はてなキーワード: 時代劇とは
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090724/1248440858
コメント欄より
>tikani_nemuru_Mさんは今回の記事の前半で性犯罪と凌辱表現を直接結びつけて論じているけど、性犯罪以外の問題についても同じ意識を持っているんですか?
例えば「暴力が蔓延する社会において、純然たるフィクションとしての暴力表現はありえない」とも主張しますか?
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全くその通り。地下猫は
「チラ裏に何を書いても自由だが、それを他人に見せるのはいけない。なぜならそれが社会に存在することにより傷つく人がいるから」
と言ってるんだろう?(違うってんならわかるように説明しろよw)
とすると、必然的に「暴力により傷ついた人がいる」から「暴力の含まれる表現は、他人に見せる事は許されない」となる。
GTAはもとより、007も西部劇も時代劇も、あらゆる暴力表現は許されないということになる。
それがおかしいと言ってるんだよ。007を見た人間は他人に暴力を振いたくなるのか?そんなことはないだろう?
何かおかしな点があるか?
唐突だが、席替えだそうだ。
ゴーフルの缶に入れられたクジを引いた俺は、窓際後方2番目というなかなかよろしいポジションを獲得した!
窓際後方2番目といえばあまり有名ではないかもしれないが知るものぞ知る良席なのである。 春は暖かい日差しが程よく当たってかの極楽浄土が現世に顕現したかのごとくであるし、夏は日差しがキツくなるとはいえ窓際ということもあり涼風にありつける可能性が非常に高いので遥かな尾瀬が近い空だし、秋は秋で授業中に眼が疲れたなら遠くの山の紅葉を見て眼の保養をするとともに日本人的感性を育むことができて正岡子規が開発した俳句用の色紙(正岡子規式色紙)に一句読みたくなるし、冬ともなると暖かい教室の窓から深々と雪が降るのを眼にしてセンチメンタルでアンニュイな気分でメランコリニスタな気分に浸って若干ハイで眠れないのだ。ならば窓際の一番後ろの席でも良いじゃないかという反論をするものも必ずいるだろうが、その考えは甘いダダ甘い高校3年2学期から受験勉強を始める奴並みに甘いと言わざるを得ない。何故ならば一番後ろの席というのは一見教師の眼が届かなさそうなイメージがあるが決してそんなことは無くむしろ逆であり例えば舟を漕いでいたりすると教師というものは目ざとく見つけてくれやがる。そう考えると後ろから2番手3番手というのはまさに忍術で言うところの木陰の大事であり木を隠すには森の中人を隠すには人の中といった具合なのであるからして良席なのだ。こんな良席を手に入れられるとはそろそろ運が俺に向いてきたといって何ら差し支えは無いであろうしこれでハルヒと疎遠になるだろうことは想像に難くなく俺はいつに無く浮かれた調子でハルヒへの別れを告げんとした。さらばーハルヒー、フォーエ
「7番でごわす」
「うむ、涼宮山関の座席は窓側一番奥でごわすな」
こう宣告されたときの俺の表情は一体如何なるものだったのであろうか生憎自分の顔は鏡が無い限り見ることができないので想像するしか手段が無いのであるがそれは例えばブルータスに刺されたカエサルもしくは仮面に謀られた時の育ちのいい坊やはたまた覚醒した戦闘種族の息子に劣勢に立たされた完全体もかくやと思われるものだったのではないか、まあ俺はとりあえず世界の確率法則が酷く薄情にできていることにもう逆に感心しつつそれを支配しているかもしれない超越存在に向かって喧嘩を売りたいというか叩き売らせてくれよーし神とやらちょっとここに来て座りたまえああいややっぱ座らなくていい久々にキレちまった一緒に屋上へ行こうかボコボコにしてやんよ。
「虹が出ないだろがそれじゃ!」
http://anond.hatelabo.jp/20090212160233 の妖怪モトマスダです。色々意見を頂けたので、ざっとですが返事を書いてみます。
http://anond.hatelabo.jp/20090212170137
http://anond.hatelabo.jp/20090212171605
漫画とかアニメとかの立場の弱さ。「そういう(子供っぽい、くだらない)イメージで世間に捉えられているから」としか言いようがないんじゃないかな。
そのイメージはなぜ漫画とアニメに定着しちゃったのかなぁ、と思うんですよね。少なくとも「漫画というメディア」に格納された「物語」に問題があるはずもない。そこに問題があるのなら、漫画をドラマ化したり映画化したりした物も同様に蔑まれるはずですし。
http://anond.hatelabo.jp/20090212165847
http://anond.hatelabo.jp/20090212171605
信じ込んだら一直線、年配の人に多い気がします。何かをこうだと決めつけたり信じ込んだりはせず、常に自分も常識も疑って掛かっていきたい物です。「信者が集まると儲になる」ように、何かを信じ込ませる、というのは誰かが得をするために信者を増やそうとしているのだと思います。無意識の場合も多いでしょうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090212172304
いい年こいて小説ばっか読んでる奴もどうかと思うな俺は。時代劇ばっか読んでるオッサンとか、どう見ても思考停止してるでしょ。アニメ・マンガばっか見てる奴ももちろん同様。
http://anond.hatelabo.jp/20090212172620
「ジャンプ『を』購読してます」はヤバい気がするが「ジャンプ『も』購読してます」だとむしろ総理大臣級に偉い感じが出てくるわけで。
http://anond.hatelabo.jp/20090212173510
世間ではそれを問題アリと言うんだぜ。
少数の媒体に完全に寄ってしまうのはやはり問題でしょうね。もちろん生活リズムに合わないなどの理由もあるでしょうけど、どんな媒体にも得手不得手があり、どんな媒体にも素晴らしい物がたくさんあると思います。色々な媒体を深く攻めるのは非常に難しいですが、定評がある物はやはり触れてみて損は無いでしょうし、視野が広がると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20090212171437
