はてなキーワード: オリジナリティとは
前回↓が途中で切れたため、その段落から改めてつづきを貼ります。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
「ホームページに載っている」と、また典拠をあいまいになさっていますね。アクセス日時を明記して、該当のURLを示すことも論文のルールとして確立しています。典拠となる論文の題名も該当ページも省略されていますが明記するのが普通です。先行研究の要約と著者の意見の区別がつかないのも問題です。先行研究の要約にオリジナリティはありません。先行研究について論じたいのであれば別でしょうが、先行研究を手がかりに、何かを主張したいのであれば、引用でも注でも根拠となる史料(この場合は「機密資料」)の該当部分を明記するのが論文のルールです。ちなみに孫引きは基本的にしてはいけません。原典にあたらずに引用元の編集が正確であるとは言えないからです。つまり、読む側からすると、根拠が示されていないがために、その主張を認めることはできません(学問のルールにおいては、主張する側に立証責任があります)。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
繰り返しますが、根拠のない推測は論文の中では無価値です。さて、戦った結果、無条件降伏して占領(=支配)されました。その後、戦争をせずとも、サンフランシスコ講和条約を結んで独立できましたし、奄美諸島も小笠原諸島も沖縄も返還されました。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
しつこく繰り返しますが、風が吹けば桶屋が儲かる式の主張に説得力はありません。「国家間の問題も話し合いによって解決」とのことですが、イラク戦争やグルジア戦争は話し合いではありません。「百年、2百年」の根拠も示されていません。「人種平等」を推進した国際連合を結成したのは、勝った「強者」の国々でした。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
また、「・・・・・・という人」、さらに「・・・・・・と思っているのであろう」ですが、藁人形を叩いても論文に説得力は生まれません。論文で心情の吐露をしても説得力は増しません。私の立場を表明しておきますが、人の生を無益だとする考え方には賛同しないことと、批判的検討を行うことは両立すると考えています。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
国を主語にしたのですから、そのように表明している公式見解くらい示してください。個々の語りについても、他者が参照できる形で提示されないものは論拠になりません。最後まで「侵略」の定義がなされないままでしたね。
戦時中のアジア諸国と日本との関わりについては以下の諸論文を参照。
吉川利治「タイ国ピブーン政権と太平洋戦争」『東南アジア研究』19(4)、1982年、363-387ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56071/1/KJ00000133800.pdf
大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、347-377ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf
中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、149-217ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf
黒田展之・小林裕一郎「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(1)」『法と政治(関西学院大学)』49(2/3)、1998年、327-337ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001061933
同「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(2・完)」『法と政治(関西学院大学)』49(4)、1998年、575-614ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0000592111
谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、361-398ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。
「事実を丹念に」見せるのが実証的研究です。この「論文」はそうではありません。
「嘘やねつ造は全く必要がない」心の底から同意します。
以上、お目汚し失礼しました。もっと勉強しなければ……
(追記)日本の新聞記事へのリンクを貼り忘れていたので追加します。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
久しぶりに地元に戻ってきた。
ふと地方広報紙をめくると、出生欄にリアル「のあ(漢字で)」を発見した。
隣にも宇宙統べちゃいそうな魔球投げちゃえそうな名前の子たちがならぶ。
でも今後のマジョリティなら心配する必要はないのかもしれない。
一方、2○年前に生を受けた私は、控えめに言って非常に古風な名前だ。
今までこの名前で得したことも、誇らしい気持ちになれた日も記憶にない。
面識のない人と会う時。年度初めの自己紹介。署名。名札。点呼。電話。
名前に関わる事柄すべてが憂鬱だった。声は小さくなっていった。
そんなに変じゃないじゃん、自意識過剰だろと言われようと
DQNネームと扱いはなんら違わぬネガティブな実績はいくつもある。
折角親が付けてくれた名前に・・・なんて言える人はピカチューでもボンバーマンでも改名しろ。
オリジナリティとかいらないんで。
結婚したら姓だけでなく名も容易に変えられる文化ができればいいのに。
本を読んで自分が賢くなるかというと、なかなかうまくいかないよね。
僕も全然。
本から得た知識だけじゃなく、経験とか、議論したこととかに裏打ちされて、ようやく知識が自分の骨になっていくのかな。
だから、本だけじゃなくて、もっと見聞を広げていかないといけないと思ってます。
本に対して、反論できずに受け容れてしまうだけじゃなく、そこで自分の意見を持たないといけないよなぁ。
人様のキャラを使ってオマンコさせるのは、オマージュでもパロディでもなんでも無えよ!
