題名は正確ではない。正確には、「非コミュはどうしてリア充よりコミュ力が低いことになるのか」とでもした方がよいだろう。内容はここを読んで考えたこと。
自分に自信のない人間は、基本的に周囲の様子を常にうかがっている。場にそぐわない行動をして排除の対象になるのではないかと、多かれ少なかれ怯えている。いわば、誰よりも「空気を読んで」周囲に気を遣って行動しているのはこうした人間だ。しかし、結果的にKYと呼ばれて排除の対象になるのもやはりこの種の人間だ。余りにも悲しい現実だ。
では、どうしてそういうことが起こるのか。これがコミュ力の差なのであると元記事は指摘する。だが、それはむしろ逆ではないだろうか。以下の文章にヒントがある。
では、「リア充」たる基本的要件はなんだろうか。その絶対的必要条件は「コミュ力」だろう。「リア充」に慣れるか否かの決定的要因となるのは、新しく作られるコミュニティに対しすぐさま順応できる能力を持っているか否かであり、また見ず知らずの他人に対し仲良く話しかけることが出来るか否かである。これは「リア充」と呼ばれるにふさわしいテニサー達の行動を見ていれば分かる。あの行動の源泉になっているのは他でもない「コミュ力」であり、コミュ力こそがリア充につながるのである。
リア充が「コミュ力」が高い?とんでもない!ここに挙げられているテニサーなどその反例の最たるものではないか。混雑した学食の中、嵩張る荷物で座席を占拠しつつ大声でわめき立てる集団といえばほぼ間違いなくテニサーであろう。これほど、周囲とのコミュニケーションや気遣いを欠いた振る舞いもなかなかないのではないだろうか。
ではなぜ、リア充は傍若無人な振る舞いをしても排除されないのか。あるいは、リア充はどうして人に親しげに話しかけて、人を集めることができるのだろうか。その理由は簡単だ。リア充には理屈が通用しない。というより、奴らの辞書には自分が否定されるという文字はなく、奴らの空気を壊したり誘いを断ったりすれば、不愉快オーラと「空気読めよ!」という罵声が飛んでくるのは容易に想像できるからだ。だから、むしろ周囲の人間が「こいつらと関わると面倒だ」と、こいつらの周囲に漂う「空気」を読んで、先に諦めてしまうのだ。また、自分に自信のない人間(もう面倒なので「非コミュ」と略す。本記事中に限り「非コミュ」をこの意味で使う)にとって、彼らの罵声はトラウマを刺激され、後々まで精神的打撃を引きずることになるのは目に見えていることなのだ。
つまり、ジャイアンリサイタルである。ジャイアンの歌は甚だヘタクソであるにもかかわらず、出席率は100%である。その理由は明らかであろう。つまり、ジャイアンの歌と同様、テニサーが持っているような「能力」は本来の言葉通りの「コミュニケーション能力」ではない。しかしながら、ジャイアンやリア充は場を仕切ることができ、それ故に人を集めることができる。それが悲劇の始まりなのだ。
かくして、クラスの飲み会だの会社の同期だのの集まりは、酒や馬鹿騒ぎが好きでない非コミュにとっては針のむしろになる。しかしその中でも、非コミュは場の雰囲気を気遣い、自分が不快な思いをさせられるのを承知で、テニサー系人種の仕切る飲み会に欠かさず顔を出し、精一杯の作り笑いをするのである。一体「コミュニケーション能力」が高いのはどちらであろうか。それとも、「コミュニケーション能力」とは、テニサーが持っているような「コミュニケーションを人に強要する能力」のことだったのだろうか。
早い話、俗に言われる「コミュニケーション能力」や「空気を読む」とは「権力」のことなのである。そして、この権力がもたらす秩序に順応する力を「コミュ力」なり「空気読み力」といい、この権力秩序の元での被差別階層が「非コミュ」であり"KY"なのである。つまり、元記事は話の順序がまるで逆なのだ。「コミュ力」があって「非コミュ」があるのではなく、「リア充」と「非コミュ」の間にできる秩序をこそ「コミュ力」と呼ぶのだ。「リア充」に合わせる能力を「コミュ力」というのだから、そもそも「リア充」はコミュ力を問われることなどあり得ないのである。
つまり、「コミュ力」とは「リア充」との近さのことだったのである。従って、「リア充」以上にコミュ力が高くなることはないし、「非コミュ」はいくら気遣いを心がけても「非コミュ」から脱出できることは残念ながら望み薄であろう。
リア充が「コミュ力」が高い?とんでもない!ここに挙げられているテニサーなどその反例の最たるものではないか。混雑した学食の中、嵩張る荷物で座席を占拠しつつ大声でわめき立...
コミュ力は他人に配慮する力ではないのだけれど。 だから権力なんでしょ。
こちらの元増田だが、元記事作者のthir氏から反論が来たので再コメントしておく。 私の論旨とthir氏の論旨は矛盾しない まず、thir氏の論旨は次の通り。 僕のいうコミュ力とは、「他...
同じことを私より若い非コミュ諸氏にも申し上げたい。「コミュ力とは気遣いだ」「気遣いが出来れば恋人はできる」そんなものは嘘だ。信じたいものだけがすがりつきたい幻想だ。そん...
これはいいブーメランですね。
元増田ですが、ちなみに既婚者です。 最近通っている歯科医院の歯科助手の女性とお茶飲んだりしてますが、基本として嫁さん大好きなので、お茶のみ友達に留めています。
だから?文字通り自己紹介乙。
「コミュ力とは気遣いだ」「気遣いが出来れば恋人はできる」そんなものは嘘だ。信じたいものだけがすがりつきたい幻想だ。そんなものを信じられるのは余程運がいい人間か、現実を...
でも非モテが社会に出来る気遣いって 人に迷惑のかからない場所で一人で自殺することしかないから 非モテが気遣いを持つのは難しいよね
人間関係における「勝ち組」「負け組」の序列はここで固定するのである。苦しんだ挙句に見つけた居心地がいい「クラスタ」は「負け組」という名のクラスタだからだ。 そう?俺は...
例えば、非コミュの典型である理系非モテ男というのを考えてみればよいが、彼にとってまともにコミュニケーションが通用する「クラスタ」を追い求めると、将来の進路は「研究者」...
こないだ初めて登録して、書いてみることにした。 実際今まで増田で人生や社会の参考になる考察を大量に目にしてきた。 「コミュ力とは政治力そのものである 」https://anond.hatelabo.jp/20...
出戻り感満載なので来なくていいぞ おとなしくブクマっとけ
まさにこれだ 発達障害も見た目が悪いやつが自由発言したときに沿う判定されるだけで イケメンが変な発言しても周囲が賛美して通ってしまうからそいつは悩まず通院もしない むしろ...