仮に40代でジャンプ毎週購読してますって堂々と言う奴がいたら俺は「こいつ何か欠落してないか?」と思って距離置くけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20090212172835
気持ちは分かります。私にもそんな感覚があります。身近な人からの評価を落とすのは問題があるのでその辺りは弁えているつもりです。しかし通勤中などの場合は…
http://anond.hatelabo.jp/20090212174516
電車の中の世間なんか気にしたところで一銭にもならない、そんなこと気にするより自分の都合よいように通勤時間を使う方が自分にとってメリットが大きい
と、自分を押さえつけてますね。と言ってもあまり漫画は読んでいないのですが。
DSとDS-10を買ったときは最初は恥ずかしかったけど電車の中で頑張りました。家での時間だけでは到底遊び倒すには時間が足りませんでしたので。会社の昼休みに隠れてちょっとやってたら、趣味でDTMをやってる人が居て音楽仲間が増えました(笑)
http://anond.hatelabo.jp/20090212174642
私が学生だった頃などよりは増えてる気がしますね。単行本を読んでいる人はやはり少ないですが、少年誌・青年誌ぐらいなら結構読んでる人が多いと感じます。
http://anond.hatelabo.jp/20090212175739
酒は論外。
朝の電車で酒臭い上にスポーツ新聞を広げて風俗コーナーを読んでる人は滅んでいいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20090212174816
というか漫画を含めたフィクション系が嫌なんじゃないのかな。新書で語られるような随筆とかにふれてほしいんじゃないかな。という俺も本は読むけど小説は読まない。
元記事の方は最近奥さんに触発されて韓国ドラマをやたら見てるそうなのでそれはなさそうですが、ノンフィクションも読んで欲しい、というのは解りますね。世界には非常に心温まり勇気づけられる事も、ページをめくるのが辛くなるぐらい痛ましく凄惨な事もたくさんも溢れているんだ、ということは、特に若い方には知って欲しいなと思います。
あと私の立ち位置を一応表明しておきます。元記事に書いた「小説>絵付き小説>>漫画・絵本>ゲーム>アニメ>>写真・ドラマ・映画>>演劇>>>>現実」への触れ具合を書くと次のような感じです。
小説 | 私は小説(というか本という媒体)が一番好きです。 持ち運びに便利で、比較的安く、場所・時間・空間を選べず読めるからです。 |
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絵付き小説 | いわゆるラノベ。定評がある物はそこそこ読んでます。利点は「小説」と変わらないのでもっと読みたいのですが、新しいジャンルのため定評があるものが「小説」と比べてどうしても少なくなりがちで読めてません。 中高生・学生の頃はたくさん読みました。角川スニーカーとか電撃とかw |
漫画 | 実は現在はそんなに多くは読んでいません。 TPO・世間体も無いことはないですが、何よりも量や重さ、つまりは数時間分の漫画となると重いし嵩張る点が、主に通勤中が読書時間の私にはネックです。家にはそこそこあるんですけどね。割り当て時間は小説系の1/4ぐらいでしょうか。 |
絵本 | 前の盆休みに帰省した際に、多分何十年ぶりに読みました。親戚の子供が「読んで読んでー」って寄ってきてくれてもう嬉しくて可愛くて(笑) |
ゲーム | ゲームで「物語を格納」しているものだと主にADVとRPGかと思いますが、前者は有名どころは少し、後者は最近は全然です。 持ち運び不能、高価、概ねクリア時間が長すぎて私にはハードルが高いことがネックです。 |
アニメ ドラマ | どちらもほとんど見れていないのですが理由が同じなので纏めます。毎週同じ時間に見るとか無理! DVDを借りることはありますが、やはり合計10時間以上とか非常にハードルが高いです… |
写真 | 物語格納してませんね、ごめんなさい… |
映画 | 映画館は年に数回行くぐらい、DVDはちょくちょく見てます。 ドラマなどと比べ時間が短いことが魅力ですが、時間あたりの物語の濃さ(原作小説などと比べるとよく分かると思いますが)が薄い感じなのがちょっと…。演出面ではダントツなんですが。 私には「小説」の利点があまりに大きいので、原作小説が手に入るならそちらを選びます。 |
演劇 | 昔は結構見ていましたが今は全然です。映画館と違ってふらっと足を運ぶ、ということが出来ないのが難点でしょうか。演劇に詳しい知人も残り1人… DVDではホントに稀にですが、見てます。 |
現実 | 諦めたらそこで終了ですよ。 |
知り合いにバレそう…。 なんか超忙しいビジネスマン、という感じに見えちゃうかも知れませんが、別の趣味や付き合いに時間が圧迫されてるだけです(笑)
あと、書いてから数時間なのに既に3件(多分)も中身を消されてる方がいて驚きました。間違って書いたようでもないし… 残していただけると嬉しかったですね…。
今、トイレに行きたいんだけど近くにセーブポイントがなくて困っています。
うんこもれそうでテンションあがってるからわけわからないことを書かせてくれないと困る。
主に、括約筋的な意味で。
でね、うんこって偉大だと思うわけ。最初食べ物なわけ。栄養。ニュートリション。
入り口から入ったライトサイドの結晶が出口から出るとダークサイドに堕ちてるわけ。
もうね、ルークもびっくり。アイアムユアファーザー。で穴に落ちてパイプの先で回収されて終了。
何の話だっけ。
エピソード7って出るの?
出せよルーカス。うんこのごとく。スターウォーズっていろいろな文化や技術が詰まってるよね。
宇宙人やメカのデザイン、CG,音楽、パロディ。ジェダイって時代劇からとってるんだぜ。ジダイ。
言語学的にも興味深くて、ジャージャーはジャマイカ人みたいな英語しゃべるし、
結構惑星ごとにしゃべる言葉の発音とかそろえて区別してんのな。
映画って、音楽、美術、演劇、ビジネス、学問とか諸々の人類の文化の結晶って気がする。
高度なテクニックが合わさって最終的に美しいハーモニーを奏でるというか、うんこもれそうというか。
何の話だっけ。
そうそう、うんこです。アウトプット。成果物。エクスポート。圧縮してファイルを送信。ゴミ箱へ。
でね、今うんこもれそうなんですよ。
そこで問いたい。お前らは、いつなんどき、どのようなうんこをするために生きているのかと。
毎日いろいろ食べるじゃん。で消化するじゃん。そのあとどんなうんこしたいの?
