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2014-08-19

私は勉強ができない

「どうして勉強なんてしなければならないの?」と親に聞くような子供だった。親も勉強好きな人ではなかったから「勉強しなきゃ高校行けないわよ」と叱られて、私は漫画家になりたかたから「いい高校に進学する意味」もわからなかった。

いや、違う。私はただ勉強苦痛で仕方なかっただけだろう。辛すぎて週に一度くらい泣いていた。学校も大嫌いで授業中も落書きばかりして過ごした。

だけど読書は好きだった。親が沢山買い与えてくれていたし、小説を読むのはとても楽しい。だから国語の成績もまずまずで頭のいい友人に「〇〇に負けたー悔しい」なんて言われたりもした。そう言われるくらいには馬鹿勉強もできなかった。

読書以外にも新聞を読んだりニュースを見ることが日課で、家族で私だけが見ていた。母はニュースが嫌いなのですぐにチャンネルを変えたがる。どうして嫌いなのか疑問に思った「〇〇ちゃんはニュースばかりみて偉いね」と褒められた。好きだから見ているだけなのに。

歌集を読んでいたら親戚に頭が良い扱いされて驚いたこともある。だって私はテストで五十点しか取れないんだよ? 頭が良いわけないじゃん。と言い返すと「頭の良さはそれだけじゃない」と「〇〇ちゃんは頭がいいし将来が楽しみね」なんて言われた。

そんな私は現在社会底辺を這いつくばってる。

やっぱり今も勉強は大嫌いだ。「やっぱり進学するべきだよ。君は馬鹿じゃないし」と親しい人にいわれることがある。もうあんな勉強したくないんだ。こりごりだ。

今でも思い出すたびに泣き出しそうになってしまう、どんなにやっても点数が伸びなくて、頑張って100点を取ってもクラスメイト馬鹿にされたあの頃を思い出すと。

今は毎日好きな放送大学講義を見て、週一で図書館に通い好きな本を好きなだけ読んでいる。最近は専門的な本をよく読む。この生活学校に通っていた時より何倍も楽しい

大学へ行けば何かが変わるのかもしれないけど、奨学金を借りていくには遅すぎるし、私の知能レベルならこれで十分に思う。大学へ進学したところできっと講義理解できないだろう、私は勉強ができないから

2014-08-09

中城ふみ子という歌人をご存じだろうか

31歳、乳がんで早世した女流歌人だ。

北海道帯広市野江呉服店の娘として生まれたふみ子は、左乳房の切除手術を受けたが、

がんは転移しており放射線治療を受けるも1954年になくなった。

死の直前『乳房喪失』の歌集ベストセラーになり、

死後は映画乳房永遠なれ』が有名になった。

中城ふみ子が育った野江呉服店は、開拓地都市のなかでではあるがかなり裕福で、

ふみ子を帯広高等女学校から東京家政学園に学ばせる余裕があった。

解りやすい言い方をすれば「プチブル」だった。

ふみ子の写真は多く残されているが、どこか気取っていて、

しなを作ったりポーズをとったりするものほとんどだ。若いころは特にそうだ。

彼女は「プチブルなのだ。「私はあなたたちとは違うのよ」とでも言いたげな、言い方が悪いが、

いかにも「成金」的な姿勢写真からにじみ出ているようで、私はひどく嫌だった。

彼女容姿はかなり整っている方で、それが彼女の「気取り」に拍車をかけているようにも感じた。

若いころの写真に写る彼女への印象はかなり悪い。

ほどなくして彼女結婚し母となる。結婚は恵まれたものではなかった。

苦労をして離婚帯広に帰ってきた。

その後故郷で奔放な恋愛をし様々な浮名を流したという。

写真で「気取り」を見せることは少なくなったが、

この辺りの帯広での行動はいかにも「プチブル」的発想で嫌だ。

そのうちに彼女の身体を乳がんが蝕む。

性の奔放さと、女性性の象徴である乳房喪失とを併せて、

罪と罰」と捉える論者も多いが今回の話では割とどうでもいい。

死が間近に迫った病床の彼女を写した写真がある。

なんとかという女性と一緒に写っている写真だ。

この一緒に写っている女性は顔も体もでかくて(お笑い芸人バービーに似ている)、

ふみ子と一緒に写ると自分ボリュームが強調されてしまうから少し下がって写りたい!と訴え出たそうだ。

今に残る写真では、この女性とふみ子の顔の大きさは同じくらいで、

実際に女性は何歩か下がって写真に写ったようだ。

病に侵され余命いくばくもないふみ子も、

この写真を取る際のやりとりには僅かにだが笑顔を見せたという。


不謹慎承知だが、私はこの写真が一番好きだ。

この、弱ってボロボロになってたたずんでいるふみ子が一番好きだ。

彼女可憐学生時代も性の奔放さも、実は「プチブル」に担保された性質のように思う。

病は「プチブル」的なものをごっそりそぎ落とし、何かが残り写真に写っている。

そもそも文学をやること自体が「プチブル」的だったのだが、

歌人としての才はギリギリそぎ落とされずふみ子の手元に残った。

ブルジョアジーというものを、革命でも何でもなく、がんというこの時代の不治の病が打破したのだ、と私は思う。

つの身体においての事例だが、近代の克服を自分の身体を削ることで成し遂げたのだ、と本当に勝手だけど思う。


冬の皺(しわ) 寄せゐる海よ 今少し 生きて己の 無残を見むか

2013-12-17

穂村弘手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」

ほむらひろし」に手紙を書き送る「まみ」とのやりとり、という「設定」の歌集


村上春樹1Q84

深田絵里子」という少女の書いた「空気さなぎ」をリライトする「川奈天吾」

そして、性的に自由な「青豆雅美」


ひきこもり女子ブログを読んで、この2冊と上記の登場人物が思い浮かんだ

私は、ひきこもり女子ブログは「作者は高卒コンビニ勤務の女の子」っていう「設定」で書かれてる

小説みたいなブログだな、って思う


私は、中の人がいてもいなくても誰でもいい

「私のいる世界」「路上の歌」は忘れられないエントリだった

ミカサさんの文章には底力がある。ブログ続けてほしいと願ってる



うーん、もしももしもてんちょーならねー

リアルで本気出して物書きになってくださいよと懇願

てんちょーの文才、ネットで流れてゆくだけじゃもったいなさすぎるよー

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