俺は中学生くらいの頃までは「ひょうきんな変わり者」、高校~大学では「学校の端っこでワイワイやってるオタク」みたいな立ち位置で、社会人になってからは一般的な会社員として世間から爪弾きにならない程度には上手くやっているけど順調にライフステージを踏んでいる「立派な社会人」って感じでもなく、なんていうか自分がマス層に馴染めない人間みたいな自意識を抱えて生きてきていた。
ただ、自分は大衆に馴染めないみたいな自意識過剰を抱えていても、アンチ大衆的な思想ではないらしい。
例えば、政治の話。
はてなじゃ「自民党が政権与党に居座れてしまような世の中、間違っている!」みたいな意見は珍しくないが、正直、俺はその手の意見には全然共感できなかった。
俺自身、自民党に対しては特別推せる個人が自民から出馬した時に出ていた時に数回投票したことはあるが、そういう場合以外は基本的には投票することはないので、反自民でこそなけれど間違っても新自民ではないつもりだ。
だけど同時に、選挙の結果を見れば、自民が与党の座を譲らないでいることも、どこかの党が議席数を増やしたり減らしたりしたことも、まあだいたい民衆の望みに添えている党がその分だけ票を得ている妥当な結果だよなーって感想になるし、同じ選挙結果を見ても「大衆がバカばかりだからこんな結果になるんだ!」と吹き上がっている人達には正直嫌悪感しか湧かなかった。
あるいは、今、はてなで最も熱い、たわわ広告の話。あるいはそれらの連なるフェミニストによる表現規制の話。
俺はそれらの規制にはだいたい反対の立場を取っているけれど、原理原則的な表現の自由を掲げているような人たちにもあまり共感はできなかった。
表現の自由は最大限尊重されるべきだと思っているつもりだが、それでも100人いたら99人が「これは公共に相応しくない」と判断するようなモノは相応のゾーニングをされるべきとも思ってしまう。
たぶんそれは俺自身がグロ画像とか虫系の画像とかが苦手で、そういった表現と街中でバッタリ出くわさないように自分自身がゾーニングによって守られているということに自覚的だからだと思う。
だけどその上で、フェミー萌え絵系の表現規制に反対なのは、所詮それらの萌え絵に対する規制論調は『世間一般』では全然触れられもしない程度のモノで、一部の人が叫んでいるモノに過ぎないという認識だからだ。
世間的にはフツーにスルーされる程度の表現を一部の過敏な人の反応を理由にゾーニングしろというのは、まあ間違ってるよなぁという考えなので、規制には反対している。
思えばはてなに来る前、5chに触れていた頃でも、アイドルソング叩きとか、東京に集まる人ことへの批判とか、「馬鹿で無知な大衆によって劣悪なモノが人気を得てしまう」という趣旨の話題には全然のれなかった。
Twitterは今でもやっているけど、それは、Twitterは尖がった人はたくさんいるけど、人が多い分、全体で見れば(ネット民的な偏りはあるけど比較的)大衆的な価値観に落ち着きを見せるので、居心地悪く感じないからだと思う。
「選ばれるものは選ばれるべくして選ばれる」し、「自分含めた大衆はそれなりに賢くそれなりに妥当な判断をして生きている」という考えが自分の中には通底してあるんだろうなぁと、はてなの尖った意見と自分を相対化して自覚することができた。
他のSNS右翼っぽくてキツくね?→はてなに来たら自分はネトウヨだったらしい という25-35くらいの人はそこそこいる感じ
はてなーは自尊心が高すぎる(ちゃんと勉強すればみんな俺と同じ思想になるはず、間違ってるのは俺じゃない世界の方だ)のかもしれない