては日本が最も成功している。そしてWiiとDSの成長により、任天堂は日本で最も価値のある企業のひとつとなった。また経済誌・Forbesによると、前経営者の山内溥氏が総額8000億円ほどで日本一の資産家となったと報じている。(任天堂は宮本さんの報酬を公開していないが、彼は資産家ランキングには参加していないと思われる)
「宮本さんがいなければ任天堂はただの花札屋に戻っていたかもしれない」 No.1ゲーム雑誌・Game Informer 編集長、Andy McNamara氏は任天堂の1889年創業当時からのビジネスに言及して指摘した。「彼はおそらく、ゲーム業界にいる99%の人間に影響を与えている。宮本さんと任天堂がいなければビデオゲームなんて存在しなかったに等しい。彼はすべてのゲームクリエイターの父の父なんだ。ゲーム業界に数々の遺産を築き、業界を象徴するキャラクターをたくさん生み出してきた。それでもおかしなことに、いまだに彼はWii Fitなどを通じて自らの限界を超えようとしている」
宮本さんは1975年に金沢美術工芸大学を卒業後、2年ほどして工業デザイナーとして任天堂に入社している。そして彼の作った初代ドンキーコングは、スペースインベーダーやアステロイド、パックマンとともに、当時急成長していたゲームビジネスの立役者となった。その後も初代マリオブラザーズによってアタリショックで疲弊していた家庭用ゲーム機市場を救い、1980年代以降、彼は社内で頭角を現し始め、任天堂と言えば宮本茂と言われるほどだった。
市場にクソゲーが氾濫し、アタリ社が失脚した際に登場したのが、かの有名なNES・Nintendo Entertainment Systemである。任天堂はNESによって人々の家庭用ゲーム機に対する熱を再び燃え上がらせることに成功した。西洋で1985年に発売されて以降、瞬く間に当時最も普及したゲーム機となったのだ。
それ以降宮本さんは、最近のマリオカートWii・スマブラX・スーパーマリオギャラクシー・トワイライトプリンセスなどといったヒット作も含め、70近くものゲームに直接携わってきた。下請けメーカーの作るゲームも監督し、今までにのべ400人ほどのゲーム開発者と関わってきた。
Wiiによってゲームには無関心だった層を魅了する一方、馴染みのタイトルの最新作においても宮本節は健在で、ゲーマーたちの信頼も厚い。
彼はなぜこれだけのヒット作を生み出せるのか。彼のゲームデザインに徹底して一貫しているものは、細部への気配りと拘りの積み重ねである。それだけだ。ディズニー社がしゃべる動物たちであそこまで会社を大きくできたのにちゃんとした理由があるだろうか。それと同じだ。青い作業着を着た風変わりなおじさんが人気者であることにも、これといった理由はないのだ。
あえて言うなれば、宮本さんがゲームの世界において生き神のように崇められる理由、ひいては私が20年以上前にスーパーマリオブラザーズを遊ぶためにピザレストランの行列に並んだ理由はこうだ。彼のゲームには、もうワンコイン投入してコンティニューすることを厭わない魅力があるからだ。現代風に言うと、もう一時間ソファに座っていたいという魅力だ。
また、映画評価が特殊効果の質で決まるわけではないのと同じように、ゲームの評価もまたそのグラフィックスだけで決まるわけではない。この基本を大概のゲームクリエイターは忘れてしまっている。しかし宮本さんはその基本を忘れることはない。それは映画マニアが例えば…そう、先日公開された「Iron Man」なんかよりも昔の白黒作品を好むように、宮本さんの初期の作品群もまた、今でも娯楽としての役割を充分果たし、広く楽しまれていることからもわかるであろう。
ディズニーの副社長で、Disney Interactive Studios社のゼネラルマネージャーを務めるGraham Hopper氏は電話インタビューを通じてこう言っている。「ビデオゲーム産業において幾度も成功を重ねて来た人物、しかもそれが世界規模で、となるとそんな人はほとんどいません。宮本さんはそのうちの一人です。しかも彼の場合、長期にわたり成功を重ね続けて来たわけです。同じレベルで肩を並べられるクリエイターはおそらく存在しないでしょう」
宮本さんの生み出すキャラクターがマリオとドンキーコングだけではなく、ピーチ姫やゼルダ、そしてクッパにリンクとゲーム界の有名キャラが目白押しであることを考えると、彼がキャラクター中心のゲーム作りをしていると思われるかもしれない。しかし実際はまったく逆だ。宮本さんによれば、ゲームのシステムや仕組みを考えるのがいつも先で、キャラクターはゲームデザイン全体を見て考えられ、配置される駒に過ぎないという。それは一見平凡で退屈に見えるゲームの基本要素に注力するということだ。ゲーム全体の流れや設定をどうするか、ゲーム内で達成すべき目標や克服すべき障害はなにか……。