はてぶを眺めていて思うんですよ。毎日いろんな人がブクマしていい感じに良エントリが集まってる。
で、それを毎日何百ページか読むわけです。トイレで。iPhoneで。
それらを咀嚼して、俺も純度の高いエントリをかかなければって思ってブログの編集画面を呼び出すんだけどいい感じのテンションで書けない。もし書けたら、そしたら俺、いいうんこをしたことになると思うんですよね。
で、いつまでも閲覧してばっかで自分では何も書かないと、便秘になっちゃうよ!?どうしよう!!?コーラック200粒飲んでピンクの便を噴出しながら西へ飛べ!ああうんこもれそう。
ほら、映画とか好きじゃん俺。前評判の高い新作はたいてい公開一週間で見に行くし、Tsutaya discasで狩り放題プラン入ってるじゃない。いっぱい見てるわけ。そんでね、それらを咀嚼して、良質のうんこを出すべきだと思うわけ。俺も。
個人で映画作る予算とかないから、別のもの、たとえば文章だったりとか予算のかからなそうなうんこひねり出そうとかがんばってみてるわけ。象がどデカいうんこしてる動画みてたら、俺もうんこしなきゃいけない気になってくるっていうか。どこに出したらいいの。
音楽も結構聴くんだけど、それは初音ミクにうんこ出してもらったりしてるわけ。
ニコニコという名の便所に、俺の集めたうんこを凝縮して最後にミクの糞を乗っけてうpするわけ。
雌豚閣下とかニコニコアーティスト(笑)とか、結構いいうんこしてると思う。極太。ワールドイズマインとかTOTOもびっくりだね。
あとはなんだろうなー。あれだな。仕事(笑)とかも、他人のうんこの出し方研究して糧にする。
ああ、あいつはクラウチングスタイルなのかとか、そういうふうにうんこすればトイレも綺麗に保てるのねとか。あんまりアウトプット出せてないからもっときばっていく必要があるんだけども。
ライフハック(笑)とかn個の方法(笑)とかもうんこだと思うのよね。
「俺こういうふうにやってみたら大量に出たよ」とか。やり方共有すればみんなの役に立つじゃん。
きれいな公衆トイレマップ作ったりしてね。トレペの折り方とか共有したりしてね。
でなんの話だっけ。うんこ。
今まで俺はどんなうんこしてきたかなあって思うのよ。ちゃんと「今日のうんこメモ」、つけてる?
つけてないのよなー。たまにでかいの出るから、そんときは写メとって友達に見せたりするんだけど。
もうちょいアベレージっていうか平均値を上げてきたいし、コンスタントにでねえかと思う。
繊維足りてないのかな。乳酸菌とってるぅ?
で、なんだっけ。
映画の話か。ダークナイト二回見たよ。クリスチャンベール、デカイうんこ出しすぎじゃね?なんか老けてた。
老けてたといえば最近のスティーブジョブス、細くね?やばくね?うんこも細そうじゃね?Boom!
そりゃさ、一度の人生でmac,ipod,iphoneなんてでかいうんこ三つもしたら、腸も痛むわ。
でもまあ、この世に生を受けたならば、それなりのうんこ残すべきだと考えるわけ。
たまに恐竜のうんことか化石で発掘されるじゃん。それを目指したいよね。
ピラミッドとかも何千年も残るでっかい石のうんこだし、現代の中東ではドバイなんかもううんこまみれ。
いつ、どんなうんこすりゃいいのよ。
男は女みたいにでかい糞をして後世に残すことができないから、どういう糞するかが問題なわけですよ。
jkondoは京都にいい感じのうんこ残した。アメリカでもちょっと脱糞したみたいだけど、いったん流しちゃったみたい。
hankakueisuuでぐぐってでるブロガーもいい糞出してると思う。引きこもってても糞が世間に公開できる。いい時代だ。
ホリエモンとか結構溜め込みすぎて、「お前そんなに便秘なのずるくね?」とかいって脱糞させられてくさいメシ食ってたけど。
何の話だっけ。
ちょっとトイレいってくる。
ただいま。申し訳ないねなんだか。テンションあがっちゃって。
何の話だっけ?
刺又、サスマタです。よく時代劇の捕り物で御用の人が持っている先端がUになった武器です。
最近は物騒な世の中に(統計的にではなく体感的にw)なっているそうなので学校に常備してるそうです。
何でこんなことを書いているのかというと地方のニュースで学校に侵入者が入ってきた際!の訓練として学校の先生がサスマタの扱い方を練習していたのを見て言いようのない気持ちの悪さを感じたんで感覚を整理するために書いてます。
自分が顧客、つまり親だとしたら学校の先生に「命を懸けて子供を守れ」とは決して言えない。
学校の先生は指導者であって警備員でも警察でもないんで、そこまで要求するなら学校を武装要塞化して警備員常駐にするか教員免許の科目に警察並みの訓練を入れるべきだと思う。
かといって侵入者が来たときに真っ先に教員が逃げ出したらそれは職務放棄だ。
危険が起きた際に生徒の非難と安全を最優先にするのが義務だと思う。
つまり火事が起きたら最後まで残って生徒を避難させる義務はあるけど燃える校舎の中に飛び込んで助けに行く義務はないという感覚。
現状としてその妥協点がサスマタなんだろうと思う。
つまり生徒の安全を確保するときに、自分や生徒を守るためにサスマタを使ってどうにかしろと。
ここでサスマタというのが気持ち悪さの原因だということがわかってきた。
サスマタは非殺傷性の武器で相手を傷付けないで捕らえるための物だから、これの訓練をするということは侵入者を怪我させないでどうにか止めてね、ということを意味してると思う。
それは教員の仕事ではなくて警察の仕事じゃないか、命を懸けてそんなことをする義務があるのか?
なんというか職務としてではなくて人間としてやむ得ない状況で自分や生徒を守る感じがする。
もちろん生徒を守るために侵入者を殺す訓練をするほうが思想的にもサスマタよりよっぽど気持ち悪いけど
殺傷能力を持った凶器を持った犯人に対して非殺傷武器で立ち向かわせるというのもなんだか気持ち悪い。
サスマタの有効性はわかるけどね、思想の問題として。
ご老人が好きな時代劇のせいだねきっと
子供が「シャベルを欲しい」という。子供が本当にシャベルを欲しい場合と、母親の関心を引くためにわがままを言っている場合と二つある。本当にシャベルを欲しい場合には与えることが望ましいのは勿論である。
上記の文に続いて、要は「わがまま」は『甘えたいという欲求』であり、それがかなえられないとダメになるのであって、わがままをきいた(それはわがままをきいただけで『甘えたいという欲求』は満たされていないと加藤氏は定義する)からといって人がスポイルされるということはないのだ、と加藤氏は語る。
上記の話には論理的に言って二点問題があると思う。
一つめ「本当にシャベルを欲しい場合には与えることが望ましいのは勿論である。」とあるが、「本当にシャベルが欲しい」と思っていても与えることが望ましいとは限らない場合もある。それが子どもにとって必要かどうか親は見極める必要があるのであって、心から欲しいと思っていてもかなわない場合があることを教えなくてはいけない場合もあるだろう。関心をひくためのわがままでなく、本当に、心の底から欲しがっていても、分不相応であるとか明らかに子どもにそれを持たせることが望ましくないという場合はある。たとえば子どもが貴金属の装飾品を欲しがった場合、あるいはむちゃくちゃ趣味の悪いエロ本を欲しがった場合とか。甘やかされて承認欲求が満たされたのは良いとして、その場合その子は社会常識という大変に重要なものを学ぶ機会を失う。結果、「甘やかしたせいで」親が子どもをスポイルするのはそれほど難しいことではない。
二つめ。世の中にはそれでも上の加藤氏のようなポリシーで「際限なく甘やかす(特に物質的に)こと=愛情」と考える人がいて、そしてそういう欲求は大抵の場合裕福な親でない限り永遠に満たし続けることはできないため、結果としてずっと対人関係に不満を抱えたまま成長してしまう方々が一定数おられる。そういう方々は他者が自分の言うことをハイハイ聞いてくれる場合だけ相手からの言葉を好意的に受け取るが、一端相手が自分の言うことに異をとなえると、それが心からの忠言であろうが叱咤激励の類であろうが、全て否定的にしか受け取れないようになってしまう。大体において時代劇に出てくる若殿というのはそういう性格であるが、あれはその意味で、世間に実在する性格の一類型だと言える。その人が永遠に「若殿」や「ボンボン」、「お姫様」や「お金持ちのお嬢様」といったごくごく恵まれた境遇に有り続けるなら問題は無いかもしれないが、一端その立場を離れるととたんに彼らは社会に適応できないことがあらわになってくる。これもまた「甘やかしたせいで」親が子どもをスポイルするケースである。
最初のエントリは「厳しく躾けるのは子どものためなのよ」というむやみな思い込みで子どもを虐待するような親に向けた読み物として重要な指摘を含むエントリなのだが、どちらかといえばその後に続けた二つの類型に日々色々と悩まされる身としては、ちょっとだけ異をとなえてみたくなった次第。まあ、タイトルだけの問題なんですけどね。
きっとそれは「世を忍ぶ仮の姿」なんだぜ!
