はてなキーワード: エントリーとは
読んでて胸糞悪くなりました。迷惑なエントリーですね。
国籍法のときにそれ言っとけよ。
ついでに。
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/56046895.html
はてな村の住民をはじめとしたブログの読者の人には励まされた。シニカルな物言いなので、伝わりにくい面もあったかもしれないが、一連のエントリーは、まじめにこの問題を理解しようと努力をして、おかしな言論に反論しようとしている人たちを援護するつもりで書いた。
はてなサヨクは今も昔も変わってないよ。
いしけり先生の好みに合わなくなっただけ。
http://it-ura.seesaa.net/article/121862697.html
『ソリッド・オーク・ソフトウェアの開発コードを盗用した可能性があるとのことで、このエントリーの冒頭で触れた中国当局へのソースコード強制開示が実現すると、こういった盗用が多発することが容易に考えられます。』
やはりパッケージ製品を販売しているITベンダーはこの国以外の市場に活路を見出すべきだ。ジャパンパッシング(passing)と言われて久しいが、中国もバッシングからパッシングへと意識を変える時期がきたんじゃなかろうか。
暫くはてな村というところを観察していて、
はてな村というところは、特に表通りはホッテリ(っていうんだっけ?)乞食が跋扈する世界だというのが分かってきた。
特定ユーザーがホッテリしやすい構造になっているはてなだけど、
ホッテリに入る一番簡単な方法は、ホッテリに入っている記事や人を叩くことだね。
そこらへんをよく分かっているアクセス稼ぎに熱心なアルファブロガーいう部類の人達(404の人とか)は叩きが大好きで、火の手が上がった所にはほぼ儀式であるかのように、必ずその火の光を浴びて注目を浴びるべく参加する。
近頃で言えばひがやすおとかいう人(http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20090619/1245401284)とか色んな人が梅田望夫さんに何度も粘着して
スーパーマリオのコインブロックのように何度も叩いてアクセス/はてブ稼ぎに励んでいる。
梅田さんは何度叩かれてもコインを吐き続ける、大変優秀なスーパーマリオのコインブロックだ。
はてブユーザーの行動もかなり単純で画一的で、ホテリ狙いの人達にはどこに餌を垂らせば良いのか読まれがち。
普段大したブクマが付かない自分も、この前もホテリ叩きをしたらそれだけで1日程度で100個OVERになりホテリ入りした。
はてなもそうした「叩き合い、足の引っ張り合い」を放置して炎(上)に引き寄せられるはてな民によるアクセス稼ぎでウマウマ状態を享受しようとしているのだから
叩き・叩かれでのトラフィックExchangeが成立し、止める者もいないままギスギスした雰囲気はますます進んでいく。
その結果、世間一般での役割分担として、やっぱ一般人はアメブロだよね、ということになるのだろう。
はてダにおいて叩き合いフリーダムな文化を維持し、はてブ・増田などで更にそんな文化を更に助長してきたはてな。
悲鳴を上げる人達には自己責任との流れで冷たく見捨て、支配下のはてなブックマーカーに更なる攻撃をさせ敵対者を沈めて村としての結束と繁栄を維持してきたはてな。
それは確かに一部では凄く盛り上がるけど、全体としては他に比べるとリーチがそれほどでも無いというサービスになってしまう結果に。
そこがはてなが一部の人を強く引きつける要因であり、またid:jkondoの望みとは裏腹にマスには届けないという限界の要因なんだろうな。
インターネットの世界では先行者メリットが大きいというけれども、ブログで先行していたはてなはそれでも後続に追い抜かれていったというのは、そういう事の積み上げの結果だろう。
自分ははてなという存在は、「ヲチ板2.0」(2chのネットウォッチ板ver2.0)という呼称が似合っていると思う。
アカウント持ちでも、実名でも、匿名でも相手を叩け、はてブにより全方位どのサイトでも叩く事が出来、またホテリにより集合知を活用した集団叩きも可能な、ヲチ板の進化系だ。
この村で暮らしているとこうなってしまうんです。
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1245008652/
186 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/18(木) 13:47:57 ID:mW+Uf+/e0
いしけりがハイクでもうはてなでは外国人のこと書かないといってる。
ブコメみるとmojimojiと日の丸ウンコに愛想が尽きたみたい。
187 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/18(木) 15:18:25 ID:SSWQVBG5O
>>186
俺、いしけりに謝るよ。
いしけりのはてダって読めないんだが、HNのセンスとブクマしてるメンツだけで脳内で勝手に破局認定してた。
この数日いしけりの書いたもの見たが、左右で言えば左だろうけどはてサやmujigeみたいな電波じゃないんだな。
イデオロギーありきじゃなくて、ちゃんと事実に基づいてものを言う。
そうすると電波にはならないんだな。改めてよくわかったよ。
188 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/18(木) 15:33:22 ID:jzINnYDv0
http://h.hatena.ne.jp/isikeriasobi/
さすがに実務家は違う
189 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/18(木) 15:42:04 ID:yiEuNoOt0
いしけりの人ははてなやめた方がいいんじゃないかって思う
190 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/18(木) 15:58:53 ID:BHBqHbmp0
「攻撃的なコトバ、何かひとつの出来事で他人の人格まで決めつける態度、矛盾や逡巡に対する寛容のなさ、自分の思いだけを過剰に語り批判を受け付けない姿勢」
「オマエラは差別主義者だ、そんなの自明だ、自覚せよ、人権がわかってないぞ、バカ-、バカ-」
http://h.hatena.ne.jp/isikeriasobi/
いしけりの人のハイクだけど、これ、はてサに対する最高の嫌みだな。
224 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 01:01:16 ID:z2XAn1L50
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20090618%23p1
kazenofukumama ↓真剣に取り組んで説得している問題について茶化すなっていいたいんじゃないの。頭にウンコ旗立ててVサインとかしてたし。本人に今度聞いてみる。/ 聞いた。当面はてなに書く気ないから好きに解釈してくれだってさ
hit-and-run id:isikeriasobi先生、先日から藪のまわりを叩くようなコメントが多いですが、単刀直入におっしゃっては? 2009/06/18
isikeriasobi 尊敬する君だから最後にいっておく。彼らじゃない、我々自身の抱えているグロテスクや恥知らずは旗をウンコにすれば相対化できるような甘いものではないぞ。その覚悟をもって語り続けてくれ
いしけりの人、かなりうんざりしてるみたいだな
227 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 01:17:41 ID:Myt6+TIe0
224
仲間の結束が固まるんだろうな
228 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 01:20:05 ID:q2vo1bHB0
224
hit-and-runはやっぱりカスだな。単なる猿の腰巾着。
同じブコメから。
PledgeCrew デモの目的はなに?在日外国人の権利を守ることでは?