「自分としては、私たちが作ったマリオやリンクなどのキャラクターを皆さんが好きになってくれるのは、ゲームそのものが楽しいからこそだと思います。ゲームに夢中になれるからこそ、結果的にゲーム同様、キャラクターも好きになっていくんだと思います」と宮本さんは語る。
宮本さんの最近の作品はマリオのキノコ王国やゼルダのハイラルのような風変わりな架空の設定や創作のキャラクターに頼らないものとなっている。彼のペットであるシェットランドシープドッグに触発されたNintendogs を始めとして、Wii SportsにWii Fit、そして次回作のWii Musicのようなゲームを見ればわかる通り、宮本さんはペット・ボーリング・ヨガ・フラフープ・音楽といったいわゆる"趣味"に根ざしたゲーム作りに惹かれているようだ。まるで抽象画を極めた画家が最後には写実主義に目覚めたかのように。
「ここ5年間で自分のゲーム作りの方向性は変わったのかもしれませんね。昔はもっと自分自身の想像力を使ってゲームの世界観を練り上げていったと思うのですが、ここ5年間は自分の私生活での興味を引っ張りだして、それを何かしらの遊びに繋げられないかなと考えるようになっていったと思います」
このイカれた配管工はなんで亀を何度も踏み続けてるの? この緑のナイスガイはなんで同じお姫様を何度も助けにいくの? そんな考えを微塵も起こさないほどゲームに無関心な人たちの目を向けさせることに任天堂は成功している。それは宮本さんのこれらの考え方が強力な武器となったことの証ではないだろうか。
そして強力な武器はもうひとつある。
さて、プレイヤーがゲームに直接参加したいと思ったときどうすればいいのだろうか。インターネットにはSNSのMySpaceがあるし、テレビにはオーディション番組のAmerican Idolがある。何を隠そう、それを実現してくれるのがWiiのMii機能だ。MiiはWiiユーザーが自由に作れる変幻自在のアバターだ。そう、最新の任天堂ゲームの主人公はマリオでもゼルダでもない。あなた自身なのだ。
「私はMiiに関してはマリオやゼルダと全く同じ任天堂の財産だと思っています」宮本さんはMiiに関してこう述べた。「Miiが面白い点は、子供であろうと大人であろうと、ひとたびゲーム画面のMiiを見てプレイし始めれば、もうその人はゲームに没頭できるんです。通常のキャラクターで遊んでいるときは、ゲームの世界から一歩下がって遊んでしまうことがありますが、自分のMiiを作成して遊べばゲームとの一体感はより増します」
任天堂は今夏にWii Musicの続報を発表すると期待されている。その基本コンセプトは、既に完成された楽曲を楽しむGuitar HeroやRock Bandとは大きく違い、作曲や即興演奏の楽しさを体験させてくれるものだという。
ところで、宮本さんは学生時代からBeatlesやLovin’ Spoonfulのような洋楽を聞いて育ったという。ピアノやカントリーギターも弾けるし、カントリー音楽マニアでもあるという。インタビューの後、宮本さんと会食の場を設けた際にこんなことがあった。その会食があったレストランのショーステージにカントリーミュージシャンのRicky Skaggsが数日後に上がる予定だと聞いた彼は、即座にその名前に反応し、半ば冗談ではあるが「滞在期間を延ばしたい」と苦悶の表情を浮かべたのだ。実際には予定通り彼は帰ったのだが。
そんな音楽好きの宮本さんが作るWii Musicに関して彼はこう言及してくれた。「遊ぶ人がまるで本当に作曲しているかのような体験が簡単にできるものをお届けしたいと思っています」
これだけ彼のゲームがヒット作ばかりだと、次回作がヒットするかどうか賭けをするのはさすがに馬鹿らしい。誰よりも"遊び"を知り尽くしているのはデジタル時代のウォルト・ディズニーこと宮本茂なのだから。
はてなのほってんとりに載ってた。
以前から思っていたのだが、最近のはてなー(と呼ぶに値するかはさておき)はマナーが悪すぎる。特に増田の中で。
昔、僕ははてなダイアリーの中でマナーについての記事を良く書いていた。
その時は、他人に不快な思いをさせないように言葉使いにはかなり気をつけていた。
僕の友達に話を聞いても皆同じようだ。
しかし、最近はほってんとり入りしようとしなかろうと、はてなー(と呼b(ry)は平気で汚い言葉を罵る。
そう!あの「増田」とか呼ばれている場所で!!