時代劇における、チャラチャラした遊び人風の男が剣を抜くと一転、凄腕の持ち主だった・・・みたいな。
あ、「能ある鷹は爪を隠す」でもいいんだぜ!
暦の上ではひとつの節目。ほら、と指折り数えるように季節は過ぎ行く。夏と秋の間には確かにのっぺりと横たわるものがあり、それが僕らの気づかない進度で歩を進めた。徐々に徐々に森羅万象、そこかしこにその歩みの影を落としていった。僕らは気づかなかった。何故なら海はまだ青く、膝までつかった水温が迫りくるものが到来する時が遥か遠く先であることを語った。
際限なく無限増殖する細胞のような入道雲は今にも落ちてきそうな程低く、僕らの町と空との間には気持ちの優しい屈強な巨人がその四肢でもって落ちてくるものを支えていたに違いない。それほど空の不透明度は低く、ときおり聞こえる巨人の唸り声や大地を擦って踵からつま先へと重心を移動するときの運びまで僕には雑音なくクリアに染みた。巨人が身を呈して守るこの町には軍事基地があり、そのお膝元では軍人の天下となっている。昔からの住人である人々には笑顔を顔に張りつける以外には生きぬく術がなかった。長い長い歴史の中で培われた護身術のひとつである。
今しがた西の方から飛行機が飛び立った。
「あ、また飛行機」
僕は銛を片手に堤防の岩肌が突き出した場所に腰掛けた少女の方を見て、呟くように言った。強い日差しの下でもなお黒い印象的に短い髪を風が撫でた。分け目なく乱れた前髪を手で払うようにしてから、彼女はその褐色に焼けた肌を惜しげもなく露出させたキャミソールに点々とついた水飛沫のあとを人差し指で追った。波礁のかけらが今また振りかかる。
「珍しいね。何かあったのかな?ここんとこ見なかったのにね」
有無は膝丈のジーンズをロールアップしたパンツから出した足をぶらぶらとさせ、パンツのポケットからメンソールの煙草の箱を出して包みのセロファンを開けて言った。
「有無。タバコやめろって」と僕は即座に咎める。
「またぁ。ほんと親みたいなこと言うね、コムは。いいじゃない別に。何がどうなるものでもなし」
フリップトップの箱を開けて、銀紙を取り去る。ぎゅうぎゅうに詰った20本のうち1本を抜き取り、首から提げたヘンプのライター入れから百円ライターを出して火をつけて有無は笑った。
「コムじゃねぇよ。虚無。間違えんな」
僕は口を尖らせて言った。
「知ってる?籠みたいなの被った人が時代劇とかに出てくるじゃない、アレ『虚無僧』って言うんだよ。あんたと一緒。おかたいのよ、あんた僧侶だから」
有無はけらけらと笑っていた。僕は口がたたないのでいつもこうやって最後には有無にオチをつけられてしまう。僕は僧侶ではないのだけど、有無の言うように「おかたい」のかも知れない。確かにうまいことを言うかも知れないがそれでも駄目なものは駄目だと思う。僕はそれ以上は取り合わず、水の中を覗くレンズで水中の魚の動きを追った。前かがみになり静かに刺激しないように獲物の動きを観察した。ふくらはぎの半分ほどの深さしかないこんな浅瀬でも魚はいるのだ。僕は彼らに悟られぬよう体を空気中の成分と同化させねばならない、水上で構えた銛の影だって彼らには察知出来るからだ。自分を狙う者の殺気を読めぬようではとてもじゃないけど自然界では生きてゆけない。僕はそういったことを父から習った。僕の銛が水中に落とされる。
「オオッシャ!」
僕は思わず拳を天に突き出し、歓声をあげた。銛の先には体をよじる反復運動を繰り返す魚がまだ息を絶えずにいた。その大きさは「大物」とは言いがたいが、とりあえずは僕がしとめた。僕は有無の顔を見る。
「すごいじゃない。上達したのね」
彼女は少し感心したような表情で、フィルターの近くまで吸った煙草を指に挟んだまま言った。短く切った髪を耳にかけて露出した耳には銀色のピアスが太陽の陽光を眩しく反射させた。
「その煙草、ポイ捨てすんなよ」
僕は目を細めて、ぴしゃりと言った。
家の玄関の引き戸を音を立てて開け、僕は「ただいま」と言っていつものように帰宅した。玄関先に婆ちゃんが駆けてきて、
「あらあら、おかえり」と迎えてくれた。
僕は獲れた魚が入ったびくを見せ、反応を伺う。婆ちゃんはやはり父には適わない、と言う。だけれど、僕だってそのうち父のように立派に成れるに違いあるまいと思うのだ。晩御飯の食卓にあがった自分の魚を想像して僕はにまりとした。
「虚無、町に行って叔父さんのところに見せてくれば」
婆ちゃんの提案に僕は「そりゃ名案だ」と同意して僕は自転車の籠に魚の入ったびくを載せて跨った。ゆっくりとこぎ出し、加速して町へ向かう坂道を駆け下りてゆく。頬にあたる風が普段の熱風とはうって変わって心地良いものになっていた。僕は心を躍らせて、叔父の賞賛の言葉と大きな手のひらが頭の上にのせられるのを想像してまたもにやりとした顔つきで自転車をこいだ。僕の着ていた白いTシャツはもう脇のあたりが大きな染みになる程汗を吸収し、ショートパンツは海の匂いが香った。汗でも海水でもいずれにせよ塩くさいのだが、僕の着るものがどれも余所行きではなくとも僕はそんなことは気にとめない。僕は頓着しない。
町の中心部にある叔父さんの経営する釣具店へ向けて、僕はひたすら自転車をこいだ。
栄えた大きな通りは夕ともなれば軍人で溢れる。彼らはそこで日々鬱憤を晴らすように酒を飲み、ときには暴力を振るう。そんな空気の中を僕は進んだ。