そういや手塚絡みの著作権問題がネット上で盛り上がっていた時、浦沢直樹の「PLUTO」を二次創作と呼んでいるヤツがいて、ぶっ飛んだわ。
「PLUTO」には「オリジナリティがあるから」OKなの?同人のいわゆる「二次創作」には「オリジナリティがないから」NGなの?それともエロネタで下品だからNGなの?じゃあ古典にネタを取った江戸の黄表紙人情本の類はNG?あるいは浦沢直樹はOKでも田中圭一はNG?
そもそも浦沢の初期絵柄なんてあからさまに大友克洋リスペクトな絵柄なわけだけど(まあそんな人は当時山のようにいたけどね)そこは問題じゃない?
……だからね、文化ってそんなに高尚なもんじゃないと思うのよ。歴史的に見れば。模倣もパロディも山のようにあふれかえってて、そんな膨大な、そして下らない作品の中からホンの一握りものすごい輝きを放つ作品が生まれてきたりするわけで、だからといってその「素晴らしい作品」以外を全部無しにしてしまえ、なんて言えるわけじゃないってこと。
それでもまだ人のレベルを云々するなら、自分はどこで線を引くつもりなのか、その線引きは歴史的に見て間違いないと言えるレベルの線引きなのか、感情的にならずきちんと述べて欲しいね。あなたがリアルでどれだけ賢い人か知らないけど、まだここでは「全然違う」以外に何も言ってない。平気で人を貶すなら、せめて自分の賢さの片鱗くらいは見せて欲しいよ。それからついでに言うけど「本『家』取り」じゃない、「本『歌』取り」。変換ミスかと思ったら二回も使ってるから訂正しておくよ。それじゃよろしくね。
・人気のある一次作品にのっかって
・それを知ってることを前提に
・それが分かるヲタの間だけで楽しまれることを目指した
が本歌取りであって、それを二次創作と呼んで何が悪いのかさっぱり分からんね。ちなみに同時代の作品であろうが本歌取りをしていけないという理由はさっぱり無いよ。
逆に言えば創作における『オリジナリティ』概念というのは、おおむね文化の敵と言って良いね。パクって面白ければパクりゃ良いんだよ。面白くなければ貶される。それだけのことだよ。そもそも一次作品が古典であろうが現代作品であろうが、現代において人気のある作品でなければ二次創作は行われない訳で、古典も現代作品も事情は何も変わらん。
「無理して京大入った」とか、勝手にストーリー作ってる時点であんた釣られてるよ。例の京大生はコンサル内定の勝ち組様ですよ。勝ち組様同士の高尚なるお喧嘩なんかに付き合うのやめようぜ。
それから、あんまりそうやって才能みたいなものを崇拝しない方がいい。「処理能力」と本当の頭の良さは全然違うからね。頭の回転が速い割にオリジナリティがない奴って結構いる。そういう奴は大学に「苦労もなく」入れるけどそれだけのこと。逆に世の中の超一流には、階段を苦労して一歩一歩上がっていった人間も多いものだよ。
どっちにしても、「学歴と頭の良さは全然別モノ」なんて極論に走らない方がいい。同一ではないにしても関係は絶対あるよ。あんたが言ってるとおり、「必死こいて勉強してりゃ、ある程度の人間は京大でも東大でも入れる」というのは確かにその通りなんだが、世の中の大抵の人間は「必死こいて勉強」なんてしないもんだ。そして、そういう人間が超一流に上り詰めることなんて決してあり得ないから。
増田的な結論としては「すべては模倣である」側に傾いているので、
負け判定はされていない。
すべてどろどろに溶かしてから再合成するほうが、
新鮮さは感じるかもしれない。
もちろんその場合は親近感が失われる危険性は大きくなる。
http://anond.hatelabo.jp/20080803173620
元の素材があって、それを加工しているわけだし。