そんな疑問を抱いた回数数知れず。
彼ら/彼女らは、あたかもDisり論客を気取っているかのように、決して言葉使いを改めない。
あいつら本当に、炎上ブクマを稼ぐために汚い言葉を使ってるんじゃないだろうか?
やつらはTBへの返信に対しても決して言葉使いを改めようとしない。
しかも、2ちゃんねるよろしく、「脊髄反射乙!」くらいのオーラを常に出している。
(非常に腹立たしいので滅多に反応しないけど)
ふぅ。なんか凄い雑文になってきたな。
しかし、ここからが核なんで、自称Disり論客にも読んで頂きたい。
もう、お願いだから死んで下さい。くらいの気持ちでいつも見ています。
気分が良いときですら、余り許せる気にならない行為なんですよ。
機嫌が悪いときとか、(行動には移さないけど)、腑煮えくり返ってますよ。
周りのブロガーの視線を見てみなさい。恐らく相当な怒りを買っているんですよ貴方は。
もし、何か、とてつもなく絶望する事があって、誰でもいいからDisってやりたいとか考えてる人がいたら
(最近そんな感じの人結構いるみたいですよね)多分むかつくヤツから標的にすると思うんですよ。
そうなったら貴方とはてなーは痛烈にDisられるかもしれないぞ。その可能性は0%じゃないんだぞ。寧ろかなり高いぞ。
ってことを覚えておいて頂きたい。
「『折りたたむ』『そのままで』 電車内ベビーカーでマナー議論」
以前から思っていたのだが、最近の母親(と呼ぶに値するかはさておき)はマナーが悪すぎる。特に電車の中で。
昔、僕は弟の乗っているベビーカーを電車内で持つ係だった。僕の友達に話しを聞いても皆同じようだ。
しかし、最近は兄弟が居ようといなかろうと、母親達(と呼b(ry)は決してベビーカーを折りたたまない。
そう!あの「マクラーレン」と書いてあるベビーカーを!!(気づいてなかった方は一度見てみると良い。80%くらいはマクラーレンです)
何ですかマクラーレンって。F1でメルセデスと一緒にやってるマクラーレンですか。
そんな疑問を抱いた回数数知れず。
彼女たちは、あたかもルイ・ヴィトンのバッグをひけらかすかのように、マクラーレンを決してたたまない。
あいつら本当に、見せびらかすために畳まないんじゃないだろうか?
しかも、仁義なき戦いよろしく、「こちとらベビーカーじゃけん、そこをどきんさい!」くらいのオーラを常に出している。(非常に腹立たしいのでどかないけど)
ふぅ。なんか凄い雑文になってきたな。
しかし、ここからが核なんで、是非ベビーカー族にも読んで頂きたい。
もう、お願いだから死んで下さい。 くらいの気持ちでいつも見ています。
気分が良いときですら、余り許せる気にならない行為なんですよ。
機嫌が悪いときとか、(行動には移さないけど)、腑煮えくり返ってますよ。
周りの学生やサラリーマンの視線を見てみなさい。恐らく相当な怒りを買っているんですよ貴方は。
もし、何か、とてつもなく絶望する事があって、人を殺してやるとか考えてる人がいたら(最近そんな感じの人結構いるみたいですよね)
多分むかつくヤツから標的にすると思うんですよ。
そうなったら貴方と貴方の子供は殺されるかもしれないぞ。その可能性は0%じゃないんだぞ。寧ろかなり高いぞ。
ってことを覚えておいて頂きたい。
あと暗い表情をしないことも付け加えておこう。かといってニタニタはきもすぎるのでしない、
意図的に表情を作るのがどうも苦手。気分が良くてちょっと頬が上がることは稀にあるが、そんな時も「なーに考えてんだ」ってむっつりとした顔に戻ってしまう。お前、自分の世界に浸りすぎていないか?って感じになって……。
あと、意図的に作られた表情ってのはどうも不自然なような気がするんだ。町でニコニコしながら歩いてる女性とか、電車でドアを背にしてニコニコてる女性(窓のほう向け)、なんか全身から「私今ニコニコしてます」オーラが出てるような気がして、彼女達には失礼だがどうも居心地が悪かった。