規模は小さいが売春や買春が行われる繁華街の一角で見慣れぬ光景を発見した。大概、一目でそれと分かる言ってみれば時代錯誤な「売春婦」風の女の人の立ち姿が見うけられるのだが、そのとき僕が見たのは僕と同世代か少し年上ぐらいのあきらかに条例違反であろう年代の女の子の姿である。僕は目を疑ったが真相など確かめる気もなかった。
叔父の釣具店の扉を押すと、「波浪」と客に声を掛ける調子で叔父が言い、
「おう、虚無か。どうした?」
と僕と気づいた叔父は言い直した。
「魚獲れるようになったよ」と僕は答える。やはり期待に違わず叔父は誉めてくれた。
「すごいじゃねぇか。たいしたもんだよ、誰にも教わらずなぁ。銛じゃぁオレも教えられないし。どうだ?この際、針と糸に宗旨変えしねぇか?そしたらオレがみっちり鍛えてやるぞ」
叔父はいつもそう言う。どうにも僕を釣り中間にしたいらしい。
「それじゃぁ、食べられないじゃないの」
と言って共に笑った。
叔母さんの出してくれたオレンジジュースとお菓子を食べながら、叔父さんと話した。
「そういえば、諭くんどうしてるの?オレ昔良く遊んで貰ったよね、銛も上手かった」
「あいつぁ、ダメだ」
急に叔父の顔が険しくなり、僕は余計なことを尋ねた気分になった。叔父は続ける。
「もう、虚無も大人だ。話してもいいだろう。いいか、虚無。おまえはしっかりしてるしそれに頭も良い。おまえだから話すんだぞ」
「うん」と僕は異様な雰囲気に半ば飲まれながら頷いた。
「諭。あいつはなぁ、チンピラだ。軍人の腰ぎんちゃくに成り下がって、ろくでもないことばかりしとる。麻薬の売人とかと組んでおるらしい。最近は地元の子らを軍人に紹介する橋渡しのようなことをやっていると聞いた。要はな、売春の斡旋だ。分かるか?あいつだきゃぁ、クズだ」
「ねぇ、叔父さん。じゃぁもしかして『桜番地』にいた僕と同じぐらいの年の子って…」
僕は恐る恐る尋ねる。
「あぁ、そうだ。昔は『桜番地』はきちんとした風俗街だったけど、今じゃぁ何だ、援助交際っていうのか?すっかり芯まで腐りきっちまったよ、この町も」
叔父が煙草に火をつけたところで叔母が話に入る。
「お父さん、やめなさいな。虚無ちゃんにこんな話。この子はまだ中学生なんだから。そうだ!虚無ちゃん、ご飯食べてく?」
「何を言ってる。虚無はな、そこらのガキとは出来が違うぞ。そこらへんちゃぁんと分かっとる。な?虚無」
僕は収拾をつけられなくなったので、「家で食べる」と言って店を出た。しかし、僕はさっき聞いた叔父の話で頭が一杯だった。僕がこんなにも動揺するのは集団の中に恐らく有無らしき姿を発見してしまったからに他ならない。まさかとは思う。ただ、どうしたらいいかは分からない。
僕は家路に着いた。
いつも魚を狙う場所があって、そこは観光客がくるようなところではなく地形も厳しく地元の子でもおおよそ僕ぐらいしか来ないプライベートな場所であった。今が夏休みだろうとそうでなかろうと、僕はそこで海につかった。 とろけそうな陽気の中有無はけだるそうに切り立った岩の上に立ち、僕を見下ろしている。彼女は紺色のキャミソールを着ていて肩にかかった部分から黒い下着のストラップがはみ出ているのが見えた。僕も彼女の立つところまで岩をよじ登る。爪や指先、そういった箇所が痛んだ。有無はやはり面倒臭そうに煙草を吸っていた。
「今年は客足悪いんだってさ」
彼女は自分の家が営む民宿の話をする。僕の家も観光客相手の商売を多少なりともしているので、そこらへんの話は良く耳にする。今年に限らず年々客足が減ってきているらしい。僕の住む町はそういったことに依った収入が不可欠な町なのだ。切り立った岩のすぐ下の水の中では僕が父から譲り受けた銛が天に向かって真っ直ぐに生えている。それは水没している部分がゆらゆらと正体不明に揺れて、眩しい光りを水面に放った。
「喉乾かない?買ってこようか?」
僕は振り返って有無の顔を見て言った。
「ん」
自分の財布を放り、咥え煙草のまま返事とも言えない返事で答えた。煙草を離した唇から白く風に棚引く煙を吹いて「奢る。あたし炭酸ね」と付け加えた。
ガードレールなどない取りあえず舗装された道路を歩き、生活雑貨から何から売っている商店の前の自動販売機の前に立ち有無の二つ折りの財布を開いてお金を取り出そうとする。銀行のカードや何かの会員証やらが差してあるスペースに異物感を感じて僕はそれを取り出した。僕は思わず絶句して立ち尽くす。コンドーム。男性用避妊具である。丁寧に連なったふたつのそれを慌てて元の場所にしまい、小銭が入るポケット部分から手早く出したお金でジュースを2本買った。有無のいる場所へ戻る最中、ずっと考えていたのだけど僕は僕の妄想を頭から払いのけることが出来はしなかった。
缶を彼女に手渡すとき、偶然とは言いかねるが彼女の服と下着の中に眠るふたつの丘陵のゆるやかなカーブが見えて僕は激しく興奮してしまう。多分原因はさっき財布の中で見た、「性的な行為を行うときの確信」みたいなもので僕のその妄想を確かに現実の場所へ引きづりだすのだ。有無がいくら前かがみの体勢をしていたとしたってそれを覗くのは偶然でなく僕が見たかったからに相違ない。
夏は終わりにさしかかっているようで終わりは一向に見えやしない。まだまだ雲はその力を誇示するかのごとく胸を張って広がりを見せる。空は低く。巨人はさわやかな笑みを浮かべ。
僕は思い切って尋ねた。
「なぁ、おまえ、やったの?」