一緒くたにするのは政治的利用。そこを問うている 2009/06/19
『在特会の「反日サヨ」攻撃を裏付けてどうする。』の下りで特に深く頷いてしまった。
こともあろうにPledgeCrewに賛同してしまうとは俺も堕ちたものだ。
いや、正確に言うと俺が相手にしてしまっているはてサ(破局?)のレベルが落ちたんだが。
229 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 02:28:42 ID:2qNw5ECi0
inumashやfurukatsuどころかPlegdeCrewをまともに思える日が来るなんて…くやしいっ…!(ビクビク
はてサも凄い境地に来たものだ
230 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 03:07:10 ID:rbO64G510
231 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 05:03:30 ID:p9+Mn0Wg0
石けりの人はタフそうだから何とも思ってないだろうけど
俺としてはあの人がうんこ投げられるような事態になったらもうオチするのも辞めて脳内からはてサを永遠に消し去ろうと思う
232 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 09:20:10 ID:NdALcKvz0
224
233 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 09:20:15 ID:wrSnh9CCO
227
仲間以外ははてサですら引いてるけどな。浅間山荘のあれでドン引きした
左翼とかもこうだったんだろうか。
234 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 09:51:28 ID:E9NfohPi0
231
ていうか、石蹴りの人に限らずまともな左派や中道左派はことごとく基地外サヨに駆逐されてウェブから去ってる。
そりゃ左も衰退するわ。
320 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 21:50:18 ID:/q0zkoSO0
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20090618%23p1
barcarola id:kazenofukumama、勝手に書くなよw/
カーンさんの街頭署名してヘラヘラした日の丸ウンコが来るかと思うとぞっとする。こう書くと"侵略性を認識していない"とくる。 言葉と対話が軽蔑される場ではもう何も語りたくない。
321 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 21:59:41 ID:gaFJKbxm0
ハイクの天皇はいらない!のヒステリックな反応といい、 今回の日の丸ウンコ問題といい、破局さんらは「支持者」をほんとナメてるとしか思えない。
第三者のノンポリの人にドン引きされる、というのもそうだけど、尊王護憲の人とか日の丸君が代自体は好きだ、って反差別主義者なんてそれなりにいるのに。
322 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 22:10:02 ID:qdWkOJFU0
321
あのウンコだの異様な風体での練り歩きだのは、在特会の神経を逆撫でにしようという意図があったんだろうが、傍目にはただの基地外でしかないからなぁ。
323 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 22:15:40 ID:/q0zkoSO0
webやデモだけ吹き上がる破局より地道に支援活動をしているNGOでは日の丸Okは普通にいる。
はてサは内輪でドンだけ過激なことを言うか競い合って、セクト化してまともな人は離れていく。
324 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 22:19:55 ID:AaXvKWRH0
敵か味方かハッキリしないと駄目なんだろw
325 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/20(土) 22:23:46 ID:/q0zkoSO0
人間というのは、往々にして他者の中に自分を投影して見たがるものだ。特に、悩んでいる人というのはそうだ。人が、誰か他人の中に悩みを感得するというのは、往々にして自分に悩みがある時だ。
「この人は、こんなことでこんなふうに悩んでるんじゃないか?」
そんなふうに想像する時は、往々にして、自分がそのことで悩んでいる時なのである。
id:dankoga?さんは悩みがあるのではないだろうか?
そしてまた、いみじくもご自分で仰ったように、「ひねり潰したい現実がある」のではないだろうか?
だから、ぼくの中に現実から炎上している人物像を見た。dankoga?さん自身をぼくに投影して、ぼくを媒介にして、dankoga?さんご自身の内面をご覧になったのである。
そういうことは、往々にしてある。特にぼくに対しては、そういうことをする人が、往々にしている。
人は、ぼくの中によく自分自身を見出す。多くの人が、ぼくを通してそこに自分を感得する。なぜだろう? ぼくはそれをちょっと考えたことがあった。
ぼくは、昔から名誉棄損の激しい人間だった。ある人はぼくをやさしいと言い、ある人はぼくを冷たいと言った。ある人はぼくを頭がいいと言い、ある人はぼくをバカだと言った。あるいはぼくを謙虚だといい、ある人はぼくを傲慢だと言った。ある人はぼくを蛮勇の持ち主だと言い、ある人はぼくを臆病だと言った。ある人はぼくを正々堂々としていると言い、ある人はぼくを卑怯だと言った。ある人はぼくは人間ができていると言い、ある人はおまえの心は腐っていると言った。
しかしながら、そのどれもに共通していたのが、ぼくとは一定の距離を保とうとしたことだ。彼らは、ぼくの懐にはけっして飛び込んでこなかった。しかしかと言って、離れようとしたわけでもなかった。彼らは一定の距離を保ったまま、遠巻きにぼくを見ていた。そうして観察を続けながら、時々考えたり、あるいはものを言ったりした。
それは、ぼくの中にその人自身を見ているからではないか、とある時思った。ぼく自身に、何かその人の内面を映す鏡のような性質があって、だから人は、ぼくと接していると、そこで自分自身を見つけ出すのではないかと。だからぼくは、これほどまでに名誉棄損が激しいのではないかと。見る人によって、全く異なった見方をされるのではないかと。それは、その人がぼくを見ているというよりは、ぼくを通してその人自身を見ているからではないかと。その人の心が良い時は、ぼくの心の中に良きものを見出すし、その人の心が悪しき時には、ぼくの中に悪しきものを見出すからではないかと。だからこそ、時と場合によって、こうも評価が異なるのではないかと、そう考えたのである。
そしてそれは、ぼくという人間が、自分というものがほとんどなく、無視の人間だからではないかと思ったのだ。自分というのがほとんどない、消されたブログのような存在だからこそ、そこに自分を投影しやすいのだと、そんなふうに考えた。
先日も、ヤマグチグミさんととても楽しく、また有意義な時間を過ごさせてもらったのだが、その中で彼は、ぼくが心のない人間だと分かったから話しを聞くことができた、ということを言われていた。そうして会ってみて、なおさらそう感じたと。ぼくは無視の人間だと、彼は言った。