そんな風に思われるのも嫌なんでニュートラルな表情にしようと心がけるが、気がつけば単なるむっつり顔になっている。顔つきとか表情ってのは性格に影響され、性格ってのは生まれ育ちに影響され、つまり顔つきは生まれ育ちに影響されるものだと思うのです。今さらどうあがいても無理なんすよ。
こないだうんこもらした。29歳だばか。昼ごろジムに行って,プールとウェイト。最近暑いんだか寒いんだか分からん天候が続いているが,その日はどちらかというと肌寒かった。なのに,前日が暑かったもんだからちょっと薄着だった。ジムから出て,バイクにまたがろうとしたあたりでおなかの不調を感じたが,職場についてからトイレに行けばいいやと思いエンジンをかける。
走り出してすぐこれはちょっとやばいと気付き,コンビニに向かうことを決意する。ここで1回目のミス。トイレのあるコンビニに行くなら右折しないといけないところを左折してしまった。ちょっと大通りだったもんで,Uターンは無理。まあ,次のコンビニでいいやとか思ったんだが,結構おなかが限界に。仕方なく,ちょっと遠回りになるが駅前に向かった。
コンビニを発見。2回目のミス。トイレのないコンビニだった。で,バイクをおりたことによって肛門がゆるんだ。まじでやばい。近くにここ以外のコンビには見当たらない。
そうだ!パチンコ屋だ!駅前だからパチンコ屋ぐらいあるはずだ。とりあえず駅のほうに向かう。パチンコ屋あった。入る。狭い。肛門やばい。トイレ発見。目に入る赤の色。誰か入ってやがる。死ねばいいのに。待とうか次行くか悩んだ。いや,悩む時間すら惜しい。ちょっと行ったところにもう一軒パチンコ屋があった。そっちに向かう。あーでももうやばい。無理。しかもこれちょっとやわらかいニュアンス。
1軒目のパチンコ屋を出て10m,20m・・・崩壊。
あれ,一度出だすと止まらんのな。死ぬほど気持ち悪い感触。どちらにせよトイレには行かないといけないので2軒目のパチンコ屋に入る。こっちは広い。トイレも綺麗だ。最初からこっちを選択していれば・・・トイレに入り,ズボンをおろす。ああ,これが地獄か。物は尻全体に広がってる。入念に拭く。ズボンは無事だった。奇跡。パンツは地獄。どうしたものか。今思えば便器で洗えば良かったんだが,そのときなぜかその選択肢が思い浮かばかなかった。
うまいことくるんで,ハンカチかタオルのごとく手に持ってパチンコ屋を出た。ポケットに入れる気にはなれなかった。バイクにまたがり,一旦帰宅。こういう日に限って相方が在宅。「あれ?どうしたの?」「いや,別に」別にってなんだ。相方,不思議な顔するも,話しかけるなオーラを感じたんだろう,奥に行った。風呂の鍵を閉めて,下半身をくまなく洗う。パンツも洗う。すごいにおい。でも徹底的にお湯をかけ続けたらにおいは消えた。助かった。パンツもまあまあ綺麗になった。洗濯かごに突っ込む。ズボンも。うんこをもらしていないという状態がこれほど快適だとは知らなかった。地獄から天国。
仕事に出かけたはずが,突然帰ってきて風呂に入り始める旦那を嫁はどう思ったのだろう。さらに洗濯かごにはびしょびしょのパンツ。推理の材料は揃ったと言えよう。しかしその後何も言われなかった。気付いてないのか,気付いたけど優しいのか。
http://anond.hatelabo.jp/20080507091016
「俺は他人に興味がないから」とは思っているものの、一応知り合いだから飲み誘われれば不承不承ついて行く。
でも、そこでの話って大抵恋愛話。興味ないって言うの。知り合いの近況とかならともかく、知り合いの知り合いなんて他人じゃないか。興味ないって。
あと下ネタね。別に嫌いじゃないよ。でも、飲み屋のど真ん中で放送禁止用語連呼はどうなのよ? ほら、店員さんも嫌な目でこっちを見てるよ。TPOってものを理解できないのかね?
ま、軽い女と思われてそういう彼氏はできて、後々大変なことになりそうな気もするけど、そこまで言ってやる義理もないしなぁ。
大体、普通に生活してたら、彼氏とか彼女とかってより大切なものって出来ない?