僕はこれ以上具体的には言えなかった。空気は全ての空間と繋がっていると僕は思っていたのだけど、それは違った。人と人を繋ぐ関係性の濃密によって区切られていたのだ。そして、僕は空気がこれ程硬く固まるものだなんて知らなかった。伝う汗さえも流れ落ちない程度時間が流れた。
「見たんだ?」
と言って有無は目を閉じて立ちあがった。そしてゆっくりとこちらを向き、太陽に背を向け逆光の中褐色の肌が通常よりもそのトーンを落とすのを僕は見た。明度も彩度もが一段落ちる。そして瞼を開いて微笑んで言った。
「そうだよ。セックスしたよ」
僕ははっきりと滑舌良く発音したその単語と服と下着の中から覗いたふくらみを脳裏に描いて、まるで猿のように際限なく永久機関のように終わりなくオナニーした。マスターベーション、自慰行為と言い代えても良い。そう、十年一日のごとく来る日も来る日も布団の中でそればかりしていた。最低の男であった。他にするべきことも見つかりはしなかった。想像が加速してブレーキが利かず、有無は僕の想定した架空の世界の架空の部屋で日を追うごとに一枚ずつ脱いでゆき、日を追うごとに僕のどんな無理な要求にも応えるようになった。そしてある日の夕方一切立ち寄らなくなった海へ行き、計り知れなく大きい太陽ですらすっぽりと難なく包んでゆく水平線を見て自分が一体何者かを己に問うた。
朝起きると適当な袋の中に水着やタオルそういったものを積め込んで、海へ出かけた。銛は持たず、ただ体ひとつで海を泳ぐ。海水中の塩分が浮力を生み僕の体をまるで拒絶するかのように押し上げ水面に浮かせた。僕が潜ることを嫌がっているようでもあった。体中に蔓延した不健康な老廃物を全て排出する腹づもりで、体の奥深く何処かで息を潜める病巣の中核を探し当てねばならない。そうでもしないと僕は存在異議を失うのだ。夜毎陰茎をしごくだけの「もの」であって堪るものか。自分だけが知る海岸線でなく、公衆遊泳場に来ていた。時期もピークではないので割と地元の若者が多いようである。そういった経緯で日がな泳いだ。
僕はこれ以前にだって自慰行為をしていた。考えていた。ずっと。何故僕はこうまでみっともなくならなければいけなかったのか。何故僕はかさぶたを掻き毟るように。何故。何故。そういったことを呟きながら水中から回答の眠った宝箱を探す、見渡す。遊泳中のカップルの片割れで目的も持たずにふらふらと漂い泳ぐ女が平泳ぎの恰好で股の間の小さな布で隠された部分を晒すのを長い間ずっと潜り続けて凝視していた自分を発見したとき、僕は同時に答えをも発見した。なんのことはない。これが僕だったんだ。塩水で目を擦った。
僕は大人になるまでこの自分自身の下半身的問題を平和的に解決出来ない。要するに女を買えない、ということだ。しかしながら僕は望みもしたが勿論憎みもした。有無が買われるという現実を、この両目ではっきりと見ておかなければならなかった。より深く自分を呪う為に。
町へ降りると、金曜だけあって人は多い。都会の盛り場と比べたら本当にちっぽけなものだ。色町『桜番地』へ近づくにつれ、ぎょろぎょろとした目つきであたりを見まわす。ここの色町は変わっている。それらしい店を全部一角に集めただけで、表の通りから丸見えの場所で平然とさも普通のことのように売り・買いが成される。同時に良くある繁華街でもあるから、例えば僕や同級生やなんかが居ても特に誰も咎めない。
僕は諭くんを見つけた。面影が残っていたのですぐに分かった。その後について歩くのは有無と同級生の友達であった。僕の予想は出来れば外れて欲しかった。全員知った顔で、それもクラスの中でも特に大人びていて顔だちが美しく整った者ばかりだった。そして有無は群を抜いている。
僕は叔父さんの家にお使いに行く名目で町に来ていた、そして恐らく彼女らも似たような嘘を並べて来たことであろう。預かってきたトマトを握りつぶした。
何てこった。あいつらか。
僕は自転車の籠の中のトマトを軍人の足元に投げつけた。そして僕自身、我を失い何事か夢中で叫んだ。自分ですら果たして何を言っているのか分からない。僕は右手の中指を立て、
「間座墓!」
と叫んだ。軍人は首だけで振り返り、それから僕の方へ歩みを寄せる。僕よりも40センチは身長が高い彼の眼光は既に「子供のしたこと」を笑って許すような雰囲気ではなかった。軍人はその上等な皮のブーツで僕のももの付け根をポケットに手を突っ込んだままで蹴った。大人の力の衝撃がその箇所から電流のように地面に抜け、さながらアースの役割でも果たしたかのように僕の左足は焼け焦げて落ちた。立っていられなくなり、地面に倒れ込むとすぐ目の前に皮製の靴のつま先がある。目をつぶる暇もなく鼻から大量の血が流れ出して、息が出来なくなった。口の中が熱くて、鼻水と血が混ざってマーブル模様を織り成しその不自然な美しいコントラストを眺めた。涙で視界が利かなくなると、今度はわき腹に針で刺されるような衝撃が訪れた。正体不明の嗚咽を漏らす僕を助けようなどという者は現れるはずもなく、結局は僕が何者であるかを問われるだけだった。彼の顔は笑っていた。
「坂!…国家!」
僕は片足を押さえ膝を付いた姿勢まで体を起こし再び中指を立てた。彼はそれまで顔の表情は笑った形を作って努めていたがその瞬間には完全に笑顔もおちゃらけた態度もなくなった。ポケットから出した拳で僕を思いきり殴りつけた。僕は誰だ?彼は最早軍人として僕を殴らない。そして笑わない。ならば、立ちあがろうとする僕は一体何者だ?今さっきまで軍人であった男は問う。オレは誰だと。オレは一生陰部を擦り続ける醜い生き物か?そんな男か?退いて生きるか?
