2017-12-06

同人が辞められない島中サークル

 今年で同人歴が10年になる。リアルな友人たちの結婚ラッシュはとうに過ぎ、二人目出産のニュースも珍しくなくなってきた。私は私で人生楽しいからとあまり深刻に考えず、ご祝儀支払マシンと化していた。

プライベートの充実を代償にして打ち込んだのは同人活動だ。とはいえこれは結果論であり、捧げた自覚があるのは睡眠時間ただひとつである。満足していたし、本を作るのもイベントに出るのも楽しかった。

 久しぶりに会った母から困ったように「あんたこの先どうするの」と聞かれた。はて、どうするんだろう。同人活動楽しいし、今は何の不満もないが、趣味で済ませるにはいささか時間お金と労力がかかりすぎてはいないだろうか。三十路の女になってやっと、初めてまともに趣味としての同人活動について考えた。

 社会人コンスタントに薄くてあつい本を出すには(もちろん個人差はあるが)、仕事以外の余暇時間を全て同人活動に充てるくらいの覚悟必要になってくる。漫画小説を書くにはめちゃくちゃ時間がかかるのだ。物理的な作業はもちろんだが、ストーリーを練り上げるのにとにかく時間を使う。さらに、最近オタクコンテンツメディアミックスが当たり前で、作品ますます奥行きを持ち、あらゆるものを吸収しながら多様化していく。人様の世界観をお借りして創作をしている身としては、知識としてすべからく押さえておきたい。そうして原作を追うだけでも膨大な時間お金がかかる。

 同じような状況の人はおそらくいっぱいいるはずだ。みんなはどうしているのだろう。周りの同人仲間を思い浮かべたとき、私は愕然とした。ほぼ全員が壁、もしくはそれに準ずるような規模のサークルか、商業作家になっていたのだ。これは、自分の廻りという極めてミクロコミュニティのケースであり、サンプルとしては参考にならないと理解していながらも、感情的なショックが大きかった。なんということだ。周りが全員いわゆる“大手”だ。私だけが違う。

 彼女たちは、少なくとも印刷費とイベント参加代と当日の交通費については確実に回収出来ているし、知り合いや友人やファンの数も多い。原作コンテンツ享受するための健全支出にとどめられているのではないか? 人脈づくりも出来ているのではないか? すなわち、まっとうな趣味として成立しているのではないか自分稚拙なやりくりを棚にあげ、ひどく偏った思考に陥ってしまった。

 SNSなどで新しく知り合った方が壁だと知ると距離を置いてしまう程度には大手コンプレックスを拗らせるようになった。同人というフィールドで培った繋がりである以上、同人活動人間関係をうまく切り離すことが出来ず、大手である彼女たちへの羨望と劣等感ばかりが膨らんでいく。自分には同人活動しかないと思っていたのに、同人活動すら実になっていなかった。

 何のために同人活動をしているのだろう。睡眠時間を削り、お金を捻出し、悲鳴をあげはじめた身体鞭打ち、あげく心にも影を感じながら、己の妄想を本にすることで、私のどこが満たされているのだろう。どうしてこんなに、同人活動に惹きつけられてやまないのだろう。大手サークルの華やかなSNSを指をくわえて眺めながら、今日オタク人生楽しいなぁと妄想に耽る。私はこの先どうするんだろう。

  • こういうの書くやつは大抵、現実から目を逸らしたい一心で増田を書いてる。 悪いことは言わないから行動するなら早めにするべき。

  • アラフォーだが、50部作った本が10冊くらい売れて、知り合いやお客さんとちょっと話ができたら、それで十分満足で楽しいのだが。 もちろん赤字だが、どんな趣味でも金はかかるもの。...

    • 同じく趣味で経費を回収しようという同人屋の主張が理解できない 二次創作なら尚更。 音楽趣味の奴は機材代も練習代もそれにかけた時間分の時給も人から徴収するんだろうか 登山や...

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