この辺を模倣している取られちゃったのかなーって思う。あまり考えて書いた文章じゃないからしょうがないけれど。
創作って言うのはスープ作りみたいなもので、自分という寸胴に材料―自分の見聞きしたもの、読んだもの(もちろん先達の残した作品もはいる)といった自分の体験・経験―を放り込んで煮込んでようやく自分の創作物というスープが出来ると思うんだよね。
原材料が分らなくなるまで煮込んで裏ごししてだすスープもあれば煮崩れしないようにして材料の形が残ったままのスープもあったりするしどちらが良いとか悪いとか言う話でもないし、ただどちらにも材料はあるんだよって言いたかっただけ。
いわゆるオリジナリティのあるクリエイターって言うのは鍋に食べ物以外のとんでもないものを入れながらスープとして完成して出せるようなそういうひとたちであって、それでもやっぱり材料はあるんだよ。
元増田ー。丁寧な回答thanx。
きっちり書くと長くなるため大雑把にしましたが、いろいろ書いていただいたのはありがたいです。
どっちかといえば、二次創作を見過ごしている版元ではなく、
そういう対応をしているネットのほうに疑問を抱いて書いてみました。
線引きの基準として、アマチュアだから許されるという意見が出ると思ったため、書いた次第です。
話は変わりますが、何も対策をすることもなく、ただ単純に現状維持を続ける同人市場に対して、
どうやってでもMADを世間的に認めようとふんばっているニコニコは大人だなぁと思う今日この頃。
基準も決めずただその作品が好きか、嫌いかだけで叩くか、叩かないかを決めているようにみえるネットはどうなんでしょうか。
ま、いちおう現状では写真ならOK、イラストはダメとなってますが、それも個人的には疑問です。どういう違いがあるのか。
紙の上で展開される構図でいえば、写真もイラスト(漫画)も同じですし、
写真をイラストにトレスによって変えるところでオリジナリティがあるというなら、
ある人のイラストをトレスで自分のイラストに変えるのだって、オリジナリティが必要です。
まぁ、同じキャラクタだとか、同じテイストのイラストだと別の話になりますが、それはトレスというより贋作ですし。
そうならば盗むところは構図とかしかなくなって、
昔、末次由紀さんの件で話題になりましたが、
これがもし冨樫さんや荒木飛呂彦さん、井上雄彦さんならばあそこまでの騒ぎになったかなぁというのはちょっと疑問。
要するに末次さんを完璧に叩き潰すまでにやったのは、
末次さんの作品どころか、少女マンガをまったく読まないような人だったんじゃないでしょうか。
つまり、もし上にあげたような人気作家さんが同じことをしていたとしても、そこまで騒がれてなかったのではないか。
別に読んでいない漫画家さんが消えたところで被害はないけど、
好きな漫画家さんだったらものすごく抵抗しようと思いますよね。
割と井上雄彦さんあたりの有名かつ人気のある漫画家がやっていたことからOKと流れになっただけで
明確な基準はないんじゃないでしょうか(あったらすいません。
ただ、紙の上にうつすのはダメなのに、あれだけやっても作品を模倣するのはOKなの?というのも疑問だったりします。
稼ぐ稼がないの話をしましたが、所得税法違反で有罪判決を受けた品川かおるこさんは3年で2億の所得があったらしいです。
それを漫画単行本で単純計算すると((一冊500円、印税率10%として計算))、400万部以上売り捌けなければ稼げない金額ですよ。
そこまで稼いでいる漫画家が果たしてどれだけいるのか。
相手の技術や作品に影響を与えるという点でもトレスも模倣も同じ。
なのにどうして、トレスはあれだけ叩かれて、模倣は放置なのか。
もう一回聞いてみよう。教えて、エロい人!