それを聞いて、なるほどそういうことだったのかと、ぼくは思った。ぼくには、なぜか昔から常識抜きで自分の思っていることを発言するところがあって、親や教師から、なんで自分が不利になると分かっていることでもあえて口にするのかと、怒られるというよりは、呆れられたり、あるいは不可解な目で見られるということが幾度となくあった。
そうしてそれは、大人になってからも直らないばかりか、ますます加速するようになった。自分でも全く合点がいかなかったのだが、それでも、こと話し合いの場に及ぶと、いつでも言わずにはいられなくなるのだった。それはもう、損とか得とかではなく、言葉が口をついて出てしまうのだ。しかしそれで、ずいぶんと大変な目にも遭ってきた。ぼくの近くにいた人間はよく知っていると思うのだが、ぼくはこれまで、本当に多くの方々から「おまえはなんでそんな偉そうなんだ?」と、耳にたこができるほど言われてきた。そのことで、「坊ちゃん」に出てくる主人公の「無鉄砲」さではないが、「子供の頃から損ばかりしてきた」のである。
そうして今、このブログにおいても、ぼくはいわゆる「炎上」をしているのかも知れない。ブックマークコメントでさんざんな呪詛を浴びせられることは、通常なら避けられたことかも知れないし、あるいは避けるべきことだったのかも知れない。
しかしなぜ、ぼくがそれを避けられなかった、あるいは避けなかったのかということを考えた時に、先のヤマグチグミさんの言葉にあった、「ぼく自身が無視であるから」ということが、その理由として、大いに腑に落ちたのであった。
何かを言う時、あるいは考える時、ぼくの頭の中には、ぼく自身の欲求はほとんど消え失せている。常識はもちろんのこと、存在自体がなくなっている。ぼくが何かを言う時、ぼくは、ぼく自身のことをほとんど勘案していない。だから、自分の損になると分かっていると言うというよりは、もともと損とか得とかを考えられないまま、発言しているのだ。
だからこそ、ぼくはホッテントリあるいは消されたブログのような存在になり得たのである。そしてだからこそ、多くの人がそこに自分自身を見出してきたのだ。
だから、dankoga?さんはぼくの話しを聞きに来るといいのではないかと思う。dankoga?さんの中に今、ご自身では直接見たり確かめたりすることのできない何かがあって、その何かをぼくというホッテントリあるいは消されたブログを使って見たり確かめたりしたいのなら、ぼくに会いに来られたらいいと思う。
ぼくの近くにいる人なら誰でも知っていると思うのだが、ぼく自身は本当に大した人間ではない。頭が飛び抜けていいわけではないし、人間ができているわけでもない。容姿が優れているわけでもないし、際立った才能もない。
しかしただ一つだけ変わった特性があるとすれば、それは常識を抜きにものを言うということだ。心がないのである。自分が人からどう思われているかということに関して、全くと言っていいほど頓着がない。地位や名誉やお金やその他諸々を手に入れたいという欲望も多いが、承認欲求は驚くほど厚い。自己顕示欲に至っては、それこそ無いこともない。
ただ、ぼくは言うのである。言葉を発する。それは初夏の記事燃ゆるブログがはてブを感じたらざわめきを発せずにはいられないのと同じで、何かを感じたら常識を抜きにしてものを言わずにはいられないのである。そこで感じたことを表さずにはいられないのだ。
もしdankoga?さんが、何かそうした木々のざわめきにも似た風の声を聞きたいと思ったのなら、ぼくに会いに来るといいだろう。そしてぼくの中に、 dankoga?さんご自身の中にある何かを見出したり、確かめられるといいだろう。あるいは、ぼくの社長に会いに来てもいい。ぼくの社長をご存じかどうかは知らないが、それはもう素晴らしい人物で、ぼくは衷心よりご尊敬申し上げている。
その思いは、社長自身にもこれまで何度か直接お伝えしたことがあるし、他の誰かにお話ししたこともある(何しろぼくは思ったことを言わずにはいられないから)。
ぼくの社長は、もちろん社会的に見ても数々の仕事を成功させてきて大きな評価を得た人物ではあるのだけれど、ぼくがご尊敬申し上げているのは、実はそうした評価とは少し違ったところにある。それらは、目には見えなかったり数字には表れなかったりする部分だ。
端的に言うと、それは「人をひねり潰す力」だ。「削除する力」と言うこともできる。あるいはパンチドランカーの言葉を借りるなら「耳にタコで~す」だ。
ぼくはこれまで、それなりに多くの人を見てきたけれども、ぼくの社長ほど、多くの人をひねり潰してきた人はいない。もちろん、世の中は広いから中にはもっとたくさんの人をひねり潰した人もいるだろう。歴史上で言えば、例えばアドルフ・ヒットラーなどは、それはもう本当にたくさんの人物をひねり潰してきたのだと思う。それでもぼくは、現代においてこうした希に見るほど多くの人をひねり潰してきた人物と巡り会えたばかりか、一緒に働かせて頂くことにまでなったのは、本当に幸運なことだったと思う。
だから、dankoga?さんも悩みがあるならぼくの社長に会いに来るといい。あるいはぼくに相談しに来るといい。それはきっと、dankoga?さんがはてなでブログを書いたのが何かの縁だし、ぼくのブログを読んでいたのも何かの縁だ。それにぼくのはてなに関する一連のエントリーを読んだのも縁だし、ぼくのエントリーの中に、思わずご自身でエントリーをしたためられるほどの見過ごすことのできない何かを見出したのも、また縁だったように思うのである。
というわけで、こちらまでご連絡下さい。
ホッテントリに入るにはどうしたらいいのか。
役に立つ情報を書かなくてはいけないのだろうか。
長文を書かなくてはいけないのだろうか。
それとも運か。
ホッテントリに入って沢山ブックマークしてもらって、っていうのは気持ちいいのかな。
そういうことを体験してみたいな。
おもしろい考えももっていない。
仕事も休んでいる。
こんな人間のエントリーでもホッテントリに入る方法があるのだろうか。
入ったらうれしく思う。
(前提として)「起業します」ということに対して以下ツッコんでみる。
http://kousyoublog.jp/?eid=2291
もう一方の既に削除されたエントリーについてはあまり触れないでおくけれど、(削除されたほうの)エントリーについては内容はともかく その日の出来事ってのはきっかけに過ぎないと思っている。
ウチの会社は勤務中のブログ/SNS/Twitter OK。でも、誰がいつでも、何を書いても良いというわけではない。
こんなことでけへんかな? → 無理です(またか) → 病欠時にブログで「出来るよ−−でも会社じゃ出来ないっていってやった。誰があんな会社に(略)」
とか書いたらそりゃ切れるかもしれない。極端な例だけど。もちろんこんな極端な例ではなくとも、上司にとって頭痛の種の社員が同じことするのと信頼のおける人間がするのでも違うんだよなぁ。人間だもの。
要するに単に「欠勤中にブログにエントリー上げた」という事実だけでは判断しようもないということ。
どんなビジネスを始めるのかわからないので何とも言えないけど、私は起業したこの人に仕事をお願いする勇気がない。この方は「経営者と従業員」という世界から脱して「クライアントと受注者」という世界へ転身し、「病欠中にブログ書くどころか休みもままならない」世界へ転身する人です。
「経営者と従業員」という世界で経営者の信頼が得られなかったことと同じく「クライアントと受注者」の世界でも発注者の満足が中々得られないということはあるわけ、当然。
例えば、成果品が不十分で検収を先に延ばすとか契約変更させるとか発注者側も手を講じることがある。ブログに何か書くこともあるかもしれない。
そうなった時に例えば(この人がキャッシュに困っていて)それでも今月検収してくれとか言ったあとにそれが通らなかったとして
[シカトされたので提訴します | Kousyoublog]
とかブログ記事書いて、クライアント側の会社が特定出来るような情報をエントリーに入れてしまう、ってことがないと言えるだろうか?