まあ、恋人がいるってことにしか自分の価値を見いだせない人は、よく恋人がいることを自慢するよね。
でもそういうのって、人間としてどうよ? 生殖にしか興味のない下等生物ならいざ知らず。
まあ、男にもそういうのはいるだろうし、似たもの同士でくっつけばいいんじゃないの? オーラで何か分かるみたいだし。こっちは興味ないからどうぞ好き勝手やってください。
ただ、そうやって好き勝手やった結果、今流行のモンスターペアレンツとか生まれるのかな。それはそれで問題か。
うーーーーーん。
「△△ちゃん(私)には幸せになって欲しい」
という台詞。
言われる度、
はいはいわかったよーもーいいよー と言いたくなる。
でもそんなこと言えなくて結局「ありがとう。頑張るね」と返してしまう。
そう言う人って大概幸せな状態になってて、お裾分けしたいって感じ。
だからって好みでもない人を紹介されたって困るし
最近どうなの?と根掘り葉掘り聞かれたって困るし
多岐に渡る根拠のないダメ出しをされたって困るし
自分は何をされたら満足するのか分からないけれど
とりあえず、私をろくに知りもしないで言わないでくれ。
その台詞を言われても素直に聞き入れられるのは、
10年来の親友だけなんだ。
「今まで大変だったの見てきてるから余計そう思うんだ。
私は別にいいけどさ。お前にだけは、幸せになって欲しい」
http://anond.hatelabo.jp/20080502020205
俺から別れようって言った後よこれ。
あまりにも新しい男いるオーラ出してたから。
新しい男いるの分かってるのに、隠してられなくなったのか電話かけてきて、
新しい男ができた、こんな人だ、の後に、
俺が優しいフリしてたら自慢始まったんだよ。
確かに俺もどんな人なの?とかは聞いたが、こんなこと言う必要あるか?
その場で我慢せずに言えばよかったな。
あとからネチネチしたからこんなことになったのかも知れない。
題名は正確ではない。正確には、「非コミュはどうしてリア充よりコミュ力が低いことになるのか」とでもした方がよいだろう。内容はここを読んで考えたこと。
自分に自信のない人間は、基本的に周囲の様子を常にうかがっている。場にそぐわない行動をして排除の対象になるのではないかと、多かれ少なかれ怯えている。いわば、誰よりも「空気を読んで」周囲に気を遣って行動しているのはこうした人間だ。しかし、結果的にKYと呼ばれて排除の対象になるのもやはりこの種の人間だ。余りにも悲しい現実だ。
では、どうしてそういうことが起こるのか。これがコミュ力の差なのであると元記事は指摘する。だが、それはむしろ逆ではないだろうか。以下の文章にヒントがある。
では、「リア充」たる基本的要件はなんだろうか。その絶対的必要条件は「コミュ力」だろう。「リア充」に慣れるか否かの決定的要因となるのは、新しく作られるコミュニティに対しすぐさま順応できる能力を持っているか否かであり、また見ず知らずの他人に対し仲良く話しかけることが出来るか否かである。これは「リア充」と呼ばれるにふさわしいテニサー達の行動を見ていれば分かる。あの行動の源泉になっているのは他でもない「コミュ力」であり、コミュ力こそがリア充につながるのである。
リア充が「コミュ力」が高い?とんでもない!ここに挙げられているテニサーなどその反例の最たるものではないか。混雑した学食の中、嵩張る荷物で座席を占拠しつつ大声でわめき立てる集団といえばほぼ間違いなくテニサーであろう。これほど、周囲とのコミュニケーションや気遣いを欠いた振る舞いもなかなかないのではないだろうか。
ではなぜ、リア充は傍若無人な振る舞いをしても排除されないのか。あるいは、リア充はどうして人に親しげに話しかけて、人を集めることができるのだろうか。その理由は簡単だ。リア充には理屈が通用しない。というより、奴らの辞書には自分が否定されるという文字はなく、奴らの空気を壊したり誘いを断ったりすれば、不愉快オーラと「空気読めよ!」という罵声が飛んでくるのは容易に想像できるからだ。だから、むしろ周囲の人間が「こいつらと関わると面倒だ」と、こいつらの周囲に漂う「空気」を読んで、先に諦めてしまうのだ。また、自分に自信のない人間(もう面倒なので「非コミュ」と略す。本記事中に限り「非コミュ」をこの意味で使う)にとって、彼らの罵声はトラウマを刺激され、後々まで精神的打撃を引きずることになるのは目に見えていることなのだ。