参考:ニコニコは大人の件→http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/15/news110_2.html
品川かおるこ所得税法違反の件→http://news22.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1175069123/-100
先頭は別にどうでもいいや。あれだけの行動に出たくなる魅力がある製品だってのは分かってたし。ていうかそれくらいのお祭り気分にしたてあげてくれなきゃやってられん。
一番後ろの人間でも12時間並び続けているんだぜ。文字にするとあっさりだけど、疲労具合は尋常じゃない(まだどこか本調子じゃない)し、日焼け対策を怠ったせいで海水浴並みの日焼け具合になっちまった。少しでもテンション上げてくれる要素が欲しかったから、むしろ俺は盛り上がりを演出してくれた彼らには感謝している。どうせなら発売と同時にリリースしてその場でデモンストレーションでもやってくれれば完璧だったけどな。
それよりにやにやしながらケータイで流し撮りしている連中のほうがよほどむかついた。ぶつくさ解説しながら通り過ぎるのを目で追いながら、あーこいつらのうち何人かは絶対動画サイトに上げるんだろうなーと。俺はお前のくだらねーオリジナリティゼロのネタのために並んでるんじゃねーんだよと。
もうguri_2はいいよ。
こいつの言うことにオリジナリティないよ。
つーか、一般論を全ての事例にあてはめようとすんな。
失敗しながらコツをつかむ
こういうのも板前見習いくらいならいいけどさ、爆発物処理班にも同じこと言うのかよって感じ。
そして、女ってのは爆発物だ。
裏付けも何もないというか調べてないのだけれど、お金の流れと思想を考えるとやはり腑に落ちないなにかがある。思いついたままに箇条書きにしてみた。
・核家族…拡大家族の方が分担などいろんな作業効率はいいのだけれど、核家族化して世帯数を増やした方が家や家具が売れる。
・保険…災害が起きたら怖いと煽ると保険が売れる。でも保険屋がもうけてるってことは保険をかける側が損してるってことじゃないだろうか。
・携帯…電話は家に一台でも事足りるけど一人一台持つスタイルを流行らせた方が売れる。
・メタボ…メタボリックとか肥満の危険性を宣伝した方がスポーツグッズやジム関係の需要が高まり健康グッズが売れる。
・癒し…疲れてないのに「疲れた現代社会」って言うと癒しグッズが売れる。
・髪の毛…はげるのが普通だけど薄いとかっこわるいって価値観を創ればカツラや育毛グッズが売れる。巨乳も同様のことが言える?
