2022-05-31

支配欲と性欲が結びついていることを当たり前とするような風潮が地雷

気持ちが悪い・面白くない・馬鹿馬鹿しい・興奮しない・萎える・バカバカしい・創意工夫には遠い・品性下劣を誇るな・在り来りだ、そういった感情が溢れてくる。

あーすまない先に例をあげるべきだった。

私が苦手なものというのはつまり

・学年一の美少女が学年一の醜男レイプされる

・身ぐるみを剥がされた女騎士が命乞いのために土下座をさせられる

プライドの高いイケメンが尻穴を成金男の玩具にされる

相手コンプレックスを刺激するような行為をする

女王様に亀甲縛りにされて蝋燭を垂らされる

相手食事に精液や愛液を混ぜる

そういった類のものを「性的に興奮するシチュエーション」として描かれることだ。

私も別に爽やかな恋愛けが性的コンテンツとして正しいなんて思ってない。

浮気だとか隠し撮りだとかそういったシチュエーションテーマにしたオカズマスターベイションをすることだってある。

だが、その中で支配欲と性欲結びつけるのが素晴らしいと考えているような描写が出てくると一気に気持ちが離れてしまう。

世の中の多くの人はどうしてこんなにも性欲と支配欲が当たり前に結びつくと思っているのか。

相手自分の思い通りにコントロールすることに興奮する気持ちは分からなくはない。

蟻の巣に水を流して慌てふためく様子を観察したことぐらい私にだってある。

だがそれによって性的に興奮することはなかった。

思うのだが、支配欲と性欲の結びつきが過剰に強い人達というのは性的ものを規正されすぎたのではないだろうか。

彼らにとって性的ものは悪いものであり、悪いことが出来るのは相手支配した時であり、その2つのシチュエーションが結びついてしまったのではないだろうか。

エッチな本を親に隠れて読むとは親を出し抜いた時であり、クラスメイトスカートをめくるのは格下の相手自分欲求押し付ける時だ。

なにより今の世の中ではスケベなものが恥ずかしいものとして扱われている。

それはつまり、スケベなことをするというのは相手に恥ずかしいことをさせること、辱めることへと結びきがちであるということだ。

そうやって少しずつ「性的な場面」と「自分欲望環境押し付ける場面」が結びついてゆく。

気づけばいつしか支配したいという欲望性的欲望を、性的欲望支配したいという欲望を連れ動くようになっていく。

刷り込み学習というわけだ。

やがて世の中には無数の支配欲と性欲の結びついた人間が溢れていく。

痴漢というシチュエーションに対して「嫌がある相手に無理やり行為を迫る」という興奮を覚えてしまうような人種が。

彼らが一部の特殊性であるという自覚を持って行動してくれるならいいが、どうも人数が多すぎて大手を振って暮らしているようにみえる。

これは実に迷惑だ。

イケメンといえば福本伸行アカギのような細長くてやたら体の尖った人間だと思いこんでいる連中や、とにかく女の胸がデカくて男のチンコデカイことがエロさとして優れていると思い込んでいる連中のように自分たちこそがマジョリティであると言い張るあの態度。

実に気味が悪い。

予備動作もなくゲイポルノスカトロジーを表向きそうとは分からない作品にいきなりぶっ込むことを躊躇しない輩の配慮の無さ、それを一般向けの作品でもやってみせようとする連中の常識の壊れぶり。

それがどうしようもなく鬱陶しくてアレルギーのような反応が起こるようになってきた。

勘弁してくれ。

誰もが支配欲と性欲が結びついてなんてない。

子ども自体に聞かされた性的ものを恥ずかしいと思えという杜撰教育方針をいつまで引きずって、相手自分が辱められることこそが性的行為なのだ思い込み続けるのをやめろ。

少なくとも、それは一般的な性癖じゃない。

また、一般的な性癖じゃないことを自慢気に語って面白いと思うのは、自分嘲笑せることでしか承認欲求を満たす手段を知らない哀れな底辺掲示板の住人ぐらいだと知れ。

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