つまり、ジャイアンリサイタルである。ジャイアンの歌は甚だヘタクソであるにもかかわらず、出席率は100%である。その理由は明らかであろう。つまり、ジャイアンの歌と同様、テニサーが持っているような「能力」は本来の言葉通りの「コミュニケーション能力」ではない。しかしながら、ジャイアンやリア充は場を仕切ることができ、それ故に人を集めることができる。それが悲劇の始まりなのだ。
かくして、クラスの飲み会だの会社の同期だのの集まりは、酒や馬鹿騒ぎが好きでない非コミュにとっては針のむしろになる。しかしその中でも、非コミュは場の雰囲気を気遣い、自分が不快な思いをさせられるのを承知で、テニサー系人種の仕切る飲み会に欠かさず顔を出し、精一杯の作り笑いをするのである。一体「コミュニケーション能力」が高いのはどちらであろうか。それとも、「コミュニケーション能力」とは、テニサーが持っているような「コミュニケーションを人に強要する能力」のことだったのだろうか。
早い話、俗に言われる「コミュニケーション能力」や「空気を読む」とは「権力」のことなのである。そして、この権力がもたらす秩序に順応する力を「コミュ力」なり「空気読み力」といい、この権力秩序の元での被差別階層が「非コミュ」であり"KY"なのである。つまり、元記事は話の順序がまるで逆なのだ。「コミュ力」があって「非コミュ」があるのではなく、「リア充」と「非コミュ」の間にできる秩序をこそ「コミュ力」と呼ぶのだ。「リア充」に合わせる能力を「コミュ力」というのだから、そもそも「リア充」はコミュ力を問われることなどあり得ないのである。
つまり、「コミュ力」とは「リア充」との近さのことだったのである。従って、「リア充」以上にコミュ力が高くなることはないし、「非コミュ」はいくら気遣いを心がけても「非コミュ」から脱出できることは残念ながら望み薄であろう。
うっざあああああああああ。
あんたは全然気遣い屋なんかじゃないよ。
こっちが「不要」オーラ出しても自分の自己満足の親切を押し付けてくるのは気遣いじゃないよ。
長文メールうざいよ。「万一でも誤読されるのが怖くて」ってつまらない確認メールに20行も30行も使ってんじゃないよ。誤読も何もあんたの意思なんて別にどうでもいい話題だよ。みんなに一斉送信してんだよただの飲み会なんだよ。「参加します。よろしくお願いします、楽しみです」もしくは「すみませんがその日は別件があり参加できません。また誘ってください」でいい話題なんだよ。別にあんたが話題の中心じゃないんだよ。そんなに自分の意思決定の背景と考え方を毎回アピールしなくていいんだよ。
いちいちこっちが何かを片付けてたら「どうもありがとう△△さん」とか言わなくていいよ、別にお前のためじゃなくて、誰かがやんなきゃだめだからやってんだよ。こっちがものすごい勢いで机全体を片付けだしたとかならともかく、皿1つ避けただけで1つ1つお礼言うなよ、うざいよ。1分に何回ありがとうって言ってんだよしつこいよ。ていうかありがとうって言うなら次同じことあった時に手伝えよ。毎回いちいち大声でありがとうって言うだけかよ。そんなの気遣いっていわねーよ。
「△△使いますか?」って、別に今使うタイミングじゃないだろ、わかるだろ。目の前にあるんだから使いたくなったら使うよ。こっちには目も手も頭もあるんだよ。上司と部下とか接待相手と下請けとかじゃないんだよ。イチイチ聞くなよ。
トラブルが起きた時はぼけーっと傍観していたくせに、後日張り切って双方にわけのわからないフォローメール送ってんじゃないよ。長々と自分語りして「僕の二の舞はしてほしくない」って、全然あんたの今の自分語りの内容と今回のトラブル内容関係ないよ。フォローが見当違いなんだよ。そんで、こういうメールの時はとってつけたように相手の服装とかほめなくていいんだよキモいよ。
みんなで飲んでいて議論が起きた途端、「まあまあまあまあ!」とか大声で立ち上がって制止して、「2人とも気持ちはわかるけど!とりあえず深呼吸しよう!!」とか必死で仲裁しなくていいよ。喧嘩じゃなくて議論してるんだよ内容聞けばわかるだろ。議論していたどっちもお前にびっくりしてるだろ。店員さんがポカーンとこっちみてるだろ。空気読めよ。ウーロン茶で酔ってんのか。
「頂いてもいいですか?」「頂いてもいいですか?」を繰り返しながら、注文したものを半分以上1人で食ってんじゃねーよ。しかも、いちいちその度にその場の会話を叩き切って聞くなよ。しかも、「いいですか?」の時にはすでに箸つけてるじゃないかよ。食うなら勝手に食えよ。
あんたは気遣い屋なんじゃなくて、自分の中にプログラミングされた「親切」「気遣い」を相手の表情や空気やTPOも読まずに押し付けているだけだ!!