・化粧…しなくてもいいけどした方がキレイになれるし周りも反応はいいというのは否定しない。しかし、現在は小学生向けの化粧品もでてる。こういう市場の拡大とか、原材料費や人件費より宣伝費の方が大きいのを見ればなんかだまされてる気になる。
・医薬部外品…医薬品じゃないので確かな効果があるかはわからないけど、効果がある気がする。効果がある気がするとプラシーボ効果で効果が出てくることがある。だいたい売れてる医薬部外品の値段の大半は広告費と考えた方がいい。その額数百億。
・ペット・・・かわなくてもいいけど飼った方がペット関連商品が売れる。癒しとか言うけど生き物一匹飼う労力の方がよっぽど疲れる。
・自分らしさ…「オリジナリティ」「自分だけの」「自分らしく」をよしとすると、たとえば量産されたもの以外を求めることになる。するとオーダーメイドは基本量産より高い値段になる。オリジナリティなんて、人まねからしか生まれないし、創り出す力のある一部の人しか持つことはできない。二番煎じを受け入れた方が争いも少なくてすむ。
・コンピュータ…昔は大学に一台あればよかったのに、今はパーソナルでポータブルな時代。その方が出荷台数が増える。正直大半の人は使いこなせてない。
・教育…学歴社会とか学力偏重社会を煽ると塾や家庭教師の需要が増える。学校がたたかれるのは布石だと思ってる。
・食糧危機…これは微妙だけど、食料の値段の9割は輸送費。だからこんなに顕著に値上がりするわけがない気がする。
・石油…アラブ輸出国機構があと50年で石油が枯渇するって発表したけど、これ嘘やと思う。だってそういっておけば石油が高値で売れるんだもの。
・マイナスイオン…科学的に言えばマイナスイオンなんて存在しないか存在しても人体に影響があるなんて発表はまだされていないらしい。こんな話があって、ある国の歴史ある聖堂の泉の水を汲んでお金持ちに売りに行ったら「これは御利益がありそうだ」と言って高値で買ったという。聖堂に「この水は特別な水ですか?」ときくと「タダの水道水ですよ。飲んでも心配はないと思います。」って。いわゆる水商売ってやつで、タダの水なのに場所とかによってよくわからん価値が付く。
・スピリチュアル…占いもそうだけど、裏付けはないけど当たる気がするから、ってりゆうで本とか売れるし占い師に高いお金を払う。ちなみにアメリカでは占いはカウンセリングの手法の一種。水商売と似てる。
・環境…環境にいいって言っておけば環境にいいかどうか本当はわからなくても少し高いお金を払って環境にいいことした気になる。たとえば不買運動を起こしたとする。だいたい企業は慈善事業とか環境事業にもお金をかけてる者なんだけれど、不買運動によって企業は儲からなくなって、結果環境とか慈善事業にかけるお金から減らしていくことになる。環境技術開発にかけるお金なんかにも同じことが言える。酸性雨もフロンガスも最近は叫ばれない。温暖化は嘘じゃないかと思う。
全く個人的な思いなので、最後まで見るとムカつく人が沢山居そう。
http://anond.hatelabo.jp/20080506034250
いちいち一面からやり直しってありえない。退屈すぎる。←退屈さを紛らわすためにランダム面とかさらにありえない。
少しは音ゲーを見習ったら?
ああ、ずっと思ってていつか自分で作ろうと思ってたのを言われてしまった。
結構昔から音ゲーっぽいステージセレクト制のシューティングを作りたかったんだよね。
でもどうせなら音楽とリンクしてやりたいとか思ってしまったし、
でも俺は音楽作れない上に親しい音楽屋さんの知り合いもいないし社会人で時間もないしで気づいたら6年くらい経ってた。
実際のところいろいろひとつのゲームシステムで特徴的な面は3面くらいしか作れないような気がした(俺の技量では)とか、
だいたいシューティングゲームにオリジナリティは皆無でステージ進行で起伏をつけたりしないとゲームとして成立しない感じがしたとかいう理由もある。
だいたい個人で作って全5ステージにしたとする。大抵のゲームは最初の2ー3ステージは特に何の特徴もないダラダラ展開ではないだろうか? ステージセレクト制にしたときにそれらのステージの存在価値がなくなって全2ステージのしょぼいゲームになり下がってしまうのではと思った。東方は傍から見ているだけでやったことはないけど、そんなに毎ステージ特色のあるゲームを作っていくような雰囲気にあるならあんなにヌルそうな連中が集まってくるもんかと思う。オリジナリティのないゲームでも適当に作って売れてしまうから人が集まってきてるのではないのか。