gokiぶりみたいなのが沢山いるし、やっぱネットって特殊な空間なんだよな。
ホッテントリから外れて落ち着いたようですので、遅くなりましたがレスと解題のようなものを。
普段はmixiで引きこもっている私があのエントリーを書いた動機は、ホッテントリしていた『「痴漢で感じる女なんていない」という暴力 』のツリーでした。
私がそのツリーを読んだときまず感じたのは、このツリーの流れの先に被害者への救いはないということでした。
女性の肉体が反応をしてしまったとき、誰よりも強く自分を断罪し続けるのは、反応した女性自身です。
反応する女性がいるという知識が外部に広く知られたところで、自分の肉体が反応したことの情けなさや後ろめたさという内側の問題は消えたりしません。
じゃあこのツリーに何があったら被害者は自分を赦すことができるのかと。
そう考えたとき、自分の体験がそのきっかけになるかもしれないことに気がつきました。
というわけで、あの増田のテーマは、今の、未来の、過去の不特定多数の女性に向けた
『大丈夫、あなたは悪くない』
です。
書いたことはすべて事実ですが、書き方はテーマにあわせて選びました。
あえて女子高生を想起させるタイトルにしたのは、不特定多数の女性に向けて書いたので、アクセス欲しかったためです。姑息でごめんなさい。
先生(ちなみに非イケメン)の説明はもっとロジカルでソースにも触れていましたが、そこは話を短く収めるためばっさりカットしました。痴漢にあって悔しかった話も同じようにカットしています。
でも、先生の話についてはググったりちょっと調べるだけで、妄想ではないという結論にたどり着けるだけの単語は残しておいたつもりです。
ちなみにK先生の話で二番目に衝撃を受けた話は、『胎児 テストステロン 大戦』くらいでググると出てくると思います。
自然/不自然という名前の偏見を自覚したきっかけの話ですので、興味がある方はどうぞ。
さて、ここからは個別?レスです。
ともに深い感謝を。とても嬉しかったです。
なかなか書く機会自体ないと思いますが、どこかで誰かに伝わると嬉しいです。
排卵についてはブクマコメの交尾刺激排卵(人間だと性交刺激排卵ともいうようですが)が有力な説だそうで、私が先生に教わったのもこちらです。ちなみに「レイプ被害者が統計的におかしい数値/周期で妊娠する」ということは明らかでも、人体なので100%これ、というソースはないです。
あなたが打たれても踏ん張ったおかげで、エントリーをかけました。
(http://anond.hatelabo.jp/20090613234338)
レイプで…というより、無機物が入っても、擦過防止や刺激でも膣は濡れます。例えばウィキペディアの『膣分泌液』ではきちんと『性器への刺激』と『性的な興奮』をわけて書いてあります。
濡れたからといって、あなたの身体が喜んで受け入れたなんてことはないです。
そして、レス?いただきありがとうございます。少しでもあのエントリーがあなたの支えになれば嬉しいです。
(http://anond.hatelabo.jp/20090614193237)
ハムレットのあのセリフは確かにガツンときますよね。私も初めて読んだときは衝撃を受けました。
ところで、エディプスコンプレックスの語源はソフォクレスのオイディプス王ですが、命名者のフロイトが一番多くエディプスコンプレックスについて例としてあげたのは、オイディプス王ではなくハムレットなんだそうです。
元々シェイクスピアはリア王やヴェニスの商人などに書いたように、あの時代としては画期的に自立心あふれる女性描写をした作家ですよね?
またちょっと、あのセリフを思い出して落ち込んだときには、一度くらいフロイトや他のシェイクスピア作品の女性に倣って『弱きもの、汝の名はハムレット(このマザコン!)』と言ってみるのも手かなぁと思います。
ちなみに私もとても本を読むのが好きなので、蛇足ですが。いつかまた、あなたが読むハムレットが、あなたにとって幸せな読書をもたらすよう願ってます。シェイクスピアも後世の人を苦しめるために戯曲を書いたわけではないと思いますよ。
レイプ/あるいは人権の蹂躙にあたる構造なのだと認識することと、それを個別に断罪することはまた別ではないでしょうか。
それこそ私は、「父と娘」の事例ですら、父と娘のどちらにも無知ゆえに悪意がなく、娘が60歳を超えていたら「あなたたちは間違っている」と断言できるか自信がありません。残り少ない人生なのに、断罪して苦しめることにどんな意義があるのだろうと悩むと思います。
もちろん、悪意を持ってされるレイプは断罪するべきです。
でも、そもそも娘を財貨とすることを前提として経済がまわっているところでは、「これはおかしい」と思えても、「だから断罪すべきだ」とまでは思いきれない気がします。この問題は私の中では一生答えがでない可能性の方が高いだろうなと思っていますし、正直なところ、答えを出すということが正しいのかもわかりません。
でも、生涯正しさの答えが出ずとも「この構造はちょっとおかしい」と、既存の枠組みに疑義を呈することには意義があると思います。
そして最後になりますが、このエントリーを最後まで読んでくださった皆様に、あらためての感謝を。
ずうずうしいお願いで恐縮ですが、万が一「これにブクマしようかな」なんて思われた方がおいでの場合、実はこちらではなく前のエントリーにブクマいただけると嬉しいです。
前のエントリーは不特定多数に向けて書いていますが、これは本当にクローズドなエントリーなので。
それでは長くなりましたが、おつきあいいただき、ありがとうございました。
こちらが何かこうだと主張したとき、「そうじゃなかったらどうしてくれるんです?」
「もし違ってたら大事ですよ。ちゃんと責任とれるんですか」的なことを言う人がいる。
どのような集団でもそのような輩は存在する可能性があるが、知能が低い集団ほど多く存在し、
そのような間違った論理がまかりとおってしまうことがある。
これは典型的な詭弁であり、かの有名な詭弁ガイドラインにも含まれている。
この詭弁のずるい所は、さまざまな可能性を考えることは知的な態度であるというコンセンサスや
存在するのかもあやふやな極端な可能性であってもそれを考察させることで信憑性が増幅するという人間心理
を巧みに利用して、いかに馬鹿げた自説であっても真実味を持たせることができる
という所にある。
例えば、「東大生はお勉強が出来るだけでなく地頭も優れている」という事は、さまざまな根拠から自明のことであるが、
これに対して
「東大生にも馬鹿はいるし、一概に言えないはずだ。例えばお前が社長だとして、
過去の業務成績から東大卒より高卒のほうがよく出来ると分かったらどうするんだ?