1つ1つはちょっと微妙な気持ちになるだけで決して悪意から出ているものではないから言い辛い。
しかし、とにかく、謙虚にしようとする態度の裏から自意識の強さがにじみ出すぎててうざい。
要するに苦手なのだ。
地面に穴を掘って叫ぶように増田に吐き出しておく。
要は長期的視点に立った成果追及をするだけの余裕も頭も無いということだね。
君がどっちを向いているのか今ひとつ自信はないんだけど
企業が一番取りたいのは、まじめに授業に出ていてかつ遊びもできる奴
次は遊びはこなせて、授業に出なくてもちゃんと点数は取れる奴
もちろん、裏では努力していないとできない。
その次は遊びはこなせて、点数は微妙な奴
「ぱっと見じゃわからない凄い奴」なんて存在しないよ
凄い奴は見るからに凄いよ。オーラが違う
気がついたら退学して起業していたりする。
24時間研究室にいてハンパ無い速度で実験しては論文書いている。
だれがどう見てもパーフェクト超人
「キモいおっさんは存在が痛い」という無言のオーラを一身に受けてきて凹む。
そりゃアンタの旦那ほどにイケメンじゃありませんしお笑い系でもないですけど
あなたを喜ばせる存在じゃないからといって、
だからといって客である僕をいきなり敵キャラ扱いするのはどうかと思うんですけど
ね奥さん。
一応「PCの調子が悪いから来てくれ」とあなたの旦那に呼ばれて友人のよしみで馳せ
参じたわけですよ。
最初に一言発して以降、何もかもダルそうに会話して
あまつさえ旦那とのやり取りも投げやりになっていくあなたは本当にDQNに見えまし
た。
分かりやすくて涙が出ます。生まれてきてごめんなさい。
さっさと用事済ませたら二度と敷居はまたぎませんので許してもらえませんかねぇ。
八つ当たりされてる旦那が不憫でいたたまれませんでした。
単にパソコンにメモリとHDD増設しただけなんですけどPCヲタってそんなに人外な存
在でしょうか???
http://anond.hatelabo.jp/20080415225934
ていうか、非モテ女ってどうやって見分ければいいの?
自分の付き合っている元"非モテ女"(彼氏いない歴=オレに口説かれるまで)
の特徴を書くよ。
どこか垢抜けないところはある。
特徴的なのは、男女の会話が出来ないことかな。
以前、2人で喋っていたときに
「結婚しないんですか」と振られて、
「まだまだ。で、キミは彼氏っているの?」と振ると、
となった。反応が素直すぎる
「あっ、相手が誘っている」
「とりあえず話だけでも聞いてやるか」
「さて、自分もこのオトコを値踏みしようか」
「そんなの聞くのって許されない!!」
とか想像し、次の一手をどうするのか考える。
「いませんよ」だと、
「誘ってもイイですよ」というシグナルともとれる
でも前後の文脈からはそうも解釈できない
本当に迷いました
こんなストレートな質問じゃなくても、
僕が捲いたいくつかの網に関しては完璧に気付いていなかった
後で本人に聞いたら、そういのは全く理解していないらしい。
だから、顔とか性格とかとは別に、
ということになる。
そこらの機微をこちらが教えることになる。
それはそれで楽しいよ。
帰ってきたらブクマが多くて驚いた。
非モテ系女てのはなあ、男から声をかけられことはないし、ほとんど空気扱いでアウトオブ眼中なんだよ。この増田が声を掛けている時点で違う
↑僕の彼女もそう思いこんでいたらしい。
自分なんかに声をかける男なんているはずない、と。
親からは30歳までに……と言われているけど、そんな日が来るのか、と。
顔とか性格とかは別にして、そう感じている人は多そう。
「彼女がいい人」とはみんな感じていたと思う。
もちろんマイナス面も少なからずあるが、
男からも女からも否定されるようなタイプではない。
ただ、「男には興味がない」オーラが全身に出ていた
それでは、周囲から声をかけてもらえることが出来ない
僕は彼女を前から好きだったんだけど、
それでも躊躇したくらい
どうすればいいのか。非モテ系男の僕でもよく分からない。
でも、異性との会話で、
自分の考えていること、好きなこと、悩み...etcを
いくつか散りばめてくれたら、
周りからも興味を持ってもらえやすいと思う。
彼女にとって僕はそういう人だったんだろう
昔好きだった人に少し前に会いました。やっぱり今でも素敵でした。
なんで会った時に「ありがとう」っていえなかったんだろうと凄く後悔しています。
なんでいえなかったかというと、照れくさかったというか、面と向かって正直に自分の気持ちなんていえません。
別にじらしているつもりもないわけで、たったひとこと、ありがとうございました。といえればよかったのに。
過去に恋愛関係のことで傷つけてしまった、ということから自分から行動するのが少し怖いです。
怖いというのは、軽はずみな行動によってまた相手を傷つけてしまわないか、ということです。
また、想定外の反応をされた場合、自分がどう対応できるか、自信もないです。
でも、結局そうやって何も行動にうつしていなかったら、相手には相方が出来ていました。
それを好きだった人のお友達のブログで発見しました。なんというカオス・・・。
全然、知りませんでした。メールのやりとりもフツーにしてるのに。
もしかしたら、そういうぎくしゃくした関係だからかも。
知らずのうちに、相手に相方がいるってことを知りたくないオーラを出していたのかもしれません。
こんな切ない気持ちになる前に、ちゃんとありがとうって言って、過去を清算できればよかったです。
今となっては、どうやって気持ちの整理をしていいかわからず、
明日も朝から予定があるのに、こんな夜中に突然起きて日記を書いているわけなのです。
よかったら一緒に落ち込んで下さいまし。
この件に関してただひたすら、この恋愛が上手くいきますようにと願うのみだとは思っています。
私のやり場のない、切ない気持ちをのぞいては・・・。
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改名なんかしたって一緒。
そんなこと(姓名判断)に金使ってる場合かとも思う。
終了直前ぐらいの「速報!歌の大辞テン!!」にゲストに出て、「もう一度返り咲きたい」みたいな意味のこと言ってて、「ほんとコイツ馬鹿だな」と思った。
自分のポジションが駄目な位置にいること公の場所で認めてどうするの?