僕はふいに笑いがこみ上げた。
「オレは海の男だ」
僕は声に出して言った。
彼は飽きたという身振りで友人らしき軍人を連れて、帰っていった。だらりとぶら下がった動かない腕はファイティング・ポーズのつもりだった。
叔父さんの家で目が覚めた。叔父さんは安堵した表情で
「あぁ、良かった。このまま目を開けないんじゃないかと思ったよ。しかし、すげぇ顔だなぁ」
と僕に話し掛ける。叔父さんの説明によると僕は気を失い、そして軍人が帰っていった後で見ていた人達がここまで運んでくれたということらしい。有無がどうなったか知りたかったけれど、そんなことは勿論訊けはしなかった。叔母さんが出してくれたお粥を食べようとして口の中に入れたらすごい衝撃が走って、僕は思わず宙に浮く。
叔父さんも叔母さんも笑って言った。
「虚無の親父さん、未曾有さんもケンカはしたけどさすがに奴らにケンカふっかけるなんざ聞いたことねぇや」
「そうよ。もうちょっと相手を考えなさい。殺されてたかも知れないのよ」
やはり叔母さんは泣き、僕はあとで家族にみっちりと怒られた。
だけれど、僕は自分が何者かを取り戻した。
以前にも増して僕は亡き父のように立派な漁師になろうと強く思う。鋭く切り立った岩壁を背に、汐が引いて膝丈程もなくなった外界から隔絶された知られぬ海で僕は銛を片手に空を見上げた。いつまでも空は夏の様相を呈していて水面に落ちた人影で僕は背後の岩の上に有無がいることを察知する。
「そこだ!」
僕は小指の爪ほどの大きさの小石を放ちながらそう言った。
「久しぶりじゃない」と小石のことには触れずに進める。思わず冗談めかした自分が恥ずかしくなるほど冷静に。
「そうだな」
僕も冷静に。
「虚無、少し変わった?」
「そうかな」
「何してんの?」
「銛の練習。オレはやっぱり漁師になるよ」
「そう」
そんな会話を交わした。有無はメンソールの煙草に火をつけて煙を吐き出すと同時に顔を上げた。僕は相変わらず銛で水の中の地面を形をなぞるように落ちつきなく突ついていた。彼女は指に煙草を挟んだまま、切り立った岩のわずかな取っ掛かりを慎重に滑るように降りた。僕の隣に腰を下ろし尻をつけて砂浜に座る。僕も砂の上に座るが水着が濡れていた為に濡れた砂が尻の形にくっきりとついた。あまりスムーズに言葉が出ない。
「有無は?何になるの?」
僕は沈黙の堰を切るように話し掛ける。
「分からない。あんたのお嫁さんにでもして貰おうかな」
僕が驚いた顔をしていると「冗談よ」と言った。
二人で動きのない海を見ていた。海鳥が遠くの島へ飛んでゆく。すると、有無は立ちあがり
「気持ち良さそうね。あたしも入ろ」
とそのままの姿で駆けて波を掻き分けてその身を浸した。僕があっけにとられ制止する暇もないまま彼女はずぶぬれの恰好で海からあがってきた。
「やっぱ服着たままだと辛いね」
僕の目は彼女の透けた服から浮き出た秘密しか入らず、完全に思考は停止し例えば気の利いたセリフのひとつも出てこないままとめどなく湧いてくる唾で急激に乾いていく喉を潤していた。髪をかきあげる仕草をした後、有無は
「虚無はセックスしたいの?」
と訊いた。
僕は「オレはセックスしたいよ」と答えた。
僕は煮え切らない情欲を抱えて悶々としたままの紳士に分かれを告げた。僕は快楽を貪る者だが、決してそれのみには存在しない。彼女に抱いた幻想や彼女に抱いたいかがわしい妄想、己に都合の良い空想、そういったものを1箇所にまとめて全部破棄した。それから僕は有無と交わった。
鋭く切り立った岩影で、外界から情報がシャット・アウトされた知られぬ砂の上で、落ちかけた太陽に焼かれ背中を水飛沫に濡らし僕は一際大きな声を出して果てた。
僕も有無も裸だった。彼女のお腹の上にはまだ生々しく行為の証が記されたままである。濡れた有無の服は薄いタンクトップですらまだ乾かず先ほどと全く変わらない。時間の経過も感じられない。脱ぎ散らかされた衣類の位置もそのままだ。
「気持ち良かった?」
と一番最後に有無は乾いた服をそそくさと着ながら訊いた。
自転車で海岸線を走っていると、東の方角へ飛行機が飛んでいった。僕が数えただけでももうさっきから一体何台の飛行機が飛び立っただろうか。気体がもの凄い速さで小さくなっていくのを見届けてから、再び自転車に跨りエデンに似た外界から隔絶された場所へ向かう。遠目に有無の姿を発見して片手でハンドルを握りながら大きく手を振った。彼女も体全体を使って信号を僕に返す。
「あ、また飛行機」
有無は上空を見上げて言う。
「オレも見たよ。来るときだけですごい数の飛行機見たなぁ」
「あたしも。何かあるのかなぁ。演習とか?」
僕は「さぁ、どうだろうね」と言い終わらないうちに、すぐ隣に座る有無の乳房を背面越しに触ろうとした。彼女は僕の手をまるで蝿や蚊をはたくような感じで叩いた。僕が彼女に会うのが待ち遠しかったのはいわずもがななのだけど。有無は
「あの時だけだよ。そんなねぇ、都合良くホイホイやらせるわけないでしょうが」
と手厳しく言った。僕はしつこく懇願したが、彼女が要求を飲むことは無かった。岩場に立てかけた銛が太陽の光りを反射して光線を生み出す。僕や有無に浴びせ掛けられた兆しの元を探し、空を見上げた。往き付く先は夏を完全に体現しその大きな両手で包み込むような入道雲。空を支える巨人はやはりその笑みを絶やさずやがて秋が来るまで微笑み続けるのだろう。
「まったく、言わなくちゃ分からないの?」
有無は胸の高さの水面に左手を入れて、水の中で僕の手を握り引き寄せた。帆を張った舟のように水面に浮かんだ僕の体もその小さな力で彼女の体にぶつかる形で引き寄せられる。お互いに向き合い体の前面を押しつけるように抱き合った。彼女は僕の股間を水中で触る。空は高く広大で、僕たちは身を寄せ合い抗わずそこに含まれた。東の空からまた飛行機が飛んで来て、僕たちの上空を過ぎ去るのを見ていた。
僕たちは飛行機の来た方角の空を見る。空では入道雲とは違う、けれど、ひときわ大きな球体のような雲が風船が膨らむ様を連想させた。心なしか荘厳で見ているものを魅了する何処かで見たことのある形の雲だった。ずっと、ずっと遠くまで、僕は僕の父も祖父もが愛したこの海の果てまで思いを飛ばす。
「わぁ、見て。綺麗」
と有無は水中から出した手をかざし、遥か遠くの海で立ち昇る雲を指差した。
「旦那〜 遊んでってよぉ〜」
と赤く塗られた木の格子から、外に手を伸ばして男を誘う遊女。
これって現実にあったのか、なかったのか。
見なくなったのはお前の視聴行動が偏っているからだ!!!