そういう意味では同人よりもまずプロが作るアーケードのシューティングがステージセレクト制になるべきだと思うんだけど、
最近の動きがどうなっているのかは不勉強でよくわからない。
オトメディウスとかは多分そうなっているのではないかと思うんだけどあれはあれでプレイヤーキャラの能力がプレイする度に違ったりしてなにか違う方向に進んでしまっている。
弾幕系シューティングとかダライアス(外伝・G)は道中の比重がとても軽いので「vsボスモード」があればOKなのかもしれないと思うが、それをメインに据えてくれないと遊ぶモチベーションが湧かないように思う。
あと個人的には道中が好きなのでそういうのでは満足できなくていまいち。
もうゲーム性の向上に殆ど役に立たなくなってしまっているパワーアップシステムとかもやめてしまえばいいのにと思う。ステージ間でパワーアップ状態が維持されるせいでステージセレクトで攻略する気が失せるんだ。ボンバーもなしでいいじゃないか。
おれの結論としては、結局「音が良い」からだと思ってるよ。
最先端、とは言わないけど十二分に Up to date な四つ打ちで、可愛い女の子たちが歌い踊る。これ以上に機能的な音楽はないよ。
で、もう一つが「抑圧されてない」っていうのがある。
音源は加工されまくりwだけど、トークでの天然暴走ぶりは、常識的に考えてあり得ないレベル。だって「しょせん私らなんて作っていただいたものを歌ってるだけですから」とか言っちゃうんだぜ。その卑屈を通り越してある意味「アイドル現象」そのものを批評してしまうかのような……っていう話は長くなるからやめる。まぁモー娘。みたいに「交際発覚で脱退!」とかの思想統制の影を感じさせないアイドル。そのへんが最近の本音ベースの世相ともあってるのかなぁ、と。
(っていうかhype | 『マブ論』とPerfumeにまとめられてるように、宇多さんが言ってることが全て、という感じなんだが)
最後に、「語りやすいアイドル」「言及欲求を刺激する事象」っていう面もある気が。
反応。
1つめのお返事
うん、なんか、テクノポップというのがキーワードなのかな?と思った。
確かにファンの存在を認めてくれて一緒に楽しんでくれるアイドルって希有だよね。
モーニング娘。に例えたのは、ある種の「●●は俺が育てた」的な視点を
持ってるファンがたくさん居そうとか、ファン層がかぶりそうだなーって思ったとこ。
なんで「テクノポップ」が「育成」につながるんだ?
まぁモー娘の縮小再生産ぶりに絶望したファンの一部が流れてきてるのは確か。
2つめ
やってましたねー。恥ずかしげも屈折もない感じの。
で、おもしろいのが Perfume の成長と機を同じくして、ヤスタカもまた成長してる、ってこと。Perfume のプロデュースを始めたくらいから cupsel の音はどんどんフロア重視になって、それなりのオリジナリティを獲得しつつある。たぶん今年も大きく方針を変えると思うんだが(おそらく黒めのダウンビート方面)。
3つめ
確かに、声をあんなに変えたら誰でも一緒になっちゃうかもしれないね。
アイドルの本体はダンスなりトークなり、というかパフォーマンス全体にあるのであって、音楽に声の記名性ばかり求めるのは愚かだと思う。
幕張カウントダウンで「あんなのカラオケじゃん」とか言ってた馬鹿は、いちど3時間ぶっ通しで踊って喋ってみてもらいたい。
そういえば文春の「Perfumeファンは彼女たちに刹那的なものを見いだしていて、
彼女たち自身もそれ(数年後はいなくなってる、少なくともあのキャラでは)を
わかってて、その刹那さがいい」という評論はちょっとなるほどと思った。
(ただ、それをお茶の間の一般大衆にもわかるようなものでくくってしまえば、
一気に知名度上がるなぁと思った)
さっき言った「卑屈を通り越して批評的」ってやつ。ただそれがお茶の間に届くか、というと疑問だ。それは非常にアイドルとか芸能になれた人のだけが楽しめる見方だから。卑屈&暴走キャラを「低姿勢で親しみやすい天然キャラ」としていくのが良いのかも。わからん。お茶の間に受け容れられるのか、お茶の間に受け容れられる必要があるのか。