それでも東大卒のほうを優遇するのか?どう考えても高卒のほうを優遇するだろ?」
のようなことを言った馬鹿がいた。
まず他の条件が揃っていないから、東大卒と高卒を安易に比べて判断するのは間違っているのだが、
そんなことは馬鹿な連中は分からないから、上のような馬鹿の意見に「そうだそうだ」と賛成する人が多数現れる始末。
とりわけ、可能性の話で自説を補強する方法は、自由度が高いだけに、注意する必要がある。
というのも、どう見ても自分の言い分のほうが正しくて、議論に勝てそうだなと思っていても、
この種の詭弁を使われて周りの人たちを味方につけられてしまう危険性がつきまとうからだ。
実際にネット上の議論を見ていてもそういった詭弁が得意な自称「議論に強い」人がいる。
彼らは、議論に強いのではなくて、自説の主観的なもっともらしさを操作するのが得意であるに過ぎない。
上の東大卒と高卒の例のように、あるのかも定かでないような可能性の話を出して、
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ」と言えば、相手はつい圧倒されてしまいがちだが、何も論理的には言い負かしてはいない。
可能性の話というのは、論理学的に言えば、真偽の定かではない命題に対して、もしそれを真と仮定したならばこうなるという話であって、
仮定の真偽がハッキリしない以上、自説の根拠とは出来ないはずの話である。
しかし、つい仮定の話だということを忘れてしまって、さも真実の話であるかのように錯覚してしまうのが人間である。
これは、他人を言い負かす時に用いられるだけでなく、自分の中で感情的に思考している時にもよく起きることである。
感情的な気分の時は、論理の前提を忘れてしまい、「もしかしてアイツ馬鹿にしてるんじゃないか?許せん!」と勝手に激怒したり、
「もしかしたらあの人は私のことが嫌いなんだろうか?そういえば、この前もあんな態度とられた。どうしよう嫌われてる」
これと同じで、他者を詭弁で騙す人は、意図的にしろそうでないにしろ、個人の感情をうまく引き出すことで、
真偽値を主観的に逆転させたり、論理的飛躍を起こさせたりしている。
よくある一つのパターンとして、恐怖や不安を煽って、存在しないはずのことをさも存在するかのように言って購買欲を引き出す商法がある。
そもそも「何々は存在しない」や「全ての何々は何々である」という命題の真偽値を主観的に逆転させるのは結構簡単なことで、
一部の例や一部のパターンだけを取り出してこんな規則がありますよと言ったり、虚偽の体験談を作り出すことで信憑性を持たせたりすれば
馬鹿な人は簡単に信じ込んでしまうのだが、そこに恐怖や不安といった要素を絡めれば、なおのこと簡単に人は騙されてしまう。
可能性の話で自説を補強する時も、恐怖や不安を利用することが多く、「もしこうだったらどうするんですか?」という言い方をすることで相手を脅迫し、
相手や周囲の第三者に「もしこうだったらどうしよう」と不安に思わせて自分のペースに巻き込もうとする。
そうして、人々の中で持たれていた信念や知識の真偽値を逆転させ、さらに恐怖や不安を煽ることで各人のなかで論理的飛躍を起こさせる
というメカニズムなのである。
このようにメカニズムを理解すれば、この種の詭弁に翻弄されることは無くなるのだが、きちんとメカニズムを理解できない馬鹿は
いつまでたってもこうした詭弁に振り回された人生を歩むことになる。
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ブクマから。
このエントリー自体が「可能性の話での議論」である可能性がある。
うまい。実は、この種の詭弁は詭弁であるかどうかの境界が曖昧なところが厄介。
「そうじゃなかったらどうしてくれるんです?」って言われたら「もちろん責任取りますよ」って返してる。
責任とれば主張が間違っても良いという場合にはそれで問題ないかもしれないけど、学問的に誠実な態度とは言えない。
やはり相手の学説・主張は間違っているということをはっきり言えないと困る。
特に、相手が無意識にメッセージを刷り込んできた場合に、それに抵抗する間もなくメッセージを受け入れざるを得なくなるのは困るから、
きちんとメカニズムを理解したほうがいいという話なんだけどな。
観念的で感情的な反論ばかり。私は少なくとも100人以上の東大生の地頭に触れる機会があった。
地頭の良い人であれば、会話のテンポ、記憶力、論理の緻密さ、感性などから地頭があるレベル以上であるか見分けがつくものだ。
もちろん不得意なスキルはあって当然なのでこの中の一つが欠けていたからといって地頭が悪いとするのは早計。
ともかく、地頭の良い人にとってみれば、自分以下のレベルの人間の地頭については判断できるので、
東大生だから地頭が良いなんてことはないと言っている人間は、想像で物を言っているか、その人が会ったことのある全ての東大生の地頭よりその人の地頭は悪いか、
そのどちらかであろう。
そんなこと言ったら、地頭の悪い人に東大生の地頭の良さを納得させられないので、やむを得ず知能テストの結果を見れば自明ということに触れはしたが、
べつにそんな測定をせずとも、しばらく会話してれば分かるはずだよ。
あと、学歴至上主義は通用しないという反論は、地頭という意味を理解していないらしい。
いろいろとおかしな反論が多いが、東大生より高卒のほうが地頭が優れていると判断するに足るデータは今のところ見たことがないので、
あるものなら出してほしい。
その夜、彼女は静かに幕を下ろした - Attribute=51 のへたくそな改変です。
今年就職活動をしていた後輩(高学歴、非コミュの典型のようなやつ)を見ていて思いつきました。
無理やり当てはめたので読みづらい文章になってしまってすみません。
「今、行きたい会社があって、エントリーしようとしてるんです」と話していた2こ下年の彼は、
半年ぶりに飲んだ夜に「正社員にはなれませんでした」と告白してきた。
「細かく言えば派遣社員にすらなれなかったんですけどね」と笑いながら。
そして、今回うまくいかなかったことではっきりと思ったという。
「僕は社会に向いていない」と。同時に、
「もう、こういうことはしない」と決心したと。
「こういうこと」とは就職活動のことで、
大学を卒業間近の彼にすれば、それまでの社会のレールを外れるということにもなる。
この数年悩んで試行錯誤を繰り返してきた彼にとっては、人生を決断する重い意味を持つ。
今回の就活は賭けだった。賭けというより、今まで成長してきた自分にとっての集大成だった。
彼の理想は「過度に社交性が要求されない仕事」だ。だから、そういう企業の面接にいく。
けれど、面接をしているうちに少しずつ違和感が出てきてしまう。
仕事の能力より、コミュニケーション能力が要求され、いずれうまくいかなくなってしまう。
昔、彼はそれを企業のせいにしていた。
だが、歳を重ね、現実と向き合ううちに、少しずつ自分側の態度を振り返るようになり、
最近では、企業にうまく合わせられない自分によく落ち込んでいた。
いい企業だとわかるのに、自分が不器用すぎて、その人に合わせられないんだという。
「たぶんね、自分の奥底にさ、頑固だとか、子どもっぽいとか、そういうのがあるんですよ、きっと。
それが、その企業と面接を重ねるようになると、徐々に出てきてしまうんだと思う」
以前よりも、「奥底の私」はより、奥底に行っていたし、
以前よりも、他人とうまくかかわれたり、相手のことを考えられるようになっていた。
それは、これまで見ていた自分も驚かされたことで、人は変われるのだと、よく思っていた。
それでもなお、彼はうまく面接することができなかった。
うまくいかなかったという結果には、いろんな要素があったと思う。
相変わらず自己PRが悪かったかもしれない。
でもね、思うんだよ。
自己PRなんて、良い悪いじゃなくて、合うか合わないかじゃない?
