日付が変わる前のクリスマスイブ、とくに用事もなかった私はいつもながらの新着はてブを眺めていた。つい最近まで人気エントリーしか見てなかったけど、新着も眺めるとけっこう面白い記事が隠れていて面白い。あと、新着を眺めているといい記事をめざとく見つける「はてブソムリエ」とも呼ぶべき人もいるのにも気づく。その昼も夜も問わず魅力的な新着を発掘してくれる姿に、コイツ仕事してんのかな、いや違う、この人はいい目を持ってるなあと感嘆する。ありがとうソムリエ。
そんな感謝の念を抱きつつ次から次へと記事を渡り歩いていたのだが、運悪く一つの記事に出会ってしまった。
はてブ数は20あまり。記事の中身はオチのない日記。別にブクマされる記事でもないだろ、と思いつつブコメを眺めると、
ほぼ半数がそんなコメントであふれていて、それを目にした瞬間、お前らホンマにブログ読んでからブコメしてんのかよォオオッと怒りがわき上がり、関係ないけどメリクリって卑猥な響きがあるよねとも思いつつ、自分のブログのブクマ数が1か2ばかりなのを思い出してさめざめ泣いた。
それから晩ご飯を食べてお風呂に入ってニコ動を見てゲラゲラ笑った後、そういえばなんか怒っていたなと気づいて、イイイィッ許すまじと呪詛をこめてキーボードを叩き憎悪で満ちあふれたブログを書き上げ、ッターン!と先ほど公開して、それから考えていた。
腹だったままブログを書き上げたけれど、私がはてブのルールってわけでもないし、仲間同士で「メリクリ~」って言い合うのも楽しいなら文句を言うことでもないし、「クソみたいな馴れ合いはてブ書くヤツはいねええがあああ」と怒り散らすブクマ警察みたいになっても面白くもないし、馴れ合いか馴れ合いじゃないかなんて線引きも明確なもんではないし――と、ああでもないし、こうでもないし、と考えていたらよく分からなくなってしまったのだ。
「クソみたいなブコメであふれるとサービスの中身が悪化する」ってな意見もあるだろうし、「馴れ合いだろうがなんだろうが自由な方が息苦しくなくて良い」ってな意見もあるだろう。実際、私のブログにも一人の友人がときどきブコメを書きにくる。うん、私も馴れ合ってるね。
馴れ合いブクマがあったところで新着が増えるぐらいだし、ちょっと邪魔だなと思うていどで済む話だとも思う。ただ、中身スカスカの「PVいくつで収益いくらになりました」みたいな結果発表の数字だけが並ぶブログが、お仲間さんの「すごーい」「やったね」「参考にします」なんてブコメで人気エントリーに入ってるのを見ると、やっぱりどうかなとも思う。
程度問題なんだろうな。やり過ぎもダメだし、禁止しすぎもダメで、ほどほどに気楽にでも気を遣って楽しく過ごせればいいんだろう。
と気持ちを落ち着かせようと書いてみたけど、ムカつくわ、こんなもんいい子ちゃんぶっただけのゴミ文章だな。
やっぱムカついたのは事実だ。くっっっっっそ薄っぺらいブコメのあふれる記事と、やっぱり自分のブログの記事を比べてしまう。
それなら私の記事ってのはそんなに面白いのか?と問われると、そりゃまあ腹抱えて笑うレベルとしかいいようがない、うん、主観では。
もちろん主観での評価と他者からの評価はぜんぜん違うわけで、自分でもそれは重々認識していて、ブクマが全然されない現状を見るにたぶんクソみたいな記事しか書けてないんだろうが、それでもだ、やっぱりクソなりに思いをこめて書いている記事はある。笑ってくれと思いながら、いい情報ありますぜとニヤけながら、私の超絶文章を読めええっと叫びながら、さまざまな感情をこめて書いた記事がある。そう、ブクマ数1か2のそんな記事がいくつもある。
そうした中で「メリクリ~」でブクマ20あまりを見ると正直頭に来るのだ。もちろんその記事がどうだろうが、私の記事には無関係なのは分かっている。ただの嫉妬。
だから、別に気にすることはないわけで、また新しい記事を、いつか多くの人に届くと信じて書けばいいだけなのだ。
その次の記事を書く手はひどく重くなるけれど。
まあ、この現状はどうすることもできないし、いいはてブも悪いはてブもあるわけない。気楽にはてブしまくるのが一番。
ただできるかなと思うことは、面白い記事を見つけたときそれがもし、はてブ数3に届かず新着に載れないような状況だったら、トンと背中を押して送り出すような気持ちでブクマ数を増やしてあげると、めげそうなブロガーを助けられるかもしれないってことぐらい。そうやって表には出てきていないけれどあなたが面白いと思うブロガーを支援してあげれば、きっとその人はよりもっと面白い記事を書いてくれるはずなのだ。