あとポイントで上げてた「テクノポップで懐かしい」「アキバ系」ってのが実感として違うような気がするんだけど、やっぱり一般的な認識としてはそうなのかなぁ。だって音的にはテクノポップでもテクノでもなくてど真ん中ハウスだし、「アキバ系」も本人たちはバリ広島弁でオタクでもなんでもない田舎のハイティーンだし、DJモモ〜イとの一件が黒歴史になってることからわかるように事務所も望んでないような気がするし。でもなんかそういうイメージはある気がする。
最後に絶望的な話をひとつ。
正月に、とある地方都市(20万人くらい)の親戚の家に行きました。
20代のいとこ3人と「いま何がおすすめ?」という話題になったので、
「もちろん Perfume に決まってんじゃん!」とツッコミ待ちの半笑いで答えたら
本気で「誰それ?」と言われました。そんなもんです。盛り上がってるのは一部です。
しかし、地方SIは自前で受けられない。理由はスキル不足、人手不足、経験不足、体力不足。
結局、お客さんもコストの問題で東京に作るものを地方の会社を使って人件費を減らし、
SIベンダも人件費を下げるのに地方に立地する。東京に会社を作るより、地方の人件費で出張費を出しても
一例を挙げれば
・福岡で経験5年のWEBエンジニア(oracleSilver9i)が58万。
東京の1ルームのマンスリーが15万、出張手当が5万としても10万浮く。
お客さんは地方にはいない。
だって地方の企業はそんなに大きなシステムを作成する必要が無い。
結局、人が集まるのが先か、経済が集中するのが先か。
鶏と卵のようになったが、お互いがお互いを循環しているのだから
ってことは恐らく、今この状況こそが不自然に見えて自然な状態なのだ。
成熟した森なのだ。確かに、不整然としてごちゃごちゃで火事場や泥沼のPJTしか見ないけれども
それこそが雑木林。
ITバブルという陽樹林から、少ない日光で最大の生物を養える陰樹林が現在のIT業界なんだ。
次に訪れるものは、小さな進化ではなく大きな変化だと思う。小手先の流行など、エンドユーザーに対してもなんの感動も与えないし、エンジニアも@ITに踊らされはしない。
まずは環境の変化・・・ホワイトカラーエグゼンプションか、海外へのオフショアか。
地方SIベンダで比較的安定しているのは、大手SIの地方分社と取引をしているところ。
FとかCとかNとか。
こういうところは安定している。
エンドユーザーの要件定義は大手SIの本社が行い、サブシステムについて大手SIの地方分社が行う。
そこに更に細かく切り分けた部分を、地方SIベンダが受ける。
ただし、これだと孫受けで良いほう。ひ孫、玄孫、も当たり前。
永遠に自社のオリジナリティを出す機会は無い。まして況や受託など、受けれたとしても採算ベースに乗せるのは難しい。
マネジメント力、コスト管理、、、、地方が受ける受託費用が上がるよりも早く、人件費が上がる。
結局のところ、地方SIが完全自立する可能性は、ほぼない。
大手のように、本社を東京、そして地方分社化というのが一番正しいのだろう。
でも、それは本当に地方を盛り上げていくことになるのか。
先は見えない。
http://d.hatena.ne.jp/jyl2142/20071203#p2
良かったです。つか、『lain』の先駆性を継承しつつ、それでいてオリジナリティと時代性を盛り込んだ作り手の意志の強さに感服。
やっぱり最後はお父さんだよねとか、おじいさんが出てきたり、イサコの来歴とか、実に良い。
あの霧の漂う大黒市のイメージは新淡路市のイメージにもかぶって、見ながら『やられた!』と思った。
電脳メガネも、うちのAMEG(両用脳磁計)やジェネレーターより直接的で良かったと思う。
ちゃんとファンタジーしているのに感服。幼児性の具現化した存在とか、永遠の楽園とか。
そこらへんきちっとやっていた。ホント、ただただスバラシイの一言につきる。
『lain』は時代性として最後ああなったが、納得のいく物だった。
しかし『電脳コイル』は時代を取り入れて、ちゃんと怖さを持った冒険とその最後としてテンションを作っていた。
どうしても現実世界と仮想世界の切り替えで難儀するのだが、鍵穴を使ったところが実に上手い。
私もがんばろう。地味でいいから。
それほどオリジナリティのある言葉じゃないのでは…と思ってググったけどあんまり見つからなかった。
06年の終わりごろから使われはじめたのかな?
