さて先日放送され、保毛尾田保毛男が登場したとんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP
これが同性愛者に対しての配慮を怠ったとかで問題になっているらしい。
自分もなんとなく家事をこなしながらテレビをつけっぱなしにして観ていたが別にそんな事には気にもとめず、むしろビートたけしの文春の話の方が気になるくらいだった。
そもそもロケ番組なので自分の覚えている限り出だしはキャラクターを強調したものの後は普通に会話しながら3人で街を歩くという展開だった(蕎麦屋で撮影許可を取ろうとする場面では完全に素に戻っていた)
だけれどもツイッターなどでは支援団体、フェミニストや実際にカミングアウトをした人たちを中心に批判的な意見が多く流れている。
さて、まぁホモがどうだという話は色々な所でやられているので別の視点から見てみようと思う。
例えばこれが保毛尾田保毛男以外でも炎上したのだろうか?
テルと泰造、轟さん、のような同じフジテレビの他のヒットキャラでもやはりこうなったのか?
ガキの使いの遠藤の同性愛ネタや昔懐かしいウリナリのホワイティでも炎上したのか?
そう結果として笑いに対する線引きが非常に難しい。
こういった批判を展開している人たちの中には「保毛尾田保毛男を見て、懐かしいとか肯定的な意見をしている人は信じられない」とまぁこちらを全否定している物すらある。
それはそれでどうなのか?と思っていた中、見つけたのが下記のブログ
ttp://futaripapa.com/2017/09/29/tegami-293/
実際にスウェーデンで同性同士の結婚をしている男性のブログである。
「息子くん、日本ではホモをバカにしたテレビがいまだにやってるんだって、まじ古いね。」
その記事の中ではゲイ同士の結婚に対しての取材を受けたエピソードが書かれ、実にほのぼのとした内容で書き綴られているがブログの中盤から保毛尾田保毛男の話になるや状況は一変する。
要約するとこの著者が子供の頃にこのキャラクターが流行っていてその時期から同性愛の感覚があったこの著者はクラスで「ホモ=きもい」というイメージが侵食していく中でとても傷ついたという。
またそういった中でナヨナヨした男子は保毛尾田と呼ばれたりした。
こういった話が展開されそのラストには
未だに保毛尾田保毛男のようなキャラを登場させて笑いが取れると思っていると笑ってしまう。
人をバカにすることでしか笑いをとれないのはそれだけ笑いのセンスとテクニックがないということ
という言葉。
(注:あくまで掻い摘んで書いているので実際に記事を読む事をお勧めします)
最後は自身の息子に対しての温かいメッセージでこの記事は締めくくられるのであるが
自分もアメリカで数年間生活した経験のある人間だがそれをどちらが上でどちらが下などと考えたことはない。
ぶっちゃければ楽しい事より辛い事の方が多かったが(飲み屋で突然FU◯K Japanese monkeyなんて言われたこともあった)結果アメリカが嫌いになる事はなかった。
勿論この著者もそんな事を思って書いた訳ではないのだろう。
しかし結果として保毛尾田保毛男の登場が悪意と感じたのであれば、彼はそれに対して悪意のある言葉で返してしまっている。
言うなれば問題定義を悪意のテフロン加工で塗り固めただけである。
この著者だけではなくインターネット上には大なり小なり解決に至らない罵詈雑言が溢れかえっている。
それで解決が出来るのだろうか?と改めて問いたい
日本人は本当にいつまでも脳内がガキの老人とガキしかいない国だものな。 全く時代に追いつけていないし、いくた元増田のような覚醒した正しき人々が正義を説いた所で老人化と少子...
お前が間違ってんだよ はてなーなんて存在が間違い