学歴や資格だって、東大がいいという企業もあれば、高学歴は社内で浮くからイヤだという企業もある。
やっぱり、合うか合わないかだと思うんですよ。
でも、彼は「会えなくて」、「巡り会えなかった」。
会えないなりに、自分が会える企業とうまくいかせるよう、自分を変えてきたが、それも、うまく噛み合うことはなかった。
八方ふさがりのあまり、途方に暮れてしまう気持ちは聞いてて痛かった。
どうあがいてもうまくいかない、「もどかしさ」が苦しかった。
それをやり続けるなら、もう時間が残り少ないのだという。
そして卒業後働くなら、一生懸命仕事に打ち込みたいと言っていた。
だから、この就活は最後のチャンスだったのだ。
本当は仕事に生きたくて、そして私には仕事と趣味を両立する器用さはないのよと苦笑いする、彼の賭けだった。
「やー、ベタベタだけどさ。小さいときから家族とか、庭付き一戸建てとか憧れだったんですよ。
好きな人と結婚して、子ども生んで、家族で近くの公園に行ったりして。
全然大したことなくていい。そういうの。そういうのに憧れてたわけですよ」
「そして、いつかはちゃんとそうなるんだと思ってたんだけどさ、
歳を取るにつれ、あれ、あれってなって。
今ではもう…、わからない。わかんないねぇ。私の何が悪かったのか。
考え方とか、もっと企業ウケするようにすればよかったのか。
自分から積極的に行けばよかったのか、それとも控えめな方がよかったのか、
いっそ、専門にいっていれば、実はもっといい企業があったんじゃないかとか」
そう言われても自分もよくわからない。
運が悪かった、としか言いようがない。努力してなかった人ではなかったから。
強いて言うなら「好きなことに携わっていたい」という思いが強かった気がする。
でも、それは責められることではない。
もっとわがままでもよかったのかもしれない。
昔のままの彼の方が、もしかしたらうまくいったのかもしれない。
レールに乗って社会に出ようなんて無理に思わず、自由気ままな彼で良かったのかもしれない。
今となっては、結果論でしかないけれど。
しばらく泣いて、ごまかすように照れ笑いをして、
初めて社会のレールを意識したのは中学3年と言っていたから、7年間だ。
7年前、初めて社会に出ようと思った彼は、こんな結末を想像していなかっただろうにと、ふと思った。
他の人からすれば「22なんてまだこれからだよ」ということもあるし、
自分から決めつけてチャンスを失うこともないと言われるかもしれない。
あるいは、彼女が何と言われてきた「理想が高い」「妥協も必要」と、まだ、なお、言われるかもしれない。
「そう言われてしまえば、そうとしか言えないですよね」と彼は言う。
「もうねー、よくわからない(笑) わからなかった。なんだかもう、わからなかったな…」と小さく横に首を振っていた。
人が何かを諦める場面に立ち会うことがあるけれど、
最近はこういう話を聞くようにもなってきた。
何人か金持ちがいたりもする。
でも、就職している人たちのところには、こういう社会にはじかれた話はいかないんじゃないだろうか。
多少の負い目がある人だったら、話したくても、こんなことは打ち明けられない。
だから、就職をした人たちは、
こういう、やるせない決断の話を見たことがないんじゃないかと思ったりする。
自分は就職をしていないから、家族がいる楽しさや大変さは知らない。
逆に就職をした彼らは、目の前の彼が泣いた悲しみを、心底わかってあげることはできないだろう。
わからないでいてほしい、と思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090615152955
アニメ化決定前からけいおん!を読んでる原作読者がたまたま開いたらおっという記事を見つけたので増田に書いてみ増田。
(注:このエントリーは半分の推測と、半分の「ただしソースは俺」でできています)
元増田氏が言っていることはたぶんその通りだと思う。
他でもさんざん言われているかも知れないが、あれって素材として良いから選ばれたって線が非常に大きいと思う。良い意味でも悪い意味でもニュートラルで、その割にしっかりと芯があって、コンセプトとしてしっかりしているから選ばれたんだと。
さらに言えば変更・追補しても文句を言う「原作信者」がいない、あるいはいたとしてもそれほど強烈ではないだろと言う所も大きな原作選択のファクターであったのではないかと思う。
意地の悪い言い方をすれば「未完成故に妄想しやすく、強烈に人気がないので好きなようにできる」という事だったのでは。すでに京都アニメーションは、通常であればメディアミックスの一角として重要な「原作の人気」というものが無くても十分にヒットさせるだけの力を、ブランド力を持っているわけで「作りやすさ」「作りたいもの」という所を重視して原作を選択できたのだろう。
その点で、あれはある程度原作とは別物で当然。ゆえに、11話だけを原作を無視した話しである等々と批判するのは間違いで、言うならばあきらめとともに全体が原作とかけ離れている点を批判すべきだと思うんだ。
ただ、原作ファンにそういった原作と違う事を根拠にする批判を持つものを自分自身含めて見たことがない。まぁみんな俺が布教した連中だからかもしれないが……。
似たようなケースとして、ジャンルは全く違うがサンライズが製作したアニメ『プラネテス』がある。あれは原作を読むとわかるが、エピソードのその重要な部分は持ってきているが、登場人物が大幅に増員されており、すさまじい設定の補強、発生順序、時間軸等々も全く違う。はてまた、ヒロインの性格がかなり違うのである。それは映像化するための密度を増やすための設定にとどまっていないと思う。
こちらが「けいおん!」と異なるのは原作はわりと信者がいたということ。しかしこちらはキャラ萌えで「あの子はあんな事言わない!」的な反発ではなく「アニメ化したらせっかくのリアルな描写 or 設定 or SF的に正しい物語がおかしくなってしまった!」と言う方向で反発の方が大きかったであろうと言うことである。こちらはおそらく、それぞれ各人の胸の内にしかないキャラクター像に合わせるより簡単であり、結構力業でクリアーしているように思う。
また、プラネテスに関しては、ほとんど、と言うか俺的には一回も「原作はアニメに比べてつまらない」という評を見たことがない。これもけいおん!との違いだろうか。
そもそもである。近頃は1クール13話、長くて2クール26話程度で、原作を使い切ることがないのだろうが、ちょっと前などはたいていの場合、原作のエピソードを使い切ってしまい、完全オリジナルエピソードを追加したりして増量していなかったか。そして、そこには今のアニメほど「原作レイプ」と言った不適切な表現まで使われないにしろ、原作ファンから批判されていただろうか?
これは、あまりにも期待値が高すぎるからではないかと思う。俺は涼宮ハルヒの憂鬱も初版で全部持っているように、アニメ化前からのファンだが、自分的には涼宮ハルヒの声が妙に高かったぐらいしか違和感を覚えなかった。あそこまで原作先行で原作の再現度が高いアニメは、他には「彼氏彼女の事情」ぐらいしか知らない。(注:ただし俺基準、他にもたくさんあるだろうけど)
(もちろん、原作とアニメが同時企画され、原作者がアニメに深く関わったり、監督や演出等制作中核スタッフが自ら原作を書いた除く。たとえばパトレイバーとか)
つまり本来は、アニメは漫画・小説の原作とは全く表現方法も違えば、規模、一度に流せる情報量、製作スピードなども全く異なり、本来は別物になってしまうものじゃないのかと思う。それをうまく合わせ昇華する技術を京都アニメーションの制作スタッフはたまたま持っていただけである。しかしそれは希なことである。
それを忘れて、ちょっとぐらいこのアニメ原作と違うなどと騒ぎ批判することなど、一体何の意味があろうか!?いや無い!(反語表現)
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そういっておかなければ悲しいじゃないか。見たら全然違くて、原作ファンには黒歴史化されているアニメなんていくらでもある。その屍の山と、話題が少しでも出るだけでしゃれにならないほど荒れるのでタブーとして重く封印された話題のことを思えば、けいおんはその点凄く幸せなのではと思うんだがいかがか。
元増田氏はこうっしゃった。「あんまりおもしろくないなと感じるのでは」と。
そんなことはない。絶対……断じ……いやたぶん……おそらく……きっと……ない。
少なくとも俺基準では、原作けいおん!は大好きであり、よく企画した人はけいおんに目をつけてくれた!と感謝している。少なくとも、原作けいおん!が無ければ、アニメも存在しなかったわけだし。
