「なんで。いきなり」
急にそんなことを言われて混乱した。休日の昼下がりの話題ではない。
「私たち、どうなっているのかなと思って」
ああ、そういうことか。すぐに腑に落ちた。結婚して6年になるが、私たち夫婦には子どもがいない。お互い仕事が忙しいせいもあり、あっという間に時間が過ぎてしまった。共稼ぎなので多少の余裕はあるものの、マンションのローンがあるので、できるだけ節約して暮らしていた。
そう言って、話題になっていたエントリーを、スマートフォンで見せた。長文なので、少し待たされる。
「これって無責任な言い方だよね。そんなの知らないよ、って」
「そうじゃない。わざと、そう書いているんだと思うよ。そういう時代だってことを、強調するために」
このブログが書いているように、人間の居場所はどんどん無くなっている。なにか特別なものに人生を賭けて取り組むとか、交換不可能な人材になるとか、ふつうの人間が田舎で暮らすとか、どれも特別なミッションになりつつある。
すべてシステムに組み込まれてしまった。上司も部下も、誰もが成果を出したかだけが評価される。そして、少しでも油断すると立場を失う。慈悲を施すのはマイナスにしかならない。競争に生き残るためには、非人道的だと思うこともやるしかない。
「だから、そんなの知らないよ、っていうのが賢いやり方なんだ。真剣にやれることをやって生き残るか、あるいは諦めてフリーターなどの非正規労働者になるしかない」
まるで、危機を煽るニュース番組のキャスターにでもなったかのように勢いがついてきた。
「周りのことまで気にしていられないんだよ。自分にしかできない仕事とか、自分だけの居場所なんて、もう存在しないんだ。会社だって生き残るのに精一杯なんだよ。ユーロの金融危機だって、頭の良い人たちがいくら集まっても、いつ収束するかわからない。このまま行くと大恐慌や食糧危機だってあるという人もいる」
妻は、あんまり納得していない様子だった。
妻は不妊治療を望んでいた。個人的には自然にできるのが一番だと思っていたが、そうした選択も考えざるを得ない状況になりつつあった。もはや、結婚前に考えていた結婚生活というのが、どんなものだったのか思い出せなくなっていることに気付く。
さっきまでと違い、なかなか言葉がつながらない。
「なるようにしか……、ならないと思うよ」
「それでいいのかな?」
私は内心は、人生の不安要因が増えてほしくないと思っている。不妊治療の費用や、その後の育児費用や教育費について考えると、何もかも投げ出したい気持ちにかられる。ただ、妻が妊娠を望んでいるのは、よくわかっていた。
べつに贅沢な暮らしをしたいわけじゃないのに、子どもを一人作るだけでも、こんなに不安になる。二人、三人と産んでいる夫婦は、いくら働いても余裕なんかないはずだ。ある一発屋芸人のギャグフレーズが頭をよぎる。
そう、そんなことを心配していたら、人生なんてやってられない。でも、私たちは若くもないし、先のことを考えずに子作りもできない。
「やっぱり、会社、辞めようかと思って。疲労やストレスも原因みたいだし。いまを逃したら、もうだめかもしれないし」
最近になって、妻が何度か言っていることだった。しかし、それは妻自身も躊躇していた。一度、職場を離れて専業主婦になると、出産後に仕事を見つけても収入は激減する。もし会社を辞めなければ、育児休暇中の給与もあるので、少なくても数百万、定年まで勤めたら数千万円の違いになる。すぐに決断できないのも当然だ。
「考えておくよ」
あとで軋轢を生まないよう、できるだけどっちともつかずの曖昧な返事をする。もちろん、こうして決断を後押ししないことが、トラブルになる可能性があることもわかっている。
「僕らだけの問題じゃない。社会の問題なんだ」
「でも産みたい人は、いくつでも産めるんだから」
50歳でも出産できる不妊治療や、新しい遺伝子治療が生まれている一方で、誰もが幸せになれる新しい経済学というのは、なぜ発明されないのだろう。もし、うまくいけばノーベル賞ものなのに。
「誰にでも仕事がある経済学というのはないのかな。世界中で失業率が高いし、貧富の格差が問題になっているのに」
まったく夢も希望もなく、妻は言った。
「そんなの知ってるよ」