2019-11-26

統計的差別

統計的差別」とは「個人の変えられない属性」と「期待されるパフォーマンス」に相関がある場合に、経済合理性根拠として属性に対して行う差別を指す。某東大特任准教授炎上で、この「統計的差別」が注目を集めているが、統計的差別には大きく2種類のパターン存在するのにも関わらず、区別されず議論されることが多い印象があるのでここで整理したい。

統計的差別」の一つめは、偏見ステレオタイプ)による差別である。そして、昨今例にあがる偏見による差別さらに2種類に分けられるように思える。偏見による差別の一つめは、偏見として本来は違いがないのにも関わらず、予言自己成就(正のフィードバックループ)により、現状として差別合理的になっているケースである。数十年前の男女雇用機会均等法施行される前を想像してほしい。その時代であれば女性女性であるために社会での適切な評価活躍が望めないため、女性教育を受けるインセンティブが弱い。そのため、女性は(平均的には)教育を受けていない分パフォーマンスを期待できず、結果として差別合理的になってしまう。偏見による差別の二つめはAIによる差別である現在評価制度自体女性差別的に行われている場合偏見に基づいた教師データ作成されているため、AIによる予測自体偏見に満ちたものとなってしまう。炎上したAmazonによる統計的差別はこれらの両者を含むと考えられる。これらの場合短期的には差別経済合理的になっていたとしても、差別禁止することにより予言自己成就教師データ偏見を抑止することができ、長期的には社会公平性効率性を改善することができる。そのため、差別是正社会的に効率的と言える。

統計的差別」の二つめは、生物学的な違いによる差別である遺伝的な原因として母集団における分布に違いが存在している場合属性に基づいた推測が合理的になる可能性がある。例えば、アフリカ系アメリカ人アジア系ヨーロッパアメリカ人の間では、運動能力の違いと同様に知能指数に明確な差が存在している。あるいは性差として男女の身体的な違いと同様に、男性暴力的な傾向や女性空間認識能力の弱さが明らかになっている。そして、これらの人種差・性差に基づく違いは生物学的な違いに根ざしている以上、(人種差・性差に比べて個人差の方が大きいと考えられるものの)偏見による差別とは異なり差別禁止しても期待値としての違いが消えない。そのため、社会的な効率性という観点ではこの差別禁止すべきかは明らかではない。

以上で記述的な議論を整理した上で、規範的な議論を行いたい。規範としては、仮に生物学的な違いとして統計的差別合理性がある場合であっても、人種性別のような「個人努力で変えることのできない属性」による差別禁止すべき、という思想が考えられる。能力があるにも関わらず属性に基づいた期待値が低いからといって差別されるのは、個人的な感情としては極めて不条理に感じてしまうのは自然であろう。しかし、「個人の変えられない属性」を差別禁止根拠にする場合個人能力の違いはどのように評価されるのだろうか。パフォーマンスに大きく影響を与える知能指数は、双生児法により遺伝が強く影響することが知られているが、これも「個人の変えられない属性」といえる。能力に基づいた差別は現状の社会制度・通念として広く受け入れられているが、生物学的な人種性別による差別否定を行うことで、必然的能力差別も疑問が投げかけらていくのではないか

なお、この整理に与えるバイアス存在として私の個人的な思想を明らかにしておくと、現在社会における能力差別はある程度は是正されるべきと考えている。某氏の「お前が終わってんだよ」には本当に嫌気がさす。

  • 250万人以上のビッグデータを用いた研究で、男女の社会的格差が小さい国ほど空間認知能力の男女差が小さく、この能力が文化や環境とも関連していることが発見されている。(https://www...

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