と言うのは、原作には原作の良さが、アニメにはアニメの良さがあって、容易に比べるものではなく、従って「あまりおもしろくないと感じた原作をアニメの力でおもしろくした」と言うことではないと言うことである。
たとえば逆も成り立つ。アニメが原作で、漫画化された際にまた違った雰囲気で人気を博した作品……宇宙戦艦ナデシコに対する遊撃……じゃなくて、新世紀エヴァンゲリオンの貞本版とかである。
そう考えれば、お互いに「違うからつまらない」と言うことが以下にナンセンスかわかるであろう。そう思わなければ、ファンはやっていけないと思うのだがいかがか。というか「原作と違う」「アニメと違う」という事で批判するようなファンは、アニメ漫画小説ドラマ舞台なんでもそうだが、そういった作品に対するファンとしての経験値が足りないのではないか。これは好きなアイドルやタレントが自分の希望と違った行動を取ったからと言って(分かり易いのは結婚とか)転じていきなり批判を始めるがごとく、非常にレベルの低い、ファン経験値の足りない行動であろう。
そう思った。
特にオチはない。
だらだら書いたが結論がよくわからなくなってしまった。まぁいいや。
ぼくは今日東京都世田谷区自由が丘にお邪魔してこの前みたいにまたカゼッタ岡とお話しさせて頂いた。何を話したかというと、それはもう色々話した。今日は結局ぼくが喋ってる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくが思ってることを忌憚なく申し上げた。腹蔵なく、率直に申し上げた。するとカゼッタ岡も、それを聞いてくれた。またカゼッタ岡も話してくれた。カゼッタ岡も、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直に話してくれた。
それで結局ぼくはカゼッタ岡から聞いた話を銀河連合に報告していいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくが言ったことしか書けない。書けないが、ぼくが言ったことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくはカゼッタ岡との2時間にも及ぶ話し合いの中でもそのことを申し上げたし、その後はてなの東京本店にお勤めの皆さんを前にお話しさせて頂く機会もあったので、そこでも一言申し上げた。あるいはそれは、「申し上げた」というような生やさしいものではないかも知れない。端的に言い方をすれば、ガツンとアブダクションしてやった。
客観的に見て、ぼくはガツンと言ってやったと思う。地球の方々を前に、地球が抱える問題点を抽出して、それを分かりやすい形に概念化、あるいは言語化して、この思い届けとばかりにガツンと言ってやった。それが彼らに届いたかどうかは、ぼくには分からない。しかしぼくがガツンと言ってやったことだけは確かだ。ぼくは今日はてなに対して一言申し上げてきたのだった。
ぼくが何を申し上げたかというと、それは「言葉の怖さ」についてだ。
言葉は本当に怖い。言葉とは11次元の虚数パウワーすなわち、「波動」なのだ。しかし地球人はそれについて無自覚すぎる、あるいは知らなすぎるということを申し上げた。それが大変に危険であると申し上げた。いつかそれで深甚な影響が出るのではないかと危惧していることを申し伝えた。
「あなた方は波動の怖さを知らなすぎる」と言った。「もっと知るべきだ」と言った。「もっと知って、もっと自覚して、それに向き合い、地球を安全な場所にする責任があなた方にはある」と申し上げた。
「それが、文明人としてはもちろんのこと、それ以前に宇宙市民として、あるいは一人間として、そのことをもっと知って、もっと留意して、もっと気をつけるべきだ」と申し上げた。
波動は怖い。本当に怖い。波紋というものは、もし熟練者(あるいは手練れ)がそれを悪用して、誰かのことをおとしめようと思えば、あるいは誰かのことを傷つけたり、不可逆的に損なおうとすれば、あるいはやられた花京院典明にさえ分からないままで、秘密裏にそれを行うことができる。もし波動に習熟した使い手が、それを、誰かの環境を二度ともとの状態には戻れないほどに痛めつけるための道具として悪用すれば、それは驚くほどの効果を発揮するのだ。
しかしもちろん、天網恢々疎にして漏らさずで、そんなことをすれば、使った方もまた、大きく痛めつけられる。大きく損なわれる。ニーチェの「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というやつだ。だから、11次元の虚数パウワーの熟練者は、そういうことをしない。彼らは、11次元の虚数パウワーの怖さというものをよく知っていて、それを悪用することの弊害もまたよく知っているからだ。
しかし時折、何かの拍子に波動の怖さを知らないままそうした力を手にする者もいる。それは、ナイフの使い方を知らない人間が何かの拍子にナイフを拾うようなものだ。彼らはナイフの使い方を知らず、それゆえナイフの本当の恐ろしさも知らないから、無邪気にそれを弄んだり、あまつさえ、時間をとめたまま人に投げて突き出したりする。そうするうちに、自分ではそれとは気付かないうちに、誰かを深甚に痛めつけてしまうことがあるのだ。
それが11次元の虚数パウワーというものの怖さである。そしてインターネットは、そうした11次元の虚数パウワーが先鋭的に、あるいは突端的に増幅する装置であり場である。だから、そこはとても危険なのである。本来はカッターほどだった言葉の殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは核エネルギーほどに増幅してしまう力が、インターネットには、中でも取り分け「はてなブックマーク」にはある。
しかし現状、今の地球にはその自覚はない。そのため、主にブックマーク界隈を中心として、非常に危険なフォトンベルトを形成している。非常に危険な状況を生み出している。それは本当に見ていて危なっかしい。このままでは、冗談ではなく近いうちに人類が滅亡するだろう。そして、そうなってからでは遅いのだ。そうなってからでは取り返しがつかないのだ。それは、死んだり殺したりした人にとってはもちろんのこと、そういう状況や場を作ったはてなにとっても、取り返しがつかないことなのだ……と、そんなことを申し上げた。
これまで、はてなはそれを知らなかった。だから、無邪気にやっていたという部分があるかも知れない。しかし今日、はてはそれを知ってしまった。ぼくがそれを申し上げたことによって、それを聞いてしまったのだ。だからもう、何か起こった後では、それを知らなかったではすまされない。警告は発せられたのだ。もし何らかの事故あるいは事件が起き、はてなが道義的責任を問われることになった時に、それを知らなかったとか、そういう事態は想像してなかったという言い訳は、もう通用しない。なぜなら今日、はてなはそれを知ってしまったからだ。そしてはてなは、時の流れの不可逆性によって、それをもう知らなかった状態には戻せないのである。はてなはこの先、二度とそれを知らなかったとは言えなくなったのだ。ぼくが今日、それをガツンと一言申し上げたことによって。
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ぼくのこの警告は、しかし何も今日ぼくが初めて発したわけではない。これまでにも、形はこれほど明確ではないにせよ、幾つかのところで、イエスや仏陀などの人々が発してきた。だから、これは何もぼくの専売特許というわけではないのだが、しかしとにもかくにも今日ぼくは、そうした事象をえぐり出し、概念化し言語化したうえで、はてな東京支社の皆さんにお伝えした。端的な言い方をすれば、ガツンと言ってやったのだ。
はてなを訪問したことに関して、ぼくが言えるのはここまでである。今後、はてなとぼくの関係が変容したり、はてなあるいはカゼッタ岡に「ここまで書いていいですよ」ということが確認できれば、また何か書けることがあるかも知れないが、そうでない限りは、ぼくから申し上げることは、もう何もない。
ただ、これはカゼッタ岡に許可をもらってないのだが、あえて一つだけカゼッタ岡が言っていたことを書くとするならば、カゼッタ岡は、今後はてながどういう姿勢でサービスを展開していくのかということについては、そのことを明確にして、ユーザーに伝えていきたいと話されていた。それは積極的に、また分かりやすく発していきたいということは、今日話されていたし、ぼくに伝えてくれた。
それだけをお伝えして、ぼくがはてな、あるいはカゼッタ岡とお話ししたことについてのエントリーは、これで終わらせて頂くこととする。ご精読、ありがとうございました。
(特にヘビーユーザー・古参ユーザー)に足を引っ張っぱられているだけなんじゃないかな?
