2018-08-04

差別されてない!って言ってるの『ゲイの成人男性』ばかりじゃない?

ここ数週間、杉田議員発言をめぐるTwitterの反応を見ていて感じたことだけど。もちろん、ごく狭い観測範囲なので妥当性は低いだろうが、それをふまえて感じたことを書いてみる。

この増田を書いている私自身も「ゲイの成人男性」だが、もし「日常的に差別を受けていると感じるか?」と訊かれたら「いや、別に……」と答えるだろう。実際、ゲイであることで不快な思いをすることは少ないし、特に不自由なく暮らせている。しかし、それは私が「ゲイの成人男性」で、まだ20代若いからこそ言えるのだろうな、と思っている。

どういうことかというと、第一に、ゲイLGBTという面ではマイノリティに属するが、男性という面ではむしろ強者」側に属するからだ。ほとんどのゲイ男性は「普通異性愛者の男性」として日常生活を送っているだろうし、私自身もそうしている。なぜそうするかと言えば、「普通異性愛者の男性」の仮面を被ったほうが生きやすいからだろう(この時点で、すでに「ゲイ差別されている」と認めているようなものだが)。

もちろん、レズビアン女性にも「普通異性愛者の女性」として生活しているひとはいるのだろうが、ゲイと異なるのは「女性である」という点だ。一概に決めつけることは避けたいが、日本社会において、女性男性よりも不当な扱いをされやすかったり、ハラスメント行為を受けやす立場にあると言える。であれば、レズビアン女性場合女性として受ける差別言動に加え、LGBTとして受ける差別言動という「二重の差別を受けやす立場」にあると考えられる。

一方で、ゲイ男性場合は「普通異性愛者の男性」の仮面を被ってしまえば「強者」のふりをして生活できるわけで、そりゃあ「日常的に差別を受けている」なんて感じないだろう。

第二の視点として、若いうちは「ゲイであるがゆえの苦労・障害」に直面しないで済む、という点が挙げられる。たとえば、20代男性ふたりが「ルームシェア」という名目賃貸契約することはそこまで難しくないだろうが、30代、40代、50代……と年をとるにつれ契約難易度も上がるだろう。また、若くて健康なうちはよくても、法的な婚姻関係がない以上、どちらかが病気事故に遭っても「身内」として関与することは難しく、病室に入ることすら許されないケースもある。最愛の人の死に目に会う権利すらないというのは、とても悲しいことだと思うのだが、若いうちは「若い」というだけでどうにかなってしまうので、これらの障害気づきにくく、直面して初めて気づくことが多いのではないだろうか。

第三に、「成人」という点である。あえて「成人」という言葉を盛り込んだのには「経済的に自立できる年齢」という意味があってのことだ。経済的に自立できていれば、周囲から差別言動を受けていても逃げられるが、成人前の小中高校生だと逃げることは難しいだろう。そう考えてみると「差別されてない」と言っている人は(本人が差別言動を受けていたかはさておき)「環境を選べるだけの経済力がある」ケースが多いのではないだろうか。「いざとなれば逃げられる」という経済的余裕は精神的余裕にもつながり、心の防御力を高めてくれる作用があると思う。

以上、さしたるエビデンスもなく長々と書いてしまったが、個人的には差別解消のため、できることをしていきたいと思っている。自分自身の将来のため、という動機はもちろんあるが、大人として選挙権を持ったからには「まだ選挙権を持っていない下の世代」のためにも動くべきだと思っているからだ。

自分幸せを大切にすることと、社会を変えるために動くことは両立できるはずだと信じている。

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