特定の研究室にお世話になります。
22歳からの数年間は、その後の人生に大きな影響を与えます。
(電波教授が指すものは、研究能力がなく、それを補うために学生の業績を食い物にしている人です)
電波教授の武器はしゃべりです。しゃべりによる誤魔化しで生き延びているといっても過言ではありません。
電波教授は大学1年生で習う微分積分や線形代数がまったくできません。
使うか使わないかは別として、これらは研究を行う上での共通言語ですので、
従って、最先端の研究などできるはずもありません。
それは論文になるかもしれませんが誰も読みませんし、未来永劫役に立つこともないでしょう。
ですが、少なからず理論(論理)というのはある程度の正しさを担保しています。
一方、電波教授が指導する研究は、妄想と嘘が散りばめられています。
そんなものが未来永劫役に立つことはありません。
そんな電波教授は、理論上非常に難しいことが明らかなことでさえも「できる」と言い張ります。
でも、少し勉強すればわかるのですが、それらは無理なのです。
無理なことをできるようにするのが研究だとしても、
地道な努力の末のブレークスルーです。
夢は夢であり、目標とは異なります。
さて、研究ができない電波教授は、他人の研究(特に修士の研究)に便乗します。
本来、研究の内容に関わっていなければ、
しかし、日本では少なからず便乗が黙認されています。
研究者の仕事は表面的に見れば論文を書くことですので公開論文リストを作ります。
これをホームページ等に載せてあると思いますが、
電波かどうかは別として、これはかなり最低な行為だと思います。
しかし、政治家同様、横のつながりは研究費を獲得する上で重要です。
だから、馬鹿とも我慢して群れあわなくてはいけません。
それでも、圧倒的なレベル差から共同研究に発展することはまずありません。
特に輪読を一緒にやることはないと思います。
ですから、数学、基礎物理学、基礎化学のような歴史ある発展しきった領域には電波教授はいません。
(これらの分野の進歩は日進月歩(止まってる?)であり退屈ではあります)
電波教授の多くは、新しい分野をでっちあげ、電波用語を駆使し、
言うまでも無く、彼らに教わる学生は悲惨です。
それでも365日研究職という肩書きを背負っています。
交通費や宿泊費の他に飲食費もでます。
これらをやりくりして、
プチ旅行を楽しむのが彼らの唯一の仕事上の楽しみだといっても過言ではありません。
一方、出張するということは、貴重な研究費と研究時間をドブに捨てる行為に他なりません。
このような観点からも出張の多い研究者は研究ができないと考えていいと思います。
特に発表もせず(学生の発表に便乗して)学会等へ参加してる人は完全にアウトです。
博士過程に進みたくなります。
野心的な人が自然と集まります。
修士から博士へ進学する際に研究室を変更することは難しいので、
逆に、研究能力無しで、いかにして業績を水増しするテクニックを学べるという点で
興味深い環境ではあります。
これからの若い人が変な教授とめぐり合わないよう祈っております。
上記のことが少しでも参考になれば幸いです。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20070920135305
とは違う人です。この人の話を聞いてみたいです、と要望を出してみる。