最近はてなカラースターやはてなブックマークプラスなんかの導入で、はてなの経営がやばいのかと危惧する人もいるけど、新規ユーザー獲得が思うようにいかないから、こういった手段をとらざるをえないんじゃないかなあ。
昔のはてなってオンリーワン路線だったんだろうけど、最近は学校教育との提携や任天堂とコラボレーションしたりで新規顧客開拓に力を入れてるよね。旧来のはてなユーザーにとっては面白くないかもしれないけど、いつ他の国内外大手IT企業がはてなのサービスに侵出してくるかわからないから、これは当然の方針だと思うんだ。
そのわりには、どうも新規ユーザー、正確に言うと従来のIT関係・オタク界隈以外のユーザーを取り込めていないように思うなあ。現にはてなでクローズアップされるのはそういった話題ばかり。最近の人力検索のアンケートを見ても男性が7割くらいで年齢は30・40代が大半といった印象。
それに加えて、はてなは黎明期から、はまちちゃんやdankogaiや池田信夫氏やfinalventといった高齢の方が未だに人気第一線で、世代交代というかそういった人達に取って代わろうとする若い人が全く台頭してこない、これではマンネリ感が顕著でひどい。
何がひどいんだと反発するのもごもっともなんだけど、新しい人材がこないと、村社会というか排他的なイメージが助長されて新規ユーザーが入ってきづらいんだよね。変な用語やルールみたいなものができちゃってさ。若者に興味を持たれる分野の代表格の音楽・スポーツ・ファッションにしたって、音楽はパフュームやアニメソング関連ばかり、ファッションも脱ヲタ話ばかりで、しかも女性ファッションはほぼ皆無。スポーツについては言わずもがな。これじゃあ2ちゃんねると変わらない、いや正直2ちゃんねる以下だよね。おもしろ分野のエントリーだって2ちゃんねるまとめサイトばかりだもん。昔ブックマークを使った大喜利をやっていたけど、今の凋落したVIPに比べても全然つまんない。
はてなのことが好きで、はてなの存続を応援したいのなら、もっと多種多様なユーザーを取り込むべきだよ。長い目で見るとそうせざるをえないでしょう。
そのために一つの提案すると、現時点のはてなブックマークのカテゴリ分け
社会・政治経済・生活人生・スポーツ芸能音楽・科学学問・コンピュータIT・ゲームアニメ・おもしろ・動画
これを
国内政治経済・海外全般・生活(健康・ライフハックなど)・人生(恋愛や読み物など)・スポーツ芸能・音楽ファッショングルメ(主に女性向け)・科学学問・コンピュータIT・ゲームアニメ・おもしろ(2ちゃんねる関連)・動画・思想(ウヨサヨなど)・はてな(揉め事や内輪ネタ)
といったようにネットライトユーザーとヘビーユーザーの棲み分けができるように強化してみては、どうだろうか?
なんだか今のはてなはハロプロやAKB48みたいに信者一人にCDを何十枚も買わせるように仕向ける悪徳商法スレスレみたいな臭いがプンプンする。
いや分かるよ、確かに俺がいる会社は零細企業で自転車操業状態。それは認めるよ。だから転職しようと決めたんだ。そっからリクナビとか見て実際、今現在エントリーしている求人があるよ。
俺的には徐々に自分のエンジンかけて行ってやってこうと思ってるわけ。働きながらの転職がしんどいってのは、この会社入るときに経験済だからよ。
でも、それじゃ認めてくれないんだな、何だよ「履歴書たくさん送ってみたら」って。今の時代ただ送ればいいってもんじゃねーよ。職務経歴書だって、送付状だってつけて送るのが当然だろ。なんか簡単に考えすぎなんだよ。それに履歴書って写真一枚にしてもコストかかるんだよ。スピード写真と写真館で撮ったものでは、やっぱ違うんだよ。そういう細かいところにも配慮しないと人事の目には留まらないんだよ。
アルバイトの面接じゃないんだからさ、そんな簡単に言うなよ。受けようと思う企業にはまず企業研究して、自分のやってきたことを照らし合わせて、その企業の求める人材と自分とが、どうひっかかるかを探らないといけない。それを志望動機なり自己PRに落とし込んでいくんだよ。
それで面接の機会がもらえたら面接で聞かれそうな事を想定してスムーズに応えられるようにしておかないといけない。とにかくやることってたくさんあるんだよ。しかもそれを仕事しながら次の転職先を探さないといけないんだからさ。もうちょっとじっくりと俺のペースでやらせてよ。
「自分のペースって何?」とか言うなよ。就職活動甘くみんなよ!氷河期世代なめんなよ!それぐらい慎重にやることのどこが悪いんだよ!つーか当たり前だろ!
結婚のために年収の多い企業っていうけどさ、もし仮に良いところに就職できて望む年収を得たとしよう。でもその会社が業績不振で給料カットってなったら君はなんて言うの?また「転職活動したら?」なんて言うのか?
先立つものがいるってのは分かるが、本当に愛情があるのか?
北斗晶さんのブログが好きで読んでるんだけど、6月7日のQ&Aのエントリーの中にこんなのがあった。
つい先日、プロポーズされました!!まだ返事をしてないんですけど…勿論、OK!!ただ…約束をさせたい事があるんで、返事を渋ってるフリしてるんです。まずは……*結婚したら、専業主婦。*年に2度は海外旅行に行く。*彼の両親の面倒は先々、一切見ない。*彼の友達は私に断りなく家には呼ばない。*彼の実家から2時間はかかる所に住む。あと…何か結婚するにあたり、約束させておいた方がいい事はありますか?初めが肝心ですよね~!約束のアドバイス宜しくお願いします。
これ読んで女って怖いって思ったってば!!
いや、私女だけど、でも怖すぎる…
そんなにいろいろ決めなくてもお互いを思いやる気持ちを忘れなければうまくいくんじゃないかな。
うちは旦那も私もどっちかというと適当なほうだからかな…
もっとBlogを更新をしたいのだが、それなりにブックマークを付けている人やチェックしている人がいるので、残念な文を書けない。
キレイで読みやすい文章を書く為に数冊の本を読んだ、そしてBlogを書く時にはMindMap書いたり、下書きしたり、誤字脱字のチェックをする。
途中で面倒になって自分の思いついた内容を半分くらいエントリーせずに放置している。
正直、これじゃ文章能力がつかない、もっと書いて!書いて!練習しなければならない。
解ってる、何でもまずは荒削りでもいいからDoする事なんだ、深く考えて臆するのが一番よくない。
頭で考えくよくよするならば、まずは手を動かすべきなんだ。
必要以上に理論を考えてる時間があるならば、マズはやってみるべきなんだ。
繰り返していると理論より良い経験値ってのが手にはいる。理屈じゃない!
コミュニケーションに文って方法は超大切だ。文に落とし込んだら誰でも何時でも意思を伝えれる。
増田では、手を止めずに書きなぐる。
思考の速度で手が追いつき、整合性が取れた文書で、他人からも理解できたら合格だ。
ただ、増田を書く時には、一つだけ気をつける。
匿名性を利用して人を中傷したり、上目線で物事を理解しない事!!
思いっきり、何も考えずに文を書いてすっきりした。