昼前〜昼下がりの時代劇再放送アワーでは日常チャメシゴト!!!
あと、現実にあったかなかったかは見てないから断言できないけど絵とかあるよ
の右下の方。拡大するとよくわかる。
明治のもあった江戸東京ものがたり#15 明治風俗篇(2)けっこう下の方。
うん。その漠然とした危機感はよくわかる。
記事で問題になっているのは著作権だが、それには触れない。
但し、プロレタリア革命はブルジョワ革命が完遂した後に起こる、或いは現在の自由主義が歴史の終焉であると言った話題は、手に余る。
同じ20世紀で、しかも大衆芸能について、一定レベル以上の成熟と大衆性を獲得した(だから、純文学や前衛藝術を除く)ジャンルでは似たような進化を辿るのではないか、という話。
>>最後に取り上げる例は、ジョージ・スティーブンスの古典的西部劇『シェーン』である。周知のごとく、西部劇というジャンルは四〇年代の終わりに最初の深刻な危機を迎えた。純粋で単純な西部劇は、いかにも作り物で単純な繰り返しだ、という印象を与えるようになった。西部劇の公式は使い尽くされたようにみえた。作家たちは、他のジャンルの要素を西部劇に盛り込むことによって、この危機に対処した。かくして出来上がったのが、フィルム・ノワール的西部劇(ラオール・ウォルシュ『追跡』。この映画は、フィルム・ノワールの暗い世界を西部劇に移植するというほとんど不可能な仕事をなしとげた)、ミュージカル・コメディ的西部劇(『略奪された七人の花嫁』)、心理的西部劇(グレゴリー・ペックの『ガン・ファイター』)、歴史叙事的西部劇(『シマロン』のリメイク)などである。一九五〇年代に、アンドレ・バザンはこの新しい「反省的」ジャンルをメタ西部劇と命名した。
この「メタ西部劇」は『西部劇』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/西部劇そのもの/である。いいかえると、この映画は、西部劇の世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだ西部劇である。『シェーン』が生み出す効果を説明するには、ふたたび視界の機能に言及しなければならない。つまり、常識的なレベルに留まっているかぎり、すなわち視線という次元を導入しないかぎり、単純で理解できる問いが生じる──もしこの西部劇の「メタ」の次元が西部劇だとしたら、二つのレベルの間の距離はどう説明されるのか。どうしてメタ西部劇は西部劇そのものとぴったり重ならないのか。どうして純粋で単純な西部劇はできないのか。答えはこうだ──構造的必然性によって、『シェーン』はメタ西部劇のコンテクストに属している。<<
(スラヴォイ・ジジェク著 鈴木晶訳 斜めから見る。青土社 P121
猫も杓子もジジュクを使いまわしている昨近、またか!と思われる方も多いだろう。またか、である。
アンドレ・バザンの≪超西部劇≫(sur-western)は、時間=歴史的な対象、一九四〇年前後の古典主義に対する一九四四年以後の「進化した」西部劇を指し示す。対して、ジジュク≪メタ西部劇≫は、空間=図式的な観念である。それは「メタ」の次元とそれ以外の次元からなる「二段の棚」であり、話を進める上で好都合だったので、持ってきた。
日本の場合、過去の例で思い当たるのは、時代劇だが、最近では、何といっても、ロボット・アニメかな、と。(時代劇については、ここでは触れない)
名前はいちいち挙げないが、歴史叙事的ロボット・アニメ(西部劇では実際の過去の出来事だが、ロボットがポピュラーな時代は未だ来ないので、未来、或いは仮想世界が舞台になる戦記物)、コメディ的ロボット・アニメ、(破綻も含む)教養小説的ロボット・アニメ、ファンタジー的ロボット・アニメ、ラブストリー的ロボット・アニメ、その他、いろいろ。
では、”その「ロボット・アニメ」は『ロボット・アニメ』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/ロボット・アニメそのもの/であるような作品、ロボット・アニメの世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだロボット・アニメ”、西部劇で言えば「シェーン」に該当するロボット・アニメは存在するだろうか?
昔の時代劇の悪代官思想から、エリート、官民思想。キャリア文化。学歴教育万能思想。日○組などの影響がモロにでた官僚くんや企業さんが国うごかしてんだもん。「搾取」だけだわね。羊は飼われてろ!的に。これでも暴動がおきないから大戦前はあーゆー教育で、後はこういう教育。何かを話そう。未来を作ろうとしても「大学はどこを卒業されていますか?」「ご両親は何をされていますか?」頭の腐った政治家と頭の腐った大半の大衆が支配するような島国ですもん。極論で「徴兵制」なんて言おうものなら、学のあられるオツムのよいお猿さんが、キーキー叫びやがる。養殖のウニより臭ェ脳みそしてねえ・
隣の国からそのうちミサイルとんでくんぞ!
「昨日、自民党との連立構想問題の責任を取る形で辞意を表明していた 民主党の小沢代表が一転、続投の方針を固めました。 今日夕方、赤坂の事務所を訪れた鳩山幹事長に手渡された○○の内容を 受けての方針転換です」(←画面にモザイク) ――○○を読んだ小沢一郎、その目に涙が……!? 「(CM)ポリンキー♪ ポリンキー♪ 三角形の秘密はね☆」
「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました……」 「?」 「あなたの○○です」 ――90秒後、とんでもないアレの正体が!! 「(CM)ポリンキー♪ ポリンキー♪ 三角形の秘密はね☆」
「9回裏、2アウト満塁。打席には今日ヒット3本、絶好調の石井…… 点差は1点、一打サヨナラのチャンスです。 マウンドのダルビッシュ、セットポジションから……投げた」 ――はたしてボールの行方は!? 「(CM)ポリンキー♪ ポリンキー♪ 三角形の秘密はね☆」 : 「3塁牽制!!」
「助さん、格さん、もう良いでしょう」 「静まれぇ!」 「静まれ静まれぇ!!」 「えぇい静まれぇ!!!!」 「この紋所が――」 ――印籠はCMの後!! 「(CM)ポリンキー♪ ポリンキー♪ 三角形の秘密はね☆」
「(CM)ポリンキー♪ ポリンキー♪ 三角形の秘密はね☆」 ――三角形の秘密はCMの後!! 「(CM)ポリンキー♪ ポリンキー♪ 三角形の秘密はね☆」