先日のグータンか。
歴代の「女の趣味が悪すぎる」って、口歪めながら言ってたけど。
華原も昔話でTKの話はするけど、連れてる女には触れたことないから。
Mステの本番でイントロの人相が凶悪すぎて、アップから慌てて引きにスィッチングされたりさ。
気合の入れ方が違う方向にいってるんだよ。
ともかく、負のエネルギーのオーラ全開でテレビ出るのはやめて欲しい。
今は堕ちてく人間を眺めて楽しむ趣旨でオファーがあるんだから、プロモ以外の余計な話は喋らないのが賢い。
てか愚痴はやめろ。
うざいから。
児童ポルノ法施行以前に販売されていた、児童ポルノが掲載されていたエロ本はもう古本屋でも手に入らない。
今後、単純所持も禁止となると、後世に日本の性風俗史(少なくともその一部)を復元する際、もう史料は関係者の記憶くらいしかないんだなあ。いくらオーラル・ヒストリーが注目され始めているとはいえ、何か残念な気がする。しかし、児童ポルノの存在そのものが児童虐待であるという理屈には反対できない(二次元作品はまた別の話だが)。
さて私増田、実は1999年10月末ごろに大阪・日本橋(大阪の電気街)に用事で行ったことがある。当時は児童ポルノ法施行前夜で、ビデオショップは一斉に最後の勝負に出ていた。増田も好奇心から立ち寄ってみたが、「児童ポルノってこんなにあったのか!?」という感じだった。
当時も当然、無修正のものは違法だったので局部修正はしてあったのだろうが、ビデ倫などの審査は通してなかっただろうと思う。
内容は(購入していないのでパッケージから想像するに)、日本人や東南アジアの少女が裸で戯れるイメージビデオのような比較的ソフトなものから、ローティーンのSMもの、裏ビデオにモザイクを施して合法(?)ビデオにしたものまで色々あった。当時は大手メーカーでアダルトDVDがちょぼちょぼ出始めたころで、こういった児童ポルノは全部VHSだった。ちなみにDVDプレイヤーは普及モデルで3万くらいした。
児ポ法以前とはいえ、撮影者は児童福祉法違反には問われなかったんだろうか。販売も合法だったはずだが、さすがに普通のレンタルショップにはなかった。「ビデオ安売り王」(当時はどこでも見かけた)のようなセルショップでもたぶん置いてなかったんじゃないかな?しかし、あるところにはあったんだろう。
もっとも、これより少し前にはブルセラビデオが隆盛だった。こちらは99年ごろにはすでに社会問題になっていて、制作・販売していたブルセラショップが古物法違反(これも苦肉の策。その後各地の青少年条例にブルセラ禁止の内容が盛り込まれた)を適用されて、撤退・転戦を余儀なくされていたはず。
ブルセラビデオが出回ったころ、増田は地方の中学・高校生だったので入手できなかったが、内容が紹介されていたエロ本から情報を総合すると、男性とのからみはなく、女子高生が制服、体操服姿から下着姿、ヌードになり、特殊なところではオナニーや放尿する模様を撮影するものだったらしい。
このように、児童ポルノ法以前も、もろマニア向け児童ポルノを購入するのはけっこうハードルが高かったように思われる。ただ、前述したように一般に流通するエロ本のなかに児童ポルノ的コンテンツが普通に掲載されていることはあった。
(この項つづく)